kasekunさんのクチコミ(9ページ)全196件
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投稿日 2023年08月15日
総合評価:3.0
コロナ前に行こうと計画し、ヨーロッパレイルタイムスケジュールで調べた時には、●バルセロナからフランス側の国境の町まで鉄道で行き、そこからバスが出ていたんですけど、、残念ながら今はそのバスはなくなったようです。
今は、、公共交通機関でアンドララベッラまで行く方法は、、、
①スペインのバルセロナからの直行バス、②スペインのなんとかという町まで列車で行きそこからバス、③フランスのトゥールーズからの直行バス、この3つの方法しかないようです。(調べた限り)
ユーレイルパスを有効に使おうと、●の方法で国境の町まで行き、そこからトレッキングで、、と考えて、
バルセロナの中央駅に行って調べたら、スペイン国鉄で行ける所までしか、切符は買えないようです。2023のタイムスケジュールによれば、国境の町から接続の列車があるようにも思えるのですが、、(朝1の列車で12時頃に到着、そしてマップスミーによればそこから12キロほどでアンドラへ到着)、、しかしこのプラン、あまり確信がなく、トレッキング案は断念。どんな山道かもわかりませんから、、
ということで、今回は、
●朝6時15分 バルセロナ中央駅すぐ横にあるバスターミナル発 ダイレクトバス 30ユーロ
●3時間程でアンドララベッラ到着後、観光
●アンドラ宿泊
●朝5時 アンドラバスターミナル発 フランスのトゥールーズ行きのアンドバス 37ユーロ
この日程でアンドラ公国を観光!
アンドララベッラは山と山の狭間を流れる川に沿ってできている静かな町でした。夜には、その川の水を利用したライトアップされた噴水?ショーを見に、観光客が集まっていました。
※なんとアンドラではヤフーが見られました。アンドラはシェンゲンの仲間でないからなのかな?久しぶりに日本のニュースに触れました。ヨーロッパに来るとヤフーが見れないって、本当に不便ですよね。
アンドラ旅行の参考に、、、。
ダイレクトバス
https://www.andorradirectbus.es/en
アンドバス
https://andbus.net/en
※ネットでもチケット購入できるようです。自分は直接バスターミナルで購入しました。- 旅行時期
- 2023年08月
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投稿日 2023年03月13日
総合評価:5.0
4トラ色塗り投稿です。
今でこそラオス旅行は地球の歩き方ラオス編も出て、ある程度メジャーになりましたが、今から確か27年前、1997年冬、中国昆明からミニバスを乗り継ぎ、中国ラオス国境を越えました。前年にベトナム旅行に行き地図を買って旅行にしたのですが、その地図にある隣国ラオスが気になり、試したわけです。ちょうど兄貴が「俺も海外旅行に連れてってくれ!」と頼まれ、では、一緒にラオスに行こう!となったわけです。一人ではなんだか不安でも2人なら、、、そんな思惑がありました。
東京の旅行社にラオスVISAを依頼し25000円。当時は大変高額でした。
香港に飛び、そこから深圳、列車で広州へ。兄貴の休暇は短いのでここから航空機で一気に昆明まで飛びました。そこからは歩き方中国編を頼りにラオス国境ボーテンまでミニバスを乗り継ぎです。
さてラオス、当時は国境をてくてく歩いて渡りました。イミグレはボロボロの掘っ立て小屋みたいな感じ。ノートが置いてあり、そこに来訪者を記述するみたい。覗き込むとまだ6名ぐらいしか記入はなかった。たぶん、日本人では自分達が1番最初の訪問者ではないかと、、、。(兄貴が言うには、テレビかなんかで、誰かが「ここの国境を渡った人が、自分達が日本人で初めて渡った」かなんか語っていたがというが、それ以前に自分達が渡った!と文句を言ってました。まあ、そんなことどうでもいいけど、、、)
さて、ラオス入国を果たしたものの、そこからルアンパパーン、ビエンチャンに行く方法は全く知らないわけです。とりあえず、地図にあった近くの村ルアンナムターを目指しました。幸い、現地の方が一人ルアンナムターに行くようで、ついて行くと、、。小型トラックの荷台に、、、。これがラオスの交通機関か!その方に中国元10元をラオスキップに交換してもらい何とか現地通貨ゲット!これで泊まれる!たどり着いたルアンナムターは本当に何もない村でした。とりあえず泊まれる宿を探し2人で宿泊、次の朝早くの出発に備えました。
情報が全くないので、朝早く起き、ルアンパパーン行きのバスを探しました。バスだまりを見つけ、ルアンパパーン!ルアンパパーン!同じルアンパパーンに行く人を見つけるため、そこにいる人たち全員に声を掛けました。すると、、、いるではないですか。全く言葉は通じませんが、ルアンパパーンに行くらしく、俺たちも連れてって!というお願いがわかってくれたらしく、ついて来て!というような素振り。この優しそうな男性に託しました。
ついて行くと、まずはウドムサーイ!彼は言いました。確かまたまたトラックの荷台に乗り、ウドムサーイという町まで。そこからがびっくり仰天でした。川に行き、ボートに、、。このボートがものすごい!ヘルメットと救命胴衣を着せられ、6人乗りのボートに乗りました。このボート、確か船外機が2つついていて、けたたましい爆音を鳴らして爆走するんです。スゲー!次から次へと景色は移り変わり、本当に爆走です。まさかラオスにきてボートに乗るなんて想像もしてませんでした。ラオスでは道路ではなく、川が高速道路代わりだったのです。
無事、ルアンパパーンに到着。ルアンパパーンではゲストハウスもあり、(ラオスもベトナム同様外国人旅行者を受け入れ始めていたのです。)
ルアンパパーンの1番の思い出は、ディスコがあるからというお誘いで、行ってみたことですね。想像していたディスコとは違ってました、、。村人が集まり、ラオビールを飲みながらリングのような壇上で男女がペアとなって踊る、、、。その音楽は日本で言う盆踊りのような曲でした。男性が座ってる女性たちの前で手を合わせお願いするのです。一緒に踊ってくださいますか?okもあればno!もあるようです。幸い、自分お願いしたところokをいただき、かわいいラオ女性と2人で盆踊り?を踊りました。(兄貴は no!と断られ、その後ふてくされてました)
ルアンパパーンからはラオ航空でビエンチャンまで飛びました。案内してくれた彼が身振り手振りで教えてくれたことは、、、ビエンチャンまでバスはあるけど、山賊がいるらしく危険、自分は飛行機でビエンチャンまで行く!とのことのようです。地元の方が危険!というからには素直に従おうというわけで、ラオ航空ビエンチャンまで1人40ドルのチケットを購入し、ビエンチャンに向かいました。
いやー、それにしても今思えば、彼のお陰でラオス旅行楽しめたと思います。帰国してから、兄貴が彼に手紙を書いてお礼をしたと言ってました。数十年経って最近このラオス旅行を兄貴と語ったんですが、海外デビューがラオス旅行の兄貴、、忘れられないようです。
自分の方は、その後2度ほどラオスを訪れましたが、、、
②タイのフェイサーイからスローボートでルアンパパーン、そこからまたスローボートでビエンチャン、、、地元の方の船上ご飯をごちそうしてもらった。ラオスのもち米、うまいですよね。
このスローボートの旅もホントおもしろかった!ビエンチャンでカンボジアVISAを取り、カンボジア国境まで行くものの、当時はこのラオスーカンボジアの国境は特別な国境のようで、賄賂200ドル払うなら通してやるとカンボジアの役人に言われ断念。ラオス側の国境事務所に泊まらせてもらい、初のメコン川シャワー!シャワーに行くぞ!と石鹸持ってついて行くとそこはメコン川でした。
③東南アジア縦断の旅で、カンボジアのストゥントレンからミニバスでラオス国境越え。なんと道路も整備され、正規の国境となっていた。以前来たときは悪路で、ミニバスをおりると顔中ホコリまみれだったのに!
それ以来ラオスを訪れてはいないが、「どこがおすすめですか?」と尋ねられたら、いつも「ラオス!」と答えている。
最近は中国ーラオス鉄道もできて、乗車体験談を目にすることも多くなったが、変わらないラオスでいてほしいものだ。- 旅行時期
- 1997年01月
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投稿日 2023年07月20日
水銀の遺産, アルマデン鉱山とイドリャ鉱山 (スロベニア) ポストイナ
総合評価:3.0
4トラ色塗り投稿です。
ザグレブからスロベニアのリュブリナまでは列車で。ここは移動距離も短く、あっという間にリュブリナ到着。急ぐのは、実はドブロブニクともう1つゆっくりと見たい所があったから。それはイタリアの世界遺産ベネツィア。この町を是非見たかった。リュブリナからは列車ですぐそこ。ただ、直通列車は夜行列車(夜2時発)しかなかった。この列車に乗るために、スロベニアでは2つだけ観光。ブレッド湖にも行って見たかったけど、近場のポストイナ鍾乳洞、そしてもう1つ世界遺産のシュコツィアン鍾乳洞。2つも鍾乳洞?とは思ったが、どちらも列車で気軽に行けるので、、、(少し歩くけど)。鍾乳洞は初めて見学する。2つも行ったので満足満足。比べてみるとやっぱり世界遺産の方が見ごたえはあったかな?見学後、また列車でリュブリナに戻り、ざーっと首都も散策。国際列車の切符を購入し、到着ホームのベンチで夜行列車に備える。遅れでもしたらこの後のスケジュールが狂ってしまうので、、、。
だが、油断してしまった。スマホのタイマーを予約し夜中に起きようと寝袋に入って待ってたのだが、ぐっすりと眠ってしまった。夜行夜行で来たつけがここで出てしまった。自分では大丈夫と思っても、体は正直だった。
トントン、トントン、誰かが起こしてくれた。ガバッと起き上がったものの、あれ?スマホを慌てて見ると、既に夜中2時を過ぎてた。列車は、、ない。起こしてくれた旅行者の方を見ると、もう列車は行っちまったよ!そんな感じ。やっちまった!チケットは紙屑に。
、、どうしようか?別の列車がないかと、持ってきた時刻表で調べた。別のルートで今日中にベネツィアまで行ける列車は、、、。
あった!ちよっと遠回りになるが、ノヴァ・ゴリツァ、、スロベニア領とイタリア領で別れている国境の町。歩き方を見ると、この町にはブルボン朝最後の君主シャルル10世の墓もあるらしい。早朝発のローカル列車でノヴァゴリツィアへ。
スロベニアのノヴァゴリツィア駅に到着し、シャルル10世の棺を見学した後、てくてくイタリアのノヴァゴリツィア駅へ。幸い、道を尋ねた女性が親切にも、私についてきて!と道案内してくれた。ありがたい、ありがたい。スロベニアとイタリアの国境は、ここが国境ですよとの案内看板こそあるが、あとは何も、、、手続きなど必要ない。シェンゲン、便利なようで 旅人にはなんだか味気ないが。
イタリアのノヴァゴリツィア駅からベネツィアまで無事ローカル列車で到着。- 旅行時期
- 2013年08月
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クロアチア ザグレブからシベニク、トロギール、スプリット、そしてザグレブへ
投稿日 2023年07月18日
総合評価:4.0
4トラ色塗り投稿の続きです。
たしかザクレブには昼頃到着。ざっと町を散策し、またまた夜行列車。せっかくクロアチアに来たんだ、他の世界遺産も見てみたい、、という思いからの夜行列車乗車。タイムテーブルでは丁度いい具合の列車が走っていた。ザグレブ夜発、朝世界遺産のあるシベニク着、そして世界遺産のあるスプリット夜発、朝ザグレブ着。2泊も宿泊代が浮き、世界遺産も見れ、大好きな列車にも乗れる。シベニクとスプリットの間にはもう1つ世界遺産のある町トロギールもある。
で、夜行列車に、、、。だが、ここでけちってしまったことが失敗。2等席を選んだところ、、、夏の観光シーズンだからか、特別車両が2等車だった。座るシートもなくガランとした車両。ここに若者たちが多数乗車。ガンガン音楽を鳴らしていた。他の客なんて知らんというつもりか。一晩中起きていくという算段なのだろう。参った。これでは寝れない。寝ようと思ってもうるさすぎて寝れない。あまりにうるさすぎて、1度注意した。
他の客もいるんだ、静かにして!
だが、若者たちは聞く耳持たず、、結局、自分も一晩中起きているしかなかった。早朝、シベニク到着。世界遺産の大聖堂を見て、バスでトロギールへ。世界遺産古都トロギールの町を散策し、またバスでスプリットへ。
世界遺産のディオクレティアヌス帝の地下宮殿を見て、そして夜行列車でザグレブへ。帰りの列車は迷わず寝台。ぐっすりと眠れた。
このコース、列車好き、そしてあまり日程がない人なら、いいコースだと思います。- 旅行時期
- 2013年08月
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クロアチア プロチェからボスニアヘルツェゴビナ モスタル そしてサラエボへ
投稿日 2023年07月17日
総合評価:1.0
4トラ色塗り投稿です。
プロチェから列車で世界遺産モスタルへ。ここは負の世界遺産?民族、宗教が異なる人々が曲がりなりにも平和に共存していたが、ユーゴスラビアが分裂するにあたり、、、。内戦、、、。日本がバブルでウハウハしてる時に、ヨーロッパでは隣人を殺し合う内戦が勃発したのだ。スタリ・モスト、、、終結後復活し今では町のシンボルとなっている。この橋では観光客向けに飛び込みのパフォーマンスが。うまいもんだ。水しぶきもオリンピック選手にはかなわないが、それほどあがってなかった。
で、数時間滞在し、またまた列車で首都サラエボへ。ちょうどいい具合に観光後にサラエボ行きの列車が走ってる。夜10時頃、サラエボ着。駅は町から離れてるので、タクシーで。が、タクシードライバーは人相がひどく悪い。ずっと旧ユーゴスラビアを巡ってきたが、ボスニアヘルツェゴビナの人々はどことなく暗い顔の人が多かった印象が強い。やっぱり、20ユーロ!ぼってきやがった。
サラエボでは第1次世界大戦の引き金となったサラエボ事件現場を見たり、亡くなられた方々のお墓を見たり、、なんだか暗いものばかり、、。さらにここでは、、、。
市街を走るトラムに乗った。車内にはパンチ機が。歩き方で情報を読んでたので、切符をちゃんとパンチ機に入れた。だが、うんともすんとも動かず。壊れてるのか?まあ、いいかと降りると、、、。呼び止められた。切符を見せろと。パンチしてないじゃないか!罰金だ!???なんだそれ?最初は詐欺かと思ったが、対応を見てると本物のキセルチェック係員のよう。パンチ機に入れたんだけど、動かなかったんだ。信じてはくれない。罰金だ!いくら?100ユーロだ!??誰がそんなもん払えるか!警察を呼ぶぞ!おー呼んでみるなら呼んでみろ!日本大使館に電話するから!、、、とにかく罰金を払え!誰が払うもんか!もう頭にきていた。俺は急ぐんだ、これからクロアチアに行くんだ!、、、とうとう係員、いいんだな、お前はもう2度とボスニアヘルツェゴビナに入国できない。さささと書面に何やら記載され、紙を渡された。人生初めてもらう入国禁止文書。昨年ロシアに入国禁止になった日本人が60人程いたが、自分はボスニアヘルツェゴビナに入国禁止となった。本物なら、、、。まあ、パスポートも切り替わったし、10年以上前ですから、今は大丈夫?いつか、確かめてみたいですね。
ということで、あまりボスニアヘルツェゴビナにはいい印象はない。
そして、夜行列車でクロアチアの首都ザグレブに向かった。
- 旅行時期
- 2013年08月
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投稿日 2023年07月16日
総合評価:2.0
色塗りは完了しましたが、ドブロブニクの続きです。
ドブロブニクからはボスニアヘルツェゴビナへ列車で行きたく、駅があるプロチェという町までバスで。実はこの旅で宿を予約できなかった町がこのプロチェ。歩き方にも掲載のない町、ブッキングコムにもホテルは出てこない町。特に何かあるわけではないが、モスタル行きの列車が早朝、この町から出ていたので、この町に宿泊するしかなかったのだ。宿はあるのか?もしかしたら駅で野宿か?とにかく行ってみるしかなかった。
ホテルはすぐに見つけられた。聞いてみるとそこそこのお値段。まあ泊まるしかない。
でも、駅に行ってみると、野宿してる若者たちが、、、。なあんだ、お仲間がいたのか。野宿でもよかったかも。
で、翌朝、クロアチアのプロチェ発ボスニアヘルツェゴビナのモスタル行き列車に乗車。2023のタイムテーブルによれば、この列車、プロチェ発ではなくなっていた。- 旅行時期
- 2013年08月
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投稿日 2023年07月16日
総合評価:4.0
4トラ色塗り投稿です。
世界遺産コトルの町を数時間散策した後はまたまたバスでクロアチアの世界遺産ドブロブニクへ。この町が今回の旅のメイン。真っ青なアドリア海に面したオレンジの屋根の町並みは人々を引き付ける。是非行ってみたい!そう思い、今回の旅に。
コトルからドブロブニクまでの海沿いのビーチには、どこも海水浴を楽しむ観光客でいっぱいだった。天気もすこぶるいい。ドブロブニクでは、旧市街からは少し離れてるが、歩いて十分行ける範囲にあるユースホステルに2日間程宿泊。2日間連続の夜行列車で来たわけで、到着するなりシャワーを浴びる。おー!お湯もたっぷり、さすがインターナショナルなユース。とても快適でした。で、ドブロブニク観光。何をするわけでもなく、旧市街の城壁に登って一周したり、レストランでリゾットを食べたり、ホステルで洗濯したり、、。一息つける平和なドブロブニクでした。
後は特に記すこともなし。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 2日以上
- アクセス:
- 3.5
- 景観:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 1.0
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投稿日 2023年07月14日
総合評価:3.0
4トラ色塗り投稿です。
2010冬、ガーナから任国外旅行でマリ共和国を訪れました。今日のテーマがマリだったので、思い出して、、、。
後2ヶ月で任期も終わり帰国だったので、冬休みを利用し、任国外旅行へと旅立った。JICAにはブルキナファソを旅行すると申請し、アクラーワガドゥグの航空券を購入。往復600ドル。が、本当はその先のマリへ。もちろん、マリ共和国への任国外旅行も認められていた。春にマリを訪れていた仲間たちの話を聞くと、バマコまで往復900ドル。そしてバマコからは旅行社で車、宿泊先全てを手配してもらう形にしないと許可はおりないとのことだった。4名ほどでシェアしても結構な金額になるとのこと。ただしトゥンブクトゥ訪問は危険とのことで不許可。(でもみんなこっそり訪問していた)
で、自分は、、、この時期マリを旅行するものはなかなかいない。ただでさえみんなイギリスへと向かうのに、仲間を募るのは無理だった。1人で行くには高額なお金が必要だった。西アフリカ編のロンリープラネットを熟読し、
◆ガーナ アクラ→エアブルキナ→ブルキナファソ ワガドゥグ→バス→ワヒグヤ→ミニバス→マリ ドゴンカントリー(世界遺産)→バス→モプティ→船→トンブクトゥ(世界遺産)→4WD→モプティ→バス→ジェンネ(世界遺産)→バス→セグーバス→バマコ→バス→シカソ→ブルキナファソ ボボドゥラッソ→バス→ワガドゥグ→エアブルキナ→ガーナ アクラ
この行程で地元民のバスと船でマリを旅行することにした。
●ワガドゥグの空港に着くなり、タクシーでワガドゥグのマリ大使館に向かった。そして難なく1時間程でマリVISAゲット!フランス語の世界でVISAがゲットできるか心配だったが、タクシードライバーがたまたまガーナのチュイ語を理解できる方でよかった!すぐさまワヒグヤ行きのバスに乗る。
●ワヒグヤからのマリ国境行きのミニバスがあるとの情報がロンリープラネットにあったので探す。たまたま英語を話せる方に会い、ミニバスへ連れてってくれた。ただ、この方が言うには、コーラの実を買っていった方がよいとのこと。ドゴンカントリーでトレッキングするなら、地元の方にコーラの実をお土産に渡すといいとのことだった。本当か??だったが、実際マーケットにはたくさんコーラの実が売られていた。この方を信じ、コーラの実を購入。で、国境行きミニバスでマリのバンディアガラまで。この本当にローカルな国境に、ワガドゥグに着いたその日に行けるとは、なんとラッキーなことだった。
何もない道を走ること数時間、掘っ立て小屋みたいな国境事務所に到着。無事入国スタンプをゲットし、夜の8時頃、バンディアガラに到着。ロンプラにある安宿に宿泊。宿ではすぐさまガイドが売り込みに来る。当時は本当に平和で、フランス人旅行客が多数、このドゴンカントリーのトレッキングを目当てに訪れていたのだ。ロンプラによればガイドは特につけなくともよいようだが、、、。売り込みに根負けし、この方をガイドに雇うことに。名前は忘れてしまったが、片方の足が不自由な方だった。でもトレッキングは大丈夫!とのことだった。実際、えっこらえっこらと、ゆっくり、、、。自分のペースには最適だったかも。つかれた時には、牛の馬車に。そんなこんなで2泊3日のトレッキングは終了。崖から眺めた大地に輝く夕日は、ザッツアフリカの景色だった。
※コーラの実は必要なかったかも?ガイドを雇えば要らないのかも。ガイド無しで自力で行く方はこのコーラの実を村人たちに渡して行くのかも?余ったコーラの実、荷物になるので、最後に訪れた村の人たちにあげた。喜んでいた。
●モプティではトゥンブクトゥ行きの船を探す。何隻か当たり、トンブクトゥ行きの船を見つけた。が、またもや、、、。水は持ってるか?とのこと。たしか2泊3日の船旅。1人だからそんなにいらないよなと思ってたものの、足りない足りない!1ケース買わなきゃ!とのこと。お土産にまたあげていくのか?まあ、あってもいいか、なくなるよりはましかと、1ケース購入。同じ船の乗客も買ってたので、、、。この船、メインは荷物。乗客はたしか、地元の方2名、フランス人親子2名、そして自分。荷物を運搬する船員さんが数名の小さな船だった。この船でニジェール川を遡る。最終地点はトンブクトゥ手前の村。
この船旅で覚えてることは、地元の乗客の方が船上でご馳走してくれた紅茶。船上で火をおこし、そしてニジェール川から汲み取った水に紅茶の塊を入れ、その火にかける。実にワイルドだった。フランス人親子は遠慮して飲まなかったが、自分は遠慮なく頂く。次の日も、その次の日も、、、。何杯と飲んだ。買っていった水は結局かなり余してしまった。重いので、その段ボールケースの水はそのまま船員さんへプレゼント。喜んでいた。ちなみに夕飯付き。船員さんが夕食を作ってくれる。夕日に囲まれた船上でのご飯、、本当にアフリカに来たんだなあと実感した。
●トンブクトゥは本当に砂の町だった。何をしたのか今では忘れてしまったが、砂に埋もれてる町、、そんな印象だけは残ってる。地元の飯屋に行くと、、、1人珍しくアジア人がいた。声はかけなかったが、日本人のような気がした。トンブクトゥを去る日、乗り合い4WDで一緒になった方はこの方だった。話してみるとやっぱり日本人。東京都の職員だそうだ。マリ旅行をしに1人で来ているそうで、モプティからバスで、自分は行かない世界遺産がある町ガオに向かうという。すごいかたがいるもんだ。まあ、本当に15年程前のマリは平和で旅行者でいっぱいだったのだ。(特にフランス人) 途中、このランクル動かなくなり数時間ドライバーが悪戦苦闘。今日は野宿でしょうかね?なんて話しながら2人で直るのをじっと待ってました。無事、修理完了!
●マリの宿はなんだか面白い。ドミトリーはなく、一番安く泊まるには、ホテル屋上に設置された蚊帳付きベッドに寝るのだ。ここが涼しくて心地よい。昼間は暑くていられたもんじゃないが、夕方頃から涼しくなり始める。
●モプティからジェンネ行きのバスに乗ったが、このバス、ジェンネまでは行かなかった。国道のある村で降り、そこからミニバスで向かうという。知らずにこのバスに乗っていった自分。到着が夕方で、既にジェンネ行きのミニバスは明日の朝しかないという。仕方がない、ここで野宿か、と寝床を探していたら、村人たちがここに泊まれと建物内に案内してくれた。外とは通じていたが、近くで火を炊き暖をとる村人たちがいるので、安心して一夜を明かせた。無事、ジェンネ行きのミニバスに乗り、世界遺産泥のモスクと月曜日の市を見学できた。
●バマコでは、、、まだスマホのない時代。夜、バスでたどり着いたが、今バマコのどこにいるのか位置関係がわからず、目にはいった○○飯店に宿をとる。世界中どこに行っても中国人はいる。困ったときには飯店。飯も食える。ようめいようくわいつ?(箸ありますか?)中国語が役立つ。
●マリ旅行最大のミス!前日、バマコからブルキナファソのワガドゥグ行きの国際バスのチケットを購入していた。が、寝坊をしてしまった!ヤバイ!と急いでバスターミナルに行ったが既にバスは出発。キャンセルできず。次の日のバスで行けばよかったのに、地元のローカルバスで、、そう考えたのが間違いだった。地元の方に聞き、ワガドゥグまでの乗り継ぎバスの通しのチケットを購入できたものの、その乗り継ぎが非常に悪かった。国境のシカソという町までは来れたが、そこからが、、、。次のバスは何時に来るのか?わからない。今日出発するのか、明日なのか?オフィスらしいところで訪ねても、英語が通じない、というか、英語では相手にさえされない。仕方がないのでミニバスが出発する気配を感じ、待つことに。結局その日は出発せずベンチで野宿。出発するバスを見つけようにも、このチケットではうちのバスには乗れない!、、、本当に参った。いったいどのミニバスなら乗れるの?
、、、何とかブルキナファソのボボドゥラッソまではたどり着けたが、既に夜。バスはまた次の日、、、。どこか安宿はないか?すると、ここに寝ていいよとのことで、バスオフィス小屋でまたまた宿泊することに。幸い地元民のお仲間もいた。飯屋を探すものの、既に閉まってる。するとこのお仲間から夕食を頂くことに。カバンから出されたご飯は少し酸っぱかったが、ありがたくいただいた。、、、
この後、ガーナ国境まで行き、復路横転という大変な目に遭うわけです、、、
マリ、今は危険情報発出でまっかっか状態。でも本当に15年前は平和だったんです。生きてる間に再訪は、、、無理かなあ?
実はこの極秘マリ任国外旅行で人生最大のペナルティを食らってしまうのです。
http://blog.livedoor.jp/damekyoshi/archives/1426265.html- 旅行時期
- 2010年01月
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投稿日 2023年07月12日
Montenegro Backpackers Home Kotor コトル
総合評価:4.0
4トラ色塗り投稿です。
ベオグラードを散策し、パール鉄道の夜行列車でポドゴリツィアまで。そこからバスに乗り換え、世界遺産コトルへ。
ベオグラードでは大きな公園を散策したり、NATOが爆撃した建物を見たり、ブラブラ。0の多い旧ユーゴスラビアの紙幣が出店で売られていたので思わず購入。今回っている国々は、昔はユーゴスラビアという1つの国家だった。それが、大きな内紛を経て分裂したのだ。EUという形でヨーロッパはまとまっていったが、ユーゴスラビアは逆に分裂。チトー大統領の元、民族、宗教を越えて国家統一されていたのが、チトー大統領死後、あっという間に分裂、、、。セルビアとモンテネグロだけは数年間、連邦という形で残っていたが、それも協議により分裂。国家統一というのはいったいなんなのだろうと思ってしまう。(セルビアからモンテネグロに入国はしたが、国境管理というものはないに等しいのか、モンテネグロの入国スタンプは押されなかった)
さて、このモンテネグロで記憶に残ってるのは、パール鉄道の絶景。夜行列車で来たので、夜の間は全然風景は見れなかったが、朝の車窓は本当にすごかった。事前にパール鉄道からの景色はすごい!ということは知っていたが、これ程までとは、、、。
一言で現せば、天空列車。あたかも山頂を走っているかのような錯覚を覚える程、山の中を走る列車だった。チベットの高山列車には乗っていないのでわからないが、こここそ天空列車がぴったりな表現に思う。
最終地のパールまで行ければよかったが、日程の関係で首都ポドゴリツィアまで。
ベオグラードからコトルまではこのパール鉄道乗車がお薦めです。- 旅行時期
- 2013年08月
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投稿日 2023年07月10日
総合評価:3.5
4トラ色塗り投稿です。
コソボからマケドニアスコピエに戻り、スコピエ市内を散策。そして夜行列車で、セルビアのベオグラードへ。
この夜行列車、同じコパートメントで、現地の中年女性と一緒となった。お互いハローと声はかけるもののそれだけ。だが、国際列車の実情をここで目の当たりにすることとなった。
マケドニアとセルビアの国境に着くと、役人が乗り込んでくる。まずはパスポートチェックだ。日本のパスポートを見せ、無事終了。そして次は税関役人が、、。コパートメント内を点検。普通なら何事もないはずなのに、この役人、天井を叩いて音を確認したりと、念入りに念入りにチェックする。すると、、、あれ?天井やシートの下から何か隠してあった箱が無数に出てくるではないですか。大量(20個くらい)!役人が中年女性に問い詰める。ばれちゃったか!薬物とか危ない物じゃないようだけど、税金逃れのために何か隠してたのかな?何が入っていたのか、聞きはしなかったが、役人と中年女性のやり取りは興味深いものだった。
役人がコパートメントを離れ、列車が走り出すと、ニヤッと笑みを浮かべた中年女性。見つからなかった箱が5つ程あったのだ。
今も国境では税関と密輸?業者とのばかしあいが繰り広げられている。
それにしても、あの箱の中身はなんだったのだろう?
ベオグラードに朝到着。- 旅行時期
- 2013年08月
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投稿日 2023年07月09日
総合評価:2.0
4トラ色塗り投稿です。
オフリドからバスと列車でスコピエに昼頃到着。ここからは昼2時頃に出発するローカル列車、コソボのプリスティナ行きの列車に乗車する。駅でチケットを買って出発を待ってると、外国人若者旅行者発見!もしかして自分と同じコソボへ行こうとしているのか?声をかけた。どこから来たの?オランダから。そう。もしかしてプリシュティナへ行くの?
すると彼は驚いたように、まさか!君は行くの?そうです。ここから列車で行けるんですよ。と教えてあげるも、、、
あなたはジャーナリストなのか?と質問された。
当時コソボはまだ独立してまもなく、日本は早々に国家承認したが、セルビアの自治州として独立を認めない国も多かった。そんな中でのコソボ行き。何があるわけでもないが、ただただ見てみたかった。(まだ世界遺産も1つもなかったと記憶しているが)
列車はこれまたローカル。2023年夏の時刻表では走っていないようです。どんどん列車はなくなっていく。世界的な流れなのか?
宿は少しばかり不便な場所だが、手頃なホステルとしては唯一そこだけだったのでそこに予約。列車駅も郊外だったので、迷わずタクシーで。夕方、プリスティナに到着。
次の日、町中をぶらつく。飯を食いに行ったり(メニューはどうやらアルバニアと同じような、、ただしユーロ払い。アルバニア人たちの国家だから当然か)、独立のミュージアムを見に行ったり。そんな記憶だけしかないが、、、
帰りはバスでマケドニアのスコピエへ。入国、出国とも国土の形を模したスタンプが押された。
次訪れる機会があったらペーチの世界遺産でしょうね。- 旅行時期
- 2013年08月
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投稿日 2023年07月07日
総合評価:4.0
色塗り投稿です。
アルバニアからオフリドへは、ポグラデッツの国境を越えてすぐにバス停を発見!マケドニアディナールは持ってなくとも、ユーロコインで乗車できた。
世界遺産をざーっと回って、1泊。(1日あれば十分ですね)
オフリドではブッキングコムで予約した民泊みたいな所に宿泊。オフリドにはこんな民泊できる家がたくさんあった。この民泊のよいところは、朝早く出立すると言っておけば、次の日に出る朝食を前もって持って来てくれることですね。ホテルなら朝食を諦めるしかないが、融通がきくようです。
で、オフリドからはバスでキチェボまで。キチェボからまたまたバスでスコピエにと考えていた所、キチェボのバスターミナルは列車駅も兼ねていた。よくよく見ると、少し待てばスコピエ行きの列車が出発するようで、あわててバスチケットをキャンセルしてもらい、列車で行くことに。バス代より少し安いし、何よりローカルな列車に乗れるなら、断然列車がいい。(到着は少々遅れるが)
列車好きなら是非、オフリドからスコピエまではキチェボ経由で、、、地元民満載の列車に乗れます!おすすめです。- 旅行時期
- 2013年07月
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投稿日 2023年07月04日
総合評価:3.0
色塗り投稿です。
アルバニアには1度だけ。イタリアからフェリーでギリシャに渡り、そこからまたフェリーを乗り継いでアルバニアサランだへ。そして旧ユーゴスラビア諸国を列車とバスで回り、再度イタリアへ。イタリアローマからなら、事前購入で列車代も安いし、フェリーも安い。旧ユーゴスラビア諸国を巡るなら、23日ぐらいの日程で十分回れる。
旅程は、、
●千歳ーイタリアローマ
※この時は中国国際空港北京経由を利用。往復10万くらいだった。
●イタリアローマー列車ーアンコナ
※本当はこの時、ついでにリミニに行き、サンマリノを訪れる予定だったが、列車に何かトラブルがあり発車せず。サンマリノをあきらめ、まっすぐアンコナを目指す。
●アンコナーフェリーーギリシャイグノメニッツァーフェリー乗り換えーコルフ島ケルキア
※夜発、朝到着のフェリー。一番安いデッキの上で仲良くなったアフガニスタン人と一緒に寝袋宿泊。たしか4000円ぐらい。
●世界遺産コルフ島観光
●ケルキアー高速船ーアルバニア サランダ
●サランダーバスーギロカスタル
●世界遺産ギロカスタル観光
●ギロカスタルーバスーティラナ
●ティラナー列車往復ードゥレス(ドゥレス城やローマ劇場を観光)
★ティラナー列車ーポグラデッツ
●ポグラデッツー乗り合いタクシーーマケドニア国境ーバスーマケドニア オフリドへ
、、、
アルバニアでの一番の思い出は、★ポグラデッツまでのアルバニア国鉄乗車。今年度2023のヨーロッパレイルタイムテーブルを購入した。調べてみたら、もうポグラデッツまでの列車はなくなっていた。1日1本、エルバッサンまでの列車はあるようだ。
この列車、ホントにローカル。運賃も激安。長いトンネルに入ると、普通なら車内灯が点灯するものだが、そんな設備はないらしい。もう車内はずーっと真っ暗やみ。地元の女の子たちが、キャー!と。何度も何度も女の子たちの悲鳴を聞いた。お化け屋敷列車だった。
ただ、この列車、ポグラデッツ駅には行かず、途中で停車。どうやらここまでのようだった。え、どうする?地元民の様子をみてたら、ちゃんと乗り合いタクシーがあった。で、北マケドニア国境まで。
アルバニア、なんだかわからないけど、気に入った。数年後、また訪れることもあるでしょう。次来る時は、世界遺産ベラト訪問ですね。- 旅行時期
- 2013年07月
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投稿日 2023年07月03日
マカオ ライト ラピッド トランジット(LRT、澳門軽軌鉄路) マカオ
総合評価:4.0
色塗り投稿です。
マカオに行ったのは通算3回程。
●1度目 35年前。チベットからネパールへ行き、そこから航空機で香港へ。拉薩で一緒になった仲間たちから、香港で日本行きの往復1年オープンチケットがお得だよという情報を聞き、香港滞在中に色々旅行社を回り、安い航空券を探した。せっかくなので、ポルトガル領マカオへも。
初めてのマカオ、、皇宮旅館という安宿に宿泊し、人生初のカジノへ、、、。大小というギャンブルにはまり、大勝!だったら良かったのに、、人生はそんなに甘くなかった!初めこそ、ずっと「小」に賭け、倍、倍、倍、、、と5万円分ぐらい儲けたのに、、。魔が差しました。よし、これで最後。これに勝ったらやめよう、、最後はそろそろ「大」がくるんではないかとにらみ、5万円分全てを賭けた。、、
出目は、、、またまた「小」だった、、、。
なぜ「小」に賭けなかったか、、、悔しいがギャンブルとはそういうものなんですね。
●2度目は、次の年。中国旅行の西安で仲良しとなった香港人の壮さん(ジョナサンさん)の家に滞在させてもらうことに。青衣島の高層マンションに彼の実家はあった。お父さん、お母さん、お姉さんの4人家族の家庭に、10日間程居候した。でも当時は香港はビザ無し滞在は7日まで。1度マカオに出国し、再度香港へ。
●3度目は、2014年?冬の東南アジア縦断の旅で。
・タイ→カンボジア→ラオス→ベトナム→中国→マカオ→香港→再度中国→台湾。
20年も経つとマカオは変わっていた。まず、広州から列車が通っていた。マカオまでは直接行けないが、国境手前までは列車で行けた。そして、35年前、「ここを通れば中国か!」とずっと眺めていた国境の門を通ってマカオにやって来た。それから、びっくりしたのが、もう高層ビルだらけ。ホテルのネオンが眩しすぎる程、近代化していた。確か、2つの島があったはずなのに埋め立てられ繋がっていた。マカオパタカの硬貨も紙幣も全く違う物に。懐かしく昔を思い出しながら町を散策した。あ、ここをてくてく歩いたんだよな、、、変わってないのは世界遺産の天主堂跡。
そして1番びっくりしたのが、皇宮旅館。いくら何でももう建物は変わってるよなあと思ってたのに、昔のままだった。この近代化した町の中にノスタルジックに古びたホテル?が1件だけ残っていた。部屋も昔のままだった。マカオの汚い安宿、、、。本当に懐かしかった。今はもう廃業したようだが、、、。
海外旅行、、色んな所に行くのも楽しいが、どう変わったかを見るのも楽しい。タイムスリップしたマカオの旅でした。- 旅行時期
- 2014年01月
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投稿日 2023年07月02日
総合評価:1.0
色塗り投稿です。
昨年夏の旅行は、当初の予定では、デンマーク→フェロー諸島→アイスランド旅行でした。
が、、、
7月の下旬の船でデンマークから行こうと思ってたのに、残念ながら満席。(この時期はお祭りがあるからか?)仕方がないので、次の便に予約(8月初旬)。となると、前半(7月下旬)はどうしようか?ということで候補となったのがグリーンランドでした。グリーンランドなんて物価が高くて行けない、航空券も高い!それを後押ししたのが実はコロナ。2年も行けなかった海外旅行。2年分の旅行代と考えれば、、、エイ!指は購入ボタンを押したわけです。
デンマーク→グリーンランド→フェロー諸島→アイスランド
でも、この時期のフェロー諸島は天候は悪い。3日滞在したのに、晴れの日は1日もなかった。
●到着日、、、夜22時、トースハウン港に到着。小雨の中、予約していたホテルへてくてく30分かけて、、、。
●2日目、、、朝から曇空、どんより、、、ホテルの朝食をガッツリ食べて、町を散策しようにも雨が、、、。それでも滞在が短いので小雨の中、近場のトレッキングを決行。ホテルへ戻って来ても体は冷えて布団にくるまっていた。夜はスーパーで買ってきたカップ麺、、。
●3日目、、、雨、、小雨がおさまった時を見計らい、歴史的建造物の残る南の村までトレッキング。吹きっさらしの山道は雨と風をもろに受けてもう嵐だった。行き交ったトレッカーは1組だけ。到着はできたものの、この雨のせいでデジカメは壊れてしまった。帰りは国道を通る。雨の中、途中車が止まってくれたが、せっかくここまで来たんだと、丁重に断る。
●最終日、、、アイスランドまでの船は夕方発。雨は降って無かったが、空はどんより。トースハウンの町を散策。
ということで、8月初旬のフェロー諸島の天気は良くない。レンタカーで回ったとしてもいい写真は期待できない。
でもこのお陰で、アイスランドで噴火した火山を見ることができた。不思議なものです、、、。- 旅行時期
- 2022年08月
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投稿日 2023年07月01日
総合評価:3.0
中国の色塗りは完了しましたが、自分自身の記録として。
35年前の中国。今じゃ考えられませんが、中国は本当に貧しかったのです。その中国を2ヶ月程かけて列車とバスで回ったメモです。
旅程
●釧路ー東京 フェリー
※当時はまだフェリーがあった。
●成田ー上海 中国国際航空
●上海ー蘇州 列車
●蘇州ー南京 列車
※当時、南京大虐殺を信じていた自分。この目で見ようと下車したが、なんだか人々の冷たい目線を感じ早々に南京を去った。
●南京ー泰安 列車
※始皇帝が封禅した泰山を登る、、。
●泰安ー洛陽 列車
●洛陽ー登封往復 バス
※当時、日本少林寺拳法部に所属していた自分。本場の少林寺を見に行った。まだ観光地化していなく、演舞などは見れなかった。
●洛陽ー西安 列車
※始皇帝陵等見に行けばいいのに、宿の外国人たちと話すことの方がおもしろく、ほぼ観光していない。
●西安ーウルムチ 列車
※このシルクロードの長距離に激安の硬座で3泊4日。今じゃ絶対できない。
●ウルムチーカシュガル バス
※新疆自治区、、当時はまだまだウイグル人たちに活気があった。ラグメンの美味しさを知る。
●カシュガルーウルムチ バス
●ウルムチー柳園 列車
●柳園ー敦煌 バス
※莫高窟を見に行ったと思うのだが、その記憶がない、、。行かなかったのかな?
●敦煌ーゴルムド バス
●ゴルムドー拉薩 中国旅行社で拉薩に行きたい外国人4人で車をチャーター。
★拉薩滞在
●拉薩ーシガツェ バス
●シガツェージャンムー国境 バス
→そしてネパールへ
→香港→マカオ→香港
※当時香港は7日間しかいられなかった。マカオに出国し再度香港へ。
→成田ーマニラー香港の1年オープンチケットを購入し帰国。
・当時中国は「メイヨウ!」の世界だった。上海で外国人用のデパートに行ったのだが、懐中時計が欲しくて、ショーケースにある物を指差して「見せて!」と頼んでも、店員さんは「没有!」。そこに有るじゃないか!全く働かない中国人民だった。働いても、働かなくても給料は同じ。社会主義体制をまざまざと感じた。
・当時、中国元は2種類あった。1つは人民元。もう1つは外貨兌換券。外国人は基本、外貨兌換券を使うことになっていたが、市場ではワイホイ1元は1.6人民元。ブラックマーケットが存在していた。列車も外国人料金が設定されていて、外国人は中国人民の3倍?程の高さ。、、、学生だった自分、中国人のふりをして人民元で1番安い硬座の票を手にいれていた。長蛇の列に並び、前の人に行きたい地名を読んでもらい、覚えた。そして窓口で「ダオ○○、イーガレン、インツォ」これでチケットゲット!顔がウイグル系なのできっと怪しまれずに切符を買えたのだと思う。
・今じゃ美味しい中華料理を食えるが、当時は、、本当に不味かった。油がギトギトで我慢しなきゃ食えない代物。「本場の美味しい中華が食える!」と思ってたのにがっかり。とりあえず麺料理を食い、しのいだ。
・列車旅はすごく楽しかった。硬座ばかりで乗車してたので、回りは本当に庶民ばかり。リーベンレンだと知ると、あれ食え、これ食え!と、、当時、喫煙も問題なくできたので車内は煙でもくもく状態。床は向日葵の種、カボチャの種でめちゃくちゃ汚いが、清掃員の車掌がぶっきらぼうに「足どけろ!」とカオス。それでも車両にあるお湯は飲み放題。マイカップとお茶っ葉(カップにお茶っ葉を入れお湯を注ぐ。そして上澄みをすする)で、雑談が盛り上がる。中国語は話せないが、漢字で筆談。いろんな中国語、ここで学んだ。一番覚えてるのが「十」。シュー?と発音しても、違う違う!「しゅー」難しい!
・ゴルムドで中国旅行社に行くと、4人集まればチベットまでの旅行許可証、車を手配できるとのことだった。宿で一緒だった自分を含め日本人3人、香港女性1人でこのツアー(現地解散)に参加?。途中泊まった宿では、高山病と寒さで頭痛、悪寒と毛布にくるまっっていたことだけは記憶に残っている。
★で、一番記憶にある拉薩での出来事。
当時拉薩はまだまだTibet人の地だった。今では漢族が占拠している状態となっているようだが、お寺に行けば五体投地のチベタンの姿が。川に行けば羊の皮で造られた船でチベット人の船頭が対岸まで渡してくれた。
ノルブリンカ、布達拉宮等見て回ったが、3月のチベットは見渡すかぎり青空で本当に「来てよかった!」、、、。で、行って見たいなと思ってた鳥葬の情報をゲット。どこでその情報をゲットしたのか、今では記憶にないが、ある場所で鳥葬が行われるとのことだった。これは見に行くしかない。宿で一緒だった方と2人でその場所に向かった。
遠くから見ていると確かにハゲワシ?ハゲ鷹?が空を旋回していた。徐々に近づいて行くと、、2、3名の方が、、、こちらに気づいたか?もうちょっと近づこう!、、、もう絶対気づいている。が、何の反応も無し。n、見に行っていいのか?で、さらに近づいて行くと、、、彼らが突然おこりだした!でっかい石をこっちに投げつけてくる!追いかけて石を投げつけてくる、、、もう、こっちも逃げる逃げる!幸い当たりませんでしたが、あんなでっかい石に当たったら、、、人生で一番逃げましたね。
遠くからなのではっきりとは見えませんでしたが、遺体を切り刻みハゲ鷹に与えていると思える仕草はわかりました。
若気のいたりで鳥葬を見に行きましたが、神聖な儀式に見ず知らずの外国人が望むなんて、今から思えば無礼千万でした。
メッカ訪問も、最近わかったのですが、逮捕ものの案件だったようです。自重しなければ、、、。- 旅行時期
- 1988年03月
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香港の思い出
投稿日 2023年06月02日
総合評価:3.0
4トラ色塗り投稿です。
香港に初めて訪れたのは今から35年も前。大学生の時。まだイギリス領だった頃。
中国旅行で予定を変更し、チベットからコダリ国境を通り、ネパールへ向かった。カトマンズから香港への航空券が安く、その時に寄ったのが初めて。当時は1週間しか香港滞在は許可されてなく、期限切れ間近にマカオへ出国、そして再度香港へ。
当時は若かった。日本では違法の無修正の◯◯本が堂々と売られてた。プレイボーイやペントハウス。これは!仲間にも見せてあげたいな!本当に若かった。こっそりリュックの奥底へ2冊程詰め込み、成田空港へ帰国。並んだ列の前の人は大きなトランク持ち込みでも全くスルー。大丈夫な気がしたが、やっぱり税関はプロフェッショナル。ドキドキの顔がバレてしまう。「これは何ですか?」 高々と掲げられてしまった。列の後ろにはうら若き女性達がいるのに。ウワー!わざわざ掲げなくてもいいのに。超恥ずかしかった。で、この後どうなるのか?、、別室に行って、その本の所有権を放棄する書類にサイン。それで済んだ。若かりし頃のはずかしい話でした。- 旅行時期
- 1995年04月
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投稿日 2023年05月31日
総合評価:5.0
4トラ色塗り投稿です。
グルジアへはアゼルバイジャン同様2度訪問。
1度目は中央アジア縦断の旅で、、、。20年ほど前、トルクメニスタンで盗難にあって資金がないなか、トルコ目指してアゼルバイジャン到着日にすぐに夜行列車でトビリシに向かった。VISAは持っておらず、、。何とかなるんでは、、。
トビリシ近くの国境に近づいた頃、役人が列車に乗り込んで来た。乗客のパスポートをチェックする。ビザ無しの自分、実はドキドキ。入国できなければこれからどうしよう?心配だった。「VISAは持っていない。何とかならないか?」正直に申告した。すると役人、「50ドル!」と。賄賂なのか正規料金なのかはわからないが、50ドル渡すと入国スタンプを押してくれた。フーッ!何日有効なのかもわからんちっちゃなスタンプ。でも、これでグルジアに無事入国。資金は残り少ないのでとにかく安いトルコへ急がねば、、、。
「トビリシまでは列車ならまだまだ時間がかかる。トルコなら、国境で降りてそこからまっすぐ乗り合いタクシーでトルコ国境まで行った方がいい。お金もそんなにかからない。」役人が教えてくれた。で、その通りに。ということで、1度目の訪問は本当に通り過ぎただけ。思い出されるのは、グルジアは水が美味しいということ。ドライバーが通り道で水を飲みに行く。いたる所に無料で冷たい美味しい水が出る公共井戸があった。「美味しい水だよ!」ドライバーは自慢げ。グルジアは水の国だということだけはわかった。もうひとつ、他の乗客にアルメニア人がいた。英語で親しげに話しかけてくれた。「アルメニアには行かないの?」「行きたいけど、VISAも持ってないし、、」「アルメニアは美しい所だよ。」彼はアルメニアへ通じる分かれ道で降りて行った。そしてバレ国境へ。
2度目は、コーカサス横断、そしてイラクまでの旅。詳細は、、、
●ドバイ→航空機→アゼルバイジャンバクー
●バクー→タクシー→世界遺産コブスタン往復
●バクー観光→夜行列車→トビリシ(ちょっとだけトビリシ観光)
●トビリシ→夜行列車→アルメニアエレバン
●エレバン→ミニバス→アルツァフ共和国ステパナケルト
●ステパナケルト→ミニバス→シューシ→トレッキング→アンブレラフォール→ミニバス→ステパナケルト
●ステパナケルト→ミニバス→アルメニアエレバン
●エレバン→バス→エチミアジン→バス→エレバン→ヒッチハイク→ガルニ神殿→タクシー→ゲガルド修道院→タクシーとバス→エレバン
●エレバン→ミニバス→アラベルディ
●アラベルディ→トレッキング→サナヒン修道院→トレッキング→ハグパット修道院→タクシー→アラベルディ
※2つの修道院はトレッキング可能
●アラベルディ→タクシー→アクタラ修道院→タクシー→ジョージアトビリシ
※トビリシまでのタクシーをホテルで依頼し、途中下車でアクタラ修道院へ。たしか40ドル程。
●トビリシ観光→夜行列車→ズグディディ→ミニバス→メスティア→ミニバス→世界遺産ウシュグリ観光→ミニバス→メスティア
●メスティア→ミニバス→クタイシ(世界遺産バグラティ大聖堂観光)
※バグラティ大聖堂はたいしたことはないかな。
●クタイシ→列車→バトゥーミ
●バトゥーミ→バス→トルコ国境へ
トビリシではアバノツバニの温泉に入浴。温泉ソムリエとしてはここははずせない。たしか、1時間程の貸し切りで3000円程だったかと。
本当はアブハジア共和国も訪れる予定だったが、この時は国境が閉ざされ訪問できず。が、いつかまた機会はあるでしょう。軍用道路も訪れていないし、、、観光資源豊富なうえに、水も飯もうまい。ジョージア、アルメニアはお薦めですね。- 旅行時期
- 2017年08月
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投稿日 2023年05月30日
総合評価:4.0
4トラ色塗り投稿です。
アゼルバイジャンは2度訪問。1度目は20年程前の中央アジア縦断の旅で、、、。トルクメニスタンのトルクメンバシからフェリーに乗り、カスピ海横断。バクーの港にたどり着いたが、、、当時はVISA無しでやって来たので、そこからがすんごく大変だった。
「◯◯の銀行に行って金を払い、そしてその証明書を持って◯◯の役所でVISAをゲットしなさい。」
船から降りると、すぐにその指示をもらった。なんだって!右も左もわからない旅行者にとってこれは難題だった。紙に書いてもらったものの、VISAゲットに四苦八苦。今ではどうやってこの難題をクリアしたのかすっかり忘れてしまったが、7日間のVISAをようやくゲット。観光はほとんどしていない。(乙女の塔と駅周辺のみ) 実は、トルクメニスタンで盗難にあってしまい、持ち金が1000ドルしかなかったからだ。しかもその1000ドルで日本へ帰国する航空券も買わなければならないという状況。食うものも我慢し、急いでイスタンブールまで、、、、。VISAをゲットしたらすぐにグルジアトビリシまでの夜行列車の切符を購入し、旅立った。グルジアVISAも持ってなかったんだが、、。
それから20年程、、2度目はコーカサス縦断リベンジ。ドバイからバクーへ飛んだ。空港でなんなくVISAゲット。しかも日本人は無料。なんという時代の変遷だろうか。20年も経つと全てが変わってしまう。20年前はくしゃくしゃの汚れたお札。駅も薄汚れた建物。線路へは勝手に自由に入れた。町並みも、、こんなにおしゃれな町だったっけ?
で、バクーではゆっくり観光。世界遺産のコブスタンも見に行った。この旅行でのアゼルバイジャンの一番の思い出は、、、。
拝火教寺院を見に行った。腹が減ったのでそのそばにあった飯屋?に入った。飯屋というか飲み屋というか、よくわからない店だったが、、、。この近くにはなんだかそこぐらいしか何か食べれるようなところはなかったので、そこに入った。
何か食える?英語で話かけるが、あまり通じていないみたい。が、酔っぱらいのお客さんが、、、。英語を話せた。どうやら常連客のようで、この店に入り浸っているような感じ。店員さんには何か邪魔者のような感じで対応されてたが、、。そのお兄さんが食べてた物を指差したら、店員さんに通訳?してくれた。俺は英語が話せるんだ!自慢気に。
そこからが面白かった。このお兄さん、酒も入ってたせいか、もう陽気、陽気!アゼルバイジャン人ってこんなに陽気なの?と思うくらい。昼間っから酒飲んでるってことはきっと仕事がないんだろうが、そんなことなんか気にしないっていう感じの人物。歌歌ったり、踊ったり、、、。ぶらっと入った店でこんなに楽しませてもらえるとは、、、。
バクーで退屈したなら、この拝火教寺院そばのお店お薦めです。きっとこの男性、今も入り浸ってると思います。- 旅行時期
- 2017年07月
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投稿日 2023年05月27日
総合評価:2.5
4トラ色塗り投稿です。
スイス訪問は1度だけ。東欧レイルパス2等で東欧各国を回り、次いでにスイスへ。ドイツ、スイス、ベネルクスの3ヶ国ユーレイルパスを購入し、スイスを回った。当時ユーレイルパスは年齢制限があり、高い1等しか購入できなかった。(今のグローバルパスは2等が購入できる)
旅程は
●オーストリアリンツ→列車→フェルトキルヒ→バス→リヒテンシュタインファドーツ(観光)→徒歩→シャーン駅→スイスブフス(ホテル宿泊)
●ブフス→列車→クール→列車→サンモリッツ→ベルニナエクスプレス→イタリアティラーノ→イタリア国鉄(別購入)→ミラノ→列車→コモ(ここからまたパスが使えた)→スイスインターラーケン
※ここの景色がすごくよかった。スイスが山と湖の国だということがよくわかる。
※夜中2時頃インターラーケンに到着。駅のベンチで3時間程仮眠。
●インターラーケン→列車→ブリーク→フィスプ→ツェルマット→ゴルナーグラート山岳鉄道→ゴルナーグラート(マッターホルンを眺める)→列車→ツェルマット→グレッシャーエクスプレスの路線→クール→チューリッヒ→夜行列車でオランダアムステルダムへ
列車のタイムスケジュールとにらめっこし、この2泊3日でスイスを列車で回った。
で、この旅で思い出されるのは、スイスの綺麗な景色ともう1つ、この列車の中での出来事。
1等車で回ってるともちろん乗客は少なく、ゆったりと素敵な車窓を見られる。ところが、有名処を通る時になると、2等車の方から素敵な風景を見ようと乗客たちがこの1等車に押し寄せてくる。おいおい、、、自分は気にしないが、周囲のヨーロッパの方々は渋い顔。押し寄せて来るのはアジアの方々。中国語を話してたんで中国の方かな?
おじいちゃんとそのお孫さん?が2等車から来たときだった。気になってたのか、1等車に座っていたヨーロッパの方がとうとう聞き出した。
Are you from China? Korea? Japan?
彼は答えた。I'm from Taiwan.
悪気もなく答えるおじいちゃん。ヨーロッパの方、文句言うのかな?と思ってたけど、何も言わなかった。
やっぱりアジア人をヨーロッパの方々は見分けつけられないんだと思った。そして、こういう姿はきっとヨーロッパの方に嫌悪感を抱かせるんだろうなと思ってしまった。- 旅行時期
- 2005年08月





