kasekunさんのクチコミ(5ページ)全196件
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投稿日 2024年02月19日
総合評価:4.0
色塗り投稿です。
ボリビアには1度だけ訪問。2012冬、ペルー→ボリビアの新婚旅行で。
(ペルーからの続き)、、、ペルーとの国境を越え、ボリビアラパスに到着したのは夜だった。ラパスは高地にあるので、赤道に近いとはいえ寒かった。すぐにバスターミナルからタクシーに乗り、今夜のホテルへと向かった。予約はしていない。いつ到着できるかもわからないので。歩き方に載っていた日本人宿「一番ホテル」に向かった。「部屋ありますか?」なかったらまた嫁が爆発する危険性はおおいにあったけど、幸い部屋は空いていた。本当に偶然、、いつもは日本人で埋まってるらしかった。「ラッキーですね。」部屋は寒かったけど、泊まることができて何より。
しかも、この宿、日系人?日本人?のおじいさん経営のホテル。日本語も通じ、そして朝食は和食。久しぶりの和食、お味噌汁に卵焼き、、ウワー!ウメー!さらに宿泊客は日本人ばかり、、、同じ新婚さんや一人旅の方がたくさん。会話も弾む!嫁も弾む会話に楽しそうだった。
さて、ラパスで何する?他の人の話を聞くと、「ウユニ塩湖は行った方がいいよ!」と勧められ、悩む嫁。計画通り行っていれば、自分もウユニ塩湖へ行く予定だったが、3日も予定が狂ってラパスに到着した。嫁の帰国日はもうすぐ。、、、ウユニ塩湖はあきらめるしかなかった。その代わりボリビアの世界遺産の遺跡へ日帰り観光!、、、。ティワナク遺跡へ行こう!ということで、宿のご主人にローカルバスでの行き方を教えてもらい、いざ出発!
、、、ここに行って本当に良かった!なぜなら、嫁が大活躍!この遺跡に訪れていた現地のファミリーと仲良くなってしまったのだ。始めに声をかけたのは嫁。いつもなら、、、のはずが、なんだか今日はテンションも高く、フレンドリー!高地で酸素が薄いのが関係してるのかな?と思ってしまうほど。帰って来てから、君のお陰で現地の方と仲良くなれた!と誉めるとますます機嫌はよくなる。しまいには、「よし、今日の夜は音楽が聞けるパブにくりだそう!」と提案すると、ホテルで親しくなった他のお客さんも誘い、みんなで行くことに!なんと社交的な!
というわけで、ボリビアの夜を楽しむことができました。市内ツアーにも参加し、いろんな名所にも行けたし、、、ペルーではさんざんだった新婚旅行もこうして挽回できました。これも泊まることができた一番ホテルさんのお陰です!ありがたい、ありがたい。(まだ、10年程たつけどまだ営業してるのでしょうか?)
こうして嫁は帰国していきましたが、、、嫁を空港まで送り届け、自分はまだ休みがあるので、そのまま空港から乗り合いタクシーを見つけ出し、いざサンタ・クルスへ、、、。目的は、ここから出るパラグアイ行きの国際バスに乗るためです。このバス、JICAのボリビア隊員は乗車禁止のバスなのです。歩き方にも、安全上勧められない、との記載があるバスなのです。
でも、、、、。バスはちゃんとありました。夜出発、運賃はたしか50ドル程、、、。
こうして自分はボリビアからパラグアイへと向かいました。
※そうそう、もうひとつ覚えていることが、、、。嫁と現地のレストランで飯を食いました。色々頼んでみたわけですが、どれも同じ味。ケチャップ味でした。ボリビアの現地の方はケチャップ味が好きなんでしょうか?
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2013年01月
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投稿日 2024年02月19日
総合評価:3.5
Ragamuffin Hostel
ジャマイカの首都キングストンにはホステルがありました。ドミトリーベッドで1泊3500円程。ここはコーヒハウスと棟続き。宿泊者には朝食、コーヒーの割引が利きます。ジャマイカと言えばブルーマウンテン、美味しいコーヒーが飲めます。さらに、ボブマーリーのミュージアムにも徒歩圏内。デユボンハウスにも徒歩圏内(行列ができるアイスクリームにも、、)、、、キングストン、、歩き方には治安が悪く徒歩はできるだけ避けるように、と書かれていて、身構えていましたが、自分の体験上、全くそんなことはなく
、現地のタクシー運転手に「キングストンは危険なのか?」と尋ねてみても「は?」という顔をされました。
大陸側の中米は危険だと感じましたが、島国の中米はそれほどでもない、、そんな印象をもちました。ジャマイカでも、ハイチでも、ドミニカ共和国でも、、、。(個人的な意見です。)実際、自分はこのホステルから主な観光名所を歩いてまわりました。- 旅行時期
- 2024年01月
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投稿日 2024年02月17日
総合評価:3.5
色塗り投稿です。
南米ペルーには1度だけ訪問。新婚旅行が南米旅行だったのです。
子供の頃は、新婚旅行と言えばハワイが定番。自分もハワイが唯一の海外旅行なんだろうな、、、と思ってたのに、アワヤアワヤと時代は急激に変化し、世界中どこにでも行ける時代となった。で、新婚旅行はどこに行こう?、、、熟考した結論は、南米大陸。天空の町マチュピチュを見に行かない?嫁に提案。もちろんok!遠い遠い南米。航空代金は1人往復30万円越え。1回限りの新婚旅行、、、ここは思いきって!、、ということで、年末12月25日に旅立つことに、、。
が、当時離島に赴任していた自分。明日の船は悪天候のため出港するかどうかフィフティーフィフティ。仕事を休み、前日出港という選択肢もあったが、仕事を休んで旅行?、、、なんだか心苦しく、明日の出港に賭けてみた。で、、、結局船は欠航し、その後3日間も欠航続き、、。12月28日、やっと千歳を出発。予約していたホテル、交通機関等は全て1からやり直し、、、。当時嫁とは別居生活だったので、嫁はいち早くペルーに。自分が来るのをずっと待っていた、、、
いろんなことが重なり、嫁とはケンカばかり。しょうがないじゃないか!船が欠航したんだから!、、、と自分は思うものの、予約していた旅行は全てパー。現地で行き当たりばったりで、帰りの搭乗地ボリビアラパスまで行くしかなかった。その思いどおりにいかない新婚旅行に、嫁の怒りは日に日に募り、ついに、、、成田離婚以上の新婚旅行離婚かという状況に、、、。思い出多き、ペルーの旅となりました。
旅程
●リマーバスークスコ
●クスコー列車・バスー世界遺産マチュピチュ観光
●マチュピチュー乗り合いバスークスコ
●クスコーバスープーノ
●チチカカ湖観光
●プーノーバスーボリビアラパス
思い出は、、、
・リマに遅れて到着。空港で待ってるはずの嫁の姿はない。あれ?電話で到着時刻を伝え待っててね!と確認したはずのに。電話しても繋がらず。仕方なくタクシーで嫁の滞在ゲストハウスに自力で向かった。ゲストハウスに行くと、あれ?空港で会わなかったの?と不思議がるスタッフ。あなたを迎えに空港に行きましたよ、だって。ここでもすれ違い、、、。あとから聞いたら、きっと空港で荷物を受けとるまでに時間がかかるからと、違う場所で待ってたよう。荷物は手荷物だけの自分、すぐに空港を出て来たので、すれ違ったみたい。、、、すれ違いは続く、、、。
・リマからクスコへのバス。普通は航空機で飛ぶのでしょうが、自分はバスで行きたかった。デラックスバスのある会社で2人分予約していたのだが、予定変更で1人分しか取れず。現地で何とかなるかと考え、そのバスターミナルへ行ってみるが、やっぱり満席のためもう1人分は取れず。んー、どうする?嫁は不安げな表情。他のバス会社はないのか?と聞き出し、ローカルなバス会社に、、、幸い2人分席は取れたものの、ローカルバス。歩き方は安全上お薦めしないこのローカルバスで1夜を過ごす、、。本当に新婚旅行?って感じ、、、。
・クスコには無事到着したものの、嫁は疲れきってる、、、。機嫌を直そうと、美味しい物食べに行こう!と歩き方に載ってたいい感じのレストランを見つけ、ウキウキしながら2人で向かったのだが、、、満席!入れず!仕方なく近くにあったあまり客が入っていないレストランに行ったのだが、、、嫁の怒りはついに爆発!誰もいないじゃない!何頼む?メニューを見せるものの、、、だんまり、、、自分が適当に数品選び注文した。嫁の表情からは期待なんか全然してない様子。が、予想外に料理は美味しかった!うまいじゃないか!嫁の機嫌は少し直ったよう、、、。これで料理も不味かったらきっと大爆発してた。
・マチュピチュ、、、。予定変更で列車は何とか取れた。が、片道だけ。復路は満席のため取れず。現地でバスを見つけ帰って来るしかない。さすがに天空の城だけあって、嫁も大満足のよう、、、。もう機嫌を損ねたくないので、広い遺跡もアップトゥーユー。どこに行くかは君に任せる!、、、上機嫌だったマチュピチュだったが、帰りが、、、。幸い、帰りの乗り合いバスを何とか見つけクスコに戻って来れたのだがもう真っ暗。しかも小雨。泊まってたホテルは満室のため、別のホテルを探すしかなかった。歩き方に載ってた1件目は満室でダメだった。2件目も満室だった。もう、雨の中歩きたくもないし、そこにある安ホテルでいいんじゃない?が、入ってみたらガラス張りの変な立て付けのホテルだった。嫁は、、、。またしても爆発!
・クスコからプーノへは豪華列車を予約し料金も支払い済み。だが、予定変更で、、、。ダメ元で朝早くに駅に行き、掛け合ってみようと試みたのだが、先客がおり、係員はその人にずっと対応。結局、列車は出発してしまった。あーあ、大金が消えてしまった。嫁の帰国日が迫ってるので、バスで行くしかなかった。
・プーノではホテルのチチカカ湖ツアーに参加。こういうツアーに参加すると嫁の機嫌はすこぶるいい!
・プーノからはローカルバスにてボリビアへ。嫁は国境越えは初めてのようで、ちょっと不安そうな顔。でも、無事バスに乗れて一安心といった感じでした。
という感じのペルー新婚旅行。何度言い合いになったことか!1人旅なら自分の好きなように出きるけど、2人となったら気遣いが大変ですね。そして、一概には言えませんが、女性は不安になると爆発する!そんなことを学んだ旅となりました。こんなこと書いたら女性たちに怒られそうですけど、、、、。
ちなみにその後嫁と行ったスリランカ旅行は、現地旅行会社に全てお任せ。プライベートタクシーにて5日間程回りました。1度もケンカなし。安心感がやっぱり大事なんですよね。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2012年12月
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投稿日 2024年01月07日
総合評価:5.0
20241月現在、中南米のカリブ諸国を旅行中。で、せっかくならとハイチの世界遺産を見に行ってきました。
でもハイチ共和国は外務省情報によれば真っ赤。レベル4が全土に。渡航してはならぬとの情報。本当かどうか確かめに行ってきました。というのは、こういう情報はあてにならないと常々思ってまして、、、。、、、首都のポルトープランスはまずいけど、北部の世界遺産のあるカパイシャンならどうなのか?戦争してるわけではないし、在ハイチ大使館の責任逃れのような気がして、、、。
で、サント・ドミンゴからカパイシャンへ。ドミニカ共和国のカリベツアーというバス会社が、カパイシャンへ国際バスを運行してるとのネット情報があり、行って尋ねたら、、、今は運行していない。航空機なら行けるとのこと。確かに、在ハイチ大使館情報には、2023年9月よりドミニカ共和国はハイチとの国境を閉鎖したとの情報があった。
https://www.anzen.mofa.go.jp/od/ryojiMailDetail.html?keyCd=144613
ポイント
●本日、ドミニカ共和国政府が、15日(金)午前6時から、陸、海、空に関するハイチ国境を閉鎖する旨発表しました。
でも、不思議なのは空も閉鎖してるのに航空機は飛んでいる、、、。9月以降の情報は無し。
ということで、国境は開いているのかもということで、調べに行ってきました。(閉鎖されてるなら黙って戻って来ようと、、、)
結果、国境は開いてました。ダイレクトの国際バスは無くなったようですが、行けました。
★ドミニカ共和国からハイチ共和国への行き方
・ドミニカ共和国からカリベツアーのデラックスバスで国境の町ダハボンへ。500ドミニカペソ(約1300円)朝6時発。カード払いok。
・ダハボンのバスターミナルから少し歩けば国境へ到着。
・ドミニカ共和国出国。出国税?20usドル。
・ハイチ共和国入国。入国税?7usドル。
国境を越えて少し歩けば、バスターミナル?(バスが発着してる場所)がある。そこでカパイシャン行きのミニバスに乗車。700ハイチグールド(約700円)
で、カパイシャンに昼頃到着です。
自分は次の日に世界遺産のある町ミロに。マップスミーに表示されるミロ行きタプタプ乗り場で、タプタプ(インドネシアではベモという。同じような乗り物ですね。)に乗車。100ハイチグールド(約100円)
で、ミロ村に到着し、あとは行き方次第ですね。バイクに乗るか(駐車場までの往復20usドル、さらにお城までなら20ドル追加、馬に乗るなら10ドルだそうです。ガイドをつけたり、、、交渉次第のようです。)
※ミロ村は観光の村。ハイチ唯一の世界遺産があるので、町はけっこう綺麗でした。
アップダウンの7キロはちょっときついので自分は駐車場までバイク、そこから城までは歩きました。けっこうきつかったです。
で、世界遺産を見終わり、またタプタプに乗ってカパイシャンに戻りました。(100円)
で、治安状況ですが、ポルトープランスは危険のようですが、カパイシャンは全く危険じゃないですね。地元の方も言ってました。首都はさすがに危険だけど、ここは全然安全だよと。実際、町をブラブラしても、夜公園に行っても、危険な香りは全くありませんでした。ただ電力状態がよく無いので、ホテルにはWi-Fiは無し。ネットにはつながら無い。自家発電機でしのいでいるといった感じでした。町も夜は暗いですね。ごみも異常に多いですね。
簡単に言えば、ハイチ(カパイシャン周辺)は、中南米のバングラデシュ、そんな印象をもちました。黒人の方が多いのでアフリカのガーナにいたような錯覚もあり、ただ町のごみの量でいうならバングラデシュかなという感じです。人々は全然殺気なんか感じられず、、、何でここが行ってはいけない国なのかと思いました。きっと北部の様子が大使館には届かないんでしょうね。ネットにも繋がって無いので、地元の方がいくら正しい情報を発信しようとも、発信のしようがない。せめてハイチ北部はレベル2でもいいんじゃないかなと、、、。ちなみに、世界遺産のあるミロの村で、外国人観光客には会いませんでした。せっかく道も綺麗にしてるのに、、、(突然、カパイシャンからミロへ行く道がよくなるんです。多くの観光客に来てもらおうとしてるんだなあと感じます。)カパイシャンでは1名だけ白人の旅行者を見かけました。きっと以前にも増し、外国人観光客は激減したのでしょうね。何てったって唯一の治安情報源はレベル4なんですから、誰も来ませんよね。
行っては行けないハイチを訪問し、ああ、風評被害ってこういう風な状態におかれてるんだなと感じました。ますます貧困からの脱却は望めない、、、。
数年前訪れたパキスタンを思いだしました。レベル3になったとたん、日本人は行かない。地元の方は嘆いてました。今まではもう日本人がたくさん来てお土産を言い値で買ってくれたのに、今じゃ誰も来なくなったと、、お土産屋のおじさんが嘆いていました。
※帰りもバスでカパイシャンからサント・ドミンゴに戻ってきました。
●ハイチ共和国からドミニカ共和国への行き方
・朝、カパイシャンのバスターミナル(マップスミーに表示されてるバスがたまってる場所)に行き、そこにいる方にドミニカ共和国との国境の町オウアナミンに行きたいことを話すと、どのタプタプに乗ればいいか教えてくれます。
・タプタプに乗車。国境に近づいて来ると、料金を徴収されます。今回はタプタプだったので500ハイチグールド(500円)
・国境でハイチ共和国出国(出国税?10ドル)
・ドミニカ共和国入国(入国税?10ドル)
・国境の町ダハボンのカリベツアーのバスターミナルまで歩いてサント・ドミンゴ(キャピトール)まで。自分は昼2時15分発のバスで。500ドミニカペソ(約1300円)現金のみ。
・反対方向(ハイチからサント・ドミンゴに向かう方は厳重なチェックを何度か受けるので、時間がかかるようです)
・夜8時、サント・ドミンゴのカリベツアーバスターミナルに到着。
※ちなみに、ハイチグールドは銀行で替えると、1ドルは131グールドでした。が、町では1ドル140グールドで替えられました。(町のレストランで50ドル紙幣で払ったら、7000グールドに替えてくれました)
以上、レベル4のハイチを訪れる方への情報でした、、。あくまでも自己責任で、、、。戦争をしてるわけではありませんので、、、北部はいたって安全です。
※カパイシャンの安ホテルは2件回ってどちらも1泊60ドル。設備の割に高いです。自家発電だから仕方ないんでしょうね。カード払い可のホテルもありました。
※ハイチを訪問したら、昔の東南アジア旅行を思い出しました。刺激的な旅ができますね。地下鉄さえも走ってるドミニカ共和国とは全く違いますね。
※アプリのマップスミーは本当に便利。ネットがつながらない国では本当に力を発揮する。カリベツアーのターミナルも、国境からバスターミナルへの道も、そしてミロ村行きのタプタプ乗り場までも表示される。ホテルも表示されるので、そこから何件か訪ね今夜のホテルを探した。このアプリがなかったら、ハイチ旅行はできなかったなあと本当に思う。オフラインの地図アプリの中で最高ですね。
※在ハイチ日本大使館、国境は閉鎖されたという情報は発信するのに、国境は再開されたという情報は発信しない、、、。なぜなのか?やっぱりハイチに日本人が訪れることがないように、情報操作しているように思えてならない、、、。
※ちょっとハイチ大使館のホームページをのぞいたら、
「2024年は、日・カリコム(カリブ共同体)事務レベル協議開始後30年が経過した年であるとともに、日本とジャマイカ及びトリニダード・トバゴ共和国との国交樹立60周年にも当たります。これを記念し、2024年を「日・カリブ交流年」とすることを決定しました。」という記事が。
今年2024年はカリブ交流年だとか、、、。ちょうどよい時期にカリブ諸国を訪問できたようです。
※カリベツアーのホームページ
https://caribetours.com.do/- 旅行時期
- 2024年01月
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投稿日 2024年02月16日
総合評価:4.0
Bed & Bike Curacao
今回のカリブ海諸国アイランドホッピングで泊まったホステルです。
カリブ海諸国のリゾート地巡りで困るのはホテル代がべらぼうに高いこと。でも、ここ蘭領キュラソーにはホステルがありました。ドミトリーベッドで1泊4000円程。自分は借りませんでしたが、ここでレンタカーもすぐに借りられます。
1人旅、リゾート滞在が目的ではなく、世界遺産の町を見るためならばここで十分でした。メインの移動橋からもそんなに離れてるわけでもなく、町にかなり近いです。空港行きのバスターミナルも近くにあるし、何より設備は申し分なし。おすすめです。- 旅行時期
- 2024年01月
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投稿日 2024年02月16日
総合評価:4.0
今回のカリブ海アイランドホッピングで泊まったホテル、、、の口コミです。
蘭領ボネールではブッキングドットコムで予約した Bonaire 2 Stay Playa に1泊。このホテルに選択した理由は、①Booking.comで1番安かったこと、空港に近く歩いて行ける距離だったこと。
で、マップスミーを頼りに行って探してみると、、、、どこかにBonaire 2 Stay Playaの看板があるのかと思って探したんですけど、ないんです、、、。到着したのはもう日も暮れ、真っ暗闇の7時頃。ホテルがわからないと焦ります、、。で、そこの近くにスリナム料理のレストランがあったので、聞いてみることに、、。ちょうどお腹もへって来てまして、、、。で、マスターに聞いてみました。ホテルを探してるんです。Bonaire 2 Stay Playa というホテルを知りませんか?と。するとマスター、、、。ここですよと、、、。ほら、入口の仏陀の像があるでしょ!とのこと。なんだ、ここだったのか!
Bonaire 2 Stay Playa という看板も文字も1つもないけど、大変わかりやすい宿でした。うまい飯も食べられるし、何よりここでレンタルバイクも借りられるし(1日30ドル)、いい宿でした。部屋ではサービスの自分で淹れるレギュラーコーヒーも飲めるし、シャワーは熱いお湯もちゃんと出るし、1人旅のボネール島観光にはバッチしでした。スリナム料理のレストランです。1泊75ドル。
- 旅行時期
- 2024年01月
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投稿日 2024年02月15日
総合評価:3.5
色塗り投稿です。
メキシコには2度訪問。
1度目は2008年冬の中米縦断の旅(メキシコからパナマまで)で。スペイン語圏は初めて。
メキシコを訪れるに辺り、まず思い出したのは大学時代のアパートの先輩の話。チャリダーのその方は自転車旅行をメキシコでしたのだけど、強盗に遭遇してしまったとか、、、。身ぐるみ剥がされたらしく、もう2度とメキシコには行くまいと、、、。中米は怖いなあとその話を聞いて思った。まさかその後、自分が旅行することになるとは思ってもいなかった、、、。
ロサンゼルスから空路メキシコカンクンに飛び、初のスペイン語の世界へ。初めて食べたのはカンクンでのタコス。夜到着し、食い物を求めてカンクンの町を捜索。やっと見つけられたのはタコスの屋台だった。緑色のソース?にちょっぴり驚き。その後、安宿のスタッフに簡単なスペイン語を教わり、何度も数字を言いながら覚えた。ウノ、ドス、トレス、クワトロ、シンコ、セイス、シエテ、オーチョ、ヌエベ、ディエス、、、10以降は覚えられなかった、、、。で、ローカルバスで世界遺産チチェン・イッツァ観光。そして中米ベリーズへ。途中、通り道にあるトゥルム遺跡で途中下車し、カリブ海のビーチを初めて見る。遺跡の下は真っ青なビーチ。多くの観光客がこのビーチで海水浴を楽しんでいた。自分も泳ぎたかったけど、荷物があるから、眺めるだけ、、、。そんなメキシコ旅行だった。
2度目は2016年冬のメキシコ縦断の旅で。せっかくなら、ロサンゼルスから南下し陸路メキシコカンクンまで行ってみようとの、前回の旅行の続き。ついでにカンクンから空路キューバへも行ってみた。
※旅程
・成田ーロサンゼルス
・ロサンゼルスで、リトルトーキョー、ハリウッド、ユニバーサルスタジオ観光
・ロサンゼルスーサンディエゴ(アムトラック)
・サンディエゴで、空母ミッドウェー観光
・サンディエゴーメキシコ国境(列車)
・メキシコティファナへ越境(徒歩)
・ティファナのレストランで、元祖シーザーサラダを食う。
・ティファナーロスモチス(バス)
・ロスモチスーチワワ(チワワ太平洋鉄道)
・チワワーメキシコシティ(バス)
・メキシコシティのローカルバスで、世界遺産テオティワカン観光、ルチャリブレ(プロレス)観光
・メキシコシティーパレンケ(バス)
・世界遺産古代都市パレンケと国立公園観光
・パレンケーウシュマル(バス)
・世界遺産古代都市ウシュマル観光
・ウシュマルーメリダ(バス)
・メリダーカンクン(バス)
・カンクンーキューバのハバナへ(航空機)
この時の思い出は
●アメリカとメキシコとの国境。メキシコへ行く方はすんなり行けたが、反対にアメリカへ向かう方は長蛇の列。やっぱりニカラグアーコスタリカの国境と同じように、人々は豊かな国へと向かう、、、。
●ティファナでのシーザーサラダ。ただの白菜のサラダなのに、目の前でパフォーマンスを繰り広げてくれる。なんだかおもしろかった。
●メキシコでも列車に乗りたく、このチワワ太平洋鉄道に乗車するため、ロスモチスに。朝早い列車に乗り遅れ、急遽タクシーを捕まえ、次の停車駅まで「急いで!」と。タクシーの運ちゃんも事情をわかってくれ飛ばしてくれたけど、、、。警察車両に捕まりスピード違反で罰金。んー、こんな時はどうすればいいんだろう?なんだか運ちゃんがかわいそうになり、罰金分も払ったけど、、、。無事、次の停車駅に間に合い、チワワ太平洋鉄道に乗車。
●チワワ太平洋鉄道は高い料金の割にはたいしたことないかな?車窓の素敵な風景を期待してたけど、nーごく普通の風景だった。
●メキシコシティでは超安ホステル滞在。今までの旅行で3番目に安いホステル。来てみてびっくり!日雇い労働者の宿のようだった。何と1泊300円程。白人旅行者も宿泊していたが、その方も驚いていた!
※ちなみに1位ベトナムのクワンガイ。1泊100円。2位モンゴルのスフバートル。1泊200円。
●宿を安く済ませた分は、本場のルチャリブレ見学に。もう目の前で場外乱闘。昔テレビで見ていたミル・マスカラスを思い出した。
、、、あとは世界遺産、、、。メキシコはホントに見所いっぱい!食べ物も珍しい物ばかり。(ここで初めてウサギ肉を食ってみました)物価も安く旅行に優しい国ですね。危ない目にも全然遭わなかった。見た目が日本人に見られないからなんだろうか?
、、、という感じのメキシコ旅行でした。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2017年01月
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投稿日 2024年02月04日
総合評価:3.0
色塗り投稿です。
トルコには3度程訪問。
1度目は中央アジア横断の旅で。トルクメニスタンの列車の中で現金を盗まれたあと、もうまっすぐにトルコを目指した。途中のアゼルバイジャン、ジョージア(当時はグルジア)は目もくれず、、。残った1000ドルで日本までの航空券を買わなければ行けなかったから、、、、。食費をできるだけ切り詰め、クルジアからトルコへポソフ国境を通ってやっとの思いでトルコ入り。国境では近くの村まで20ドルだ!というぼったくりタクシー運転手と戦い、、何とか5ドルで根負けさせたものの、そこからイスタンブールまでいったいいくら掛かるのか、ハラハラドキドキの連続だった。幸い、村の宿代は拍子抜けするほど安かった。イスタンブールまでのバス代もたしか2000円くらいだったと記憶している。当時は0がたくさんあったトルコリラ。物価安で本当に助かった。無事イスタンブールの旅行社で700ドルの成田行の航空券を購入し帰国。イスタンブールでは、ブルーモスクを遠目で見たこと、ガラタ橋でサバサンドを食ったことは覚えている。
2度目はトルコからエジプトまで行こうとの冬のアラブ縦断旅行で。冬のイスタンブールはもう思いの外寒かった。こんなに寒いとは思ってもいなかった。到着したその日にコンヤ行きの夜行列車のチケットを購入。そして前回の旅行では我慢したブルーモスクやアヤソフィア、お城等を観光。そして日本語を話すトルコ人の囁きにそそのかされ高価な絨緞を購入。ちょうどこの日が元日だったので気前もよかった、、、。コンヤでは途中下車し、教団関係の建物を見学。そして次の列車でアダナへ。さらに列車を乗り換えメルシンへ。ここでは日本とトルコとの友情の証し、エルトゥールル号遭難事件の慰霊碑を見に行った。そしてミニバスで北キプロスへの船が出るタシュジュまで。北キプロスを回ったあと、また船でメルシンへ戻り、バスでアンタキヤへ。そこから国際バスでシリヤへ向かった。
3度目はジョージアのバトゥーミからイラクのクルディスタンへ向かうため国境を越えトルコ入り。ここからトルコ国鉄に乗るため、バス乗り継ぎでカルスまで。カルスで1泊観光し、次の日の朝8時発の列車に乗り込んだ。チェッティンカヤという小さな駅で、ディヤルバクルへ向かう列車に乗り換えるため、駅で数時間列車を待った。夜中に来た列車に乗り込み、翌朝10時頃ディヤルバクル到着。で、バスでイラク北部エルビルへ向かった。
こんな感じで、トルコはまだまだ、、。有名な観光地さえ行っていない。
トルコでの思い出は、、、
●さすが世界3大料理の中に入ってるだけあって、飯は多彩。いろんな物がおいしく食べられる。そして何より物価が安い!3度目のトルコでも(5年前)、列車運賃の安いことにびっくり!きっと物価高の今でもエジプト、日本と匹敵するくらい安いんだろうと思う。
●トルコ人は親日。日本人だとわかると親しみを持って接してくれる。3度目の旅行では飯をおごってもらったり、英語を話す人と遅くまで語り合ったりした。ただし、日本語を流暢に話すトルコ人は要注意。かもろうとしている可能性が高い。
●トルコの冬はとにかく寒い。冬に旅行するときはかなり着こんで行った方がいい。
●トルコの通貨リラは使いきった方がいい。旧紙幣は紙屑になる。以前の旅行で余ったトルコリラは銀行でも換えてもらえなかった。けっこう早いサイクルで紙幣はチェンジする。
こんな感じかな?3度訪問しているとはいえ、まだまだ未体験ゾーン満載のトルコ。退職後の安心して訪問できる国としてとっておきたい国ですね。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2017年08月
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投稿日 2024年02月04日
総合評価:3.0
色塗り投稿です。
チェコには1度だけ訪問。ウイーンからプラハまでの国際列車で。オーストリア、ウイーンは時間の関係でほとんど観光できなかったが、その分、チェコには時間を費やした。
チェコでの思い出は、、、。
・プラハ、、、ガイドブックにある写真の通り、ザ、ヨーロッパっていう感じの町でした。今まで訪れた町の中で第3位くらい。1位ベネチア、2位プラハ、3位チェスケークロムロフ。なんと自分の中では2つもランクインしてるのがチェコ。本当に綺麗な町です。
・ローカル列車に乗ってチェスキー・クルムロフへ。はじめはそんなに期待してなかったけど、行って歩いてみたら、すごくいい感じ。1泊しようとホテルを数件訪ねたがどこも満室。曲がりくねった川と建物の趣がちょうどいい具合に調和した綺麗な町でした。この小さな町がホテル満室になるのもうなずけます。今度訪れる時には、しっかり予約して、1泊したいですね。(あんまりそう思える所はないんですが、そう思ってしまうほどの魅力がありました)
・エチオピア旅行で、ダナキルツアーで一緒になったドクターファミリー。チェコの方でした。チェコには1度訪れたことがあります。とお話したら、どこを訪れたの?と聞かれ、プラハは当たり前だけど、すぐにチェスキー・クルムロフという名前が出てきました。やっぱり記憶に残ってる町だったんです。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2005年08月
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投稿日 2024年02月04日
総合評価:1.0
色塗り投稿です。
オーストリアには2度だけ訪問。(1度チェコに出国し、再度リンツから入国)
ハンガリーのブダペストから列車でウイーンへ。本当はポーランド→チェコ→スロバキア→ハンガリー→オーストリア→リヒテンシュタイン→スイスと行くはずが、ポーランド→チェコの列車を逃し予定変更。ポーランド→スロバキア→ハンガリー→オーストリア→チェコ→オーストリア→リヒテンシュタイン→スイスという変則的な行程となってしまった。なので、オーストリアは観光時間がなくなり、ウイーンの町は本当にほんのちょっぴり見ただけとなってしまった。
ハプスブルグ家のシェーンブルグ宮殿だけは見たかったのに、、、
それでも列車でオーストリアはほぼ横断。インスブルック、ザルツブルク、フェルトキルヒ、、車窓だけ見ながら、絶対また来ようと思ったことだけは覚えてる。、、、でも、あれから20年程たつけど、あれよあれよと行きたい所が山ほどあり、実現していない。そろそろ、、と思うのだが、ここ2年の夏、冬の旅行でとうとう年休がそこをついてきてしまった。今現在で、年休取れる日数は残り18日。コロナでけっこう貯まったのに、、、。休みがあれば、旅行に行くのになあ、、年休をお金で買えればいいのに!、、、そんな話をたっぷりと年休が残ってる同僚と話すと、売るよ!と。1日いくら?、、、。
働きすぎの日本人。ヨーロッパではバケーションは2ヶ月近くあると聞く。(ホント?)年休の売買が可能となったらいいのになあ!
愚痴でした。オーストリア、今度はちゃんと旅したいですね。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2005年08月
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投稿日 2024年02月04日
総合評価:2.5
色塗り投稿です。
ハンガリーには1度だけ訪問。首都のブダペストのみ。スロバキアのブラチスラバから東欧レイルパスを使って列車で入国。あっという間。
そう、ヨーロッパと日本を比べたら、ヨーロッパの方が格段に大きいと思いがち。でも、それはメルカルト図法による錯覚。グリーンランドがオーストラリア大陸より大きく見えるのと同じ原理。緯度が高くなればなるほど大きくなる。ヨーロッパは日本よりも高緯度。なので必然的にメルカルト図法ではヨーロッパは大きく見えるのだ。
面積比較のソフトを使ってヨーロッパに日本を重ね合わせたら、、、長さは同じくらいじゃないか!ということで、スロバキアからハンガリー、日本でいうなら隣の県に行くくらいの距離、、、。日本は実は大きいのだ!!と、いつも生徒に教えている、、、。
、、、余談はこれぐらいにして、、ハンガリーでの思い出は、、、
●ブダペストではもちろんバックパッカー向けの安宿に宿泊。すると、、何々?荷物はロッカーに入れてとカギを渡された。今では当たり前だけど、自分は初めて。段々バックパッカー向けの宿がヨーロッパでも浸透し始めていると感じた。
●日本で以前購入したハンガリーフォリントを持っていった。だが、観光地でその紙幣を使ってみたら、ダメだった。それは古い紙幣、銀行に行って新紙幣に換えてもらえ、とのこと。なんと、滞在時間が短いのに、そんな、、、。どこの銀行に行けばいいのかさえわからない旅行者に、言葉もままならない旅行者に、、、。今はクレカの時代で現金はほとんど使わないけど、当時は現金が主流。そっちで銀行で換えてもらってよ!と思うものの、取り合ってくれず。仕方なく、銀行の場所を教えてもらいあっちこっち探して交換。新紙幣見ると1本偽造防止のスリットが入っただけのマイナーチェンジの紙幣だった。
旧紙幣、日本なら今も普通に使えるけど、ヨーロッパでは使えない、、初めて知った出来事だった。(世界もそれがスタンダード?パキスタンの田舎で、旧ドル紙幣で両替しようとしたら両替不可だった。知り合った日本人に旧ドル紙幣を新紙幣に交換してもらい、何とか両替できた)
●ブダペストは、、、綺麗でした、、、それぐらいしか思い出せない。
以上、色塗り投稿でした。
- 旅行時期
- 2005年08月
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投稿日 2024年02月01日
総合評価:2.0
色塗り投稿です。
東欧横断の旅で、スロバキアには1度だけ、首都のブラチスラバのみ訪問。
たいした思い出はないが、、、
●ポーランドの南部の都市ブデヨヴェツェからローカル列車にてスロバキアへ入国。プラハ行きの国際列車を逃してしまったので、時刻表を丹念に調べ、このルートでブラチスラバに。あまり見るところもなく、ブラチスラバではお城を見に行っただけ、、、。
●スロバキアは東欧では珍しくユーロをいち早く導入できた国。なので、ブラチスラバの銀行でユーロのTC(トラベラーズチェック)を現金化してみた。1件目に見つけた銀行では扱っていないとのことだったが、現金化できる銀行を教えてもらえた。で、行って試してみると、手数料もわずかで現金化できた。今思えばもっとやっとけばよかった。今もユーロのTCがかなり残っている、、、。(日本で今もTCは換金できるんだろうか?)
●ブラチスラバからハンガリーのブダペストはすぐそこ。たしか早々にブダペストへ列車で向かった、、、。
、、、とこれぐらい。今度機会があれば東側の世界遺産を訪問したいですね。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2005年08月
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投稿日 2024年01月31日
総合評価:3.0
色塗り投稿です。
ポーランドには1度だけ訪問。2005夏の東欧横断の旅で。
日程
・千歳ーソウルーフランクフルト 大韓航空
・フランクフルトー列車ーポツダム(世界遺産観光)ーバスーベルリン
★ベルリンー夜行列車ーワルシャワ
・ワルシャワー列車ービヤイストクー国際バスーリトアニアビルニュス
(世界遺産観光)
・ビルニュスー列車ーカウナス(杉原千畝記念館観光)ー列車ービルニュス
・ビルニュスー夜行バスーラトビアリガ
★リガーエア・バルティックーワルシャワ(世界遺産旧ワルシャワ市街観光)
★ワルシャワー夜行列車ークラコフ(世界遺産観光)
★クラコフー列車・バスーアウシュビッツ(世界遺産観光)
・・・で、ローカル列車でスロバキアへ。
ポーランドでの思い出は、、、。そんなにないが、、、。
●初のポーランド、まずはワルシャワ駅につくなり飯屋を探し回ったら、、、目についたのはベトナム料理の飯屋さん。なんと多いことか。旧共産圏の関係でワルシャワにはベトナム人が多いのかなあ?久しぶりのフォーを頂く。懐かしく昔覚えたベトナム語で店員に尋ねてみた。トイラーグイニャッ。アンアイーラーグイビェット?やっぱりベトナム人だった。
●ワルシャワでは旧市街とショパンミュージアムを訪れた。ポーランドといえばショパンとアウシュビッツくらいしか思い付かなくて。せっかくなのでショパンのCDを購入。
●負の世界遺産アウシュビッツは特に記憶に残ってる。ここで初めてユダヤの人々を目にした。多くのユダヤの人々がこのアウシュビッツを訪れていた。負の世界遺産は広島とここアウシュビッツ。広島では罪のない多くの日本人民間人が虐殺され、ここアウシュビッツでは多くのユダヤの方々が虐殺された。戒めとして残された筈なのに、今だ人間は殺戮を繰り返している。いずれ人類は滅びるのだろうか?そんなことを考えた。
●本当はクラコフからプラハへ行く国際列車に乗る予定だったが、逃してしまった。タイムスケジュールをくまなく調べ、何とかスロバキアへ向かうローカル列車を見つけることができた。
●この旅では東欧レイルパスを購入し列車で回ったが、東欧の鉄道は安かった。東欧を列車で回るなら、きっとパスは購入しない方がいいと感じた。
、、、という感じのポーランド滞在でした。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2005年07月
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投稿日 2024年01月30日
総合評価:3.0
色塗り投稿です。
リトアニアには2度ほど訪問。
1度めは、東欧旅行の時に。エストニア、ラトビアと訪問したもののバルト3国の残る1つがどうしても気になっていた。そこで、ポーランドから週3便あったベラルーシを通らない国際列車で訪れ、さらに列車でラトビアリガを訪れ、格安航空機で再度ワルシャワに戻ろうと計画。が、ドイツからの列車に乗り遅れ、この国際列車には間に合わず。仕方なく、ワルシャワからビヤストイクという町まで列車で行き、そこからバスでリトアニアのビルニュスへ。
ビルニュスを観光し、リガへ向かう遠回りの列車のチケットを購入。発車まで時間があったので、行きたかったカウナスまで列車往復。時刻表とにらめっこし、杉原千畝記念館をダッシュで訪問。(本当はゆっくり見たかったのだが、、、)で、帰りの列車には無事間に合ったものの、列車は遅延。ビリュニュス到着が遅れてしまった。当然、リガへ向かう列車には間に合わず、、、。幸い払い戻しには応じてくれたものの、失敗続き、、、。でも、リガに行かなければ、せっかくの航空券がパーになる。急遽、リガへ向かう国際バスに乗車。しかし、リガ到着は深夜。ベンチで寝袋野宿、、、。なんだか踏んだり蹴ったりのリトアニア訪問となってしまった。
2度目は東欧縦断旅行で。当初はローマから直接ベラルーシミンスク入りを考えていたが、VISAを取ってリトアニアから列車でミンスクに行けばいいじゃないかと予定変更。これならゆっくり見られなかった杉原千畝記念館を再度訪れることもできると。幸いウクライナ航空はリトアニアにも就航しているので、途中乗り換えのキエフーミンスク間は乗らず、キエフービルニュス間を追加購入。(後でペナルティ料を払うこととなったが)
、、、ということで、リトアニアでは2度もカウナス訪問。そして杉原千畝記念館を2度も訪問。なにか縁を感じるのです。1度目はホントに駆け足でザッと見ることしかできませんでしたが、2度目はゆっくり見ることができました。日本人として誇りに思えるんですよね。杉原千畝さんという方が存在していたことが。アウシュビッツ収容所を見た後ならなおさらですね。きっと3度目も訪れると思います、、、。岐阜県八百津町の杉原千畝記念館にも訪れてみたいです。
その他、リトアニアで思い出として残ってることは、食べ物かなあ?このリトアニア、、今まで食べたことのない郷土料理?が結構あるんですよね。自分が食べた物を思い出してネットで調べてみたら、、、
・ツェペリナイ、、飛行船のような形をした食べ物、、、nー、自分食いきれずあましてしまいました。
・シャルティバルシチャイ、、、ピンク色の冷たいスープ、、、。
もう少し奇妙な物も食べた気がしますが、忘れてしまいました。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2018年07月
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投稿日 2024年01月30日
総合評価:4.0
色塗り投稿です。
ニュージーランドには1度だけ訪問。南太平洋周遊の旅で。最初はそんなに期待していなかったが、なかなかの大自然に感服。北海道に負けずいいところですね。
日程は、、、、。
●千歳ー香港ーオークランド キャセイパシフィック航空
●オークランド観光
●オークランドから夜行虫を見にワイトモへ向かうが失敗。バスの降りる所を間違えてしまった。ハミルトンで降りてタクシーに乗り換えだったのに、、、。別の日本人がここで降りていくのを遠目に眺めていたのに、、、。せっかく乗継のタクシーも事前予約してたのに、、、。仕方なくそのバスに乗り続けまたオークランドに戻ってきました。バスドライバーが1名乗客が多いことに気づいていた、、、、。自分です。
●気を取り直して、ロトルアにバスで向かい、観光。ここロトルアに来た理由はマオリの文化にふれたかったから。北海道でも、アイヌ文化に触れることはできるが、ニュージーランドはそれ以上にマオリ文化を全面に出して観光に力を入れていた。
●ロトルアからは、またバスでオークランドに戻り、翌朝、メインのウエリントンまでの列車に乗車。この観光列車は高額だけど、列車好きには絶対はずせない。
●ウエリントンを観光し、フェリーで南島ピクトンへ。当初はクライストチャーチまでの観光列車が運休となってて、仕方なくバスを予約してたけど、来てみたら列車が復活していた。急遽バスをキャンセルし、列車でクライストチャーチへ。
●クライストチャーチ観光はそこそこに、翌朝すぐに予約していたバスでクイーンズタウンに向かう。ここでレンタカーを借りて、ミルフォード・サウンドに向かうためだ。事前に1日シーカヤックツアーを予約してたのだ。
●でも、集合時間に間に合わず、、、。遅れてしまったんですけど、、、受付に何とかならないか相談してみたところ、観光船乗船と半日シーカヤックツアーに振り替えてくれた。ラッキー!さすが観光立国ですね。船から雄大なフィヨルドを見て、ミニトレッキングして、シーカヤックで大自然を満喫できました。
●で、その後はせっかくなのでレンタカーでインバーカーギル、そしてニュージーランド最南端の町ブラフにあるスターリングポイントまで。自分はここが今まで訪れた中では地球最南端の場所。(車の中で車中泊)
●で、最終日はダニーデン、オタゴ半島までドライブして、アホウドリの群生地を見学。→クイーンズタウン空港で車を返却し、、→ウエリントン、オークランドと乗り継ぎ、ニューカレドニアへ。
慌ただしい中でのニュージーランド訪問でしたが、楽しめました。きっとまた再訪すると思います。
特に思い出に残っていることは、、、
○ロトルアでの観光。てくてく歩き回ってたら、偶然にもテプイア発見。で、せっかくなので食事付きのチケットを購入し入場。ここは後で調べたら有名な間欠泉だった。マオリの方が熱心にガイドしてくれ、ほー、北海道の観光とはちょっと違う一面を見ることができた。ただ食事は、、、。周りは英語圏からの観光客。最初こそ挨拶程度はしたものの、ネイティブ英会話にはついていけない。日本の団体さんも来ていて、そちらでは楽しげな日本語会話が聞こえてくる。せめて、配慮して、その近くに席を指定してくれたらよかったのに、、、。黙々と食べ続けた、、、。
○オークランドからウエリントン行きの観光列車。乗車駅を間違えてしまった。遅れないように早起きして来たのに、この駅ではなく、別の駅だった。あわてて走って乗車駅に向かうものの間に合わず。列車は既に出発していた。えー!高額料金払ったのに!でも旅の神様は見放してはいなかった、、駅員さんが助け船を出してくれた。車で次の停車駅まで乗っけてってくれるというじゃないですか!助かった!その駅員さんは若い韓国系ニュージーランド人。次の駅で自分も乗車するので、、、ということだった。ありがたいありがたい。(この列車に乗車する人は自分のように間違えないでくださいね。近郊へ行く列車駅ではありません)
○無事列車に乗り込み、、、。でも、お隣さんからは中国語が、、、。あー、中国の方と相席になったんだ。お向かえ合わせて4人がけのシートには3人の中国人と1人の日本人。アジア人だから一緒にしてくれたのかな?と思ってたら、隣の方が地球の歩く方ニュージーランド編を出して見ているではないですか!思わず聞いてしまいました。日本語読めるんですか?と。すると、相手もびっくり!なんと中国系の日本人でした。(日本人と結婚した奥様でした。)友達3人でニュージーランドに旅行しに来たんだとか。ビックリです。あちらも、途中駅で乗ってきたので自分を現地の方だとばかり思ってたようです。まあ、日本人には見られませんから、相手もびっくりですよね。そんなこんなで、日本語会話の始まり、、、。なんだか綺麗な車窓よりもこの中国系日本人奥様との会話の方が楽しくなってしまいました。
○ニュージーランドの安宿は不思議とデポジットを要求してくる。要は保証金だ。このデポジットにはやられた。朝早くにバスで出発したわけだが、デポジットを返金してもらおうにも、受付に人はいなかった。呼んでも誰も来ない。バスに遅れてしまうので仕方なくデポジットのお金は諦めるしかなかった。安宿なのにけっこういい金額となってしまった。このデポジット制度だけはやめてもらいたいものだ。
○北島から南島へ向かうフェリー。豪華客船のような催しもので、時間を忘れてしまうほど楽しく過ごせた。子供たちも本当に楽しそうだった。日本でいうなら、青函連絡船の中でイベントをしているような感じ。是非、日本でも行ってほしいですね。
○レンタカー。ニュージーランドの交通は日本とは違う。誰もいないような所では120キロぐらい出して飛ばしてもよいらしい。でも、町に近づくと厳しく50キロ規制。緩急をつけた交通ルール。是非日本でも導入してほしいですね。特に北海道では誰も住んでいなくても60キロ以上出せばスピード違反。警察車両が隠れて検挙している、、、。
で、やっちまいました。ちょっと町中で考え事をしてた自分。すると、後ろの方にパトカーがついてくる、、、。あれ!俺か?、、、停車したらやっぱり自分だった。国際免許証を見せたものの、許してはくれなかった。名刺みたいな紙を渡され、ここに書いてあるサイトにアクセスし、カードで罰金払ってねだって。日本に帰ってから罰金80ニュージーランドドルをカードで支払った。いタタタタ!(ゴールド免許に影響するのか心配だったけど、影響はしなかった。無事、再度ゴールド免許で更新できた)
、、、という感じのニュージーランド滞在となりました。そんなに初めは期待してなかったけど、ニュージーランドは楽しめますね。次の機会があれば、もうひとつの観光列車にも乗ってみたいですね。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2018年01月
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投稿日 2024年01月17日
総合評価:2.5
色塗り投稿です。
ラトビアには2度ほど訪問。
1度目は北欧周遊旅行で、エストニアタリンから国際バスにてリガへ入った。この旅での思い出は、、、。
・リガのバスターミナルに着くなり綺麗なお姉さんが安宿を売り込んでくる。ちょうど観光に力をいれ始めた時期のようで、ホステルがリガにもできはじめていたのだ。宿探しもせずにすむし、ホイホイついていった。できたばかりのドミトリーがあるホステルだった。
・ラトビアの通貨はまだユーロではなくラッツだった。この通貨、コインは異常に小さい。今まで見てきた色んな硬貨の中で最小サイズ。で、1ラッツ札の価値が高く、簡単な買い物ではお釣りは必ず小さな硬貨をもらってしまう。どれが0.5? 小数点の世界だった。(貴重なラッツ。取っといてよかった!)
・世界遺産の町リガはタリンやビルニュスと比べると、たいしたことはないかな?個人的にそう思う。なんだか広いし、見所もそんなになかった気がする。
・リガで見つけた旅行社で、ロシアVISAを取得。当時、日本でロシアVISAを取るのは大変だった。(バウチャー旅行でしか簡単には取れなかった)でも、バルト3国ではホテル予約も交通機関の予約もせずに普通のVISAが取れるというのだ。要1日、70ドルで簡単にロシアVISAが取得できた。で、国際列車に乗ってロシアサンクトペテルブルグへ、、、。
2度目は東欧周遊の旅で。北欧周遊の時には行けなかったバルト3国の1つリトアニアからリガへ。本当は列車で入国したかったが、諸事情でまたまた国際バスで入国。で、ポーランドにバルティック航空で戻った。
この時の思い出は、、、。
・ビルニュスからの列車に乗り遅れ、仕方なく急遽国際バスで。ただこのバス、タリン行きで、リガには途中下車の感じ。なので真夜中に到着。真夜中なので、安ホテルには泊まれない。仕方がなく、バス停のベンチで寝袋野宿、1晩を明かす。すると、ベンチで寝てるお仲間の男性(浮浪者?)が、、、。近寄ってきて話しかけてくるが言葉は通じない。悪意はなさそうで、こちらを不思議がっているような。立派なバスから降りてきていきなりベンチで寝る人に興味津々のような感じ。自分が脱いだ靴が欲しいようで、クレクレと指差す、、。ダメダメ!というまに靴を持ち上げ臭いをかぎだした、、、クッセー!、、、このやろう!とは思わずなんだか可笑しくて笑ってしまった、、、。
・で、無事リガの空港行きのバス停を運良く発見し空港へ。
こんな感じのラトビア滞在となりました。
以上、色塗り投稿でした。
(今、日本に帰る航空機の中、暇なんでネット作業です、、、。時代は変わるもんですね、飛行機の中でさえネットにつながっているとは、、、ハイチの人は驚くだろうな!)- 旅行時期
- 2003年08月
-
投稿日 2024年01月17日
総合評価:2.0
色塗り投稿です。
エストニアには1度だけ訪問。まだ通貨がユーロではなくエストニアクローンの時代。(コイン、紙幣とも記念に取っといてよかった)
夏の北欧旅行で、フィンランドヘルシンキから高速船で世界遺産の町首都タリンに。タリンは綺麗な町という印象がある。この後、リガも訪れるのだけど、タリンの方がこじんまりとまとまっていて自分は気にいった。
エストニアでの思い出は、、、そんなにないが、、、
・列車好きの自分、本当はエストニアから隣国ラトビアへ列車で向かいたかったのだが、たしか、この頃は列車での越境はできなかったと記憶している。でもローカル列車に乗りたく、早起きして、1日1本しか走っていないラトビアとの国境の町ヴァルガ行きの列車に乗車。この列車、本当にローカルで、地元民の方々がちらほら乗車してくる廃線間際のローカル列車だった。ヴァルガも萎びた町で何もないが、ラトビアとの国境の鉄条網を見て1泊。(帰りの便は1泊しなければなかった。)1件しかないしなびたホテルに。
・次の日、また早起きして列車でタリンに戻る。で、国際バスで、ラトビアへ、、、。
今は国際列車ではないが、ローカル列車で国境まで行き、接続してリガへ向かう列車もあるようだ。次行く機会があれば、バルト3国、列車の旅を実現してみたい。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2003年08月
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投稿日 2024年01月01日
総合評価:2.5
色塗り投稿です。
インドネシアには2度程訪問。初めてはたしか2003年頃の冬。兄貴との2度目の旅行で。ラオス旅行でバンコク入り。その時成田往復1年オープンチケットを購入。当時はこの方法が1番安くチケットを購入できたのだ。で、1年後、兄貴とバンコクへ。でもタイは昨年訪れたし、、、。よし、シンガポールへ行こう!シンガポールならマレーシアにもインドネシアにも行ける!と。自分は列車でシンガポールに行きたかったが、休暇が短い兄貴に合わせ、航空機でシンガポールへ。で、マレーシアのジョホールバルへ行ったり、インドネシアのバタム島へ行ったり。(当時はVISAも要らなく無料)
兄貴とはバタム島で別れ、自分はそのままブルネイ目指し、インドネシア横断旅行。
・バタム島でスマトラ島行きのフェリーチケットを購入し、ペカンバルまで。初のバナナの葉っぱにくるまれたランチ。手食もネパール以来。かなり忘れてるが、これはおぼえてる。
・ペカンバルからはまっすぐバスでブキティンギまで。ブキティンギでは安宿はどこもフル。ちょうど大晦日だったので、仕方なくけっこう高いホテルへ。そんな愚痴を年越しを迎えようと公園で騒いでた若者に話すと、、野宿すればいいじゃん!、、そうだった。ここは南国、寒くなんか全然無い。きっと若者たちも夜通し、、、。海外で野宿、、きっとこれがきっかけとなったように思う。
そしてガイドブックにあった特徴的な王宮を見に。で、ブキティンギのホテルにて近郊を回るツアーに参加。初めて現地ツアーというものに参加した。ヨーロッパの旅行者に混じり、1人アジア人の自分。英語が話せんと辛い、、、この時悟った。
・ブキティンギからはまっすぐバスにてジャカルタまで。スマトラ島からジャワ島へ渡るわけだが、バスはそのままフェリーに乗船、、、ほー、これがインドネシアの交通なんだと感心した。
・一番覚えていることは、、、バスに荷物を置いているのに、下ろされ、そのバスがどこかに行っちまった、、、。え!現地バスで来てるので、他の外国人旅行者もいないし、言葉も通じず、、ただただ、あの荷物に全財産が入ってるのに、、、これからどうなっちまうんだろう?と不安でいっぱい。英語をすこしばかり話す現地の方が、そんな自分を見て話しかけてくれた。心配するな、バスは戻ってくる、、、。まだ若かりし自分でした。
・ジャカルタでは現地のミニバス(ベモ)を使って観光。(適当に行きたい方向に走ってるやつに乗車)すると、現地の英語を話す女性に声をかけられた。日本人です、と答えると驚いていた。ベモに乗る外国人を見たのはあなたが初めてだとか。何か困ったことがあったらここに電話して!と電話番号の紙をくれたが、、、ただでさえ英語が聞き取りにくいのに、電話だとなおさら、、、。
・ジャカルタからは航空機にてボルネオ島ポンティアナックへ。本当は船で行きたかったのだが、日程もなかったし、、、。ポンティアナックでは観光もせず、現地の旅行社でマレーシアクチン行きの国際バスチケットを購入。旅行社の方に、なにしにここに来たの?と言われてしまった。多くの旅行者はここでボートツアーに申し込むんだとか。で、陸路国境を越え、東マレーシアのサラワク州へ。
、、、という感じでのインドネシア旅行となりました。スマトラ島ブキティンギとジャカルタしか訪れてはいませんが、旅行しやすいと感じました。
※2度目は東南アジア縦断の帰路、シンガポールによった時、またフェリーでバタム島へ。
近々また行こうとも思っています。まだ未踏の東チモールからジャカルタまでのインドネシア横断旅行で。鉄道にも乗りたいし、世界遺産も見たい、、、。
以上、色塗り投稿でした。
ちなみに、日本からインドネシアジャカルタまでは陸路海路で到達。
○北海道→鹿児島 JR
○鹿児島→沖縄 フェリー
○沖縄→台湾基隆 フェリー(今は無き飛龍21)
○台湾基隆→馬祖島(南竿) フェリー
○馬祖島(南竿)→中国福州 フェリー
○福州→廈門 中国国鉄
○廈門→広州 中国国鉄
○広州→南寧 中国国鉄
○南寧→ベトナム ハノイ 国際列車
○ハノイ→フエ ベトナム国鉄
○フエ→ホーチミン バス乗り継ぎ
○ホーチミン→バベット国境 バイクタクシー
○バベット国境→カンボジア プノンペン バス
○プノンペン→シェムリアップ バス
○シェムリアップ→ポイペト バス
○ポイペト→タイ アランヤプラテート 徒歩
○アランヤプラテート→バンコク タイ国鉄
○バンコク→スンガイコーロク タイ国鉄
○スンガイコーロク→ワカバル バスとタクシー
○ワカバル→シンガポール マレーシア国鉄
○シンガポール→バタム島 フェリー
○バタム島→ペカンバル フェリー
○ペカンバル→ブキティンギ バス
○ブキティンギ→ジャカルタ バスとフェリー
※ジャカルタからフェリーでボルネオ島ポンティアナへ行けばブルネイのバンダルスリブガワンまでつながるが、まだこの区間の船には乗ってない。インドネシアの国営フェリー、、日程を合わせるのはなかなか難しい。- 旅行時期
- 2003年01月
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投稿日 2024年01月16日
総合評価:1.0
色塗り投稿です。
といっても、カナダは厳密には旅行はしていない。南米に向かう便のトランジットでトロントに立ちよっただけ。航空券購入時には結構な時間があり、ナイアガラの滝を見て来ようと計画してたけど、航空便の変更でそれもままならず。空港のコンビニでちょっとした物を購入したり、寒いなあとちょっとだけ外に出てみたのみ。
でも一応空港の外に出たので訪問とします。いずれ円安が終わり、1ドル120円ぐらいに戻った時に、アメリカロサンゼルスからアムトラックでカナダに入国し、バンクーバーから列車でトロントまで。で、ナイアガラの滝を見たいと思ってます。
色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2013年12月
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投稿日 2024年01月16日
総合評価:2.0
色塗り投稿です。
フィンランドには1度だけ訪問(その旅で2度入国)。
・1度目の入国はノールカップから夜行バスでサンタクロースの町ロバニエミへ。夜行バスで疲れたが、ここでは快適なユースホステルに宿泊。で、この北欧旅行で初めて日本人旅行者とホステルで出くわした。聞いてみたら、高校の教員の方で、夏休みを利用し長期でフィンランドを回ってるんだとか。日本人で、長期にわたり旅行できるのはきっと教員しかいない。
・サンタさんに会いに行った。ちゃんと白ひげにサンタクロースの衣装。イヤー感激!観光として扮してるただのお爺ちゃんだろうけど、これを子供たちに見せたらきっと感動するでしょうね。お金を払ってクリスマスカードを子供たちに送ってもらうようにした。(そんなサービスがある) 後から子供たちにちゃんと届いたか聞いたら、届いたって。
・ロバニエミからはパスを使って列車で、スウェーデンとの国境の町まで。列車でと考えてたけど、時間が合わず、バスでスウェーデンに入国。
・2度目の入国はストックホルムからトゥルクへのフェリーで。このフェリーにはスカンパス保持者は特典として無料乗船できた。途中、オーランドに寄港してトゥルクへと向かうのだが、オーランドというフィンランドの自治州の存在を全く知らなかった自分。旧5千円札の新渡戸稲造さんが国際連盟事務局長としてこのオーランド問題を解決したなんて全く知らなかった自分。下船して訪問すべきだったと今では後悔。下調べは重要なんですよね。
・トゥルクで下船したのは、ムーミン村に行くため。近くのナーンタリという町にバスで向かい、ムーミンに会ってきた。オー!懐かしのキャラクターがいっぱい!子供の頃によく見ていたアニメ。ねえムーミン、こっち向いて、はずかしがらーなぃで、、、。ついつい口ずさんでしまう。1人、どうしても名前が思い出せないキャラクターがいた。なんだったっけなあ?ずっと思い出そうと考えてたら、、、やっと思い出す。そうだ!スナフキンだ! 思い出すことができたことに感激!
・トゥルクからはパスを使ってヘルシンキまで。駅で予約すると、駅員さんがなんだか知らないが何度も謝ってくれる。予約料金を取ってごめんなさいと。パスはあるけど、追加で予約料金を徴収するのがユーレールパスのシステム。そういう代金も含めてパスにすればいいのに。確かに面倒なのだ。たぶん日本の鉄道パスは予約無しで乗れることをこの駅員さんは知ってるのかもしれない。謝られたのはこのフィンランド国鉄だけ。なんとも腰が低い国民なのかもと思ってしまった。
・ヘルシンキでは若者日本人がたくさん訪れていた。不思議に思い聞いてみると、お目当ては当時流行っていたヘビメタだとか。ここヘルシンキではライブがたくさんあるんだとか、、、。
これくらいでしょうか。フィンランドで思い出せることは、、、。
お金に余裕があれば北欧旅行も悪くないんですが、なんてったって、ヨーロッパの中でも物価が高過ぎるのが難点ですね。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2003年08月



