kasekunさんのクチコミ(7ページ)全196件
- サムネイル表示
- リスト表示
- ホテル
- ショッピング
- グルメ・レストラン
- 交通機関
- 観光スポット
- 基本情報
-
投稿日 2023年12月13日
総合評価:2.0
色塗り投稿です。
コスタリカには1度だけ訪問。2008冬の中米縦断旅行で。といっても、コスタリカは特に観光をしていない。ニカラグアから長い長ーい長時間の国境越えを終え、コスタリカに入国したのは夕方。ニカラグアとコスタリカには経済格差があり、ニカラグアからコスタリカへ渡る人々がこの国境に殺到していたのだ。
で、この国境を越えてやっと現実を理解した。自分、日本史を大学時代専攻していたのだが、近代史にはやはり誤解をしていた。というのは、朝鮮と日本の関係。日本は朝鮮人を強制的に連れてきて働かせた。と、自分もずっと思ってた。学校でもそう教えられてたから。いわゆる徴用工問題というやつだ。でも、この国境を越えて納得した。それは、強制連行なんかしなくても、人々は豊かな国を目指すという現実。メキシコからアメリカへ。アフリカからヨーロッパへ。人々は殺到する。そこに豊かな地があるのなら目指すのは当たり前なのだ。当時、朝鮮は貧しい国だった。日本に行けば仕事がある、高い給料ももらえる。密航しても日本に行きたい、そう考えるのが普通。それが、、、強制され日本で過酷な仕事に就かされた、、、賠償せよ!。優しい日本人は、そうかも知れんな、当時の状況は知らないけど、、、そう思ってしまう、、、。徴用工なんて嘘っぱち、、、経験上そう思う。
で、コスタリカに入国して首都サンホセへ向かうバスに乗車。もうニカラグアとは段違いの綺麗なバス。内戦で混乱したニカラグアとは全然違っていた。
残念ながら時間もなく、コスタリカはサンホセに1泊してほんの少しだけ見ただけ。ローカルバスでの入国に懲り、パナマへ向かう国際バスのチケットを入手したのみ。
思い出と言えば、この国際バスでのことだけかも。とにかく寒かった。冷房の効きすぎ。止めようにも、冷風が吹き込んでくる穴が壊れていて、何か突っ込んで止めようにも冷風が流れ込んでくる。長袖は持って来てなかったので、もう寒いっていったらありゃしない。見かねた近くの現地の家族が、バスタオルを貸してくれたのだが、とにかく寒かった。(外は暑いのです。これもニカラグアとの大きな違いですね。)
、、、と、こんな感じのコスタリカでした。でも、行って現実が見えてよかったです。これがなきゃ、日本は朝鮮人を強制的に日本に連れてきて過酷な労働を強いたというデマをずっと信じていたことでしょう。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2009年01月
-
投稿日 2023年12月13日
総合評価:3.0
色塗り投稿です。
パナマへは1度だけ訪問。(コスタリカの思い出の続き)
コスタリカから国際バスで入国したのだが、ここは入国管理が厳しかった。航空機で入国ならそうでもないのかもしれないが、陸路入国では、まず帰りの航空券、そして所持金(現金)を見せなければ入国が許可されなかった。え、現金?クレカなら持ってるよ!と見せるものの、現金だ!と、取り合ってくれなかった。仕方なくリュックの底からもしもの時の現金300ドルを見せ、やっと入国許可が出た。ここ中米パナマではJAPANパスポートの効力はないらしい。
パナマではもちろんパナマ運河観光がメイン。運河を見たあと、運河鉄道に乗車し、危険な町と言われたコロンへ。どんなに危険な町かと身構えて行ったけど、そうでもないような感じだった。自分が日本人に見えないからか?よくわからず。帰りはバスでパナマシティまで。せっかくなので世界遺産パナマの旧市街も散策。
思い出は、、、
・安食堂を探したけど、見つからず、、、セットメニューのcombo○という飯がおいてるチェーン店がここでは安く食べられる唯一の店なのかも?それでもけっこういい御値段だった。
・パナマでは米ドルがそのまま使えるが、表記はバルボア、、、。パナマでしか使えないコインがある。
・パナマ運河は見所満載。ここは学校で必ず学習する所。見に来てホントに良かった!人間が汗水流して作った運河がどういうものかがわかる!
・治安はそんなに悪そうではないなと思ったが、こればっかしはよくわからない。訪れた中米諸国を治安がいい方から並べると、(あくまでも自分の印象)
1、コスタリカ
2、パナマ
3、グアテマラ
4、ニカラグア
5、ホンジュラス
6、ベリーズ
7、エルサルバドル
こんな感じかな?
別のサイトの旅行記を見ると、パナマから小島を伝って船でコロンビアへ抜けられるらしい。陸路では無理なので、海路で、、、。いつか北米大陸から南米大陸へ渡るこの縦断の旅に行ってみたい。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2009年01月
-
投稿日 2023年12月09日
総合評価:2.5
色塗り投稿です。
ベリーズ訪問は1度だけ。メキシコカンクンからパナマまでの中米縦断旅行で。ベリーズはカリブ海で泳ぎたい、それだけが目的だった。当時、中米でVISAが必要な国はベリーズだけ(今は必要ない)。メキシコチェトマルからベリーズへ向かうバスに乗り込み国境へ。ここでVISAを取得。判子と何やら手書きで書き込まれる。早くしてくれ!バスがいっちまうんじゃないか!ただ1人、VISAが必要な乗客は自分だけ。取り残されるのではないかと心配だった。でも、バスはちゃんと待っててくれた。無事ベリーズ入国。
国境の町からバスを乗り換えベリーズシティへ。ここからキーカーカーという島に渡るためだ。ベリーズシティで、バスターミナルからフェリー乗り場までてくてく歩く、、、。 すると片足を引きずる若者が、、、。ガイドしてあげるよ!と。どうせガイド料を後でせびるんだろうと、必要ない!と断るもついてくる、、、。途中がたいのよい男に呼び止められた。どこから来たんだ?これからどこに行くんだ?メキシコか?グアテマラか?、、、正直に日本人で、これからグアテマラに向かうことを伝えると、そうかと、、、。片足を引きずる若者が後からこう言った。メキシコと答えてたら金をとられてたぞ!と。俺の足は拳銃で撃たれたんだと。、、、本当か嘘かはわからないが、ありうるかもしれないと思ってしまった。中米は治安が悪いとは聞いてたが、、、首都はできるだけ避けようと思った。
キーカーカーではマナティツアーに参加。ここはツーリストの島で、宿泊、ツアー参加と全く困らない場所だった。ドルのTCさえ使えた。
マナティツアーに参加し、驚いたのは自分以外に日本人ご夫婦がこのツアーに参加していたこと。まさかベリーズのキーカーカーで、日本人に会えるとは思っていなかった。1人参加の自分にとても気遣ってくれ、ツアーを楽しむことができた。現地ツアーに参加して困るのが1人という立場。インドネシアで、初めて参加し一番困ったのが、白人の中に1人アジア人。言葉もあまり通じないし、、、。そのときは全然楽しめなかったが、今回は楽しめた。ご夫婦に感謝!
という感じで、マナティは見られなかったが、カリブ海で泳いで、そのままグアテマラフローレスへ。世界遺産ティカル遺跡を見るため。
次もし訪れることがあるなら、もう1つの島かな?
以上色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2009年01月
-
投稿日 2023年12月12日
総合評価:3.0
色塗り投稿です。
アイルランドには1度だけ(トランジットを含めると2度)訪問。
JICAでガーナ滞在中、仲間のみんなは任国外旅行としてたいていイギリスへ向かう。が、自分はマリ、ブルキナファソへと向かった。イギリスへならいつでも行けるんじゃないかと、、、。だが、みんなが戻ってきてイギリス旅行の話を聞けば聞くほど、羨ましくなってしまう。日本に戻ったら、絶対イギリス旅行へ行こう、、。
で、決行。どうせ行くなら、カントリーと呼ばれるイギリスの地域全てに行ってみようじゃないか!イングランド、ウェールズ、北アイルランド、スコットランド、さらにはマン島、オークニー諸島にシェトランド、、。で、計画したのが、、
●航空券が安かった大韓航空フランクフルトIN
●列車で、フランスパリに向かい、
●ユーロスターで、イングランドのロンドンへ
●すぐさま列車でウェールズへ。ウェールズのカナーヴォン城とコンウィ城を観光し、列車でホリーヘッドへ。
★ホリーヘッドからフェリーでアイルランドのダブリンへ、ダブリンを観光し、
★列車でドロヘダ、バスで世界遺産ニューグレンジへ。バスでドロヘダへ戻り、また列車で北アイルランドへ。
●北アイルランドにある世界遺産ジャイアンツ・コーズウェーを観光し、
★ダブリンに列車で戻り、
★フェリーでマン島へ、、、。
●マン島からはフェリーで、当時はまだ世界遺産だったビートルズの故郷リバプールへ。
、、、
という感じで、アイルランドは首都ダブリンと世界遺産ニューグレンジのみ訪問。
アイルランドの印象は、、、
・ダブリンではもちろんパブに。イギリスではフィッシュアンドポテトばかり(これが一番安くて手頃、しかもどこにでもある)、、決して美味しい物ではない。せっかくアイルランドに来たのだから、パブに入ってうまいものを食おうと、、。もちろんギネス(黒ビール)は忘れない。やっぱりうまかった!
なぜ、こんなにイギリスと近いのに食文化は違うんだろう?美味しいアイルランドの飯はなぜイギリスへ伝わらなかったのかがとても不思議?
※ガーナのアクラには1件アイリッシュパブがあったのです。首都に行ったときにはみんなでたまにですが、行ったものです。食い物がうまかった!それを覚えていまして、、、。
・世界遺産のニューグレンジ、、、パキスタン旅行で中国へ行くバスに同乗し、カシュガルまで一緒だった方はアイルランドの方だった。「アイルランドには1度行ったことがあります。大きな丸い遺跡を見に行きました。」と話したのだが、遺跡の名前がどうしても思え出せなかった。、、、すると彼も、、、「ストーンヘンジか?」と。ン、何か違うような、、、。でも思い出せず、「それかも!」
ニューグレンジ、ストーンヘンジ、、、なんか似ている響きなんで間違えてしまった。きっと彼は、「こいつ、イギリスとアイルランドを混同してるな」と思ったかもしれない。、、、どうでもいい話でした。
とにかく丸い大きな墳墓?ニューグレンジ遺跡を見に行きました。この遺跡はピラミッドよりも古い時代に作られたらしい。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2010年08月
-
投稿日 2023年12月10日
総合評価:3.0
色塗り投稿です。
キプロスには1度だけ訪問。2011冬のアラブ諸国縦断の旅で。といっても北キプロストルコ共和国がメインで、キプロス本国にはニコシアから南側へ越境し数時間滞在しただけ。
トルコイスタンブールから列車を乗り継ぎ、メルシンまで。そこから北キプロスへ行くフェリーが出る町タシュジュまでバスで。
でも残念ながらフェリーは悪天候のため、午前便は欠航。午後便は出るようで、ずっと寒い中、待っていた。待合所にストーブはない。現地の方も毛布にくるまり寒さを凌いでいた。出港間際に電気ストーブが置かれたが、、、もっと早く置いてくれー!
北キプロストルコ共和国、日本は未承認。入国しても特に入国スタンプはないし、トルコ内での移動と変わらず。
で、ここでの1番の思い出はギルネで見つけたレストラン。雨の中、どこか食べれる所はないかなあと探し回ったら、この小さなレストランを見つけた。メニューを見たらステーキが15ドル。お、食べてみようとミディアムで注文したら、この旨いことといったらありゃしない!腹がへってるためなのかスターターのパンさえ、ウメー!次の日の夕食もここで食べてしまいました。こんな未承認国家で今までで一番旨いステーキを食べるなんて思ってもみませんでした。
ギルネからはバスで首都ニコシアへ。ここは国連の平和維持軍が駐屯している。南側へ行くには数ヶ所あるチェックポイントで出国手続きをする必要がある。小さなプリントされた紙が渡され、南側のキプロス共和国へ。特に変わりはないが通貨はユーロへ。散策していたらバス停があった。時刻表を見たら世界遺産の町パフォスまでのバスも、、、。バスで行けたらいいなあと思いつつも、当時はまだ制限があったので、引き返す。(今は北から入り南から出国も可能らしい) 境界線を写真に撮ろうとしたら、見張り塔の軍人さんに、撮るな!と注意されてしまった。ここは写真はダメなよう。
ニコシアからはもと来た道で戻るのもなんだし、もう1つトルコメルシンへ向かうフェリーが出る東側の町ガジマウサへ向かう。少し観光し、無事夜出港するフェリーに乗船。
2023ヨーロッパレイルタイムスケジュールを見たら、ギリシャからキプロスへ向かうフェリーが復活していた。もし機会があれば、次はこのルートで。キプロス本国の世界遺産も見てみたい。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2010年12月
-
投稿日 2023年12月11日
総合評価:3.0
色塗り投稿です。
スウェーデンには2度程訪問。
1度目は、2002夏の東欧横断の旅から急遽変更した北欧縦断の旅。
デンマークのヘルシンキグーアから船でスウェーデンのヘルシンボリまで。そこから列車を乗り換えてノルウェーのオスロまで。(通り過ぎただけだが)
で、ノールカップまで向かうわけだが、ここノールカップから全く予定していなかったフィンランドのロバニエミまで行く夜行バスがあった。スカンレイルパスは使えないけど、夜中発のバスの中で寝ていて、朝にサンタクロースの町ロバニエミに到着できるバスは、時間短縮にもなるしとても便利だった。料金は120ユーロ。ちと値ははるが、またノルウェーに戻るよりは効率的だった。
で、ロバニエミを観光し、列車で南下し、スウェーデンとの国境の町まで。そのままヘルシンキに行くという選択もあったが、スウェーデンを全然見ていないのも気になるので、首都ストックホルムへと向かうことにした。
実はこのフィンランドとスウェーデンは鉄道の軌道幅が違う。この国境を通る国際列車は、国境で台車?の交換がされるというのだ。数時間待たされるらしいが。駅で列車の時刻を確認したが、残念。この列車に乗るとストックホルム行きの夜行列車には間に合わなかった。で、仕方なくバスにてスウェーデンルレオまで。そこから列車でストックホルムまで一気に。一般車両でなんとなく眠りにつき朝にストックホルム到着。けっこうしんどかった記憶がある。
ストックホルムではもちろん有名観光地ガムラスタン地区を観光。王宮、歴史的建造物、、ここは目白押し。
で、レイルパスで無料乗船できるヘルシンキ行きのフェリーに。ただし自分はムーミン村を訪れるため、フィンランドのトゥルクまで乗船。これが1度目のスウェーデン訪問。物価が高いのでホテルには宿泊せず、車中泊、船中泊で、切り抜けた。
2度目は昨年2022夏のグリーンランドへの旅行で。コペンハーゲン空港に降り立ったものの、せっかくならすぐそこのスウェーデンにも再度訪問したいもの。以前の旅では行けなかったマルメに行ってみた。コペンハーゲンの空港からは直通で行ける。ただ、列車の切符購入に困ってしまった。駅で購入できると踏んでたものの、もう無人。券売機での購入しかできなかった。悪戦苦闘し何とかクレカでチケットを手にし、マルメ行きの国際列車に乗車。マルメでは安いホステルに1泊し、散策。お城を見に行ったり、マップスミーに表示される観光スポットを見に行ったり、、、。一番衝撃的だったのは、無人スーパー。田舎者の自分。初めて無人スーパーという物に入った。きっとここでしか経験できないと思って。お菓子やらジュース等を持っていざ会計へと進んだものの、、、。やっぱりどうやるのかがわからない。前にいたおばあさんも同じように困ってる、、、。で、結局、1名だけいる若い店員さんにやってもらった、nー難しい!外国人には特に難しい!
帰りのコペンハーゲンに向かう列車のチケットも結局無人販売。駅員はいない?券売機でクレカを使って購入するしかなかった。
という感じで、コロナ禍でスウェーデンは無策?というか対策は免疫を獲得するためほったらかしだったと聞く、、無人化が特に進んだようです。いいのか悪いのかはわかりませんが。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2022年07月
-
投稿日 2023年12月10日
総合評価:3.0
色塗り投稿です。
ネパールには2度程訪問。
1度目はまだ若かりし大学2年生の時、1988春の初海外旅行で。中国旅行でチベットに行って、成り行きでネパールへ。拉薩の領事館でVISAを取り、拉薩で一緒になった仲間たちとバスに乗り継ぎながらカトマンズに向かった。今となってはどういう経路で行ったのかすっかり忘れてしまったが、コダリ国境を通ったことだけはしっかり覚えている。中国の国境を通り、歩いて下ってネパールの村に。ここで1泊。見るからにチベットの方々とは全く違う身なり。食べ物も違った。そして次の日、トラックの荷台?(たしかそんな記憶があるのだが、、、)に乗って山を下って行った。季節は3月下旬。チベットではまだまだ寒かったのに、このトラックの荷台に乗って下って行くと、暑さが増していった。暑い!チベットとネパールはこんなに違うものなのか!
仲間たちから自分は「新疆(しんじゃん)くん」と呼ばれていた。ウイグル族の方に顔立ちが似ているからだとか。ネパールに入ると、「君にそっくりな人がいる!」と。たしかに、ネパール人はなんだか自分に風貌が似ているような気がしてならなかった。
で、とうとうカトマンズに到着。ガイドブックは持ってきていないので、仲間たちが頼り。宿も知らないので、ついていくしかなかった。
で、ネパールでの初体験は、、、。ガ○○にハ○○、若気の至り。、、、。日本では絶対やってはならないイリーガルなものがここでは簡単に手に入ったのだ。宿には長期滞在中の日本人がなんと部屋で育ててる、、、これが一番いいんだ!と自慢げに。
(地元のネパールカレーのお店で、そんな昔話をしてると、お母さんが、これでしょ!と。それは小鳥にあげる餌だった。袋を見たらたしかにこの中に、少しだけその成分が入っている記載があった。)
町にいけば、あ、この人目が真っ赤!やってるな!そう感じる人たちがそこらじゅうに。ネパール、、、衝撃的でした。
カトマンズに10日間程滞在し、ネパール航空香港行きの航空券(たしか5万円程)を購入し、香港へ。
2度目はブータン旅行の帰路にて訪問。ブータンのプンツォリンから出国しインドへ。そのままバスにてネパール国境まで。で、東側の国境を越え、カトマンズ行きのバスに乗車。まだ休みもあったし、久しぶりのネパールがどう変わったか見たかったのだ。VISAは国境で取得。3日しか滞在しないので、3日間トランジットVISAで。これなら無料。
ただ、この東側からカトマンズに向かうルートは検問だらけだった。ちょうどネパール王国が混乱している時期(マオイストたちがあちこちで反乱を起こしていた)で、あちこちに道路を封鎖する検問所が設置されていた。それでも久しぶりに食べたダルバート(ネパールの定食)に、オー、これこれ!ネパールでよく食べてた1番安い定食!、、、懐かしかった。で、カトマンズに到着。あのクマリの館があるダルバール広場へタクシーで向かい、モモを食べ、昔を懐かしんできた。そしてそのままインド国境へバスで向かった。カトマンズ滞在はわずか3時間程、それでも行きたかったのだ。
ネパール、、自分にとっては若かりし頃の思い出の地。もうあの当時のネパール王国ではなくネパール国に変貌はしましたが、、、。ネパールカレーのお店に行って、当時を思い出してるのです。「30年程前にも行きました。」お店の人はびっくりします。店員さんも生まれてない時のネパール。そりゃ驚きますよね。
といいながら、ネパールはカトマンズしかじっくり滞在はしていないんです。「今度はポカラに行って来ますね」と店の人に言うものの、タイ、ミャンマーからインド、ネパール仏教聖地横断の旅はまだまだ先かも。ミャンマーとインド国境は1度は開かれたのに、、、。
色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 1988年04月
-
投稿日 2023年12月10日
総合評価:2.5
色塗り投稿です。
グアテマラには1度だけ訪問。2008冬の中米縦断旅行で。ベリーズからバスを乗り継ぎフローレスへ。ここは世界遺産ティカル遺跡の町。ティカル遺跡はいいところだったなあと今は思い出される。雰囲気はカンボジアのアンコール・ワット遺跡に近いかも。あちこちに遺跡は点在し、こんな森の中に1大文明が存在してたのかという気にさせてくれる。今は遺跡に登ることはできなくなったようだが、当時は自由に登れ、辺り1面が見渡せた。
ティカル遺跡観光後はキリグア遺跡を訪れる予定だったが、バスターミナルで尋ねると、キリグア行きのバスはなく、グアテマラシティ行きのバスに乗り、途中で降ろしてもらえとのこと。料金はグァテマラシティまでと一緒だという。半分くらいの道程で同じ料金とは、、、。けちってしまったが、今では後悔。行っておけばよかった。、、、若い時はけちってしまいがち。けちって失敗したことが何度この後あったことか、、、。
ということで、キリグア遺跡は見ずに素通り。グアテマラシティへ。ただし、ベリーズシティでの経験で首都はできるだけ避けておくことを学んだので、着いて即、世界遺産アンティグアへ向かう。
アンティグアは治安は問題なし。さすがツーリストやスペイン語学習者が訪れる町。ゆったりと観光できた。
という感じで、グアテマラには2ヶ所ほどしか訪れていない。メキシコやエルサルバドルとは違い、グアテマラはケツァル語を話す現地民の方が多い国。見所もたくさんあるし、もう一度ゆっくり見てみたい国ですね。
色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2008年01月
-
投稿日 2023年12月10日
総合評価:1.0
色塗り投稿です。
リヒテンシュタインには1度だけ訪問。たしか2005夏の中欧横断旅行で。オーストリアを列車で駆け抜け、フェルトキルヒで降車。そこからファドーツまでバスにてリヒテンシュタイン入国。パスポートチェックがバスの中で行われた。全て終わると係員、無線で連絡。、、、ジャップが1人!、、、英語がわからないとでも思ってるのか、ジャップ。
、、、ジャップにはジャパニーズの略として普通に使われてる場合と、差別的な意味を含めて使われることもあるそうだ。、、、残念ながらあまりいい感じの入国ではなかった。
ファドーツでは切手博物館等巡り、公宮殿も見ようと思ってたのだが、遥か山の上に公宮殿はあった。見学できるのかわからない(どうなんでしょう?)ので、リヒテンシュタイン入国スタンプを購入し、そのままてくてく列車駅のあるシャーン駅まで。ホテルに泊まりゆっくり観光したいのだが、ここには安ホステルはないようなので、途中のホテルやペンションを横目にすたすた。で、シャーン駅からスイスブッフスへ。数時間の滞在でした。
色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2005年08月
-
モンゴルでの思い出
投稿日 2023年04月14日
総合評価:5.0
4トラ色塗り投稿です。
モンゴルへは1度だけ。当時はロシアはもちろん、モンゴルもバウチャー旅行が主流だった。ロシアはバウチャー旅行でも、隣国モンゴルなら自由旅行ができるのでは?そうもくろみ、試してみたのだ。予想は的中。ウランウデの国営旅行社でモンゴルVISA50ドルが取得でき、そしてスフバートルまでの国際列車チケットも無事購入できた。
ウランウデでは地元の方の家に誘われ、ついついロシア出国予定より1日滞在が延びてしまった。ロシア出国時、係官にVISA(当時は別紙)を見せるものの、やはり見つかってしまう。VISAが切れてるじゃないか!あまりの大声にびびってしまった。警察行き?最悪な状況が頭の中を駆け巡る、、いったいどうなるの?
係官は静かに言った。じゃあ、罰金ね!、、、3000円程だったかな?忘れちゃったが、罰金ですんだ。ロシアの係官びびらせやがった!
モンゴル行き国際列車では、もう1人の日本人、そしてイタリア人カップルが同室だった。3人ともバウチャー旅行でウランバートルまで向かう。国境の町スフバートルで降りるのは自分だけ。こんな所で降りてどうするの?心配してくれるが、アルタンボラク国境が見たかったのだ。すぐに駅中のホテルをとると、なんと一泊2ドル。相部屋だったが破格のお値段。宿の値段をツタエルと3人とも驚いていた。じゃあ、ウランバートルでまたお会いしましょう!そういって別れたが、その後大変な事態となった。
ホテル相部屋となったもう一人の方はモンゴルの方。意志疎通は難しいが、2人で夜の蚊退治をすると意気投合した。(新聞紙を丸めて天井に止まっている蚊をやっつける。)次の日、アルタンボラク国境にバスで行き、戻ってくると、彼が大変な事態となったことを身振り手振りで教えてくれた。首を切る仕草を何度もしてくるが、??意味がさっぱりわからず。英語を話せる彼の親戚の女性が言うには、スフバートルとウランバートルとの間の町で疫病が発生し、通行止めとなったとのこと。列車もダメだとのこと。解除されるのもいつになるかわからないと!なんと!このままでは帰れない!仕事に間に合わない!どうする?
本当なのか、まず駅に確かめに行った。すると、国際列車は走ってるが、スフバートルからの乗車はダメだとのことだった、、、。ここから悪戦苦闘が始まる。1日たち、2日たち、3日たち、、、状況は変わらない。駅の周辺にはウランバートルへ行けない人々が大勢野宿を始めていた。このままじゃ帰国できない!何とかならないか!彼の親戚の女性に助けを求めた。、、、助けてくれる現地の方々が町の有力者へ陳情に向かう。あっちに行ったりこっちに行ったり、、いったい何件回っただろう?言葉はわからないので、ただただ様子を見るだけだが、、。結局、5日目で何とか外国人だけ、国際列車乗車が許可された。現地の方々はウランバートルへは行けない。夕方、大勢の現地の方々の見送りの元(5日もいると顔見知りとなる)、国際列車に乗車。自分ともう1人ロシアの方だけが乗車できた。バイルラー!バイルター!大勢の方々とさよならした。列車で大勢の方々に見送られたのはこの時限り。
ウランバートルでは全く観光できず、すぐに中国行きの列車に乗ることとなったが、良き思い出となりました。(後で調べてみると、この時の疫病はコレラではないかと、、、。)- 旅行時期
- 1997年08月
-
投稿日 2023年12月09日
総合評価:3.0
色塗り投稿です。
オランダ訪問は1度(ガーナへのトランジットを含めると2度)だけ。
スイス鉄道旅行の後、ベネルクスのレイルパスを使ってスイスチューリッヒから夜行列車でオランダアムステルダムへ。オランダはヨーロッパの中では異質な世界。国土はオランダ人が作ったといってもいいほど、海を堤防でせき止め、低地を干拓して形成された。中学社会で習ったようだが、その記憶はなかった。が、大人になりその事実を知ったら興味がわいてきた。日本とも江戸時代からの交流がある。ポルトガル、スペイン、そしてオランダ、イギリス、フランス、、、一時期は世界を席巻さえした海洋国家。
オランダと聞いて自分が思い付いたのは、シーボルト、ゴッホ、チューリップ、風車、コーヒーショップ、飾り窓、、、。これらを見に行く。
・アムステルダムでは、宮殿、ゴッホミュージアム、飾り窓、そしてコーヒーショップを覗く。ここオランダではマリファナがコーヒーショップで売られている。実際、町には至る所にコーヒーショップがあった。日本で何か問題が起きるのがいやなので店には入らなかったが、マリファナは合法とされているのがオランダだ。昨今、この流れが世界に広まっているらしいということをエジプトで出会ったOさんから聞いた。日本人も昔は大麻の国だったのに、、、Oさんは語っていたが、、、。ちなみに自分、若かりし頃、ネパールで初めて経験した。宿で育ててる日本人もいた、、、。
・有名な飾り窓も見に行ってみた。遠目で見ていたが、、、そんなにすごい所ではないような、、、。韓国の588の方がすごかった!でも588も今では昔話。韓国に憧れをもって訪韓する日本人女性たち。588の現実を見たらどう思ったんだろうか?
・ライデンのシーボルト博物館に行ってみた。幕末ごろに長崎で活躍していたシーボルト。帰国時に日本のありとあらゆるものを持ち帰ったという。たしか今では絶滅したニホンオオカミの剥製をここで見た記憶が。違ったか?
・風車を見にキンデルダイクへ。オランダと言えば風車、チューリップ、、、絶対ここははずせない。帰りにもオランダを見た。たまたまここから出ているフェリーを見つけ、ロッテルダムまで乗船。乗り込んでくる方が、ヘルメットを被った自転車ツーリスト。ここでは普通のことだった。当時そんな人を日本で見かけたことはなかったので新鮮だった。フェリーから自転車で颯爽と降りる姿がかっこよかった。
・で、一番記憶にあるのがアムステルダムで、泊まったホステル。当時は地球の歩き方で宿を決めていた。寝れればいいだけなので、当然安ホステル。ベッドはありますか?従業員にまず尋ねたら、ない!とのことだった。仕方がないので、その場で歩き方を開き別のホステルをさがしてたら、、、。ベッドはある!とさっきの方が。???さっきはないと言ってたのに何で?
推測するに、、、自分の見た目かと。日本人には見られない自分。彼は中東かどこか貧しいの国の人と思ったのかもしれない。リュック1つのバックパッカーならなおさら。でも、ガイドブックを取り出し、地球の歩き方を見ている、、、日本人なのかと思ったのかもしれない。日本人にならベッドはある、、、。アジア人への人種差別?
オランダはインドネシアを植民地としていた。当時のオランダ植民地支配の実態は知らないが、現地民への差別は相当あったと思う。インドネシアの植民地支配を終わらせたのが日本だった。子供の時は、太平洋戦争は日本が侵略を目的に進めた戦争と習い、インドネシアにも攻めこんでいった事実を知ると、何て日本は悪い国なんだと思ったことさえあった。インドネシア人を殺害し、、、。
でも違った。事実はインドネシアを植民地にして支配していたオランダ人と戦っていたのだ。追い出されたオランダは日本が戦争に負けると再びインドネシアを植民地にしようと戻ってくる。そこで立ち上がったのがインドネシア独立戦争だった。旧日本兵も現地民の抵抗を支援したという。そして1949年、インドネシアは独立を達成。日本人のデビ夫人が何でスカルノ大統領夫人だったのかという疑問も納得がいく。
※当時、オランダは反日国家だった。天皇陛下がオランダを戦後初めて訪れたとき、事件が起こったという。唯一と言っていいほど広大な植民地を日本はオランダから奪ったのだ。そういった感情をオランダ国民は持たれたのかもしれない。
という感じで、ヨーロッパに行って初めて人種差別を考えさせられた旅行地となりました。植民地、人種差別はダメだという考えに世界がなってからまだ100年もたってないんですよね。今ならそんなこと当たり前じゃないかと思ってしまいますが、人間、そう簡単には変われないものですよね。
色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2003年08月
-
投稿日 2023年12月09日
総合評価:2.0
色塗り投稿です。
ルクセンブルクには1度だけ訪問。ベルギーブリュッセルから列車に乗って到着。たいした思い出はないが、公宮殿を見学後、世界遺産の町を散策。ホテルは歩き方の載っていた一番安いホテルに。イタリア料理店の2階が宿泊できる場所。いい匂いが漂っていた。朝食つきだったのだが、翌日は早朝に出発しなければ帰国便に間に合わない。フランクフルトからの大韓航空で千歳まで。朝食は何時から?一応聞いてみたが、残念!そんな感じのルクセンブルク滞在だった。
ちなみになぜ早朝出発したかと言えば、フランクフルトへの通り道にドイツの世界遺産トリアーともうひとつケルンの大聖堂を見たかったので。途中下車しながらてくてく訪れた。昼に無事フランクフルト到着。帰国便に間に合った。
色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2003年08月
-
投稿日 2023年12月04日
総合評価:1.5
色塗り投稿です。
ホンジュラスには1度だけ訪問。2008冬中米縦断の旅で。エルサルバドルからエル・ポイ国境を通りバスでコパンまで。ホンジュラスに入り、初めて驚いたことがオレンジ。バスが休憩した所ででオレンジが売られていた。このオレンジ、どうやって売られているかと言えば、手回しの皮剥き機でくるくるくるくる、、、。あらら、あっという間に固い皮はなくなった。そして、上部をカット!こうしてこちらでいうオレンジジュースの完成。あとは押して上部からオレンジの果汁を飲む。そして残りカスはその辺にポイ!これがこちら流のオレンジの飲み方らしい。
ガーナでは皮は剥かないけど上部をカットして、同じように果汁を飲む。どうやらこれが世界での一般的なオレンジの飲み方のようです。ちょっと驚いてしまった、、、。
コパンに到着すると、すぐさま客引きが、、、。ここコパンではプライベートルームを貸し出す家が多く、宿に困らない。ついて行くと、日本円で1泊900円程で1部屋借りることができた。英語は全く通じないが、綺麗な部屋で、この旅行の中では一番コストパフォーマンスが高かったと記憶している。
で、翌朝早速世界遺産コパン遺跡観光。グアテマラのティカル遺跡には負けるが、それでも見処多い遺跡だった。
コパンからはバスで首都テグシガルパへ。本当は中米諸国の首都はできるだけ避けようと思ってたけど、次のニカラグアへ行くために避けられなかった。仕方がなく、歩き方を頼りにある程度のホテルに宿泊(セキュリティが高いだろうと思って)。が、残念。なんだこれは!と思う程薄汚れたホテルだった。これで5000円も取るのか!というぐらい。町も薄汚い感じだった。中米諸国の首都の中ではたぶん一番活気のない首都に感じた。町歩きも早々にけりを付け、翌朝ニカラグアへと向かった。
ということで、ホンジュラスのおすすめはコパン遺跡。ここだけは見ておいてよかった。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2009年01月
-
投稿日 2023年12月02日
総合評価:2.0
色塗り投稿です。
ケニアには1度だけ訪問。エチオピア旅行のあと、アジスアベバからバスで南下。アジスアベバで歯磨きスリに遇い、スマホをとられたので、地球の歩き方東アフリカ編がたよりだった。ただ、歩き方には、このルートは危険、とのことで情報はなし。
陸路は危険、、、本当にそうなのかな?といつも疑問に思ってしまう。
JICAでは何か出張があり地方都市に行く場合、隊員は航空機では行けない。(行ってもいいが旅費は出ないので自分持ち。)バスで行くことになる。但し、専門員、職員は航空機での出張となる。(安全上とのことで)
知っていた専門員が現地で強盗にあった。出張のおり、空港から町へ向かうタクシーに乗車したところ、ドライバーが強盗に豹変してしまったというのだ。ガーナでよく草刈りに使う大きななたを持ち出し、金銭を要求してきたという。、、、ガーナではトロトロという現地のミニバス、それから長距離の大型バスでしか交通手段がなかった自分。1度もそんな目にはあわなかった。当然、航空機に乗る人はお金持ちだと見られる。安いトロトロに乗る人は庶民だと思われる。航空機の移動は安全?だとは自分は思わない。
アジスアベバからケニア国境行きの直通バスはない。とりあえず地図を頼りに途中の町へ向かう早朝バスに乗車。そこで行けるところまでミニバスに乗り換え向かった。たしかヤベロという町まで。そこでホテルに1泊し、次の日、ミニバスで国境の町モヤレまで。この町、エチオピア側とケニア側に2分されていた。スマホがないので道がわからず歩くことはできなかったので、バイクタクシーでケニア側へ向かった。エチオピア出国スタンプも押さず、ケニア入国管理事務所へ。え、いいのか?エチオピアを出国しなくてもいいのか?運ちゃんは問題なしというが、、、。で、VISAを購入。3ヶ国VISAもあるけど、今回はケニアのみ。VISA代50ドル払ってケニア入国。確かにエチオピア出国せずとも問題なしだった。
モヤレからはナイロビ直通のバスがたくさん走っていた。昼2時30分発のバスで行くことに。バス代は2200円程。で、翌朝5時頃にナイロビ着。当時、あまりナイロビの治安は良くないとのことで、明るくなるまでバスで待機。他の乗客もバスの中で寝ていた。
アジスアベバからは2泊3日でナイロビ到着。陸路は危険、との歩き方情報。こんなもんですよね。昔はこのルート、悪路をトラックの荷台で走破という感じで、大変だったようですが、現在は道もそんなにひどくはなかったし、夜行バスが頻発している、そんなふうに変わっていました。
ケニアでの思い出は、、、。
・ナイロビの到着した所がスマホなしなので全くわからず。で、近くにあったホテルに駆け込み宿泊。3000円ぐらいだったかな?
・ケニアシリングを入手しなくてはならず(国境でエチオピアブルからケニアシリングに両替した分が底をついてしまったので)、銀行に行くと、窓口担当者、ここで替えないで近くの両替所に行きなさいと、紙に両替所の名前を、、。確かに銀行のレートより全然両替所の方がよかった。ケニアでもブラックマーケットが存在している。(エチオピアブルも闇両替の方が全然レートはいい)
・治安は良くないという情報で行動してたが、そんなんでもなかったかもしれない。どこにいるのかさえわからないが、町をぶらぶらしても危険な目には遇わなかった。
・ナイロビでの飯。どんなものが食えるのか、全くわからず入った地元のレストラン。一番高いメニューを頼んでみた。(1000円程)そしたら、ホイルに包まれたお肉がドーンと、、、。こんなに食えるか?と思ったが、うまかったので完食!
・モヤレの町では地元民の定食屋へ。プレートには豆が、、、。日本人はあまり豆そのものを食べないが、ここは豆の存在感が増している。で食べてたら、地元の小学生にハロー!と。西洋人に間違われたかな?
・ガーナとは同じイギリスの植民地だったが、食い物は違った。隣国エチオピアとも違う。まあ、2日程しか滞在してないのでよくわかりませんが、、、。
・帰りはホテルでタクシーを手配してもらい、空港まで。2000円程でした。
東アフリカへの足がかりとして、ケニアを訪問したわけですが、それほど危険ではないなという感じを受けました。次行くときは、ケニアでサファリ、ウガンダでゴリラ、ルワンダで「ホテルルワンダ」、ブルンジで???そしてタンザニアで再度サファリ、、、お金がけっこうかかりそうです、、、。
色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2019年01月
-
投稿日 2023年12月02日
総合評価:2.0
色塗り投稿です。
エルサルバドルには1度だけ訪問。たしか2008冬メキシコからパナマまでの中米縦断の旅で。青年海外協力隊のガーナ派遣が決まり、その前に中米を訪れておきたかったのだ。(アパートの2階に以前ホンジュラスに派遣された女性の方がたまたま住んでまして、その方から中米のお話を少し聞いていたのです。)VISAも不要で、グアテマラからいつ国境を越えたのかわからないほど、ノーチェックで入国。
グアテマラシティからのバスに揺られ、無事サンサルバドル到着。バスで一緒になった女性とちょっとだけ仲良くなれたので淡い期待があったが、サンサルバドルのバスターミナルに到着すると彼氏が待っていた、、、。
ここに来たのは、隣国ホンジュラスへ向かうため、それからせっかくなら見てみたいとの好奇心から。
サンサルバドル、、、危険な匂いが立ち込めていた。店屋には必ずバーグラー(窓からの侵入を防ぐための鉄の柵)が取り付けられていた。ちょっとした店ならライフル銃を肩に担いだガードマンも。昔のフィリピンマニラと同じだった。ここは危ないな、、、エルサルバドル散策はホテル周辺だけにして、警戒を怠らないように気をつけて散策した。
驚いたのは物価の安さ。エルサルバドルには以前自国の通貨があったが、このときは既に米ドルに切り替え。地元のレストランに入って食事をしたけど(バイキングみたいな作り置きの料理の中から選んでお会計)、安い!小さな国ながら人口は多いこの国(600万人程)。食料には困らないのかもしれない。
せっかくなのでエルサルバドル唯一の世界遺産ホヤ・デ・セレンの考古遺跡をバスで見に行って見た。火山の噴火で埋もれてしまったという遺跡。残念ながら今まで行った世界遺産のなかでは一番ショボいものだった。30分?(もっと短いかも)程で見学は終了。
サンサルバドルからはホンジュラスのコパン遺跡を訪れるため、ホンジュラスとの国境エル・ポイ行きのローカルバスで。バスターミナルに行くバスに乗ったものの、どこで降りればいいのかわからず、、、。最終地点まで行ったら、バスターミナルは通り過ぎていた、、、でもドライバーさん、気遣ってくれ、折り返すまでそのまま乗ってていいよ、と。無事東バスターミナルに到着。(時が経つと忘れるものですが、こういう親切は忘れないものですね)
で、国境を越え、ホンジュラス世界遺産の村コパンにたどり着いた。
2泊3日エルサルバドルの旅でした。あれから15年程、、、マニラも安全?になってきたし、サンサルバドルも変わったかな?どうでしょう?
色塗り投稿でした。
- 旅行時期
- 2008年01月
-
投稿日 2023年11月26日
総合評価:4.0
色塗り投稿です。
イタリアには4度程訪問。イタリアはいいですね。ヨーロッパ各国で一番好きかも。
1度目は東欧・スイス・ベネルクス列車の旅で。スイスの有名な鉄道ベルニナ急行に乗りたく、イタリアティラーノまでやって来た。そこからまた戻るのも何だし、そのままイタリア国鉄に乗り換え、ミラノまで。この列車にはちょっとびっくり。車体には落書きだらけ。中もけして綺麗ではなかった。イタリアの列車ってこんなものなのかと思ってしまった。で、ほんのちょっとだけミラノの町を見てスイスに戻った。この時の旅行ではドイツ・スイス・ベネルクスのユーレイルパスだったので。駅でスイスに行きたい、スイスのパスは持ってると言うと、ミラノからコモまでの乗車券を買わされた。
2度目はバルカン半島縦断の旅で。ローマの空港から急行列車でテルミニ駅に向かい、そのままリミニ行きの列車に乗る予定だった。が、リミニに行く列車は運休していた。仕方がないので、テルミニ駅周辺のホテルを探し、そこに1泊。翌朝アンコナへ向かう列車に乗車。アンコナへは昼過ぎに到着。ギリシャへ渡るフェリー乗り場を探し回り何とか乗船。ギリシャイグノメンツィアへ。(フェリーは日本で予約していた)
スロベニアリュブリナからの夜行列車でイタリアベネチアまで来る予定だったが、寝過ごしてしまい、、、別ルートでイタリアへ。スロベニアとイタリアの国境の町、ノヴァ・ゴリツァまで。ここはスロベニアのノバゴリツィア駅とイタリアのノバゴリツィア駅がある本当に2分されてる町。当時はまだアプリマップスミーも知らなく、人に聞きながらイタリア側の駅を探す。エクスキューズミー!歩いていた女性に駅へ行く道を尋ねると、私についてきて、!と。日本だけじゃなかった。イタリア人も優しい、親切だった!(アイスランドでもなかなか止まってくれないヒッチハイクで、止まって乗せてくれた方はやっぱりイタリア人旅行者だった。)
で、ローカル列車でベネチアに到着できたわけですが、、、やらかしてしまいました。予約してたホステルに行くと、、、あなたの予約は昨日よ!、、、え!調べたら本当だった。1日間違えて予約していたのだ。ベネチアでホテル予約は必須。この有名な観光地でホテル予約しないと絶対寝れない。最悪野宿。頭に不安がよぎる、、、。でもスタッフさん、親切にも空いているホステルを探してくれた。ふー!イタリア人は優しいですね。
こうしてベネチア(この旅でドブロブニクとベネチアが一番行きたかった所)を満喫できた。今までいろんな世界遺産を見てきましたが、1番は?と言われればベネチアと答えています。何と言えばいいかわかりませんが、町全体が芸術作品、、そんな感じでしょうか。素晴らしい所でした。
で、綺麗な列車でローマへ。(本当はミラノ経由で前回の旅行と接続する予定でしたが、乗り遅れてしまい、まっすぐ向かいました。)ローマでは、もちろんバチカン観光メインに色々散策。帰国の途につきました。
3度目は2018夏の東欧縦断の旅で。ローマからリトアニアビリュニュスまでのウクライナ航空に乗るまでの時間がもったいなく、エイ、サンマリノまで行っちゃえ!と。バチカンを見て、マルタ騎士団の関連施設を見て、ついでに映画「ローマの休日」のスペイン広場や手を突っ込む所等々巡り、夜の列車でリミニまで。
そして今回、、、列車でモナコへ抜けるため、スイスからミラノを通ってベントミンツィアまで、、、ただただ通り抜けただけだが、、、
ということで、イタリアはいいところです。飯もパスタにピザ!全く困りません。カプチーノにエスプレッソ、コーヒー好きの自分には最高な場所です。
次行くときは、ローマから南に向かい、フェリーでマルタ共和国、チュニジアかな。行きたい所がいっぱいあるので、どの順で行くか検討中です。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2018年07月
-
投稿日 2023年11月27日
総合評価:2.0
色塗り投稿です。
デンマークには2度程訪問。1度目はまだまだ若かりし頃の北欧周遊の旅で。本当はフランクフルトINモスクワOUTの東欧周遊の予定だったのだが、千歳空港の書店で地球の歩き方東欧編が見つからず、仕方なく北欧編を購入。急遽物価の高い北欧旅行へ。実はこれが初ヨーロッパ旅行。
フランクフルト空港駅でスカンレイルパスを購入。初の英語での実践。自分の英語がヨーロッパ人に通じるか緊張してたけど、、、ドイツ人の駅員さんの英語を聞いて、、、なーんだ、こんなもんか、と安心。俺と同じレベルかと。で、フランクフルト空港駅からまっすぐコペンハーゲンまでの国際列車に乗車。この国際列車、今じゃ陸づたいの別ルートを通るようだが、以前は島伝いに向かうルートだった。列車がフェリーに直接乗り込む形。列車から降りて、へー、と不思議に思ったことだけは覚えている。
で、コペンハーゲンに到着。当時はネットなんてものはなく、歩き方にある安いホテルに直接行き部屋があるか?と訪ね回る、そんな旅行だった。幸い、中心地周辺のホテルに泊まれはしたが、たしか1泊7000円程したと記憶している。で、思い出に残ってるのは、このホテルで怒られたこと。洗濯をし、さて干そうかとハンガーを探すが、この部屋には1つもなかった。??で、仕方がないので、傘で被われているスタンド照明に洗濯ものを掛け干していた。前の客もここに掛けていた痕跡があったので。すると、ホテルスタッフ、なにやら点検しに来たのか、コンコンとノック。?何?とドアを開けると、その洗濯物を見て激怒!こら!そんな所に掛けるな!スタンドが色褪せてしまうじゃないか!、、(よくはわからないが、そんなことを言ってた気がする、、照明スタンドを指差してたんで。)全くジャップは!
泊まり客に、、、。ハンガーが置いてあればこんな所に掛けないんだが、、、。
推測するに、以前ハンガーを盗まれたんじゃなかろうか。あのc国のアジア人に。日本でも昔よくあった。ホテルの備品を勝手に持っていく、、。で、ハンガーは置かなくなった、、が、今度は照明スタンドに洗濯物を掛けていく、、、で、毎回チェックしに来るようになった、、、。
初のヨーロッパ、いやーなホテル滞在となりました。
デンマークではコペンハーゲン散策と列車でヘルシンゲルに向かい、世界遺産クロンボー城を見学。そして船に乗り対岸のスウェーデンヘルシンボリへ。
2度目は2022夏のグリーンランド、アイスランド旅行でのトランジットでコペンハーゲンへ。昔を思い出そうと色々歩き回ったが、思い出せず。唯一、チボリ公園とレゴランド、人魚像だけは思い出せた。そういえばここ見たよな程度だった。そしてホステルでトコジラミにやられた。2泊予約してたが、2泊目はやめ、ヒアツハルス(アイスランドへ行くフェリーが出港する町)に向かうため、駅で朝3時発の列車を待っていた。あとからブッキングコムから問い合わせのmailが届いた。なぜ宿泊をしなかったか?と。正直にトコジラミにやられた旨を書いて送付した。キャンセル料は取られなかった。
というような感じのデンマーク(本国)旅行でした。やっぱり物価は高かったです。飯は中華料理のレストランで食べ安くすませましたが、デンマーク北部のヒヤツハルスまでの列車代は10000円。普通列車で4回も乗り換え、そんなに遠くもないのになあ。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2022年08月
-
投稿日 2023年11月26日
総合評価:2.0
ついでにバチカンの色塗り投稿です。
バチカンには2度訪問。
1度目は、バルカン半島縦断の旅の帰路、ローマに宿泊。さあ、明日はバチカンに行くぞ!と楽しみにしてたのに、泊ったホテルでやられた。泊ったホテル、不思議な部屋で、玄関?そして部屋と2つの扉を開いて部屋へ入る。で、特に鍵をかけて寝るわけでもない自分。横になって休んでると、玄関?の方から中国語の声が、、、。なんだか部屋を間違えて入って来たようで、すぐにいなくなったが、、、。朝、さあバチカンだ!と出発しようとしたら、、、ない!最新版の地球の歩き方イタリア編がない!玄関?に置いといたはずが、、、。やられました。持っていくなよ!中国人!、、仕方なくローマの地図を町で購入し、バチカンの広場までてくてく行きました。大勢の観光客に雑ざってバチカン観光、、、無料!
2度目は、、、東欧縦断の旅でのトランジットで。バチカン、よく調べたら博物館へ行ける道もある、、、。前回はガイドブックを盗まれてしまったので、広場だけしか知らなかったが、もう1つ博物館へ行けるじゃないですか。さっそく日本で入場券を購入し予約した。このときはマップスミーもあるし、近づくに連れバチカン博物館目当ての歩行者もたくさんいたので迷わず行けた。でも、この道、なにやら声をかけてくる輩が多い。ダフ屋?詐欺?よくわからないが、旅行者目当てに一儲けしようとする輩なのかも。まあ無事バチカン博物館入場。キリスト教徒ではないが、聖なる場所を訪れることができました。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2018年07月
-
投稿日 2023年11月25日
総合評価:2.0
色塗り投稿です。
ギリシャには2度ほど訪問。
1度目は2014夏、旧ユーゴスラビア諸国周遊の旅で。イタリアアンコナからのフェリーでギリシャイグノメンツィアに入港。甲板2等で4000円ほどだった記憶がある。アンコナ夕方発、朝方イグノメンツィア着。このフェリーでは初めてアフガニスタンの方とお近づきになれた。イタリアからギリシャに向かうアフガニスタンの方。何でここに来てるのかは聞かなかったが、自分と同じ1人旅。風貌もどことなく似ているので親近感を持たれたのかも。甲板で一緒に寝袋野宿。夜空は綺麗だった。で、自分はイグノメンツィアにて下船。彼はそのままアテネに向かうらしい。ここで下船したのは対岸のケルキラ島に渡るため。ケルキラからはアルバニアサランダ行きの高速船が出ているのだ。イグノメンツィアからはすぐにケルキラ行きの船に乗り換える。桟橋は違うがすぐに見つけられた。せっかくなので初ギリシャ、世界遺産のケルキラに1泊して散策し、次の日アルバニアへ向かった。
2度目は2018夏、東欧縦断の旅で。ブルガリアの思い出の続き、、、。ソフィアから国際列車でテッサロニキまで。ここからまっすぐ夜行列車に乗って首都アテネに向かった。(満席だと困るので、日本からネットで座席を予約していった。)
で、世界遺産アテネ散策。次の日には列車で空港へ行き、格安航空でローマまで。そのまま空港内でチェックインし、キャセイパシフィック航空で帰国の途についた。
予算は、、、千歳ーローマ往復の航空券(12万円程)、ローマからリトアニアへのウクライナ航空(3万円程)、そしてアテネーローマの格安航空券(5000円程)で東欧縦断の旅を終えた。ビルニュスからアテネまでずっと列車で移動してたわけだが、列車の交通費は3万円くらいか?東欧の列車代はそんなに高くないので、経済的にも列車旅おすすめです。(列車が好きな方は特に!)
色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2018年08月
-
投稿日 2023年11月24日
総合評価:1.0
色塗り投稿です。
ブルガリアは1度だけ訪問。2018夏の東欧縦断の旅で。ルーマニアの思い出の続き、、、。
ルーマニアブカレストとブルガリアソフィア、、繋ぐ国際列車は、スペインとポルトガルのごとくあまりない。隣国同士はあまり仲良くなく接続が悪いのかもしれない。当時は1日1本?。遠回りとなる列車もあるにはあったが、一番近い国境のルセを通ってソフィアへ向かう列車は当時昼の1本のみだった。
この列車に乗ってブルガリアに到着したわけだが、ブルガリアの印象は、、、人が少ない、、、。列車からの風景は殺風景。遠く離れた小さな町をしばしば通過するのだが、それ以外は人など見かけもしない原野ばかり、、。
で、夜にソフィア中央駅に到着。今夜のホステルまでてくてく歩いて向かったが、ここでこの旅行はじめての職務質問を警官から受ける。パスポートを見せ、問題なく解放されはしたが、、、。そんなに夜遅いわけでもないが、人通りも少なく、歩いている人もあまりいない。だから怪しく思われたのかもしれない。大通りに入るとレストラン街のようで賑やかになってはきたが、、、。
2日目は世界遺産のリラの修道院にバスで行く。ブルガリアと言えば自分はヨーグルトしか思い付かない。事前に調べたらこのリラの修道院が有名なようで、日程の少ないブルガリアではここだけに絞った。ツアーで行く方法もあるようだが、普通に公共バスで行けるのでこの方法で。幸いホステル近くにトラムが走っていてバスターミナルまでも簡単に行けた。(トラムの近くのキオスクで切符を買って待ってると、日本人カップルも、、。なんだかどこで切符を買うのか困ってるようなので、あのキオスクで買えますよ!と日本語で教えてあげたら、驚きの表情、、、まあいつものことだからしょうがない。)実際、このバスには外国人旅行者も多かった。修道院は入場料無料。
で、またその日のうちにバスでソフィアまで戻り、ギリシャテッサロニキ行きの国際列車に乗車。幸いチケットは当日でも買えた。ただしこの列車、直通ではなかった。ギリシャとの国境の町で降ろされ、バスで国境を越え、ギリシャ側の国境駅まで。そこでローカル列車に接続するという国際列車。ギリシャ側の国境駅はホントに小さな駅。列車を待ってる間は何もすることがないので野犬と戯れているしかなかった。店もないし本当に何もない駅。同じような旅行者も暇をもて余していた。
という感じでブルガリアは2日間のみ。リラの修道院とソフィア駅近くの食堂で夕飯とヨーグルトを食べたぐらい、、、ルーマニアの方が見所が多く、今回の旅行ではそちらに費やした感じとなりました。まあ、また行く時もあるでしょう。
※ちなみにこの国際列車、2023タイムテーブルによれば今は走ってないよう。パンデミックの影響で運休状態なのかな?
色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2018年08月



