kasekunさんのクチコミ(10ページ)全225件
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投稿日 2023年09月13日
総合評価:2.5
色塗り投稿です。今日のテーマがニューカレドニアだったので思い出して、、、
ニューカレドニアには1度だけ訪問。戦跡のソロモン諸島訪問がメイン旅行のメラネシア周遊の旅で。たしか2016年冬。
日程
●千歳→香港→ニュージーランド→★ニューカレドニア→バヌアツ→ソロモン諸島→フィジー→ニュージーランド→香港→千歳
・ニューカレドニアには航空機の関係で5日間滞在。ニュージーランドからは片道2万円ほどで行くことができる。これが見たいという目的があった訳ではなく、今も残る太平洋の植民地?みたいな所がどんな所なのか見たかっただけ。
・滞在ホテルを調べてみると軒並み高い!ドミトリーのある安宿なんかなかった。新婚旅行で訪れる観光地、あるわけないよなあと思ってたけど、よくよく調べてみたら、なんと国際ユースホステルが1ヶ所ヌーメアにあった!1泊ドミトリーベッド2000円!さっそくメールで4泊5日を予約。こんなに安く泊まれるならと、レンタカーも借りる。これで島を一周できる!
・海外レンタカーは以前の旅行サイパンでデビュー。初の左ハンドル、さらに安くあげるためマニュアル車で、初めこそ四苦八苦したけど、慣れればこんなに便利な乗り物は他にない。グアム、パラオ、そしてニュージーランドでもレンタカーを借りてまわった。が、ニュージーランドでは初の海外反則金。(80ニュージーランドドル)ニューカレドニアでは捕まらないよう、安全運転に心がけた。
※ゴールド免許保持で、この海外でのスピード違反が次の免許更新に影響するのか少し心配だったが、無事ゴールド免許取得。どうやら海外での違反は影響しないようです。
・ヌーメアでは街中にあったフランス料理店で昼食。こじんまりとした店だったけど、ちゃんとコース料理が、、。ランチは3000円ほどで美味しいフランス料理が食べれた。オーナーシェフはフランス人。後日、ユースホステルでたまたま出会ったら、あれ、あなたは!この前店に来てくれましたね!と覚えていてくれた。
・日曜日、またまたランチに行こうとしたら、日曜はレストランはどこも開いておらず。公園に行ってみると、ここぞとばかりキッチンカーが。仕方なく、ここで弁当を購入したが、1500円も!こんな弁当が1500円。この時はまだ円安ではなかったのに、、、物価の高さを実感!
・何かツアーにでも参加しようかなとも思ったが、、、、やめた。車があるので、ニューカレドニア一周に!けっこう大きな島なので1泊2日(車中泊)で決行。宿で一緒になった日本人に一緒にどうですか?と誘ったのだが、遠慮?され、1人で、、、。
・綺麗な海、、、それがニューカレドニアのイメージなんですが、島の反対側は違った!フランス人が住んでいる所は道路も舗装され、綺麗な景色が続いている。が、反対側カナック人たちが住んでいる所は赤茶けた土、舗装もまだまだ十分ではない。ここはアフリカか?そんな印象さえ持ってしまった。表の顔、裏の顔、、、ニューカレドニア独立を求める動きもここに理由があるのかもしれない。
・夜の道、、危うく崖に転落しそうになった。真っ暗闇の未舗装道に、なんだか少し大きな石が転々と、、。止まってよかった。降りて通れるか確かめに行ったら、そのさきは崖。日本なら、この先通行止めとガードレールで示すはずなのに、ここではただの石。本当に危なかった!
・川があった。橋はかかっておらず、ここから先は船で渡る。夜、ここに着いたのだが、たった1台の車のためだけに、渡し船は運行。車でその船に乗り、渡川後、その船から対岸に上陸。初体験でした。一周道路では1ヶ所だけこんな所がある。
・最終日、以前誘った日本人から、、、何で断ったんでしょうね。後から考えたら遠慮せず行けばよかった!とのこと。では、最後、行きますか!と、ヌーメア近郊の日本人墓地へ2人で。ここニューカレドには戦前、多くの日本人が住んでいたらしい。博物館に行って初めて知った。そこでせっかくならこの日本人墓地に行ってみたいなと思ったのだ。2人で見学後、ホステルに戻り、自分はバヌアツ行きの航空機に乗るため空港へ!、、、
余裕ぶちかましてたのだが失敗!搭乗時刻を過ぎてしまい、飛行機に乗れず。仕方なくその場で明日の航空機を購入(すこしだけ割引あり)。バヌアツ滞在がたった1日となってしまった。レンタカーは返却したので、ホステルまでバスで戻る、、、。ホステルでさっき別れた彼が不思議そうに尋ねてくる。飛行機、乗り遅れちゃいました!幸い、ホステルにも空きがあり、1泊延泊。で、教訓。余裕をもって空港へ行きましょう!
という感じのニューカレドニア滞在となりました。
※ニューカレドニア、ヌーメアの国際ユースホステル
https://aubergesdejeunesse.nc/noumea/?page_id=1012&lang=en- 旅行時期
- 2016年01月
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投稿日 2023年08月15日
総合評価:4.0
マラケシュから夜9時発の夜行寝台で一気にタンジェまで。(当日でもとれますね)最初は冷房もなく、え、これで1夜を過ごすの?と驚きましたが、同室の方が車掌にクレームをつけ、別のコパートメントに。よかった!壊れてただけだった。
で、翌朝、タンジェ駅に到着。さて、どうする?目的地はスペイン領セウタ。世界遺産シャウエンも当初は考えていたが、セウタ観光を優先。セウタ行きは乗り合いタクシーで。どこで乗れるのかわからないので、迷わずタクシー。セウタ行きのガレまでお願い!50ディルハムなり。で、行ってみたら、タンジェ駅よりかなり遠い。マップスミーにも表示がない所に、大きなガレ(バスターミナル)がありました。最近、できたのかも。で、そのターミナル横にやっぱり乗り合いのタクシー乗り場がありました。セウタ!50ディルハム(5ユーロ)でした。で、その乗り合いタクシー、セウタの国境曲がり口で降りる乗客が、、もうちょっとで国境だな、と思ってたら、この乗り合いタクシー、セウタ国境行きではなかった。セウタに近いモロッコ領の町行きだった。、、、その乗り合いタクシーで国境まで行くものだと思ってた自分、失敗しました。で、てくてくてくてく、、、あそこで自分も降りておけば、こんなに(4キロ程)歩かなくてよかったのに。
ということで、タンジェからスペイン領セウタ行きの情報です。国境曲がり口で降りる場合、20ディルハム追加料金が取られるようです。そこで降りた乗客、ドライバーと何か話して20ディルハム払ってましたから、きっとそういうことだと思います。
国境を歩いて渡り、(このときは入国へのマシンが壊れたようで、けっこう人だかり。1時間以上かかりました)
国境を渡り終えたら、後はセウタ中心地行きのバスを待つだけ。ディルハムから一気にユーロの世界へ突入です、、、。
ちなみに1ユーロは約10ディルハムです。
セウタからタンジェ鉄道駅もこの反対のルートだと思いますが、どうでしょうか?
まだアフリカ大陸にいますが、ここはスペイン領メリリャと同様、まぎれもなく、ヨーロッパでした。
※マラケシュ近郊で地震が起こり、2000名ほど亡くなったとのニュースが。先日訪れたばかりなので本当に驚きです。観光客で賑わってたのに、今は混乱状態のようです。何が起こるかわからないものです。早いモロッコの復興を願っています。- 旅行時期
- 2023年08月
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投稿日 2023年08月28日
総合評価:3.0
2023夏の南欧旅行での英領ジブラルタル訪問です。
予定では
●セウタ6時30分発ーフェリーーアルヘシラス8時30分着ーバスーLA LINEA9時15分着
●ジブラルタル観光
●LA LINEA15時45分ーバスーアルヘシラス16時30分
●アルヘシラス発17時04分発ー列車ーグラナダ21時57分着
●グラナダ泊
ジブラルタル滞在6時間の予定だった。だが、寝坊してしまい、朝6時半発のフェリーに乗り遅れ、ジブラルタルに着いたのは12時頃。15時45分発のバスに乗るには滞在3時間程しかなかった。3時間でまわれるか?急ぎ足で回るには、時間が足りなかった。ジブラルタルは見所が多かった!
結局、15時45分発のバスには間に合わず、予約していたグレナダには宿泊できず。(でも、グレナダのホステル、2泊の予定だったけど、1泊の料金だけにしてくれた!良心的なホステルだった!)結局、野宿!アルヘシラスのフェリーターミナルは24時間営業のようで、またまたターミナル前のベンチで寝袋野宿!お仲間もいたので安心できた!
ということで、セウタからジブラルタルを観光し、グレナダに安く向かうには、、、(ジブラルタルで宿泊すればいいのだが、何せ高いので)
①もう少し朝早い便でアルヘシラスに向かい(2時発、4時発のフェリーはある!)、ジブラルタルをゆっくり観光し、15時45分のアルヘシラス行きバスに!これなら21時57分にグレナダに到着できる!(グレナダには安宿がある)
②アルヘシラスのホテル宿泊(あるいは野宿)pを決め込み、ジブラルタルをゆっくり観光。朝6時発の列車でグレナダへ!(アルヘシラスからグレナダへ行く列車(乗り換えあり)は1日2本しかない)
英領ジブラルタルには、国境ごえ、滑走路横断、幻想的な洞窟見学、ロック登頂、お猿さん、ヨーロッパ ポイント (エウローパ岬)
、、見所が実に多い!
ジブラルタル観光の参考に!- 旅行時期
- 2023年08月
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サモアで初めての体験
投稿日 2023年04月01日
総合評価:5.0
4トラ、色塗り投稿です。
まだ若かりし頃の25年程前、日付変更線が気になり、冬に大韓航空でオーストラリア→サモア→トンガ→フィジーと旅した時の出来事です。
サモア、、、残念ながら冬に行ってみると雨ばかり、、そして何もない、、、1週間程の滞在予定で、2日目で、あと5日程何しよう?そんなサモア滞在でした。
が、そんなサモアで人生初体験が2つ。
1つ目。野犬に囲まれた!
小雨が降るなか、アピアの町に何か食い物を探しに行くと、、、野犬が吠えてくる。見た目から、こいつはサモアの人間ではないと感じているのか、どんどんどんどん犬たちが集まってきた。総勢20匹ぐらいだろうか、ワンワン!ではなく、明らかに敵意むき出しの鳴き声。ヤバイ!と思って誰かいないか?と周りを見ても雨の中では誰もいない。
これまでか!海外旅行に来て犬にやられるなんて、、、頭の中で嫌な空想がよぎる、、
でも、人間とは不思議なもので、いざ肝が座ると不思議と勇気が出て来るものだ。こいつが跳びついてきたら、一発顔面に突き、周りの犬たちには回し蹴り、、、黙ってやられるぐらいなら、何発かは返してやる!幸い7年間は武道(空手と少林寺拳法)を習っている。
にらみ合いが始まる。ボスらしき犬とのにらみ合い。こいつが跳びついてきたらきっと戦闘が始まる。来るならきてみろ!
ボス犬は黙ってその場を去っていった。フーッ!
野犬に囲まれたなんて経験、日本じゃ絶対あり得ない。
2つ目。現地の方の家に居候!
アピアでは歩き方にあった安いゲストハウスに宿泊していた。が、雨で何もすることがない。たまたま、昼食を食べに町の飯屋へ行った時だった。隣に座っていた恰幅のいい、50代くらいのいかにもサモア人(顔は優しそうな)という感じの方が話かけてきた。
聞けば、「君がつまらなそうな顔をしてるので話しかけた」という。成り行きで「俺の家に来ないか!トンガに行くまでの間、泊まって行かないか?」そんな話となった。彼はタクシードライバーでたまたまここに昼飯を食いに来たのだった。
渡りに船。「本当にいいの?」「勿論!」すぐにホテルを引き払い、彼の家に向かった。お土産を持って。どうやらそれがサモアのしきたりのようで、食パン2斤を購入した。
彼の家はアピアから離れた村にあった。いかにもサモアの家で、壁のない吹きさらしの伝統建築。そこに奥さんと娘さん、さらに娘さんの娘(バレリアちゃん)がいた。聞けば、娘さん、ニュージーランドに住んでたけど離婚してサモアに戻って来たんだとか。
滞在した5日間は本当に楽しかった。最初はお互い気まずそうな感じだったが、夜になるとそっと蚊帳を作ってくれる娘さん、晩御飯はどうする?気遣ってくれるお母さん。パパさん、ママさん(そう呼んでくれと言われた)、、そして夜になると必ずテレビを見に来る近所の子供たち。(彼の家にはテレビがあった) テレビから流れるサモア語はわからないけど、笑い声につられついつい笑ってしまう。きっと昔の日本もこんな感じだったんだよなあ、そんな和やかな滞在だった。
パパさんがみんなを海に連れてってくれた。サモアにきて天気も少し回復ぎみ。波が強く海水浴というわけには行かないが、海に入ってみんなとじゃれあう。が、自分、岩場に足をぶつけ出血。傷はけっこう深い。家に戻ってからママさんがサモア伝統の塗り薬(薬草?)を作ってくれ、傷口に塗ってくれた。今でもその傷痕を見れば思い出す。
最後の夕飯はお礼に自分が作った。メニューは親子丼。お米、卵、鶏肉、醤油、砂糖を買いに町に行ったのだが、サモアでは当時チキンレッグしかなかった。まずはご飯を炊く。小学校で習う「始めチョロチョロ中パッパ」が役立った。サモアでは火加減無しでガーッと炊くのでご飯は焦げる。手伝ってくれた娘さん、焦げないご飯にびっくりしていた。が、ここで今度は娘さんが怪我。チキンレッグから肉だけ削ぎ落とす作業を手伝ってくれたのだが、包丁で指を切ってしまった。けっこう深い傷。すぐさま近所の家に駆け込み消毒。この消毒、金属を熱しそれを傷口に当てるという衝撃的なもの。見ていて痛々しかった。幸い、出来上がった親子丼はみんな美味しそうに食べてくれたが、、。きっと娘さんも指の傷痕を見るたび思い出してくれていることだろう。
初の海外居候。サモアを訪れる際には、タクシードライバーに居候を頼んで見てはいかがか?ダメ元で。
※そうそう、思い出したので、、、サモアでは生カカオが売られてる。パパさんの家に行く途中、パパさんがビニール袋に入った黒い粘土のような物を買っていた。??何だろう?と思ってたら、カカオ豆を潰した生カカオだった。そのカカオで作ってくれたココア、これが最高においしかった!人生で一番おいしかった飲み物。それ以来、ココア好きに。でも、あの味は日本では再現できない。サモアに行ったら是非試して見てください。絶品です!- 旅行時期
- 1998年01月
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投稿日 2023年08月27日
総合評価:1.0
2023夏の南欧旅行で訪れたガーンジー島。やられました!
ジャージー島を観光後、夜8時のフェリーでもうひとつの英王室領ガーンジー島へ(ここも地域限定?通貨のガーンジーポンドがある)。ホテルは主都のセント・ピーター・ポートでは高いので、町から外れたThe Cabinというホテルに2泊。
次の日はサーク島へフェリーで日帰り旅行。ここは2008年まで領主が統治していた封建社会だった島。交通手段は島にある数台のトラクターのみ。(最近自転車が許可されたらしい)どんなところなのか、島出身の自分にとっては興味津々。行ってみたかったのだ。ここではもう歩いた歩いた。レンタサイクルもあったが、端から端まで歩き続けた。特にこれは!というものはないが、、、観光客は意外に多かった。封建制の歴史、未舗装の道路、限定された交通手段、綺麗な夜空がキャッチフレーズのこの島。何か引き付けられるものがあるようだった。
お昼はホテルの朝食が役立った。ここのホテルの朝食は簡単なパン、コーヒー、果物の他に、朝食メニュー表から選ぶ形式。ガッツリ食ったあとに、知らずに頼んだサンドイッチが出てきた。もう食えなく、テイクアウト、でも、これが昼飯になるとは、、、ラッキーでした。離島の飯屋は高いので、、、。
さて、ガーンジー島に戻り、明日はガーンジー島観光!と思ってたら、メールが、、
。船のスケジュール変更のメール。悪天候のため昼発の船が夜発に。さらに夜になるとまたまたメール。夜の便が出港できず、次の日の朝に変更。で次の日になるとさらに朝ではなく昼発に。さらに当初の予定の行き先ではなく、サン・マロに戻るというスケジュールの大幅変更。残念ながらこれではもうパリ発のモロッコ便に間に合わない。
ということで、ガーンジー島にもう1泊延泊したものの、急遽航空券を取り、パリへ。ガーンジー発アイルランド経由パリ行き。5万円も!いタタタタの出費となりました!ガーンジー島も雨の為、それほど回れず、、、。
夏に船が欠航になるとは、、、パリを観光したく航空機で一気にモロッコ入りの予定をいれたのが間違いでした。
※サーク島へのフェリー時刻表、予約
https://www.sarkshipping.gg/- 旅行時期
- 2023年08月
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投稿日 2023年08月26日
総合評価:3.0
2023夏の南欧旅行でモン・サン・ミッシェルを訪れました。せっかくなので、モン・サン・ミッシェル見学後、バスで近くのサン・マロへ。で、次の日の朝1のコンドールフェリーで、ジャージー島へ。(調べたら、この日が一番日程的によかったので。夜8時、ガーンジー島へ渡るフェリーがあった)ただ、このフェリー、不定期?毎日決まった時刻に出港する訳じゃなく、スケジュールとにらめっこして調整しなければならないので不便。
ジャージー島は英王室領。EUから出国扱いという形となる。通貨もユーロではなくポンド。(マン島同様、ジャージーポンドという地域限定?通貨もある)2012年ロンドンオリンピックのあった年、初めてイギリスを訪れ、ブリティッシュレイルパスであちこち回ってきたが、約10年ぶりの訪問。その時の余ったスコットランドポンド紙幣40ポンドを持っていったが、役立った。スターリングポンドじゃないけど受け取ってくれるかな?との心配もあったが、ここでは使えた。
ジャージー島ではさっそくエリザベス城へ。朝の干潮時にはてくてく歩いて渡れる。水陸両用バスもあるけど、どうせならてくてく、、
。城はまだ開門時間ではなく閉まっていたけど、ここに来れただけでいい。(夜、もう一度行ってみると、やっぱり満潮で渡れなかった。)フランスからたった1時間程の乗船で異国の地。ポンドの世界。
ジャージー牛ミルクで作ったアイスクリームを食べたり、セント・ヘリアの町中を歩いたり、、、。時間があったので、バスでMont Orgueil Castleも見に行ってみた。
たった10時間程のジャージー島滞在でしたが、モン・サン・ミッシェル→(バス)→サン・マロ→(フェリー)→英王室領ジャージー島の観光ルートもありだと思います。
※ただし、サン・マロの宿は、、、。高いので隣町にあったドミトリーのあるホテルにブッキングコムで宿泊予約を入れていた。が、行ってみると、なんと7月12日でホテル廃業との張り紙が、、。結局、この日はフェリーターミナル前のベンチで寝袋野宿。トホホ、、、。
※コンドールフェリーのスケジュール、予約
https://www.condorferries.co.uk/- 旅行時期
- 2023年07月
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投稿日 2023年08月16日
総合評価:2.0
今回の夏の南欧旅行。ガイドブック無しで予習もなく(重いので)またまた行ったものの、スペインの観光地では四苦八苦!
①グラナダのアルハンブラ宮殿
事前予約が必要なんですね。てくてく宿から歩いて到着したら、観光客でいっぱい!ウワー、こりゃだめかな!とあきらめかけました。なぜなら、当日券もネットで予約しなければならないから。ネット、、、(自分はネット接続無しでいつも旅行しているので、、マップスミーとWi-Fiがあればなんとかなるので、、、。)
ダメもとで、入場係員に尋ねてみました。入場券を購入したいんですけど、ネット接続がないんです、、、すると係員、Wi-Fi接続のパスワードを打ってくれ、無事ネットに接続!必死こいてサイトを解読しながら、係員にも助けてもらいながら、なんとか当日券をゲットできました。
②マドリッドの王宮
朝早めに行ったのに、当日券にはもう長蛇の列。1度はその列に並んだものの全然進まない。これは、、、あきらめ、別の所へ、、、。(そこも入場制限があり、大勢時間を待っていたが)で、昼過ぎまた王宮に戻ってくると、あれ、あの長蛇の列は既にない!すんなり当日券をゲット!
朝1ではダメでも、昼過ぎなら並ばなくてもいいのかも?
③バルセロナのサグラダファミリア
はじめから当日券なんか買えないだろうな、買えなかったら外からの眺めで満足しようと思ってました。でも、行ってみると、、、それはそれは観光客でごった返していた。nーWi-Fiは使えないだろうな、、とあきらめ、近くのマックに入った所、そういえばマックのWi-Fiがあるじゃないですか!気づいて即、サグラダファミリアの公式サイトにアクセスし、調べてみたら、あと2つ当日券があった。が、もたもたしてるうちに当日券は売り切れ!次の日はあるようだが、、、旅行会社のも調べてはみたものの、当日券は既に無し!ということで、明日はアンドラへ向かうので諦めた。
外からでもいいか、と思いこむようにしてたけど、やっぱり行ってみると、入りたくなるものですね、、、。
ということで、2勝1敗。スペイン観光はネット予約必須なんですね。でも自分の場合、当日そこにたどり着けるかが難しいので、どうしても当日券、、、。
ポルトガルの観光地はすんなり当日券で行けるのに、、、スペインは別格?なのかな?
それにしても、どこも日本人が少なかった、、、日本人は円安で物価高のヨーロッパに来れなくなってる、、、。寂しい限りです、、、。- 旅行時期
- 2023年08月
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投稿日 2023年08月17日
総合評価:1.0
2023夏の南欧旅行でシンガポールにトランジット。で、そこからジョホールバルに越境。
さて、久しぶりのジョホールバル。3度目です。
①20年程前の兄貴との旅行で、シンガポールから鉄道で、、、日帰りマレーシア旅行で。まだその頃はシンガポール駅がありました。マレー鉄道管轄のこの駅で、たしかシンガポール出国、マレーシア入国ができた記憶がある。違ったかも?
②マレー鉄道(ジャングル鉄道の方)に乗りたく、バンコクから列車でスンガイコーロック、そしてバスでマレーシアコタバルに入り、翌日タクシーで、ワカバル駅、そこからジャングル鉄道に乗りシンガポールまで。(ジョホールバルは通過しただけ)
本当にジャングルを走る列車でした。
③で、今回。まず入って驚いたことは、シンガポールとの物価の差。すぐそこなのに、国が違えばこんなに違うのか!マレーシアの物価が安すぎる!昔と変わらないじゃないか!
シンガポールでは缶コーラを買うのさえちょっと躊躇してしまう。(日本と比べて高いので、、1本300円程)でも、ここジョホールバルでは自販機で缶のペプシコーラが1本1リンギ。30円程。なんだ?この差は?食堂で麺を食えば10リンギ(300円程)シンガポールじゃとうていこの値段では飯は食えない。
まざまざと物価の差を感じてしまった。世界は物価高のヨーロッパ、アメリカ、シンガポール。物価安のマレーシア、エジプト、、、そして日本、、、。2極化してしまったんだろうか?
で、せっかくなので観光しようとてくてくジョホールバル動物園に行ってみたら、クローズされていた。いったい何があったんだろう?コロナのせいかな?張り紙がマレー語だけだったのでわからない。とにかくこの時はクローズされていた。
もし行くときは確認を!
色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2023年08月
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投稿日 2023年08月16日
総合評価:1.0
今年の夏の南欧旅行。売り出されていたスクートの成田ーベルリン往復10万円の航空券で行ったので、シンガポールに久しぶりに訪問。
行きのトランジットで、マレーシアのジョホールバルに入国しようと、誰かのシンガポール旅行記を見て気になっていた世界1短い国際列車乗車を試みようと、空きがあった15時頃に発車する列車をネットで予約した。シンガポール到着は13時。2時間あれば発車駅WOODLANDへも行けるだろうと思っていた。
が、、びっくり!シンガポール入国に、アライバルカード事前ネット申請が必須になってたとは!知らなかった!列に並んで入国審査を待ってたのに、、、やっと自分の番になっても、アライバルカード申請をしてこい!と入国係官。又又振り出しに。
で、このネット申請がまためんどくさい。打ち込む形にすれば早いと思うんだが、選択させる形。JAPANも世界の中から、住所も数ある選択肢の中から、、、。以前の記入するアライバルカードの方がよっぽど早いと思うんだが、、、。ペーパーレスの環境に配慮したエコの観点でこの取り組みに変更したそうだが、たくさんの入国希望者が、このアライバルカード申請に戸惑っていた。自分も漏れず。基本情報なんてパスポートに埋めこまれてあるのに、、、。
ということで、予約購入した国際列車にはとうてい間に合わず、おじゃんとなってしまった。
悔しいので帰りのトランジットで再度試みてみるも、朝早くWOODLANDに到着したものの、列車は昼1時ならあるという。そんなに待つのは時間がもったいない。これは徒歩でマレーシアへ越境し、国際列車でマレーシアから帰って来よう、、。20年程前の旅行と同じように!(20年前はシンガポール駅から列車でマレーシアへ。そしてマレーシアから徒歩で橋を渡りシンガポールへ)
だが、全てが変わっていた。歩いて橋を渡ってる者は1人もいない。徒歩で越境はダメなのかも?皆バスで越境。帰りのマレーシアからの列車は全て満席のために購入できず。またバスで越境。(シンガポール入国にまたまたアライバルカードのネット申請。本当にめんどくさい!)
シンガポールとマレーシア、昔の方が行き来しやすかった!
※マレーシアからの国際列車は安いので常に満席なのかも?そもそも券売機にもWOODLAND行きのチケットはなかった。ネットだけでの販売なのかも?この列車乗車を試みる人は、まだシンガポールからマレーシア行きの列車の方が購入しやすいと思う。
※この国際列車 Shuttle Tebrauの購入先
https://shuttleonline.ktmb.com.my/Home/Shuttle- 旅行時期
- 2023年08月
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投稿日 2023年08月15日
総合評価:3.0
コロナ前に行こうと計画し、ヨーロッパレイルタイムスケジュールで調べた時には、●バルセロナからフランス側の国境の町まで鉄道で行き、そこからバスが出ていたんですけど、、残念ながら今はそのバスはなくなったようです。
今は、、公共交通機関でアンドララベッラまで行く方法は、、、
①スペインのバルセロナからの直行バス、②スペインのなんとかという町まで列車で行きそこからバス、③フランスのトゥールーズからの直行バス、この3つの方法しかないようです。(調べた限り)
ユーレイルパスを有効に使おうと、●の方法で国境の町まで行き、そこからトレッキングで、、と考えて、
バルセロナの中央駅に行って調べたら、スペイン国鉄で行ける所までしか、切符は買えないようです。2023のタイムスケジュールによれば、国境の町から接続の列車があるようにも思えるのですが、、(朝1の列車で12時頃に到着、そしてマップスミーによればそこから12キロほどでアンドラへ到着)、、しかしこのプラン、あまり確信がなく、トレッキング案は断念。どんな山道かもわかりませんから、、
ということで、今回は、
●朝6時15分 バルセロナ中央駅すぐ横にあるバスターミナル発 ダイレクトバス 30ユーロ
●3時間程でアンドララベッラ到着後、観光
●アンドラ宿泊
●朝5時 アンドラバスターミナル発 フランスのトゥールーズ行きのアンドバス 37ユーロ
この日程でアンドラ公国を観光!
アンドララベッラは山と山の狭間を流れる川に沿ってできている静かな町でした。夜には、その川の水を利用したライトアップされた噴水?ショーを見に、観光客が集まっていました。
※なんとアンドラではヤフーが見られました。アンドラはシェンゲンの仲間でないからなのかな?久しぶりに日本のニュースに触れました。ヨーロッパに来るとヤフーが見れないって、本当に不便ですよね。
アンドラ旅行の参考に、、、。
ダイレクトバス
https://www.andorradirectbus.es/en
アンドバス
https://andbus.net/en
※ネットでもチケット購入できるようです。自分は直接バスターミナルで購入しました。- 旅行時期
- 2023年08月
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投稿日 2023年03月13日
総合評価:5.0
4トラ色塗り投稿です。
今でこそラオス旅行は地球の歩き方ラオス編も出て、ある程度メジャーになりましたが、今から確か27年前、1997年冬、中国昆明からミニバスを乗り継ぎ、中国ラオス国境を越えました。前年にベトナム旅行に行き地図を買って旅行にしたのですが、その地図にある隣国ラオスが気になり、試したわけです。ちょうど兄貴が「俺も海外旅行に連れてってくれ!」と頼まれ、では、一緒にラオスに行こう!となったわけです。一人ではなんだか不安でも2人なら、、、そんな思惑がありました。
東京の旅行社にラオスVISAを依頼し25000円。当時は大変高額でした。
香港に飛び、そこから深圳、列車で広州へ。兄貴の休暇は短いのでここから航空機で一気に昆明まで飛びました。そこからは歩き方中国編を頼りにラオス国境ボーテンまでミニバスを乗り継ぎです。
さてラオス、当時は国境をてくてく歩いて渡りました。イミグレはボロボロの掘っ立て小屋みたいな感じ。ノートが置いてあり、そこに来訪者を記述するみたい。覗き込むとまだ6名ぐらいしか記入はなかった。たぶん、日本人では自分達が1番最初の訪問者ではないかと、、、。(兄貴が言うには、テレビかなんかで、誰かが「ここの国境を渡った人が、自分達が日本人で初めて渡った」かなんか語っていたがというが、それ以前に自分達が渡った!と文句を言ってました。まあ、そんなことどうでもいいけど、、、)
さて、ラオス入国を果たしたものの、そこからルアンパパーン、ビエンチャンに行く方法は全く知らないわけです。とりあえず、地図にあった近くの村ルアンナムターを目指しました。幸い、現地の方が一人ルアンナムターに行くようで、ついて行くと、、。小型トラックの荷台に、、、。これがラオスの交通機関か!その方に中国元10元をラオスキップに交換してもらい何とか現地通貨ゲット!これで泊まれる!たどり着いたルアンナムターは本当に何もない村でした。とりあえず泊まれる宿を探し2人で宿泊、次の朝早くの出発に備えました。
情報が全くないので、朝早く起き、ルアンパパーン行きのバスを探しました。バスだまりを見つけ、ルアンパパーン!ルアンパパーン!同じルアンパパーンに行く人を見つけるため、そこにいる人たち全員に声を掛けました。すると、、、いるではないですか。全く言葉は通じませんが、ルアンパパーンに行くらしく、俺たちも連れてって!というお願いがわかってくれたらしく、ついて来て!というような素振り。この優しそうな男性に託しました。
ついて行くと、まずはウドムサーイ!彼は言いました。確かまたまたトラックの荷台に乗り、ウドムサーイという町まで。そこからがびっくり仰天でした。川に行き、ボートに、、。このボートがものすごい!ヘルメットと救命胴衣を着せられ、6人乗りのボートに乗りました。このボート、確か船外機が2つついていて、けたたましい爆音を鳴らして爆走するんです。スゲー!次から次へと景色は移り変わり、本当に爆走です。まさかラオスにきてボートに乗るなんて想像もしてませんでした。ラオスでは道路ではなく、川が高速道路代わりだったのです。
無事、ルアンパパーンに到着。ルアンパパーンではゲストハウスもあり、(ラオスもベトナム同様外国人旅行者を受け入れ始めていたのです。)
ルアンパパーンの1番の思い出は、ディスコがあるからというお誘いで、行ってみたことですね。想像していたディスコとは違ってました、、。村人が集まり、ラオビールを飲みながらリングのような壇上で男女がペアとなって踊る、、、。その音楽は日本で言う盆踊りのような曲でした。男性が座ってる女性たちの前で手を合わせお願いするのです。一緒に踊ってくださいますか?okもあればno!もあるようです。幸い、自分お願いしたところokをいただき、かわいいラオ女性と2人で盆踊り?を踊りました。(兄貴は no!と断られ、その後ふてくされてました)
ルアンパパーンからはラオ航空でビエンチャンまで飛びました。案内してくれた彼が身振り手振りで教えてくれたことは、、、ビエンチャンまでバスはあるけど、山賊がいるらしく危険、自分は飛行機でビエンチャンまで行く!とのことのようです。地元の方が危険!というからには素直に従おうというわけで、ラオ航空ビエンチャンまで1人40ドルのチケットを購入し、ビエンチャンに向かいました。
いやー、それにしても今思えば、彼のお陰でラオス旅行楽しめたと思います。帰国してから、兄貴が彼に手紙を書いてお礼をしたと言ってました。数十年経って最近このラオス旅行を兄貴と語ったんですが、海外デビューがラオス旅行の兄貴、、忘れられないようです。
自分の方は、その後2度ほどラオスを訪れましたが、、、
②タイのフェイサーイからスローボートでルアンパパーン、そこからまたスローボートでビエンチャン、、、地元の方の船上ご飯をごちそうしてもらった。ラオスのもち米、うまいですよね。
このスローボートの旅もホントおもしろかった!ビエンチャンでカンボジアVISAを取り、カンボジア国境まで行くものの、当時はこのラオスーカンボジアの国境は特別な国境のようで、賄賂200ドル払うなら通してやるとカンボジアの役人に言われ断念。ラオス側の国境事務所に泊まらせてもらい、初のメコン川シャワー!シャワーに行くぞ!と石鹸持ってついて行くとそこはメコン川でした。
③東南アジア縦断の旅で、カンボジアのストゥントレンからミニバスでラオス国境越え。なんと道路も整備され、正規の国境となっていた。以前来たときは悪路で、ミニバスをおりると顔中ホコリまみれだったのに!
それ以来ラオスを訪れてはいないが、「どこがおすすめですか?」と尋ねられたら、いつも「ラオス!」と答えている。
最近は中国ーラオス鉄道もできて、乗車体験談を目にすることも多くなったが、変わらないラオスでいてほしいものだ。- 旅行時期
- 1997年01月
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投稿日 2023年07月20日
水銀の遺産, アルマデン鉱山とイドリャ鉱山 (スロベニア) ポストイナ
総合評価:3.0
4トラ色塗り投稿です。
ザグレブからスロベニアのリュブリナまでは列車で。ここは移動距離も短く、あっという間にリュブリナ到着。急ぐのは、実はドブロブニクともう1つゆっくりと見たい所があったから。それはイタリアの世界遺産ベネツィア。この町を是非見たかった。リュブリナからは列車ですぐそこ。ただ、直通列車は夜行列車(夜2時発)しかなかった。この列車に乗るために、スロベニアでは2つだけ観光。ブレッド湖にも行って見たかったけど、近場のポストイナ鍾乳洞、そしてもう1つ世界遺産のシュコツィアン鍾乳洞。2つも鍾乳洞?とは思ったが、どちらも列車で気軽に行けるので、、、(少し歩くけど)。鍾乳洞は初めて見学する。2つも行ったので満足満足。比べてみるとやっぱり世界遺産の方が見ごたえはあったかな?見学後、また列車でリュブリナに戻り、ざーっと首都も散策。国際列車の切符を購入し、到着ホームのベンチで夜行列車に備える。遅れでもしたらこの後のスケジュールが狂ってしまうので、、、。
だが、油断してしまった。スマホのタイマーを予約し夜中に起きようと寝袋に入って待ってたのだが、ぐっすりと眠ってしまった。夜行夜行で来たつけがここで出てしまった。自分では大丈夫と思っても、体は正直だった。
トントン、トントン、誰かが起こしてくれた。ガバッと起き上がったものの、あれ?スマホを慌てて見ると、既に夜中2時を過ぎてた。列車は、、ない。起こしてくれた旅行者の方を見ると、もう列車は行っちまったよ!そんな感じ。やっちまった!チケットは紙屑に。
、、どうしようか?別の列車がないかと、持ってきた時刻表で調べた。別のルートで今日中にベネツィアまで行ける列車は、、、。
あった!ちよっと遠回りになるが、ノヴァ・ゴリツァ、、スロベニア領とイタリア領で別れている国境の町。歩き方を見ると、この町にはブルボン朝最後の君主シャルル10世の墓もあるらしい。早朝発のローカル列車でノヴァゴリツィアへ。
スロベニアのノヴァゴリツィア駅に到着し、シャルル10世の棺を見学した後、てくてくイタリアのノヴァゴリツィア駅へ。幸い、道を尋ねた女性が親切にも、私についてきて!と道案内してくれた。ありがたい、ありがたい。スロベニアとイタリアの国境は、ここが国境ですよとの案内看板こそあるが、あとは何も、、、手続きなど必要ない。シェンゲン、便利なようで 旅人にはなんだか味気ないが。
イタリアのノヴァゴリツィア駅からベネツィアまで無事ローカル列車で到着。- 旅行時期
- 2013年08月
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クロアチア ザグレブからシベニク、トロギール、スプリット、そしてザグレブへ
投稿日 2023年07月18日
総合評価:4.0
4トラ色塗り投稿の続きです。
たしかザクレブには昼頃到着。ざっと町を散策し、またまた夜行列車。せっかくクロアチアに来たんだ、他の世界遺産も見てみたい、、という思いからの夜行列車乗車。タイムテーブルでは丁度いい具合の列車が走っていた。ザグレブ夜発、朝世界遺産のあるシベニク着、そして世界遺産のあるスプリット夜発、朝ザグレブ着。2泊も宿泊代が浮き、世界遺産も見れ、大好きな列車にも乗れる。シベニクとスプリットの間にはもう1つ世界遺産のある町トロギールもある。
で、夜行列車に、、、。だが、ここでけちってしまったことが失敗。2等席を選んだところ、、、夏の観光シーズンだからか、特別車両が2等車だった。座るシートもなくガランとした車両。ここに若者たちが多数乗車。ガンガン音楽を鳴らしていた。他の客なんて知らんというつもりか。一晩中起きていくという算段なのだろう。参った。これでは寝れない。寝ようと思ってもうるさすぎて寝れない。あまりにうるさすぎて、1度注意した。
他の客もいるんだ、静かにして!
だが、若者たちは聞く耳持たず、、結局、自分も一晩中起きているしかなかった。早朝、シベニク到着。世界遺産の大聖堂を見て、バスでトロギールへ。世界遺産古都トロギールの町を散策し、またバスでスプリットへ。
世界遺産のディオクレティアヌス帝の地下宮殿を見て、そして夜行列車でザグレブへ。帰りの列車は迷わず寝台。ぐっすりと眠れた。
このコース、列車好き、そしてあまり日程がない人なら、いいコースだと思います。- 旅行時期
- 2013年08月
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クロアチア プロチェからボスニアヘルツェゴビナ モスタル そしてサラエボへ
投稿日 2023年07月17日
総合評価:1.0
4トラ色塗り投稿です。
プロチェから列車で世界遺産モスタルへ。ここは負の世界遺産?民族、宗教が異なる人々が曲がりなりにも平和に共存していたが、ユーゴスラビアが分裂するにあたり、、、。内戦、、、。日本がバブルでウハウハしてる時に、ヨーロッパでは隣人を殺し合う内戦が勃発したのだ。スタリ・モスト、、、終結後復活し今では町のシンボルとなっている。この橋では観光客向けに飛び込みのパフォーマンスが。うまいもんだ。水しぶきもオリンピック選手にはかなわないが、それほどあがってなかった。
で、数時間滞在し、またまた列車で首都サラエボへ。ちょうどいい具合に観光後にサラエボ行きの列車が走ってる。夜10時頃、サラエボ着。駅は町から離れてるので、タクシーで。が、タクシードライバーは人相がひどく悪い。ずっと旧ユーゴスラビアを巡ってきたが、ボスニアヘルツェゴビナの人々はどことなく暗い顔の人が多かった印象が強い。やっぱり、20ユーロ!ぼってきやがった。
サラエボでは第1次世界大戦の引き金となったサラエボ事件現場を見たり、亡くなられた方々のお墓を見たり、、なんだか暗いものばかり、、。さらにここでは、、、。
市街を走るトラムに乗った。車内にはパンチ機が。歩き方で情報を読んでたので、切符をちゃんとパンチ機に入れた。だが、うんともすんとも動かず。壊れてるのか?まあ、いいかと降りると、、、。呼び止められた。切符を見せろと。パンチしてないじゃないか!罰金だ!???なんだそれ?最初は詐欺かと思ったが、対応を見てると本物のキセルチェック係員のよう。パンチ機に入れたんだけど、動かなかったんだ。信じてはくれない。罰金だ!いくら?100ユーロだ!??誰がそんなもん払えるか!警察を呼ぶぞ!おー呼んでみるなら呼んでみろ!日本大使館に電話するから!、、、とにかく罰金を払え!誰が払うもんか!もう頭にきていた。俺は急ぐんだ、これからクロアチアに行くんだ!、、、とうとう係員、いいんだな、お前はもう2度とボスニアヘルツェゴビナに入国できない。さささと書面に何やら記載され、紙を渡された。人生初めてもらう入国禁止文書。昨年ロシアに入国禁止になった日本人が60人程いたが、自分はボスニアヘルツェゴビナに入国禁止となった。本物なら、、、。まあ、パスポートも切り替わったし、10年以上前ですから、今は大丈夫?いつか、確かめてみたいですね。
ということで、あまりボスニアヘルツェゴビナにはいい印象はない。
そして、夜行列車でクロアチアの首都ザグレブに向かった。
- 旅行時期
- 2013年08月
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投稿日 2023年07月16日
総合評価:2.0
色塗りは完了しましたが、ドブロブニクの続きです。
ドブロブニクからはボスニアヘルツェゴビナへ列車で行きたく、駅があるプロチェという町までバスで。実はこの旅で宿を予約できなかった町がこのプロチェ。歩き方にも掲載のない町、ブッキングコムにもホテルは出てこない町。特に何かあるわけではないが、モスタル行きの列車が早朝、この町から出ていたので、この町に宿泊するしかなかったのだ。宿はあるのか?もしかしたら駅で野宿か?とにかく行ってみるしかなかった。
ホテルはすぐに見つけられた。聞いてみるとそこそこのお値段。まあ泊まるしかない。
でも、駅に行ってみると、野宿してる若者たちが、、、。なあんだ、お仲間がいたのか。野宿でもよかったかも。
で、翌朝、クロアチアのプロチェ発ボスニアヘルツェゴビナのモスタル行き列車に乗車。2023のタイムテーブルによれば、この列車、プロチェ発ではなくなっていた。- 旅行時期
- 2013年08月
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投稿日 2023年07月16日
総合評価:4.0
4トラ色塗り投稿です。
世界遺産コトルの町を数時間散策した後はまたまたバスでクロアチアの世界遺産ドブロブニクへ。この町が今回の旅のメイン。真っ青なアドリア海に面したオレンジの屋根の町並みは人々を引き付ける。是非行ってみたい!そう思い、今回の旅に。
コトルからドブロブニクまでの海沿いのビーチには、どこも海水浴を楽しむ観光客でいっぱいだった。天気もすこぶるいい。ドブロブニクでは、旧市街からは少し離れてるが、歩いて十分行ける範囲にあるユースホステルに2日間程宿泊。2日間連続の夜行列車で来たわけで、到着するなりシャワーを浴びる。おー!お湯もたっぷり、さすがインターナショナルなユース。とても快適でした。で、ドブロブニク観光。何をするわけでもなく、旧市街の城壁に登って一周したり、レストランでリゾットを食べたり、ホステルで洗濯したり、、。一息つける平和なドブロブニクでした。
後は特に記すこともなし。- 旅行時期
- 2013年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 2日以上
- アクセス:
- 3.5
- 景観:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 1.0
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投稿日 2023年07月14日
総合評価:3.0
4トラ色塗り投稿です。
2010冬、ガーナから任国外旅行でマリ共和国を訪れました。今日のテーマがマリだったので、思い出して、、、。
後2ヶ月で任期も終わり帰国だったので、冬休みを利用し、任国外旅行へと旅立った。JICAにはブルキナファソを旅行すると申請し、アクラーワガドゥグの航空券を購入。往復600ドル。が、本当はその先のマリへ。もちろん、マリ共和国への任国外旅行も認められていた。春にマリを訪れていた仲間たちの話を聞くと、バマコまで往復900ドル。そしてバマコからは旅行社で車、宿泊先全てを手配してもらう形にしないと許可はおりないとのことだった。4名ほどでシェアしても結構な金額になるとのこと。ただしトゥンブクトゥ訪問は危険とのことで不許可。(でもみんなこっそり訪問していた)
で、自分は、、、この時期マリを旅行するものはなかなかいない。ただでさえみんなイギリスへと向かうのに、仲間を募るのは無理だった。1人で行くには高額なお金が必要だった。西アフリカ編のロンリープラネットを熟読し、
◆ガーナ アクラ→エアブルキナ→ブルキナファソ ワガドゥグ→バス→ワヒグヤ→ミニバス→マリ ドゴンカントリー(世界遺産)→バス→モプティ→船→トンブクトゥ(世界遺産)→4WD→モプティ→バス→ジェンネ(世界遺産)→バス→セグーバス→バマコ→バス→シカソ→ブルキナファソ ボボドゥラッソ→バス→ワガドゥグ→エアブルキナ→ガーナ アクラ
この行程で地元民のバスと船でマリを旅行することにした。
●ワガドゥグの空港に着くなり、タクシーでワガドゥグのマリ大使館に向かった。そして難なく1時間程でマリVISAゲット!フランス語の世界でVISAがゲットできるか心配だったが、タクシードライバーがたまたまガーナのチュイ語を理解できる方でよかった!すぐさまワヒグヤ行きのバスに乗る。
●ワヒグヤからのマリ国境行きのミニバスがあるとの情報がロンリープラネットにあったので探す。たまたま英語を話せる方に会い、ミニバスへ連れてってくれた。ただ、この方が言うには、コーラの実を買っていった方がよいとのこと。ドゴンカントリーでトレッキングするなら、地元の方にコーラの実をお土産に渡すといいとのことだった。本当か??だったが、実際マーケットにはたくさんコーラの実が売られていた。この方を信じ、コーラの実を購入。で、国境行きミニバスでマリのバンディアガラまで。この本当にローカルな国境に、ワガドゥグに着いたその日に行けるとは、なんとラッキーなことだった。
何もない道を走ること数時間、掘っ立て小屋みたいな国境事務所に到着。無事入国スタンプをゲットし、夜の8時頃、バンディアガラに到着。ロンプラにある安宿に宿泊。宿ではすぐさまガイドが売り込みに来る。当時は本当に平和で、フランス人旅行客が多数、このドゴンカントリーのトレッキングを目当てに訪れていたのだ。ロンプラによればガイドは特につけなくともよいようだが、、、。売り込みに根負けし、この方をガイドに雇うことに。名前は忘れてしまったが、片方の足が不自由な方だった。でもトレッキングは大丈夫!とのことだった。実際、えっこらえっこらと、ゆっくり、、、。自分のペースには最適だったかも。つかれた時には、牛の馬車に。そんなこんなで2泊3日のトレッキングは終了。崖から眺めた大地に輝く夕日は、ザッツアフリカの景色だった。
※コーラの実は必要なかったかも?ガイドを雇えば要らないのかも。ガイド無しで自力で行く方はこのコーラの実を村人たちに渡して行くのかも?余ったコーラの実、荷物になるので、最後に訪れた村の人たちにあげた。喜んでいた。
●モプティではトゥンブクトゥ行きの船を探す。何隻か当たり、トンブクトゥ行きの船を見つけた。が、またもや、、、。水は持ってるか?とのこと。たしか2泊3日の船旅。1人だからそんなにいらないよなと思ってたものの、足りない足りない!1ケース買わなきゃ!とのこと。お土産にまたあげていくのか?まあ、あってもいいか、なくなるよりはましかと、1ケース購入。同じ船の乗客も買ってたので、、、。この船、メインは荷物。乗客はたしか、地元の方2名、フランス人親子2名、そして自分。荷物を運搬する船員さんが数名の小さな船だった。この船でニジェール川を遡る。最終地点はトンブクトゥ手前の村。
この船旅で覚えてることは、地元の乗客の方が船上でご馳走してくれた紅茶。船上で火をおこし、そしてニジェール川から汲み取った水に紅茶の塊を入れ、その火にかける。実にワイルドだった。フランス人親子は遠慮して飲まなかったが、自分は遠慮なく頂く。次の日も、その次の日も、、、。何杯と飲んだ。買っていった水は結局かなり余してしまった。重いので、その段ボールケースの水はそのまま船員さんへプレゼント。喜んでいた。ちなみに夕飯付き。船員さんが夕食を作ってくれる。夕日に囲まれた船上でのご飯、、本当にアフリカに来たんだなあと実感した。
●トンブクトゥは本当に砂の町だった。何をしたのか今では忘れてしまったが、砂に埋もれてる町、、そんな印象だけは残ってる。地元の飯屋に行くと、、、1人珍しくアジア人がいた。声はかけなかったが、日本人のような気がした。トンブクトゥを去る日、乗り合い4WDで一緒になった方はこの方だった。話してみるとやっぱり日本人。東京都の職員だそうだ。マリ旅行をしに1人で来ているそうで、モプティからバスで、自分は行かない世界遺産がある町ガオに向かうという。すごいかたがいるもんだ。まあ、本当に15年程前のマリは平和で旅行者でいっぱいだったのだ。(特にフランス人) 途中、このランクル動かなくなり数時間ドライバーが悪戦苦闘。今日は野宿でしょうかね?なんて話しながら2人で直るのをじっと待ってました。無事、修理完了!
●マリの宿はなんだか面白い。ドミトリーはなく、一番安く泊まるには、ホテル屋上に設置された蚊帳付きベッドに寝るのだ。ここが涼しくて心地よい。昼間は暑くていられたもんじゃないが、夕方頃から涼しくなり始める。
●モプティからジェンネ行きのバスに乗ったが、このバス、ジェンネまでは行かなかった。国道のある村で降り、そこからミニバスで向かうという。知らずにこのバスに乗っていった自分。到着が夕方で、既にジェンネ行きのミニバスは明日の朝しかないという。仕方がない、ここで野宿か、と寝床を探していたら、村人たちがここに泊まれと建物内に案内してくれた。外とは通じていたが、近くで火を炊き暖をとる村人たちがいるので、安心して一夜を明かせた。無事、ジェンネ行きのミニバスに乗り、世界遺産泥のモスクと月曜日の市を見学できた。
●バマコでは、、、まだスマホのない時代。夜、バスでたどり着いたが、今バマコのどこにいるのか位置関係がわからず、目にはいった○○飯店に宿をとる。世界中どこに行っても中国人はいる。困ったときには飯店。飯も食える。ようめいようくわいつ?(箸ありますか?)中国語が役立つ。
●マリ旅行最大のミス!前日、バマコからブルキナファソのワガドゥグ行きの国際バスのチケットを購入していた。が、寝坊をしてしまった!ヤバイ!と急いでバスターミナルに行ったが既にバスは出発。キャンセルできず。次の日のバスで行けばよかったのに、地元のローカルバスで、、そう考えたのが間違いだった。地元の方に聞き、ワガドゥグまでの乗り継ぎバスの通しのチケットを購入できたものの、その乗り継ぎが非常に悪かった。国境のシカソという町までは来れたが、そこからが、、、。次のバスは何時に来るのか?わからない。今日出発するのか、明日なのか?オフィスらしいところで訪ねても、英語が通じない、というか、英語では相手にさえされない。仕方がないのでミニバスが出発する気配を感じ、待つことに。結局その日は出発せずベンチで野宿。出発するバスを見つけようにも、このチケットではうちのバスには乗れない!、、、本当に参った。いったいどのミニバスなら乗れるの?
、、、何とかブルキナファソのボボドゥラッソまではたどり着けたが、既に夜。バスはまた次の日、、、。どこか安宿はないか?すると、ここに寝ていいよとのことで、バスオフィス小屋でまたまた宿泊することに。幸い地元民のお仲間もいた。飯屋を探すものの、既に閉まってる。するとこのお仲間から夕食を頂くことに。カバンから出されたご飯は少し酸っぱかったが、ありがたくいただいた。、、、
この後、ガーナ国境まで行き、復路横転という大変な目に遭うわけです、、、
マリ、今は危険情報発出でまっかっか状態。でも本当に15年前は平和だったんです。生きてる間に再訪は、、、無理かなあ?
実はこの極秘マリ任国外旅行で人生最大のペナルティを食らってしまうのです。
http://blog.livedoor.jp/damekyoshi/archives/1426265.html- 旅行時期
- 2010年01月
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投稿日 2023年07月12日
Montenegro Backpackers Home Kotor コトル
総合評価:4.0
4トラ色塗り投稿です。
ベオグラードを散策し、パール鉄道の夜行列車でポドゴリツィアまで。そこからバスに乗り換え、世界遺産コトルへ。
ベオグラードでは大きな公園を散策したり、NATOが爆撃した建物を見たり、ブラブラ。0の多い旧ユーゴスラビアの紙幣が出店で売られていたので思わず購入。今回っている国々は、昔はユーゴスラビアという1つの国家だった。それが、大きな内紛を経て分裂したのだ。EUという形でヨーロッパはまとまっていったが、ユーゴスラビアは逆に分裂。チトー大統領の元、民族、宗教を越えて国家統一されていたのが、チトー大統領死後、あっという間に分裂、、、。セルビアとモンテネグロだけは数年間、連邦という形で残っていたが、それも協議により分裂。国家統一というのはいったいなんなのだろうと思ってしまう。(セルビアからモンテネグロに入国はしたが、国境管理というものはないに等しいのか、モンテネグロの入国スタンプは押されなかった)
さて、このモンテネグロで記憶に残ってるのは、パール鉄道の絶景。夜行列車で来たので、夜の間は全然風景は見れなかったが、朝の車窓は本当にすごかった。事前にパール鉄道からの景色はすごい!ということは知っていたが、これ程までとは、、、。
一言で現せば、天空列車。あたかも山頂を走っているかのような錯覚を覚える程、山の中を走る列車だった。チベットの高山列車には乗っていないのでわからないが、こここそ天空列車がぴったりな表現に思う。
最終地のパールまで行ければよかったが、日程の関係で首都ポドゴリツィアまで。
ベオグラードからコトルまではこのパール鉄道乗車がお薦めです。- 旅行時期
- 2013年08月
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投稿日 2023年07月10日
総合評価:3.5
4トラ色塗り投稿です。
コソボからマケドニアスコピエに戻り、スコピエ市内を散策。そして夜行列車で、セルビアのベオグラードへ。
この夜行列車、同じコパートメントで、現地の中年女性と一緒となった。お互いハローと声はかけるもののそれだけ。だが、国際列車の実情をここで目の当たりにすることとなった。
マケドニアとセルビアの国境に着くと、役人が乗り込んでくる。まずはパスポートチェックだ。日本のパスポートを見せ、無事終了。そして次は税関役人が、、。コパートメント内を点検。普通なら何事もないはずなのに、この役人、天井を叩いて音を確認したりと、念入りに念入りにチェックする。すると、、、あれ?天井やシートの下から何か隠してあった箱が無数に出てくるではないですか。大量(20個くらい)!役人が中年女性に問い詰める。ばれちゃったか!薬物とか危ない物じゃないようだけど、税金逃れのために何か隠してたのかな?何が入っていたのか、聞きはしなかったが、役人と中年女性のやり取りは興味深いものだった。
役人がコパートメントを離れ、列車が走り出すと、ニヤッと笑みを浮かべた中年女性。見つからなかった箱が5つ程あったのだ。
今も国境では税関と密輸?業者とのばかしあいが繰り広げられている。
それにしても、あの箱の中身はなんだったのだろう?
ベオグラードに朝到着。- 旅行時期
- 2013年08月
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投稿日 2023年07月09日
総合評価:2.0
4トラ色塗り投稿です。
オフリドからバスと列車でスコピエに昼頃到着。ここからは昼2時頃に出発するローカル列車、コソボのプリスティナ行きの列車に乗車する。駅でチケットを買って出発を待ってると、外国人若者旅行者発見!もしかして自分と同じコソボへ行こうとしているのか?声をかけた。どこから来たの?オランダから。そう。もしかしてプリシュティナへ行くの?
すると彼は驚いたように、まさか!君は行くの?そうです。ここから列車で行けるんですよ。と教えてあげるも、、、
あなたはジャーナリストなのか?と質問された。
当時コソボはまだ独立してまもなく、日本は早々に国家承認したが、セルビアの自治州として独立を認めない国も多かった。そんな中でのコソボ行き。何があるわけでもないが、ただただ見てみたかった。(まだ世界遺産も1つもなかったと記憶しているが)
列車はこれまたローカル。2023年夏の時刻表では走っていないようです。どんどん列車はなくなっていく。世界的な流れなのか?
宿は少しばかり不便な場所だが、手頃なホステルとしては唯一そこだけだったのでそこに予約。列車駅も郊外だったので、迷わずタクシーで。夕方、プリスティナに到着。
次の日、町中をぶらつく。飯を食いに行ったり(メニューはどうやらアルバニアと同じような、、ただしユーロ払い。アルバニア人たちの国家だから当然か)、独立のミュージアムを見に行ったり。そんな記憶だけしかないが、、、
帰りはバスでマケドニアのスコピエへ。入国、出国とも国土の形を模したスタンプが押された。
次訪れる機会があったらペーチの世界遺産でしょうね。- 旅行時期
- 2013年08月





