kasekunさんのクチコミ(6ページ)全196件
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投稿日 2024年01月11日
総合評価:1.5
色塗り投稿です。
グアムには1度だけ訪問。サイパンからグアムへ飛んで1泊のみ。ここでもレンタカーを借りて、島1周。サイパンとは違い交通量が多い。町中に入ると緊張、、、。特に夜になると、、、。
想い出は、、、。
・ここではサイパンのダイビングショップでTCで購入したマスクを活用して、シュノーケリング。最北端のビーチで車を止め、海と戯れてきました。けっこう観光客も泳いでいました。見ると、アジア人の方も、、、。でも何人かすぐにわかりました。女性はもちろん、男性もスイミングスーツを着て泳いでいる、、、。お隣の韓国人ですよね。彼らは日に焼けることを極端にいやがりますよね。白い肌がステータスのよう、、、。でも日本人はどちらかというと日焼け好きかな?自分も漏れず、スッポンポン。
、、、でも後で後悔。日本の海とは紫外線の量が違いました。もう、数日ヒリヒリ。いたくていたくて、、、。
ということで、サイパン、グアムで泳ぐときは、男性も日焼け止めした方がいいことを学びました。
※ここのビーチは最高!浅瀬のシュノーケリングだけで、カラフルな魚たちがウヨウヨ!ダイビングせずとも楽しめました。
グアムはそんなものかな。1日しかいなかったし、、、。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2016年05月
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投稿日 2024年01月09日
総合評価:3.0
色塗り投稿です。
サイパン島には1度だけ訪問。2017年。ゴールデンウィークには国内旅行中心に旅行してるのだが、この年は無性に海外に行きたかった。短期で行ける渡航先はサイパンかなということで、行って見ることに。航空券は意外に高かった。サイパン往復で11万も。せっかくならすぐそこのグアムもと考え、サイパンinグアムoutのオープンジョーの航空券を購入し、サイパンーグアムは別購入。(1万円程)
サイパンの思い出は、、、。
・サイパンで初めての海外レンタカー3日間デビュー。そんなに交通量も少ないんじゃないかなと思ったので。安く済ませるために、左ハンドルにマニュアル車を選択。最初こそ、ウワー!という感じでおっかなびっくりだったけど、慣れるまで少し練習し、何とか久しぶりのマニュアル車の感覚を思い出すことができた。でも、ウインカーだけはどうしてもワイパーを動かしてしまう、、、。しょうがないですよね。
・初日は空きがやっと取れた久しぶりのスキューバダイビングに。海外でのダイビングはこの時が初めて。しかもこれまた久しぶり。大丈夫かな?と不安はあった。
空港からまっすぐ予約した集合場所へ向かうが、見つからず迷ってしまい集合時間に遅れてしまった。電話がかかって来て、直接ダイビングショップへ、、、何とか到着。レンタカー、ダイビング、、、今から思えば何と無謀なことか。しかも今到着したばかりなのに、すぐにダイビング、、、。
最初こそ、、、でしたが思い出してきました。一緒にもぐる方々はもう強者ばかり。ダイビングのためだけにサイパンに来ている方々ばかり。皆さん心配してくれましたが、何とか無事終えることができました。直近で潜った海は北海道の積丹半島。海の中は茶色の世界。でもここサイパンは南国のカラフルな世界でした。cカードは小笠原で取得したんですが、あの綺麗な海を思い出しました。
・ダイビングが終わり、自分だけ駐車場からレンタカーでお別れ。一緒に潜った方々、やっぱり驚いていました。で、この初日はホテルへ。1泊50ドルの中国人が経営しているホテルへ。
・2日目はレンタカーで島一周のドライブ観光。交通機関があまりないサイパンではレンタカーが機能を発揮する。もう、そこら中、マップスミーをナビ代わりにくまなく回りました。
・で、一番驚いたことが日本人観光客よりも韓国、中国人が闊歩していたこと。サイパンの町中は寂れていて、たまに町で見かける観光客は中国人か韓国人。日本人はダイビングだけは行くようですが、、、。するとどうなるかというと、万歳クリフ等の天皇陛下や日本人が訪れ、慰霊してきた場所が、中国人や韓国人のスポット観光地に。この地で多くの日本人が万歳と叫びながら海へ断崖へ飛び込んで行ったのか、、、感慨深く偲んでいる横で、キャッキャキャッキャと写真撮影に夢中の中国人、韓国人がいるわけです。なんだか、やりきれない思いを持ってしまいました。このまま、日本人はサイパンに行かなくなってしまうのでしょうか?
・サイパンでは何と、ドルのTCが現金と同じように使えました。びっくりです。もう、過去の遺物となってしまったトラベラーチェック。余ってたものを持って来てたのです。米領では今でも使えるという情報があったので。本当でした。ダイビングショップでも、スーパーマーケットでも、現金に替えることなくそのまま使えました。
・サイパンはやっぱりアメリカでした。夕食にレストランに入り、大好きなカルボナーラ、後2品程サイドメニューを注文したら、大失敗。量がものすごい!ヨーロッパでカルボナーラを頼むと物足りない量なのに、、、。大分残してしまいました、アメリカ人をなめてました。
という感じのサイパン旅行でした。あ、思い出しました。お昼はタイ料理の店でたべほうだいが10ドルだったことを。ここぞとばかりに食いまくりました。タイ飯はうまい!
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2017年05月
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投稿日 2024年01月08日
総合評価:3.0
色塗り投稿です。
オマーンへは2005年冬1度だけ訪問。カタールからコウクウキでマスカット入国。当時は空路ではVISAが簡単に取れたので、
(バーレーン→カタール→オマーン、そしてVISAなしとなったUAEにバスで入国。)
オマーンでの思い出は、、、。
・岩のアラビアと言われるオマーン。なんだか1番行ってみたかった国。①イエメン→オマーン→UAEにするか、②バーレーン→カタール→オマーン→UAEにするかで悩んだ末、②を選択。①のイエメンを選択しなかったことを今でも後悔。イエメンVISAが、、、。それでもオマーンだけは絶対行きたかった。あの独特の長い白の寸胴服で町を闊歩している人たちを見たかった。そして、オマーン王と結婚した日本人女性との間に生まれたブサイナ王女。この人の存在を知った時、日本とオマーンの奇妙なつながりを感じたのだ。
オマーンでの思い出は、、、。けっこう忘れてる、、、
・マスカットで泊まったホテルの近くにはレストランがあった。パキスタン人が働いているカレーが定番の夕食だったはず、、。ここでもパキスタン人が働いていた。
・たしかマスカットは2つの地域にわかれていたような、、、。泊まった方とは別の地域に商業施設やバスターミナルがあったはず。歩いててくてく何度もそちらの方に行ったような、、、。見える景色は岩、また岩。岩のアラビアと呼ばれるオマーンの意味がよくわかった。
・オマーンの男性は背が高くみえる。白いズンドウの服がさらに高く見えるのかも。他のアラブ諸国の人よりもかっこよく見えた。
・初めてアラブ諸国を回っていて、そういえば女性を見かけないことに気づいた。レストランでも男性ばかり。たまに女性らしき人を見かけるが顔は全く見えない。子供は顔を出しているけど、成人女性はどんな顔をしてるんだろう?そんなことを思ってた。オマーンではさらに、、、。男性社会だということを改めて知った。
・南にあるサラーラという町へバスで行ってみた。何もない砂漠(あの砂の砂漠とはちょっと違う砂漠)の中をバスはただただ超高速で走り抜ける。本当に何もなかった。(今は変わったかな?)
・サラーラからイエメン国境の町までバスで行ってみた。たしか3オマーンリアル。運転手はやっぱりパキスタン人だった。くねくねと山道を登ってたどり着いたものの、さすがパキスタン人、運転はうまい!で、1時間程滞在し、折り返しのバスでまた来た道に戻る。国境ではないが、一番イエメンに近いオマーンの村。小さな漁村だった。イエメンは山の国なんだということを少し実感した。
・たしか世界遺産の砦がある町にも行ったと思うんだが、その記憶がない。行かなかったのかも?
・ブライミという町にバスで向かう。ここから国境を越えUAEのアルアインに入国する予定だった。が、途中バスから下ろされた。ここで出国スタンプをもらえと。バスはそのままどこかへ行っちまった。??どこがイミグレーション?地元の方に英語で聞いても??取り合ってくれず。見渡してもそれらしき建物は見当たらず。さてどうするか?とぼとぼ暗闇の中、誰か車に乗っけてくれないかなと考えていると、1台の車が止まってくれた。どこに行くんだい?ホテルのある方に、、乗てっけ!、、、これが生まれて初めてのヒッチハイクとなった。日本でもしたことはない。まさかオマーンで初のヒッチハイクをすることとなるとは、、、。若いお兄さんはブライミのホテルまで届けてくれた。まだここはオマーン領。出国スタンプを押してもらえなかったけどいいのかなあ?もしかして、アルアインとの本当の国境にイミグレはあるのかも?
・次の日、てくてくUAEとの国境を越え、アルアインに。イミグレはなかった。オマーンを出国してもいないし、UAEに入国したわけでもない、密入国状態。人生初の密入国。
という感じのオマーン旅行となりました。今はきっとしっかり国境管理をしてると思いますが、当時はこんな感じだったのです。今思うに、途中で下ろされた所の警察署へ行けということだったのかなと、、、。ちなみに旅行記にも書きましたが、UAEの密入国はまずい!と思い、ドバイのイミグレオフィスを探し、行ったんですが、何と伝えたらいいかわからず、相手も取り合ってくれず、、、。
※結局、ドバイの空港でパスポートを何度も何度もめくる職員。入国スタンプを見つけられず(あるはずはない)。、、、ボーディングパスに出国スタンプを押してくれました。
人生初の経験を2つもしたオマーン。やっぱり日本人と縁がありました。きっとまた行けるはずだと思ってます。
以上、色塗り投稿でした。
- 旅行時期
- 2005年01月
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投稿日 2024年01月08日
総合評価:2.0
色塗り投稿です。
シリアに続いてレバノン。レバノンには1度だけ訪問。2011冬トルコから南下して、シリアダマスカスから乗り合いタクシーでベイルート到着。VISAがいるとか要らないとか、よくわからんかったけど、結果、無料でレバノンに入国。本当ならシリアのパルミラ遺跡に引き続きパールベック遺跡を訪問する予定だったのに、余裕ぶちかまし、レバノン観光、、、気づいたらこのままじゃカイロからの帰国便に間に合わない。結局再度シリアへ、そしてヨルダン→イスラエル→エジプトという当初の予定とは大幅に狂い、レバノンでエジプトカイロ行きの航空券200ドルを購入した。
レバノンでの思い出は、、、。
・レバノン人、ベイルートで泊まった安ホテルのご主人は、、、恐い顔だった。エー、部屋ありますか?今まで出会ってきた人の中でも一番恐い顔つき。恐る恐る尋ねるものの、話せばそうでもなかった。でも、偏見で悪いけど、レバノン人の男性の顔つきは恐いと思ってしまう自分がいる。レバノンに逃亡中のゴーンさんも恐い顔だと思うのは自分だけだろうか?
・ベイルートではとにかく海岸線をずっと歩いた。有名な岩なんかを見ながら、、、。自分の年代ではレバノンと言えば内戦。とても来れるなんてことは考えられなかった。それが2011年は平和だった。海岸線を歩けばジョギングしてる人もいる。道路もそれなりに綺麗だし、内戦からの復興が感じられた。
・当時、レバノンポンドとドルの関係がよくわからず、レバノンポンドに結構な金額を両替。でも、、、レバノンポンド払いよりドルで払った方がいいのだ。地域通貨の弱さを知る。(カンボジアでも、キューバでも、イラクでも、ハイチでも) 余ったレバノンポンド、ドルに再度替えるとなるととんでもなく損をする、、、。
・世界遺産ビブロスにも訪れた。調子に乗って世界遺産のレバノン杉を見にプシャーレにも訪問。ただ冬だったからか、森の中に入った記憶がない。ここでは、レバノン杉の木材に教え子たちの名前をいれてもらったお土産を大量に購入。お姉さん、上機嫌だった。でも帰りのバスがなくなってしまい、トリポリに戻れず。
、、、という感じで、なんだかわからないままにここでも滞在日数を費やし、帰国便に間に合わないことに。
これ以来、大まかな計画をたてて旅行するようになった。(今はホテルも簡単に予約できる時代ですから、便利になりました。当時は行き当たりばったりの時代ですから。)
今、レバノンは、、、工場の大爆発、そして経済の悪化、さらにイスラエルとの緊張でとても行けないような感じ。でも、2011年当時は本当に平和だったのです。と、考えると、ネットの発達で便利にはなったけど、世界は以前より不安定ですね。円安もしばらく続く?ようだし、、、。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2011年01月
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投稿日 2024年01月08日
総合評価:3.0
色塗り投稿です。
シリア、、、今は行けるようになったようですが、ガイド、VISAが必要だとか、、、。訪れたのは忘れもしない2011年1月。内戦が始まるほんのの数ヶ月前。その時はトルコとの国境で20ドル払って日本人は入国可能でした。
トルコイスタンブールから夜行列車に乗り、そして北キプロスへ寄り道。まだまだ時間たっぷりだとの余裕をぶちかましていた。その後、トルコに戻って、イスケンデルンへ。ここから列車でシリアに行こうと試みたのだ。だが、駅で、もうシリア行きの列車は走っていないとのこと。時間が無いのですぐにアンタクヤへバスで行き、そこからシリアアレッポ行きの国際バスに乗車。だが、トルコ国境でコンピューターがダウンしたとかで、出国に6時間程待たされる。で、やっと復旧しシリア入国。
思い出に残っていることは、、、。
・シリア行きの国際バスには、ブルガリア人のおばさん、香港人男性2人組、そして日本人の自分が外国人では乗っていた。だが、シリアに入国できたのは、、、。香港人2人組は入国できず、別の国境で再度試してみるとバスを降りて行った。ブルガリアのおばさんが笑いとばす。ブルガリアok、ジャパンok、チャイナno! 彼らは香港から来たのだけど、、、。国籍によってシリアは入国を許可するようだった。中国人はどこでも嫌われてる、、そう思ってしまった。
・アレッポに到着するものの、今どこにいるのかさえわからない状況だった。(まだマップスミーもない、ケータイの時代だった)目印の鉄道駅に行きたく、バスの運転手に、英語で話しかけるものの全く伝わらず。身振り手振りや、シュポポシュポポと擬音で駅に行きたいことを伝え、やっと通じたようだった。駅にたどり着き、料金を払おうとしたら、いいよいいよと。お言葉に甘えさせてもらった。シリアの方々は旅人に優しいのかもと思った。
・早速駅で今夜の列車のチケットを購入。アレッポからまっすぐダマスカスへ行く列車に乗ればいいものの、シリアの列車に長く乗りたい、世界遺産のパルミラにもそんなに離れてない、という考えでカミシュリー行きの夜行列車のチケットを購入。列車を待つ間、世界遺産アレッポの町を散策。、、、もうあの時見たアレッポの町は既にない。
・カミシュリーに朝到着。駅を出るとタクシーが声をかけてきた。行きたいのはパルミラ遺跡。パルミラまでいくら?試しに聞いてみた。すると激安。え、そんなに安いの?シリアは産油国だから安いのかな?と思い、このタクシーに乗車。、、、だが、たどり着いた所はパルミラ遺跡ではなかった。パルミラと言えば超有名なはずなのでタクシー運ちゃんもわかってくれるはずと思い込んでたのが間違いだった。着いた場所はパルミラに似た発音(パルミュラ?)のカミシュリーからそんなに離れていない村だった。どおりで料金が安いわけだった。歩き方のパルミラ遺跡の写真を見せ確認すればよかった。まあ、通り道であちこちに石油を掘削している場所が見えたのでよしと思い込む。
・タクシー運ちゃんはパルミラ遺跡へ行くバスが出る町まで送ってくれた。このバスに乗ればパルミラ遺跡へ行けると。アラビア語も全く理解できない旅人に、何と親切なことか。
・パルミラ遺跡に到着。てくてく歩き方を持って遺跡を見て回ってると、観光バスが到着。、、、と、日本語でバスの窓にこのツアーの張り紙が。どんな日本の方々が団体で来てるのだろうかと眺めていると、、、バスから降りてきたおばさん、いきなり自分を見つけ「何であんたその本持ってんねん!」と関西弁の訛りでどついてきた。え、自分日本人ですけど、、、。え、、、。おばさん、きっと自分を現地人と思ったに違いない。日本人には見られない自分。きっと日本人から盗んだと思ったのかもしれません。それにしても関西のおばさんは度胸があるものです。
・パルミラでは自称スズキタカシと名乗る歩き方にも掲載されてる現地ドライバーさんに偶然にも出会った。せっかくなのでこの方に、他のパルミラ遺跡周辺のツアーをお願いした。リクエストとして現地の朝飯を食いたいことをお願いして。次の日、このスズキさんと回るわけだが、リクエストの朝食は、、、てっきりスズキさんの家でご馳走になるものだとばかり思ってた自分。が、違った。弁当?のように持参して来ていたのだ。地面に敷物を敷き、2人で外で朝食。これがナツメヤシだとか、、、。アラブの朝食、おやじ2人で仲良く堪能させていただきました。
・ダマスカスでは初のハンマームにチャレンジ。歩き方に載ってた所を探し回ってたのだが見つからず。そんな様子を察してか、現地の若者が英語で声をかけてきた。このハンマームに行きたいんだけど、、、。若者は自分に着いてきてと案内してくれた。お礼を言って別れたが、彼はもときた道を戻っていく。わざわざ連れて来てくれたのだった。日本人ばかりではない。アラブの方々に親近感を持った出来事だった。今じゃマップスミーで道に困ることはないが、昔は歩き方の地図だけが頼り。方向音痴の自分には本当にありがたかったのです。
※ダマスカスをあとにして、その後は乗り合いタクシーに乗ってレバノンへ。
、、、という感じのシリア旅行でした。まさか帰国してすぐに内戦が勃発するとは思ってもみませんでした。どんな復興を遂げているのか、いつかまた訪れたいと思っています。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2011年01月
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投稿日 2024年01月04日
総合評価:2.5
色塗り投稿です。
フィリピンにはたぶん5度程訪問。
初めての訪問は大学3年の時だから34年前。中国ネパール旅行時に香港で購入した1年オープン成田往復はフィリピン航空。3月、京都旅行の単位認定講座に参加する前に、フィリピン、香港に旅立った。(その後、香港から伊丹空港に直接帰国、そして講座参加)
初のフィリピン行き。飛行機の中で隣に座っていたご夫婦が心配してくれた。ホテルも取らず、空港からの交通も予約無し、マニラの危険さも全く知らない若者に、アドバイスをもらった。(もちろん、比較的安全な地域にあるホテルまで送ってもらった)
ホテルではライフル銃を肩に背負ったガードマンが、、、。マニラの怖さを初めて知った。当時のマニラ、まだまだ危険な所だったのだ。マニラでは5日間程滞在。初心者のフィリピン旅行は誘惑もあり、なかなか刺激的な場所だった。たしか、最終日にはタガログ語ペラペラの日本人から薦められ、タガイタイまで行ったっけ。この方、日本でフィリピンバーに通いつめ、タガログ語を覚えたんだとか。日本人とフィリピン人カップル。そういえば、飛行機の中はそんな方がたくさんいたなあ。
2度目は兄貴とのラオス旅行での帰国時に。バンコクで1年オープンチケットをまた購入するわけだが、飛行機の遅延でマニラ泊まり。予期していなかったフィリピンでの1日に兄貴は興奮。フィリピン航空が高級ホテル1泊を出してくれたのだ。はめを外して2人で豪遊に。
3度目は、、何の旅行の時だったか忘れてしまってるが、トランジットで入国。初めて空港から少し歩き、ジプニーに乗車。そして1番近いLRT駅まで。ほー、マニラにもこんなものがあったんだと。町ブラ、、、。
4度目は最近2019冬。エチオピアへ行く時にセブパシフィック航空を利用した。ドバイまでならこの格安航空会社が安い。乗継が少し悪いけど、せっかくなので、コレヒドール島観光、そして川下りをしようと2泊3日フィリピン滞在に。だが2つともおじゃん。コレヒドール島行きの船は悪天候のため欠航。せっかく早起きして港まで向かったのに。川下も台風の影響で水かさが増しできないとか。せっかくバスを乗り継いで行ったのに。変わりに世界遺産のサン・アグスチン教会に。冬のフィリピン観光は天候に恵まれないようです。
5度目はエチオピアからの帰り。フィリピンの火山の噴火の影響で遅延。マニラにやっと戻って来たものの、咳がひどい。これは?当時まだ未確認だった中国発の伝染病か?マスクも持って無いのであちこちで咳しまくり。日本に帰ってから職場に行ったら、すぐに病院に行けと!検査したらインフルエンザだった。コロナでなくてよかった。でも、フィリピンでインフルエンザのウィルスをばらまいてしまった。きっと自分と接触した人達、インフルエンザになったんだろうな。
というような感じのフィリピン訪問でした。いみじくも、30年程前からマニラを見てきましたが、変わりましたね。こんなに安全な国になるとは思ってもみませんでした。ドテルテ大統領、なかなかのものです。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 1989年03月
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投稿日 2024年01月07日
総合評価:2.5
色塗り投稿です。
フィジーには2度程訪問。
1度目は2005年冬のポリネシア周遊の旅行で。サモア、トンガと回り、最終地フィジーへ。でも、冬はあまり天気はよくないですね。サモアでは雨ばかり、フィジーも想像してた青い空と綺麗な海とは違ってました。冬はオフシーズンのようです。
フィジーには5日間ほどの滞在予定でしたが、仕事の関係、天候の関係で早めに切り上げようと、現地旅行社に掛け合って、大韓航空の帰国便を早めることはできるかと交渉。結果、フィジー発ソウル行きは早めることはできたが、ソウルではダメ!とのことで結局早めに帰国することはならず、、、。
1日のフィジー滞在は現地旅行社おすすめのプランに乗り、小さな小島へ船で渡り、あとはそこで自由に。との小旅行。覚えてるのは、酒を飲んで海に入ってはいけないこと。危うく足がつり、溺れかけてしまいました。そんなところか。
2度目は2016年冬のメラネシア周遊旅行で。フィジーには2泊滞在。再度のナンディ滞在なので、10年前を思いだそうと、空港からてくてく町のホテルまで。でも、全く思い出せない。こんな場所だったっけ?お金も以前の余ったフィジードルを持ってきたけど、使えず。新品の綺麗な紙幣に変わっていた。(諸外国では旧紙幣は使えない所が意外に多い) 海も、、あれ?こんなに綺麗じゃなかったっけ? キュラソーからフィジーに来ていた刺青女性が語っていたけど、以前はもっとキレイな海だったのに、、フィジーも変わってしまったと嘆いていた。
一番の記憶にあるのは、泊まった安宿(バンブーバックパッカーズ)で、南京虫にやられたこと。まさか欧米人が大勢訪れる宿でやられるとは思ってなかった。朝、起きると身体中発疹。最初は蚊に刺された?と思ってたけど、あとからいろんな箇所が痒くなる。トコジラミに殺られた!
という感じで、フィジーはあまりよい思い出はないですね。旅行シーズンが夏なら違うかもっていう感じですね。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2015年01月
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投稿日 2024年01月03日
総合評価:3.0
色塗り投稿です。
USAには2度訪問。
1度目は2008冬の中米縦断旅行の時、アトランタにトランジット。夜着いて、早朝出発。寒い中、ユースホステルを探し回っただけは覚えてる。
2度目は2014冬のアメリカ、メキシコ縦断の旅で。前回の中米縦断はメキシコカンクンから出発。で、その時はロサンゼルスからメキシコカンクンまでアムトラックとバスで縦断。そしてせっかくカンクンまで行ったので、すぐそこのキューバへ。
・初のちゃんとしたアメリカ滞在はロサンゼルス。当時は成田から往復8万5000円程で行けた。
・まずはアメリカの地下鉄に乗ろうと、ロサンゼルス空港からバスに乗り、そして地下鉄を使って町まで。地下鉄といえば混んでるという印象があったけど、ロサンゼルスの地下鉄はがらがら。乗客は黒人、ヒスパニック。白人はあまり見かけなかった。地下鉄は貧困層の乗り物なのか?日本と大きく違うことを感じた。
・ロサンゼルスで何をしようか?歩き方で調べても、これだ!というものは見つからない。とりあえず興味があったリトルTokyoの日本人移民博物館に行ってみた。日系人の女性?が受付にいたので、日本語で会話が出きるのかなと思ったけど、英語オンリーだった。明治の始め、貧しかった日本人は新天地を求め、アメリカ、中米、南米に渡った。その子孫たちが日本文化を忘れず今もその名残をかろうじて残している。たまたま、入った店のおじいさんは日本語を話せた。日本からきました。と話すと、どことなく懐かしがっていたような。コーバン、ラーメン店、、昔の日本のような感じがした。
・アメリカ人の英語、、やっぱり難しい。早口で何を言ってるのかわからず困ってしまう。安ホステルに2泊したものの、受付の女性もあきれ顔。(この時はまだまだ英語に慣れてなか。今もそんなに変わらんけど。)んー、シンプルな単語での説明でいいのに、、、。
・飯は、、、初めこそハンバーガー等パン系でもよかったけど、やっぱりお米が食いたくなる。中華にタイメシ、こっちに走ってしまう。
・ディズニーランドはちょっとためらってしまうが、せっかく来たんだと、ユニバーサルスタジオへ。予約だけで100ドル以上するけど、、。おじさんでも楽しめますね。
・ロサンゼルスはそのぐらいで(もちろん、ハリウッドは観光しました)、アムトラックに乗ってサンディエゴへ。ここで泊まったホステルの受付のお兄さん、日系人だった。ハーフのようで日本語は話せないが、ここサンディエゴは日系人が多いんだとか。
・サンディエゴでは空母ミッドウェーを見学。せっかくなので、全部見てやろうと一番最上階のツアー?に参加したら、英語ペラペラ案内。しかも全員にどこから来たのかと質問。JAPANからと答えたら、なんだか1人だけ敵艦にいるような感じ。んー、失敗したかも。
・で、サンディエゴから列車に乗ってメキシコ国境へ。
というような感じのアメリカ旅行でした。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2012年01月
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投稿日 2023年12月24日
総合評価:2.0
色塗り投稿です。
バーレーンには1度(トランジットの空港滞在を含めると2度)訪問。アラブ首長国連邦が日本人の観光ビザ不要60日を打ち出して、初めて中東のアラブ諸国に降り立った国がバーレーン(この時はまだ王国ではなかった)。
実はこの旅行を計画する時迷った。
①イエメン→オマーン→UAEのバス横断の旅にするか
②バーレーン→カタール→オマーン→バスでUAE にするか。
イエメンだけはアライバルビザが取得できなかった。大使館での取得しかなかった。で、結局、①に。今思えばイエメンにこの時行っておけば良かった、、、。(それでも国境近辺までは行ったんです、、、)
バーレーンでの思い出は、、、。
・歩き方に載っていた1番安いホテルに2泊。ホテル受付はパキスタン人だった。お土産用に中東のコインが大量に欲しかったので、彼に両替してもらったのでよく覚えている。お金持ち国家バーレーンは外国人労働者だらけ。自国民は少ないと聞く。
・たしかバーレーンで最初に食べた物はサモサだったと記憶している。腹が減り、何か食べようとした店に入って、他の人がどうやって買うのか、繁々と見てたら、おひとつどう?ってな感じで1つ頂いた。小柄なそのアラブ人は後で聞いたらイエメンの方だったよう。お金持ち国家に働きに来るのはパキスタン、イエメン等の貧しい国の方々。、、、そう、今の日本にも言えますね。ベトナム人にネパール人、インドネシア人、彼らがいなければもう日本は成り立っていかないぐらいまでになってしまった。
・2日目は町で流しのタクシーを捕まえ、観光地巡り。歩き方に載ってる観光地全て回る、、、。値段交渉時には、時間制で◯時までに戻ってくるという口契約のもと、たしか8000円ぐらいで。しかしここはアラブ世界だった。
まずは運ちゃん、自分の家に行き、子どもを車に乗せる。???回るところが滅多に行くところでないらしく、子どもにも見せたいと。(たしか砂漠にポツンと1本生えてる木)
別にいいけど、、、、。で、決まった時刻になると車を停めモスクへ礼拝。30分は待たされた。それが3回程。到底口契約した◯時までにマナーマ到着は間に合うわけがなく時間オーバー。すると、超過料金を要求。え?何で? まさかの超過料金請求。やっぱりアラブは契約の国でした。アッラーの神とも契約、、、。
という感じのバーレーン滞在となりました。
サウジアラビアのダンマンからバスでバーレーンへ。前回は日程とビザの関係でできませんでしたが、コーズウェイを越えて、、、という陸路の旅も可能となった。次回訪問するときは、このルートで行きたいです。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2005年12月
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投稿日 2024年01月02日
総合評価:2.0
色塗り投稿です。
カタールには1度だけ訪問。UAEのVISA無し訪問が可能となった時期に、バーレーン、カタール、オマーン、そしてアラブ首長国連邦を回った。この時、イエメンに行ったらよかったのに、後の祭り。イエメンだけは大使館でのVISAが必要だったので躊躇してしまったのだ。
・バーレーンから航空機でカタール入国。VISAは空港で取れた。ドルの手持ちが無く、円で可能か?と尋ねたら、計算してくれ円で支払い。たしか、3000円ぐらいだったかと?
・当時のカタールは何もなかった。歩き方にも何も無いと書かれてたはず。バスも無いとも書かれてたが、他の国から来た労働者たちはどうやって移動するのか不思議だったので調査したら、バスはあった。見るべきものは少ないので時間をもてあまし、カタール北部の町までバスで行ってみた。歩き方にはこの町からバーレーン行きの船が出てるとの記載があったが、行ってみてもそんな船は見当たらなかった。ほんとうにあるんだろうか?
んー、、、カタールの旅はこんなものかな。これぐらいしか思い出せない。
今はカタールも観光に力をいれ始めたようだが、当時はこんな感じ。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2005年01月
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投稿日 2024年01月01日
総合評価:2.0
色塗り投稿です。
ブルネイには1度だけ訪問。2003冬の旅行で。ボルネオ島ポンティアナックでマレーシアクチン行きの国際バスに乗りクチンへ。ここは戦前に存在した白人王国サラワク王国の痕跡を見たかったので2泊滞在し、そしてバスでミリ、陸路国境を越えブルネイへ。
覚えていることはそんなに無いが、いくつか、、。
・日本人は14日間滞在可能だが、当時はまだ安宿は存在しなかった。歩き方にあった一番安いホテルに2泊したけど、1泊8000円はした。若かりし自分にとっては高い!2泊が限界だった。
・バンダルスリブガワンは乗車賃1ブルネイドルの青いミニバスで回った。巡回バスだったので、とにかく便利だった。
・水上生活している地域に行ってみた。初めて見る海上に住む人々。トイレは海にに、、、。熱い地域には海の上が過ごしやすいのかもしれない。ガーナでも水上生活している村を訪れてみたが、同じだった。お店、郵便局、何でもありだ。
・帰りは現地旅行社でブルネイ航空バンコク行きのチケットを購入。たしか20000円程だったかと。
・ブルネイドルはシンガポールでも使えるという。本当かどうか、余ったブルネイドルをシンガポールで使ってみたが、ちゃんと使えた。
ブルネイ王はたしか25代目だったかと。けっこう大きな領土を持ってたが、イギリスに侵食され、サラワク王国やサバ州に。現在は小さな国家。それでも石油で王は大富豪だとか。豪華な煌びやかな王宮。人々はその恩恵で税金、医療等々無料なんだとか。石油が枯渇した時、どうなるんだろうか?そんなことを感じた旅でした。
今度訪れる機会があれば、飛び地のテンブロンやサバ州、そこから船でフィリピンへ、、そんな旅行をしてみたい。サンダカンからフィリピン行きの船、今もあるのかなあ?
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2003年01月
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投稿日 2023年12月15日
総合評価:4.0
色塗り投稿です。
ベトナムには3度ほど訪問。思い出多き国です。というのは、社会人となりヒサーしぶりに海外旅行に行った国がベトナムだったのです。しかも、ホーチミンINハノイOUTの23日間というナガーい滞在。当時航空券を買った旅行会社の人からも、ずいぶん長い滞在ですね、と言われた。訪問した国の中では第3位。1位ガーナ、2位中国、そして3位ベトナム。
1度目は27歳の時だから1995年冬。社会人になって5年たった。そろそろ行ってもいいかな、と上司に旅行申請。当時は海外に行く時は申請が必要だった。旅程を添えて、、、。上司は驚いていた。ベトナム?そんな所、行けるの?という感じ。同僚も???
そう、ベトナムは最近ドイモイ政策とやらで外国人の受け入れを表明したばかりだったのだ。でも、地球の歩き方ベトナム編が出ていて、書店でこれを目にした時に、行ってみたい!そう思ったのだった。社会主義国家中国は大学生の時に訪れ、社会人初はベトナム、資本主義とは世界が違う共産主義がどんなものなのか見たかった。(次の年はラオスに)
ベトナム、ホーチミン、入国時に両替したのだが、大量の札束。なんだこれは!と一気に大金持ちになった気分。久しぶりと、お国柄がまだわからないので、とりあえず1泊目は高級ホテルに宿泊。ドアマンにポーター、ホントにお金持ちになった気分。
荷物をホテルに置いてさあ町歩き、、、と外へ出ると、後ろから誰かがついてる、、。
??「自分をガイドとして雇ってくれ!」と痩せた若者が声をかけてきた。最初は断ったものの、何度も町に幾度に何度も何度も、、。そんなに悪そうな人ではなさそうだし、話だけでも聞こうと、、、。名前はティーンさん。シクロ(自転車タクシー)ドライバー、、妻と1人娘がいるらしい。英語が話せる。わかった!自分、ハノイまで行くんだけどハノイまでガイドしてくれるか?残念ながらハノイまではいけないらしい(旅行ガイドできる制限があるらしい)。南部を一緒にガイドとして回ってくれることとなった。(5日間程で100ドル。)
で、さっそく、まずはクチトンネルとミトーへ。彼が借りた原付カブの後部シートにまたがり出発。クチトンネルでトンネル観光のあと、人生初のライフル射撃を経験。1発1ドル。肩への衝撃が強く思ったようには的に当たらない。(韓国で拳銃体験もしたが、自分にはセンスはないかも)
ミトーでは小舟に乗り2時間程密林を。交渉はティーンさんが全て行ってくれる。ベトナムはまだこの頃英語なんか通じなく、ベトナム語オンリー。ティーンさんがいなければ何もできない状況だった。
ホーチミンでは財布を落としてしまった。バイクの後部シートにまたがってた自分。ポケットに入れてた財布がないことに気がついても遅かった。ティーンさんと引き返しながら財布を探すが見つからず。「ベトナムでは絶対戻らない。」ティーンさんはいうが、警察に行ってみたら、なんと届いていた!あなたはラッキーだ!届けてくれた人に財布に入ってたお金を半分程とお礼を言って別れたが、、、その人が言うには、周りの人は頂いちゃえと言ってたけど、自分はちゃんと警察に届けたんだとか。ベトナムにもいい人はいるんだなあと感じた出来事だった。
で、この旅1番の思い出、ティーンさんお勧めのベトナム避暑地ダラットへ、ローカルバスで向かった。たまたま前の席に座っていた若い女性に声をかけたティーンさん。きっと日本人をガイドしてることなんかを話したのだろう。すると、「私の住んでる村に来ないか?」とのお誘いが、、、。面白そう!まだまだ若い時、ホイホイとついて行く。大家族の家だった。日本から来た若者を珍しそうに歓迎してくれた。田舎の村で辺りは何もないが、「川に遊びに行こう」ということになった。若者たちのバイクにまたがり川へ。いやー、楽しかった!この中にベトナム人のかわいい女の子がいたのでなおさら!言葉は全く通じないが、慎ましやかで笑顔がかわいい!アヒル口がまたいい!服着たまま川に入ったり、水掛あったり、、ティーンさんが耳元にささやく。あの子、かわいいよね。全く同感。一緒に写真を撮ったが、その写真は一番のベトナム記念写真。
その夜、その家に泊まるわけだが、何か寝付けず、、。あの子もこの1つ屋根で寝ている、と考えると、、期待は膨らむばかり、、。結局何も起こらず朝を迎えるわけだが、ティーンさんが言うには、夜這いしても良かったんだよ、、とか。ベトナムにはそんな慣習があるんだろうか?でも、そんな度胸もないしなあ、、、。
ダラットでもなんだか色々あったが、忘れてしまった。で、次のティーンさんお勧めのニャチャンへ。ここは覚えている。ベトナムのリゾート地ニャチャン、、。ここでは海に行った。せっかくなので豪華に食事。ビーチ沿いにあるレストランでシーフードに舌鼓。ティーンさんにもいっぱい食べてもらおうとたくさん注文。ドンがべらぼうに安く、こんだけ頼んでも3000円にも行かない。でもでも、、ティーンさんの箸はなかなか進まない。遠慮してるのかな?と思い、たくさん食べようよ!と誘っても食べない。???「もう食べないんですか?」満腹となった自分にティーンさんが聞いてきた。すると、余った料理をレストランで借りた鍋に入れ始めた。???持って帰るの?不思議だった。
「オーイ!」ティーンさんが呼び掛けると、集まって来る子どもたち。鍋に入ってた余った料理を美味しそうに食べる子どもたち、、、。「ここにはストリートchildrenがたくさんいるんです。」、、、ティーンさんが食べなかった理由はこれだったんです。なんだか、せつない思いを感じました。
まだまだ話は続く、、、
色塗り投稿でした。
- 旅行時期
- 1988年12月
-
投稿日 2023年12月24日
総合評価:3.0
色塗り投稿です。
スリランカはトランジットの旅行記を挙げてましたが、削除されてしまいましたので、クチコミで再度。
スリランカは2度程訪問。
1度目は2015冬の旅で。なぜスリランカ旅行を計画したかと言えば、以前一緒に勤めてた方と、偶然にもソウルの空港?で再会したからなのです。その方に、どこに行ってきたんですか?と尋ねたら、スリランカだとか。スリランカ、とっても良かったよ!とのこと。それを思い出し、嫁に提案するも、いい返事はもらえなかった。じゃあ、俺だけ行って来るわ!ということになったのだが、出国が近づくにつれ、やっぱ行こうかな?いや、やめとく、、優柔不断。最終的には来るということに、、しかもエコノミーは既になかったとのことで、ビジネス?ファーストクラス?どっちで、、、。ハハハ。ゆっくり寝れて来れたとか、、、。
で、女性は強い。以前は韓国に一緒に行ったんだが、意見が噛み合わず、行き違いばかり、、せっかく来たのに、、、。ということで、今回はいい旅にしたいとの思いで大名旅行。現地旅行社にほぼお任せで、日程を組んでもらい、ドライバー付きのプライベートタクシーをチャーター。5泊6日?
自分はひとあしさきにモルジブからスリランカに着き、列車でコロンボへ。そこで1泊1000円の安ホテルに泊まり、次の日、また列車でコロンボ空港まで嫁を迎えに行く。そこでドライバーさんとおちあい、大名観光へ。一緒で来ないことに不思議がってたが、夫婦共働きではしょうがない。
1日目は世界遺産の町キャンディへ。途中、嫁が興味を示したガーデニングに立ちよったのだが、そこのガイドのおじちゃん、何やら気安く触ってきたとかで、ちょっと嫁は不機嫌。脱毛の塗り薬を自分は試しにすねに塗ってもらったんだが、これには驚いた。効くはずがないと思ってたけど、日本に帰ってからもその塗った部分だけは脛毛が生えない。摩訶不思議な薬もあるんですね。で、仏歯寺等観光。
2日目は紅茶生産の盛んなヌアラエリアへ。途中、観光列車に乗車しながら、高地の涼しい町に。工場直販の高価な紅茶も飲みに行った。
3日目はホエールウォッチとサファリへ。嫁が楽しんでくれるものと予約したオプションのホエールウォッチ。すっかり忘れてた。船に弱いことを、、、。クジラは尻尾だけちょこっと自分は見られたが、嫁はそんなものは観る余裕はなし。ゲロゲロ吐いていた。ごめん!サファリの方はアジア象の怖さがわかった。普段はおとなしい象さんも、1頭、車に向かって怒り狂って暴れ回ってた。
4日目は世界遺産の町をちょこっと見に行って、スリランカ南部をぐるっと回る観光の旅は終わり。最後の日は2人で列車で近郊の海へ。泳ごうと思ってたのに、海はそんなに綺麗じゃなかった。仕方なく、プール付きのホテルを探し、ここに急遽宿泊。プールに入って仲良く、、、。
でも最終日の帰りにやってしまった。空港まで列車で安く行けるよ!、、、観光列車だけでなく、地元の列車にもと勧めたのが行けなかった。空港行きの列車は迎えに行ったときはすんなり行けたのに、、、。乗る列車を間違えてしまった。あれ?こんな所通ったっけ?んー、何か違うな、と他のお客に聞いたら、この列車は空港行きではなかった。すぐに降りて、空港へ。幸い尋ねた方が心配してくれ、トライタクシーを手配してくれた。今乗れば帰国便に間に合うよと。
、、、嫁の顔は見れなかった。この便で嫁は帰国し仕事が待ってるのだ。仕事に間に合わなかったらどうすんのよ!バスで来れば良かったのに!きっと怒られると思ってた。恐る恐る横に座ってる嫁の顔を見たら、、、笑ってた!え?
無事帰国便にも間に合い、嫁は上機嫌で空港内でお土産等ショッピング。スリランカルピーの持ち合わせがなくなり、自分の小遣いのスリランカルピーも頂いて行く程上機嫌。あとで聞いたら、最後が一番楽しかったとか。焦ってる自分の顔が、、、。
そんな嫁とのスリランカ旅行となりました。口喧嘩せず楽しく行くにはどうすればいいか、学んだ旅でした。嫁は絶対、、、これなんですよね。これが夫婦円満の秘訣、、学んだはずなのに、、、。
ちなみに自分はまだ休みがあったので、嫁が帰ったあともスリランカを列車で旅行。アヌラーダプラ、シーギリヤ、ダンブッラ、ポロンナルワ、トリンコマリー、バドゥッラ、キャンディで象の孤児院等々、列車で行けるスリランカの見所はほぼ全て。唯一行けなかった路線は、サウジアラビア旅行時のスリランカトランジットで、、、。これがスリランカ2度目の訪問となりました。
以上、色塗り投稿でした。
- 旅行時期
- 2015年01月
-
投稿日 2023年12月23日
総合評価:3.0
色塗り投稿です。
ソロモン諸島には1度だけ訪問。日本史を教える身としては避けられない地ガダルカナル。餓島と呼ばれた日本軍が全滅した地。
ツアーで行くとなるとかなり高額。ここは南太平洋ミクロネシア周遊と兼ねて訪れてみることにした。バヌアツから一番安かったニューギニア航空にてホニアラ到着。空港で町までのバスを聞いたら、親切に空港から少し歩いて通りに出たら3ソロモン諸島ドルの乗り合いバスで行けますよ!と。たいていタクシーで行け!と言われるのに、、、好印象!で、ホニアラ市街地へ。でも、予約した1番安かった宿はドルフィンビーチ、、、1泊40オーストラリアドル。町から20キロ程、、、かなり離れてる宿だった。どうしたものか、てくてくそちらの方に向かって歩いてると、幸運にも、どこに行くの?と声をかけてきた車が。ご厚意で荷台に乗せてくれた!これから家族とキャンプに行くんだとか。よかった
ラッキー!で、無事宿に到着。どうやってきたの?宿に着くなり不思議がる宿の人達。空港から宿までのトランスファーの案内がメールで来てたのだが、何とかなるんじゃないかと頼まなかったからだ。車に乗っけてもらってきたと話すと呆れ顔。
それでも、この宿から歩いて30分ほどの所に戦争ミュージアムがあるというので、宿の家族の若者が連れて行ってくれた。ミュージアムは既に開館時間が終了していたが、若者が頼むと開けてくれた。(入場料はもちろん取られるけど)朽ち果てた小さな戦車の残骸や砲弾、、、ソロモン諸島の重要な観光資源となっていた。帰り際、ソロモン諸島はどうだ?と若者が聞いてきた。来たばかりなのでよくはわからないが、雰囲気はアフリカに似てるね。と話すと、なんだか憤慨したみたい。ここは元英領だったので、家や建物、自然の風景さえなんだかガーナに似ていたのだ。人の素朴ささえ似ている、、そんないい意味で答えたんだけど、
、。
2日目は日本人経営のキタノメンダナホテルへ。宿の方から町へ行くミニバスの乗り方等聞いてたしか20ソロモン諸島ドルで町へ。1泊2万円程と高いけど、この日にショーがあるとかで宿を移った。そしてホニアラ市街地を散策。銀行に行ったり(宿の方が一番レートがいい銀行を教えてくれた)、博物館に行ったり、床屋に行ったり、、、。髪がボーボーだったので、ホニアラの床屋に行ってみた。町の人からどこにあるか聞き出し、行ってみたら、、、ガーナやインドとは違って、普通の小さなバーバーショップだった。ガーナではバリカンで丸坊主、インドでは路上の散髪、、どんな感じか期待したけど、普通の床屋でした。外国人のお客にちょっと最初は戸惑ってたけど、気持ちよく散髪できました。たしか100ソロモン諸島ドル。
お店は、、、中国系の商店がほとんど。中国人は世界のどこにでもいる、、、。
3日目の朝は、キタノメンダナホテルの日本語を話すスタッフに、戦跡巡りをアレンジしてもらい(あまりよく調べてこなかったので)、4WDの車で周ってもらった。ドライバーはスタッフがメモした紙を見て回ってくれる。場所もよく知っている慣れた人だった。で、7ヶ所?程東側の戦跡を周った。日本軍の上陸地や日本の祈念塔、戦争ミュージアム、、アメリカ軍の戦車と比べればなんと小さいことか、、、。不覚にも少しばかり当時の日本兵への想いで泣いてしまった。ここで食べ物もなく、マラリアで亡くなった方も多かったと思うと、、、。(マラリアには自分もガーナでやられた。急激な悪寒、40度以上の高熱、、) 料金はたしか8000円程だったかと記憶してるが違ったかも?
で、またドルフィンビーチへ。道の途中に船の残骸が残っている。名前は忘れたが、日本の商業船だったかと。途中で降り、そこに行ってみたら、お金を徴収するおじさんが、、、。ここの管理人だとか。え?こんなただの海辺なのにお金取るのか?納得できないので払わなかったが、これで家族を養ってるんだとか、、、。そんな話を聞くと少しばかり、、、。
宿に戻ると、子供たちが楽しそうに泳いでいた。ここで泳ぐつもりはなかったのだが、なんだか楽しそうな様子を見てると自分も、、、。シュノーケルやフィンを子供たちから借りて自分もひと泳ぎ。ソロモン諸島の海は思いの外、綺麗な海でカラフルな魚たちもたくさん泳いでいた。
という感じのソロモン諸島滞在でした。日本人なら訪れるべき地、そう思います。もう1つ、パプアニューギニアのラバウルにもいつか訪れたいと思っています。
色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2017年01月
-
投稿日 2023年12月22日
総合評価:2.0
色塗り投稿です。
バヌアツには1度だけ訪問。でもたった1泊限り。本当は2泊3日の予定がニューカレドニアからの飛行機に乗り遅れ、次の日に。結局1泊だけになってしまった。
航空機で夕方到着。この同じ航空機でたまたま1人旅の日本人女性と出会った。話を聞くとフィジーに英語を学びに来てるんだとか。ついでにバヌアツの火山を見に行くんだとか。せっかく一緒になったので、町まで一緒に行こうということに。空港を出るとミニバスが停まってた。情報によれば乗り合いバスなら150円程度で行けるはず、、、。しかし彼女がドライバーに料金を聞くと、2千円程。???と思って乗っていったけど、タクシーとして使えばそのくらいの料金なのかもしれないが、乗り合いミニバスとして使うなら150円ほどのはずだ!と彼女に教えると、、、憤慨しだした彼女。降りる時に150円程払って降車。別にドライバーも文句を言ってこず。、、、バヌアツでは乗り合いタクシーとしてミニバスに乗り込むのがいいようです。150円ほどで空港から町まで行けます。
で、彼女と降りた場所はバヌアツで日本人スタッフのいる旅行社が入っているホテル。彼女は明日にでもタンナ島ツアーに参加するとのことなので。でも自分はブッキングコムで予約した安ホテル。旅行社の日本人に、送ってあげますよ!と言われたものの、近いはずだと思ってたので遠慮、、、。これがたいへんなことに、、、。でも1番のいい思い出に。、、、
きっと地元の方に聞けばわかるはず、、、と安易に考えていた。でも誰もそんな安ホテルをしらないのだ。でも親切な方はいるもんだ。そこにたまたまいた男性の方に尋ねると、ちょっと待ってて、一緒に探してあげるよ!と、、、。強面の彼と一緒に今夜のホテル探し、、、。いろんな方に彼は尋ねてくれるが見つけられない。しまいには大きなホテルに入って、ネットで捜索依頼。、、、で、やっと今夜の予約してた宿を見つけた。ここが宿?看板もないし、ただの普通の民家。これは絶対1人では見つけられない。チャイムを鳴らしても誰も出てこない。、、、彼が大声で呼び掛けてくれた。すると宿泊客が気づいて出てきてくれた。、、、
今夜の宿はこうして見つけた。彼がいなかったら絶対野宿してたと思う。強面の彼に最初はヤバイなあと疑心暗鬼だったが、反省。バヌアツの方に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。人は見かけで判断してはならない。教訓です。1時間以上宿探しに付き合ってくれた彼に感謝です。お礼を言って別れたものの、今度行くときには彼を探し、再度お礼を言いたいと思います。
で、朝からポートビラの町をてくてく散策し、市場や人々の様子を見ながら、お昼ごろには空港到着。航空機でソロモン諸島へ。
空港で両替したバヌアツバツはまだ大分残っている。いつかまた訪れるつもりでいます。せっかくならタンナ島火山見学に行ってみたいので。(エチオピア、アイスランドで火山は見に行ったけど、どうせならもう1つ、、、)
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2017年01月
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投稿日 2023年12月21日
総合評価:4.0
色塗り投稿です。
パラオには1度だけ訪問。ゴールデンウィークにはだいたい国内旅行に行くのだが、その年は連休が長かったので、韓国の東海という町からロシアウラジオストクストックへ週1便あったフェリーで渡り、久しぶりのロシアを観光。そして寒いのでソウルに飛び、そこから暖かいパラオへ3泊4日。
・パラオには朝到着。まずはすぐさまレンタカーを借りてバベルダオブ島観光。定番のガラスマオの滝や北部の観光地を、地球の歩き方を見て回った。ガラスマオの滝の他にもう1つ滝がある(ガスパンの滝?)と載っていたので探し回った。でも、既に廃れた?ようで案内看板はなかった。マップスミーを頼りに、この辺りかな?と見当をつけ降りてみたら、何やら水が流れる音が、、、。下りてみるとガイドブックにあった滝だった。誰もいない、案内表示もない、、、誰も行かなくなると観光地も変わってしまうようです。
ガラスマオの滝も、トロッコ?で行けるような記載があったのだが、既に錆び付き運行されてはいなかった。
・朝の観光はお得かも?入場料を取られるパラオ観光。でも朝だと誰もおらず無料?ちょっとだけお得かも?
・バベルダオブ島とコロール島は橋で繋がっている。最初は韓国企業が橋を建設したらしいが崩落。その時はパラオのインフラがストップされ大混乱に陥ったのだとか。で、日本の援助で再度建設。この橋を見たかった。車から降り、橋の側におかれたプレートをまじまじと眺める。日本の国旗とパラオの国旗。両国の親密さの象徴がこのジャパンパラオフレンドシップブリッジ。誇らしく思える。
・レンタカーがあるとすごく便利。海外レンタカーはサイパン島を皮切りに、グアム島、ニューカレドニア島、ニュージーランド南島、そしてアイスランドで海外デビュー。最初こそ左ハンドル、しかも久しぶりのマニュアル車でおっかなビックリだったが、慣れればやっぱり便利。ニューカレドニア、アイスランドでは車中泊も。
・パラオでは2ヶ所あった公共ビーチに行ってみた。1ヶ所は日本人?カップルが日向ぼっこで自分だけの独占。もう1箇所は地元の方もたくさん泳いでいた。観光客はホテルのプライベートビーチで泳ぐのか全く見かけなかった。
・パラオではホテルにおいてあるパンフレットで、ペリリュー島戦跡ツアーを予約。日本語の電話で簡単に予約できた。120ドル。ここは日本人にとってパラダイス。以前はサイパンがその地位だったけど、今サイパンは韓国人、中国人のパラダイスと化している。本当はもうひとつ世界遺産へのツアーにも参加してみたかったが、時間がなく、この戦跡ツアーのみ。それでも、自衛隊出身のガイドの案内は抜群だった。
ただ、あとで調べてみたら、ペリリュー島、アンガウル島には公共の船でも行けるらしい。次回はアンガウル島へも行ってみたい。
・宿泊は一番安かったホテルに。それでも1泊60ドルはした。朝食はついてないので、町を探し回ったら中華料理店が唯一開いていた。(朝食バイキング。)でも、ガソリンスタンドに入ったら弁当が売られていた。ナーンだ、ここで弁当朝食でよかったんだ。朝食を安く済ませたいならガソリンスタンドで売ってる弁当ですね。
で、一番の思い出は、、、。
・レンタカーを借りる時、スタンドは何時まで開いているのか確認した。そしたら夜も開いているよと。その情報を信じたのが間違いだった。帰国時の夜、ガソリンを入れようとスタンドを探すがどこも閉まっている。ヤバイ、ガソリンが残り少ない!空港まで絶対持たない。無理を承知で、灯りはついてるけど営業終了したスタンドへ駆け込んだ。そこのガードマン?に、日本人なんだけど、ガソリンがない。何とか入れさせてもらえないか!飛行機に間に合わない!と頼んでみた。すると、ガードマン?、ちょっと待ってて、、、と。数分待ってると、ガードマンさん、ポリタンクに入ってるガソリンを持ってきてくれた。家まで取りに行ってくれたんだとか。
、、、よかった!助かった!パラオの人たち、やっぱり親日なのかも?無事飛行機に間に合い、帰国。
という感じの旅行となりました。パラオ、良いところです。機会があればまた行きたい国です。
以上、色塗り投稿でした。
- 旅行時期
- 2017年05月
-
投稿日 2023年12月20日
総合評価:2.5
色塗り投稿です。
カンボジアには2度ほど訪問。
1度目は下川さんの歩くアジアを読んで、カンボジアからラオスに渡れることを知り、自分も試みた。コースは逆で、ラオスからカンボジアへ。わざわざビエンチャンのカンボジア大使館でカンボジアビザを取って確実に、、、と思ってたのに。大使館の人が言うには、この国境は特別な国境。行けるかはわからないという。悪路の陸路でラオス国境にたどり着いたのだが、役人が言うには、カンボジア側が入国を許可するなら出国スタンプを押すとのことだった。で、行ってみると、、賄賂200ドルくれるなら通してあげる。町まで護衛つきだとのことだった。わざわざまたラオスに戻りタイからカンボジアに行くのもなんだし、200ドル払ってもよかったのだが、、前例をつくると賄賂が横行、、次の旅行者のためにもそこは断った。で、ラオス側の国境で一晩お世話に。この国境には若者の役人たちが、、、。誰もいないこの国境に行くのはやはり若者たち。珍しい客にもてなしてくれた。飯を頂いたり、シャワーに連れて行ってくれたり、、、(シャワーに行くぞとついていくと、そこはメコン川。初のメコン川での水浴びとなった。)で、タイ側に戻り、、、(あとはタイの思い出で)
結局バンコクで、プノンペンinホーチミンoutのオープンジョーチケットを購入しカンボジアへ。
カンボジアでは1泊3ドルのキャピトールホテルへ2泊し、プノンペン観光。3ドル?驚いてしまう世界だった。当時は1ドル100円を切る超円高の時代。物価の安さにびっくり仰天。映画キリング・フィールドで見たキリング・フィールドにバイクタクシーで行ったり、王宮を見に行ったり、即席で覚えたカンボジア語で買い物し冷やかしたり、列車が走っていない駅へ行ったり、、、で、バイクタクシーで、バベット国境を越え、ベトナムへ。これが1度目。
2度目はタイからの東南アジア縦断の旅で。バンコクから列車でアランヤプラテートまで。そこから国境を越えポイペトへ。この国境でカンボジアビザを取るのだが、旅行者を鴨にする輩が待ち構えていた。ポイペトからはバスでシェムリアップへ。前回訪れていなかった世界遺産アンコール・ワットを見るために。ここはさすが世界遺産。観光客がたくさん。でもホテルはやっぱりここでも安かった。寝られさえすればいいので。
アンコール・ワット、、、いいですね。カンボジアの宝ですね。シェムリアップからはバスでプノンペンへ。2度目は見るところもそうないので、早々にラオスへ向かう。バスターミナルに行くとなんとダイレクトにラオス行きの国際バスもあったが、自分はミニバスで途中にあるカンボジアの田舎町ストゥントレンに。何にもないけど、カンボジアの田舎はどんな感じなのかが見たかったのだ。で、ミニバスでラオス国境に。以前来た国境とは場所も違っていた。時代が変わると交通も変わっていた。立派な国境管理事務所が。以前来た時は未舗装の埃まみれになるトラックバスだったのに、、、。ちゃんと舗装されていた。で、ラオス南部にある世界遺産へ。
カンボジア、自分は好きですね。ラオス人も人の良さを感じますが、カンボジア人にも同様な感じを受けます。子供の頃はカンボジアなんてとても旅行なんてできない場所(地雷がいたるところに埋まってる危険な国)だったのに、今では平和な国。
イラクもアフガニスタンもイエメンも、いずれ時が経てばカンボジアのように復興する、、、そう期待しています。
カンボジア、次行く時は列車に乗りたいですね。
色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2015年12月
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投稿日 2023年12月20日
総合評価:1.0
色塗り投稿です。
オーストラリアにはたった1度だけ。それも1泊2日シドニー滞在だけ。サモア、トンガ、フィジーの南太平洋周遊のトランジットで。
物価も高いので1泊限り。日本が冬の時、オーストラリアは暑い夏、、これと、オーストラリアには固有の動物たちがいることだけは確かめられた。
シドニーでは定番の世界遺産オペラハウス、それからコアラを抱きに動物園へ。観光はこれだけ。
思い出は、、、。
・シドニーの町歩きで道に迷い、地球の歩き方の地図をだし、道を確認してたら、現地のおじさんが、キャナイヘルプユー?と、、、。初めて生の英語で言われたのでよく覚えてる、、、。ほー、オーストラリア人、けっこう親切なのかも?白豪主義って社会で習ったけど、もう昔のことなのかも?
・髪を切りたく、たまたま入ったバーバーに、なんと日本人理容師さんが!ワーキングホリデイで働いているんだとか。ここで働いたら英語はうまくなるよな。
・オーストラリアと言えば、自分が思い付くのは、現地民アボリジニ。是非会って見たいものだと思ってたら、シドニーの繁華街を訪れてみたら居た!1人で酒飲み酔っぱらっていた。回りは白人だらけ。アボリジニは現地ではそういう立場に立たされているんだろうか?ニュージーランドのマオイとはなんだか違う存在のように感じた。
という感じで特にこれというものはないが、、、。もっとじっくり訪れれば違った発見ができるんだろうが、、、なんだか旅をしたいとは思えないのだ。でも1泊2日では何も見えてこないだろうな、、ニュージーランドもそう思ってたけど、じっくりレンタカーで回ってたらその国のよさがなんとなくわかってきた。オーストラリアももっとじっくり旅をしてみないと、、、。いずれ、列車旅で、、、。
色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2002年12月
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投稿日 2023年12月20日
総合評価:3.0
色塗り投稿です。
ブータンは2度程訪問。といっても、1度目は陸路ブータン入国に失敗し、インドのジャイガオンから密入国を繰り返す。で、次の年、今度は安全策を取り、空路パロ入国、プンツォリン出国。この2回。
1度目はなぜ失敗したかというと、バングラデシュでインドのビザを取るのに時間がかかってしまったから。悔しいので、バングラデシュを旅行しインドにぬけ、ブータンとの国境にあるジャイガオンという町から、インド人のふりをして密入国。この町、ちょっと国境の門をくぐればもうそこはブータンなのだ。最初こそドキドキ!でも1度越えればナーンだ!チェックしている人もいるのだが、そんなに厳しいわけではないので、人混みに紛れればすんなり。(ただ、1度見破られ注意されたけど、、、。) 日本人ならブータン人ともそう変わらんし、たやすく行けるでしょう。自分はブータン人よりもインド人に近い?ので、インド人のふりで、、、。
ただ、このプンツォリンからティンプーまでは行けそうにない。途中パスポートチェックがあるらしいので。行けなかった綺麗な首都への道を恨めしく眺めるだけで1度目は終わった。1日200ドル×5日で、計1000ドル以上損したんだし、まあ大目に密入国許してよ!そんな気持ちでの密入国だった。(現地旅行社とメールでやり取りし、プンツォリンから陸路入国のブータン旅行を予約していた)
2度目は再度同じ旅行社で。今度はバンコクから安全策のパロへ空路入国。どうやら昨年、プンツォリンでずっと待っていた方が今回もガイドだったようで、、、。昨年、プンツォリンで5日間程あなたを待ってたんだ。とのこと。電話したんだけど、通信事情が悪く通じなかったことを話し、謝る、、、。バングラデシュでインドビザを取るのに1週間、、、。これが20万ものいタタタタの出費の理由、、、。日本でビザ取っとけばよかったと後悔してもあとの祭り。
ブータン個人旅行は当時冬の閑散期の時期で1日200ドル。これでガイドと専属ドライバーがつく。ホテル代、飯代、交通費全てコミコミで1日200ドル。大名旅行だった。日程はたしか、タクツァン僧院トレッキングに、ティンプー観光、そしてトンサという町のお祭り見学、そして、民泊をリクエスト。で、プンツォリンから出国。この日程で4泊5日のブータン旅行。
・民泊をリクエストしたのだが、泊まった家はドライバーさんの家だった。田舎に住んでるドライバーさん。奥さんにおばあちゃん、子供たちのいる家にお邪魔したわけだが、、お金を払って民泊、、あまり歓迎されてはいないような、、、ご飯は男性が先?お客さんを優先させるのかな?みんなでご飯を頂くものと思ってた自分。なんだか気分的に寂しい夕食だった。これがブータンの慣習なのかな?
・泊まった部屋には国王夫妻の写真が飾られていた。ブータン王国、、、王様の人気はあるのかな?
・世界1辛い食べ物を食べている人たちはブータン人だと悟った。インドのカレーなんて比じゃない。唐辛子にチーズがかかったエマダツィ?というおかずを食べ、その辛さをまぎらわすため?に、ご飯を掻き込む。ホテルのレストランで出されるエマダツィは外国人向けに辛さを押さえていたのだ。知らずに、地元のレストランで夕食を食べたいとリクエストして、行って食べたらもう涙目。凝んなに辛いものをブータン人は食べてるんだ、、、。これでも辛いもの大好きな自分。この地元のレストランのエマダツィだけはギブアップしました。世界で1番辛い物を食べてる人達、それはブータン人だと確信しました。
・ホテルに泊まってる外国人旅行者は家族連れ。個人で来ているという人はあまり見かけなかった。出会った日本人も団体さんが多かった。専属ドライバーにガイドがついている大名旅行。個人旅行ではあまり旅をした!という感覚はない。ちょっと物足りない旅でした。ここは仲間がいるツアー、または家族旅行で訪れた方が楽しいだろうなと思ってしまいました。
という感じのブータン旅行。ブータン、、経済よりも幸福度を大事にするという概念を打ち出した国。仲間と回る旅をした方がいいかもしれません。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2007年01月
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投稿日 2023年12月16日
総合評価:2.0
色塗り投稿です。
モルジブには1度だけ訪問。2014冬のスリランカ旅行の際に。
嫁とスリランカ旅行。仕事の関係で日程が合わず、一足先に行って嫁とスリランカで合流。待ってる間がもったいないので、モルジブまで行って2泊3日の旅行。大韓航空でモルジブマレまで行って、帰りはスリランカからのオープンジョーチケットを購入。モルジブースリランカ間はスリランカ航空で別購入1万2千円程。
リゾート滞在しかできないと思ってたモルジブもマレ滞在なら普通の旅行並みに訪れることができる。ブッキングコムで1泊4500円程のモーテルを2泊予約し、入国時に復路の航空券とホテル予約書を見せれば、入国が許可された。
1日目、、、
空港からはボートで首都マレまで。ここは小さな島。そんな中に所狭しと建物が林立する世界屈指の人口過密地域。ほー、ここがモルジブか!と少しばかり興奮。だってモルジブ何て絶対訪れることなんかないよな、そう当時は思ってたから。何はともあれ、この島をてくてく1周。海岸沿いにはテトラポットで津波対策がされていた。看板を見るとJAPAN国旗が。日本の支援でこの津波対策がなされてるらしい。さすが日本!誇らしくなる。ガーナでも、、、住んでた所の近くに橋がかかっていた。ずいぶん近代的な橋だなと思ってたら、やっぱりJAPAN国旗が。この橋は日本国民がガーナ国民のために作った、、とかという標示が。日本政府ではなく日本国民が、というところがにくい!
で、鰹がとれる港に行ったり、地元食堂に入ったり、公園にあるでかいテレビでモルジブの番組を見たり、、、。
2日目
せっかくなので泳ぎたい。隣の小さな島へ渡る船に乗り、泳ぎに、、、。リゾート地域に行けばもう1日じゅう海三昧なんだろうが、貧乏旅行者にはこの島の公共ビーチで十分。インド洋で海水浴。地元の方も。(こちらの女性、水着なんかは着ない。服のままで海に入る)
という感じの小旅行。嫁にモルジブ行ってきたことを話すと、スリランカよりモルジブの方に行きたかっただって!、、、
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2014年12月



