kasekunさんのクチコミ(8ページ)全196件
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投稿日 2023年09月01日
総合評価:4.0
色塗り投稿です。テーマがバングラデシュだったので思い出して、、、。
バングラデシュ訪問は20年程前の冬に1度だけ。ブータンに行くのに、陸路プンツォリン入国で4泊5日のブータン個人旅行を現地旅行社に予約していた。バングラデシュでインドVISAを取り、そのまま陸路で行こうと思っていた。だが、失敗!インドVISA取得に1週間かかり、結局入国予定日に間に合わず、、、。全てパーとなってしまった。
結局、この時は、悔しいのでバングラデシュ旅行後、取得したインドVISAで陸路出国、インドのジャイガオンとブータンのプンツォリンの密入国を繰り返し、その後寒い寒いダージリンへ。そしてダージリンヒマラヤ鉄道に乗ってコルカタまで。思いされることは、、、
●バングラデシュのVISA。タイバンコクからダッカまでタイ航空で来たのだが、航空会社にバングラデシュのVISAがないことを問いただされる。ネット情報では、日本人はアライバルで入国できる旨を伝えたが、では自己責任で!とのこと。もし入国できなかった場合でも責任は追えない。自費で戻るようにとのこと。、、、いまいちこの時は、バングラデシュのVISA関係は不明瞭だった。無料でアライバルで取れるとか、50ドル払うだとか、陸路出国には書類変更が必要だとか、大使館情報も??だった。で、結局、実際行ってみたら、空港で15日間のアライバルVISAが無料で取れた!陸路出国も書類なんか必要なかった。
●ダッカの空港からは旅行人ガイドブック地図に載ってたそばにある鉄道駅まで行き、ダッカの町行きの列車に乗った。やっぱり、激安で列車に乗れた。列車が一番安い!
●すぐにインド大使館に行き、VISAを申請したのだが、1週間かかるとは思っていなかった。あとから振り返ってみるとトランジットVISAでよかったかもしれない。これなら即日取れたのかも?知らずに観光VISAを申請したのが間違いだった。
●リキシャーが便利だとわかった。最初は値段交渉してから乗ってたが、地元民の様子を見たりして何度か使っているうちに、5TAKA払えばいいことに気づいた。近場なら5TAKA(10円程)。文句を言うようなら、また5TAKA払えばいい。もう、バンバン、リキシャーを使った!
●バングラデシュの方にはびっくり!道を尋ねただけで、大勢の人達が集まってくる!イヤー、スゴイスゴイ!芸能人にでもなった気分。ぞろぞろ自分の後ろに大勢の人達がついてくる。外国人なれしていないのかな?
●もうブータンには間に合わないとあきらめ、バングラデシュ観光に変更。1週間後のインドVISA取得まで、ロケットスチーマー(外輪船)に乗ってダッカに戻ってこようと、列車でラジャシャヒへ。プティアのゴビンダ寺院を見たり、クルナではバゲルハットに行ったり、、。ロケットスチーマーにも2等個室で乗船。優雅に船旅を楽しんで、ダッカに戻った。
●ダッカでインドVISAをゲットし再度列車で北上し、インド国境チラハティを寄り道しながら目指した。 デナジプールのカントノゴル寺院を見に行ったり、、、バングラデシュでは列車旅がいいですね。乗客に、俺んちに遊びにこないか!と誘われたりしました。が、若かりし頃ならホイホイ行ったと思うのですが、ある程度の歳になると警戒心で断ってしまいます。行けばよかったかも、、、ただ、列車旅で気をつけないといけないことが、、、。 それは投石!チラハティ行きの列車に乗ると、車掌が、ここは危ない!と注意され、窓のない先頭列車に移動。本当にガツン、ガツン、と石が当たる音が、、。心ない子供たちがきっと遊び半分で列車に石を投げつけるんでしょう。優しい車掌さんで良かったです。無事、チラハティに到着!が、、、国境は閉まってました。ここから数キロ歩いて国境まで行くという情報がガイドブックにあったのですが、チラハティ国境は昨年廃止になったんだとか、、、。
●別の国境を目指す、、。で、ブリマリ国境に変更。地図で見る限り列車で行けるはず。チラハティからまたまた列車で戻り、パルバティプール駅からラルモニハット行きの列車を探すものの、?? どの列車かわからず。しかも切符も売ってない? 回りの人に尋ねてみると、、これだ!とのこと。貨物列車?に乗り込む人々と一緒に自分も人生初の無賃乗車。でもラルモニハットからブリマリまでの列車はわからず、バイクタクシーで。なかなか楽しい国境行きとなりました。陸路出国の書類も必要なく出国税を払って無事インドへ。
●そうそう、バングラデシュで風邪を引いてしまい、薬局?で、症状を身振り手振りで伝え飲み薬を処方してもらいました。そしたら効くもんですね!2、3日で治りました。庶民は病院になんか行かず、みんな薬屋に頼ってるんでしょうね。
●カレー好きな自分。バングラデシュでは毎日美味しいカレーを食べてました。温かいご飯にカレーは最高です!遅くに行くと冷たいご飯になってしまい、美味しくない!安いしうまいし、カレー好きならいい国ですね。
、、、ということで、自分にはバングラデシュ、旅行しやすい面白い国でした。- 旅行時期
- 2008年01月
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投稿日 2023年11月23日
総合評価:2.0
色塗り投稿です。
サンマリノには1度だけ訪問。いつかは訪れてみたいとかねがね思ってました。イタリアに囲まれた小国、子供の頃から世界地図を見ながら不思議なところだなと思ってました。
で、1度目に行こうと考えたのはイタリアから船でギリシャへ渡り、北上してバルカン半島の旧ユーゴスラビア諸国を回り、そしてまたイタリアに戻ってくる旅で。ローマに到着したその日に列車でリミニに行こうとしてたのに、何かあったらしく列車は運休となってしまった。仕方がないないのでまっすぐ列車でアンコナへ。アンコナからはギリシャイグノメンツィアへ行く船が出るので。
で、2度目にやっとサンマリノ訪問達成!
ローマからウクライナ航空リトアニアヴィルニュス行きは夜中3時発だった。んーと考えたあげく、そうだ、以前行けなかったサンマリノに行ってみようと。ローマ観光後、夜の列車でリミニに。翌日バスでサンマリノへ。そして夜の列車でローマへ戻り、夜中3時のヴィルニュス行き、、、こんな計画を立てた。問題はローマの空港まで、、ネットで調べたらローマテルミニ駅前から空港へ行く23時30分発のバスがあった。ローマに23時に到着する列車で十分間に合うと踏んで、サンマリノ観光後にはリミニも少し町歩きもできる。
で、実行したわけですが正解でした。ローマ1泊分も浮き、なかなか行く機会がないサンマリノへも訪問できました。(ついでに前日のローマ観光では国家に準ずる扱いを受ける不思議な団体マルタ騎士団関連の建物を見て回った)
・特に思い出というものはないが、、、情報として、、サンマリノを訪れる際には是非入国スタンプを!5ユーロ?(忘れてしまった)ですが、ツーリストインフォメーションで購入できます。で、この時、お釣りをもらうため、きっかり払うのではなく、ちょっと多めのお札で、、、。自分の場合、貴重なサンマリノのユーロコインでお釣りをもらいました。おじさん、日本のパスポート見せると、なんだかにこやかになって、このお釣りをくれました!サンマリノのユーロコイン、なかなか手に入りませんよね?
次行く機会があったら、ヨーロッパにある唯一の神社、サンマリノ神社へ訪問したいと思ってます。
色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2013年07月
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投稿日 2023年11月19日
総合評価:2.0
色塗り投稿です。
トルクメニスタン訪問は1度だけ。下川さんの歩くアジアという本に触発されやって来たものの、本当にこの国は、、、。
1番の問題はビザ。今でさえこの国に入国するには一苦労する。ビザがなかなかおりないからだ。2003年当時は、、、。ロシア旅行社で高額なアシガバード1泊と現地旅行会社のビザサポートを予約し旅立った。
ウズベキスタンのブハラから国際列車でトルクメニスタントルクメンバッドまでやってきたものの、列車は最悪の状態。列車チケットが手書きで、いったいどのワゴンで、どの座席なのかさえ車掌さえもわからない状態。荷物置き場で、数分間に襲ってくる下痢を我慢しながらの乗車だった。早く着かないか、そればかり考えていた。
駅では現地旅行社の方がちゃんと待っててくれてはいたが、挨拶もそこそこにすぐにトイレに駆け込んだ。トイレから戻ってくると、、、旅行社の方から「入国スタンプは?」との質問??え、何のこと?、、、英語があまり通じなく、いったい何を言っているのかわからず。、、、困ってしまった旅行社の方、なにやら電話をかけ英語が話せる方を呼んでくれた。来てくれたのはとびっきりの美人さん。話を聞くと、この方の姪っ子さんだとか。女子大生で英語を学んでいるらしい。で、美人の姪っ子さんが言うには、、、
「トルクメニスタンの入国スタンプをまず押してもらわなければならない。」とのこと。荷物置き場に乗車していた自分、きっと国境駅での案内はあったんだろうが、そんなことは露知らず、そのまま来てしまったのだ。「ここからタクシーで往復40ドル」、、、言葉もままならぬ自分。もうこの方々にすがるしかない。で、国境駅ファーラップまで戻り入国スタンプを押してもらう。さらにVISAを貰いに領事の所へ、、。もう何だかよくわからないが言う通りにするしかない。VISAは貰えたものの、領事が言うには4日間の滞在のみ。アシガバード1泊では4日間のトランジットVISAしか出なかったのだ。「せめて5日間に!」頼んでみたもののダメだった。VISA代45ドル?を払う。
4日間でアゼルバイジャンへの船が出るトルクメンバシまでたどり着かなければならなかった。観光は首都アシガバード1日のみが精一杯だった。
すぐさま駅でアシガバード行き夜行列車のチケットを購入し乗車した。、、、
、、自分のコパートメントには現地の若者2名が荷物をどっさり持って入ってきた。中身は小さなリンゴだった。このリンゴを首都で売るつもりらしい。下段に陣取ってた自分、仕方なく上段に移動。これが間違いだった。人のよさそうな若者たちに見えたんだが、、、。無事アシガバードに朝到着し、この若者2人ともサヨナラしたんだが、、。気づいた時には遅かった。自分のバッグには刃物で引き裂かれた跡がくっきり。中に入れてた現金が盗まれていた。幸い何かあった時ののためにと正露丸の瓶の中に入れてた予備の1000ドルだけは盗られてなかったが。
、、、中央アジア、1度目はキルギスでやられ、2度目はトルクメニスタンでやられ、、自分にとっては実は鬼門の場所なのです。
ということで、トルクメニスタンでの思い出は、、、。
・トルクメニスタンの女性は美人!あの姪っ子さんは特にとびっきりの美人でした。東と西の狭間のこの地域、混血によりキレイな女性が生まれるのでしょうか?今まで出会った女性の中で1番綺麗でした。(かわいいという意味ではなく、美人という意味で)
・イラン経由でトルコへ、、、お金を少しでも節約出きるかなと思い、アシガバードのイラン大使館に行ったものの、、、何だかVISAを貰えるような感じではなく、あきらめた。
・アシガバードのホテルでテレビをつけてみると、トルクメニスタンのクイズ番組?が流されていました。見てると、何とクイズの賞品はメロン。日本のメロンのような丸い形ではなく、長丸いでっかいメロン。これがこの地域の特産のようでした。当時の大統領もこのメロン好きのようでした。実際買って食べてみたらうまい!トルクメニスタンに行ったらまずはメロンですね。
・列車は暑い!当時は冷房なんてなかったのかな?でっかいペットボトルに水を入れ、それを凍らせた物が車内で売られてました。これがなかったら大変でした。水分補給と冷房を兼ねた優れ物でした。
・入国出国管理は厳しいですね。トルクメンバシからフェリーで出国の際(幸いにもVISA期限内でギリギリ間に合った。)、何度も何度も違う人からチェックを受けました。少しでもおかしな点があったら賄賂をせびってやろう、、そんな雰囲気でした。
※残り1000ドルでイスタンブールまで行って、日本に帰る航空券が買えるのか?頭の中はそれでいっぱいでした。アゼルバイジャン、グルジア、そしてトルコのイスタンブール。カスピ海を渡ってる大好きな船旅さえも、頭の中はこの事でいっぱい。食事も切り詰め切り詰め、、、。結果、その後も色々あったけれど、無事イスタンブールで東京行き片道チケットを購入でき帰国できました。思い出されるのは、イスタンブールでの旅行社の女性。正露丸のきつい臭いが染み付いた100ドル札7枚(航空券代700ドルでした)に、実にイヤーな顔。今でも思い出します。
色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2003年08月
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投稿日 2023年11月20日
総合評価:3.0
色塗り投稿です。
ルーマニアには1度だけ訪問。モルドバの思い出の続き、、、。
①モルドバキシニョフを夕方出発するルーマニアヤシ行きの国際列車に乗車。ヤシには深夜23時頃の到着。ブッキングコムで、安宿を予約してはいるものの、深夜にチェックインできるかが心配だった。予想は的中。受付は既に終了しているのかホステルに入れない。仕方がないので誰か戻ってくるのを期待し待ってたら、、、。運良く宿泊客が戻って来て、入れた。が自分のベッドはどこかわからないので、受付のソファーで一夜をあかす。これがルーマニア初日。
②朝1の始発列車でグラフモルルイ駅を目指す。世界遺産5つの修道院見学が目当て。この駅で降りれば、5つの内、2つの修道院には見学できる。フモール修道院とヴォロネツ修道院。フモール修道院の方は町からバスで行けた。(少しそちらの方へ歩けばバス停が見つかる。)ヴォロネツ修道院の方はちょっと遠いので行きはタクシー、帰りはてくてく駅まで戻って来た。この帰り道がルーマニアを理解するにはいいかも。のどかな田園風景、馬車が行き来している風景が見れる。ヨーロッパで普通に馬車(ロバ)が活躍してるのなんてルーマニアだけじゃないだろうか。自動車道を普通にポックリポックリ、、、中世に戻った錯覚さえ覚える、、、。
小さなバスターミナルに着いて、スチャバ行きのバスに乗ろうと待ってたけど、飲み物を買いに行ってる間に、そのバスは行っちまった、、、。ブカレスト行きの夜行列車に間に合うために、スチャバへ行く乗り合いタクシーを探す、、。何とか見つけ出して無事夜行列車に乗車。
③ブカレスト目指すのは朝のシナイア行きの列車に乗るため。実はルーマニアで、一番行きたかったのがシナイア。ここにはシナイア修道院とペレシュ城、ペリショル城がある。ルーマニア王カレル1世が建設した城をミニトレッキングしながら見に行った。そしてついでに、ルーマニアと言えばドラキュラ、、、シナイア観光の後、また列車でブラショフへ。そしてバスに乗って有名なブラン城へ。 ここは、、、観光客がたくさん押し寄せていた。観光地化している。話の種にと見に行ったが、あまり興味もそそらず、ざーっと見て、バスでブラショフまで戻ってきた。が、ここで失敗、、、。降りる所を間違え、1つ手前の町で降りてしまった、、。バス運転手に聞いて降りたんだが、自分の英語が通じなかったようだ。(自分でマップスミーで確認するべきだが、既にスマホのバッテリーが切れていたので。)ブラショフから世界遺産シギショアラ行きの列車に間に合うためにタクシーで向かう、、、。(列車で行けないものかと通りかかった男性に近くの駅を尋ねたら、駅まで一緒に歩いてつれてってくれた、、、。ルーマニアの人はなかなか親切だ!が、列車は在るにはあったが、それでは間に合わず。) で、世界遺産シギショアラへ、、。もう日も暮れたけど、世界遺産の町並みを歩き回る、、、。夕食も豪華に奮発して、、、。で、夜中2時発の夜行列車でブカレストへ。それまで駅で横になって列車を待つ、、。
何せ日程がないので夜行列車を使った。この日は本当に盛りだくさん。シナイア→ブラン城→ブラショフ(少しだけ観光)→世界遺産シギショアラ。
④2時の夜行列車でブカレストへ。昼のブルガリアソフィア行きの国際列車発車までブカレスト散策、、、。中には入らなかったが、でっかいでっかい国民の館を見に行った。これが、チャウセスク大統領が立てた宮殿?か!ルーマニアで思い出すのはドラキュラ、コマネチ、そして銃殺されたチャウセスク大統領、、。
というあわただしい4日間でした。
※ルーマニアは鉄道が発達してますね。夜行列車もバンバン走ってる。スチャバ駅で旅程の書いた紙を差し出し、クレカで全てのチケットを購入して臨んだ訳ですが、全て予定通りに運行されていました。ルーマニア旅行は列車旅行がいいと思います。
色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2018年08月
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投稿日 2023年11月19日
総合評価:2.5
色塗り投稿です。
ウズベキスタンには2度程訪問。
1度目は2002年夏。カザフスタンシムケントからバスにて訪問。(中国ウルムチinモスクワoutの旅行)
まだ独立してから10年ほどしかたっていなく、ビザもあやふや?中国ウルムチから国際列車でカザフスタンアルマトィ、バスでキルギスビシュケク、またバスでカザフスタンシムケント、そしてバスにてウズベキスタンタシケント。目的はタシケント発モスクワ行き3泊4日の国際列車に乗るため。タシケントには1泊しただけだった。当時ロシア旅行にはバウチャー旅行が主流だった。ホテルと旅行手段を全て予約しなければビザが出ないという旅行。ロシア旅行社に依頼し旅立った。ただ、中央アジアの方はあまり???のようで、ロシアビザは取得したものの、中央アジア各国のビザが必要かなんかわからないというような状況だった。一応、途中降機した北京のキルギス大使館でキルギスビザ100ドルだけはゲットできたが、カザフスタン、ウズベキスタンに入国できるかはわからなかった。
結果は中央アジア各国のビザは必要なかった(と思う)。ロシアビザがあればトランジットで入国できたようだった。
タシケントでは、予約したホテルに現地旅行社の女性が現れ、無事明日のモスクワ行きの列車チケットを手にすることができた。日本のロシア旅行社でたしか2万6千円程。(現地では100ドルで売られていた)
記憶に残ってるのは、このモスクワ行きの国際列車。同室になったウズベキスタンのファミリーの方がなにこれとなく紛れ込んでいる自分を気遣ってくれた。列車内での朝飯、昼飯、夕飯、、、。ロシアの長距離列車ではほぼ乗客は食料をこれでもか!というほど持ち込んでいる。同室でファミリーが食事をしていると、なんとなく居づらくなってしまう。すかさず自分も食堂車に行き飯を食うのだが、、、最初はこんな感じだったが、ガイドブックの歩き方を見せたり、つたない英語で何とか話たりしていると、いつの間にか親近感がわくようで、飯一緒に食え!と、、、。遠慮しても、いいからいいから、、、。結局、ずっとこの列車旅ではこの同室となったウズベキスタンファミリーのご飯を一緒に頂くことに、、。若かりし頃のよき思い出です。(たまには停車した駅で売り子からおかずみたいな物を購入し、自分も提供しましたが)ウズベキスタン人の人懐っこさを実感した旅行となりました。
※2023ヨーロッパタイムテーブルによると、タシケントからモスクワ行きの国際列車は運行していない模様。ロシアーモンゴルの国際列車も、ロシアー中国の国際列車も、、、。コロナの影響かな?
2度目は翌年の夏。中央アジア横断の旅。下川さんの歩くアジアという本に触発され、自分も決行!今度はアシアナ航空でカザフスタンアルマトィinの旅行(帰路はイスタンブールの現地で航空券を購入する予定だった)
またまたロシア旅行社でのバウチャー旅行。今度はカザフスタンビザ、ウズベキスタンビザもロシア旅行社で取得できた。ただトルクメニスタンアシガバードからは自由旅行という形で予約した。アルマトィからの国際列車でウズベキスタンタシケントへ。(今は国際列車は走っていないが、当時はあった) 列車内では何だか人気者となってしまった。当時、日本から来て旅行するなんて人はものめずらしがられたのだ。到着したタシケントのホテルでも、かわいいウズベク女性たちからの大歓迎を受けた。写真一緒に撮って!まるでアイドルだった。来てよかったなあ!若気のいたりで心はウキウキでした。
で、タシケントを観光し、バスで世界遺産サマルカンド(列車駅が町から遠いので列車はあきらめた)へ。サマルカンドを観光し、さらにバスで世界遺産ブハラへ。ここまでは順調にいってた。が、ここからが苦難の連続だった。ブハラからはトルクメニスタンへの国際列車に乗車。この列車が、、、。ホテルでの朝食にやられた!原因は机の引き出しから出されたパンだと思う。え、そんな所に入ってるの?そう不思議には思ったのだ。でも、食べられんパンは出さんでしょ、という先入観があだとなった。けっこう胃腸は強い方でそう簡単にはお腹を壊さない。が、朝食を食べたあとから下痢に襲われる。我慢しながら駅に向かい、いざ乗車、、、のはずが、昨夜現地旅行社からもらった列車チケットの文字が乱雑すぎて解読不能。座席がわからない。車掌に教えてもらおうと試みるものの、車掌さえも判読不能。結局、荷物置き場のような車両に入れられ、座席なし。この状態で数分感覚で下痢が襲ってくる。トイレに行きたいが、この荷物置き場とトイレは連結されてなく行けない。我慢するしかなかった。最悪の国際列車乗車だった。
そんな状態でトルクメニスタンのトルクメンバッド駅に到着した、、、。駅で待っていた現地旅行社のガイドを振り切り、速攻で駅トイレに直行!
ウズベキスタンブハラのホテル朝食にやられました。当時の中央アジア、、衛生状態はよくなかったようです。この後、トルクメニスタンでも大変な目に合うのですが、、、。
あれから20年?そろそろ中央アジア旅行もまたいいかも、、、。カザフスタン、キルギス、ウズベキスタンそしてタジキスタンのビザさえも不要となった。トルクメニスタンだけはまだ不便だけど、、、。他の旅行者情報見て何だか行きたくなってしまいます。20年たってどう変わったか、、、。
色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2002年07月
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投稿日 2023年10月01日
総合評価:5.0
色塗り投稿です。そういえば、海外で一番長く滞在したガーナについて書いていませんでした。
15年程前のちょうど40歳になる前が最後のチャンスでした。青年海外協力隊は39歳までなので。「最後のチャンスなので応募したい!」そう頼み、推薦書を書いてもらった。その時は派遣国は決まっていない。職種的にネパール、ホンジュラス?その辺りかなと思っていたが、合格葉書にはガーナと書かれていた。え!アフリカ!その時は、エジプトには訪れていたもの、ブラックアフリカは初めてだった。アフリカに行ける!との期待の反面、生きて帰って来れるか?不安もあった。
で、3ヶ月間、福島県の二本松訓練所に入所。ここでビッチリ英語教育を受ける。授業の先生は外国人。ほぼ英語で授業は行われる。ウワー!得意な方はそれ程苦にならないようだが、あまり得意じゃない自分にはかなりきつかった。最後の方で試験?みたいな英語でのスピーチが待っている。テーマを決め、そこでみんなにプレゼンみたいなことをするのだ。(同期では1名が脱落した。)自分は宮澤賢治をテーマに語り、無事合格?
さて、この訓練所での思い出は、、、。ガーナとは関係ないけど、あまりにもすごい経験をしたので、、、
それは、皇太子殿下(今の今上天皇陛下)ヘの表敬訪問。殿下は協力隊を応援しているとのことで、派遣される頃にみんなを東宮御所?に招待してくれる。しかも、派遣国の代表者に声をかけてくれるというのだ。そんなことはつゆ知らず、たまたまじゃんけんに負け、国代表となっていた自分。まさか皇太子殿下と話せるなんて!
※東宮御所?訪問時、一点だけみんなに注意されたことがある。(もちろんカメラ撮影はNG)
それは、、、トイレットペーパーを盗まないで!との注意。以前きっとそんなことがあったんだろう。確認はしなかったが、どうやら御所のトイレットペーパーには菊の御門がプリントされているらしいとのこと。
当日、バスで御所に向かう。まじか!本当に入れるのか?以前正月2日に皇居にいき、参拝し、ガラス窓越しに遠くに見えていたあの方。その皇太子殿下が出迎えてくれた。お酒はないが、ジュースやお茶、お菓子を振る舞ってくれた。そしていよいよ、皇太子殿下よりご質問。そう、1問1答の形式でお言葉がもらえるのだ。もう目の前にあの現天皇陛下がいるのだ。自分よりちょっと背は低いが、日本国の象徴として2000年も君臨しているオオキミだ。不敬かもしれないが、自分とは全く住む世界が違う人物とこうしてあっているのだ。緊張してなんとおっしゃったか正確には忘れてしまったが、、
殿下「ガーナへはどんなお仕事で行くのですか?」
自分「教育局派遣で、現地の子供たちに理科と算数を教えます。」
殿下「そうですか、お仕事頑張ってくださいね。」
小学生の頃に歴代天皇124代を暗唱した自分。大学では日本史を専攻していた自分。いやー、まさかこんな形でお話できるなんて!
で、記憶に残る出来事は、自分の次のザンビア代表での1問1答で起こった。
殿下「ザンビアへはどんなお仕事で行かれるのですか」
kちゃん「高校に派遣されました。なんと女子高なんです!(笑顔)」
殿下「、、、、。」(自分、固唾を飲んでました。殿下がこの笑顔になんと答えられるのか 、きっとみんなも注目してたはず)
殿下「そうですか。お仕事頑張ってくださいね。」
さすが皇太子殿下です。そんな俗世界には振れずにスーっとかわしてしまう、威厳に満ち溢れていました。
今では、今上陛下。英語に訳すと、世界で唯一のエンペラー。
ガーナ派遣でこんな雲の上の人とお話できるとは本当に思っていませんでした。
で、このひと月後、ガーナに派遣されたわけです。
(で、ガーナでは、たまたまガーナに訪問していた元内閣総理大臣小泉純一郎さんとも握手!一緒に記念撮影。)
ガーナの情報はまた後日。青年海外協力隊参加を考えておられる方、是非参考に、、、。
- 旅行時期
- 2009年06月
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投稿日 2023年04月15日
総合評価:3.0
4トラ色塗り投稿です。
アルメニア訪問は1度だけ。2017夏のコーカサス横断の旅で訪問。
ドバイからアゼルバイジャンバクーに飛び、そこからイラク(クルディスタン地域)のアルビール、スレイマニアまでの横断。
●バクー(市街や世界遺産コブスタン観光)→夜行列車→ジョージアトビリシ(ちょっとだけ市街観光)→夜行列車→アルメニアエレヴァン
●エレヴァン→ミニバス→アルツァフ共和国ステパナケルト
●ステパナケルト→ミニバス→シューシ→ステパナケルト
●ステパナケルト→ミニバス→アルメニアエレヴァン
●エレヴァン観光(世界遺産等)
●エレヴァン→ミニバス→アラヴェルティ(世界遺産観光)
●アラヴェルティ→タクシー→ジョージアトビリシ
●トビリシ観光(世界遺産等)
●トビリシ→夜行列車→ズグディディ→ミニバス→メスティア→ミニバス→ウシュグリ(世界遺産)→メスティア
●メスティア→ミニバス→クタイシ(世界遺産)→列車→バトゥーミ
●バトゥーミ→トルコへ
こんな日程。で、一番の思い出はアルツァフ共和国。未承認国家への訪問。
ステパナケルトへの旅行は色んな方が旅行記を書いているので、それを見て自分も知った。で、行ってみると、国境(チェックポスト)で、VISA(シール)は無料で貰え、簡単に入国できた。宿に行くと一泊ドミで3000ドラム。なんとこの宿に日本人旅行者が自分も含め6人(内1人は在日の方)も。で、その宿で一緒になった方からシューシという町に素敵な場所、アンブレラフォールという滝があるという情報をゲットした。よし、自分もそこに行ってみよう!ということで次の日行動開始。
バス乗り場で、シューシ行きのミニバスに乗る。200ドラム。シューシではマップスミーで、市内散策。大きな教会やらアゼルバイジャンとの戦争の傷跡、博物館なんかを見て、、マップスミーに表示されているトレッキングの道をたどれば2時間程でアンブレラフォールにたどり着けるはず。てくてくてくてく、、、町外れにたどり着くとそこには柵があった。この柵、自分で開けて行くのかな?で、マップスミーを見ながら進んでいくものの、道に迷ってしまった。目印として石に矢印が書かれてるものはあるけど、見失う。あれ?こっちかな?適当にいったら断崖絶壁、行き止まり。向こう側に道が見え、車が行き交う様子は見えるのだが、もう降りられない。ここは無理せずあきらめ、町に戻った。腹も減ったし、水もなくなったし、、。
で、町に戻って昼飯。幸い地元の飯屋を見つけられ、水分補給にエネルギー補給。さてどうしようか?もう一度行く?もう帰る?ここが決断のしどころ。
足はもう一度柵の方へと向いていた。せっかくここまで来たんだ!けっこう疲れてたが、再チャレンジ。すると、前の方に地元の方が2人歩いているのを発見!彼らと歩けばきっと道に迷うこともない。急ぎ足で彼らに追い付き、自分も一緒に連れてって!どうやら2人はご夫婦のようで水を汲みに行くらしくポリタンク持参。てくてくてくてく、、。夫婦2人で矢印をたどりながら向かう。自分もさっきは矢印をたどって行ったんだけど、、。不思議だったがちゃんと下り道は続いていた。
途中、お墓があった。おじさんが自分に話しかけてくる。アルメニア語は全くわからないが、身振り手振りで熱心に語るおじさん。きっとここはアゼルバイジャンとの戦いで、亡くなった方々のお墓なんだろうな、そう伝わってきた。(帰国してから調べたら、シューシはやっぱり激戦があったところだった)
ようやくアンブレラフォールにたどり着いた。2時間以上かかったけど迷わず来れた!おじさん、ありがとう!(自分もおやじだけど)。で、アンブレラフォール、なかなかいい所だった。洞穴の傘の部分には苔がびっしり。上から流れてくる滝の水をその傘が綺麗に浄化してくれる。洞穴の中でその綺麗な水が滴り落ちる、、。ジブリの世界。20名ほどの人たちがこの情景を見に来ていた。けっこう地元では有名なのかな?
帰りはまた来た道を登って行くのは大変なので、車で来れる対岸をてくてくてくてく。マップスミーに表示される大きな道までてくてく。バス停を見つけ、ステパナケルトへ。(300ドラム)
今はこのシューシ、一昨年?起きたアゼルバイジャンとの戦争で奪還され、アゼルバイジャン領に併合されたけど行けるのかな?
2023年9月20日、アゼルバイジャンの対テロ作戦により、どうやらアルツァフ共和国は消滅?したようです。未承認なれど訪問した国家が消滅したというのは初めて。
6年前の夏の夜、首都ステパナケルトを散策していたら、大きなグラウンドで盛大な催しものを行っていた。入ってみると、国家建国何周年かの催しものだった。パレードやアトラクション、、、人々は大盛り上がりだった。あの光景も今や幻。国家っていったいなんなのだろう?- 旅行時期
- 2017年08月
- コストパフォーマンス:
- 2.0
- 利便性:
- 1.0
-
投稿日 2023年09月14日
総合評価:3.0
色塗り投稿です。今は到底訪れることができないウクライナ。ベラルーシを投稿したので、続いてウクライナの投稿です。
ウクライナ訪問は1度だけ。2017夏の東欧縦断旅行で。
日程
●千歳→香港→ローマ→(列車)→リミニ→サンマリノ→リミニ→(列車)→ローマ→(航空機)→リトワニアヴィルニュス→(夜行列車)→ベラルーシミンスク→(バス)→世界遺産2つのお城を見学→(夜行列車)→★ウクライナキーウ→チェルノブイリツアーに参加→キーウ観光→(夜行列車)→オデッサ(観光)→列車→モルドバキシニョフ、、、
・ウクライナ旅行のメインはチェルノブイリツアーに参加すること。日本人として、原発事故があったここは見ておかなければならない所だと思ったのだ。事故は1986年、自分が高校生だった時に起こった。あれから30年。時を経て今ではかなり放射線量も低下し、負の観光地となっていた。ウクライナ旅行を決めた時、チェルノブイリにツアーで訪れることができるらしいとの情報をネットで得て、調べてみた。日本人の日本語ツアーではかなり高額だったが、英語ツアーなら80ユーロ程で回れることを知った。すぐさま予約を入れた。福島は30年後、きっとこのチェルノブイリのようになってるはず、そう思いたかった。
・キーウに到着したその日は、まずはてくてくチェルノブイリミュージアムに。ここは何をおいてもはずせない。ツアーは翌日なので予習という感じで当時の様子などを知り得ることができた。
・宿泊したホステルは激安だった。ウクライナの物価は安いとはどこかで聞いていたけど、ここまでだとは知らなかった。幸いツアー集合場所はこのホステルのすぐ近くだった。
・2日目、日本人なら絶対このツアーには参加したいと思うはず。朝8時、集合場所に行ってみると、自分以外に若者の日本人が2人いた。やっぱりいた!もっといると思ってたけど、英語の格安ツアーはまだ日本人には知られていなかったのかもしれない。とりあえずお仲間がいたことに一安心。1人は社会人、1人は大学生。
・ツアー内容はさておき、驚いたことは2つ。
①何があっても責任は追えないとの宣誓書に署名、そして、出入り口(ロシアのウクライナ侵攻でここの写真を見たが、当時の姿はそこになかった)には、放射線量を計るチェックポストがあった。が、その目の前にはチェルノブイリを前面に打ち出したお土産屋が。もう観光地と化していた。帰りにまた再度ここを通り、放射線量を計る、、。
②遠くから原発を眺めるんだろうなと思っていたが、実際は超接近。コンクリートで覆い被せられた原発をこんなに近くで見るとは思ってなかった。
・ガイガーカウンターの有料貸し出しのオプションがあったが、誰か借りてるだろうと思い借りなかった。日本の大学生が借りてたのでそれを見せてもらったが、やっぱりドクロマークの危険箇所ではメーターがグーンと上がっていた。
・帰国後、このツアーで撮影した写真を同僚たちに見せる機会を与えられ、みんなに報告した。きっと30年後、福島の原発もチェルノブイリと同じように負の観光地となっている、、、そう報告したけど、、。30年後どうなってるかは誰もわからない。
・ツアーを終え、せっかく親しくなったのでみんなで夕食を食べに行こうということになった。じゃあ、キーウにはラーメン屋があるらしいから、話の種にそこに行こう、、、。行ってみると、美味しいラーメン屋だった。不味いラーメンを期待してたんだが、、。もちろん、お代は一番年上の自分持ち。若い頃、旅で出会った年上の日本人の方によくおごってもらったんで。歳取ったら若い方におごってやってくださいね!と、、。ちょっとだけカッコつけてみた。その後、3人で飲みに、、
・3日目、本当はリヴィウへ行きたかったですが、夜行列車は満席!で取れず。仕方なく持て余した時間は、ミイラの地下墓地がある世界遺産の教会を訪れた。(日本にもミイラがあるんですね。今年のゴールデンウィークに山形の酒田市に行ったのですが、たまたま見つけたお寺には即身仏のミイラが。江戸時代末期、ここ東北の地では仏になろうと盛んに行われていたとか。初めて知りました。)そして夜行列車でオデッサへ。
・4日目、オデッサではもちろん、あの有名な映画の舞台となった階段に。その後は、黒海沿岸ヘのボートツアーに。ここオデッサでは大勢のロシア人観光客が日光浴?に訪れていた。ロシア人たちは本当に日光浴が大好きですね。え、こんなに寒いのに、そう思うような所でも平気で海に入って日光浴をしている!当時は5年後ロシアがウクライナ侵攻するなんて誰も思ってなかったでしょうね。
・そして夕方の列車でモルドバへ。(沿ドニを通るこの列車。モルドバ密入国となるので、列車では行っては行けない、、バスで入国するように、、そんな情報が流れてたが、列車好きの自分、どうにかなるのでは?と思い強行!確かにチラスポリに入ってもモルドバ入国スタンプはもらえなかった。でも、、
という感じのウクライナ訪問となりました。物価は安い!マックもある!ここは本当に以前はソ連だったのか?と思われるほど、西側のにおいを感じました。
ウクライナ戦争が始まり、訪れたチェルノブイリ、キーウ、オデッサはロシアに攻撃され以前の平和な姿ではもうないようです。早くこのひどい戦争が終結し、平和となって復興し、また訪れることができるようになってほしいものです。- 旅行時期
- 2018年08月
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投稿日 2023年09月17日
総合評価:3.0
色塗り投稿です。
ウクライナに引き続きモルドバも1度だけ訪問。ヨーロッパ最貧国と言われるモルドバ。ここには未承認国家沿ドニエステル共和国がある。どんなところか行ってみた。
日程
●千歳→香港→ローマ→(列車)→リミニ→サンマリノ→リミニ→(列車)→ローマ→(航空機)→リトワニアヴィルニュス→(夜行列車)→ベラルーシミンスク→(バス)→世界遺産2つのお城を見学→(夜行列車)→ウクライナキーウ→チェルノブイリツアーに参加→キーウ観光→(夜行列車)→オデッサ(観光)→列車→★モルドバキシナウ→(ミニバス)→沿ドニエステル共和国ティラスポリ(観光)→キシナウ(観光)→(列車)→ルーマニアヤシ、、、
・ウクライナオデッサからモルドバキシナウ行きの国際列車は一番端のホームから夕方出発。列車は最近導入されたのか新しい車両だった。
・モルドバ最初の駅はティラスポリ。だがここは沿ドニエステル共和国。駅でモルドバあるいは沿ドニに入国できるのか確かめに行ったが、どうもそんな気配はない様子。再度列車に乗車し、首都キシナウに向かう。モルドバ入国スタンプはない。密入国?の状態。
・夜にキシナウ到着。今夜の宿はブッキングコムで予約済み。駅から歩いててくてく向かっていると、電話がかかってきた。チェックイン最終時刻はもう過ぎてるので心配して電話してきたらしい。もう少しで着きます!マップスミーを頼りにやっと今夜のホステルを見つける。バイトのお姉さんはちゃんと待っててくれた!
・朝、ホステル受付(昨日のお姉さんじゃなかった)の若者に、沿ドニエステル行きのバス乗り場を聞くものの、彼は知らなかった。ネットでも調べてくれたのだがわからないらしい。モルドバにとっては占領された違法国家。ネットにもそんな国の情報はのせていないのかもしれない。
・次の日はティラスポリにミニバスで戻る?どこがバス乗り場なのか迷ったが、人に聞きながら何とか見つける。沿ドニ行きの切符売場はちょっと離れた一画にあった。
・ミニバスに乗ると、アジア人らしき男性旅行者が1人いた。日本人かなと思って話しかけたら中国人だった。一緒に回れるかなと思ってつたない中国語で話しかけるも、あまり話に乗ってこず。
・国境?では、日帰りなのか宿泊するのかを聞かれたような。日帰りだと答えたら、プリントされた紙が渡された。北キプロスのニコシアから南に渡る時に渡された物と同じ感じ。
・で、ティラスポリ駅近くに到着。昨晩通った駅に入ってみたが、どうもここからはキシナウ行きの列車には乗れないような感じ。下車だけ許されてるのかも。特に沿ドニルーブルに変える必要はなかったが、両替所があったので、記念に両替。最高紙幣沿ドニ500ルーブル札もゲット。
・そしててくてくマップスミーを片手にティラスポリを散策。別にドンパチやってる訳でもなく、町はいたって平穏。でもやっぱりここはモルドバとは別の国。旧ソ連の釜が特徴の旗がなびいていた。
・かわいらしいレストランを見つけ、昼食。何を食べたか今では忘れてしまったが、モルドバレフでの支払いでもokだった。
・あとはスーパーに行ったり、本屋に行ったり、、、。自分自身のお土産屋に沿ドニエステル共和国の地図を買った。
・一通り回った所で、駅に戻ると、ちょうどキシナウ行きのミニバスがやってきた。バスの中で運賃を払い、戻る。国境?で、もらった紙を渡し、モルドバへ。
・まだ少し沿ドニルーブルが余っていた。モルドバで両替できるのかためしに尋ねた所、沿ドニ行きチケット売場の隣の店で両替できた。
・次の日、夜発ルーマニアヤシ行き国際列車まで、まだまだ時間があるので、キシナウ散策。教会に行ったり博物館に行ったり、、。あまりこれといった見所がないモルドバ。ギネスブックにあるワイナリーぐらいか?ここにはいかなかったけど、、、。で、一番の心配事、入国スタンプ、、。出国時、問題になるか?と心配してたけど、列車内でパスポートを渡すと出国スタンプが押され何の質問もなく戻ってきた。
※ただし、後日、ブルガリア到着時、夜、駅からホステルまで歩いていると、警察官から職務質問を受けた。パスポートを見せろと。たまたまモルドバの警察官に職務質問されなかったからよかったものの、入国スタンプはやっぱり必要でしょうね。
、、、という感じのモルドバ(沿ドニエステル)訪問となりました。ロシアのウクライナ侵攻で、このモルドバの沿ドニエステル共和国も多くの日本人に知られる所となりました。この未承認国家、今後いったいどうなるんでしょうね?
そうそう、モルドバ通貨は使いきりましょう。隣国のルーマニアで余ったお金を変えようとしたら受け付けてもらえず。- 旅行時期
- 2018年08月
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投稿日 2023年09月11日
総合評価:3.0
色塗り投稿です。
ベラルーシ訪問は1度。たしか2017年夏の東欧縦断の旅で。
日程は、、、
●千歳→香港→ローマ→(列車)→リミニ→サンマリノ→リミニ→(列車)→ローマ→(航空機)→リトワニアヴィルニュス→(夜行列車)→ベラルーシミンスク→(バス)→世界遺産2つのお城を見学→(夜行列車)→ウクライナキーウ、、、東欧諸国(モルドバ、沿ド二、ルーマニア、ブルガリア)を列車で巡りギリシャアテネまで。そこから格安航空機(5000円)でローマへ。→香港→千歳。
・このときは、もうベラルーシはビザ無し渡航(アライバルビザ無料取得)も許されていた。ただし航空機での入出国だけ。自分の場合、ヴルニュスからの鉄道に乗るため、あえてビザを取得。大使館にパスポートを郵送し、無料で取得。ホテルから予約確認書(2泊)をPDFでもらい、海外旅行保険証を添えて申請。4日間のビザが送られて来た。
・ローマからヴィルニュスまでの格安航空は夜中3時発のウクライナ航空。ちょうど、リミニから列車で戻って夜11時ローマに着くので、未訪問のサンマリノを訪れた。空港行きのバスも夜11時30分のがあったので、バッチリ。宿代も浮くのでこれは正解だったと思う。
・ヴィルニュスからの予定していた列車は満席で乗れず。仕方なく、夜行(夜1時頃にミンスクに着く列車)に乗る。余った時間がもったいないので、2度目のカウナス、杉原千畝記念館に行く。以前来たときよりも綺麗になっていた。行きは列車。帰りはバスで。
・ミンスクに真夜中に到着。この列車の女性車掌がなんとも言えず親切。見た目は冷たい感じだけど、言葉が通じずともあれこれ気を使ってくれる。プロフェッショナルな感じを受けた。
・予約していたホテルを探すがなかなか見つからず。(スマホの電源が切れたので)タクシーの運ちゃんに聞いても知らないようだった。町中をうろうろ歩き見つける。何でこんな街中にあるのに運ちゃんは知らないんだろう?
・次の日は疲れてたのでゆっくり。ミンスクの町をブラブラした後、昼頃、1つ目のお城に歩き方の情報を頼りに公共バスを使って行く。バスターミナルで出発時刻、帰って来る時刻を教えてもらった。じゃけんにされず、親切に教えてくれた。ベラルーシの人たちは案外親切なのかも!戻ってからすぐに駅に行き、明日のキーウ行きの夜行列車を予約。紙に書いて渡すとすぐに発券してくれた。
・次の日の朝、ホテルの朝食を食べに行くと、日本人の方が声をかけてきた。「日本人ですか?」と。たまたま、予定を考えるため、歩き方を持っていたので、わかったらしい。
「これからどこに行くんですか?」
「バスで世界遺産のお城へ。」「良ければご一緒させてもらっていいですか?」
、、、もちろん!
話を聞くと、彼は世界遺産マイスターとして大学で世界遺産についての講義もしているという。今回もいろいろな世界遺産を回りながら旅行をしているとのこと。ということで、おじさん2人で、いざ世界遺産へ。
・おじさん2人、てくてく駅近くのバスターミナルに向かう。2つのお城のうち1つは既に訪問済みなので、今日はもう1つの方へ。が、自分はそこからまっすぐミンスクに戻って来るつもりだったが、バスターミナルで聞くと、どうも接続が悪く、昨日行ったお城から戻って来る方が効率がいいらしい。せっかくなので夕食もご一緒しましょうと誘い、結局昨日訪れたお城へも。自分はコーヒーを飲みながら外で待っていた。ということで、世界遺産を公共バスで訪れるなら、2ついっぺんに訪れた方が効率がいいようです。帰りは疲れたので、駅前バスターミナル近くの地下鉄を使ってホテルに戻った。やっぱり深い深い地下鉄でした。
・で、2人で夕食へ。ベラルーシ名物だという物を頼んだり、、、。年上の彼は食にはこだわらないようで、だいたいハンバーガー?と話していたけど、公共交通機関はあまり使わないらしい。タクシーやツアーで回ってるとのこと。自分はできるだけ公共交通機関を使い安く回り、飯は豪華に!そんな感じ。でも、今日の経験で公共交通機関の便利さに少し目覚めたよう。安いし、人に尋ねながら訪れるって、なにか旅してる気にさせてくれる。久しぶりに日本語で会話して楽しい食事となりました。その後はまっすぐ駅に向かい、キーウ行きの列車に。
ベラルーシ、今はちょっと行けない感じですが、思っていた印象とは少し違っていました。ただし、ベラルーシルーブルは他の国では両替できず。使いきりましょう!
※訪問は2017年ではなく、2018年でした。ベラルーシで会った世界遺産マイスターさんのブログを見たら、2018年。いつ行ったか忘れるものですね。やっぱり記録しておくべきですね。
※世界遺産マイスターさんのブログ
https://ameblo.jp/es-1115/entry-12395838393.html- 旅行時期
- 2018年07月
-
投稿日 2023年07月31日
総合評価:4.0
モナコでの入国スタンプ、、色々サイトでモナコ旅行記を眺めてたら、入国スタンプ?が貰える?入国スタンプが押された別の記念パスポートがもらえる?そんな記憶が頭の片隅にあった。
今年の夏はコロナでパーになった南欧旅行へ。2019年夏、パリ往復航空券も買い、宿も全て予約してたのに、コロナで全てがおじゃんとなってしまった。で、再度リベンジ!
格安航空券でスクートの成田ーベルリン往復が10万円程。これは!とすぐに後先考えずポチっ!で、まだ訪問していないモナコや南欧諸国へ、、。ユーレイルグローバルパスで強行。
朝、ベルリンブランデンブルグ空港に到着。ベルリンの壁を見てからは昼1時頃発のスイスチューリッヒ行きに乗車。そのまま列車を乗り継ぎスイスーイタリア国境の町チアッソまで、夜中2時到着。3時間程駅のベンチで仮眠し、朝5時発の列車でイタリアへ入り、ミラノ到着。そこから、イタリアーフランス国境の町ベントミンツィアへ(この列車は予約が必要だった。列車内で予約すると3ユーロ多くとられる)。そしてフランス国鉄でモナコモンテカルロへ、昼12時頃到着。ベルリンから24時間後にはモナコ入り。来れるものですね。
大公宮殿も今は開放してるので見学し、モナコの町もブラブラ。さてそろそろフランスパリに向かおうかと、駅に戻ろうとしたら、思い出した!そうだ、たしか入国スタンプが貰えるはず!宮殿そばのツーリストインフォメーションで聞いたら、市庁で貰えるとのこと。地図を書いてもらい、行って見たら、??最初は迷ったけど、なんだ!ここか!Mairieと書いてある建物がそこでした。大公宮殿からすぐそこですね。
入り口の受付みたいなおやじが、入国スタンプ?パスポート出して!と、、。あっけなくモナコ入国スタンプ(たぶんモナコ市庁舎を訪れた記念スタンプ)ゲット! もちろん無料!
リヒテンシュタイン、サンマリノはお金がかかるけど、モナコは無料!気前がいい!
17時頃のモナコーニース、そしてニースーマルセイユと乗り継ぎ、マルセイユの駅窓口でパリに行きたいと試みたら、なんと夜行列車があるじゃないですか!(予約必要)マルセイユから1駅進んだ別のマルセイユ駅から、21時頃発のパリ(オーストリッツ駅)行きに、、、朝8時頃にパリ到着!そしてモンパルナス駅までてくてく歩いて高速列車でレンヌへ。そしてお昼のバスでモン・サン・ミッシェルへ!
ベルリンからパリ、モン・サン・ミッシェルまで、、、モナコを通って行けるか心配でしたが、行けるものです。
モナコ、どうやらコロナが開け、入国スタンプ?がまた復活したようです。大公宮殿も見学できるのでおすすめです!- 旅行時期
- 2023年07月
-
投稿日 2023年09月13日
総合評価:2.5
色塗り投稿です。今日のテーマがニューカレドニアだったので思い出して、、、
ニューカレドニアには1度だけ訪問。戦跡のソロモン諸島訪問がメイン旅行のメラネシア周遊の旅で。たしか2016年冬。
日程
●千歳→香港→ニュージーランド→★ニューカレドニア→バヌアツ→ソロモン諸島→フィジー→ニュージーランド→香港→千歳
・ニューカレドニアには航空機の関係で5日間滞在。ニュージーランドからは片道2万円ほどで行くことができる。これが見たいという目的があった訳ではなく、今も残る太平洋の植民地?みたいな所がどんな所なのか見たかっただけ。
・滞在ホテルを調べてみると軒並み高い!ドミトリーのある安宿なんかなかった。新婚旅行で訪れる観光地、あるわけないよなあと思ってたけど、よくよく調べてみたら、なんと国際ユースホステルが1ヶ所ヌーメアにあった!1泊ドミトリーベッド2000円!さっそくメールで4泊5日を予約。こんなに安く泊まれるならと、レンタカーも借りる。これで島を一周できる!
・海外レンタカーは以前の旅行サイパンでデビュー。初の左ハンドル、さらに安くあげるためマニュアル車で、初めこそ四苦八苦したけど、慣れればこんなに便利な乗り物は他にない。グアム、パラオ、そしてニュージーランドでもレンタカーを借りてまわった。が、ニュージーランドでは初の海外反則金。(80ニュージーランドドル)ニューカレドニアでは捕まらないよう、安全運転に心がけた。
※ゴールド免許保持で、この海外でのスピード違反が次の免許更新に影響するのか少し心配だったが、無事ゴールド免許取得。どうやら海外での違反は影響しないようです。
・ヌーメアでは街中にあったフランス料理店で昼食。こじんまりとした店だったけど、ちゃんとコース料理が、、。ランチは3000円ほどで美味しいフランス料理が食べれた。オーナーシェフはフランス人。後日、ユースホステルでたまたま出会ったら、あれ、あなたは!この前店に来てくれましたね!と覚えていてくれた。
・日曜日、またまたランチに行こうとしたら、日曜はレストランはどこも開いておらず。公園に行ってみると、ここぞとばかりキッチンカーが。仕方なく、ここで弁当を購入したが、1500円も!こんな弁当が1500円。この時はまだ円安ではなかったのに、、、物価の高さを実感!
・何かツアーにでも参加しようかなとも思ったが、、、、やめた。車があるので、ニューカレドニア一周に!けっこう大きな島なので1泊2日(車中泊)で決行。宿で一緒になった日本人に一緒にどうですか?と誘ったのだが、遠慮?され、1人で、、、。
・綺麗な海、、、それがニューカレドニアのイメージなんですが、島の反対側は違った!フランス人が住んでいる所は道路も舗装され、綺麗な景色が続いている。が、反対側カナック人たちが住んでいる所は赤茶けた土、舗装もまだまだ十分ではない。ここはアフリカか?そんな印象さえ持ってしまった。表の顔、裏の顔、、、ニューカレドニア独立を求める動きもここに理由があるのかもしれない。
・夜の道、、危うく崖に転落しそうになった。真っ暗闇の未舗装道に、なんだか少し大きな石が転々と、、。止まってよかった。降りて通れるか確かめに行ったら、そのさきは崖。日本なら、この先通行止めとガードレールで示すはずなのに、ここではただの石。本当に危なかった!
・川があった。橋はかかっておらず、ここから先は船で渡る。夜、ここに着いたのだが、たった1台の車のためだけに、渡し船は運行。車でその船に乗り、渡川後、その船から対岸に上陸。初体験でした。一周道路では1ヶ所だけこんな所がある。
・最終日、以前誘った日本人から、、、何で断ったんでしょうね。後から考えたら遠慮せず行けばよかった!とのこと。では、最後、行きますか!と、ヌーメア近郊の日本人墓地へ2人で。ここニューカレドには戦前、多くの日本人が住んでいたらしい。博物館に行って初めて知った。そこでせっかくならこの日本人墓地に行ってみたいなと思ったのだ。2人で見学後、ホステルに戻り、自分はバヌアツ行きの航空機に乗るため空港へ!、、、
余裕ぶちかましてたのだが失敗!搭乗時刻を過ぎてしまい、飛行機に乗れず。仕方なくその場で明日の航空機を購入(すこしだけ割引あり)。バヌアツ滞在がたった1日となってしまった。レンタカーは返却したので、ホステルまでバスで戻る、、、。ホステルでさっき別れた彼が不思議そうに尋ねてくる。飛行機、乗り遅れちゃいました!幸い、ホステルにも空きがあり、1泊延泊。で、教訓。余裕をもって空港へ行きましょう!
という感じのニューカレドニア滞在となりました。
※ニューカレドニア、ヌーメアの国際ユースホステル
https://aubergesdejeunesse.nc/noumea/?page_id=1012&lang=en- 旅行時期
- 2016年01月
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投稿日 2023年08月15日
総合評価:4.0
マラケシュから夜9時発の夜行寝台で一気にタンジェまで。(当日でもとれますね)最初は冷房もなく、え、これで1夜を過ごすの?と驚きましたが、同室の方が車掌にクレームをつけ、別のコパートメントに。よかった!壊れてただけだった。
で、翌朝、タンジェ駅に到着。さて、どうする?目的地はスペイン領セウタ。世界遺産シャウエンも当初は考えていたが、セウタ観光を優先。セウタ行きは乗り合いタクシーで。どこで乗れるのかわからないので、迷わずタクシー。セウタ行きのガレまでお願い!50ディルハムなり。で、行ってみたら、タンジェ駅よりかなり遠い。マップスミーにも表示がない所に、大きなガレ(バスターミナル)がありました。最近、できたのかも。で、そのターミナル横にやっぱり乗り合いのタクシー乗り場がありました。セウタ!50ディルハム(5ユーロ)でした。で、その乗り合いタクシー、セウタの国境曲がり口で降りる乗客が、、もうちょっとで国境だな、と思ってたら、この乗り合いタクシー、セウタ国境行きではなかった。セウタに近いモロッコ領の町行きだった。、、、その乗り合いタクシーで国境まで行くものだと思ってた自分、失敗しました。で、てくてくてくてく、、、あそこで自分も降りておけば、こんなに(4キロ程)歩かなくてよかったのに。
ということで、タンジェからスペイン領セウタ行きの情報です。国境曲がり口で降りる場合、20ディルハム追加料金が取られるようです。そこで降りた乗客、ドライバーと何か話して20ディルハム払ってましたから、きっとそういうことだと思います。
国境を歩いて渡り、(このときは入国へのマシンが壊れたようで、けっこう人だかり。1時間以上かかりました)
国境を渡り終えたら、後はセウタ中心地行きのバスを待つだけ。ディルハムから一気にユーロの世界へ突入です、、、。
ちなみに1ユーロは約10ディルハムです。
セウタからタンジェ鉄道駅もこの反対のルートだと思いますが、どうでしょうか?
まだアフリカ大陸にいますが、ここはスペイン領メリリャと同様、まぎれもなく、ヨーロッパでした。
※マラケシュ近郊で地震が起こり、2000名ほど亡くなったとのニュースが。先日訪れたばかりなので本当に驚きです。観光客で賑わってたのに、今は混乱状態のようです。何が起こるかわからないものです。早いモロッコの復興を願っています。- 旅行時期
- 2023年08月
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投稿日 2023年08月28日
総合評価:3.0
2023夏の南欧旅行での英領ジブラルタル訪問です。
予定では
●セウタ6時30分発ーフェリーーアルヘシラス8時30分着ーバスーLA LINEA9時15分着
●ジブラルタル観光
●LA LINEA15時45分ーバスーアルヘシラス16時30分
●アルヘシラス発17時04分発ー列車ーグラナダ21時57分着
●グラナダ泊
ジブラルタル滞在6時間の予定だった。だが、寝坊してしまい、朝6時半発のフェリーに乗り遅れ、ジブラルタルに着いたのは12時頃。15時45分発のバスに乗るには滞在3時間程しかなかった。3時間でまわれるか?急ぎ足で回るには、時間が足りなかった。ジブラルタルは見所が多かった!
結局、15時45分発のバスには間に合わず、予約していたグレナダには宿泊できず。(でも、グレナダのホステル、2泊の予定だったけど、1泊の料金だけにしてくれた!良心的なホステルだった!)結局、野宿!アルヘシラスのフェリーターミナルは24時間営業のようで、またまたターミナル前のベンチで寝袋野宿!お仲間もいたので安心できた!
ということで、セウタからジブラルタルを観光し、グレナダに安く向かうには、、、(ジブラルタルで宿泊すればいいのだが、何せ高いので)
①もう少し朝早い便でアルヘシラスに向かい(2時発、4時発のフェリーはある!)、ジブラルタルをゆっくり観光し、15時45分のアルヘシラス行きバスに!これなら21時57分にグレナダに到着できる!(グレナダには安宿がある)
②アルヘシラスのホテル宿泊(あるいは野宿)pを決め込み、ジブラルタルをゆっくり観光。朝6時発の列車でグレナダへ!(アルヘシラスからグレナダへ行く列車(乗り換えあり)は1日2本しかない)
英領ジブラルタルには、国境ごえ、滑走路横断、幻想的な洞窟見学、ロック登頂、お猿さん、ヨーロッパ ポイント (エウローパ岬)
、、見所が実に多い!
ジブラルタル観光の参考に!- 旅行時期
- 2023年08月
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サモアで初めての体験
投稿日 2023年04月01日
総合評価:5.0
4トラ、色塗り投稿です。
まだ若かりし頃の25年程前、日付変更線が気になり、冬に大韓航空でオーストラリア→サモア→トンガ→フィジーと旅した時の出来事です。
サモア、、、残念ながら冬に行ってみると雨ばかり、、そして何もない、、、1週間程の滞在予定で、2日目で、あと5日程何しよう?そんなサモア滞在でした。
が、そんなサモアで人生初体験が2つ。
1つ目。野犬に囲まれた!
小雨が降るなか、アピアの町に何か食い物を探しに行くと、、、野犬が吠えてくる。見た目から、こいつはサモアの人間ではないと感じているのか、どんどんどんどん犬たちが集まってきた。総勢20匹ぐらいだろうか、ワンワン!ではなく、明らかに敵意むき出しの鳴き声。ヤバイ!と思って誰かいないか?と周りを見ても雨の中では誰もいない。
これまでか!海外旅行に来て犬にやられるなんて、、、頭の中で嫌な空想がよぎる、、
でも、人間とは不思議なもので、いざ肝が座ると不思議と勇気が出て来るものだ。こいつが跳びついてきたら、一発顔面に突き、周りの犬たちには回し蹴り、、、黙ってやられるぐらいなら、何発かは返してやる!幸い7年間は武道(空手と少林寺拳法)を習っている。
にらみ合いが始まる。ボスらしき犬とのにらみ合い。こいつが跳びついてきたらきっと戦闘が始まる。来るならきてみろ!
ボス犬は黙ってその場を去っていった。フーッ!
野犬に囲まれたなんて経験、日本じゃ絶対あり得ない。
2つ目。現地の方の家に居候!
アピアでは歩き方にあった安いゲストハウスに宿泊していた。が、雨で何もすることがない。たまたま、昼食を食べに町の飯屋へ行った時だった。隣に座っていた恰幅のいい、50代くらいのいかにもサモア人(顔は優しそうな)という感じの方が話かけてきた。
聞けば、「君がつまらなそうな顔をしてるので話しかけた」という。成り行きで「俺の家に来ないか!トンガに行くまでの間、泊まって行かないか?」そんな話となった。彼はタクシードライバーでたまたまここに昼飯を食いに来たのだった。
渡りに船。「本当にいいの?」「勿論!」すぐにホテルを引き払い、彼の家に向かった。お土産を持って。どうやらそれがサモアのしきたりのようで、食パン2斤を購入した。
彼の家はアピアから離れた村にあった。いかにもサモアの家で、壁のない吹きさらしの伝統建築。そこに奥さんと娘さん、さらに娘さんの娘(バレリアちゃん)がいた。聞けば、娘さん、ニュージーランドに住んでたけど離婚してサモアに戻って来たんだとか。
滞在した5日間は本当に楽しかった。最初はお互い気まずそうな感じだったが、夜になるとそっと蚊帳を作ってくれる娘さん、晩御飯はどうする?気遣ってくれるお母さん。パパさん、ママさん(そう呼んでくれと言われた)、、そして夜になると必ずテレビを見に来る近所の子供たち。(彼の家にはテレビがあった) テレビから流れるサモア語はわからないけど、笑い声につられついつい笑ってしまう。きっと昔の日本もこんな感じだったんだよなあ、そんな和やかな滞在だった。
パパさんがみんなを海に連れてってくれた。サモアにきて天気も少し回復ぎみ。波が強く海水浴というわけには行かないが、海に入ってみんなとじゃれあう。が、自分、岩場に足をぶつけ出血。傷はけっこう深い。家に戻ってからママさんがサモア伝統の塗り薬(薬草?)を作ってくれ、傷口に塗ってくれた。今でもその傷痕を見れば思い出す。
最後の夕飯はお礼に自分が作った。メニューは親子丼。お米、卵、鶏肉、醤油、砂糖を買いに町に行ったのだが、サモアでは当時チキンレッグしかなかった。まずはご飯を炊く。小学校で習う「始めチョロチョロ中パッパ」が役立った。サモアでは火加減無しでガーッと炊くのでご飯は焦げる。手伝ってくれた娘さん、焦げないご飯にびっくりしていた。が、ここで今度は娘さんが怪我。チキンレッグから肉だけ削ぎ落とす作業を手伝ってくれたのだが、包丁で指を切ってしまった。けっこう深い傷。すぐさま近所の家に駆け込み消毒。この消毒、金属を熱しそれを傷口に当てるという衝撃的なもの。見ていて痛々しかった。幸い、出来上がった親子丼はみんな美味しそうに食べてくれたが、、。きっと娘さんも指の傷痕を見るたび思い出してくれていることだろう。
初の海外居候。サモアを訪れる際には、タクシードライバーに居候を頼んで見てはいかがか?ダメ元で。
※そうそう、思い出したので、、、サモアでは生カカオが売られてる。パパさんの家に行く途中、パパさんがビニール袋に入った黒い粘土のような物を買っていた。??何だろう?と思ってたら、カカオ豆を潰した生カカオだった。そのカカオで作ってくれたココア、これが最高においしかった!人生で一番おいしかった飲み物。それ以来、ココア好きに。でも、あの味は日本では再現できない。サモアに行ったら是非試して見てください。絶品です!- 旅行時期
- 1998年01月
-
投稿日 2023年08月27日
総合評価:1.0
2023夏の南欧旅行で訪れたガーンジー島。やられました!
ジャージー島を観光後、夜8時のフェリーでもうひとつの英王室領ガーンジー島へ(ここも地域限定?通貨のガーンジーポンドがある)。ホテルは主都のセント・ピーター・ポートでは高いので、町から外れたThe Cabinというホテルに2泊。
次の日はサーク島へフェリーで日帰り旅行。ここは2008年まで領主が統治していた封建社会だった島。交通手段は島にある数台のトラクターのみ。(最近自転車が許可されたらしい)どんなところなのか、島出身の自分にとっては興味津々。行ってみたかったのだ。ここではもう歩いた歩いた。レンタサイクルもあったが、端から端まで歩き続けた。特にこれは!というものはないが、、、観光客は意外に多かった。封建制の歴史、未舗装の道路、限定された交通手段、綺麗な夜空がキャッチフレーズのこの島。何か引き付けられるものがあるようだった。
お昼はホテルの朝食が役立った。ここのホテルの朝食は簡単なパン、コーヒー、果物の他に、朝食メニュー表から選ぶ形式。ガッツリ食ったあとに、知らずに頼んだサンドイッチが出てきた。もう食えなく、テイクアウト、でも、これが昼飯になるとは、、、ラッキーでした。離島の飯屋は高いので、、、。
さて、ガーンジー島に戻り、明日はガーンジー島観光!と思ってたら、メールが、、
。船のスケジュール変更のメール。悪天候のため昼発の船が夜発に。さらに夜になるとまたまたメール。夜の便が出港できず、次の日の朝に変更。で次の日になるとさらに朝ではなく昼発に。さらに当初の予定の行き先ではなく、サン・マロに戻るというスケジュールの大幅変更。残念ながらこれではもうパリ発のモロッコ便に間に合わない。
ということで、ガーンジー島にもう1泊延泊したものの、急遽航空券を取り、パリへ。ガーンジー発アイルランド経由パリ行き。5万円も!いタタタタの出費となりました!ガーンジー島も雨の為、それほど回れず、、、。
夏に船が欠航になるとは、、、パリを観光したく航空機で一気にモロッコ入りの予定をいれたのが間違いでした。
※サーク島へのフェリー時刻表、予約
https://www.sarkshipping.gg/- 旅行時期
- 2023年08月
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投稿日 2023年08月26日
総合評価:3.0
2023夏の南欧旅行でモン・サン・ミッシェルを訪れました。せっかくなので、モン・サン・ミッシェル見学後、バスで近くのサン・マロへ。で、次の日の朝1のコンドールフェリーで、ジャージー島へ。(調べたら、この日が一番日程的によかったので。夜8時、ガーンジー島へ渡るフェリーがあった)ただ、このフェリー、不定期?毎日決まった時刻に出港する訳じゃなく、スケジュールとにらめっこして調整しなければならないので不便。
ジャージー島は英王室領。EUから出国扱いという形となる。通貨もユーロではなくポンド。(マン島同様、ジャージーポンドという地域限定?通貨もある)2012年ロンドンオリンピックのあった年、初めてイギリスを訪れ、ブリティッシュレイルパスであちこち回ってきたが、約10年ぶりの訪問。その時の余ったスコットランドポンド紙幣40ポンドを持っていったが、役立った。スターリングポンドじゃないけど受け取ってくれるかな?との心配もあったが、ここでは使えた。
ジャージー島ではさっそくエリザベス城へ。朝の干潮時にはてくてく歩いて渡れる。水陸両用バスもあるけど、どうせならてくてく、、
。城はまだ開門時間ではなく閉まっていたけど、ここに来れただけでいい。(夜、もう一度行ってみると、やっぱり満潮で渡れなかった。)フランスからたった1時間程の乗船で異国の地。ポンドの世界。
ジャージー牛ミルクで作ったアイスクリームを食べたり、セント・ヘリアの町中を歩いたり、、、。時間があったので、バスでMont Orgueil Castleも見に行ってみた。
たった10時間程のジャージー島滞在でしたが、モン・サン・ミッシェル→(バス)→サン・マロ→(フェリー)→英王室領ジャージー島の観光ルートもありだと思います。
※ただし、サン・マロの宿は、、、。高いので隣町にあったドミトリーのあるホテルにブッキングコムで宿泊予約を入れていた。が、行ってみると、なんと7月12日でホテル廃業との張り紙が、、。結局、この日はフェリーターミナル前のベンチで寝袋野宿。トホホ、、、。
※コンドールフェリーのスケジュール、予約
https://www.condorferries.co.uk/- 旅行時期
- 2023年07月
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投稿日 2023年08月16日
総合評価:2.0
今回の夏の南欧旅行。ガイドブック無しで予習もなく(重いので)またまた行ったものの、スペインの観光地では四苦八苦!
①グラナダのアルハンブラ宮殿
事前予約が必要なんですね。てくてく宿から歩いて到着したら、観光客でいっぱい!ウワー、こりゃだめかな!とあきらめかけました。なぜなら、当日券もネットで予約しなければならないから。ネット、、、(自分はネット接続無しでいつも旅行しているので、、マップスミーとWi-Fiがあればなんとかなるので、、、。)
ダメもとで、入場係員に尋ねてみました。入場券を購入したいんですけど、ネット接続がないんです、、、すると係員、Wi-Fi接続のパスワードを打ってくれ、無事ネットに接続!必死こいてサイトを解読しながら、係員にも助けてもらいながら、なんとか当日券をゲットできました。
②マドリッドの王宮
朝早めに行ったのに、当日券にはもう長蛇の列。1度はその列に並んだものの全然進まない。これは、、、あきらめ、別の所へ、、、。(そこも入場制限があり、大勢時間を待っていたが)で、昼過ぎまた王宮に戻ってくると、あれ、あの長蛇の列は既にない!すんなり当日券をゲット!
朝1ではダメでも、昼過ぎなら並ばなくてもいいのかも?
③バルセロナのサグラダファミリア
はじめから当日券なんか買えないだろうな、買えなかったら外からの眺めで満足しようと思ってました。でも、行ってみると、、、それはそれは観光客でごった返していた。nーWi-Fiは使えないだろうな、、とあきらめ、近くのマックに入った所、そういえばマックのWi-Fiがあるじゃないですか!気づいて即、サグラダファミリアの公式サイトにアクセスし、調べてみたら、あと2つ当日券があった。が、もたもたしてるうちに当日券は売り切れ!次の日はあるようだが、、、旅行会社のも調べてはみたものの、当日券は既に無し!ということで、明日はアンドラへ向かうので諦めた。
外からでもいいか、と思いこむようにしてたけど、やっぱり行ってみると、入りたくなるものですね、、、。
ということで、2勝1敗。スペイン観光はネット予約必須なんですね。でも自分の場合、当日そこにたどり着けるかが難しいので、どうしても当日券、、、。
ポルトガルの観光地はすんなり当日券で行けるのに、、、スペインは別格?なのかな?
それにしても、どこも日本人が少なかった、、、日本人は円安で物価高のヨーロッパに来れなくなってる、、、。寂しい限りです、、、。- 旅行時期
- 2023年08月
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投稿日 2023年08月17日
総合評価:1.0
2023夏の南欧旅行でシンガポールにトランジット。で、そこからジョホールバルに越境。
さて、久しぶりのジョホールバル。3度目です。
①20年程前の兄貴との旅行で、シンガポールから鉄道で、、、日帰りマレーシア旅行で。まだその頃はシンガポール駅がありました。マレー鉄道管轄のこの駅で、たしかシンガポール出国、マレーシア入国ができた記憶がある。違ったかも?
②マレー鉄道(ジャングル鉄道の方)に乗りたく、バンコクから列車でスンガイコーロック、そしてバスでマレーシアコタバルに入り、翌日タクシーで、ワカバル駅、そこからジャングル鉄道に乗りシンガポールまで。(ジョホールバルは通過しただけ)
本当にジャングルを走る列車でした。
③で、今回。まず入って驚いたことは、シンガポールとの物価の差。すぐそこなのに、国が違えばこんなに違うのか!マレーシアの物価が安すぎる!昔と変わらないじゃないか!
シンガポールでは缶コーラを買うのさえちょっと躊躇してしまう。(日本と比べて高いので、、1本300円程)でも、ここジョホールバルでは自販機で缶のペプシコーラが1本1リンギ。30円程。なんだ?この差は?食堂で麺を食えば10リンギ(300円程)シンガポールじゃとうていこの値段では飯は食えない。
まざまざと物価の差を感じてしまった。世界は物価高のヨーロッパ、アメリカ、シンガポール。物価安のマレーシア、エジプト、、、そして日本、、、。2極化してしまったんだろうか?
で、せっかくなので観光しようとてくてくジョホールバル動物園に行ってみたら、クローズされていた。いったい何があったんだろう?コロナのせいかな?張り紙がマレー語だけだったのでわからない。とにかくこの時はクローズされていた。
もし行くときは確認を!
色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2023年08月
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投稿日 2023年08月16日
総合評価:1.0
今年の夏の南欧旅行。売り出されていたスクートの成田ーベルリン往復10万円の航空券で行ったので、シンガポールに久しぶりに訪問。
行きのトランジットで、マレーシアのジョホールバルに入国しようと、誰かのシンガポール旅行記を見て気になっていた世界1短い国際列車乗車を試みようと、空きがあった15時頃に発車する列車をネットで予約した。シンガポール到着は13時。2時間あれば発車駅WOODLANDへも行けるだろうと思っていた。
が、、びっくり!シンガポール入国に、アライバルカード事前ネット申請が必須になってたとは!知らなかった!列に並んで入国審査を待ってたのに、、、やっと自分の番になっても、アライバルカード申請をしてこい!と入国係官。又又振り出しに。
で、このネット申請がまためんどくさい。打ち込む形にすれば早いと思うんだが、選択させる形。JAPANも世界の中から、住所も数ある選択肢の中から、、、。以前の記入するアライバルカードの方がよっぽど早いと思うんだが、、、。ペーパーレスの環境に配慮したエコの観点でこの取り組みに変更したそうだが、たくさんの入国希望者が、このアライバルカード申請に戸惑っていた。自分も漏れず。基本情報なんてパスポートに埋めこまれてあるのに、、、。
ということで、予約購入した国際列車にはとうてい間に合わず、おじゃんとなってしまった。
悔しいので帰りのトランジットで再度試みてみるも、朝早くWOODLANDに到着したものの、列車は昼1時ならあるという。そんなに待つのは時間がもったいない。これは徒歩でマレーシアへ越境し、国際列車でマレーシアから帰って来よう、、。20年程前の旅行と同じように!(20年前はシンガポール駅から列車でマレーシアへ。そしてマレーシアから徒歩で橋を渡りシンガポールへ)
だが、全てが変わっていた。歩いて橋を渡ってる者は1人もいない。徒歩で越境はダメなのかも?皆バスで越境。帰りのマレーシアからの列車は全て満席のために購入できず。またバスで越境。(シンガポール入国にまたまたアライバルカードのネット申請。本当にめんどくさい!)
シンガポールとマレーシア、昔の方が行き来しやすかった!
※マレーシアからの国際列車は安いので常に満席なのかも?そもそも券売機にもWOODLAND行きのチケットはなかった。ネットだけでの販売なのかも?この列車乗車を試みる人は、まだシンガポールからマレーシア行きの列車の方が購入しやすいと思う。
※この国際列車 Shuttle Tebrauの購入先
https://shuttleonline.ktmb.com.my/Home/Shuttle- 旅行時期
- 2023年08月





