ユジノサハリンスク Yuzhno Sakhalinsk
散歩・街歩き
2.93
施設情報
クチコミ(7件)
1~7件(全7件中)
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残念なサハリン
- 1.5
- 旅行時期:2017/09(約8年前)
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見ていておもしろい日本の商品
- 4.0
- 旅行時期:2017/07(約9年前)
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街中に日本のコンビニは当然ながらありませんが、コンビニより大きい、小さなスーパーマーケットのチェーン店があります。
スト... 続きを読むリチーヌイ、ピエルヴィがあり、ピエルヴィの方がより高めの商品層を扱っています。
外国商品も置いてあり、ストリチーヌイでは、韓国のものが多く、日本のものは2、3しかありませんでしたが、ピエルヴィの方は日本の商品も幾つかありました。
ただし、同じ商品でも日本で買うよりも高いです。
お菓子のみならず、調味料や即席麺、衛生用品などその他のものにも日本のものがあったのには驚きです。
ただ、「武士道」コーヒーは日本語が書いてあっても、日本のものではありませんね(^_^;)
ほかに「桜」ワインなるものもありました。
日本のものですが、更にスラヴャンスキーバザールなど、専門店に行くと種類が増えました。 閉じる投稿日:2018/02/13
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横断歩道は車が停まってくれる
- 4.0
- 旅行時期:2017/07(約9年前)
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中心部は意外と小さな街で、健脚な方なら主な名所は1日で歩いて見切ってしまうでしょう。
歩くと街の雰囲気がよく分かりますが... 続きを読む、路線バスも各所通っています。
夏に訪れましたが、街中は昼間であれば、治安上特に問題ないと感じました。
しかし、気を付けなくてはいけないのが、道路信号です。
青から赤に変わるのが早く、日本のように点滅しかけてから急いで渡ろうとしない方がよいです…というか、できません。
なお、信号があるところは、中心部くらいで、その他は横断歩道のみです。
初めてのときは、おそろしいのですが、渡ろうと停まっていると、何と車の方から停まってくれます。
何と親切なのでしょう!
日本では有り得ません!!
どうもルールになっているらしく、横断歩道を渡ろうとする歩行者がいたら、必ず停まるようになっているようです。
ただ、慣れるまで誰かが渡るのと一緒に渡るとよいですが、2、3回もすると慣れます。 閉じる投稿日:2017/12/19
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ヨーロッパとは違う国
- 2.0
- 旅行時期:2016/09(約9年前)
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第二次大戦前は「豊原」と呼ばれた日本の都市でしたが、現在は豊富な天然ガスと石油資源によりロシアの新興都市となっています。
- 4.0
- 旅行時期:2015/07(約11年前)
- 2
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ドライバーのマナーの良さに驚いた街
- 4.0
- 旅行時期:2013/08(約12年前)
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夏のサハリン縦断(一部自転車)
- 1.5
- 旅行時期:2005/08(約20年前)
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4トラ色塗り投稿です。(地球の歩き方口コミには既に投稿していた内容だが、閉鎖されてしまったので再度投稿)
当時、自分... 続きを読むの住んでた所から稚内はすぐそこだった。そして当時は定期フェリーがサハリン、コルサコフまで運航していた。(往復4万円。今はないけど)これは行くしかない!休みも当時は10日間ぐらいしか取れなかった。
8月、コルサコフからユジノサハリンスク、そしてバスでホルムスク、ユジノサハリンスクに列車で戻りノグリキ、そしてバスで最北の地オハまで。
旧日本領見学、列車乗車が目的。そして人生発のチャリダーとなって折り畳みマウンテンバイクを携帯。
今は行けない?ロシア旅行はこれで4度目。
①新潟からハバロフスクに飛んで、そこから列車でモンゴルへ。
②中国から列車でカザフスタン、バスでキルギスタン、ウズベキスタンのタシケントまで行き、そこから列車でカザフを通りロシアモスクワまで。
③ラトビアのリガでロシアVISA70ドルを取得し、列車でサンクトペテルブルク、モスクワへ。
そして今回。(その後、韓国の東海からフェリーでウラジオストクに行ってますので、通算ロシア旅行は5回)
●初の自転車旅行はきつかった。ユジノサハリンスクまでアップダウンの50キロを自転車で、、。北海道ではチャリダーを良く見かけるが、これ程辛いものとは思ってなかった。(けつが痛くならないパンツを履いているなんて知らなかった)
で、途中、もうダメということでバス停野宿。携行自転車用バッグに潜り込み寒さをしのいだ。
●ホルムスクでは食堂で日本人?と思ってしまった英語を話す女子大生と話ができた。聞けば朝鮮系だという。ロシアが攻めこんで来た時、日本人は北海道へ逃げたが、朝鮮人は取り残されたと聞く。その子孫か?ここの市場ではキムチが売られていた。
●ホルムスクからは列車でユジノサハリンスクまで戻った。バスならあっという間に着くが、この日本人が作った遠回りの列車に乗りたかったのだ。朝4時出発、夕方ユジノサハリンスクに到着した。
●ノグリキ行きの列車にはそこそこ日本人観光客もいた。北緯50度、旧ロシアと日本の国境線を越えた。ノグリキからはオハ行きのミニバスに自転車を積み込み、一路のサハリン最北の町オハを目指した。オハは何もない寒い寒い町だった。(もう少し北に行けば油田がある)空は曇り、人々は夏にも関わらずコートをまとっていた。以前住んでいた釧路を思い出す。半袖着れるのは1週間、、、。
●オハからは航空機でユジノサハリンスクへ戻った。空港へ行けば乗れるはず、、ルーブルキャッシュでのみ航空券は買えた。たくさん両替しておいてよかった。
●樺太で美味しかったのはエビ。たまたまホテルで一緒になった会社社長と一緒に飲んだ。その時に社長が頼んだのがむきエビ。ただエビを塩ゆでしたものだが、酒のつまみには最高だった!その後、社長はロシア美人と、、、。旅行社にあらかじめ手配してたんだとか、、、。
樺太、、いつかまたと思ってたけど、ウクライナ情勢でこれからどうなるかな?北海道からは目と鼻の先。また平和になって、船で行けるようになることを願ってます。
閉じる投稿日:2023/03/12
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