夏のサハリン縦断(一部自転車)
- 1.5
- 旅行時期:2005/08(約19年前)
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by kasekunさん(男性)
ハバロフスク クチコミ:1件
4トラ色塗り投稿です。(地球の歩き方口コミには既に投稿していた内容だが、閉鎖されてしまったので再度投稿)
当時、自分の住んでた所から稚内はすぐそこだった。そして当時は定期フェリーがサハリン、コルサコフまで運航していた。(往復4万円。今はないけど)これは行くしかない!休みも当時は10日間ぐらいしか取れなかった。
8月、コルサコフからユジノサハリンスク、そしてバスでホルムスク、ユジノサハリンスクに列車で戻りノグリキ、そしてバスで最北の地オハまで。
旧日本領見学、列車乗車が目的。そして人生発のチャリダーとなって折り畳みマウンテンバイクを携帯。
今は行けない?ロシア旅行はこれで4度目。
①新潟からハバロフスクに飛んで、そこから列車でモンゴルへ。
②中国から列車でカザフスタン、バスでキルギスタン、ウズベキスタンのタシケントまで行き、そこから列車でカザフを通りロシアモスクワまで。
③ラトビアのリガでロシアVISA70ドルを取得し、列車でサンクトペテルブルク、モスクワへ。
そして今回。(その後、韓国の東海からフェリーでウラジオストクに行ってますので、通算ロシア旅行は5回)
●初の自転車旅行はきつかった。ユジノサハリンスクまでアップダウンの50キロを自転車で、、。北海道ではチャリダーを良く見かけるが、これ程辛いものとは思ってなかった。(けつが痛くならないパンツを履いているなんて知らなかった)
で、途中、もうダメということでバス停野宿。携行自転車用バッグに潜り込み寒さをしのいだ。
●ホルムスクでは食堂で日本人?と思ってしまった英語を話す女子大生と話ができた。聞けば朝鮮系だという。ロシアが攻めこんで来た時、日本人は北海道へ逃げたが、朝鮮人は取り残されたと聞く。その子孫か?ここの市場ではキムチが売られていた。
●ホルムスクからは列車でユジノサハリンスクまで戻った。バスならあっという間に着くが、この日本人が作った遠回りの列車に乗りたかったのだ。朝4時出発、夕方ユジノサハリンスクに到着した。
●ノグリキ行きの列車にはそこそこ日本人観光客もいた。北緯50度、旧ロシアと日本の国境線を越えた。ノグリキからはオハ行きのミニバスに自転車を積み込み、一路のサハリン最北の町オハを目指した。オハは何もない寒い寒い町だった。(もう少し北に行けば油田がある)空は曇り、人々は夏にも関わらずコートをまとっていた。以前住んでいた釧路を思い出す。半袖着れるのは1週間、、、。
●オハからは航空機でユジノサハリンスクへ戻った。空港へ行けば乗れるはず、、ルーブルキャッシュでのみ航空券は買えた。たくさん両替しておいてよかった。
●樺太で美味しかったのはエビ。たまたまホテルで一緒になった会社社長と一緒に飲んだ。その時に社長が頼んだのがむきエビ。ただエビを塩ゆでしたものだが、酒のつまみには最高だった!その後、社長はロシア美人と、、、。旅行社にあらかじめ手配してたんだとか、、、。
樺太、、いつかまたと思ってたけど、ウクライナ情勢でこれからどうなるかな?北海道からは目と鼻の先。また平和になって、船で行けるようになることを願ってます。
- 施設の満足度
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1.5
クチコミ投稿日:2023/03/12
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