worldspanさんのクチコミ(26ページ)全5,670件
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投稿日 2023年07月08日
総合評価:4.0
神辺も山陽道の宿場町として栄え、本陣や白壁の町並みが今も残る町だ。広島では宿場町として知られているが全国ではあまり知られていないのではないだらうか。今でこそ神辺近辺では福山が栄えているが、江戸時代に水野勝成が転封される前は近辺では神辺が中心だった。神辺には神辺城という城が南北朝時代には築城されていた。神辺城は毛利氏も統治しており。関ヶ原合戦後に、芸備福島正則が治めた。その時までは山陽道が走る神辺城周辺が中心だった。1619年に福島正則が改易後、備後国は水野勝成が統治することになった、水野勝成は譜代家臣で西国へ目を光らせる役割を担っていた。水野勝成が福山城を築城後、近辺の政治的な中心部はふくやまにうつったが、神辺は宿場町として繁栄は続いた。その代表的な建物が神辺本陣だろう。神辺にはいくつか本陣があったが、現存するのはこの建物のみ。西国の大名たちは参勤交代で江戸に向かう際にこちらの本陣で宿泊していた。
- 旅行時期
- 2023年07月
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投稿日 2023年07月08日
総合評価:3.5
神辺の白壁のどおりには廉塾(れんじゅく)と呼ばれる江戸時代の儒学者・菅茶山によって備後に開かれた私塾が残されている。敷地内の講堂や寮舎があり、桟瓦葺、平屋建て、居宅は、桟瓦葺となっており、近世の地方における教育施設として数少なく、国の特別史跡になっている。
- 旅行時期
- 2023年07月
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投稿日 2023年07月07日
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投稿日 2023年07月08日
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投稿日 2023年07月08日
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投稿日 2023年07月08日
総合評価:3.5
坪井本店(坪井醤油店)の建物は1916年(大正5年)に建設された建物だ。醤油店としては1918年(大正7年)に開業した老舗の店で、当初は「ヤマツ」という商標で生産されていた。現在はOEM生産に切り替え販売している。建物は江戸時代の厨子二階作りからから普通の二階建に代わり現代的に変貌遂げているが、一階は妻入り町屋造りを踏襲している。
- 旅行時期
- 2023年07月
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投稿日 2023年07月08日
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投稿日 2023年07月08日
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投稿日 2023年07月08日
総合評価:4.5
東城は広島市内から一番遠い山間部に位置するが、福山に通づる東城路と現在の新見に続く新見路が交差する要所でもあり物流の中継地点として発展した町だ。特に東城路には昔ながらの町並みを今に伝える建物が並び、今もなお江戸時代後期から明治時代にかけての趣を今に伝えている。
- 旅行時期
- 2023年07月
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投稿日 2023年07月08日
総合評価:4.0
各旅客ターミナルには江田島観光協会が取り扱うレンタルサイクルが用意されている。これはとても便利だと思う。島の観光で一番不自由なのが足だ。江田島は広いので自転車があるのとないのでは大違いだ。広島市よりも天候が安定しているので自転車での観光はとても利用価値がある。
- 旅行時期
- 2023年07月
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投稿日 2023年07月08日
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投稿日 2023年07月08日
総合評価:4.0
広島の備後の国には西城と東城という町がある。これは姉妹的な関係にある。室町時代に東城を治めた宮氏と言う国人が勢力を誇っていたが、宮景友が1521年から1530年頃に東城の西に五品嶽城を築城し拠点としていた。
宮景友は1533年に五品嶽城から西側におよそ15キロ離れた地に大富山城を築城し拠点を移した。そのため、東側に位置する五品嶽城を「東城」、西側に位置する大富山城を「西城」と呼ばれるようになったと言われている。
戦国時代に突入すると、毛利元就が勢力を拡大し、宮氏は毛利の傘下に入り、所領は安堵されていたが、安土桃山時代に毛利輝元が豊臣秀吉政権に組みし、1590年の北条氏政・氏直に対する小田原征伐の遠征の際、宮広尚が兵役を抑えるために所領を過小申告したことが発覚し、毛利輝元の怒りを買った。そのため宮広尚は山陰へ転封された。
関ヶ原合戦後、毛利輝元は防長2カ国に転封され、芸備は福島正則の統治となり、西城の大富山城は廃城となり五品嶽城には福島正則の家老が入城した。この家老長尾一勝が東城の城下町を整備し現在の東城の町並みの原型を作ったと言われている五品嶽城は1615年に廃城となったが、当時の趣を残す貴重な城跡として注目を集めている。- 旅行時期
- 2023年07月
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投稿日 2023年07月08日
総合評価:3.5
東城の老舗の酒蔵なのは北村醸造場。創業は江戸時代、天保年間(1830~1844) の酒蔵だ。北村醸造所の看板酒は「菊文明」。菊文明は、明治の初期から続くお酒だ。
カルスト台地を流れてきた水を使用した辛口のお酒が特徴。家族三人で経営しているというのは本当にすごい。- 旅行時期
- 2023年07月
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投稿日 2023年07月08日
総合評価:4.0
1865年(慶応元年)に創業した生熊酒造は東城路の中心部にある老舗の店。生熊酒造といえば1926年(昭和元年)から続く「超群」というお酒。東城は石灰岩質のどじょうだが、そのカルスト台地の湧き水を仕込み水にしている。蔵の見学も実施されているので平日に行ってみよう。休日は残念ながら営業していない。
- 旅行時期
- 2023年07月
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投稿日 2023年07月08日
総合評価:3.5
後藤商店の蔵。後藤商店は現在様々な事業を展開しており、後藤生酢醸造場はその一つだが、醸造所は酢の醸造する老舗中の老舗だ。後藤家は平安時代から続く神主の家系で、約500年前に東城の八幡神社から分家したが、当時の東城には造り酒屋5軒、醤油屋が3軒あり、15代「茂四郎」はそれらと関係のない酢造りを始めた。現在看板となっている赤酢は100年以上前から続く商品だ。
- 旅行時期
- 2023年07月
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投稿日 2023年07月03日
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投稿日 2023年07月03日
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投稿日 2023年07月02日
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投稿日 2023年07月02日
総合評価:5.0
矢掛で最大の建物でもある旧矢掛本陣でもある石井家住宅。屋号を佐渡屋という。1620年にこの地に構えられていた。主屋、屋敷、御成門を配し、西国大名や幕府役人、天皇の勅使等が宿泊していた。現在の主要建物は江戸時代後期(天保年間~安政年間)にかけて再建されたものだ。
- 旅行時期
- 2023年07月
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投稿日 2023年06月28日

























