1. ホーム
  2. 国内旅行
  3. 中国地方
  4. 広島県
  5. 帝釈峡・比婆山・神石高原
  6. 帝釈峡・比婆山・神石高原 観光
  7. 五品嶽城跡
帝釈峡・比婆山・神石高原×
旅行ガイド
観光
グルメ
ショッピング
交通
ホテル
旅行記

五品嶽城跡

名所・史跡

五品嶽城跡 クチコミ・アクセス・周辺情報

帝釈峡・比婆山・神石高原 観光 満足度ランキング 14位

クリップを編集する

ラベルを選ぶ

  • ラベルはまだありません

公開設定

クチコミ・評判

1~2件(全2件中)

  • 東城町の標高480mの城山に築かれた山城

    • 3.5
    • 旅行時期:2023/09(約3年前)
    • 0

    中世の頃より政治と経済と交通の要衝地であった城下町、宿場町・東城町に築かれた山城が五品嶽城です。備中と伯耆の国の国境の要衝...  続きを読む地で、標高480mの城山に室町時代から近世初頭にかけての山城です。東城の街並みを眼下に見る城で、版籍奉還頃迄機能していたようです。  閉じる

    投稿日:2024/01/20

  • 五品嶽

    • 4.0
    • 旅行時期:2023/07(約3年前)
    • 0

    広島の備後の国には西城と東城という町がある。これは姉妹的な関係にある。室町時代に東城を治めた宮氏と言う国人が勢力を誇ってい...  続きを読むたが、宮景友が1521年から1530年頃に東城の西に五品嶽城を築城し拠点としていた。

    宮景友は1533年に五品嶽城から西側におよそ15キロ離れた地に大富山城を築城し拠点を移した。そのため、東側に位置する五品嶽城を「東城」、西側に位置する大富山城を「西城」と呼ばれるようになったと言われている。

    戦国時代に突入すると、毛利元就が勢力を拡大し、宮氏は毛利の傘下に入り、所領は安堵されていたが、安土桃山時代に毛利輝元が豊臣秀吉政権に組みし、1590年の北条氏政・氏直に対する小田原征伐の遠征の際、宮広尚が兵役を抑えるために所領を過小申告したことが発覚し、毛利輝元の怒りを買った。そのため宮広尚は山陰へ転封された。

    関ヶ原合戦後、毛利輝元は防長2カ国に転封され、芸備は福島正則の統治となり、西城の大富山城は廃城となり五品嶽城には福島正則の家老が入城した。この家老長尾一勝が東城の城下町を整備し現在の東城の町並みの原型を作ったと言われている五品嶽城は1615年に廃城となったが、当時の趣を残す貴重な城跡として注目を集めている。
      閉じる

    投稿日:2023/07/08

1件目~2件目を表示(全2件中)

クチコミを投稿する

基本情報(地図・住所)

施設名
五品嶽城跡
住所
  • 広島県庄原市東城町
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

このスポットに関するQ&A(0件)

五品嶽城跡について質問してみよう!

帝釈峡・比婆山・神石高原に行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。

  • teratanichoさん

    teratanichoさん

  • worldspanさん

    worldspanさん

このスポットで旅の計画を作ってみませんか?

行きたいスポットを追加して、しおりのように自分だけの「旅の計画」が作れます。
クリップ したスポットから、まとめて登録も!

周辺スポット

PAGE TOP