worldspanさんへのコメント一覧(73ページ)全730件
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はじめまして
小学生で一人旅とはすごいですね!親戚のお家へ、とかでしょうか?
自分の子供には、大学生のうちに一人で海外個人旅行、その為には高校生で国内個人旅行をさせよう!などと考えていたのですが、小学生で一人旅が出来るとは…人生設計が狂いました(笑)
また訪問させて頂きます。RE: はじめまして
女一人旅さんこんばんは〜
初めて自分が一人旅をしたのは12歳、もちろん東京に親戚がいるからなのですが、広島から寝台車で東京〜鳥取〜米子〜岡山〜広島と自分で旅程を組んで旅しましたし、ちゃんと東京の地図まで買って研究しました。これが本格的な一人旅の始まりで、今でもこの旅程のノートは持っています(笑)。
小学一年の頃から時刻表が愛読書でしたし、祖父母の旅行もすべて自分が宿も本で調べて旅程を組んでいたので、旅程はお手の物でした。元々放浪癖があった上自由奔放な育て方をされてましたので、六年までは小遣いを貯めては県内をバスでブラブラしてたんですよ。
中学一年になって、駅のホームで寝たりしながら本格的に四国や九州を旅をしてました。今ならきっと家で少年と間違えられて補導か誘拐されてますよね(笑)。この頃はのんびりした空気だったのでできたんでしょうね。鉄道警察の人も優しかったし、未だそんな治安が悪くなかったですし・・・。一方、周遊券の全盛なうえ、夜行列車も1992年くらいまでは結構走ってましたので、今以上に旅しやすかったと言う背景がもちろんありましたが。
自分は列車も好きでしたし、地理や歴史が好きだったので旅好きになりました。ですので、子供さんも私同様にこうした学芸が好きだったり、放浪癖があれば、私のように小学生からでもぶらつくかも知れません(笑)。今でこそ自分は70カ国近く巡っていますが、94年から2003年まではやはり自分の専門領域である、中欧・東欧圏しか巡った事がなく、これ以外の地域を旅するのは逆に自分の枠外から出る気がして最初はとても勇気がいりました。
女一人旅さんのフュッセンの旅拝見しました。私は96年に旅したのですが、女一人旅さんが旅されたときと私が旅したときではずいぶんと変わってるでしょうね・・・。とても懐かしく感じました。
長くなりましたが、ではでは。
2007年02月14日00時20分 返信するRE: はじめまして
ん〜やっぱり、放浪癖(?笑)があるとか、地理が好きとか、好きな土地柄とか、子供の個性によっても違いはあるでしょうね。でも親はいつかいなくなるのですから、やはり20才位までにはこの世のどの地でも一人で生きれる「力」のようなものは持てる様な育て方をしたいと思います…となると、shijoさんのご両親は立派!…なんて、私は子持ちじゃないんですけどネ。
それにしても、駅のホームで寝てる12才って笑える…というか変というかヤバい!?
それを許す親はかなりスゴイ!!2007年02月14日00時42分 返信するRE: はじめまして
はは、そうなんですと手も変な中学生だったんです(笑)、それで今でもベルギーに訪れた時でも宿代浮かせる為に空港で寝てたりしていました・・。
実は自分が小学校から中学校にかけての頃は実家の広島では、小学生や中学生が夏休みや冬休みに入ると徹夜で寝台車の写真撮影をしていたんですよ。本当にそんな時代があって、自分もその中に入っていたんですね。初めて下のが小学校5年生の時で、そのときは本当に親が心配して夜中の3時に様子を見に来ていました。そういうノウハウを積んでいたのがわかっていたので、親も特に何も言わなくなったんでしょうね。。。2007年02月15日00時59分 返信する -
ベラルーシルーブル8束分…
shijoさん今晩は(汗;)
ベラルーシルーブル8束分が...成程納得^^;
私はチェコのマルチビザの有効期限切れ&ポーランドの入国期限申請トラブル(20日の申告を02日と記された)でひどい目に遭ったことがあります。
☟この旅行記に少し説明を書いていますが...
http://4travel.jp/traveler/shinesuni/album/10037474/
それ以来国境越え恐怖症になっていて、ビザがなくなった今でもこの地域の国境を越える時緊張しっぱなしですね...
PS
キシニョフでこんなに田舎ですから、モルドヴァの地方行くともっと経済状態最悪なんでしょうねwwRE: ベラルーシルーブル8束分…
こんばんわ。
私はアゼルバイジャンに行った際、二日間、オーバーステイになってしまい、出国の時に揉めてしまいましたが、仲良くなった車掌や乗客たちがパスポートコントローラーに「たった二日間じゃけーええじゃん!」とかばってくれたおかげで、事なきを得ました。
ポーランド・・・、懐かしいですね。今はビザが不要になったから行きやすいですよね。以前自分の相方がポーランド人で、度々ポーランド南部に行っていました。いずれアップしようとは思っていますが、私の場合、オポーレ県の更にそこから奥に入った村に頻繁に出入りしていました。北部はドイツとリトアニアとの国境を越えるときに通過かダンツィヒ(すみません、現在の名前を度忘れしました)とワルシャワくらいしか行った事ありません。。でもポーランドは欧州きっての親日国なので、私からすれば相方がポーランド人だったことを差し引いても最も居心地の良い国のひとつでした。2007年01月19日00時16分 返信する -
ベラルーシ恐るべし^^;
90年にポーランドに行った時
やはり札束が出てきましたが、
それでもこれ程には...
恐ろしいですねwwRE: ベラルーシ恐るべし^^;
お返事遅れましてすみません。年末年始は中東に旅に出ていまして・・・。
96年にデノミが行われるまで、ポーランドでは10万ズウォチの通貨が発行されていたそうです。そのような国でも時代が変わればEUに入るのですからわからないものですよね。2007年01月08日13時57分 返信するshijoさん書き込み有難うございました
((^∇^ Szczęśliwego Nowego Roku!^∇^))
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・:*:・✿ shijoさんさん✿・:*:・✿・:*:・
新年明けましてオメデトウございます。
今年も ㋵㋺㋛㋗ ㋔㋧㋕゛㋑㋛㋮㋜
.。o○【祝】.。o○2007年元旦 shinesuni
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今後ベラルーシもEUに加盟して、あの煩わしい国境検問もはやくなくなって欲しいですね^^;
2007年01月08日17時11分 返信する -
とてもすてきな結婚式です
shijoさん、こんにちは。
挙式の様子をとてもほほえましく思いながら、拝読させていただきました。
緊張のあまり誓いの言葉をスコーンと忘れてしまったこと。
お二人ともせっかくなら完璧に言いたかったでしょうけど、このあたりがとてもほほえましくかんじました。
長いバージンロード。
そうですね、あの長さを、急ぎ足でなくゆっくり来るわけですし、shijoさんにとっては、待ちに待った花嫁。確かにとても長く感じられたことと思います。
力強いバッハの「トッカータとフーガニ短調」、そしてバージンロードを照らす一条の光。
絵のようなシーンですね。RE: とてもすてきな結婚式です
家族が結婚式の様子をビデオで撮っているのですが、それをみると、何とまぁ、情けない姿が・・・。あの言葉を忘れてしまった時の心の動揺が表情にモロに出ていて、神父様がコソコソ教えていただいたはずだったのですが、何とそのお言葉までビデオで拾われていました(涙)。
実は自分の服装を見て何か物足りないなーと思っていたら、結婚式の時に来ていた正装で自分はネクタイをするのをすっかり忘れてしまい、それに気づいたのはホテルの部屋に戻ってからの事でした。なんとも情けない話ですよね。
式を挙げる際、ブダペストで衣装を準備する事も考えたのですが(実際に結婚式の衣装やはテレーズ環状通りに沢山あります)、式まで時間が無かったので、気に入ったものや、サイズが合うものがあるのかわからなかったので、日本から持ってきたので、荷物が大変かさばり、移動が大変でした。2006年12月09日11時12分 返信する -
注目の的!
shijoさん、こんにちは。
結婚式場までの様子、これも興味深く拝読しました@
リムジンに花嫁・花婿さん、たしかに注目しないわけにはいかないです(笑)。
ドレスの苦しかった花嫁さん、広いリムジン、ゴールデンコースでマーチャーシュ教会へ、そして車から降りたときの歓声。
目に浮かぶようです@RE: 注目の的!
まみさん、
特に教会横のイシュトバーン像や、漁夫の砦付近で家族で写真を撮っているとそれを更に後ろからビデオで撮影している人がいたり、写真を撮る人がいたり・・・、この時ばかりは芸能人になったような気分でした(笑)
式が終わり、教会から出てきたときに正門を囲むようにギャラリーがいたのは本当にビックリしました。その中で最も多いギャラリーは何と日本人!?JTBのツアー客で徳島からこられた方々だったんですよ。これには本当に驚きました。ご老人が多いツアーでしたが、本当に暖かい声をかけて頂き、嬉しかったです。ご老人たちもかなり驚かれたそうですよ。ハンガリーなんかで結婚式を挙げる日本人がいるとはって(笑)。2006年12月09日11時01分 返信する -
東欧のオペラ
shijoさん、こんにちは。
今年の旅行でブダペストのオペラ座とブカレストのオペラ座でそれぞれオペラ・バレエを見ました。
ブカレストでは週末値段でかつ一番高い席でも邦貨換算にして900円にもならなくて、びっくりしていたのですが、それを上回る安さだったのですね。
びっくりです。
しかし、ユーロ加入以前の東欧をご存じのshijoさんにとっては、高くなったなぁと感じられてしまうんですね。
日本でよくバレエやオペラを鑑賞します。どちらかというと来日公演ばかりです。
西欧のオペラは高すぎて、東欧からの来日のを選びます。それでも日本の水準なので高いです。。
日本はあんなに高いのがふつうになってしまっていて、異常ですね。。。でも観劇のためにずーっと海外にいるわけにはいかないし、公演の種類がとてもバラエティに富んでいる意味ではありがたいと思っているので、涙を呑んで?チケットを買っています。RE: 東欧のオペラ
まみさん、おはようございます。
沢山メッセージを頂きまして本当にありがとうございます。
ブカレストのチケット、高くなっているんですね・・・。自分がブカレストの音楽堂で95年に鑑賞した時は50円くらいだったかな(苦笑)。実はこれ、劇場に行った時には既にコンサートが始まっており、チケット売り場もしまっていたので、入口の係員に50円くらいを渡すと、すんなりと中に入れてくれました。流石ラテン人ですよね(笑)。
95年の1月から3月にかけてはプラハ、ブダペスト、ブカレスト、ソフィアで音楽を楽しみましたが、一番安かったのがソフィア!オペラでなんと50円もしませんでした。因みにブダペストのオペラハウスが当時100Ft(約60円)、同じくブダペストのペシュト・ヴィガドーが600Ft(400円?)、一番高額だったのがプラハで、モーツアルトのドン・ジョバニの演目で全てチケットが売切れしており、ダフ屋から買う羽目になって、普通で購入する8倍くらいの値段で買うことになりました(涙)。ブダペストではミュージカルも面白いですよ。私はブダペストでキャッツとオペラ座の怪人を見ましたが、いずれも感動しました。今年の三月にオペラ座の怪人を鑑賞しましたが、安い席で900Ftでした。
日本の場合は海外から演奏者を呼んでいるので、どうしても彼らの交通費や宿泊費や、施設維持費などもチケット代に繁栄しているから高いんでしょうかねぇ?私の実家の広島は実は音楽が盛んな街で、すんでいた事は、学校に毎年、演奏に来てくれたり、毎年冬になると広島交響楽団が「プロミシングコンサート」という、広島出身の若手の音楽家を招き、演奏会を開き、市民にかなり安い値段で鑑賞する事もできました。「広響」のような市民の為の楽団がもっと増えていって、もっと日本人のライフスタイルにゆとりができれば、こういう音楽も楽しめるんでしょうね・・・。2006年12月09日10時46分 返信する -
とても興味深く拝読
shijoさん、こんにちは。
主役なのにご自分で企画され、添乗員役もつとめた旅行、おつかれさまでした。でもご家族も満足されて、満足感はさらに増したようですね。
プラン編からまずここまで読みましたが、あれだけの手配はさぞかし大変だったろうと思いました。
私も今年は自分でホテルをインターネットで予約したので、ものすごく苦労したので、すごいなぁと思いながら、でもとても興味深く読ませていただきました。
好奇心あふれたお母様のウィーン西駅30分の散策のあたりも、とてもジーンときました。
shijoさん自身のウィーン滞在はあまりよい思い出がないのは残念ですが……まあ確かに、東欧の物価に慣れると、なかなか西のユーロ圏には戻れなくなってしまいますね。
またおじゃまします。この先のマーチャーシュ教会での挙式編も楽しみにしています。RE: とても興味深く拝読
はじめまして。メッセージありがとうございます。
旅には基本的になれているのですが、なにぶん一人旅が多いものですので、例え旅なれたフィールドですら9人も連れて行くのは結構神経を使います。誰かはぐれていないか、スリなど近づいていないか等など・・・。でも折角行くなら家族も一緒に楽しめたら最高ですよね。
まみさんもポーランド、チェコ、ハンガリー等中欧圏に行かれているのですね。折角音楽の都に行かれてるので、次回はオペラやクラシック、ミュージカルを是非お楽しみください!
ではでは2006年12月07日23時39分 返信する -
shijoさん
はじめまして。
私めのつたない掲示板見て頂き有り難うございます〜。
「世界一美しいマックドナルド」拝見させて頂きました。
ん〜、マックに美的感覚があるのか〜、じゃ、世界一汚いマックは何処なんだろとバカな疑問を持ってしまいました。(怖いもの見たさに行ってみたいかも…。)
これに懲りずまたの来訪お待ちしてます〜。
有り難う御座いました。
2006年11月30日21時09分返信するRE: shijoさん
はじめまして、海外に出張に行ってましてお返事遅れてすみません。
何処が一番汚いでしょうね(笑)。95年に旧ユーゴのベオグラードに赴いた際にもマクドに行きましたが、そこも大変綺麗なマクドでした。当時東欧圏のマクドは笑顔が素敵でした。
ではでは2006年12月02日10時55分 返信する -
ザンビア...
豪快な場所に行かれましたねww
サッカーのザンビア代表も結構強いし
興味があるのですが..治安や風土病...
足を踏み入れる勇気が...
尊敬いたしますm(~~)mRE: ザンビア...
掲示板への書き込みありがとうございます。
南部アフリカは奥地に入らなければマラリアの心配もないそうです。
むしろ東南アジアのほうが食事が合わなくて大変でした。
オランダのアヤックスが、将来有望な選手をアヤックスに引き抜く為に南アフリカの確かケープタウンかどこかに、プロリーグを持っていました。アヤックスケープタウンのユニフォームもケープタウンの空港に売られていました。2006年10月19日00時22分 返信する -
噂は聞いたことがありましたが・・
こんにちは。はじめまして。
ヨハネスブルクの治安の悪さ
は聞いた事がありましたが、そ
こまでひどいのですね。
アパルトヘイトも少数白人が
生きていくために生まれたとも
聞いた事がありましたが、ここ
の都市の複雑さを改めて感じさ
せられました。RE: 噂は聞いたことがありましたが・・
きゃんさんさん さん
はじめまして、掲示板へのメッセージありがとうございます。
私が訪れたのは2004年ですので、現在どのようになっているのかは、一概には言えませんが、少なくともヨハネスブルクのダウンタウンは特に異常な雰囲気であったのは確かでした。唯南アの全ての治安が悪いわけではありません。ケープタウンでは日中普通に歩けましたし・・・。
アジア人も昔は差別の対象でしたが、日本人はアパルトヘイトの時代「名誉白人」と言う位置づけだったと言うことを聞いたことがあります。
2006年10月14日19時07分 返信する