1995/02/18 - 1995/02/20
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worldspanさん
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95年2月、ウクライナの首都キエフから陸路寝台列車でモルドバの首都、キシニョフへ向かった。ウクライナとモルドバの国境に差し掛かったのは夜中、ウクライナ側では車掌の操作で部屋の明かりが点けられ、 出国手続きの為パスポートコントロールと税関審査が行われた。
ウクライナ側の国境で出国審査を無事に済ませた私は、列車が走り始めると、モルドバ側でも再度審査があることを承知していたのでコントローラーに気づかれやすいように個室の扉を開けっ放しにしていた。ところがコントローラーたちは開いた扉から室内をチラッと見るだけ、個室の上段ベッドに自分が寝転んでいようとは思いもしなかったようで、自分の部屋を素通りしてしまった。私もこれがまさか問題になろう事とは思いもしなかったので、敢えて通り過ぎる彼らを呼び止める事をしなかった・・・。
モルドバに入国後、列車はモルドバから一方的に独立宣言し、現在も独自通貨まで保有するものの、世界的には独立を認められていない汎ドニエストル共和国の首都ティラスポリ等に停車しながらキシニョフに到着、私は特に問題も無く滞在したが、トラブルは最後の最後に発生した。
キシニョフ滞在後、ルーマニアへと進路をとり、再び寝台車に乗った。キシニョフを出発し、さして時間が経たぬ内にルーマニアとの国境駅に到着した。旧ソ連並びにフィンランドは、一般的な欧州の軌道と異なる。欧州は日本の新幹線と同様の1435mm幅の標準軌、一方の旧ソ連・フィンランドは1520mmの広軌の為、ここモルドバ・ルーマニアの国境ではレール幅が変わり、車両の台車を交換する作業を行う。その為モルドバの国境駅では二時間近くも停車する必要がある。
その台車交換の間にパスポートコントロールと税関審査が行われた。まず私の個室に来たのはパスポートコントローラー、彼らはパスポートのモルドバのビザを見て眉を顰めた。モルドバ語、続いてロシア語で何か話しかけて来たが、これらの言語を理解できない自分でも、何を言及しているのか凡そ察しがついていた。ビザに入国スタンプが押されていなかったので、彼らは入国ルートを不審に思っていたのだ。
私は旅行者であること、そしてキエフからキシニョフに入ったルートを紙に書いて説明をしたが、入国スタンプが何故押されなかったのか詰問は止まなかった。事情を説明しようにも、相手は英語がわからず、こちらはロシア語やモルドバ語のわからぬ為、連想ゲームのように、絵を書き、時に体で具現化をするが、コントローラーにはなかなか理解をされない。
出国に揉め、そうこうしていると、続いて税関が現れた。旧ソ連では当時出入国の際、所有通貨の申告をしなければならないが、入国時にコントローラーと遭遇しなかった私は、申告しているはずもない。その為コントローラー達は益々私を不法入国者として怪しみを深めた。税関は溜息をつきなが今から申告書に記入するように紙を出された。この時私は持ち金をあらゆる場所に分配していたので、正確な所持金を把握しておらず、日本円とドイツマルク、USドルの凡その金額を記入し提出した。
税関から所持品の確認の為に鞄を開けるように指示をされ、所持品と所持金を細かく検査された。入国に不備があり、疑われるのも止むないが、結局所持金は US5$とベラルーシルーブル8束分が申告漏れとなった。申告漏れがどのような処罰をうけ、大問題であるのか、当時無知だった私は事の重大性を把握しておらず、呑気に構えていた。ところが税関は顔色を変え、無線で何処かに連絡するや、私は瞬く間に彼らに拘束されてしまい、遅ればせながらようやく今の自分が直面している危険を認識する始末だった。
個室には他の税関達も押し寄せ、尋問がはじまった。私はロシア語やモルドバ語を理解できないので、車内でモルドバ語と英語を話せる乗客が捜され、モルドバ人の老人が私の取調べの通訳をとなった。私は老人を介し、改めて入国ルート、目的、そしてモルドバでの使用金額を説明した。
パスポートコントローラーは不法入国者ではないことに理解を示し、誤解はある程度解かれたが、問題は入国時に税関申告がされなかった事、そして今回の出国時、申告額より多く所持していたことだ。特にベラルーシルーブル8束分は誰がどう見たって怪し過ぎる。もし自分が税関でも突っ込んでしまうだろう。
事情聴取が終わり、税関達は話し合いをし、これに口を挟むかのように老人も輪に加わった。幸い老人は日本のことにも精通しており、日本人は誠実で、彼は悪事を働こうとモルドバに訪れたのではないだろうと弁護までしてくれた。一体自分はどうなるのだろうか?戦々恐々と話し合いの行く末を、身を丸めて案じていた。
結果私は「情状酌量」でお咎めなし、無事に出国の手続きすることとなった。そして私の取り調べが主たる原因だったのだと思うが、列車は一時間以上も遅れて出発した。しかし出発後私は一時間以上もこの通訳していただいた老人から厳しい説教を受けた。
日本は治安が良く、日本人も誠実な人が多い反面、平和ボケし何の危機感も持っていない。今回は大変幸運な事に税関たちは優しく、貴方の税関法違反を見なかったことにしてくれたが、こんな事は非常に稀な事である。普通であれば全額所持金を没収後、運が悪ければ留置所に入れられ、強制送還されていた。日本人にはたかだかUS$5かもしれないが、モルドバでは大変価値があるのだ。それに8束もベラルーシルーブル札を持っていれば誰しも怪しむにも拘らず、何故申告しない馬鹿な真似をしたのか?と・・。
私の甘い行動は事実なので、老人から厳しい説教を延々受け続け、真摯に受け止めた。そして以後税関申告や出入国には神経質なまでに気を使うようになった。今思えば、この時の失敗は大変良い勉強になったが、一つ間違えれば、あの時あの老人や誠実な税関でなければ自分は今頃どうなっていたのだろうか??今考えただけでも非常に危険な行為だった。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- shinesuniさん 2007/01/18 20:35:50
- ベラルーシルーブル8束分…
- shijoさん今晩は(汗;)
ベラルーシルーブル8束分が...成程納得^^;
私はチェコのマルチビザの有効期限切れ&ポーランドの入国期限申請トラブル(20日の申告を02日と記された)でひどい目に遭ったことがあります。
☟この旅行記に少し説明を書いていますが...
http://4travel.jp/traveler/shinesuni/album/10037474/
それ以来国境越え恐怖症になっていて、ビザがなくなった今でもこの地域の国境を越える時緊張しっぱなしですね...
PS
キシニョフでこんなに田舎ですから、モルドヴァの地方行くともっと経済状態最悪なんでしょうねww
- worldspanさん からの返信 2007/01/19 00:16:19
- RE: ベラルーシルーブル8束分…
- こんばんわ。
私はアゼルバイジャンに行った際、二日間、オーバーステイになってしまい、出国の時に揉めてしまいましたが、仲良くなった車掌や乗客たちがパスポートコントローラーに「たった二日間じゃけーええじゃん!」とかばってくれたおかげで、事なきを得ました。
ポーランド・・・、懐かしいですね。今はビザが不要になったから行きやすいですよね。以前自分の相方がポーランド人で、度々ポーランド南部に行っていました。いずれアップしようとは思っていますが、私の場合、オポーレ県の更にそこから奥に入った村に頻繁に出入りしていました。北部はドイツとリトアニアとの国境を越えるときに通過かダンツィヒ(すみません、現在の名前を度忘れしました)とワルシャワくらいしか行った事ありません。。でもポーランドは欧州きっての親日国なので、私からすれば相方がポーランド人だったことを差し引いても最も居心地の良い国のひとつでした。
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