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さすらいおじさんさんのトラベラーページ

さすらいおじさんさんのクチコミ(76ページ)全3,789件

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  • 豊臣秀吉の華麗壮大な城郭風の邸宅跡、聚楽第跡(じゅらくだいあと)碑

    投稿日 2013年02月22日

    聚楽第跡 二条・烏丸・河原町

    総合評価:3.5

    聚楽第跡(じゅらくだいあと)は豊臣秀吉が1587年(天正15)京都に造営した華麗壮大な城郭風の邸宅跡。東西600メートル、南北700メートルという二条城より一回り大きい規模で、周囲に堀をめぐらしていたが1595年(文禄4)秀次を謀反の疑いで追放し聚楽第も破却した。大徳寺唐門・妙覚寺表門は遺講で旧敷地中央付近に駒札・石碑がある。

    市バス千本出水300メートル。

    旅行時期
    2010年05月
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 浄土真宗では歴史的に重要な寺院、佛光寺(ぶっこうじ)

    投稿日 2013年02月22日

    佛光寺 京都駅周辺

    総合評価:4.0

    佛光寺(ぶっこうじ)は、京都府京都市下京区にある真宗佛光寺派の本山。京都渋谷(しぶたに)に寺基があった頃(1300年代後半 - 1400年代前半)は、同じ浄土真宗の本願寺をしのぐ勢力があった。承元元年(1205年)、専修念仏は停止され、浄土真宗の宗祖とされる親鸞は越後国に配流された(承元の法難)。
    寺伝によると、親鸞は赦免の翌年の建暦2年(1212年)に京都に帰り、山城国山科郷に一宇を創建し、順徳天皇より聖徳太子にまつわる「興隆正法」の勅願を賜り、「興隆正法寺」と名づけた。これが後の佛光寺で、親鸞はこの寺を弟子の真仏にまかせ、その後、阿弥陀仏の本願をひろめるため関東行化に旅立ったとされる。浄土真宗では歴史的に重要な寺院だ。

    旅行時期
    2010年05月
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 豊臣秀吉の聚楽第の邸内社だった出世稲荷神社(しゅっせいなりじんじゃ)

    投稿日 2013年02月21日

    出世稲荷神社 八瀬・大原・貴船・鞍馬

    総合評価:3.5

    出世稲荷神社(しゅっせいなりじんじゃ)は、京都市左京区にある神社で宇迦之御魂命(稲荷神)を祭神とする。
    元は豊臣秀吉の聚楽第の邸内社として創建されたもので豊臣秀吉は幼いころから稲荷神を信仰しており、天正15年(1587年)に造営した聚楽第にも稲荷神を勧請したとのこと。
    後陽成天皇が聚楽第に行幸し稲荷社に参拝したときに立身出世を遂げた秀吉に因んで「出世稲荷」の号を授けたとされ聚楽第取り壊しの後も元の場所に鎮座していたが、寛文3年(1663年)に二条城西方の千本通沿い(千本旧二条付近、京都市上京区千本通竹屋町下ル)に遷座した。
    出世開運の神として大名・公家から庶民までの崇敬を受け江戸時代後期には庶民が寄進した300本を超える鳥居が立ち並んでいたそうだ。

    京都バス 大原バス停より徒歩10分

    旅行時期
    2010年05月
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 「卍」印の入った特異な仏足跡(石)がある大行寺(だいぎょうじ)

    投稿日 2013年02月20日

    大行寺 二条・烏丸・河原町

    総合評価:3.5

    大行寺(だいぎょうじ)は長谷山(ちょうこくざん)北ノ院と号する真宗佛光寺派の寺で 寺伝によれば文政4年(1821)学頭信暁(しんぎょう)僧都の創建で当初佛光寺高倉の月見御殿(豊臣秀吉が月を賞した御殿)跡に建てられたが嘉永6年(1853)現在地に移されている。度々の災火により焼失し現在の本堂は昭和4年に再建されたもので堂内に安置する本尊阿弥陀如来立像(重要文化財)は寄木造で玉眼入の来迎の弥陀で、足下に「巧匠法眼快慶(こうしょうほうげんかいけい)」の銘が記されている。  境内にある仏足跡(石)は足指の指先にそれぞれ「卍」印の入った特異なもので大行寺型と呼ばれ現在四系統ある仏足跡の一系統を代表するものでこの仏足跡は信暁により安政3年(1856)に建てられたが災火のため粉砕し昭和62年に原図を基に復元されたものとのこと。

    下京区仏光寺通高倉西入西前町

    旅行時期
    2010年05月
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 大政所町鎮護の社、八坂神社大政所御旅所(やさかじんじゃおおまんどころおたびしょ)

    投稿日 2013年02月20日

    八坂神社大政所御旅所 二条・烏丸・河原町

    総合評価:3.5

    京都市下京区大政所町には大政所御旅所がある。祇園会(ぎおんえ)の神輿(みこし)三基のうち、素盞嗚尊(すさのおのみこと 牛頭天王)と八王子との二基を大政所とよび、妃神奇稲田姫に一基を少将井と呼んだ。江戸時代にはこの大政所の神輿は八坂神社を出て四条通を経て神泉苑に入った。この御旅所は円融天皇の時代に秦助正という人が夢に八坂大神の神幸を見、また自宅の庭から八坂神社まで蜘蛛が糸を引いているのを見て朝廷にこのことを奏上した結果、助正の家が御旅所となり、その後大政所といわれるようになったといわれている。
     後奈良天皇の天文5年(1536)に騒乱のため焼失し、天正19年(1591)豊臣秀吉の命により四条寺町に御旅所が移されたがそのあとに町の人々が小祠を建て、八坂大神を奉祀し、大政所町鎮護の社として毎年7月16日を例祭日と定めたそうだ。

    旅行時期
    2010年05月
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    3.5

  • パワースポットらしい雰囲気がある晴明神社(せいめいじんじゃ)

    投稿日 2013年02月19日

    晴明神社 今出川・北大路・北野

    総合評価:4.0

    晴明神社(せいめいじんじゃ)は、京都市上京区にある神社で安倍晴明を祀る。一条戻橋のたもと(北西)にあった晴明の屋敷跡に鎮座する。全国各地に同名の神社が存在する。安倍晴明を祀り一条戻橋のたもとにあった晴明の屋敷跡に1007年に創建された。晴明神社には、以前の一条戻橋を実際の部材を使って再現したミニチュアがある。
    晴明井から湧く水は晴明水と呼ばれ、晴明の陰陽道の霊力より、湧き出たといわれ、無病息災のご利益があるといわれている。
    千利休が茶の湯として利用していたといわれ、豊臣秀吉もその茶を服したと伝えられている。
    この井戸は五芒星(晴明紋}を描き、その取水口がその星型の頂点の一つにあり、立春には、晴明神社の神職がその晴明井の上部を回転させ、その年の恵方に取水口を向けるのが、慣わしとなっている。境内には安倍晴明の陰陽道の霊力の説話を説明する絵巻も展示されており、パワースポットらしい雰囲気がある。

    旅行時期
    2010年05月
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    バリアフリー:
    3.5
    見ごたえ:
    4.0

  • 日本映画の父・牧野省三が最初の作品「忠臣蔵」を撮影した二条城撮影所跡

    投稿日 2013年02月19日

    二条城撮影所跡 二条・烏丸・河原町

    総合評価:3.5

    二条城西南櫓の下300坪の土地に,明治43(1910)年横田永之助(1872~1943)の横田商会により京都初の撮影所が開設された。この地で日本映画の父と言われる牧野省三(1878~1929)が尾上松之助(1876~1926)とコンビを組み,最初の作品「忠臣蔵」を撮影した。法華堂撮影所(上京区御前通一条下る)ができるまで2年間使われた。二条城撮影所跡の石標は二条城撮影所時代を思い起こさせるものだ。

    旅行時期
    2010年05月
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    3.5

  • 華麗なきものショーが見られる西陣織会館(にしじんおりかいかん)

    投稿日 2013年02月19日

    西陣織会館 今出川・北大路・北野

    総合評価:4.0

    西陣織の総合PR館で史料室や連日上演しているきものショーの見学ができる。西陣織商品の即売の他、西陣の着物体験や手織体験もできるが体験は前日までに要予約。
    純国産絹織工房では、職人による実演、養蚕・製糸行程のパネル展示、純国産絹糸を使って製織した製品の展示・販売を行っている。

    旅行時期
    2010年05月
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    展示内容:
    4.0
    バリアフリー:
    4.0

  • 紫式部の故郷・実家近くの清浄華院(しょうじょうけいん)

    投稿日 2013年02月19日

    清浄華院  今出川・北大路・北野

    総合評価:3.5

    清浄華院(しょうじょうけいん)は浄土宗七大本山の一つで平安時代860年に清和天皇(せいわてんのう850−881年)の勅願により円仁(えんにん794−864年)が開基した寺で梨木神社、廬山寺の近くにある。
    このあたりを平安時代は「中川のわたり」と言って源氏物語では空蝉の紀伊の守邸があったと設定され『蜻蛉日記』の作者、道綱母も住んでいた。廬山寺の面している寺町通は平安時代の東京極大路で、隠れ家的な高級住宅街。空蝉、紫式部、道綱母のような身分は低いが裕福な受領階級貴族が大きな家を建てた地域だった。
    大貴族は大内裏に近い、二条大路に面した場所に邸を構えていた。源氏物語では光源氏の二条院も右大臣の二条殿も、藤壺の三条の宮も二条大路の近くに住んでいたと設定されている。
    このあたりで紫式部が生まれ、育ち、藤原宣孝(ふじわらのぶたか953−1001年)と結婚し999年に一女・藤原賢子(かたいこ・けんし)を儲けたとされている。源氏物語を描いた紫式部の故郷・実家での生活の様子が思い浮かぶ。

    阪鴨東線出町柳駅・神宮丸太町駅 徒歩10分

    旅行時期
    2010年05月
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 水難火難避けの神、水火天満宮(すいかてんまんぐう)

    投稿日 2013年02月19日

    水火天満宮  今出川・北大路・北野

    総合評価:3.5

    水火天満宮(すいかてんまんぐう)は、京都市上京区にある神社で水難火難避けの神といわれ地元の人には「水火の天神さん」として親しまれている。延長元年(923年)、醍醐天皇の勅願により水難火難除けの守護神として延暦寺の尊意僧正に勅命があり、菅原道真の神霊を勧請し建立されたそうで境内には末社六玉稲荷、道真の霊が降り立ったといわれる登天石、近年出世した人が寄進した出世石、眼病に効くといわれる井戸水「金龍水」や安産の石「玉子石」などがある。

    京都市営バス 「天神公園前」バス停下車徒歩1分。

    旅行時期
    2010年05月
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 上皇の御所で鳥羽伏見の戦いの古戦場跡にもなった鳥羽離宮跡公園

    投稿日 2013年02月18日

    鳥羽離宮跡公園 伏見

    総合評価:4.0

    鳥羽離宮(とばりきゅう)は、12世紀から14世紀頃まで代々の上皇により使用されていた院御所で鳥羽殿(とばどの)・城南離宮(じょうなんりきゅう)とも呼ばれ、京都市南区上鳥羽、伏見区下鳥羽・竹田・中島の付近にあり南殿・泉殿・北殿・馬場殿・東殿・田中殿などからなっていた。
    鳥羽は、平安京の南約3kmにあり、鴨川と桂川の合流地点で山陽道も通る交通の要衝だった。平安京造営時に朱雀大路を延長した鳥羽作道も作られ、鳥羽は平安京の外港としての機能を持ち、貴族達が狩猟や遊興を行う風光明媚な地としても有名だった。このため鳥羽には貴族達の別邸が建ち並び市が立ち都市として発達していた。
    11世紀、院の近臣である藤原季綱が鳥羽の別邸を白河上皇に献上し白河上皇は南殿、東殿を建設し、邸内に自らの墓所として三重の塔を中心とした安楽寿院を造営した。12世紀の鳥羽上皇の代にも泉殿など増設され院政期には鳥羽は経済、物流の拠点としてだけではなく、政治の中心地でもあった。
    伏見区中島御所ノ内町にある鳥羽離宮公園(鳥羽離宮跡)は鳥羽離宮の西端に当る南殿があった場所と考えられている。南殿は最も早く造営された御所で、西南から東にかけて寝殿・小寝殿その他の建物が池を前にして配置されていた。1963−1965年にかけて発掘調査が行われ、後に南殿跡(現鳥羽離宮跡公園他)は国の史跡に指定されているが豪華な離宮のおもかげはほとんど残っていない。
    鳥羽離宮公園の付近一帯は幕末の鳥羽伏見の戦いの古戦場跡となった場所でもある。慶応三年(1867)十月、将軍徳川慶喜の大政奉還後も、薩摩の大久保利通や公家の岩倉具視らはあくまで武力による倒幕を計り、十二月の王政復古の大号令を発令、幕府の事実上の廃絶が決定されその後も薩摩藩の挑発行動が続いたことから、大阪城にいた徳川慶喜はついに幕府の強硬派の意見に従って薩摩を討つため上洛を決意し幕府軍は鳥羽街道と伏見街道に分けて京都に進軍した。
    明治元年(1868)正月三日の夕方、鳥羽街道を北上した幕府軍1万5千と、これを阻止しようと竹田・城南宮周辺に布陣した官軍6千は、現在の離宮公園から西北、小枝橋付近で激突これが鳥羽伏見の戦いの発端となった戦闘だった。秋の山には薩摩軍の大砲が配置されていて、最初の砲撃が行われた。
    現在、離宮公園には、秋の山の頂上付近に明治四十五年(1912)に建てられた「鳥羽伏見戦跡碑」があり、また平成十年(1998)に建てられた「鳥羽伏見の戦勃発の地小枝橋」の石碑や戦いの戦闘図等が設けられている。

    旅行時期
    2011年09月
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    3.5

  • バスの終点で便利な吉野の中千本公園

    投稿日 2013年02月17日

    中千本公園 吉野

    総合評価:4.0

    吉野の中千本公園は吉野駅からのバスの終点で中千本・上千本が見ごろの時期はバスで中千本公園まで行くのが効率が良い。
     このルートのバスはピストン輸送されるので待ち時間はあまりかからない。
     バスで15分、左右の窓から見る桜は美しい。

    旅行時期
    2010年04月
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.5
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 中千本、上千本桜が一目瞭然の五郎平園地

    投稿日 2013年02月17日

    五郎平園地 吉野

    総合評価:4.0

    五郎平園地は小高い丘の上にある小さな公園で上千本、中千本の眺めが良い。昔、五郎兵衛がここで店を開いたのが始まりと言われている。
    満開の下千本桜を見ながらロープウェイ横の七曲り(ロープウェイ千本口駅からつづく折れ曲がった坂道)坂一帯・下千本から中千本までの絶景を楽しみ五郎平園地に来ると中千本、上千本が一目瞭然だった。

    旅行時期
    2010年04月
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 後醍醐天皇ゆかりの場所、御幸の芝・雨師観音堂跡

    投稿日 2013年02月17日

    御幸の芝 雨師観音堂跡 吉野

    総合評価:3.5

    後醍醐天皇が吉野の行宮 (あんぐう)から五月雨の降り続くある日、大勢の供を連れて御幸の際、空模様がますます怪しくなったのでかたわらの観音堂に入ってしばらく休みながら歌を詠まれた。
    ここはなほ
    丹生の社に
    ほど近し
    祈らば晴れよ
    五月雨の空

      歌のおかげで見事に空が晴わたりうららかな日和になり、それからこの観音堂を雨師観音堂と呼ぶようになったそうだが明治の神仏分離によって廃されたそうだ。

    旅行時期
    2010年04月
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    3.5

  • 豊臣秀吉が秀頼を授かった逸話がある吉野水分(みくまり)神社

    投稿日 2013年02月17日

    吉野水分神社 吉野

    総合評価:4.0

    吉野水分神社(よしのみくまりじんじゃ)は、吉野山上千本にある水を司る天之水分大神(あめのみくまりのおおかみ)を主祭神とする神社で子授けの神として信仰を集めている。子守明神への両親の参拝祈願により本居宣長(もとおり のりなが、1730−1801年)が生まれ、豊臣秀吉(とよとみ の ひでよし1536−1598年)もこの地を訪れ豊臣秀頼(とよとみのひでより1592−1615年)を授かったなどの逸話がある。現在の社殿は自らの誕生御礼なのか1605年に豊臣秀頼によって創建されたものとのこと。吉野山奥千本には多くの歴史上著名な人物とのかかわりがある。

    旅行時期
    2010年04月
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    3.5

  • 吉野八社明神の一つだった牛頭天王社跡

    投稿日 2013年02月17日

    牛頭天王社跡 吉野

    総合評価:3.5

    牛頭天王社跡は高城山山頂部の休憩所を下ったとことにある。高城山ツツジヶ城は 吉野城の詰城として築かれたと伝えられ北側の麓の牛頭天王社跡はツツジヶ城の鎮守として創立されたと伝えられ吉野八社明神の一つだったが明治初年の神仏分離により廃絶されたとのこと。
     古文書に「牛頭宮、表行壱丈四尺内陣三尺八寸御拝四尺」とあり」明治初年まで付近に人家もあり、境内では盆踊りなども行われており子守の八王子社などに分霊を勧請した歴史ある神社だったとのこと。 吉野八社明神は幣掛(四手掛)神社、威徳天神、井光明神(佐抛とされる)、勝手明神(式内吉野山口神社)、夢違観音堂(竜王社:御幸の芝明神)、子守明神(式内吉野水分神社)、牛頭天王社、金精明神(式内金峯神社)。

    バスで奥千本口下車 徒歩15分

    旅行時期
    2010年04月
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 吉野奥千本を見渡せる高城山展望台

    投稿日 2013年02月16日

    高城山休憩所 吉野

    総合評価:4.0

    高城山展望台(たかぎやまてんぼうだい). 奥千本の水分神社から10分ほど山道を登っていくと高城山展望台に着く。 春は展望台に咲く桜を見ることが出来、秋は展望台へ続く坂道の紅葉が有名。 散策途中の休憩場所としても最適。
    高城山展望台からは東に三重県境の高見山、西に金剛葛城の連山、近くは蔵王堂が見渡せ
    神さぶる 磐根(いわね)こごしき み吉野の
     水分山を見れば悲しも  の万葉集歌碑がある。

    旅行時期
    2010年04月
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 与謝蕪村の子供時代の思い出を伝える句碑と生誕地の碑

    投稿日 2013年02月16日

    与謝蕪村生誕地碑/句碑 大阪城・京橋

    総合評価:3.5

    毛馬閘門近くの淀川堤防上に、与謝蕪村の句碑と生誕地の碑がある。句碑には有名な「春風馬堤曲」の中の『春風や 堤長うして 家遠し』の句が、蕪村の自筆を拡大して刻まれている。
    「なの花や 月は東に 日は西に」「春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな」などの俳句で知られている与謝蕪村は江戸時代中期の1716年(享保元年、八代将軍徳川吉宗が将軍についた年)、大阪市都島区毛馬町(当時の摂津国(せっつのくに)東成郡(ごおり)毛馬村)に生まれた。「余、幼童之時、春色清和の日には、必(かならず)友どちと此堤上にのぼりて遊び候」と幼年時の生誕地淀川岸で遊んだ回想を蕪村62歳の時に残している。
    誰でも大切にしている還暦を過ぎた老人の懐しい子供時代の思い出だろう。

    旅行時期
    2010年04月
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    3.5

  • 一帯の景色がきれいな淀川大堰(よどがわおおぜき)

    投稿日 2013年02月16日

    淀川大堰 大阪城・京橋

    総合評価:4.0

    淀川大堰(よどがわおおぜき)は大阪府大阪市都島区毛馬町4丁目と東淀川区柴島2丁目にまたがる、一級河川・淀川本流に建設された堰。
    毛馬水門に面した淀川大堰(よどがわおおぜき)は大阪府と兵庫県への上水道と工業用水道の供給と淀川下流部の水害に対応する治水を目的にしている淀川大堰は、必要な水を使えるように水の高さを調節したり、海の水が流れ込まないようにする可動堰で長さは330m、55mの主ゲート4門と40mの調節ゲート2門で構成されている。
    毎日水の供給や洪水防備でお世話になっている毛馬水門、淀川大堰一帯の光景も美しい。

    旅行時期
    2010年04月
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.5
    見ごたえ:
    4.0

  • 毛馬洗堰、毛馬第一閘門が国の重要文化財に指定されている毛馬水門

    投稿日 2013年02月16日

    毛馬水門 キタ(大阪駅・梅田)

    総合評価:4.0

    毛馬には淀川の水流を調節管理する淀川大堰(よどがわおおぜき)や水門がある。毛馬水門(けますいもん)は、1896年に開始された淀川改修工事で計画され、1907年に通常時の川の水を流すための毛馬洗堰(けまあらいぜき)と船舶通過のために水位を調整するための初期の毛馬閘門(けまこうもん)が完成し使用されてきたが、2008年には「淀川旧分流施設」の名称で毛馬洗堰、毛馬第一閘門(鉄製門扉、扉開閉装置、アーチ橋)の建造物等が国の重要文化財に指定されている。
    現在の毛馬水門(毛馬閘門・毛馬排水機場)は淀川と旧淀川(大川)を隔てる水門で水量・水位差を調整し、船舶の通過をスムーズにさせるための設備・閘門 と 大川の水を強制排水するための機能などを備えている。

    旅行時期
    2010年04月
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.0
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さすらいおじさんさん

さすらいおじさんさん 写真

113国・地域渡航

47都道府県訪問

さすらいおじさんさんにとって旅行とは

旅は人生そのもの。自分が生きている証明です。
今年も関西を中心にまだ知らない場所を歩いてみたいと思っています。

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