さすらいおじさんさんのクチコミ(77ページ)全3,789件
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投稿日 2013年02月16日
総合評価:3.5
毛馬の地は俳人与謝蕪村の出身地として有名。蕪村は20歳頃故郷を出て各地を漂泊、晩年に『春風馬堤曲』によって故郷への思いを吐露している。後の淀川改修によって蕪村の出生地は川の中になってしまったが 毛馬の渡しは古い歴史があり大阪の北部から枚方、京方面へ行く人々はこの渡しを利用していたが大正3年、長さ155m、幅3.6mの木橋、初代毛馬橋が完成し経緯が橋詰の竣工記念碑に刻まれている。昭和36年に幅8mの橋が完成し昭和54年に25m幅の橋に拡幅されている。
- 旅行時期
- 2010年04月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- バリアフリー:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2013年02月15日
総合評価:4.0
現在の大阪市阿倍野区阿倍野で生まれたといわれる平安時代の陰陽師・安倍晴明を祀る神社。阿倍王子神社が管理する末社で、創建は没後2年の寛弘4年(1007年)とのことで現在の社殿は大正10年に晴明公の子孫と称する保田家が旧社地を寄進、大正14年に完成。約180坪(約600平米)ほどの境内には大阪市の保存樹林が植えられ、「安倍晴明生誕地」の石碑もある。社務所で安倍晴明公顕彰会による占いも受け付けている。
大阪府大阪市阿倍野区阿倍野元町5-16、境内自由、占い受付/13:00~17:00- 旅行時期
- 2010年04月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2013年02月15日
総合評価:3.5
北畠顕家(きたばたけあきいえ)は「神皇正統記」を著した北畠親房の長男で、1330年(元徳2年)13歳で左中弁となり、15歳未満で弁官に任ぜられるという先例を開き、14歳で参議で左中将を兼ねるという空前の昇進を示した。
1333年(元弘3年)『建武の中興』が成立のとき16歳で陸奥守に任ぜられ、義良親王を奉じて奥州に下り、鎮守府将軍に任じられている。
1336年(延元元年)足利尊氏が反逆すると、上洛して尊氏を九州に敗走させた。この功績により、顕家は権中納言、鎮守府大将軍に任ぜられ、再び奥州に下っている。
3ヵ月後、尊氏が勢いを盛り返したため、1337年(延元2年)奥州より再度上洛。各地で転戦、翌年3月16日に当地、阿倍野での合戦後、「神皇正統記」などには顕家は1338年(延元3年)5月22日朝、1万8千の高師直軍と戦い、摂津国石津(現在の堺市西区浜寺石津町)で戦死したと伝えている。
顕家の墓は、現在の王子町北畠公園に所在する「大名塚」と呼ばれていた塚を、江戸時代の国学者並川誠所が北畠顕家の墳墓と比定したことにより、当地周辺を顕家戦没ゆかりの地として顕彰したもので、現在の歴史観から見れば事実誤認があるようだが、園内の碑文などによると、大正・昭和と篤志家などの寄付により、墓地の整備などが図られ、現在に至っている。
大阪市阿倍野区王子町、最寄駅:市バス「住吉車庫前行」、「北畠公園前」下車すぐ- 旅行時期
- 2010年04月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2013年02月15日
総合評価:4.0
阿部野神社(あべのじんじゃ)は、大阪市阿倍野区北畠にある神社で南朝方として各地を転戦した北畠顕家と、その父の北畠親房を祀っている。
北畠 顕家(きたばたけ あきいえ1318−1338年)は「神皇正統記(じんのうしょうとうき)」を著した北畠親房(きたばたけ ちかふさ1293−1354年)の長男で、1333年「建武の中興(けんむのちゅうこう1333−1336年)」成立のとき16歳で陸奥守に任ぜられ、義良親王(のりながしんのう1328−1368年=のちの後村上天皇)を奉じて奥州に下り、鎮守府将軍に任じられている。
1336年に足利尊氏(あしかがたかうじ1305−1358年)が反逆すると、上洛して尊氏を九州に敗走させた功績で権中納言、鎮守府大将軍に任ぜられたが「神皇正統記」によると1338年5月、1万8千の高師直(こうのもろなお 生年不明−1351年)軍と戦い、阿倍野合戦後、摂津国石津(現在の堺市西区浜寺石津町)で戦死したと伝えてられている。
大阪府大阪市阿倍野区北畠3丁目7−20、最寄駅:阪堺線「天神の森」下車、東北の方向約200m- 旅行時期
- 2010年04月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2013年02月15日
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投稿日 2013年02月15日
総合評価:3.5
南方熊楠(みなかた くまぐす、1867−1941年)は慶応3(1867)年、4月15日、和歌山市橋丁で誕生し5年後南隣りの寄合町に移転し少年時代を過ごした。青年時代にアメリカ、イギリスで独学し帰国後は田辺に居住、在野で学問一筋の生涯を送り昭和16(1941)年に死去した。南方熊楠の研究は博物学、宗教学、風俗学など多くの領域にわたり生物学、特にキノコや粘菌など隠花植物の世界的な学者で日本の民俗学創設において重要な役割を果たした。環境保護に先駆的に取り組み、近代日本の独創的な思想家として高い評価を受けている。
和歌山市橋丁34、和歌山市駅から徒歩10分- 旅行時期
- 2010年03月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2013年01月19日
総合評価:4.0
大江橋(おおえばし)は、大阪市北区の堂島川(旧淀川)に架かる橋で国の重要文化財で浪速の名橋50選にも選定されている御堂筋(国道25号)に架かる橋。鉄骨鉄筋コンクリート造りのアーチ橋で、橋長81.5メートル、有効幅員37.0メートルで江戸時代の元禄年間、堂島の開発に伴って架けられた5つの橋(大江橋、渡辺橋、田蓑橋、堀江橋、船津橋)のうちの1つ。1909年に大阪市北区の一帯を襲った「北の大火」で焼失し1910年に復興と市電の開通に伴い、鉄橋として架け替えられた。
- 旅行時期
- 2009年11月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2013年01月19日
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投稿日 2013年01月19日
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キャンプ、バーベキュー、スポーツなど野外活動が楽しめる男山レクレーションセンター
投稿日 2013年01月19日
総合評価:3.5
男山レクリエーションセンターは、キャンプやバーベキュー、スポーツなど野外活動が楽しめる施設。施設内にはフットサル用の多目的コート・ソフトボール場・ロッジ・キャビン・テント設営場・ランニングコース・炊事場・ゆうぎ広場などがありゆうぎ広場には複合遊具やスプリング遊具、フィットネス遊具などが設置されている。
受付時間:9:00~20:00
定休日毎月第2月曜日(祝日の場合は翌日)
京阪本線 橋本駅から車で約5分- 旅行時期
- 2012年04月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2013年01月19日
総合評価:3.5
薪神社の本殿に残された棟札によると、薪神社の星野天神・住吉・武氏の三社は、天正年間(1573?92年)に再興された。寛永6(1629)年には、薪村と大住村の山論を板文にして奉納。明暦元(1655)年、薪村八幡宮・天満宮の縁起と宮座の定めをあらため、寛政6(1794)年に神社を造営、明治40(1907)年、天神社と八幡社を合祀して、薪神社とした。境内には、もともと甘南備山頂にあり、月読神が仮の姿をとって現れたと伝わる石も祀られている。また、『能楽発祥の碑』と刻まれた石碑も建てられている。
バス「一休寺道」下車、徒歩7分- 旅行時期
- 2009年10月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2013年01月18日
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投稿日 2013年01月18日
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投稿日 2013年01月18日
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投稿日 2013年01月18日
総合評価:4.0
岸和田だんじり祭(きしわだだんじりまつり)は、大阪府岸和田市で行われる祭。岸和田祭とも呼ばれる。
岸和田市北西部、岸和田城下およびその周辺で毎年9月に行われる。
今から約260年前の1745年(延享2年)に、町方の茶屋新右衛門が大坂の祭を見聞し、牛頭天王社(現・岸城神社)の夏祭(旧暦・6月13日)に献灯提灯を掲げたいと藩主に願い出て許可されたのが始まりである[1]。また、1703年(元禄16年)、当時の岸和田藩主であった岡部長泰が伏見稲荷大社を岸和田城三の丸に勧請し、五穀豊穣を祈願して行った稲荷祭を始まりとする説がある
速度に乗っただんじりを方向転換させる「やりまわし」が醍醐味で、曳行コースの曲がり角は大勢の観客であふれ、だんじりに施された非常に精緻な彫刻も見所。
もとは関西の一地方の祭であったが、昭和の終わり頃から多くのメディアで紹介されるようになり、一気に全国区の祭となった。近年、だんじりを所有する町会がさらに増加しており、規模が拡大しつつある。同日開催の春木だんじり祭と合わせて南北3.5km、東西1kmの範囲で交通規制が敷かれる。これは南海本線春木駅-蛸地蔵駅間の4駅全てが含まれる国内最大級の規模。- 旅行時期
- 2009年08月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 催し物の規模:
- 4.5
- 雰囲気:
- 4.0
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紀州徳川を監視する城といわれていた岸和田城(きしわだじょう)
投稿日 2013年01月18日
総合評価:4.0
岸和田城(きしわだじょう)は、大阪府岸和田市の城で千亀利城(ちきりじょう)と呼ばれている。
1334年頃岸和田古城を楠木正成(くすのき まさしげ 不明−1336年)の命で和田高家(にぎた たかいえ・わだ たかいえ)に築城させたのが最初とされ、その後多くの城主が改築している。
岸和田城は、阿波国、讃岐国、淡路国などから摂津国、京への交通の要衝で羽柴秀吉(はしば ひでよし1537−1598年)が紀州征伐の拠点として再築城した後は徳川時代も将軍家が紀州徳川を監視する城といわれていた。1827年に天守焼失後再建されず1871年に廃城となっていた。1954年に3重の復興天守が再建され1969年に城門、櫓などが復興再建されているが天守閣が美しい城だ。
南海電気鉄道蛸地蔵駅から徒歩7分- 旅行時期
- 2009年04月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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最盛時は2万平方メートルの寺域を誇った京都市山科区安祥寺(あんしょうじ)
投稿日 2013年01月15日
総合評価:3.5
安祥寺(あんしょうじ)は京都市山科区にある高野山真言宗の仏教寺院で嘉祥元年(848年)、仁明天皇女御で文徳天皇の母・藤原順子の発願により入唐僧・恵運によって創建された。安祥寺には醍醐寺同様、裏の山にある「上寺」と麓にある「下寺」が存在し、上寺には礼仏堂と五大堂とから成る堂院・東西僧房・庫裏・浴堂などの施設が、下寺には約2万平方メートルの寺域内に塔・仏堂・僧坊・門楼などがあったとされ規模の大きな寺院だったが現在は江戸時代後期に再建された本堂、地蔵堂、大師堂のみが残っている。
JR琵琶湖線(東海道本線)「山科」駅下車、徒歩約15分
市営地下鉄東西線「山科」駅下車、徒歩約15分
京阪電車「京阪山科」駅下車、徒歩約15分- 旅行時期
- 2009年04月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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「忠臣蔵」ゆかりの寺院、京都市山科区の瑞光院(ずいこういん)
投稿日 2013年01月15日
総合評価:3.5
京都市山科区の瑞光院(ずいこういん)は臨済宗大徳寺派の寺で赤穂義士の遺髪が埋葬されている、「忠臣蔵」ゆかりの寺院。上京区の堀川鞍馬口にあったが、昭和三十七年(一九六二)に京都市山科区移ったとのこと。
元禄(げんろく)初期には、第三世陽甫(ようほ)和尚が播州(現在の兵庫県)赤穂城主・浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)夫人瑤泉院(ようぜいいん)と族縁に当たることから、浅野家の祈願寺となった。元禄十四年(一七〇一)、長矩が江戸城で吉良上野介(きらこうずけのすけ)に忍傷に及んで切腹した年、当院内に供養塔が建てられ、また元禄十六年(一七〇三)、上野介を討った大石良雄らが切腹した際、その遺髪が寺内に葬られた。境内には長矩の墓や、良雄ら四十六義士の遺髪塔のほか、良雄が生前愛したという梅の古木がある。十二月十四日の義士討入りの日には、義士ゆかりの寺として参詣する人が多い。
JR琵琶湖線(東海道本線)「山科」駅下車、徒歩約15分
市営地下鉄東西線「山科」駅下車、徒歩約15分
京阪電車「京阪山科」駅下車、徒歩約15分(山科駅から毘沙門堂へ向かう途中)- 旅行時期
- 2009年04月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
紅葉の名所となっている京都府京田辺市の酒屋神社(さけやじんじゃ)
投稿日 2013年01月15日
総合評価:3.5
酒屋神社(さけやじんじゃ)は京田辺市役所の南にある神社で現在の本殿は明治9年(1876年)の再建で一間社流造、正面に千鳥破風向拝の前面軒唐破風を加えている。津速魂神(天児屋根命の祖父)と応神天皇を祭神とし社伝によると神功皇后が三韓に出兵するとき三個の酒壺を神社背後の山中に安置して諸神を祭り、帰国後その霊験を喜んで社伝を創立したとされる。
延喜式(えんぎしき)の巻9,10の延喜式神名帳(じんみょうちょう)に記載された神社である式内社とされ、神功皇后が朝鮮から持ち帰った「九山八海の石」が、現在もあるといわれる。
また、河内国を本貫とし酒造を業とする中臣酒屋連(なかとみのさかやのむらじ)の一族が来住して祖神を祭ったものともいわれ貞観元年(859年)には「酒殿神」として従五位下を賜っている。
酒屋神社の近くには興戸(こうど)の大池があり、秋は紅葉の名所となっている。
近鉄電車 興戸駅(こうどえき)から徒歩約30分。- 旅行時期
- 2011年10月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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八幡の自然の中で家族、グループが楽しめるような設備を持つやわた流れ橋交流プラザ 四季彩館
投稿日 2013年01月15日
総合評価:3.5
木津川にかかる木橋「流れ橋(上津屋橋)」に近いやわた流れ橋交流プラザ"四季彩館"は
食彩棟では八幡の農産加工品を販売する「物販コーナー」八幡の味「そば割烹 清修庵」、天然鉱石「光明石」に含まれる11種類のミネラルが神経痛や疲労回復など温泉効果があるとされる「四季の湯」、などがある。
毎週日曜日には「流れ橋ふれあい市」(楽市通り)が午前10時から正午まで開催され近隣の農家から新鮮な地場野菜、切り花などが出品されている。
研修棟ではそば打ちやパン、ジャム・ケチャップづくりなどの料理教室、手づくりの工芸体験講座などを行っている。
京阪電車八幡市駅より京阪バス2番乗り場、岩田方面「内里西岩田循環・新田辺・岩田南」ゆき等「上津屋」下車すぐ (バス乗車時間約20分)・タクシーで約15分- 旅行時期
- 2009年11月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5






























