worldspanさんのクチコミ(32ページ)全5,683件
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投稿日 2023年05月28日
総合評価:3.5
フジグランに入ったお店でピッツェリアガジュマルの木は、テイクアウㇳのみ取り扱っていた。ピザやサラダが販売されており、オススメはスパゲッティのサラダ。非常に細い麺を使用しており、シーフードに仕上げられ晩御飯のお供におすすめだ
- 旅行時期
- 2023年05月
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投稿日 2023年05月28日
総合評価:3.5
とっぽ家はフジグランでよく見かけるお店だが、焼き鳥が美味しいことは自分もよく知っていたが、今回は鶏の唐揚げを購入した。作ってからすこし時間が立っているせいかしおれた感があったが万人受けするあじかなー。もう少し特徴がある唐揚げであればよかったが。
- 旅行時期
- 2023年05月
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投稿日 2023年05月28日
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投稿日 2023年05月28日
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投稿日 2023年05月28日
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投稿日 2023年05月27日
総合評価:4.0
中ノ小路の突き当りを左に曲がると大小路に出るがそこには頼ファミリーの邸宅がある。それが春風館と復古館だ。
春風館は頼山陽の叔父、広島藩の儒医でもある頼春風の邸宅だ。邸宅は1781年に建設され、医業ばかりではなく塩田経営にも乗り出している。建物は江戸時代末期の1854年に火災により焼失したが、翌年の1855年に再建された。
一方復古館は春風館の西隣にあり頼春風の孫が分家する際建てた建物だ。1859年に建設された。一族は酒造業などを経営していた。- 旅行時期
- 2023年05月
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投稿日 2023年05月27日
総合評価:3.5
中ノ小路を歩いていると白壁と立派な蔵が見える。これは旧光本家で現在は「今井政之陶芸の館」となっている。建物は江戸時代に建てられたもので、現在は竹原氏に寄進され、陶芸界の重鎮今井政之の作品が展示されている。
- 旅行時期
- 2023年05月
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投稿日 2023年05月27日
総合評価:4.0
胡堂から少し見上げた場所に見えるのが照蓮寺。創建は不明だが、少なくとも1361年、室町時代初期の南北朝時代には存在していた。
毛利元就の三男、隆景が養子に入った竹原小早川家が帰依し、寺院は手厚く保護されていた。小早川家の学問所としての役割を担い、寺院の「高麗鐘」は963年に作られたものとされ、日本に現存する高麗鐘として4番目若しくは5番目に古いとされ、小早川隆景が朝鮮出兵の際に大軍を破り大勝利をおさめ、軍器として使用するために持ち帰ったと言われている。
小早川隆景が小早川宗家でもある沼田小早川を継いで小早川家を統一した際、沼田小早川家の居城のある三原市に移った後も寺院の威は衰えることがなかったが、関ケ原の合戦後に毛利家が去ったのち福島正則が広島に転封したのちは照蓮寺の領田を没収し、荒廃した。
1619年に福島正則が改易され浅野長晟が転封後に寺院は中興して再び輝きを取り戻し、頼一門のゆかりの寺院ともなった。- 旅行時期
- 2023年05月
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投稿日 2023年05月27日
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投稿日 2023年05月25日
総合評価:3.0
新山口駅から徒歩1分の場所にあるロイヤルイン新山口は現在朝食の提供をしていないようだ。一階にはインスタントコーヒーが置かれており部屋で作るのだか、せめてドリップのコーヒーがあれば大変嬉しいのだが。部屋はふるめかしいがまぁまぁ広い
- 旅行時期
- 2023年05月
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投稿日 2023年05月21日
総合評価:5.0
頼山陽の祖父、頼惟清旧宅。頼家は元々小早川家に仕えており、小早川家は毛利元就の三男、隆景が小早川家の分家、竹原小早川家に養子に入り、のちに宗家でもある沼田小早川家と統合し、沼田小早川家の本領でもある現在三原市本郷に移った。後に隆景は三原城を築城し、頼家も三原にあった。惟清の曾祖父が竹原の現在の地に移り、この家は江戸時代の頼家の発祥の地ともいえる。頼惟清は1707年に生まれ、文運盛んな竹原で紺屋を生業として和歌をよく詠じ、77歳で没した。頼惟清の子の春永(頼山陽の父)、春風と頼杏坪は広島藩の儒官となった。建物は当時の状態をそのまま今に伝える。
- 旅行時期
- 2023年05月
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投稿日 2023年05月21日
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投稿日 2023年05月21日
総合評価:4.0
竹原市歴史民俗資料館は、1929年(昭和4年)に図書館として建設された。現在は資料館として近世の文化活動資料・塩業など、竹原市にかかわる資料が展示されている。木造の洋風の建物は蔵造りの建物が並ぶ本町通りでは異色ではあるが、不思議なことに景観にマッチしている。
- 旅行時期
- 2023年05月
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投稿日 2023年05月21日
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投稿日 2023年05月21日
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投稿日 2023年05月21日
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投稿日 2023年05月21日
総合評価:4.0
明治4年(1871年)に建てられ、明治7年(1874年)に初代郵便局として郵便取扱所となった建物だ。建物の前には当時の郵便局のポストとして使用された同型ポストが作られており、当時の趣を今に伝えている。当時のポストは漆黒色であったが非常に興味深い。しかも現在も郵便ポストとしても利用されているのが驚きだ
- 旅行時期
- 2023年05月
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投稿日 2023年05月21日
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投稿日 2023年05月21日
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投稿日 2023年05月21日
総合評価:3.5
地蔵堂を過ぎるとすぐの左手を登った場所に寺院の山門が見える。それが長生寺だ。1587年に名将小早川隆景により建立された。毛利元就の三男、隆景は桓武平氏小早川家の分家、竹原小早川家の養子に入った。
その後宗家の沼田(ぬた)小早川家の当主小早川繁平は盲目のため、繁平の妹と結婚し、沼田と竹原小早川家を統一した。元就の次男吉川元春と共に「毛利両川」として元就の孫、輝元を支えたが、1582年の羽柴秀吉による備中高松城の水攻め以降、毛利家は羽柴秀吉の四国遠征に協力し、小早川隆景を中心とした毛利軍が1585年に伊予の守護でもあった河野家(かわの)を攻め、河野家最後の当主第57代河野通直は降伏した。
河野家は元々毛利と繋がりがあったため、小早川隆景は河野通直を引き取り、通直は竹原に身を寄せたが、その後河野通直は1587年に24歳の若さでの病没した。その河野通直の菩提を弔うために長生寺が建立された。- 旅行時期
- 2023年05月




























