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さすらいおじさんさんのトラベラーページ

さすらいおじさんさんのクチコミ(135ページ)全3,789件

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  • 南朝ゆかりの阿倍野神社

    投稿日 2010年11月15日

    住吉・平野

    総合評価:3.5

    阿部野神社(あべのじんじゃ)は、大阪市阿倍野区北畠にある神社で南朝方として各地を転戦した北畠顕家と、その父の北畠親房を祀っている。
    北畠 顕家(きたばたけ あきいえ1318−1338年)は「神皇正統記(じんのうしょうとうき)」を著した北畠親房(きたばたけ ちかふさ1293−1354年)の長男で、1333年「建武の中興(けんむのちゅうこう1333−1336年)」成立のとき16歳で陸奥守に任ぜられ、義良親王(のりながしんのう1328−1368年=のちの後村上天皇)を奉じて奥州に下り、鎮守府将軍に任じられている。
    1336年に足利尊氏(あしかがたかうじ1305−1358年)が反逆すると、上洛して尊氏を九州に敗走させた功績で権中納言、鎮守府大将軍に任ぜられたが「神皇正統記」によると1338年5月、1万8千の高師直(こうのもろなお 生年不明−1351年)軍と戦い、阿倍野合戦後、摂津国石津(現在の堺市西区浜寺石津町)で戦死したと伝えてられている。
      顕家の墓は、北畠公園に所在する「大名塚」と呼ばれていた塚を、江戸時代の国学者並川誠所(なみかわ せいしょ1668−1738年)が北畠顕家の墳墓と比定したことにより、周辺を顕家戦没ゆかりの地として1733年に顕彰したものだそうだ。阿部野神社周辺も4月5日は桜が満開だった。

    阿倍野神社---http://www.abenojinjya.com/
    日本の旅 関西を歩く 大阪、南朝ゆかりの阿倍野神社周辺:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10456121/

    (写真は阿倍野神社の光景)




    旅行時期
    2010年04月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    3.0
    南海高野線の岸里玉出駅の東500m
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    2.0
    見ごたえ:
    3.5

  • 花見の名所万代池公園(まんだいいけこうえん、ばんだいいけこうえん)

    投稿日 2010年11月15日

    住吉・平野

    総合評価:3.5

    帝塚山(てづかやま)は帝塚山古墳に由来する関西の高級住宅地で帝塚山学院など教育の街として知られている。南海高野線、阪堺電気軌道上町線帝塚山駅周辺の一帯だ。
    帝塚山古墳は「大帝塚」と「小帝塚」と呼ばれる大小二つの古墳があり5−6世紀の豪族、大伴 金村(おおとも の かなむら、生没年不詳)とその子の墓とされている。小帝塚が前方後円墳の帝塚山古墳として現存している。
    万代池(まんだいいけ、ばんだいいけ)周辺は万代池公園(まんだいいけこうえん、ばんだいいけこうえん)として整備され花見の名所として知られている。
    万代池は上町台地の浸食した谷をせき止めて作られたといわれ、聖徳太子(しょうとくたいし574−622年)が曼陀羅経をあげて、池に棲む魔物を鎮めたという言い伝えから、「まんだら池」と呼ばれ、その後転じて「万代池」という名前になったと伝えられている。
    2010年4月5日は万代池公園の桜が満開だった。

    万代池公園---http://www.ocsga.or.jp/osakapark/hfm_park/11tokusyoku/flower16.htm
    万代池公園---http://www.osaka-bento.com/hanami/mandai.html
    日本の旅 関西を歩く 大阪、帝塚山の万代池周辺:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10453992/

    (写真は万代池公園の光景)


    旅行時期
    2010年04月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    3.0
    阪堺上町線帝塚山三丁目駅から徒歩5分
    人混みの少なさ:
    3.0
    バリアフリー:
    2.0
    見ごたえ:
    3.5

  • 万葉集にも詠まれた景勝地で鯛の一本釣りなど関西で屈指の漁場として知られる加太

    投稿日 2010年11月14日

    加太

    総合評価:3.5

    加太は古代から潟見の浦(かたみのうら=加太の浦)と呼ばれ、万葉集にも「藻刈舟 沖こぎ来らし妹が島(いもがしま=友が島)潟見の浦に鶴駆ける見ゆ」と詠まれた和歌山市郊外の紀淡海峡に面して海岸線が続く景勝地だ。だが現在は景勝地としてよりも鯛の一本釣りなど関西で屈指の漁場として知られ、加太港にはたくさんの漁船が停泊し釣り好きの人たちのためのホテルや民宿が並んでいる。
     加太港の沖合に見える友ヶ島(ともがしま)は、紀淡海峡(友ヶ島水道)に浮かぶ無人島群で地ノ島、神島、沖ノ島、虎島の4島から成っている。
    加太の淡嶋神社は、友ヶ島群島の神島(淡島)が発祥の地とされるが、江戸時代に紀州藩の藩主徳川頼宣(とくがわ よりのぶ1602−1671年)の命で紀州藩の儒学者・李 梅渓(り ばいけい1617−1682年)が虎島内に葛城修験道における5つの「行場」を書いた「五所の額」を設定した後は修験道の山伏修行の場にもなっている。
    明治時代には旧日本軍により外国艦隊の大阪湾への進入を防ぐために沖ノ島内5箇所と虎島に砲台が造られ、第二次世界大戦で日本が敗戦するまでは一般人が足を踏み入れることができない軍事要塞地だった。
    友ヶ島群島は要塞跡などの見学もできるが現在は加太と同様に観光地としてよりも、風光明媚な漁場としての知名度のほうが高いようだ。

    加太---http://www.kada.jp/map/01.html
    日本の旅 関西を歩く 和歌山市、加太港周辺:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10452429/

    (写真は加太の役行者堂から見た漁村の光景)

    旅行時期
    2010年03月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    2.5
    南海電鉄--和歌山市駅下車→ 番線の加太線乗り換え終点加太駅下車(20〜25分)
    人混みの少なさ:
    3.5
    バリアフリー:
    2.5
    見ごたえ:
    3.0

  • 紀州の殿さまの童謡「毬と殿様」が流れて籠から殿様が姿をあらわす京橋ふれあいゾーンのからくり時計

    投稿日 2010年11月14日

    和歌山市

    総合評価:3.5

    和歌山城周辺には江戸時代,和歌山城の外堀として造られた人工の川・内川が流れている。内川は市街地の中心を流れる市堀川,大門川,和歌川,真田堀川などの総称で遊歩道が整備され、市民の憩いの場になっている。
    内川沿いの京橋ふれあいゾーンにはからくり時計があり、1時間ごとに紀州の殿さまの大名行列の様子を歌った童謡「毬と殿様」が流れて籠から殿様が姿をあらわすそうだ。
    和歌山城周辺には勝 海舟(かつ かいしゅう1823−1899年)寓居地碑、南方熊楠生誕地の碑など歴史的な記念碑もあり、楽しく歴史散歩ができる。
     
    和歌山まちおこし通信---http://www.city.wakayama.wakayama.jp/machiokoshi/tuushin/vol17.html
    日本の旅 関西を歩く 和歌山城周辺:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10451276/

    (写真は京橋ふれあいゾーンのからくり時計)

    旅行時期
    2010年03月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    4.0
    南海和歌山駅から徒歩15分
    人混みの少なさ:
    3.0
    バリアフリー:
    3.5
    見ごたえ:
    3.0

  • 江戸幕府の御三家・紀州徳川家を祀る、紀州の日光と呼ばれている紀州東照宮

    投稿日 2010年11月14日

    紀州東照宮 和歌の浦

    総合評価:4.0

    和歌浦には江戸幕府の御三家・紀州徳川家の城下町として賑わった1620年頃に紀州の日光と呼ばれている紀州東照宮を遷宮している。
    初代紀州藩主の徳川頼宣(とくがわ よりのぶ1602−1671年)が実父で東照大権現に祀られた徳川家康(とくがわ いえやす1543−1616年)を勧請したもので、急勾配の108段の石段の上に楼門がある。
    東照宮の近くには菅原道真(すがわら の みちざね845−903年)が901年に左遷されたとき、風避けのために和歌浦に寄港した縁で和歌浦天満宮(わかうらてんまんぐう)が美しい「御手洗池公園」に面した和歌浦天神山(標高約93m)に設けられている。
    和歌浦のシンボル・不老橋(ふろうばし)は、第13代藩主徳川慶福(とくがわよしとみ=後の14代将軍家茂・いえもち1846−1866)が東照宮御旅所の移築に際して建造された石造の橋梁で玉津島神社に近い。
    和歌浦は現在は地味な観光地だが1950年には毎日新聞の「新日本観光地百選」の海岸の部で1位になり、全国一の新婚旅行スポットだった。
    近年、人工島「和歌山マリーナシティ」の建設と、テーマパーク「ポルトヨーロッパ」の開業後1994年の「世界リゾート博」、1995年の大河ドラマ「八代将軍吉宗」のヒットなどで和歌浦周辺は観光地としての人気をやや盛り返した。
    2008年には玉津島神社、天満宮、東照宮、妹背山と三断橋、不老橋などが県指定文化財名勝・史跡に指定されており、和歌浦はさらに観光地としての賑わいを目指している。
    紀州東照宮---http://www.jalan.net/ou/oup2000/ouw2001.do?spotId=30201ag2130012123
    日本の旅 関西を歩く 和歌山市、和歌浦周辺2:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10450424/


    (写真は紀州東照宮)


    旅行時期
    2010年03月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    2.5
    和歌山駅からバスで 権現前から徒歩で20分、急な108段の石段「侍坂」を登る
    人混みの少なさ:
    3.0
    バリアフリー:
    1.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 詠歌上達の神として知られ小野小町(おの の こまち)も参拝している玉津島神社

    投稿日 2010年11月14日

    和歌の浦

    総合評価:3.5

    和歌浦(わかのうら)は玉津島(たまつしま)と片男波(かたおなみ)を結ぶ砂嘴(さし)と周辺一帯の古くからの景勝地で聖武天皇(しょうむてんのう701−756年)が行幸の折に、お供をしていた山部赤人(やまべ のあかひと・生年不詳−736)が「万葉集」に 
    「 若の浦に 潮満ちくれば潟をなみ 葦辺をさして鶴(たづ)鳴き渡る」( 若の浦に潮が満ちてきて干潟が見えなくなってしまい餌を漁っていた鶴は次の餌を求めて葦辺の方に向かって鳴きながら飛んでゆく)

    と詠んでいる。「片男波」という地名は、山部赤人の歌の「潟をなみ」から生まれたとされており、玉津島の西側に発達した砂嘴(さし)に現在は植物が見当たらないが、昔は葦などの水生植物が生い茂る湿地帯であったようだ。
    その後「万葉集」に歌われた玉津島は歌枕の地として知られ玉津島神社は詠歌上達の神として知られるようになり小野小町(おの の こまち)も参拝しているそうだ。
    玉津島神社の東隣にある県内最古の三断橋を渡ると、小さな島・妹背山(いもせやま)があり中腹には徳川頼宣(とくがわ よりのぶ1602−1671年)が1653年に母の養珠院((ようじゅいん1580−1653年=お万の方)の菩提を弔うために建てた総ケヤキ造りの海禅院(かいぜんいん)多宝塔、水辺には紀三井寺の拝殿として建てられたという観海閣(かんかいかく)がある。
     妹背山は、周囲250mの小島だがかつては相模の江ノ島、近江の竹生島、安芸の厳島と並ぶ水辺の名勝だったそうだ。
    三断橋の欄干、板石、橋桁、橋脚などは白居易(はく きょい772−846年=白楽天)らの詩に詠われ、艶麗な美女や神仙にみたてられてきた中国有数の景勝地・西湖を模したものといわれている。
    古代の人たちがいかに和歌浦の美しさにあこがれ、誇りにしてきたかが良くわかる。

    玉津島神社---http://www.rurubu.com/sight/detail.aspx?BookID=A3500210

    日本の旅 関西を歩く 和歌山市、和歌浦周辺1:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10449657/
    (写真は玉津島神社の光景)

    旅行時期
    2010年03月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    3.0
    JR和歌山駅、和歌山バス新和歌浦行き25分、玉津島神社前下車、徒歩すぐ。和歌山バス公園前経由医大病院行き、紀三井寺団地行き和歌浦下車徒歩5分
    人混みの少なさ:
    3.0
    バリアフリー:
    2.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 日本さくら名所100選、関西一の早咲き桜で知られる紀三井寺(きみいでら)

    投稿日 2010年11月14日

    紀三井寺 和歌山市

    総合評価:4.5

    紀三井寺(きみいでら)は、和歌山市にある西国三十三箇所観音霊場第2番札所の寺院で名草山(なぐさやま)の中腹にある。
    境内は日本さくら名所100選に選ばれている関西一の早咲き桜で知られ、山内に涌く三井水は、「名水百選」のひとつ。名草山の三つの霊泉・三井水(清浄水、楊柳水、吉祥水)があることから「紀三井山」という山号になったといわれている。
    紀三井寺は770年、唐僧の為光上人(いこうしょうにん)が名草山(なぐさやま)山頂で金色の千手観音の出現を見て一念発起して観音像を刻み、胎内仏として金色千手観音像を奉納し草堂を造って安置したのが始まりとのこと。境内入口の1509年建立の楼門から231段の石段を上ったところが境内の中心部で、六角堂、仏殿、1759年建立の本堂(観音堂)、1588年建立の鐘楼、大師堂などが建ち本堂脇の石段を上ったところに1449年建立の多宝塔、開山堂がある。
    日本さくら名所100選に選ばれている関西一の早咲き桜は3月27日は7分咲きだったが見事な桜だった。
    紀三井寺(きみいでら)の仏殿は2002年竣工の鉄筋コンクリート造高さ25mの3階建の新仏殿で、内部には高さ12mの木造「大千手十一面観世音菩薩像」が安置されている。
    高さ12mは寄木の立像としては日本一の大きさのことで2008年5月に入仏落慶供養が行われた。為光上人(いこうしょうにん)が出現を見た名草山(なぐさやま)山頂の金色の千手観音はこのようだったのか、と思わせる立派な立像だ。
    キリスト教では聖母マリア出現世界3大奇跡=メキシコのグアダルーペ(1531年12月9日聖母マリア出現)、ポルトガルのファティマ(1917年5月13日聖母マリア出現)、フランスのルールド(1858年2月11日聖母マリア出現)=など聖母マリア出現の奇跡が良く知られているが日本でも観音菩薩出現などの奇跡は恐らく各地でいい伝えられているのだろう。
    3月27日は天候にも恵まれ、仏殿の3階展望所からは紀三井寺の桜が美しい境内や和歌山マリーナシティ周辺や和歌浦周辺など和歌山市内一円がきれいに見えた。

    紀三井寺---http://www.kimiidera.com/
    日本の旅 関西を歩く 和歌山市、日本さくら名所100選の紀三井寺1:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10443891/

    日本の旅 関西を歩く 和歌山市、日本さくら名所100選の紀三井寺2:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10444107/
    (写真は仏殿の3階展望所から見た紀三井寺境内の桜)

    旅行時期
    2010年03月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    3.0
    南海電鉄和歌山市駅より和歌山バス海南方面行き乗車紀三井寺バス停下車徒歩10分、JR線和歌山駅より紀勢本線、南方面2駅紀三井寺駅下車徒歩10分
    人混みの少なさ:
    2.5
    バリアフリー:
    2.5
    見ごたえ:
    4.5

  • 日本最古の交易市場、海柘榴市

    投稿日 2010年11月13日

    海柘榴市 桜井・三輪・山の辺の道

    総合評価:3.5

    三輪山一帯は卑弥呼の墓ではないかといわれている箸墓古墳(はしはかこふん)をはじめ、弥生時代や古墳時代の前方後円墳などの古墳が多く残っておりヤマト王権の都だったと考えられ、さらに2009年には「卑弥呼の宮殿」と考えられる建物跡も発見され、邪馬台国も三輪山一帯にあったのではないかとの説が日増しに大きくなっている。
    三輪山麓、桜井市金屋の海柘榴市(つばいち)はヤマト王権時代から市が立って栄えたと考えられている。金屋周辺には初瀬川を下り大和川に出る水運の河港があり、水陸交通の要衝の地だった。607年には聖徳太子が派遣した小野妹子を大使とする遣隋使節団も海柘榴市の港から川船で大和川を下り、難波津で大型の外洋船に乗り換えて旅立っており、608年には隋の使者が初瀬川を船で遡り海石榴市で船を降り、飛鳥の小墾田宮(おはりだのみや)に入京したとの記録が残されている。海柘榴市(つばいち)周辺は大陸との交流の中心地で迎賓館も設けられ外国使節を歓迎したとのことだ。
    金屋辺りは大阪から大和川を遡ってくる川船の終着地点で山の辺の道や初瀬街道が交差する陸上交通の要衝でもあったので物産が集まり、日本最古の交易市場が成立し海柘榴市と呼ばれるようになった。市の立つ日は賑わいを見せ海柘榴市は若い男女の出会いの場であった歌垣(うたがき)も行われた。 平安時代には、長谷詣での宿泊地として栄え、清少納言は「市は たつの市 さとの市 つば市。大和にはあまたある中に、長谷に詣づる人のかならずそこにとまるは、観音の縁のあるにや、と心ことなり」と枕草子に海柘榴市を紹介している。
    現在は繁栄した都の面影は無いが「山の辺の道」をたくさんの人たちが往来し道沿いにはたくさんの家並みが連なっていたのだろう、と想像することはできた。
    海柘榴市跡---http://www.bell.jp/pancho/travel/yamanobe/tubaiti.htm
    日本の旅 関西を歩く 奈良、桜井市の海柘榴市(つばいち)観音周辺:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10412973/

    (写真は古代は海柘榴市跡の光景)

    旅行時期
    2009年12月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    3.0
    JR桜井駅から1.2km、徒歩20分
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    1.5
    見ごたえ:
    3.0

  • 日本芸能発祥の地、土舞台(つちぶたい・現桜井公園)

    投稿日 2010年11月13日

    土舞台 桜井・三輪・山の辺の道

    総合評価:3.0

    桜井市(さくらいし)は、三輪の日本最古の神社といわれる大神神社(おおみわじんじゃ)や長谷寺(はせでら)、多武峰(とうのみね)の談山神社(たんざんじんじゃ)など由緒ある社寺が多く宗教的にも古代信仰の形体を残す重要な地域だ。土舞台(つちぶたい・現桜井公園)は日本芸能発祥の地と言われ、“万葉のあけぼのの地”などと呼称されることもある。
    「土舞台」については聖徳太子(しょうとくたいし574−622年)に、帰化した百済人・味摩之(みまし)が呉で学んだ伎楽(ぎがく)の舞を奉納したことが始まりとされている。伎楽は古代チベットやインドの仮面劇で西域をへて中国に伝わり、散楽といわれた。 日本には「神楽・かぐら」があったが、宮廷に伎楽が加わって芸能は豊かなものとなったといわれる。宮廷が衰えた武家時代には舞踊・音楽家は寺社に保護され民間にも広まった。
     桜井の児童公園内のこの史蹟地は、江戸時代の「大和名所図絵」にも紹介されている。
     桜井市出身の文筆家保田與重郎(やすだ よじゅうろう1910−1981年)が、「土舞台」は日本最初の国立劇場あるとし、1972年「土舞台」と刻した標石の前で顕彰式典が挙行され来賓としてノーベル賞受賞の物理学者・朝永振一郎((ともなが しんいちろう1906−1979年)夫妻、劇作家の福田恒存(ふくだ つねあり1912−1994年)、昨年亡くなった俳優・森繁久弥(もりしげ ひさや1913−2009年)、仲谷昇(なかや のぼる1929−2006年)、岸田今日子(きしだ きょうこ1930−2006年)ら著名人が出席したとのことだ。土舞台(つちぶたい)跡の桜井公園は住宅街の中にあり、少しわかりにくくひっそりとした高台にあった。
    土舞台---http://blog.goo.ne.jp/fineblue7966/e/730fe0a087fb587e4b3f650a42e882fa

    日本の旅 関西を歩く 奈良、桜井市の土舞台周辺:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10419555/
    (写真は「土舞台」)

    旅行時期
    2009年12月
    アクセス:
    3.0
    JR・近鉄桜井駅より 徒歩10分
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    2.5
    見ごたえ:
    2.5

  • 崇神天皇の山邊道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)

    投稿日 2010年11月13日

    崇神天皇陵 天理

    総合評価:3.5

    崇神天皇(すじんてんのう・紀元前148−紀元前29年)は、『古事記』『日本書紀』に記されている第10代の天皇で、神話と実話の境界の時代に実在の可能性が高いとされる天皇だ。崇神天皇の代になって三輪王朝が築かれ初めて日本全国規模の政権になったとする説もある。ヤマト政権や邪馬台国の謎を解明するうえで重要な人物だ。
    山の辺の道付近には数多くの古墳が点在しているが崇神天皇の山邊道勾岡上陵(やまのべのみちのまがりのおかのえのみささぎ)は全長240mの壮大な前方後円墳だった。
    長岳寺(ちょうがくじ)は崇神天皇山邊道勾岡上陵に近い天理市柳本町にある高野山真言宗の寺院で824年に淳和天皇(じゅんなてんのう786−840年)の勅願により空海(くうかい774−835年)が大和神社(おおやまとじんじゃ)の神宮寺として創建したといられ最盛期には48の塔頭が建ち並んでいたそうだ。
    関西花の寺二十五霊場第19番札所で山の辺の道の中間点に位置しているマスメディアも良く訪れる人気の寺院だ。
    崇神天皇山邊道勾岡上陵---http://www.kunaicho.go.jp/ryobo/guide/010/index.html
    日本の旅 関西を歩く 奈良、天理市の崇神天皇山邊道勾岡上陵周辺:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10418675/

    (写真は崇神天皇山邊道勾岡上陵)

    旅行時期
    2009年12月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    3.5
    JR「柳本」下車 東へ0.8km
    人混みの少なさ:
    3.5
    バリアフリー:
    2.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 陰陽師・安倍晴明が陰陽道の修行をしたともいわれる安倍文殊院(あべもんじゅいん)

    投稿日 2010年11月13日

    安倍文殊院 桜井・三輪・山の辺の道

    総合評価:4.0

    安倍文殊院(あべもんじゅいん)は華厳宗の寺院で開基は大化の改新の時の左大臣・安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ・生年不詳―649年)とされる。
    旧寺地「安倍寺跡」は国の史跡に指定され、史跡公園として整備されている。発掘調査の結果安倍寺は東(右)に金堂、西(左)に塔が建つ法隆寺式伽藍配置をもっていたことがわかり、出土した古瓦の様式年代からも創建が7世紀にさかのぼる寺院跡であると見られている。
    安倍寺では陰陽師・安倍晴明(あべ の せいめい921−1005年)が陰陽道の修行をしたともいわれ、2000年には安倍晴明堂が建立されている。
    境内には1665年に建立された本堂、1985年に建立された文殊池の中に建つ金閣浮御堂、室町時代後期に建立された流造柿葺(ながれづくりこけらぶき)の建物で、縁結びの神として知られる白山神社本殿、7世紀中頃の古墳で、安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)の墓ともいわれる文殊院西古墳、7世紀前半に築造されたといわれる古墳で古来から閼伽井窟(あかいくつ)と呼ばれ、信仰の対象とされてきた文殊院東古墳などがある。古墳時代からの土地だけに寺の歴史も古い。
    安倍文殊院---http://www.abemonjuin.or.jp/
    日本の旅 関西を歩く 奈良、桜井市の安倍文殊院周辺:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10418049/


    (写真は安倍文殊院の金閣浮御堂)

    旅行時期
    2009年12月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    3.0
    JR・近鉄桜井駅から石舞台行きバス「安倍文殊院前」下車すぐ. JR・近鉄桜井駅から徒歩20分、またはタクシー5分.
    人混みの少なさ:
    3.5
    バリアフリー:
    2.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 33面の三角縁神獣鏡が出土したことで有名な黒塚古墳(くろづかこふん)

    投稿日 2010年11月13日

    黒塚古墳 天理

    総合評価:4.5

    黒塚古墳(くろづかこふん)は、奈良県天理市にある3世紀末頃の前方後円墳で1978年の発掘調査で33面の三角縁神獣鏡が出土したことで有名だ。1575年に松永久秀(まつなが ひさひで1510頃−1577年)によって柳本城が古墳に築かれ、江戸時代には織田家が城跡に柳本陣屋を構築し柳本藩藩庁としていた。
    現在古墳は天理市によって整備され柳本公園となっており、古墳に隣接して天理市立 黒塚古墳展示館(てんりしりつ くろづかこふんてんじかん)が設けられている。
    黒塚古墳展示館の1階の吹き抜け下に黒塚古墳の石室が原寸大(長さ8.3m)模型で再現されている。1階には鉄製刀剣類、U字形の鉄製品など黒塚古墳出土品を展示し、古墳時代の黒塚古墳についてパネルで紹介している。2階には出土した三角縁神獣鏡33面、画文帯神獣鏡1面のレプリカを展示している。
    黒塚古墳展示館は充実した展示内容で無料で見学できるのは嬉しい。
    黒塚古墳展示館---http://inoues.net/club/kuroduka_museum.html
    日本の旅 関西を歩く 奈良、天理市の黒塚古墳周辺:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10416905/

    (写真は黒塚古墳の光景)


    旅行時期
    2009年12月
    アクセス:
    3.5
    JR柳本駅から0.3km、徒歩5分
    人混みの少なさ:
    3.5
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 大神神社の摂社、「狭井坐大神荒魂(さいにいますおおみわあらみたま)神社」

    投稿日 2010年11月13日

    狭井神社 桜井・三輪・山の辺の道

    総合評価:3.5

    狭井神社は大神神社の摂社で、正式名は「狭井坐大神荒魂(さいにいますおおみわあらみたま)神社」。創祀は垂仁天皇(すいにんてんのう・紀元前69年−紀元後70年)の時代とされ、大神荒魂神(おおみわのあらみたまのかみ)を主神として祀っている。
     狭井神社拝殿横には三輪山(標高は467.1m)への登拝口がある。社務所に願い出て、住所・氏名・入山時間・性別を記入し、登拝口で祓いをすませれば、木綿襷を肩にかけて登頂できる。だが往復とも指定された一本道だけを通ること、禁則地域には立ち入らないことなど厳しい制約が課せられており、三輪山が神体であり神聖な気持ちで入山することが必要だ。 
    (写真は狭井神社の光景)

    旅行時期
    2009年12月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    2.5
    JR三輪駅から徒歩10分
    人混みの少なさ:
    3.0
    バリアフリー:
    2.5
    見ごたえ:
    3.5
    狭井神社拝殿横には三輪山(標高は467.1m)への登拝口があり社務所で住所・氏名・入山時間・性別を記入し、登拝口で祓いをすれば登頂できる

  • 聖徳太子が賊徒を平定するために建立したとされる桜井市の「山の辺の道」沿いにある平等寺

    投稿日 2010年11月13日

    平等寺 (桜井市) 桜井・三輪・山の辺の道

    総合評価:3.5

    桜井市の「山の辺の道」沿いにある平等寺は、581年聖徳太子(しょうとくたいし574−622年)が賊徒を平定するために建立し大三輪寺と称したのがはじまりとされるが鎌倉時代初期に三輪上人と称えられた慶円(けいえん1140−1223年)が開山したとの説もある。
     仏教が皇室の保護を受けた奈良時代に仏は日本では神の姿を借りて現れた姿とする本地垂迹(ほんじすいじゃく)思想により神仏習合がすすみ、神社に神宮寺が創建されるようになり平等寺も大神神社の神宮寺として権勢をふるったそうだ。
    1868年の神仏混淆を禁止し、寺院と神社を分離するように命じる「神仏判然令」により神宮寺としての仏教活動が禁止され、廃仏毀釈行動で二重塔や護摩堂など破壊された。 1890年以降再建が少しずつ進められ「平等寺」という名前に戻ったのは1977年とのことなので廃仏毀釈から再建がほぼ完了するまで100年以上かかったことになる。
    明治維新政府が尊王思想を掲げ神仏混淆を禁止したことは已むを得ないとしても、日本中の貴重な仏教遺産を破壊した廃仏毀釈の嵐は蛮行だったといわざるを得ない。
    平等寺---http://www.geocities.jp/byoudouji/keidaiannai.htm
    日本の旅 関西を歩く 奈良、桜井市の平等寺周辺:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10413624/
    (写真は「平等寺」)


    旅行時期
    2009年12月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    3.0
    奈良県桜井市大字三輪38 JR三輪駅から徒歩10分
    人混みの少なさ:
    3.5
    バリアフリー:
    2.5
    見ごたえ:
    3.0

  • 「山の辺の道」沿いの都心部であったとされる金屋の遺産「金屋の石仏」

    投稿日 2010年11月13日

    金屋の石仏 桜井・三輪・山の辺の道

    総合評価:3.5

    三輪山信仰は縄文または弥生時代まで遡ると考えられ古墳時代には山麓地帯に全長200m以上の巨大古墳が造られ『古事記』には、「山の辺の道の勾(まがり)の岡の上(ほとり)に崇神天皇(すじんてんのう・紀元前148−紀元前29年)の陵(242m)が、「山の辺の道の上」に景行天皇(けいこうてんのう・紀元前13−紀元後130年)の陵(310m)があると記されており初期ヤマト政権が三輪山山麓一帯にあったと考えられている。「山の辺の道」沿いには崇神天皇(すじんてんのう)の宮殿があったとされる瑞磯城瑞籬宮(しきみづがきのみや)跡も残っている。
    「山の辺の道」沿いの都心部であったとされる金屋は政治経済の中心でかつ古代鉄鉱石の採鉱地で製鉄鍛冶も盛んな工業地域でもあったそうだ。金屋には、平安時代頃に彫られたとされる二体の石仏が残されている。右が釈迦如来、左が弥勒菩薩で、高さ2.14m、幅83.5cm、厚さ21.2cmの古墳石棺の蓋だった泥板岩に浮き彫りされている。
    「金屋の石仏」前には喜多美術館がある。
    創設者、喜多才治郎 が収集した西洋近・現代美術を自宅を美術館にして1988年に開館したものでルノワ−ル、ゴッホ、ピカソ、佐伯祐三、須田国太郎、藤田嗣治、ユトリロ、、ウォーホル等を展示している。現在はひなびた歴史古道「山の辺の道」沿いに立派な近代美術館があるのはちょっと驚きだ。
    金屋の石仏---http://www.pref.nara.jp/nara/kaido/kokaido/02yamanobe/spot/13.htm

    日本の旅 関西を歩く 奈良、桜井市の「山の辺の道」と「金屋の石仏」周辺:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10413202/
    (写真は金屋の石仏)
     

    旅行時期
    2009年12月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    3.0
    JR桜井線三輪駅より徒歩10分
    人混みの少なさ:
    4.5
    バリアフリー:
    2.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 後鳥羽天皇の離宮水無瀬殿の跡、石川五右衛門の手形が残る水無瀬神宮

    投稿日 2010年11月12日

    高槻・島本

    総合評価:4.0

    水無瀬神宮(みなせじんぐう)は、大阪府三島郡島本町にある神社で後鳥羽天皇(ごとばてんのう1180−1239年)・土御門天皇(つちみかどてんのう1196−1231年)・順徳天皇(じゅんとくてんのう1197−1242年)を祀っている。
    水無瀬神宮は、後鳥羽天皇の離宮水無瀬殿の跡に建立されたもので承久の乱(じょうきゅうのらん・1221年)に敗れ隠岐に流され、失意の中で隠岐で崩御した後鳥羽上皇の遺勅に基づき、1240年に藤原信成(1197−1262年)・藤原親成親子が離宮の旧跡に御影堂を建立し上皇を祀ったとされる。後鳥羽上皇の最期は寂しいものだったが離宮水無瀬殿滞在時には

    見わたせば山もとかすむみなせ川
        ゆうべは秋となにおもひけむ(後鳥羽院 新古今和歌集)

    水無瀬の離宮から見渡せば、山麓は春霞で水無瀬川の夕暮は何とも言えない風景だ。と優雅な和歌を残している。
    谷崎潤一郎(たにざき じゅんいちろう1886−1965年)も後鳥羽院の和歌を好んで水無瀬神宮を参拝し、名作「蘆刈」を創作している。
    境内には、大阪府下で唯一「名水百選」に選ばれた「離宮の水」がありたくさんの人たちが並んで水を汲んでいた。谷崎潤一郎にちなんで「蘆刈りの水」と呼ばれている。
    神門は、桃山時代(1592−1596年)の薬医門造で石川五右衛門(いしかわ ごえもん:生年不詳−1594年)が祀られた名刀を盗みに入ろうとした時に残した手形と称するものがある。水無瀬神宮の神宝である大刀を盗もうとしたが神威に打たれ、一歩も門内に入れずに手形だけ残して立ち去ったと伝わっている。神威とは隠岐で無念の最期だった後鳥羽上皇の怨念だったのかもしれないと思った。

    水無瀬神宮---http://www.genbu.net/data/settu/minase_title.htm
    日本の旅 関西を歩く 大阪、島本町の水無瀬神宮:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10412062/

    (写真は水無瀬神宮)

    旅行時期
    2009年11月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    3.0
    山崎駅の南西1Kmの広瀬、淀川の北岸、京都との境にある
    人混みの少なさ:
    3.5
    バリアフリー:
    2.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 紅葉と桜の名所、山崎聖天

    投稿日 2010年11月12日

    京都

    総合評価:3.5

    山崎聖天(やまざきしょうてん)は、京都府大山崎町の真言宗・観音寺の通称で899年に宇多天皇(うだてんのう867−931年)が創建したとされている。
    宇多天皇といえば、藤原時平(ふじわら の ときひら871−909年)と菅原道真(すがわら の みちざね845−903年) を重用し888年に仁和寺を創建した天皇。
    897年に醍醐天皇(だいごてんのう885−930年)に譲位し、仁和寺に入って宇多法皇と称したが901年の昌泰の変(しょうたいのへん)では左大臣藤原時平の讒言により醍醐天皇が右大臣菅原道真を大宰権帥として大宰府へ左遷した。このとき宇多法皇は菅原道真の左遷を止めようとしたが醍醐天皇・藤原時平派の政治的勝利に終わった。だが菅原道真の左遷後、道真の怨霊の仕業と考えられている清涼殿落雷事件などの天変地異が起こり時平が急死、醍醐天皇も病気がちとなり政治権力の中心は再度宇多法皇と藤原忠平(ふじわら の ただひら880−949年)に戻った。菅原道真は宇多法皇派と醍醐天皇派の政権争いの被害者といえるだろう。
    したがって山崎聖天は宮廷の政権争いの最中に創建されたことになる。
    山崎聖天は江戸時代に歓喜天(かんぎてん)を鎮守として祀り、特に商人から信仰された。残念ながら1864年の禁門の変(きんもんのへん)で建物は焼失し明治時代に再建されている。
    桜の名所だが、山崎聖天に向かう石段周辺のうっそうとした森の紅葉もなかなかのものだった。

    観音寺、通称山崎聖天---http://www5e.biglobe.ne.jp/~hidesan/kanon-ji-yamazaki.htm
    日本の旅 関西を歩く 京都、大山崎町の山崎聖天:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10411839/
    (写真は山崎聖天)


    旅行時期
    2009年11月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    1.5
    阪急バス・高槻・樫原線「聖天前」下車、徒歩約10分。JR山崎駅、阪急大山崎駅から徒歩で約15分
    人混みの少なさ:
    4.5
    バリアフリー:
    1.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 西国三十三箇所第20番札所で桜や紅葉の名所善峯寺と正法寺

    投稿日 2010年11月12日

    長岡京・向日

    総合評価:4.5

    正法寺(しょうぼうじ)は、真言宗東寺派の寺院で洛陽三十三観音霊場番外札所、西国薬師四十九霊場第41番札所だが754年鑑真和上(がんじんわじょう688−763年)とともに唐から来日した智威大徳(ちいだいとく)が修行した場で延暦年間(782−806年)最澄(さいちょう767−822年)が寺を建立し、弘仁年間(810−824年)空海(くうかい774−835年)が入寺したという由緒ある寺だ。
    善峯寺(よしみねでら)は、西国三十三箇所第20番札所で桜や紅葉の名所で1029年、源算(げんさん983−1099年).が創建したとされる。
    正法寺も善峯寺ももみじの名所でたくさんの人たちが訪れていた。2009年11月26日には善峯寺の紅葉はやや見ごろを過ぎていたが正法寺の紅葉は見ごろだった。


    善峯寺 のホームページ---http://www.yoshiminedera.com/
    日本の旅 関西を歩く 京都市の正法寺、善峯寺周辺の紅葉:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10411086/

    (写真は正法寺の紅葉)

    旅行時期
    2009年11月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    2.5
    JR=向日町駅下車 (京都より、大阪方面 へ普通にて3駅目、10分)、タクシーか阪急バス66番、善峯寺行き。阪急電鉄・京都線=東向日駅 下車
    人混みの少なさ:
    2.0
    バリアフリー:
    1.5
    見ごたえ:
    4.5

  • 紅葉の名所、大原野神社(おおはらのじんじゃ)

    投稿日 2010年11月12日

    長岡京・向日

    総合評価:4.5

    大原野神社(おおはらのじんじゃ)は、奈良の春日大社から勧請を受けたもので、京春日(きょうかすが)と呼ばれている。
    784年に桓武天皇(かんむてんのう737−806年)が長岡京へ遷都した際、桓武天皇の后で嵯峨天皇(さがてんのう786−842年)の生母、藤原乙牟漏(ふじわら の おとむろ760−790年)が藤原氏の氏神である奈良春日社の分霊を勧請して、鷹狩の地・大原野に祀ったのが起源とされる。
    藤原氏の家に女の子が生まれると、その子が皇后・中宮になれるようにと現在の大原野神社に祈願していた。876年、清和天皇(せいわてんのう850−881年)の女御となった藤原高子((ふじわら の たかいこ842−910年)が参詣した際、高子のかつての恋人であった在原業平(ありわら の なりひら825−880年)が行幸につき従い、「大原や小塩の山もけふこそは 神世のことも思出づらめ」と詠んだとされている。天皇の奥さんの元彼が天皇の従者であり続けるのは源氏物語の世界を連想させ、いかにも平安時代らしい。
    在原業平は大原野神社に近い十輪寺(じゅうりんじ)で晩年を過ごしたといわれ、通称「なりひら寺」と言われている。十輪寺の紅葉は「なりひらもみじ」と呼ばれており、見ごろだった。
    在原業平は伊勢物語のモデルといわれ、プレイボーイだったといわれる。大原野や交野(現在の大阪府枚方市、交野市)で鷹狩り、花見、紅葉狩などを行う行動半径の広い人で六歌仙、三十六歌仙のひとりとして和歌にも長けていた。文武両道の人で女性から見ても魅力ある現代で言えば肉食系男子だったのだろう。
    2009年11月26日には紅葉もきれいだった。


    大原野神社---http://www.kyoto-web.com/oharano/

    日本の旅 関西を歩く 京都市の大原野神社周辺の紅葉:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10410899/

    (写真は大原野神社の紅葉)


    旅行時期
    2009年11月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    2.5
    阪急東向日駅より・・・・阪急バス「南春日町行き」に乗車 終点「南春日町」下車(乗車時間約20分)山の方へ向って徒歩7〜8分
    人混みの少なさ:
    2.5
    バリアフリー:
    2.5
    見ごたえ:
    4.5
    2009年11月26日には紅葉もきれいだった。

  • 紅葉の名所、長岡天満宮(ながおかてんまんぐう)

    投稿日 2010年11月12日

    長岡天満宮 長岡京・向日

    総合評価:4.5

    長岡天満宮(ながおかてんまんぐう)は、菅原道真(すがわら の みちざね845−903年)が大宰府に左遷となった際、長岡京に立ち寄って「我が魂長くこの地にとどまるべし」と名残を惜しんだことから創立されたとされている。長岡京は菅原道真が在原業平(ありわら の なりひら825−880年)らと詩歌管弦を楽しんだ地でもあった。社殿(本殿、祝詞舎、透塀)は1941年に京都の平安神宮の社殿を移築したものとのことだ。
    皇室の崇敬も篤く1638年には八条宮智仁親王(はちじょうのみや としひとしんのう1579−1629年)によって「八条が池」が築造され池の中堤両側に植えられた「きりしまつつじ」が有名だが2009年11月26日には紅葉もきれいだった。

    長岡天満宮---http://www.nagaokatenmangu.or.jp/access.html
    日本の旅 関西を歩く 京都、長岡京市の長岡天満宮:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10410346/

    (写真は「八条が池」の光景)

    旅行時期
    2009年11月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    3.0
    JR東海道線 長岡京駅(快速停車)西口より徒歩20分( タクシー、バス有り)、阪急京都線 長岡天神駅(すべての特急停車)西口より徒歩10分
    人混みの少なさ:
    2.5
    バリアフリー:
    2.0
    見ごたえ:
    4.5
    2009年11月26日には紅葉もきれいだった。

さすらいおじさんさん

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