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さすらいおじさんさんのトラベラーページ

さすらいおじさんさんのクチコミ(132ページ)全3,789件

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  • ホテル
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  • 交通機関
  • 観光スポット
  • 基本情報
  • 鳥羽市民の森公園

    投稿日 2011年07月20日

    鳥羽

    総合評価:4.0

    中央に大きな芝生広場、散策路が整備されており、早朝からウォーキングもできる。
    園内には、大型遊具ガリバーなどが設置されているほか小動物園があり、ニホンザル、クジャク、フラミンゴなどの動物を鑑賞できる。春には芝生広場周辺の桜が満開となり多くの花見客で賑わうそうだが5月はつつじがきれいだった。
    周辺には鳥羽市立図書館、大型ショッピングセンターなどがあり、便利で静かな公園。
    アクセス
    伊勢二見鳥羽ライン鳥羽出口から国道42号・167号経由、車で約10分。 駐車場:50台
    JR・近鉄鳥羽駅よりかもめバス(鳥羽市コミュニティバス)石鏡または国崎行き乗車、図書館バス停下車、徒歩すぐ。
    近鉄志摩赤崎駅下車、徒歩15分(約1.3km)。

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    3.0
    近鉄志摩赤崎駅下車、徒歩15分(約1.3km)。
    人混みの少なさ:
    3.0
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 鳥羽市営定期船の鳥羽離島航路

    投稿日 2011年07月19日

    鳥羽

    総合評価:4.0


    平成22年4月から、内回り(鳥羽⇔菅島⇔答志⇔和具⇔鳥羽)、外回り(鳥羽⇔菅島⇔神島⇔和具⇔鳥羽)の2コースで循環便の運航をしており、循環便の運航に合わせ、2種類の周遊券を発行をしている。

    *内回り券:鳥羽⇔菅島⇔答志⇔和具⇔鳥羽【大人1,060円・子ども530円】
    *外回り券:鳥羽⇔菅島⇔神島⇔和具⇔鳥羽【大人1,420円・子ども710円】

     発行日から4日間有効(発行日から鳥羽港に帰航するまでの期間)
     鳥羽に下船した場合は、再乗船できず乗船後の払い戻しはできない。

    のりば---?鳥羽市定期船課 〒517-0011 三重県鳥羽市鳥羽三丁目1番1号  佐田浜鳥羽市定期船のりば。
    ?中之郷事務所  〒517-0011 三重県鳥羽市鳥羽四丁目2360番地11中之郷鳥羽市定期船のりば。
    駐車場---佐田浜駐車場利用(700台、1時間300円〜)

    問い合わせ--鳥羽市定期船課-電話 0599-25-4776 Fax  0599-25-6997

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    その他

  • 世界屈指の規模を誇る鳥羽水族館

    投稿日 2011年07月19日

    鳥羽水族館 鳥羽

    総合評価:4.0

    鳥羽水族館(とばすいぞくかん)は、世界屈指の規模を誇る水族館で自然の環境を再現したゾーンが12あり、約1000種類20,000点の海や川の生き物が飼育・展示されている。自由通路の全長は約1.5km。2009年の入場者数は94万人で日本全国の水族館で第8位。

    所在地 ---〒517-8517三重県鳥羽市鳥羽3-3-6 TEL:0599−25−2555
    営業時間---年中無休,3月21日〜10月31日/9:00〜17:00(但し、7月20日〜8月31日は8:30〜17:30),11月1日〜3月20日/9:00〜16:30

    アクセス---JR・近鉄鳥羽駅から徒歩約10分
    料金---大人 2400円 小人 1200円(小・中学生)幼児 600円(3才〜)

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    4.0
    JR・近鉄鳥羽駅から徒歩約10分
    コストパフォーマンス:
    2.0
    人混みの少なさ:
    2.5
    施設の快適度:
    3.5
    バリアフリー:
    3.0
    動物・展示物の充実度:
    4.0

  • 三重県鳥羽市の鳥羽城(とばじょう)跡

    投稿日 2011年07月18日

    鳥羽城跡 鳥羽

    総合評価:3.0

    鳥羽城(とばじょう)は、三重県鳥羽市の現在の鳥羽水族館の裏手にある低い丘にあった城で、大手門が海側へ突出して築かれたため、鳥羽の浮城、また、城の海側が黒色、山側が白色に塗られていたため、二色城、錦城とも呼ばれていた。
    文禄3年(1594年)当時、豊臣秀吉の家臣であった九鬼嘉隆が築城し安政元年(1854年)に地震により城内天守以下の建物が倒壊したまま、明治4年(1871年)に払い下げられ破却された。
    本丸跡は市立鳥羽小学校の運動場にされていた。山麓北側の武家屋敷跡には市役所・城山公園などが造られ、遺構は本丸と旧家老屋敷の石垣が残っている。城山公園からは鳥羽の市内の光景がよく見える。

    場所---鳥羽市鳥羽3
    アクセスーーー鳥羽市役所横の道を登ると本丸跡まで行ける。

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    2.5
    鳥羽市役所横の道を登ると本丸跡まで行ける
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    2.5
    見ごたえ:
    3.0

  • 天の岩屋のいい伝え

    投稿日 2011年07月17日

    二見浦

    総合評価:3.5

    二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)の天の岩屋は古来より日の出を拝む夫婦岩日の出に対し日の入(大神が隠れられた処)の場所が天の岩屋と伝えられている。日本の随所に、天の岩屋、天の岩戸と称される処があり古くから石神(しゃくじん)と呼ばれる宇迦御魂大神(豊受大神)を祀っている。日の出に対し日の入(隠れられた処)、天照大神と豊受大神という関係と伝えられている。

    アクセス--・伊勢二見鳥羽ライン二見JCTより車で4分、・JR二見浦駅より徒歩15分

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    3.0
    ・伊勢二見鳥羽ライン二見JCTより車で4分、・JR二見浦駅より徒歩15分
    人混みの少なさ:
    2.5
    見ごたえ:
    3.0

  • カエルのいい伝え

    投稿日 2011年07月17日

    二見浦

    総合評価:3.5

    二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)の祭神・猿田彦大神は天孫降臨の際に高天原と豊葦原中津国の間の道案内を務めたことから、「道開き(導き)の神」といわれ、この神のお使いはカエルとされており、神社参拝の後に神徳を受けた人々が、神社の境内にカエルの塑像を献納するので境内には多くのカエルの石像が並んでいる。この神社の御守も「無事カエル」「貸した物がカエル」「お金がカエル」とカエルをモチーフにしている。

    アクセス--・伊勢二見鳥羽ライン二見JCTより車で4分、・JR二見浦駅より徒歩15分

    旅行時期
    2011年05月
    アクセス:
    3.0
    ・伊勢二見鳥羽ライン二見JCTより車で4分、・JR二見浦駅より徒歩15分
    人混みの少なさ:
    2.5
    見ごたえ:
    3.0

  • 120年以上の歴史を誇った旅館・賓日館(ひんじつかん)

    投稿日 2011年07月17日

    賓日館 二見浦

    総合評価:3.5

    夫婦岩から徒歩5分の海岸沿いにある賓日館(ひんじつかん)は1887年から二見館の名で伊勢神宮参拝客の旅館として親しまれ、現在は資料館として一般公開されている。伊勢・二見では旅館も文化遺産だ。120畳の大広間や輪島塗で装飾された床の間がある御殿の間、美しい日本庭園などを見ることができる。
    賓日館は、二見浦の旅館街に建つ建物のなかでも最も由緒があり、最も見どころのある建物で1886年12月、明治天皇の嫡母、英照皇太后の宿泊に供するために建設を開始し、1887年2月に完成。
    以降も、皇太子だった大正天皇が避暑・療養のために3週間にわたり滞在するなど、
    伊勢神宮を参拝したり、海水浴に訪れた皇族をはじめとする貴賓客を宿泊・歓待する建物として使用されてきた。

    入館時間---9:00〜16:30(最終入場)
    休館日---火曜日(祝日の場合は翌日休)
    場所---〒519−0609 三重県伊勢市二見町茶屋566-2、TEL/FAX:0596-43-2003
    入館料---大人300円 小人(小・中・高)150円

    アクセス--・伊勢二見鳥羽ライン二見JCTより車で4分、・JR二見浦駅より徒歩15分

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    その他
    人混みの少なさ:
    3.0
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    3.5

  • 夫婦岩(めおといわ)のいい伝え

    投稿日 2011年07月17日

    夫婦岩 二見浦

    総合評価:4.0

    夫婦岩(めおといわ)は日の大神(天照大神)と興玉神石を拝むための鳥居の役目で男岩は立石、女岩は根尻岩と呼ばれていたが、現在は夫婦岩と呼ばれている。興玉社の歴史は、夫婦岩に注連縄を張り、興玉神石の遙拝所を設けたのに始まるといわれ天平年間(729年 - 748年)、僧行基が興玉神の本地垂迹として江寺(えでら)を創建たのが始まりとされるので1300年近い歴史だ。夏至の前後約4ヶ月間は、夫婦岩の間から御来光が拝めることで有名で冬至の頃には夫婦岩の間より昇る月を見ることもでき、満月の日には大勢の参拝者が訪れる。

    アクセス--・伊勢二見鳥羽ライン二見JCTより車で4分、・JR二見浦駅より徒歩15分

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    3.0
    ・伊勢二見鳥羽ライン二見JCTより車で4分、・JR二見浦駅より徒歩15分
    景観:
    4.5
    人混みの少なさ:
    2.5
    バリアフリー:
    2.5

  • 二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)の歴史

    投稿日 2011年07月17日

    二見興玉神社 二見浦

    総合評価:4.5

    二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)は、三重県伊勢市二見町江にある神社で境内の磯合にある夫婦岩(めおといわ)で知られ猿田彦大神と宇迦御魂大神を祭神とし夫婦岩の沖合約700mの海中に沈む、祭神・猿田彦大神縁の興玉神石を拝する神社。興玉社の歴史は、夫婦岩に注連縄を張り、興玉神石の遙拝所を設けたのに始まるといわれ天平年間(729年 - 748年)、僧行基が興玉神の本地垂迹として江寺(えでら)を創建し、境内に興玉社を建てて鎮守社とし後に現在の二見浦へと遷座したとされる。

    アクセス--・伊勢二見鳥羽ライン二見JCTより車で4分、・JR二見浦駅より徒歩15分

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    3.0
    ・伊勢二見鳥羽ライン二見JCTより車で4分、・JR二見浦駅より徒歩15分
    人混みの少なさ:
    2.5
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 本居宣長旧宅の宅地跡・庭跡

    投稿日 2011年07月16日

    松阪

    総合評価:3.5

     「古事記伝」の著述で有名な国学者本居宣長(1730−1801)が12歳から72歳で亡くなるまで居住したところでもと祖父の隠居所であった。市術地の魚町にあり、奥行の深い敷地に営まれた町家造りの民家で、二階物置を改造した書斉は鈴の屋として著名。
    建物は松坂城内に移転され本居宣長記念館によって管理されているが松阪市魚町(宅跡)では庭園、宅跡敷地、井戸、樹木等が保存され江戸時代の商家の庭を偲ぶことができる。

    アクセスーー松阪駅(JR・近鉄)徒歩10分

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    3.0
    松阪駅(JR・近鉄)徒歩10分
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    3.5

  • 「類例の少ない近世武士の長屋建築」として重要文化財に指定されている松阪城、御城番屋敷

    投稿日 2011年07月16日

    御城番屋敷 松阪

    総合評価:3.5

    御城番屋敷(ごじょうばんやしき)は、松阪市殿町にある近世武士の組屋敷(長屋)。紀伊田辺藩の田辺与力騒動で一時浪人の憂き目を見た40石取り紀州藩士20人が松坂御城番職に就いた際、藩士および家族の住居として、幕末の1863年(文久3年)城内三の丸に新築された組屋敷。武士の組屋敷がほぼ当時のまま住居として継続して使用・維持管理されてきた貴重な建築物群。「類例の少ない近世武士の長屋建築」として重要文化財に指定されている。 松阪城搦手から続く小路を挟んで東西に2棟が並び、建物を取り囲む槙の生垣や前庭、上り框のある玄関、建物背後の角屋(つのや)・畑地等と続き、時代劇のセットの様な景観が整然と拡がっている。

    アクセス
      ・市街地循環バス(鈴の音バス)で「市民病院」下車、徒歩2分
      ・JR、近鉄松阪駅から徒歩約15分
      ・JR、近鉄松阪駅から三交バスで「市民病院前」下車徒歩2分
      ・JR、近鉄松阪駅からタクシーで約5分
      ・伊勢自動車道松阪インターより車で約10分

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    3.0
    JR、近鉄松阪駅から徒歩約15分
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    3.5

  • 山室山奥墓(本居宣長の墓)の横に祠を建て祀った本居宣長ノ宮

    投稿日 2011年07月14日

    本居宣長ノ宮 松阪

    総合評価:3.0

    本居宣長ノ宮。
    1871年、山室山奥墓(本居宣長の墓)の横に祠を建て祀ったのが創祀で山室山神社と称したが1931年に本居神社と改称し1995年には本居宣長ノ宮と改称している。国学者本居宣長を祀り学問の神さまとして信仰され受験シーズンには大勢の人が訪れ賑わうとのこと。本居宣長記念館から徒歩2分なので本居宣長記念館見学のとき参拝しやすい。

    住 所――― 三重県松阪市殿町1533-2
    電 話――― 0598-21-6566
    祭神――― 本居宣長
    アクセス――三重県松阪市殿町1536-7、松阪駅(JR・近鉄)徒歩15分、伊勢自動車道 松阪インター 10分、本居宣長記念館から徒歩2分

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    3.0
    三重県松阪市殿町1536-7、松阪駅(JR・近鉄)徒歩15分、伊勢自動車道 松阪インター 10分、本居宣長記念館から徒歩2分
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 本居宣長記念館

    投稿日 2011年07月15日

    本居宣長記念館 松阪

    総合評価:4.0

    本居宣長記念館は、鈴屋遺蹟保存会が運営管理する博物館で江戸時代の国学者・本居宣長の旧宅「鈴屋」を管理公開し、展示室では『古事記伝』などの自筆稿本類や遺品、自画像などを公開している。
    鈴屋遺蹟保存会の管理史蹟は、本居宣長旧宅(国特別史跡)、本居宣長旧宅跡・附春庭旧宅、土蔵(国特別史蹟)、本居宣長奥墓(国史跡)で収蔵品総数は約16.000点。

    開館時間--午前9時から午後4時30分
    休館日--月曜日・年末年始休館
    入館料--大人400円・大学生300円・子供(小学4年から高校生)200円
    アクセス――三重県松阪市殿町1536-7、松阪駅(JR・近鉄)徒歩15分、伊勢自動車道 松阪インター 10分 
    電話--0598-21-0312

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    3.0
    三重県松阪市殿町1536-7、松阪駅(JR・近鉄)徒歩15分、伊勢自動車道 松阪インター 10分
    コストパフォーマンス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.0
    本居宣長旧宅と『古事記伝』などの自筆稿本類や遺品、自画像などを公開している。
    バリアフリー:
    3.0

  • 邦画ファンには魅力ある展示の三重県松阪市の小津安二郎青春館

    投稿日 2011年07月13日

    小津安ニ郎青春館 松阪

    総合評価:4.0

    小津 安二郎(おづ やすじろう、1903−1963年)は『東京物語』『晩春』『麦秋』などの名作を残した日本を代表する映画監督だが9歳から20歳まで父の郷里である松阪で過ごした。小津安二郎青春館は、監督の青春時代の絵画などの品物や写真など関連資料を展示している。邦画ファンには魅力ある展示内容。

    場所---松阪市愛宕町二丁目44番地
    開館日時--毎週 金、土、日、月曜日および祝日(開館時間) 11月1日から3月31日の間は午前10時から午後4時まで、4月1日から10月31日の間は午前11時から午後5時まで 
    入館料--無 料だが資料(小津組制作)代として、100円
    電話--0598−22−2660

    小津安二郎青春館--http://www.city.matsusaka.mie.jp/bunka/shisetsu/ozu/ozu.html

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    3.0
    松阪市愛宕町二丁目44番地、JR松阪駅から車で10分
    コストパフォーマンス:
    5.0
    入館料無料,資料(小津組制作)代として、100円は安い
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    4.5
    監督の青春時代の絵画などの品物や写真など関連資料を展示している。
    バリアフリー:
    3.0

  • 「野面積み」の石垣が美しい松坂城跡

    投稿日 2011年07月16日

    松坂城跡 松阪

    総合評価:3.5

    松坂城は蒲生氏郷(がもう うじさと1556−1595年)が1588年に築城し城北を流れる阪内川を天然の堀とした平山城だったが現在は国の史跡で石垣のみ残る城址公園になっており周辺には松坂城跡市立歴史民俗資料館、松坂出身の本居宣長記念館などがある。
    蒲生氏郷は旧領の近江商人を町の中心部に呼び寄せて日野町とし楽市楽座を設け湊町に伊勢大湊の豪商角屋氏を呼び寄せ、商都松阪の礎を築いた。
    松阪城の石垣は安土城を上回る強固なもので美観という点でも優れており名城としてあげられている。松坂城石垣は安土城の築城に加わった蒲生氏郷が松阪城にも安土城の石垣「野面積み」を主体工法としたとされている。「野面積み」工法は「穴太衆(あのうしゅう)」と呼ばれる近江国の石工集団が発案したもので延暦寺と日吉大社の門前町、滋賀県大津市坂本は現在も「野面積み」の街並みが美しい。
    アクセス・市街地循環バス(鈴の音バス)で「市民病院」下車、徒歩2分
      ・JR、近鉄松阪駅から徒歩約15分
      ・JR、近鉄松阪駅から三交バスで「市民病院前」下車徒歩2分
      ・JR、近鉄松阪駅からタクシーで約5分
      ・伊勢自動車道松阪インターより車で約10分

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    3.0
    JR、近鉄松阪駅から徒歩約15分
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    3.5
    「野面積み」の石垣が美しい

  • 松阪の歴史、文化、伝統産業がわかる松阪市立歴史民俗資料館

    投稿日 2011年07月16日

    松阪市立歴史民俗資料館(2階 小津安二郎松阪記念館) 松阪

    総合評価:4.0

    1912年から飯南郡図書館として使用された建物を1978年から「歴史民俗資料館」に改装している。商都松阪の江戸時代の商店、地場産業の松阪木綿関連資料など歴史文化資料を展示している。
    所在地   〒515-0073  三重県松阪市殿町1539番地
             電話 0598−23−2381

    開館時間  (4月〜9月) 午前9時〜午後4時30分
             (10月〜翌年3月) 午前9時〜午後4時
    休館日   月曜日、祝日の翌日、年末年始(12/29〜1/3)
              
    入館料  一般100円   6歳以上18歳以下50円
    アクセス
      ・市街地循環バス(鈴の音バス)で「市民病院」下車、徒歩2分
      ・JR、近鉄松阪駅から徒歩約15分
      ・JR、近鉄松阪駅から三交バスで「市民病院前」下車徒歩2分
      ・JR、近鉄松阪駅からタクシーで約5分
      ・伊勢自動車道松阪インターより車で約10分
    ホームページーー松阪市立歴史民俗資料館---http://www.city.matsusaka.mie.jp/bunka/shisetsu/rekimin/annai1.html

    旅行時期
    2011年05月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    展示内容:
    4.0
    商都松阪の江戸時代の商店、地場産業の松阪木綿関連資料など歴史文化資料を展示している。
    バリアフリー:
    3.0

  • 本居宣長と賀茂真淵の「松阪の一夜」の旅籠・新上屋(しんじょうや)

    投稿日 2011年07月16日

    松阪

    総合評価:3.0

    新上屋は、日野町、参宮街道沿いにあった旅籠で魚町の宣長宅からは徒歩約8分。
     和歌山街道との分岐点に近いこのあたりには本陣・美濃屋や馬問屋を始め旅宿が何軒もあったそうだ。
     この旅籠で、宝暦13年5月25日(西暦1763年7月5日)、本居宣長(34歳)と賀茂真淵(67歳)が初めて対面した。
     真淵は静岡県浜松の生まれで当時江戸に住み古典研究の第一人者であった。京都・大和を経て参宮の途中、この宿に数日滞在した。 宣長が宿の近くにあった本屋・柏屋兵助からこのことを聞いたときには、既に出立の後であった。 かねてより真淵を私淑していた宣長は残念に思い、帰りにも泊まられることを期待して待った。 望みはかない宣長は真淵と対面することが出来た。近所の尾張屋太右衛門を引き連れ訪ねた宣長を快く迎えた真淵は、宣長の『古事記』研究のためにはまず『万葉集』を学ぶことを勧め、自分の生涯をかけた『万葉集』研究の成果一切を宣長に伝えることを約束する。
     生涯たった一度の対面であったが、国学の歴史の新たな展開がここに始まった。
     この日のことを、二人の対面を描いた佐佐木信綱の文章により「松阪の一夜」と呼んだ。
     旅籠は既に無くなってしまったが、場所は「新上屋跡」として、市の史跡指定を受け、現在は碑と山桜が植えられている。

    旅行時期
    2011年05月

  • スリランカ有数の日本語ガイド、パリタさんの連絡先

    投稿日 2011年03月27日

    コロンボ

    総合評価:5.0

    東北地方太平洋沖地震へのお見舞いメールをくれたスリランカの日本語ガイド、パリタさんの2011.3.27日現在のメールアドレス、住所、携帯電話は下記です。メールの場合、ローマ字のやり取りは可能です。スリランカ訪問とパリタさんの案内を希望される方は問い合わせされたらいかがでしょうか。

    Palitha Widyaratne,
    メールアドレス---palitha@live.com
    住所---451 / 30, Thimbirigasyaya road,Colombo -05、Sri Lanka

    携帯電話--- 94+ 777 57 46 46

    関連旅行記――
    http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10554137/----スリランカから東北地方太平洋沖地震へのお見舞い

    http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10017166/---スリランカの旅【1】 日本のテレビにも出演したタレントガイドを一人じめ
    (写真は2005.2月、スリランカ訪問当時のパリタさん)

    旅行時期
    2011年03月

  • 楠木正成・正行父子の今生の別れ「桜井の別れ」の桜井駅跡

    投稿日 2010年11月12日

    史跡桜井駅跡史跡公園 高槻・島本

    総合評価:3.5

    JR島本駅前にある桜井駅跡(さくらいえきあと)は旧 摂津国嶋上郡桜井村にあった古代律令制度での宿駅の跡で1336年、足利尊氏(あしかがたかうじ1305−1358年)を討つべく湊川に向かう楠木正成(くすのき まさしげ 生年不詳−1336年)が、嫡男の正行(まさつら 生年不詳−1348年)を河内国に帰らせた、「楠公父子訣別之所」として知られている。
    桜井駅跡には「桜井の別れ」の像がある。正式には「桜井駅の別れ」といわれ、1336年の湊川の戦い直前に、西国街道の桜井の駅で交わされたという、楠木正成・正行父子の今生の別れで「太平記」の名場面のひとつ。天皇への忠誠を伝える美談として、戦前までは国語や修身の教科書に必ず載っており日本中の人たちが学んだ逸話だった。
    足利尊氏(あしかが たかうじ1305−1358年)の十万以上の軍勢に対し、新田義貞(にった よしさだ1301−1338年)を総大将とするわずかな軍勢の朝廷方では勝てないと見ていた正成は尊氏と和睦するか、比叡山に上り都に足利軍を誘い込んだ後兵糧攻めにするべきだと後醍醐天皇(ごだいごてんのう1288−1339年)に進言したが説得することができず死を覚悟して湊川の戦場に赴かざるを得なかったとされる。
    正成は自分の死を予測して11歳の嫡子・正行に対し「生き残って、いつの日か朝敵を滅せ」と諭し、後醍醐天皇から下賜された菊水の紋が入った短刀を授け今生の別れを告げ故郷の河内へ帰したとされている。正行は成長して1348年の四條畷の戦い(しじょうなわてのたたかい)で足利尊氏の腹心・高師直(こう の もろなお生年不明−1351年)と戦ったが楠木軍は足利方の圧倒的な兵力の前に敗れ、正行は弟の正時と刺し違えて自決したとされている。「桜井の別れ」は史実として異論もあるが、皇国思想を国民に徹底教育した明治時代から第2次世界大戦に敗れるまで代表的な尊王教育の教材のひとつだった。
    2008年、島本駅が開業し、桜井駅跡も公園として整備されている。桜井駅跡には陸軍大将乃木希典(のぎ まれすけ1849−1912年)筆「楠公父子訣別之所」の碑、海軍大将・元帥東郷平八郎(とうごう へいはちろう1848−1934年)筆「子わかれの 松のしづくに 袖ぬれて 昔をしのぶ さくらゐのさと」(明治天皇御製)の碑、1876年に駐日イギリス大使ハリー・パークス(1828−1885年)が楠木正成の忠誠心に感じたとして、表に「楠公訣児之処」と刻し、裏に英文で碑の建立事由を記した碑などがある。ハリー・パークスは1865年から1883年まで18年間日本に駐留し香港など英国のアジア進出に能力を発揮した外交官だが「楠公訣児之処」碑建立は日本の皇国思想に賛同し日本人に英国に対する心証を良くしようとする思惑もあったようだ。
    桜井駅跡は明治時代から第2次世界大戦敗戦までは聖地のような重要な場所だったのだろうが、現在は子供たちの遊び場になっていた。
    桜井駅跡(国史跡)---http://www12.plala.or.jp/HOUJI/shiseki/newpage496.htm

    日本の旅 関西を歩く 大阪、島本町の桜井駅跡:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10412482/

    関連旅行記−日本の旅 関西を歩く 大阪、四条畷市の四条畷神社周辺:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10393620/
    (写真は桜井駅跡の碑)

    旅行時期
    2009年11月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    5.0
    JR島本駅前,阪急京都線「水無瀬」下車、駅前の通りを北西へ約500M
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 「福男選び」の福男競争で有名な西宮神社(にしのみやじんじゃ)

    投稿日 2010年11月07日

    西宮神社(西宮の戎さん) 西宮・芦屋

    総合評価:4.0

    西宮神社(にしのみやじんじゃ)は、日本に約3500社ある蛭子(ひるこ)神系のえびす神社の総本社で「西宮のえべっさん」と呼ばれている。
    第一殿に「西宮大神」として蛭児命(ひるこのみこと)を主祭神として祀り第二殿に天照大御神(あまてらすおおみかみ)と大国主命(おおくにぬしのみこと)、第三殿に須佐之男命(すさのおのみこと)を祀っている。
    西宮の「えべっさん」は十日えびすの1月10日に赤門から本殿までの「走り参り」の「福男選び」(正式には「十日戎開門神事福男選び」)が有名で2009年には約6000人が参加している。
    西宮神社では1月10日午前4時から十日えびす大祭が執り行われ午前6時ごろ大祭終了と同時に表大門が開かれ氏子たちが一斉に230m先の本殿を目指して駆け出す。本殿で待ち受ける神主に抱きつき3着までにゴールした人が、その年の福男となる。近年はテレビなどで放映されるので人気も上がり、年々参加者が増え福男競争も激しくなっている。

    西宮神社は平安時代にはすでに「えびす社」として信仰されていたそうだ。西宮神社は日本に約3500社ある蛭子(ひるこ)神系のえびす神社の総本社で広い境内には廣田神社摂社・南宮神社、大国主西神社など境内社が見られる。
    南門前には松尾芭蕉(まつお ばしょう1644−1694年)の
    「扇にて 酒くむかげや ちる桜 」

    の句碑もある。 1993年に松尾芭蕉生誕三百年を記念して西宮俳句協会が建立したとのことだが1993年は芭蕉没後300年なので芭蕉300回忌記念句碑でもあるのだろう。
    1687年から1688年の「笈の小文(おいのこぶみ)」の旅で吉野の桜を鑑賞しながら「桜の木の下で、謡曲の一節を舞い扇子を大杯に見立てて酒を飲み干してみると風に舞う花びらが酒杯に散り込んだ」と詠んだといわれているが酒造の街・西宮にふさわしい句だ。
    西宮神社の表大門に近い境内の松林にある句碑には

    「はるもややけしきととのふ月の梅  はせを」
    「にょっぽりと秋の空なる富士の山  おにつら」

     と刻まれている。「はせを」は松尾芭蕉、「おにつら」は伊丹ゆかりの俳人・上島鬼貫(うえしま おにつら1661−1738年)で碑の裏面には「伊丹西宮俳人十七句」とあり、約160年前に伊丹や西宮の俳人らが建立したと伝えられている。「春もややけしき調ふ月と梅」の句は1693年の春の句で深川芭蕉庵から岐阜大垣の廻船問屋の主人・谷木因(たにぼくいん)に宛てた書簡に記された句で「続猿蓑(ぞくさるみの)」に収録されている。芭蕉らの直筆の掛け軸を所蔵していた人が、自分たちの句と一緒に、この句を石に彫らせたとのことだが江戸時代の人にとっても芭蕉直筆の掛け軸はお宝だったようだ。伊丹や西宮の造り酒屋の経営者で俳句をたしなむ人たちは芭蕉を師と仰ぎながら西宮神社で句会を催していたのだろう。
    西宮神社にはいろいろな歴史がある。

    日本の旅 関西を歩く 福男選びの西宮神社 1:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10366762/
    日本の旅 関西を歩く 福男選びの西宮神社 2:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10367027/

    (写真は西宮神社の「福男選び」の紹介)

    旅行時期
    2009年08月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    4.0
    阪神西宮駅から徒歩10分
    人混みの少なさ:
    3.0
    バリアフリー:
    4.0
    見ごたえ:
    3.0

さすらいおじさんさん

さすらいおじさんさん 写真

113国・地域渡航

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さすらいおじさんさんにとって旅行とは

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