海柘榴市
名所・史跡
3.26
クチコミ・評判
1~5件(全5件中)
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古代で最も大きな市場
- 3.5
- 旅行時期:2023/02(約3年前)
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万葉の時代はにぎやかだったのですね!
- 3.0
- 旅行時期:2023/01(約3年前)
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山野辺の道にあります
- 4.5
- 旅行時期:2018/02(約8年前)
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清少納言も訪れたとか
- 2.5
- 旅行時期:2014/09(約11年前)
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日本最古の交易市場、海柘榴市
- 3.5
- 旅行時期:2009/12(約16年前)
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三輪山一帯は卑弥呼の墓ではないかといわれている箸墓古墳(はしはかこふん)をはじめ、弥生時代や古墳時代の前方後円墳などの古墳... 続きを読むが多く残っておりヤマト王権の都だったと考えられ、さらに2009年には「卑弥呼の宮殿」と考えられる建物跡も発見され、邪馬台国も三輪山一帯にあったのではないかとの説が日増しに大きくなっている。
三輪山麓、桜井市金屋の海柘榴市(つばいち)はヤマト王権時代から市が立って栄えたと考えられている。金屋周辺には初瀬川を下り大和川に出る水運の河港があり、水陸交通の要衝の地だった。607年には聖徳太子が派遣した小野妹子を大使とする遣隋使節団も海柘榴市の港から川船で大和川を下り、難波津で大型の外洋船に乗り換えて旅立っており、608年には隋の使者が初瀬川を船で遡り海石榴市で船を降り、飛鳥の小墾田宮(おはりだのみや)に入京したとの記録が残されている。海柘榴市(つばいち)周辺は大陸との交流の中心地で迎賓館も設けられ外国使節を歓迎したとのことだ。
金屋辺りは大阪から大和川を遡ってくる川船の終着地点で山の辺の道や初瀬街道が交差する陸上交通の要衝でもあったので物産が集まり、日本最古の交易市場が成立し海柘榴市と呼ばれるようになった。市の立つ日は賑わいを見せ海柘榴市は若い男女の出会いの場であった歌垣(うたがき)も行われた。 平安時代には、長谷詣での宿泊地として栄え、清少納言は「市は たつの市 さとの市 つば市。大和にはあまたある中に、長谷に詣づる人のかならずそこにとまるは、観音の縁のあるにや、と心ことなり」と枕草子に海柘榴市を紹介している。
現在は繁栄した都の面影は無いが「山の辺の道」をたくさんの人たちが往来し道沿いにはたくさんの家並みが連なっていたのだろう、と想像することはできた。
海柘榴市跡---http://www.bell.jp/pancho/travel/yamanobe/tubaiti.htm
日本の旅 関西を歩く 奈良、桜井市の海柘榴市(つばいち)観音周辺:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10412973/
(写真は古代は海柘榴市跡の光景) 閉じる投稿日:2010/11/13
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