さすらいおじさんさんのクチコミ(139ページ)全3,789件
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投稿日 2009年02月28日
総合評価:4.0
大阪府営服部緑地は北大阪急行電鉄の緑地公園駅が最寄駅の「日本の都市公園100選」にも選ばれている甲子園球場の約33倍の広さの大阪府を代表する都市公園。
服部緑地は1928年に大阪府が竹林、溜池を買収して造園し1955年には豊中競輪場廃止により跡地に陸上競技場を造成した後、都市緑化植物園、日本民家集落博物館、乗馬センター、野外音楽堂、テニスコート、ユースホステル、ウォーターランド などが造成された。
現在は北大阪地域のスポーツ・レクリエーションの拠点で多くの府民の憩いの場となっている。
関連旅行記−http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10305644/
(写真は服部緑地東中央広場周辺の光景)- 旅行時期
- 2008年12月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2009年02月27日
総合評価:4.0
日本民家集落博物館(にほんみんかしゅうらくはくぶつかん)は、服部緑地内にある1956年に開館された日本最初の野外博物館。
江戸時代から明治時代までに建築された岩手から奄美大島までの民家や付属設備を移設して造られた。敷地内には飛騨白川の合掌造り民家、摂津能勢の民家、日向推葉の民家、信濃秋山の民家、大和十津川の民家、越前敦賀の民家、南部の曲家、奄美大島の高倉、小豆島の農村歌舞伎舞台、河内布施の長屋門、堂島の米蔵、堺の風車などが展示されており、日本各地の民族文化を学ぶことができる。
関連旅行記−http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10305499/
(写真は飛騨白川の合掌造民家)- 旅行時期
- 2008年12月
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
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投稿日 2009年02月27日
総合評価:4.0
中山寺(なかやまでら)は、宝塚市にある真言宗寺院。
聖徳太子が建立したとされる日本最初の観音霊場で羅漢堂には約800体の羅漢像が並ぶ。
安産祈願の霊場して皇室、源頼朝(みなもとのよりとも1147−1199年)など武家、庶民より深く信仰を集め豊臣秀吉(とよとみ ひでよし1536−1598年)が祈願して豊臣秀頼(とよとみ ひでより1593−1615年)を授かったとされる。幕末には孝明天皇(こうめいてんのう1831−1867年)の側室・典侍(ないしのすけ)の中山慶子(なかやま よしこ1836−1907年)が安産祈願して明治天皇(めいじてんのう1852−1912年)を無事出産したことから、日本唯一の明治天皇勅願所となり、安産の寺として知られる。阪急中山寺駅から徒歩5分。
関連旅行記−http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10305493/
(写真は中山寺の山門)- 旅行時期
- 2008年12月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
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投稿日 2009年02月27日
総合評価:4.0
宝塚の駅前一帯は1911年開業の全国的に有名な遊園地・宝塚フェミリーランドだった。園内には動物園、植物園、宝塚歌劇で有名な宝塚大劇場も併設された一大レジャーセンターだったが動物園と植物園が2003年に閉園した。閉園後の跡地は、ガーデン、住宅系、商業系、歌劇の4つのゾーンに分けて再開発され、ガーデンゾーンは宝塚ガーデンフィールズの名で英国風庭園やペットパークが2003年にオープンし愛犬家などが訪れており、住宅系ゾーンには2008年に関西学院初等部が開校している。遊園地の面影は殆どなくなったがメリーゴーランドがポツンと残っており、子供たちで賑わっていたころがしのばれる。
宝塚駅から宝塚大劇場に向う通り道「花のみち」は宝塚のシンボル的な道で両側の車道の中央が一段高くなった歩道になっている。宝塚の舞台に向かう人たちがワクワクしながら歩く道で春は桜、秋は紅葉が美しい。
宝塚大劇場は残ったがかつてのレジャーセンターの面影がほとんど無くなったのは残念だ。宝塚駅から徒歩約10分弱。
関連旅行記−http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10305346/
(写真は宝塚・花の道の光景)- 旅行時期
- 2008年12月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
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投稿日 2009年02月26日
総合評価:4.0
宝塚市立手塚治虫記念館は宝塚ゆかりの世界的漫画家・手塚治虫(1928−1989年)の功績を後世に伝えるために1994年に開館している。簡易アニメーションの制作体験や手塚作品の図書閲覧、オリジナル作品等の映像観賞などが楽しめる。宝塚駅から徒歩約10分。
関連旅行記−http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10305322/
(写真は手塚治虫記念館)- 旅行時期
- 2008年12月
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
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投稿日 2009年02月26日
総合評価:4.0
能勢町(のせちょう)は大阪府最北端にあり「大阪の軽井沢」「大阪の北海道」「大阪のチベット」などと呼ばれる標高200−500mの高地にある農村。能勢電鉄の妙見口は能勢妙見宮(日蓮宗霊場能勢妙見山)への登り口であり、ハイキングコースもある。
関連旅行記−http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10304928/
(写真は能勢の山村の光景)- 旅行時期
- 2008年12月
- アクセス:
- 4.0
- 景観:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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投稿日 2009年02月26日
総合評価:3.0
阪急曽根駅から西に徒歩10分の住宅街の中に原田城跡がある。原田城跡の由緒説明によると室町時代末期の軍記・足利季世記(あしかがきせいき)の「1541年に管領細川晴元(ほそかわ はるもと1514−1563年)の家臣・木次長政が原田城を攻めた」との記載から1500年頃の築城と想定されている。原田城には、主城の北城と砦の南城の2城があった。北城が築かれていた場所には民家が建てられていたが現在は豊中市に贈与されていた。北城は東西160m、320mの規模で堀もあったようだ。1547年には三好日向守長逸(みよしひゅうがのかみながやす、生年不明−1573年)が細川晴元勢三万騎の攻撃で陥落し1578年には織田信長(1534−1582年)による伊丹有岡城の荒木村重(あらき むらしげ1535−1586年)討伐の拠点のひとつになったと伝えられる。
関連旅行記−http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10304913/
(写真は原田城跡)- 旅行時期
- 2008年12月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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チリ・サンティアゴのルルド聖堂(ロールデス聖堂;Basílica de Lourdes Santiago de Chile)(2006年3月10日)
投稿日 2007年08月09日
総合評価:4.0
サンティアゴのルルド聖堂(ロールデス聖堂;Basílica de Lourdes Santiago de Chile)はキンタ・ノルマル公園の脇にある。聖堂の外観はイスラム寺院だがローマカトリック教会に改修して聖ベルナデッタ・スビルー(1844−1879年)を祀っている。フランスのルルドは聖ベルナデッタ・スビルー(1844−1879年)が聖母マリアの出現に逢い多くの病気を治した「ルルドの泉」で知られるカトリック教会の巡礼地だ。「空飛ぶ教皇」と呼ばれ世界100ヶ国以上を訪問したヨハネ・パウロ2世(1920−2005年)もサンチャゴのルルド聖堂訪れている。ヨハネ・パウロ2世が訪問されたときの写真も掲示されていた。敬虔な信者が多く参拝している。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10057168/
(写真はサンティアゴのルルド聖堂)- 旅行時期
- 2006年03月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
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投稿日 2009年02月14日
総合評価:3.0
阪急曽根駅から東に徒歩5分の豊中中央公民館前には三義塚がある。三義塚の由来説明によると1932年、北海道大学教授や豊中市議会議長などを務めた西村真琴(にしむら まこと1883―1956年)は中国上海・三義里街で戦災者救援活動中、弱った鳩を見つけ日本に持ち帰り鳩に「三義」と名付け自宅で育て小鳩が生まれたら日中友好の証しとして上海市に贈ろうと考えていた。だが「三義」はイタチに殺されてしまい、悲しんだ西村真琴は「三義」の絵に『西東国こそ異へ子鳩等は親善あへり一つ巣箱に』の歌を添えて、中国の文学者・魯迅(ろじん、1881−1936年)に届けた。感激した魯迅から1933年6月に七言律詩『三義塔に題す』が西村真琴に贈られ、西村真琴は記念に三義塚を自宅に建てた。三義塚は1986年に中央公民館に贈られたそうだ。
西村 真琴はを1928年の昭和天皇即位記念京都博覧会に大阪毎日新聞が出品した東洋最初のロボット・學天則(がくてんそく)の制作者であることでも知られている。2008年12月には學天則を復元した実物大の模型が大阪市立科学館の1階に展示されていた。
関連旅行記−http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10304913/
(写真は三義塚)- 旅行時期
- 2008年12月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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投稿日 2009年02月14日
総合評価:4.0
阪急曽根駅に近い東光院は735年、行基(ぎょうき668−749年)開創といわれる曹洞宗別格寺院で、境内に萩が多いことから「萩の寺」として親しまれている。
「行基」は火葬を初めて伝授したと伝えられ、火葬の際淀川水系に群生する萩を供えたことから東光院境内で萩の植栽をするようになったそうだ。
淀殿(よどどの1569−1615年)、正岡子規(まさおか しき1867−1902年)、高浜 虚子(たかはま きょし1874−1959年)なども訪れ、境内には正岡子規の句碑 「ほろほろと石に こぼれぬ萩の露」やジャーナリストで俳人の相島 虚吼(あいじま きょこう1867−1935年)などの句碑がある。阪急曽根駅から徒歩約5分。
関連旅行記−http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10304757/
(写真は東光寺・萩の寺の境内)- 旅行時期
- 2008年12月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
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投稿日 2009年02月14日
総合評価:4.0
神戸ルミナリエ(こうべルミナリエ)は、1995年1月17日の阪神・淡路大震災犠牲者を追悼するために1995年から毎年12月に開催されている祭典で通りや広場を独特の幾何学模様で構成されたイルミネーションで飾っている。装飾は、イタリア人アートディレクターのヴァレリオ・フェスティと神戸市在住の作品プロデューサー・今岡寛和(いまおかひろかず)の共同作品。
メイン会場は、旧居留地内の仲町通と終着地の東遊園地で東遊園地前の神戸市役所24階展望ロビーからも良く見える。
関連旅行記−http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10304736/
(写真はルミナリエのイルミネーション)- 旅行時期
- 2008年12月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
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投稿日 2009年02月12日
総合評価:4.0
島(嶋)原(しまばら)は、室町12代将軍・足利 義晴(あしかが よしはる1511−1550年)時代の1528年頃に日本で最初の政府公認の花街になったといわれている。 幕末には西郷隆盛(さいごう たかもり1828−1877年)、久坂玄瑞(くさか げんずい1840−1864年)などの志士や新撰組なども出入りしていた。 明治維新後は島原を支えていた公家、武家社会が崩壊したために衰退し、現在は文化遺産として「大門」、「角屋・すみや」などがわずかに残っているだけだ。島原も新時代を創り出す革命のエレルギーを育てた歴史の一部分として貴重な遺産だ。
関連旅行記−http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10304442/
(写真は「角屋」)- 旅行時期
- 2008年12月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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京都、島原の「東鴻臚館址(ひがしこうろかんあと)」の石碑(2008年12月)
投稿日 2009年02月12日
総合評価:3.0
「角屋」の一角には「東鴻臚館址(ひがしこうろかんあと)」の石碑がある。碑文には「平安時代、京の中央を南北に朱雀大路が貫き、その七条以北の東西にふたつの鴻臚館が設けられていたが、この島原付近は東鴻臚館址にあたる。当時この館を利用したのは、唐ではなく、渤海国の使節に限られた。時の政府は渤海客を大いに歓待し、日本の国威を示すために林邑楽を演奏したり、詩文の会などを催していたが、延喜二十年(920年)頃には廃せられた。そうした由緒ある顕客接待の場が、江戸時代の島原にもてなしの文化の場として蘇ったことは意味深いことといえる。平成十三年十一月吉日島原伝統保存会」と記載されており、与謝蕪村(よさ ぶそん1716−1764年)は
白梅や墨芳しき鴻臚館 と鴻臚館が外国使節を接待する迎賓館として隆盛した頃をしのんだ俳句を詠んでいる。
また源氏物語の「桐壷」巻では、光源氏を東宮にしたいが反対勢力を恐れて悩む桐壺の帝が、渤海国(ぼっかいこく698−926年)から高麗人(こまびと)の優れた人相見が鴻臚館に来ていると聞き、光源氏を他人になりすまさせて内密に鴻臚館に遣わし将来を占ってもらったという一節がある。
人相見は首をかしげながらも「帝王の相だが帝になると災難が起こりそうだ。しかし政治を補佐する立場で終わる相ではない」と天皇にはなれなかったが紆余曲折の末に天皇に準じる地位まで上り詰める波乱万丈の光源氏を予言している。源氏物語にも登場する華やかな鴻臚館跡にやはり華やかな社交場であった「角屋」が建てられたことも興味深い。
関連旅行記−http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10304442/
(写真は「東鴻臚館址(ひがしこうろかんあと)」の石碑)- 旅行時期
- 2008年12月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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投稿日 2009年02月12日
総合評価:3.0
元祇園・梛神社(もとぎおん・なぎじんじゃ)は876年に京都に疫病が流行したとき、牛頭天王(ごずてんのう=スサノオノミコト)の神霊を播磨国広峰から勧請して鎮疫(ちんえき)祭を行ったとき神輿(みこし)を梛(なぎ)の林中に置いて祀ったことが神社の始まりといわれている。後に神霊を八坂神社に遷祀したとき住人たちは花を飾った風流傘(ふうりゅうがさ)を立て、鉾を振り、音楽を奏して神輿を送り出し、これがのちの祇園会(ぎおんえ)の起源といわれる。八坂神社の古址にあたるので元祇園社と呼ばれる。維新の頃は田圃の中の一小祠だったが1874年と1929年に社殿を建造したとのこと。四条大宮駅から徒歩約5分。
関連旅行記−http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10304214/
(写真は元祇園・梛神社)- 旅行時期
- 2008年12月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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投稿日 2009年02月06日
総合評価:3.0
壬生狂言(みぶきょうげん)は、毎年節分と4月、10月に壬生寺(みぶでら)の舞台で演じられる無言劇で大念仏狂言(だいねんぶつきょうげん)とも呼ばれる重要無形民俗文化財。勧善懲悪の教訓話、平家物語、御伽草子などの演目を地元の小学生から長老まで約40人が壬生大念仏講中を構成して演じ、重要無形民俗文化財を守っている。
壬生寺のHP−http://www.kyoto.zaq.ne.jp/mibu/
関連旅行記−http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10304206/
(写真は壬生寺の壬生狂言の舞台)- 旅行時期
- 2008年12月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2009年02月06日
総合評価:4.0
江戸時代後期の幕末には京都の治安維持を目的に活動した新選組(当初は壬生浪士組といった)の本拠が壬生村の八木家に置かれた。その縁で境内には局長近藤勇(こんどう いさみ1834−1868年)の銅像や、新選組隊士の墓である壬生塚がある。2003年の 浅田次郎原作、 滝田洋二郎監督、中井貴一主演の映画「壬生義士伝」で壬生塚は広く知られるようになったそうだ。
拝観料100円、
壬生寺のHP−http://www.kyoto.zaq.ne.jp/mibu/
関連旅行記−http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10303989/
(写真は壬生塚の光景)- 旅行時期
- 2008年12月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
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投稿日 2009年02月06日
総合評価:4.0
西本願寺(にしほんがんじ)は、浄土真宗本願寺派本山の寺院で東本願寺に対し「西本願寺」「お西さん」などと呼ばれている。
宗祖親鸞聖人(1173−1263年)入滅後、末娘の覚信尼(かくしんに1224−1283年)が1272年に元大谷と呼ばれる現在の知恩院塔頭・崇泰院(そうたいいん)付近に廟堂を建て遺骨を安置したのが本願寺の発祥とされている。廟堂は江戸時代初頭、東山五条の西大谷に移り現在の「大谷本廟」となっている。京都駅から徒歩約10分。
関連旅行記−http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10303979/
(写真は西本願寺)- 旅行時期
- 2008年12月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
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投稿日 2009年02月02日
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投稿日 2009年02月02日
総合評価:3.0
七条大橋のたもとにある松明殿稲荷神社(たいまつでんいなりじんじゃ)は伏見稲荷大社の境外末社で948年、燎祭(りょうさい).が行われた際「炬火(たいまつ)殿」の号を賜ったことに由来すると伝えられている。
江戸時代に出された「都名所図会」には伏見稲荷大社春の稲荷祭のとき、 当神社の氏子の人々が松明をともしてその神輿を迎えるのを古例としていたことから「松明殿」の名で呼ばれたと記されている。
境内西側には江戸時代中期の木食正禅養阿(もくじきしょうぜんようあ1687−1763年)の銘のある手洗石及び井戸がある。京阪七条駅から徒歩5分。
(写真は松明殿稲荷神社)- 旅行時期
- 2008年12月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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投稿日 2009年02月01日
総合評価:4.0
興正寺(こうしょうじ)は、西本願寺の南隣にある寺で西本願寺の脇門跡だったが、1876年に真宗興正派として独立し本山となっている。
興正寺の境内から非公開だった西本願寺の飛雲閣が見える。飛雲閣は金閣、銀閣とともに京都三名閣の一つ。秀吉が建てた聚楽第(じゅらくだい・てい)の一部で、三層からなる楼閣(ろうかく)建築。京都駅から徒歩約10分。
(写真は興正寺の境内から見える飛雲閣)- 旅行時期
- 2008年12月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0























