km777さんへのコメント一覧全64件
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kmさんこんにちは。
Kmさんこんにちは。
以前から旅行記にはお邪魔していた気がしますが。。。
さて、コンゴ川の旅行記を探していまして助かりました。
もし、よろしければおしえてくださいますか?
コンゴ川のボートですが、ブラザビル→キンシャサを考えています。
何か問題はありますでしょうか?
・ブラザビル出国について
・スピードボート利用について(当日簡単に、しかも良心的な値段で使えるか)
・キンシャサ入国について
調べていると、怖いことばかり書かれているようで、へこんでいます。
グリシュコットRE: kmさんこんにちは。
グリシュコットさん
こんにちは
コンゴ民主・共和両国は今年も訪問していますが、両首都を結ぶボートを利用したのは2003年のことなので最新情報はよくわかりません。
コンゴ共和(ブラザビル)の出国:わいろは要求してくるけど何とかしのげると思います。辺鄙なところの役人はしんどいけど、さすがに首都だと外国大使館等もあるのであたりはマイルドかと。
ボート:当日買える、というか予約とかはできないかと。スピードボートがある日とフェリーしかない日がありました。私はスピードボートに乗れました。
コンゴ民主:こちらは相当腐った国ですが、さすがに首都なので、ビザさえあればそれほど不合理な扱いはないかと。拘束されて一泊監禁とか、私が地方都市でされたような扱いはないかと思います。町中でカメラを出すと私服の秘密警察や、警察に拘束・尋問される可能性が大なので、その点が注意かと思います。
いずれの国でも、地元の人とコミュニケーションが取れる程度のフランス語が話せるかで、印象が変わるかと思います。
では楽しい旅を。
mさんこんにちは。
> 以前から旅行記にはお邪魔していた気がしますが。。。
>
> さて、コンゴ川の旅行記を探していまして助かりました。
> もし、よろしければおしえてくださいますか?
>
> コンゴ川のボートですが、ブラザビル→キンシャサを考えています。
> 何か問題はありますでしょうか?
> ・ブラザビル出国について
> ・スピードボート利用について(当日簡単に、しかも良心的な値段で使えるか)
> ・キンシャサ入国について
>
> 調べていると、怖いことばかり書かれているようで、へこんでいます。
>
> グリシュコット2016年07月29日06時59分 返信するありがとうございます
お教えいただいてありがとうございます。
年末に行くのですが、少し安心できました。
できるかぎり用心して調べていこうと思っています。
あと一点、ボノボサンクチャリーへは行かれましたか?
もしいかれたなら、その足はどうされましたか?
普通にタクシーをチャーターしていくことになるのでしょうか?
すいません。
よろしくお願いします。
2016年07月29日13時32分 返信する -
初めまして
km様
初めまして
テレビ東京の「世界ナゼそこに日本人」という番組を制作をしています、新島のどかです。
現在ナウル共和国の日本人から見てびっくりするような習慣や風習、文化について調べいています。
調査過程でkm様のブログを拝見し、旅行された経験があるということでナウル共和国でのお話をお伺いしたいと思いご連絡させていただきました。
もし失礼でなければなのですが、お電話でお伺いするのが一番スムーズかと思います。よろしければお電話番号とご都合の良い時間を教えていただけますでしょうか。
お忙しければ、メールでも結構です。
下記のアドレスにご連絡くださるとありがたいです。よろしくお願いします。
新島のどか
niijima@zippy-pro.co.jp -
ギニアビサウについて
はじめまして
私、旅行と模型を趣味にしている「ばーちゃわーるど」と申します。
実はこの度、ギニアビサウの方を想定した模型を製作したいと考えているのですが、
情報が少なくて困っております。
もしご存知でしたら次の点につきまして
ご教授いただけないでしょうか。
ギニアビサウ語でようこそ(WELCOME)は何と言うのが一番適切か?
(※出来れば現地の表記が知りたいです)
ギニアビサウの方が見て、ギニアビサウ国を代表する模型だと
感じられる模型は何がふさわしいと思われるか?
※日本なら「富士山」「お城(姫路城?)」「スカイツリー?」等々
突然のお願いで大変恐縮ですが、
もしご存知でしたらお教え願えれば幸甚でございます。
何卒、よろしくお願い致します。
http://www.tokyovirtualworld.com/
RE: ギニアビサウについて
こんにちは。
1 ビサウ語でこんにちは
ビサウ国の公用語はポルトガル語で、WelcomeはBem-vindo(ベンビンド)になります。
部族語はたくさんありすぎて把握できません。
2 模型にふさわしいもの
残念ながら思いつきません。
アフリカは、ご存知のように、文化や民族で国境が決められたわけではなく、欧州列強各国の利益にかなうよう人為的に決められてしまったため、民族・文化の独自性を隣国との比較で示すのが難しいですね。
地形にしても他の西アフリカ諸国と大きく変わる点はなく、世界遺産登録されているような文化遺産もないのではないでしょうか(おそらく)。
どうしてギニアビサウに着目されたのか分かりませんが、どうしても、ということであれば、私の写真に写っている(と思う)藁ぶき屋根の家などどうですか?他の西アフリカ諸国と変わるところはないですが、民家にホームステイさせてもらったので、個人的にはビサウの印象として強く残っています。
では
km
> はじめまして
>
> 私、旅行と模型を趣味にしている「ばーちゃわーるど」と申します。
>
> 実はこの度、ギニアビサウの方を想定した模型を製作したいと考えているのですが、
> 情報が少なくて困っております。
>
> もしご存知でしたら次の点につきまして
> ご教授いただけないでしょうか。
>
> ギニアビサウ語でようこそ(WELCOME)は何と言うのが一番適切か?
> (※出来れば現地の表記が知りたいです)
>
> ギニアビサウの方が見て、ギニアビサウ国を代表する模型だと
> 感じられる模型は何がふさわしいと思われるか?
> ※日本なら「富士山」「お城(姫路城?)」「スカイツリー?」等々
>
> 突然のお願いで大変恐縮ですが、
> もしご存知でしたらお教え願えれば幸甚でございます。
>
> 何卒、よろしくお願い致します。
>
>
>
> http://www.tokyovirtualworld.com/
>2014年01月29日19時43分 返信するRE: ご回答ありがとうございます。
km様
ご回答ありがとうございます。
ご丁寧な解説、大変参考になしました。
なかなか日本では手に入らない情報、誠にありがとうございます。
是非参考にさせて頂きます♪
貴重な情報ありがとうございました。m(_ _)m
2014年01月30日09時44分 返信する -
懐かしい〜^^
ナウル、住んでました!
まさに黄金期です。
父と母、姉と私の4人、後に祖母も加わって5にんで。
現地には私たちのほかに日本人家族が1組。あとは大学生の女性が二人旅行に来ていて、折り紙で羽ばたく鶴を教えてくれたりしました。
居たのは1974年から1976年まで。
幼稚園に通い、休みじかんにはみんなでトカゲを捕まえて、シッポを切って誰のトカゲのシッポが一番長く動いているか競争しました。
ダブイダボ(ナウル人)や、ホテルのメイドさんたちのエベンジョン、ルーシー、幼稚園で友達だったダイアン。
本当になつかしいです。
となりに座ったナウルの女性に素敵な宝石ね、と母が言ったら じゃああげるわ、とそのまま指輪をもらったそうです。
ナウルの人は基本、とても人見知りが激しく、友達の友達はもう知らない人扱いです。
今でも家族でナウルの話に花が咲きます。
もう一度!行ってみたいなあ〜!! -
ナウルの思い出
久しぶりにナウルという国名を聞きました。わたしがナウルを訪れたのは、今から26年前の1985年だったと思います。当時、大学4年生だった私は、
友達2人と卒業旅行でニュージーランドへ行くのになぜかエアーナウルを
使い 大阪ーグァムーナウルーミクロネシアの国々を経由して48時間ぐらいかけてオークランドへ行きました。当時はまだ、虎ノ門にエアーナウルの支店があり、そこでチケットを買いましたが、かなり怪しい感じでした。
ナウルには、往復で2度立ち寄りましたが、今でもよく覚えています。
最初の入国の時は、夜中に到着したので一番にイミグレに駆けつけたにもかかわらず、入管で、ナウル経由でニュージーランドへ行く日本人などいなかったらしく、ニュージーランドのVISAが無いから、いきなり入国拒否になりかけ(当時から日本人はVISAの必要なし)別室で1時間くらいもめ、ようやく
相手が、なにかの資料でその事実を理解し解放されたころには、もう誰も乗客は、空港にはいませんでした。その後,唯一の”メネンホテル”で、仮眠した後、ヒッチハイクで一周しましたが、kmさんの写真とは違い、豊かな国でした。映画館、スーパーなどがあり空港の近くにはレストラン(食堂)もありました。その頃は、まだ大統領の写真が飾られていました。空港の職員も腕にROREXをしていました。メネンホテルには”さくら”という日本料理店もあり日本人がいらっしゃるとのことでした。その後に行ったニュージーランドやグァムのホテルをエアーナウルに薦められて予約してもらっていたはずなのに、別のビルに代わってしまってたりと散々な目にあわされましたが、今となっては、思い出深い卒業旅行でした。 -
すごーい
Kmさん
はじめまして
ほとんどの国に行っているのですね。
私には、とてもできないですね。
これから、時々、御邪魔いたします。
お気に入りの国はどちらですか。
パパさんより2011年05月26日12時21分返信するRE: すごーい
パパさん
こんにちわ
>お気に入りの国はどこですか?
答えは一つに絞れませんので、10国挙げさせてもらっています。
<strong>アジア</strong>:インド・中国・インドネシア・イラン・イエメン
<strong>アフリカ</strong>:コンゴ民主・アルジェリア
<strong>ヨーロッパ</strong>:フランス(海外領土含む)
<strong>アメリカs</strong>:ブラジル
<strong>オセアニア</strong>:ソロモン諸島
こんな感じです。
> Kmさん
>
> はじめまして
>
> ほとんどの国に行っているのですね。
>
> 私には、とてもできないですね。
>
> これから、時々、御邪魔いたします。
>
> お気に入りの国はどちらですか。
>
> パパさんより2011年05月26日23時31分 返信する -
国境での写真
国境でよく写真が、とれましたね。私には、その度胸が・・・。トルクメニスタン、2回行きましたが、人々の笑顔がいいですね。クラスノヴォーツクにも、朝鮮の方がいました。ここでは、キムチを売っていました。朝鮮人は、勤勉な方が多いようですね。ドイツ人は、ほとんど、ドイツに行ってしまったようですが。RE: 国境での写真
> 国境でよく写真が、とれましたね。私には、その度胸が・・・。トルクメニスタン、2回行きましたが、人々の笑顔がいいですね。クラスノヴォーツクにも、朝鮮の方がいました。ここでは、キムチを売っていました。朝鮮人は、勤勉な方が多いようですね。ドイツ人は、ほとんど、ドイツに行ってしまったようですが。
ウラジオストク様
中央アジアは社会のシステムが非常にロシア的ですが、話してみるとアジア人だと感じることがよくあります。人々の接し方もヨーロッパとは違いますよね。
ちょうどカザフスタンの旅から帰って来たばかりですが、カザフの国境の税関の役人たちと仲良くなったところ、写真OKしてもらえました。2010年07月20日11時39分 返信する -
はじめまして
はじめまして、Bintangと申します。
kmさんの旅行記何度か拝見させていただいております。自分が初めて海外へ行く前あるいは行った後、世界中を旅行してきた方はその国に行ってどう思われたのか、知りたいからです。
さて、先日ラオスへ行ってきて、(ラオスは好きで何度か行っているのですが)ビエンチャンの国立博物館へ行ったのですが、こちらの写真と同じ絵を見かけたので、思わずコメントしてしまいました。というのも、kmさんがラオスへ行かれたのは94年、私は先月に行ったのに、同じ絵をまだ飾っていたなんて…10年以上も同じ絵を飾っているようです。
今現在博物館内は撮影禁止ですので、写真はありませんが、とても印象に残っています。RE: はじめまして
Thank you for your comment;
Currently; I am travelling AFRICA. I will get back to you when I can read and wright Japanese:
Thanks:
km2009年07月22日05時16分 返信するRE: RE: はじめまして
Thank you for message from Africa!
ご旅行中でしたのに、コメントありがとうございました。
ブログのほうを拝見して、今どちらにいらっしゃるんだろう?と見ています。
帰国をお待ちしております。お気をつけて旅を続けてくださいね。2009年07月23日17時23分 返信するRE: はじめまして
Bintangさん
お返事大変遅くなり恐縮です。
アフリカの旅を終えてから引越し、ようやくインターネットが開通しました。
さて、ラオスの写真、確かフランス軍がラオス人を虐殺しているシーンが油絵になっているやつですね。死体を袋づめにしているのが生々しくて、記録のために写真をとってきた記憶があります。もう10年以上前のことなのですが、最近でもまだ展示されているのですね。
私がラオスを始めて訪問した94年(95年?)当時は、まだソ連崩壊から数年後だったため、冷戦下では東側だったラオスでは、共産主義の影響が色濃く見られました。
博物館でも、ソ連の国旗とラオスの国旗がクロスされていたり、植民地支配と祖国の解放という政治的なテーマにフォーカスが当てられていました。
フランスは長くインドシナ半島を支配し、第二次世界大戦敗戦により日本がインドシナから撤退した後も支配を継続、ラオスが独立できたのは戦後しばらくたってからのことだったと思います。私がカメラに収めた一枚は、そのようなフランスとの闘争を描いたものだったと思います。
Bintangさんのお名前は、シンガポールからすぐいけるインドネシア領のビンタン島から来ているのですか?確かインドネシア語で星のイミでしたよね。
ではまた。
km
> はじめまして、Bintangと申します。
> kmさんの旅行記何度か拝見させていただいております。自分が初めて海外へ行く前あるいは行った後、世界中を旅行してきた方はその国に行ってどう思われたのか、知りたいからです。
>
> さて、先日ラオスへ行ってきて、(ラオスは好きで何度か行っているのですが)ビエンチャンの国立博物館へ行ったのですが、こちらの写真と同じ絵を見かけたので、思わずコメントしてしまいました。というのも、kmさんがラオスへ行かれたのは94年、私は先月に行ったのに、同じ絵をまだ飾っていたなんて…10年以上も同じ絵を飾っているようです。
> 今現在博物館内は撮影禁止ですので、写真はありませんが、とても印象に残っています。2009年09月09日11時35分 返信するRE: RE: はじめまして
kmさん、お返事ありがとうございました!
アフリカから戻られたのですね。いかがでしたでしょうか。
長くいろいろなところへ行かれたご様子ですから、きっと一言では語りつくせない、いろいろなことがあったことと思います。
ラオス国立博物館…10年以上も同じものを展示しているなんてすごいですよね(^^;)
kmさんが行かれたときは写真撮影OKだったのでしょうか?今は監視カメラもできて、撮影はできないようになっています。
受付のお姉さんに「内部は撮影禁止?」と一応確認しましたが、やっぱりNGのようでした。
この絵を見て、どこから来た旅行者にでも親切なラオスの人々ですが、アメリカやフランスなどに対してはどのように考えているんだろう?と考えたものでした。
私の名前ですが、そうです!
インドネシア語の「星」を意味する言葉です。
意味云々より、響きが好きで使っています。2009年09月10日20時31分 返信する -
こんにちは
こんにちは。
美しい街の景色の中には悲しい歴史が残っていたのですね。
アパルトヘイト・・・・言葉しか知りませんでしたが、主従関係が崩れたときの悲劇は何処にでも起きるのですね。
主従関係ではありませんが太平洋戦争終了後の中国等でも同じようなことがあったようですね。
やはり物事きれいごとだけでは片付かないものですね。RE: こんにちは
ぶうちゃんさん
こんにちわ
アパルトヘイト時代に白人側に情報提供していた黒人が、アパルトヘイト廃止後に黒人からリンチにあって殺されたことは衝撃的ですが、今も同様のことが世界で起きています。今日の朝刊でも、イランで敵国に対するスパイ行為を行っていたとしてイラン人が処刑されたと報道されています。。http://mainichi.jp/select/world/archive/news/2008/11/24/20081124ddm007030183000c.html
ナチスメンバーやその協力者に対する訴追や責任追及は今でもドイツやその周辺国で行われているし、韓国でも日本軍に協力的だった韓国人が最近でもつるしあげにあっていますね。
ぶうちゃんさんの旅行記見せてもらいました。オーロラ好きなのですね。フィンランドにわざわざ行ってオーロラを見れなかったということ。気持ちわかります。僕も去年アラスカフェアバンクスまでいってオーロラを見れなかったので・・・
ではまた。
km
> こんにちは。
> 美しい街の景色の中には悲しい歴史が残っていたのですね。
> アパルトヘイト・・・・言葉しか知りませんでしたが、主従関係が崩れたときの悲劇は何処にでも起きるのですね。
> 主従関係ではありませんが太平洋戦争終了後の中国等でも同じようなことがあったようですね。
> やはり物事きれいごとだけでは片付かないものですね。2008年11月24日17時51分 返信する