2005/07 - 2005/07
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km777さん
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Ashgabat, Mary, Merv, Sarags
中央アジアの「北朝鮮」、トルクメニスタン。周辺国でトランジットビザ取得のため10日待つことができない社会人・短期旅行者にとって訪問は極めて困難。これまで憧れの国のひとつであった。
独裁度は年々高まり、「鎖国」度は近隣諸国の革命・母堂を受けてますます強まっている。しかし実際に入国してみると以外に普通の国だと分かる。天然ガスの恩恵は意外と国民にいきわたっている。物価は激安。外人料金でも国内線が20ドル。市内バスが50マナトって世界一(1ドルが25,000MTだったか)?!
-Route:
AUHアブダビ---ASBアシュカバード---Mary, Merv-Sarags-Mashad(Iran)
-話せば長い入国までの道のり:
現地旅行会社選択、ルート選択(ヒバ又はマシャドから陸路、バンコク・アムリットサル・アブダビから空路)、インビテーション取得、ビザ準備(日本にはT大使館なし、ウズベクと違いイランボーダーではとれず、アブダビその他中継地でビザ取る時間なし、何とかアシュカバードASB空港で)、トラベルパーミット、現地でのレジスレーション・・・入国書類関連必要書類の多さでは私の知る限り世界一。
-Ashgabat
隔離されたホテル街;トルコ資本ショッピングセンターYimpas;太陽の動きに合わせて24h回る黄金のニエゾフ像;ガイドはロシア人かウズベク人;トルクメン帽子かぶっている人僅少;週末市場見逃す;絨毯博物館(詳しくレポート予定)写真一枚撮る度2.5$;
-Nisa ササン朝(Sasanid Persia)の首都
廃墟系の遺跡;発掘作業は春と秋、毎年新たなコリドーが発見されている
- Anau
竜の模様の入ったモスク;地震で崩壊;地元民がいけにえの羊とともにピクニックに来る;子宝祈念/水天宮に通じるものがある
-Merv
牛やラクダが悠々と通り過ぎる広大な土地に広がるササン朝、セレウコス朝、アラブ、モンゴル帝国、チムール帝国・・・の遺跡群。ゾロアスター教の天国。世界最西の仏教遺跡を含む。
-Saragsボーダー国境越え:
Maryでの宿キャラバンGHは何の表示もない普通のトルクメン人の民家だった。旅行者は私一人。中庭があるゆったりした空間。ウズベキスタンと同じ様式だ。宿のドアを開けてくれたのは15-6歳の娘。大人はでてこない。HelloもWelcomeもなく、パスポート提示を求められることも宿帳を記入することもなく、部屋に通された。その娘が唯一発した言葉は「How Old Are You?」だけ。でも市場で買ったさくらんぼを水で洗ってくれたり、シャワーの使い方をジェスチャーで一生懸命説明してくれる。
朝五時に部屋をノックされる。ドアをあけると誰もいない。不思議な気分のまま薄暗い中庭を見ると、小さなテーブルに朝食が置いてある。朝5時半発の私のために、朝食を用意してくれており、それを知らせるノックだったのか。トルクメンパンとりんごとヨーグルト、そして緑茶。日本の緑茶のように真緑ではないが、トルクメニスタンもアフガン・ウズベク同様砂糖なし緑茶を飲む習慣があるのだ。
約束の5時半になっても車は来ない。大きなバン(11人乗りくらい)が5:45分すぎにやってきた。私一人には大きすぎるので、そのまま通り過ぎるのだろうと思ったら、ドライバーは笑顔で手を振っている。どうやらこの大きなバンで移動するらしい。連れて行ってくれるドライバーはムハンマド。助手席に乗り込みながら私は昨日市場で買ったさくらんぼの食べ残しをムハンマドに手渡す。彼が話せるのはロシア語・トルクメン語のみであり、国境までの250kmの道のりのコミュニケーションが不安になる。
カラクム砂漠、カラクム運河、路上のメロン市、ラクダ、この国ならではの風景を楽しみながら楽しいたびになった。私たちの車のタイヤは砂漠の真ん中でパンクした。道路こそ立派だがこんな大きな車の車体は2人では持ち上げられない。道路こそ立派だが、近くの町までパンクしたタイヤのまま運転するには遠すぎる。私はあせっていたが、通りかかる車が次々ととまって降りてきてくれ、修理を助けてくれた。私はパンク修理を待つ間、用水路の向こうの牛飼い少年と過ごす。「パンク休憩」は思いがけず田舎の人たちの気質を知る良い機会になった。
ムハンマドはチップも要求しないで笑顔のまま250kmの道のりをMaryまで戻っていった。トルクメンーイラン国境は賄賂や遅延で悪名高い。しかし幸運なことにはトルクメン側国境での出国手続きはあっさり終わった。鎖国体制を強めているためか、トルクメン人の商人・家族で国境を越えようとしている人に出会わなかった。個人で国境を越えようとしているのは私だけ、出国手続きをしているのもトルクメン人またはイラン人のトラック運転手ばかりだ。越境の人が少ないの貨物・LPガスのトラックはずらりと並ぶ異様な国境であった。英語もロシア語も書かれていないイミグレ書類、それを私の真横に座って一つ一つ英訳してくれる親切な職員たち。カスタムも写真を撮らせてくれるしとてもフレンドリーだ。緩衝地帯は広く、ここがかつてソ連とイランの国境であったことをうかがわせる。緩衝地帯を通るバスは一応あるそうだが、個人越境者がほとんどいないので待っていたらいつになるか分からない。出国手続きがちょうど終わったトルクメン人のトラックに便乗させてもらうことにする。
国境の水のない川にかかる頑丈な橋の袂で再びパスポートチェック。ここからは歩いて国境の橋を超える。イラン人は外国人に極めてフレンドリーなのは一回目の訪問でよく分かっているけれど、厳つい軍人が迎える対岸に向かって一人渡っていくのは緊張する。すぐに上官のいる部屋に通され、覚えているペルシャ語で挨拶。上官は握手しながら笑顔で「Welcome」。兵役中と思われる若い兵士が一人ついてパッセンジャー某という建物まで案内してくれる。ペルシャ語・英語・ロシア語の3ヶ国語(トルクメン語はなし)で表記された建物で入国検査。男女用に分かれた待合室。私は男だが外人のためか女性用の部屋で待機。写真はだめだと念を押される。賑やかなイラントルコ国境とはまるで違う雰囲気だ。私のほかにいるのはアジアの血が混じっていると思われるへジャブを被った女性がひとりだけ。聞くと中国・トルクメン・ロシアの混血だという。彼女の中国人のおじいちゃんの写真をみせてもらう。彼女の体はシルクロード交易の賜物なのだ。
しばらく待たされたがやっとパスポートを持っていった軍人に呼ばれる。「Mr.。。。」そう。この国では人を敬称や愛称をつけて呼ぶのが普通だったね。「Aga(Mr.)」とかジューン(ちゃん)つけるんだよね。日本に出稼ぎに来ていたイラン人が「ハッサン」とか呼び捨てにされるのはあまり好きではないといってたっけ。ひげの軍人は私を呼ぶと、無言のまま、私のパスポートの写真と私の顔をじっとみくらべている。ハザラ系アフガン人と疑われいるのだろうか。それとも私によく似た男がブラックリストに載っているのだろうか。不安だ。もう20回くらいだろうか、軍人は頭をたてにコクコクと振りながら目線をパスポートと私の顔との間をひたすら往復させている。その間全く質問は発せられず無言である。私は不安を通り越して噴出しそうになりながらじっと彼の英断を待つ。この国境を通る日本人個人旅行者はそんなに珍しいのだろうか。
ついに「OK,」はでた。税関に通される。しかしそこには役人がいない。個人越境者がほとんどいないから事務所に引っ込んでしまっているようだ。軍人に頼んでやっとでてきたもらった荷物検査係はへジャブを被った知的な女性。女性の役人で賄賂を要求してきたのはこれまでアルジェリアくらいなのでまずは問題なく通してくれるだろう。案の定私の荷物を開けることもなく通してくれた。屋根の上のペンキ塗りも手を振って挨拶してくる。こんなイランが好きだ。入管の敷地の外にいるタクシー運転手に「ドルしかないよ」というと両替屋を紹介してくれた。税関職員が言っていたレートと同じだ。イランの交通費も激安なので、200km先の聖なる町Mashadまで3ドルくらいでいける。とりあえず20ドル両替。タクシーはすぐそばの乗り合いバスまで私をのせて行くとまた国境に戻っていった。
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Yimpas:
首都アシュガバートは、まるで外国人を隔離するかのように、郊外のBerzenci地区にホテルがまとまっている。企業誘致を目的にしたのか道路の片側はほとんど空き地のままで、奇妙な光景が広がっている。もっともうわさで聞いていたよりは建物建築が進んでいるようだ。普通の町の生活が見たくて、タクシーでショッピングセンターYimpasに行く。さすがトルコ資本だけあって垢抜けていて、地元の若者たちも遊びに来ている。夜11時までやっており、1F食料品・2F家具衣料・3Fレストランと遊技場 -
3Fには卓球場が・・・これもおしゃれなのか。
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朝食は隣のホテルで取れと言われた。同系列なのだろう。ロシア語のコメディを見ながら一人ビュッフェ。
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ヨーグルト・緑茶・・・
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国中どこでも見られる、ニエゾフ大統領。永世中立の塔には彼の黄金像が建っており、これが太陽の動きに合わせて24h回転している。上に上がると見晴らしが良いそうだが、エレベータ故障のため断念。「こんなことは今日だけ」といっていたが実際どうなのか。
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ニエゾフが書いたスピリチュアル・ブック。学校で子供たちは必ずこの本を勉強する。この巨大な本の模型は公園で撮影。午後五時になると開いて音楽がかかるそうだ。
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車の窓にもニエゾフ。地震で死んだニエゾフの母と兄弟の銅像まである。お札もニエゾフ・・・確かにこの個人崇拝振り、個人旅行の制限振りはまるで北朝鮮のようだ。
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でも人々の表情は明るく、自由が感じられるし、何より天然ガスの恩恵も結構国民に行き届いている。衛星放送受信の自由だって認められている。思った以上に普通の国だ。少なくとも北朝鮮とは同列に語れない。
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Anau:
ASB郊外にある遺跡。15Cチムール帝国時代に栄えたこのあたりは、1948年の地震で崩壊。修復のあまり進んでいない廃墟系遺跡が好きな私は、少し原型を留めている霊廟の青いタイルにひきつけられた。 -
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お参りすると子宝に恵まれるという。
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Nisa:
ASB郊外。ペルシャ系パルティア朝の首都だったが、同じくペルシャ系のササン朝に滅ぼされた。まだ発掘作業中で修復はそれほど進んでいない。 -
ゾロアスター教寺院の跡などはガイドに説明してもらわないと全く分からない。
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ASBの東西南北にある門
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絨毯博物館:
1Hたっぷり説明してもらえる。「水はトルクメン人の命、馬はトルクメン人の風、そして絨毯はトルクメン人の魂」。模様で民族や地域が分かる。インディゴ以外の原料はすべて国内でとれるが、最近は化学染料も四区使っている。非常に興味深いお勧めの場所。 -
世界最大の絨毯。これだけで何トンもあるらしい(性格には手帳にメモしてあるんですが)。館内では写真一枚ごとに2.5ドルとられる。これは伝統の模様など登用されないための工夫だろうか。
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Rus Bazar ロシア市場
大きなメロンを丸ごともらった。新疆ウイグル産のような甘さはなく、品種改良が進んでいない印象を受けた。 -
メロンよりお勧めなのがイチジク。忘れられない味になりました。
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朝鮮系の女性。ハングルは話せないという。野菜の酢漬けを売っていたがキムチはなかった。
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ASBからMary(後ろにアクセントを置かないと通じない)まで国内線で飛ぶ。500kmくらいか。外人料金なのにわずか20ドルという安さ。外人は私一人。空港でのアナウンスはロシア語(とトルクメン語?)のみで英語はなく、ちょっと不安だった。
空港についてそのままMervツアーへ。ガイドはロシア人のおばちゃん。なぜか娘もついてきて、親子で写真なんかとっている。地方の町でロシア人が高等教育を受けるのは困難で、モスクワに行かせる予定なのだとか。別れを惜しむのもいいけど、ガイドちゃんとやってね。
それはいいとして、トルクメン観光の目玉がここ。シルクロード交易の拠点として、アレキサンダー・アケメネス朝・パルティア・ササン朝・アラブ・セルジュク朝・モンゴル・・・それぞれが足跡を残していったこの地。特にセルジュクトルコの都がここに置かれた頃は「東方の真珠」として大変栄えたそうだ。トウモロコシ畑から見える数々の遺跡は時代背景がそれぞれ異なる。 -
Gyz-galaグズガラ
6C ササン朝時期の豪族の城あと。実は1F部分があり、砂に埋もれている。写真に写っている側の壁は波状構造が綺麗に残っているが,反対側は風向きのため風化が進んでいる。 -
かつてはシルクロード交易の要だったこの地もいまはこんなにのどか。
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何事もなかったようにラクダが歩き回り、
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それを少年が追い立てる
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セルジュク朝の都だっただけに、トルコ政府としても放置して置けないらしく、同時期のスルタン・サンジャール廟の修復には全面的に協力している。ところが綺麗に修復しすぎて(とくに内装)、実際にはかなり興ざめである。
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最近になってライトアップも始めたらしい。夜はロマンチックに見えるけれど、せっかくモンゴル軍の破壊を免れた唯一無二の13C の建造物、そのままにしておいて欲しかった。ガイドのおばちゃんも「これじゃサーカスよね」と言っていた。
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13Cの陶磁器の破片が転がっている
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ゾロアスター教の経典アヴェスタではこの世の天国として形容されている大地。麓には世界最西端の仏教遺跡であるグヤ・ウルクカラがある(土の塊でしかない)。夕日が沈んでいくのを見守る。
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Meryの市場
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トルクメンのパン
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ゲストハウスの娘
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カラクム砂漠を一気に南へ、イラン国境を目指す。
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ハンドルに巻いてあるのは、ラクダの毛でつくったお守り。あまり効果がないのか、タイヤはパンクしてしまい、カラクム砂漠の一本道で立ち往生。でも通る車がとまって助けてくれた。牛飼いの少年も近づいてきた。
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やっと国境のサラフスの町へ
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イラン国境までの緩衝地帯を載せてくれたドライバー
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おまけ:伝統的結婚式の様子
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この旅行記へのコメント (2)
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- 哈桑湖さん 2010/07/19 13:25:20
- 国境での写真
- 国境でよく写真が、とれましたね。私には、その度胸が・・・。トルクメニスタン、2回行きましたが、人々の笑顔がいいですね。クラスノヴォーツクにも、朝鮮の方がいました。ここでは、キムチを売っていました。朝鮮人は、勤勉な方が多いようですね。ドイツ人は、ほとんど、ドイツに行ってしまったようですが。
- km777さん からの返信 2010/07/20 11:39:39
- RE: 国境での写真
- > 国境でよく写真が、とれましたね。私には、その度胸が・・・。トルクメニスタン、2回行きましたが、人々の笑顔がいいですね。クラスノヴォーツクにも、朝鮮の方がいました。ここでは、キムチを売っていました。朝鮮人は、勤勉な方が多いようですね。ドイツ人は、ほとんど、ドイツに行ってしまったようですが。
ウラジオストク様
中央アジアは社会のシステムが非常にロシア的ですが、話してみるとアジア人だと感じることがよくあります。人々の接し方もヨーロッパとは違いますよね。
ちょうどカザフスタンの旅から帰って来たばかりですが、カザフの国境の税関の役人たちと仲良くなったところ、写真OKしてもらえました。
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