さすらいおじさんさんのクチコミ(64ページ)全3,789件
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投稿日 2013年04月28日
総合評価:4.0
大鳥大社(おおとりたいしゃ、大鳥神社)は、大阪府堺市西区鳳北町にある神社で埼玉県の鷲宮神社とともに全国の「大鳥信仰」の本社とされ「大鳥大明神(おおとりだいみょうじん)」「大鳥大神宮(おおとりのおおがみのみや)」などともいわれた。日本武尊は西征して熊襲を平定し東征して東国を平定したが、伊吹山で病に倒れ伊勢国能褒野で薨去する。遺体はその地に葬られたが陵墓から魂が白鳥となって飛んで大和国琴引原で留まり、また飛び立って河内国古市に降りたが最後に大鳥の地に舞い降りたので社を建てて祀ったとされこれが大鳥神社の始まりとされる。神域は千種森(ちぐさのもり)と呼ばれ、白鳥が舞い降りた際、一夜にして樹木が生い茂ったと言われる。開運・商売繁盛の神として信仰されている。
- 旅行時期
- 2012年11月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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境内は大阪府指定史跡で見所が多い大阪府堺市家原寺(えばらじ)
投稿日 2013年04月28日
総合評価:4.0
家原寺(えばらじ)は、大阪府堺市西区の高野山真言宗寺院で704年に行基(ぎょうき、668−749年)が生家を寺に改めた行基建立寺院の第一号とされている。
家原寺は智恵の文殊を本尊(本堂)とし境内には池、開山堂、行基塚、納骨堂、本坊、宝物庫、経蔵、薬師堂、地蔵堂、鐘楼堂、弁天堂、不動堂、山門、塔、中寺、新四国霊場、動物供養堂などを配置し伽藍を形成している。境内地は2万坪に及び昭和に入って本坊、山門、本堂、三重塔の再建等復興したそうだ。行基菩薩行状絵伝は重要文化財、家原寺境内は大阪府指定史跡で見所が多い寺だ。- 旅行時期
- 2012年11月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.0
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二町四方、六つの塔頭を有していた堺市堺区の大安寺(だいあんじ)
投稿日 2013年04月28日
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茶人の千利休が修行をした寺、大阪府堺市の南宗寺(なんしゅうじ)
投稿日 2013年04月28日
総合評価:4.0
南宗寺(なんしゅうじ)は大阪府堺市堺区にある臨済宗大徳寺派の寺院で茶人の千利休が修行をした寺、大坂夏の陣で徳川家康が戦没したという伝説が残る寺として知られる。1557年河内飯盛山城主・三好長慶(みよしながよし)が父・三好元長の菩提を弔い大徳寺に開山を依頼して創建。
仏殿は1653年建立の禅宗様仏殿で1647年建立甘露門とも称する入母屋造、本瓦葺きの山門、仏殿の右方にある唐門とともに国の重要文化財に指定されており境内は江戸時代の禅宗寺院の雰囲気をとどめている。
建造物は他に総門、鐘楼、禅堂、坐雲亭、方丈、千利休好みと伝えられる実相庵などがある。- 旅行時期
- 2012年11月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.0
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仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)と呼ばれている大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)
投稿日 2013年04月27日
総合評価:3.5
大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)は、大阪府堺市堺区大仙町に存在する日本最大の前方後円墳で宮内庁により仁徳陵古墳(にんとくりょうこふん)と治定されており、百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)との陵号で一般的には仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)と呼ばれている。
仁徳陵古墳は世界最大の前方後円墳で全長486m、面積約46万平米、三重の濠に囲まれている。エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦の始皇帝陵と並ぶ世界3大陵墓の一つ。
5世紀中頃に約20年をかけて築造されたと推定され、北側の反正(はんぜい)陵、南側の履中(りちゅう)陵とともに百舌鳥(もず)耳原(みみはら)三陵とよばれている。- 旅行時期
- 2012年11月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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仁徳陵古墳(にんとくりょうこふん)に近い三国ヶ丘駅(みくにがおかえき)
投稿日 2013年04月27日
総合評価:3.5
三国ヶ丘駅(みくにがおかえき)は、大阪府堺市堺区向陵中町の南海電気鉄道・西日本旅客鉄道の駅で南側から仁徳陵古墳まで徒歩で行ける。大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)は、大阪府堺市堺区大仙町に存在する日本最大の前方後円墳で宮内庁により仁徳陵古墳(にんとくりょうこふん)と治定されており、百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)との陵号で一般的には仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)と呼ばれている。
- 旅行時期
- 2012年11月
- 施設の快適度:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
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「開口三村大明神」と呼ばれ崇敬された開口神社(あぐちじんじゃ)
投稿日 2013年04月27日
総合評価:3.5
開口神社(あぐちじんじゃ)は、堺市堺区にある神社で住吉大社の住吉三神を一つにして神徳を現した神とされる塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)を祀り「住吉の奥の院」と呼ばれる。また素盞嗚神(すさのおのかみ)、生国魂神(いくくにたまのかみ)を合祀している。古代から中世にかけて、付近は開口(あぐち)村で「開口三村大明神」と呼ばれ崇敬されたが1945年の堺大空襲により本殿、三重塔など焼失し1961年に再建されている。
- 旅行時期
- 2012年11月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2013年04月26日
総合評価:3.5
与謝野 晶子(よさの あきこ1878−1942年)は堺の老舗和菓子屋「駿河屋」の3女で歌集『みだれ髪』(1901年)で女性の自我と官能を表現し日露戦争時の1904年には旅順攻囲戦に加わっていた弟を嘆いて『君死にたまうことなかれ』を『明星』に発表した。言論弾圧がまだ厳しく無かったとは言うものの勇気を持って女性の官能表現と戦争批判を行った革命的な女性文学者だった。
与謝野晶子生家跡の碑は宿院電停から大小路電停方向に100mほど歩いた左側の歩道沿いにある。- 旅行時期
- 2012年11月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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最古の木製洋式灯台のひとつ大阪府堺市旧堺燈台(きゅうさかいとうだい)
投稿日 2013年04月26日
総合評価:3.5
旧堺燈台(きゅうさかいとうだい)は、大阪府堺市堺区大浜北町にある木製洋式灯台跡で現存する最古の木製洋式灯台のひとつとして国の史跡に指定されている。木製の六角形の灯台で高さは11.3m、1877年から1968年まで使用され1972年に国の史跡に指定されている。
与謝野 晶子(よさの あきこ1878−1942年)は堺の老舗和菓子屋「駿河屋」の3女で歌集『みだれ髪』(1901年)で女性の自我と官能を表現し日露戦争時の1904年には旅順攻囲戦に加わっていた弟を嘆いて『君死にたまうことなかれ』を『明星』に発表した。言論弾圧がまだ厳しく無かったとは言うものの勇気を持って女性の官能表現と戦争批判を行った革命的な女性文学者だった。
与謝野晶子生家跡の碑は宿院電停から大小路電停方向に100mほど歩いた左側の歩道沿いにある。- 旅行時期
- 2012年11月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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陸軍の砲台跡に南公園として開設した大浜公園(おおはまこうえん)
投稿日 2013年04月26日
総合評価:3.5
大浜公園(おおはまこうえん)は大阪府堺市堺区大浜北町の公園で阪田三吉と関根金次郎が将棋の対局を行った一力楼という料亭があった場所として知られる。江戸時代に開催されていた魚市場跡に近いことから、毎年夏には堺大魚夜市が開催されている。
学生相撲大会が開催される相撲場、スポーツ施設、猿山などを中心とした地域公園となっており1879年、大阪府が旧堺港の南にある陸軍の砲台跡に南公園として開設している。
園内には堺市立大浜体育館、堺市立大浜公園相撲場、大浜公園野球場、大浜公園プール、明治天皇御駐蹕之跡、明治天皇の巡幸記念碑、猿飼育舎などがある。- 旅行時期
- 2012年11月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2013年04月26日
総合評価:3.5
大阪府堺市では江戸時代初めの建築物とされる町家「山口家住宅」(国重要文化財)が2009年11月から「堺市立町家歴史館」として公開されている。阪堺電気鉄道阪堺線の「綾ノ町」駅から徒歩約3分で「歴史館」に到着する。「山口家住宅」の建物は約950?の敷地に建つ15の部屋を持つ2階建てで、1階の太い梁のかかった広い土間が特徴の建物であり、建築手法から1615年ごろの建築と推定されている。「山口家住宅」近くには御用鉄砲鍛冶として重用された榎並屋勘左衛門(えなみやかんざえもん)と徳川家康への鉄砲製造などの功により高須の地を賜った芝辻理右衞門(しばつじりえもん)の屋敷跡が残っており、鉄砲の街として栄えたことがわかる。
- 旅行時期
- 2012年11月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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真田十勇士の1人・三好伊三入道のモデル三好政勝開基の堺市の善長寺
投稿日 2013年04月25日
総合評価:3.5
堺市の善長寺は1549年に三好政勝(みよし まさかつ、1536−1632年)が父の三好政長(1491−1549年、法名宗三) の菩提所として三好政長戦死の日を開基としてい建立している。
三好 政勝は、摂津榎並城主。細川晴元と三好長慶の対立の中で、父政長が長慶に殺害(江口の戦い)されると讃岐の香西元成や丹波の波多野晴通と通じ長慶に対して徹底して戦った。長慶の死後は、三好一族として長慶の後を継いだ義継を補佐し、織田信長が上洛すると三好三人衆や三好康長らと共に和泉の織田方の城を落し、将軍義昭を本圀寺に攻め(本圀寺の変)反信長戦線に加わった。だが織田軍に敗れ信長に降伏、叡山攻囲戦には織田軍に加わって戦っている。本能寺の変後に豊臣秀吉に仕えたとされ、1592年の文禄の役に肥前名護屋の本丸番衆を務める馬廻を拝し秀吉の死後は徳川家康に仕え、関ヶ原の戦い後は旗本として大和で2020石を領し大坂の陣にも出陣し96歳の長寿を全うした。三好 政勝は勝ち馬に乗る名人だったのだろう。このしぶとさと処世術からか、真田十勇士の1人・三好伊三入道のモデルとされている。- 旅行時期
- 2012年11月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2013年04月25日
総合評価:3.5
西本願寺堺別院は「北の御坊さん」と呼ばれており足利義氏(あしかがよしうじ、1189−1254年)の四男・道祐(どうゆう)が、本願寺三世覚如に帰依して建立したのが始まりとされている。
1476年、本願寺八世蓬如を招き1663年には十三世乗珍が寺地を西本願寺に寄進し西本願寺別院となった。現在の本堂は1825年に再建されたもので、堺市に現存する最大の木造建築とされる。廃藩置県に伴って1871−1881年、本堂と境内の土地が堺県庁として貸与され堺別院は宿院町に移転していたので別院は「堺県庁跡」として大阪府指定史跡になり境内には堺出身の歌人・与謝野晶子の歌碑のほか、高さ20m、幹の周り8.65mの銀杏の巨木が根をおろしている。- 旅行時期
- 2012年11月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2013年04月25日
総合評価:3.5
1543年にポルトガル人が種子島に漂着して鉄砲が伝来すると、堺の商人が火縄銃製作の技術を学び多くの鉄砲がつくられるようになった。
芝辻家は以後代々鉄砲鍛冶として技術をみがき、理右衛門道逸の代には製作精緻を極めるようになった。1611年、徳川家康より鉄張の大筒を作ることを命ぜられた理右衛門は、銃身約3メー トル、口径約39センチメートル、砲弾重量約 5.66キロの国内初の鉄製大筒を製造して献上している。1614年、大坂冬の陣に際して、徳川家康から500挺の鉄砲を急いでつくるように命じられ、それに応えた功績により近隣の高須の地を賜り高須の地には、1681年に芝辻家の子孫により高須神社が創建されている。- 旅行時期
- 2012年11月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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高須神社(たかすじんじゃ)と異なる読みの高須神社駅(たかすじんしゃえき)
投稿日 2013年04月25日
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投稿日 2013年04月24日
総合評価:3.5
七道駅(しちどうえき)は、大阪府堺市堺区鉄砲町の南海電気鉄道南海本線の駅。駅北側のダイセル敷地内の歩道側には、鉄砲試射場跡を示す碑が建っている。七道駅近くで「放鳥銃定限記」と題する江戸初期の鉄砲師範小濱民部丞嘉隆の遺徳を称える漢文が刻まれた1664年築の石碑が発見されたとのこと。駅周辺にはかつては鉄砲鍛冶が多く居住し旧鉄砲鍛冶屋敷が残っており、鉄砲製造の街だったことがわかる。
駅南東には河口慧海の生家跡、河口慧海が学んだ清学院、駅東側には行基が掘削に携わった井戸の跡などがある。- 旅行時期
- 2012年11月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2013年04月24日
総合評価:3.5
1543年にポルトガル人が種子島に漂着して鉄砲が伝来すると、堺の商人・橘屋又三郎が火縄銃製作の技術を学び多くの鉄砲がつくられるようになり、紀州根来に伝わった技術を堺の芝辻清右衛門が学び堺での生産の基礎を作ったとされている。
芝辻家は以後代々鉄砲鍛冶として技術をみがき、理右衛門道逸の代には製作精緻を極めるようになった。1611年、徳川家康より鉄張の大筒を作ることを命ぜられた理右衛門は、銃身約3メー トル、口径約39センチ、砲弾重量約 5.6キロの国内初の鉄製大筒を製造して献上している。- 旅行時期
- 2012年11月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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日本一といわれる高さ1メートル、長さ2メートル余りの吹子が保存されている井上関右衛門家の鉄砲鍛冶屋敷
投稿日 2013年04月24日
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投稿日 2013年04月24日
総合評価:3.5
七道駅(しちどうえき)は、大阪府堺市堺区鉄砲町の南海電気鉄道南海本線の駅。
地名の「七道」は真宗大谷派浄得寺が七堂伽藍を備え付近一帯が寺領だったことが由来で「七堂」が「七道」に変わったとのこと。駅の西側にはロータリーがあり、その中心には河口慧海の銅像が立てられている。
河口 慧海(かわぐち えかい、1866−1945年)は、黄檗宗の僧・仏教学者で探検家。中国や日本に伝承されている漢語に音訳された仏典に疑問をおぼえ、仏陀本来の教えの意味が分かる物を求めて、梵語の原典とチベット語訳の仏典入手を決意。日本人として初めてチベットへの入国を果たしたとのこと。- 旅行時期
- 2012年11月
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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七堂伽藍を備えた寺領だったことが地名の由来の七道駅(しちどうえき)
投稿日 2013年04月23日

































