さすらいおじさんさんのクチコミ(60ページ)全3,789件
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京阪電気鉄道の中之島線(渡辺橋駅)との間を繋ぐ連絡通路がある大阪市営地下鉄四つ橋線肥後橋駅(ひごばしえき)
投稿日 2013年05月23日
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投稿日 2013年05月23日
総合評価:3.5
錦橋(にしきばし)は、大阪市の土佐堀川に架かる歩行者専用橋。 かつては可動堰として機能し、土佐堀川可動堰とよばれた。
大阪市西区江戸堀1丁目と北区中之島2丁目を結び西(下流)に肥後橋(四つ橋筋)が架かっている。
大阪市内6カ所(堂島川、土佐堀川、長堀川、道頓堀川、江戸堀川、京町堀川)に設置された可動堰の一つで、昭和6年(1931年)に設置された。現在は水晶橋とともに遺構として残っている。- 旅行時期
- 2013年01月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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日本銀行大阪支店旧館前にある大阪郵便役所跡(駅逓司えきていし).碑
投稿日 2013年05月22日
総合評価:3.5
日本銀行大阪支店旧館前には大阪郵便役所跡(駅逓司えきていし).碑がある。
わが国最初の郵便制度が設けられたのは、明治4年(1871)3月だった。
まず大阪−京都・東京間の開設があり、日本銀行大阪支店旧館前(元島原藩蔵屋敷)に大阪郵便役所(駅逓司えきていし).がおかれた。大阪郵便役所跡(駅逓司えきていし).碑のそばにある、ユニークなデザインの郵便ポストも目を引く。- 旅行時期
- 2013年01月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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「ドーチカ」の愛称で親しまれている堂島地下センター(どうじまちかセンター)
投稿日 2013年05月22日
総合評価:3.5
堂島アバンザ(どうじまアバンザ)の地階はレストラン街で堂島地下センター(どうじまちかセンター)につながっている。堂島地下センターは1966年に開業された大阪市営地下鉄四つ橋線 西梅田駅の南、キタの南西端にある桜橋交差点南へ伸びる全長約0.3kmの地下街で愛称は「ドーチカ」。梅田の他の地下街同様に商業ビル、駅コンコース、ホワイティうめだ・ディアモール大阪などの地下街と繋がっている。
- 旅行時期
- 2013年01月
- アクセス:
- 4.0
- お買い得度:
- 3.5
- サービス:
- 3.5
- 品揃え:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
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宇宙船のカプセルのようなユニークな外観、堂島薬師堂(どうじまやくしどう)
投稿日 2013年05月22日
総合評価:4.0
堂島薬師堂(どうじまやくしどう)は、大阪府大阪市北区にある薬師堂で「堂島」の地名の由来になったとされている。1999年に堂島アバンザの庭園内に再建されマジックミラーを組み合わせ宇宙船のカプセルのようなユニークな外観になっており、初めて見たときは芸術家によるモニュメントではないかと思った。
聖徳太子が四天王寺創建時、暴風雨で難破した建築用木材の運搬船が流れ着いたところに堂宇を建てたのが起源と伝わっており堂島は明治時代まで堂島川と曽根崎川(蜆川)に挟まれた中州の島で、薬師堂のある島が「堂島」の地名になったと言われている。 戦後毎日新聞大阪本社の社屋拡張により東方へ移転したが堂島アバンザ建設にあたり創建時の場所に戻したそうだ。
堂内には薬師如来像(室町時代作)、地蔵菩薩像、弘法大師像などが安置され、節分の日には厄払いと鬼追い行事が行われる。- 旅行時期
- 2013年01月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.0
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毎日新聞大阪本社の旧社屋跡地に建設されている堂島アバンザ(どうじまアバンザ)
投稿日 2013年05月21日
総合評価:4.0
堂島アバンザ(どうじまアバンザ)は、大阪府大阪市北区堂島の四つ橋筋に面して建つオフィスビルで毎日新聞大阪本社の旧社屋跡地に建設されている。オープンスペースが敷地の60%で草木が植えられ都心のオアシスになっており、ユニークな外観の堂島薬師堂も設置されている。
- 旅行時期
- 2013年01月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 一人当たり予算
- 5,000円未満
- 利用形態
- ディナー
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- サービス:
- 3.5
- 雰囲気:
- 3.5
- 料理・味:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 観光客向け度:
- 3.0
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渡辺津(上町台地の北端とされる)から名つけられたとされている渡辺橋(わたなべばし)
投稿日 2013年05月21日
総合評価:3.5
渡辺橋(わたなべばし)は、浪速の名橋50選にも選定されている大阪市北区堂島と中之島を結ぶ堂島川に架かる橋で四つ橋筋にある。
現在の地に渡辺橋が最初に架けられたのは江戸時代で堂島開発の一環として架けられた5つの橋(大江橋、渡辺橋、田蓑橋、堀江橋、船津橋)のうちの1つで渡辺橋の名称は古代大阪の渡辺津(上町台地の北端とされる)からとられたとされている。
現在の渡辺橋は、大阪市営地下鉄四つ橋線の建設と高潮対策から1966年に架け替えられたもの。- 旅行時期
- 2013年01月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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肥後熊本藩の蔵屋敷があったことに由来している肥後橋(ひごばし)
投稿日 2013年05月21日
総合評価:3.5
肥後橋(ひごばし)は1966年完成の大阪市西区土佐堀と大阪市北区中之島を結ぶ土佐堀川に架かる橋で四つ橋筋にある。橋の周辺一帯は高層ビルが林立する大阪有数のオフィス街で大阪市営地下鉄四つ橋線が肥後橋の地下を通過し橋の南詰には大阪市営地下鉄肥後橋駅がある。
「肥後橋」の名は江戸時代橋の北詰の中之島に肥後熊本藩の蔵屋敷があったことに由来しており周辺には中華風の建物が目を引く北京料理 徐園(じょえん)などビジネスマンの昼・夕食レストランやリーガ中之島イン、チサンイン梅田、アパホテル大阪肥後橋駅前などのホテルもある。- 旅行時期
- 2013年01月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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中之島フェスティバルタワーに新装された大阪を代表する音楽ホール、フェスティバルホール
投稿日 2013年05月20日
総合評価:4.0
中之島フェスティバルタワー(なかのしまフェスティバルタワー)は、大阪市北区中之島2丁目の超高層ビルで朝日新聞社、朝日ビルディングが進めている、四つ橋筋を挟んで相対する新朝日ビルディングとフェスティバルホール、大阪朝日ビルと朝日新聞ビルを高さ200メートルの2棟の超高層ビル(ツインタワー)へ建て替える「大阪・中之島プロジェクト」として、東地区は2010年1月9日に着工、2012年11月6日に完成した。
フェスティバルホールは大阪を代表する音楽ホールで音楽以外でも演劇、集会などさまざまな用途で使われてきた。旧フェスティバルホールは1958年より旧新朝日ビルディング内にあり長年親しまれてきたが老朽化したためビルの建て替えを行い2013年4月に中之島フェスティバルタワー内に新フェスティバルホールが開館しこけら落とし公演を行っている。- 旅行時期
- 2013年01月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2013年05月20日
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淀屋橋のそばにある民生委員制度の創設をした林 市蔵(はやし いちぞう)像
投稿日 2013年05月20日
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投稿日 2013年05月19日
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投稿日 2013年05月19日
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投稿日 2013年05月19日
総合評価:4.0
日本銀行大阪支店旧館は1903年辰野金吾(たつのきんご1854−1919年)の設計で外装に花崗岩が用いて建造された。日本銀行大阪支店の敷地は江戸時代に島原藩蔵屋敷があった場所だった。辰野金吾の重厚な建物の設計と花崗岩の美しい外装は100年経った現在も褪せていない。
- 旅行時期
- 2013年01月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2013年05月19日
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1日10回定時に平和の鐘「ヒラリヨン」のメロディーが流れる岡東中央公園
投稿日 2013年05月18日
総合評価:3.5
岡東中央公園は枚方市役所前にあるいろいろなイベントなどに利用される公園。
枚方市には戦前火薬製造所など旧陸軍施設が3か所ありその一つ禁野火薬庫が1939年3月1日に大爆発を起こし、約700人の死傷者を出した。この惨事を風化させないよう1982年に大阪府内で初めて「非核平和都市」を宣言し爆発から50年目の1989年に3月1日を「枚方市平和の日」と定め毎年記念行事を行っている。
平和の鐘「ヒラリヨン」(カリヨン)は、21世紀の平和のシンボルとして1997年に市制50周年を記念して岡東中央公園に建設された。
カリヨンとは調律された鐘を複数組み合わせてメロディーを演奏する組み鐘のことで市民公募により決定された愛称「ヒラリヨン」は、枚方とカリヨンの合成語。
ヒラリヨンからは1日10回定時にメロディーが流れ人々に親しまれている。- 旅行時期
- 2012年12月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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七夕伝説を欄干に刻んでいる枚方市天野川の天津橋(あまつばし)
投稿日 2013年05月18日
総合評価:3.5
枚方市、交野市のあたり一帯は平安時代頃から「交野が原」と呼ばれ日本の七夕伝説発祥地との説がある。
平安時代初期桓武天皇は「交野が原」に北極星を祭り国家の安泰を祈願し狩猟を楽しんだといわれる。
「交野が原」は貴族の遊猟地として栄え『古今集』には在原業平が惟喬親王の狩猟の供をした時に『狩り暮し 棚機津女(たなばたつめ)に 宿借らむ 天の川原に 我は来にけり』と詠んだ歌が載っており、この頃には既に七夕の伝説が定着していたものと考えられている。
天野川を始め「星田」「星ヶ丘」「中宮」(北極星のこと)など七夕や星に関わる地名が多く生まれたのもこの頃だと言われている。
天野川に架かる橋にも「逢合橋(あいあいはし)」「 鵲橋(かささぎはし)」「天津橋(あまつばし)」(天の港の意味)など七夕伝説にちなむ名が付けられている。「 鵲橋(かささぎはし)」は七夕の夜牽牛星(彦星)と織女星(織姫)との年に一度の逢瀬のためにかささぎが羽を広げて橋をかけ2人を逢わせたと言う想像上の橋の名で天野川が淀川に注ぐ合流点近くの橋にかささぎの名を冠したもの。彦星、織姫の年に一度の逢瀬のためにかささぎが羽を広げて橋をかけ2人を逢わせた場面が「 鵲橋(かささぎはし)」「天津橋(あまつばし)」の金属の高欄に彫り描かれている。- 旅行時期
- 2012年12月
- アクセス:
- 3.5
- 景観:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
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駅周辺の再開発がすすみ新しい店も多い京阪枚方市駅(ひらかたしえき)
投稿日 2013年05月18日
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投稿日 2013年05月17日
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投稿日 2013年05月17日
総合評価:3.5
野中寺境内にあるヒチンジョ池西古墳石棺は塚穴古墳(来目皇子墓−くめみこのはか)の西方にあった古墳で1948年頃の開墾(かいこん)の際に発見された横口式石槨の古墳。横口式石槨は精巧に加工した凝灰岩(ぎょうかいがん)を組み合わせて作られており内部からは銅製釘や黒漆(くろうるし)の残片が見つかっているので漆を塗った木棺が安置されていたと考えられている。横口式石槨の形態などから7世紀末葉に築造されたものとみられ発見直後に野中寺境内に移され1973年に大阪府指定文化財になっている。
古墳のあった羽曳野丘陵一帯はかつて寺山と呼ばれ同じような終末期古墳や奈良時代の火葬墓(かそうぼ)が多く、周辺に居住していた渡来系氏族たちの墳墓と考えられている。- 旅行時期
- 2012年11月
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5

































