真田十勇士の1人・三好伊三入道のモデル三好政勝開基の堺市の善長寺
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- 旅行時期:2012/11(約13年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
堺 クチコミ:46件
堺市の善長寺は1549年に三好政勝(みよし まさかつ、1536−1632年)が父の三好政長(1491−1549年、法名宗三) の菩提所として三好政長戦死の日を開基としてい建立している。
三好 政勝は、摂津榎並城主。細川晴元と三好長慶の対立の中で、父政長が長慶に殺害(江口の戦い)されると讃岐の香西元成や丹波の波多野晴通と通じ長慶に対して徹底して戦った。長慶の死後は、三好一族として長慶の後を継いだ義継を補佐し、織田信長が上洛すると三好三人衆や三好康長らと共に和泉の織田方の城を落し、将軍義昭を本圀寺に攻め(本圀寺の変)反信長戦線に加わった。だが織田軍に敗れ信長に降伏、叡山攻囲戦には織田軍に加わって戦っている。本能寺の変後に豊臣秀吉に仕えたとされ、1592年の文禄の役に肥前名護屋の本丸番衆を務める馬廻を拝し秀吉の死後は徳川家康に仕え、関ヶ原の戦い後は旗本として大和で2020石を領し大坂の陣にも出陣し96歳の長寿を全うした。三好 政勝は勝ち馬に乗る名人だったのだろう。このしぶとさと処世術からか、真田十勇士の1人・三好伊三入道のモデルとされている。
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3.5
- アクセス:
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- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
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- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2013/04/25
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