さすらいおじさんさんのクチコミ(113ページ)全3,789件
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- 基本情報
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投稿日 2011年12月13日
総合評価:4.0
神戸市立須磨海浜水族園(こうべしりつすまかいひんすいぞくえん)は、神戸市須磨区の須磨海浜公園内にある水族館で1957年に開園した大型水族館のさきがけ。イルカショーが人気。
アクセスーー鉄道 JR神戸線 須磨海浜公園駅 徒歩5分、山陽電鉄本線 月見山駅 徒歩10分
バス 神戸市営バス 須磨水族園停留所下車 、JR須磨駅または山陽須磨駅から81系統で約3分- 旅行時期
- 2009年08月
- アクセス:
- 3.5
- 鉄道 JR神戸線 須磨海浜公園駅 徒歩5分、山陽電鉄本線 月見山駅 徒歩10分
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 施設の快適度:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 動物・展示物の充実度:
- 4.0
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「水族園・離宮公園」の観光に便利な月見山駅(つきみやまえき)
投稿日 2011年12月10日
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投稿日 2011年12月10日
総合評価:4.0
松林の続く須磨海浜公園には、須磨海水浴場、神戸市立須磨海浜水族園、球技場、ヨットハーバー、国民宿舎などがあり、1年を通じてにぎわいのある公園。
須磨海水浴場は阪神間有数の海水浴場で、国道2号線に隣接し、JRの須磨駅のそばが海水浴場という交通の便の良さから、関西一円から海水浴客が訪れ、海水浴シーズンは毎年100万人を超える人でにぎわう。
アクセス――JR「須磨海浜公園」駅から徒歩5分 ・山陽電鉄「月見山」駅から徒歩10分- 旅行時期
- 2009年08月
- アクセス:
- 4.0
- JR「須磨海浜公園」駅から徒歩5分 ・山陽電鉄「月見山」駅から徒歩10分
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2011年12月01日
総合評価:4.0
中書島駅(ちゅうしょじまえき)は、京都市伏見区葭島(よしじま)にある、京阪電気鉄道の駅。
伏見港公園、寺田屋(幕末、坂本龍馬が定宿し、寺田屋事件の舞台になった旅館)、 長建寺、月桂冠大倉記念館、十石舟 - 濠川の遊覧船などの最寄駅で伏見の徒歩観光に便利な駅。
駅名の由来は文禄年間、中務少輔の職にあった脇坂安治が宇治川の分流に囲まれた島に屋敷を建て住んだことから「中書島」の名前が生まれたとされる。中務少輔の唐名が「中書」であったことから、脇坂は「中書(ちゅうじょう)さま」と呼ばれていた。その「中書さま」の住む屋敷の島という理由で「中書島」と呼ばれるようになったそうだ。- 旅行時期
- 2009年05月
- 施設の快適度:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
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投稿日 2011年12月01日
総合評価:4.0
濠川畔の月桂冠発祥地に建つ酒蔵(1909年)築)を改装し、創業350年にあたる1987年に開設された、伏見の酒造りをテーマとする博物館。館内のルートは酒造り工程順になっており、館所蔵の京都市有形民俗文化財の酒造用具類6,120点のうち400点、焼印・朱印・銅板・金型などの出荷用具、樽造り用具まで常設展示している。
月桂冠大倉記念館(1909年築)と館所蔵の「伏見の酒造用具」は、「内蔵酒造場(1906年)築)」、「月桂冠旧本社(1919年)築)」、「月桂冠昭和蔵(1927年築)」、「旧・大倉酒造研究所(1909年)築)」、および松本酒造酒蔵、十石舟とともに「伏見の日本酒醸造関連遺産」として近代化産業遺産の認定を受けている。
開館時間 ――― 9時30分〜16時30分(入館は16時まで)
休館日―――- 盆、年末年始
所在地 ――― 〒612−8660 京都市伏見区南浜町247番地
アクセス―――京阪本線 中書島駅 徒歩5分 、京阪本線 伏見桃山駅 徒歩10分、近鉄京都線 桃山御陵前駅 徒歩10分、JR奈良線 桃山駅 徒歩18分- 旅行時期
- 2009年05月
- アクセス:
- 3.5
- 京阪本線 中書島駅 徒歩5分 、京阪本線 伏見桃山駅 徒歩10分、近鉄京都線 桃山御陵前駅 徒歩10分、JR奈良線 桃山駅 徒歩18分
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 展示内容:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
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投稿日 2011年12月01日
総合評価:4.0
十石舟(じっこくぶね)は、京都市・月桂冠など55社・法人の出資による株式会社伏見夢工房が運航する遊覧船で京都市伏見区の濠川(宇治川派流)の月桂冠大倉記念館裏の弁天橋から発着する。
江戸時代に伏見の酒や米および人を大坂に運ぶための、宇治川派流から宇治川・淀川を航行する輸送船としてはじまり、明治時代末期まで存続した。
1998年、かつての港町伏見を偲ぶ屋形船仕様の遊覧船として、再び濠川に航路が開設された。往復約1時間弱の船旅で、川の両側に並ぶ酒蔵の風情を楽しむことができる。
運航時間 - 10時から16時20分までの約20分毎(11月下旬から12月上旬までは、10時から15時40分まで)
運休日 - 月曜日(祝日をのぞく)、8月下旬、12月下旬~3月
乗場 - 京都府京都市伏見区南浜町247 月桂冠大倉記念館裏の弁天橋から発着する
料金―大人(中学生以上)1000円、小人(小学生以下)500円
乗場へのアクセスー京阪本線 中書島駅から徒歩5分、京阪本線 伏見桃山駅から徒歩10分、近鉄京都線 桃山御陵前駅から徒歩10分、JR奈良線 桃山駅から徒歩18分- 旅行時期
- 2009年05月
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 乗り場へのアクセス:
- 3.5
- 京阪本線 中書島駅から徒歩5分、京阪本線 伏見桃山駅から徒歩10分、近鉄京都線 桃山御陵前駅から徒歩10分、JR奈良線 桃山駅から徒歩18分
- 車窓:
- 3.5
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投稿日 2011年11月30日
総合評価:4.0
琵琶湖から流れ出た瀬田川は京都に入って宇治川と名前をかえ,さらに木津川,桂川と合流して淀川にはいる。
平安時代宇治の地は貴族の別荘地として栄え,藤原全盛期の遺構,平等院鳳凰堂があるほか,源氏物語の宇治十帖の舞台が点在している。
濠川(ほりかわ)は、豊臣秀吉が伏見城の外堀として開削したのが始まりで明治に入って琵琶湖疏水が開通すると、濠川と繋ぎ琵琶湖由来の水が流された。京阪本線に沿うように南下を続けてきた疏水(鴨川運河)は、黒染発電所の中へ入り一旦暗渠となるが、近鉄伏見駅東方辺りで再び開渠となり濠川(ほりかわ)と名を変えるそうだ。- 旅行時期
- 2009年04月
- アクセス:
- 3.5
- 景観:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
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投稿日 2011年11月30日
総合評価:4.0
伏見桃山駅(ふしみももやまえき)は、京都府京都市伏見区両替町四丁目にある、京阪電気鉄道京阪本線の駅。100mほど東方には近鉄京都線の桃山御陵前駅がある。周辺には伏見桃山陵(明治天皇陵、桃山御陵)、乃木神社、伏見桃山城運動公園、御香宮神社(名水百選)、月桂冠大倉記念館 、伏見十石船など観光ポイントがある。
伏見桃山駅前商店街脇にある源空寺は蓮乗房忍空が住持する草庵だった。忍空は当初法然の「選択集」を非難したが、後に専修念仏を行じ1195年に草庵を念仏道場に改め1612年に幡随意が現在地に移転したが1848年に火災で焼失したとのこと。山門は二層の鐘楼門で伏見城の遺構といわれている。- 旅行時期
- 2009年05月
- 施設の快適度:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
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投稿日 2011年11月30日
総合評価:4.0
長建寺は、京阪電車「中書島(特急停車)」から東へ徒歩3分ほどのところ。東壕川(ひがしほりかわ)端にあり、深紅の土塀と中国風の竜宮門が外見的特徴。真言宗醍醐寺派の寺で、本尊は八臂弁財天(弘法大師作の説もある)で秘仏。
当寺院の起こりは元禄十二年(1699年)中書島を開拓するに当り深草大亀谷
即成就院の塔頭多聞院を移し八臂弁財天(鎌倉時代後期作)を本尊とし祀った事から始まる。
豊臣秀吉没後、徳川3代まで使われた伏見城は元和5年(1619年)廃城後、伏見の町は衰退し、13代目伏見奉行 建部政宇(たけべまさのき)は元禄12年(1699年)、壕川を開拓するとき、深草大亀谷の即成就院の塔頭多門院を分離して現在地に移築した。建部姓の一字と長寿を願いと名づけたのが寺の起こりとされている。
アクセス―――京阪本線 中書島駅 徒歩3分- 旅行時期
- 2009年05月
- アクセス:
- 4.0
- 京阪本線 中書島駅 徒歩3分
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2011年11月29日
総合評価:3.5
山科駅(やましなえき)は、京都府京都市山科区安朱北屋敷町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)と、安朱南屋敷町にある京都市営地下鉄の駅で京都山科の大石神社参拝の拠点駅。
大石内蔵助良雄を祀る京都山科の大石神社(おおいしじんじゃ)は、大石内蔵助良雄(おおいしくらのすけよしお1659−1703年)が京都に隠棲し義挙の議をめぐらしたときに居宅を構えた地に1935年に竣工した大石内蔵助良雄を祀る神社。大石神社は赤穂と京都山科に創建されている。
岩屋寺(いわやじ)は、大石神社に隣接する曹洞宗の寺院で大石内蔵助が赤穂城明け渡し後、妹の夫の縁故でこの寺に隠棲した事で知られており大石寺とも称される。寺の一角には大石内蔵助良雄の遺髪塚や赤穂義士の慰霊碑などがある。毎年討ち入りで吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ1641−1703年)を討ち果たした12月14日には大石神社、大石寺で義士祭が行われている。
アクセス――― JR山科駅より大宅行きバスで約15分。大石神社前下車、徒歩で約3分。地下鉄 「椥辻」下車 徒歩30分または京阪バス「大石神社」下車 徒歩10分- 旅行時期
- 2009年04月
- 施設の快適度:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
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投稿日 2011年11月29日
総合評価:3.5
東野駅(ひがしのえき)は、京都市山科区にある、京都市営地下鉄東西線の駅で山科本願寺跡、蓮如上人墓などの最寄駅。
山科本願寺(やましなほんがんじ)は京都市山科に本願寺8世の蓮如(れんにょ1415−1499年)が建立した寺院だった。1465年、現在の知恩院山門北側「崇泰院(そうたいいん)」近くにあった「大谷本願寺」が「寛正の法難」(1465年)で延暦寺宗徒らの攻撃をうけ破壊されると蓮如は越前国吉崎御坊に移り、一時河内出口(大阪府枚方市)の光善寺を拠点に布教活動を行ったのち、大谷本願寺の再建を山科の地で1478年から1483年まで6年がかりで行った。
1489年には山科本願寺の東側に蓮如の隠居地・南殿が造営され1499年に蓮如が85歳で亡くなるまで間居住した。
寺の周囲には堀と土塁を築いて「寺の形をした城塞」と呼称される堅固な寺内町を形成していたが1532年には法華宗徒らに焼き討ちされた。
現在、山科本願寺の跡地には本願寺派と真宗大谷派の山科別院が建っており、南殿跡が大谷派の光照寺に、土塁跡が山科中央公園に残っている。山科中央公園にある土塁跡は、東西75m南北60m高さ7mの巨大なもので「寺の形をした城塞」と呼ばれた姿が想像できる。山科中央公園近くには蓮如上人御廟所がある。
山科は法難に逢いながら各地を転々とした蓮如が最期まで約20年間居住した街で骨をうずめる覚悟で布教活動を行った地だった。
アクセス.――― 京都市営地下鉄東西線東野駅から 山科中央公園の土塁跡まで徒歩約15分.- 旅行時期
- 2009年04月
- 施設の快適度:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
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投稿日 2011年11月29日
総合評価:4.0
京都山科の毘沙門堂(びしゃもんどう)は、703年に行基(ぎょうき668−749年)が開いたといわれる出雲寺(いずもじ)を前身とする天台宗京都五門跡のひとつで「毘沙門堂門跡」と呼ばれている。
出雲寺は、京都市上京区の応仁の乱(おうにんのらん1467−1477年)発祥の地とされる上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)付近にあったと推定され付近からは奈良時代前期の古瓦が出土しており平城京遷都以前に寺院があったといわれる。上御霊神社は出雲寺が荒廃した際、上出雲寺御霊堂のみ残して御霊神社(上御霊神社)になったといわれる。出雲寺は天台宗の僧天海(てんかい1536頃−1643年)によって山科の安祥寺の寺領に復興したとされている。京都の名門寺院も時代の趨勢や戦乱などで一時荒廃し近世以降に再建されたものが多い。
アクセス―――JR・京都市営地下鉄東西線山科駅、京阪線京阪山科駅から北へ、徒歩約15-20分。- 旅行時期
- 2009年04月
- アクセス:
- 3.5
- JR・京都市営地下鉄東西線山科駅、京阪線京阪山科駅から北へ、徒歩約15-20分。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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京都山科の坂上田村麻呂公園への最寄駅、市営地下鉄東西線椥辻(なぎつじ)駅
投稿日 2011年11月28日
総合評価:3.5
京都山科の坂上田村麻呂公園への最寄駅は市営地下鉄東西線椥辻(なぎつじ)駅で徒歩で約20分ほどで行ける。坂上 田村麻呂(さかのうえ の たむらまろ)は、平安時代の武官で780年、京都に清水寺を建立したとされ793年、陸奥国の蝦夷に対する戦争で副将軍として出陣、801年には征夷大将軍として出陣し802年に胆沢城を築き戦闘、蝦夷の将・アテルイとモレを降伏させたことで知られる。アテルイとモレは坂上 田村麻呂とともに上京したが公家が許さず河内国で処刑されたとされている。田村麻呂が創建したと伝えられる京都の清水寺境内に平安遷都1200年記念で1994年に「アテルイ・モレ顕彰碑」が建立され、アテルイとモレが処刑された地とされる牧野公園内の首塚に2007年「伝 阿弖流為・母禮之塚」の石碑が建立されている。
坂上田村麻呂の墓は山科区勧修寺東栗栖野町,坂上田村麻呂公園内の古墳とされている。清水寺境内の平安遷都1200年記念で1994年に建てられた「アテルイ・モレ顕彰碑」と同様に,平安遷都1100年記念で有志が墓所修理と建碑を1894年に行っているそうだが、公園の隅にひっそりと墓碑が建っていた。
アクセス―――市営地下鉄東西線椥辻(なぎつじ)駅 徒歩20分- 旅行時期
- 2009年04月
- 施設の快適度:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
-
逢坂関(おうさかのせき)跡や蝉丸神社の最寄駅、京阪電気鉄道京津線大谷駅(おおたにえき)
投稿日 2011年11月28日
総合評価:3.5
大谷駅(おおたにえき)は、滋賀県大津市大谷町にある、京阪電気鉄道京津線の駅。逢坂峠より西で山科盆地の縁で逢坂関(おうさかのせき)跡や蝉丸神社の最寄駅。
逢坂関(おうさかのせき)は、山城国と近江国の国境の関所で蝉丸(せみまる、生没年不詳)の小倉百人一首に収録されている「これやこの 行くも帰るも分かれつつ 知るも知らぬも逢坂の関」の和歌で知られている。「逢坂の関記念公園」と関の明神として蝉丸を祀った「蝉丸神社」は京阪電車京津線・大谷駅の近く、国道1号沿いにある。
蝉丸(せみまる、生没年不詳)は平安時代前期の歌人で皇室の血筋を持っていた、盲目の琵琶法師だった、単に乞食だったなど諸説あるが詳細は不明。だが逢坂の関に庵をむすんで歌を詠んでいたのは事実のようで「坊主めくり」で子供にもおなじみの人だ。
蝉丸神社(せみまるじんじゃ)は、822年に小野岑守(おののみねもり778−830年)が旅人を守る神とされる猿田彦命・豊玉姫命を逢坂山の山上(上社)と麓(下社)に祀ったとされ、平安時代中期蝉丸が逢坂山に住んだことで歌舞音曲の神として祀られ信仰されるようになったそうだ。
「逢坂の関記念公園」は2009年4月11日に開園している。「逢坂の関」は不破の関や白川の関などと並んで文化的・歴史的に著名な関所であり、平安時代から蝉丸や清少納言など多くの歌人がこの関を歌った歌枕の地として有名で大津市が文化遺産として整備したもの。「逢坂の関記念公園」には
蝉丸 「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂の関」
清少納言 「夜をこめて鳥の空音ははかるともよに逢坂の関はゆるさじ」
三条右大臣 「名にしおはば逢坂山のさねかづら人にしられでくるよしもがな」
の歌碑が建てられている。
「逢坂の関」は源氏物語「関屋の巻」で石山詣に向かう光源氏と空蝉がすれ違う場面、安藤広重の浮世絵「東海道五十三次・大津宿」には江戸時代の東海道を行き交う牛車が描かれており公園には、平安時代の関所をイメージした木製の門柱や柵、牛車の走行をスムーズにする「車石」(実物)を設置し当時を再現している。「逢坂の関」を文化遺産として大津市が整備してくれたことは嬉しいことだ。- 旅行時期
- 2009年04月
- 施設の快適度:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
-
「鏡の里」地域観光に便利な道の駅竜王かがみの里(みちのえきりゅうおうかがみのさと)
投稿日 2011年11月28日
総合評価:4.0
道の駅竜王かがみの里(みちのえきりゅうおうかがみのさと)は、滋賀県蒲生郡竜王町大字鏡の国道8号上にある道の駅。道の駅竜王かがみの里の「鏡の里」は伝説があり、源義経元服の地、古今集にも詠われた鏡山、聖徳太子や伝教大師ゆかりの古刹、額田王、鏡王女のふるさとなどといわれている。
駐車場は普通車:70台、大型車:7台、身障者用駐車場:3台のスペースがある。
レストラン(9:30 - 18:00、火曜休)、売店(9:30 - 18:00、火曜休) があり、「鏡の里」地域観光に便利だ。
アクセス――― JR琵琶湖線近江八幡駅下車、近江バスで20分; JR琵琶湖線篠原駅下車、徒歩30分、車で5分- 旅行時期
- 2009年04月
- バリアフリー:
- 4.0
- トイレの快適度:
- 4.0
- お土産の品数:
- 3.5
-
木地師発祥の地、東近江市君ヶ畑へのバス発着駅、八日市駅(ようかいちえき)
投稿日 2011年11月27日
総合評価:3.5
八日市駅(ようかいちえき)は、滋賀県東近江市(旧八日市市)八日市浜野町にある近江鉄道の駅で本線と八日市線の乗換駅。東近江市君ヶ畑へのバスの発着駅でもある。
東近江市君ヶ畑は文徳天皇(もんとくてんのう827−858年)の第一皇子であった惟喬親王(これたかしんのう844−897年)の幽棲地で木地師発祥の地と呼ばれている。
惟喬親王(これたかしんのう844−897年)は皇位継承第一候補者であったが母が紀氏の出身であったことから権勢を振るっていた摂政関白、藤原良房(ふじわら の よしふさ804−872年)の娘と文徳天皇の間に生まれた第四皇子、惟仁親王(これひとしんのう850−880年)が清和天皇に即位した。
皇位継承に敗れた惟喬親王は失意の中で859年に都を逃れ小松畑と呼ばれていた山中に幽棲したといわれている。
惟喬親王はこの地に金龍寺を建てて住居とし里人は小松畑を君ヶ畑と呼ぶようになり、金龍寺を「高松御所」と呼んだ。
惟喬親王は法華経の巻物の紐を引くと、巻物の軸が回転するのを見て轆轤(ろくろ)を考案発明したと伝えられている。轆轤を使い、木材を原料とし、こま、椀、盆、こけしなどを作る人を「木地師(きじし)」というが、君ヶ畑は「木地師発祥の地」と言われるようになった。
惟喬親王は日本木地師の元祖とされ、この地から多くの木地師が日本全国に巣立っていったといわれている。全国各地の木地師の多くは、今も君ヶ畑を本籍地とし惟喬親王を祭神とする器地祖神社を参拝しているそうだ。
金龍寺高松御所の近くに杉の大木に囲まれた器地祖神社があり神社の近くに惟喬親王の墓所がある。また少し山を登ると惟喬親王幽棲之跡の碑、惟喬親王陵、惟喬親王像がある。君ヶ畑は惟喬親王を敬い大切にしている地だ。
惟喬親王は春には大阪・枚方の渚院を訪れ交野ヶ原で在原業平 (ありわらのなりひら825−880年)らと狩猟や花見をして心を和ませようとしたそうで渚院跡遺跡が残っている。惟喬親王が山中に幽棲するだけでなく、花見や狩猟で心を和ませたことは少しほっとさせられる。惟喬親王はただ悲嘆にくれていただけでなく、「日本木地師の元祖」として名を残したことは立派だし天皇になっていれば1200年も脚光を浴び続けることは無かっただろう。人生、何が幸福で何が不幸かはわからないものだ。
アクセス――― 近江鉄道/本線「八日市駅」下車 バス 65 分 君ヶ畑- 旅行時期
- 2009年04月
- 施設の快適度:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
-
投稿日 2011年11月27日
総合評価:4.0
永源寺ダムのダム湖、永源寺湖は財団法人ダム水源地環境整備センターが選定する「ダム湖百選」に選ばれ観光名所になっている。
ダムの下流には臨済宗永源寺派の本山である永源寺があり、関西有数の紅葉の名所となっており、ダムの周回道路には桜の木が多数植えられ花見スポットとして近年脚光を浴びている。但し周回道路は落石の危険がある為、通行止めが多く運転には注意が必要。
アクセス――― 車, 八日市ICから国道421号を20分. バス、 近江鉄道八日市駅からバス永源寺前下車、乗り換え永源寺ダム下車- 旅行時期
- 2009年04月
- アクセス:
- 3.5
- 車, 八日市ICから国道421号を20分. バス、 近江鉄道八日市駅からバス永源寺前下車、乗り換え永源寺ダム下車
- 景観:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
-
投稿日 2011年11月27日
総合評価:3.5
永源寺ダム(えいげんじダム)は、滋賀県東近江市(旧神崎郡永源寺町)、淀川水系愛知川に建設されたダム。近江盆地は古来より穀倉地帯で太閤検地で78万石とされたが流域河川の多くは天井川で慢性的な水不足に陥りやすかった。安定した灌漑用水を確保するため、農林省(現・農林水産省)によって愛知川に1952年(昭和27年)に灌漑ダムの建設が計画され1972年(昭和47年)完成。
永源寺ダムは高さ73.5mで灌漑の他関西電力の発電(5,000kW)が目的の多目的ダム。永源寺ダム周辺は風光明媚な観光地になっている。
アクセス――― 車, 八日市ICから国道421号を20分. バス、 近江鉄道八日市駅からバス永源寺前下車、乗り換え永源寺ダム下車- 旅行時期
- 2009年04月
- アクセス:
- 3.5
- 車, 八日市ICから国道421号を20分. バス、 近江鉄道八日市駅からバス永源寺前下車、乗り換え永源寺ダム下車
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
中世から近世にかけて伊勢神宮、熊野大社とともに賑わっていた多賀大社(たがたいしゃ)
投稿日 2011年11月26日
総合評価:4.0
多賀大社(たがたいしゃ)は、滋賀県犬上郡多賀町の神社で伊邪那岐命(イザナギ)・伊邪那美命(イザナミ)を祀り、古くから「お多賀さん」と呼ばれて親しまれている。
712年編纂(へんさん)の『古事記』には既に「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」と記述されており、中世から近世にかけては伊勢神宮、熊野大社とともに賑わっていた。
全盛期には「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」 と謳われたそうだが「お多賀の子」とは、伊勢神宮祭神である天照大神が伊邪那岐命・伊邪那美命両神の子である神話を歌詞にしたものとのことで多賀大社が歴史的に日本を代表する神社のひとつであることがわかる。
アクセスーーー車―名神彦根I.C.から10分、電車―JR彦根駅乗り換え 近江鉄道「多賀大社前」駅下車 徒歩10分.- 旅行時期
- 2009年04月
- アクセス:
- 3.5
- 車―名神彦根I.C.から10分、電車―JR彦根駅乗り換え 近江鉄道「多賀大社前」駅下車 徒歩10分.
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
日本で12箇所の天守が現存する城郭の一つで国宝に指定されている彦根城(ひこねじょう)
投稿日 2011年11月26日
総合評価:4.0
彦根城(ひこねじょう)は、別名金亀城(こんきじょう)と呼ばれ譜代大名である井伊氏14代の居城で日本で12箇所の天守が現存する城郭の一つで国宝に指定されている。
井伊直政(いい なおまさ1561−1602年)が1600年の関ヶ原の戦いの後、18万石で石田三成(いしだ みつなり1560−1600年)の居城・佐和山城に入城したが1602年に死去し井伊 直勝(いい なおかつ1590−1662年)が家督を継ぎ1603年から彦根山(金亀山)に彦根城の築城した。
幕末の幕府の大老・井伊直弼(いい なおすけ1815−1860年)は、彦根城で生まれ1850年に第15代藩主になった。彦根城は築城400年祭、井伊直弼と開国150年祭のマスコット・ひこにゃんで有名になっている。
アクセス―――電車でのアクセスJR琵琶湖線彦根駅 徒歩約15分 、車でのアクセス名神高速道路彦根インターチェンジから国道306号- 旅行時期
- 2009年04月
- アクセス:
- 3.5
- 電車でのアクセスJR琵琶湖線彦根駅 徒歩約15分 、車でのアクセス名神高速道路彦根インターチェンジから国道306号
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0




























