木地師発祥の地、東近江市君ヶ畑へのバス発着駅、八日市駅(ようかいちえき)
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- 旅行時期:2009/04(約17年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
湖東三山・多賀・東近江 クチコミ:17件
八日市駅(ようかいちえき)は、滋賀県東近江市(旧八日市市)八日市浜野町にある近江鉄道の駅で本線と八日市線の乗換駅。東近江市君ヶ畑へのバスの発着駅でもある。
東近江市君ヶ畑は文徳天皇(もんとくてんのう827−858年)の第一皇子であった惟喬親王(これたかしんのう844−897年)の幽棲地で木地師発祥の地と呼ばれている。
惟喬親王(これたかしんのう844−897年)は皇位継承第一候補者であったが母が紀氏の出身であったことから権勢を振るっていた摂政関白、藤原良房(ふじわら の よしふさ804−872年)の娘と文徳天皇の間に生まれた第四皇子、惟仁親王(これひとしんのう850−880年)が清和天皇に即位した。
皇位継承に敗れた惟喬親王は失意の中で859年に都を逃れ小松畑と呼ばれていた山中に幽棲したといわれている。
惟喬親王はこの地に金龍寺を建てて住居とし里人は小松畑を君ヶ畑と呼ぶようになり、金龍寺を「高松御所」と呼んだ。
惟喬親王は法華経の巻物の紐を引くと、巻物の軸が回転するのを見て轆轤(ろくろ)を考案発明したと伝えられている。轆轤を使い、木材を原料とし、こま、椀、盆、こけしなどを作る人を「木地師(きじし)」というが、君ヶ畑は「木地師発祥の地」と言われるようになった。
惟喬親王は日本木地師の元祖とされ、この地から多くの木地師が日本全国に巣立っていったといわれている。全国各地の木地師の多くは、今も君ヶ畑を本籍地とし惟喬親王を祭神とする器地祖神社を参拝しているそうだ。
金龍寺高松御所の近くに杉の大木に囲まれた器地祖神社があり神社の近くに惟喬親王の墓所がある。また少し山を登ると惟喬親王幽棲之跡の碑、惟喬親王陵、惟喬親王像がある。君ヶ畑は惟喬親王を敬い大切にしている地だ。
惟喬親王は春には大阪・枚方の渚院を訪れ交野ヶ原で在原業平 (ありわらのなりひら825−880年)らと狩猟や花見をして心を和ませようとしたそうで渚院跡遺跡が残っている。惟喬親王が山中に幽棲するだけでなく、花見や狩猟で心を和ませたことは少しほっとさせられる。惟喬親王はただ悲嘆にくれていただけでなく、「日本木地師の元祖」として名を残したことは立派だし天皇になっていれば1200年も脚光を浴び続けることは無かっただろう。人生、何が幸福で何が不幸かはわからないものだ。
アクセス――― 近江鉄道/本線「八日市駅」下車 バス 65 分 君ヶ畑
- 施設の満足度
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3.5
- 施設の快適度:
- 3.5
- バリアフリー:
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クチコミ投稿日:2011/11/27
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