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さすらいおじさんさんのトラベラーページ

さすらいおじさんさんのクチコミ(107ページ)全3,789件

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  • 桑名城跡を整備した九華公園(きゅうかこうえん)

    投稿日 2011年08月23日

    桑名城跡 九華公園 桑名・長島

    総合評価:4.0

    九華公園(きゅうかこうえん)は、桑名市にある公園で桜、つつじ、花菖蒲の名所として知られ、桑名市民の憩いの場として親しまれている。
    九華公園は桑名城跡を公園として整備したもので、桑名城ゆかりの遺構を見ることができる。堀は公園全体の約6割を占め水が張られて堀上には橋が架けられている。
    明治維新に桑名城は焼け落ち荒廃していたが、1928年に楽翁公(松平定信)没後百年祭を記念して、本丸・二之丸一帯が九華公園として整備された。松平 定信(まつだいら さだのぶ1759−1829年)は、江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗の孫で第11代将軍・徳川家斉のもとで老中首座・将軍輔佐として寛政の改革を行った中心人物だが1812年に伊勢国桑名藩に隠居し楽翁と号した。
    1942年に、「桑名城跡」が三重県指定文化財・史跡となり周辺には本丸跡 、天守閣跡、鎮国守国神社 、辰巳櫓跡、神戸櫓跡、ニ之丸跡、奥平屋敷、ニ之丸堀、三之丸跡などがある。

    アクセス;-JR・近鉄名古屋線・養老鉄道桑名駅から市内A循環バス「本町」下車徒歩約5分

    旅行時期
    2011年05月
    アクセス:
    3.5
    JR・近鉄名古屋線・養老鉄道桑名駅から市内A循環バス「本町」下車徒歩約5分
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    3.5

  • 九華公園にある七里の渡碑

    投稿日 2011年08月23日

    七里の渡跡 桑名・長島

    総合評価:3.5

    七里の渡し(しちりのわたし)は東海道五十三次の宮宿から桑名宿までの海上の渡し。
    東海道唯一の海路の拠点で、1601年の東海道制定の際に定められているが七里の渡しの名は宮宿から桑名宿までの移動距離が7里であったことに由来するそうで「桑名の渡し」、「熱田の渡し」、「宮の渡し」、「間遠の渡し」などとも言われた。東海道海路の拠点・宮宿、桑名宿は渡船場として賑わい、旅籠屋数が東海道の最大規模だったそうだ。
    桑名城跡を公園として整備した九華公園は桑名城ゆかりの遺構を見ることができ,蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)を復元した水門統合管理所近くに七里の渡碑がある。

    アクセス;-JR・近鉄名古屋線・養老鉄道桑名駅から市内A循環バス「本町」下車徒歩約5分

    旅行時期
    2011年05月
    アクセス:
    3.0
    JR・近鉄名古屋線・養老鉄道桑名駅から市内A循環バス「本町」下車徒歩約5分
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    3.5

  • JR 亀山駅から北へ徒歩10分の亀山城(かめやまじょう)

    投稿日 2012年02月18日

    亀山駅 亀山

    総合評価:3.5

    亀山城(かめやまじょう)は、旧伊勢国亀山にあった城で別名は粉蝶城(こちょうじょう)。JR 亀山駅から北へ徒歩10分で行ける。
    亀山城(かめやまじょう)は1265年に関実忠によって亀山市若山町に築城され、その後現在地に移され1567年の織田信長の伊勢進攻以降は、たびたび戦場となった。1590年に豊臣秀吉に従った岡本宗憲が入城後、天守、本丸、二の丸、三の丸などのその後の亀山城の母体となる城が形成されたとされ江戸時代初めごろには穴太衆(あのうしゅう)によって石垣が築かれたとされる。
    明治維新以降は、1873年の廃城令によって、殆どの構造物が取り壊され現在は天守台・多聞櫓・石垣・堀・土塁など一部が残るのみ。多聞櫓は原位置のまま残る中核的城郭建築として三重県下では唯一の遺存例であり、現存する多聞櫓として全国的にも数少ない存在であるため、本丸南東の天守台と多聞櫓本体を併せて、「旧亀山城多聞櫓」の名称で三重県の史跡に指定されている。2006年には亀山城周辺保存整備事業の一環として、二の丸帯曲輪および周辺部分が江戸時代末期の状態に復元されている。

    旅行時期
    2011年05月
    施設の快適度:
    3.5
    バリアフリー:
    3.5

  • JR一身田駅から徒歩約5分の 津市一身田(いしんでん)町

    投稿日 2012年02月18日

    一身田駅

    総合評価:3.5

     津市一身田(いしんでん)町は、弥生文化の原始時代から小さな農業集落だったが15世紀に高田(栃木県)専修寺真慧(しんね)が専修寺(当時は無量壽院)を建設し東海北陸地方の布教活動の拠点としたことで発展し、後に戦火で荒廃した高田専修寺にかわり一身田が高田教団の中心となり寺内町・一身田はさらに発展した。JR一身田駅から徒歩約5分で津市一身田(いしんでん)町まで行ける。
    一身田(いしんでん)町は16世紀からは、町の周囲に環濠を作り、専修寺を中心とした宗教都市の様相を呈するようになった。「戦国時代、真宗寺院を中心に濠・堀などで防禦された自治都市」を寺内町というが一身田はその典型と言われている。
     濠(堀)は東西約500米、南北400米で、町への入口は「黒門」「赤門」「桜門」の3箇所しかなく、夜は閉じて不審者を侵入させず一身田町民は全員が真宗高田派の門徒で「同行」と言われる隣組に組織された住民自治が進んだ。専修寺は幕府から専修寺に渡された銀子を低利で融資したので商工業が発展した。
     環濠は昔にくらべて幅が狭くはなっているが昔のままのところに残っている。 ”一身田”という地名は、奈良・平安時代の制度で、政治上功績のあった貴族に特別にその身一代に限って与えられた田、「一身田」からきたといわれている。
       明治以降一身田町の支配は本山から離れ、1874年には桜門・黒門・赤門の三門が売りにだされ、寺内町も解体された。現在は、当時の面影を残す所は数少なくなったそうだが環濠をはじめ、古い寺内町の雰囲気がよく残っている。

    旅行時期
    2011年05月
    施設の快適度:
    3.5
    バリアフリー:
    3.5

  • 近鉄高田本山駅から徒歩約20分の真宗高田派本山専修寺

    投稿日 2012年02月18日

    高田本山駅

    総合評価:3.5

    真宗高田派本山専修寺は、もと栃木県二宮町高田にあった親鸞(しんらん、1173−1262年)の関東地方教化のための中心道場としての寺。今も栃木県二宮町高田に伽藍が残っており国の史跡に指定されている。JR一身田駅から徒歩約5分だが近鉄高田本山駅からなら徒歩約20分で真宗高田派本山専修寺に参拝できる。

     真宗高田派本山専修寺は1469−1487年、第10代住職親慧(しんね)が、東海・北陸・近畿各地へ布教を行い、伊勢国の中心寺院「無量寿院」として一身田(いしんでん)に建立されたのが専修寺。高田の本寺が戦国時代に兵火によって炎上したことや教団の内部事情から、歴代上人がここへ居住するようになり、しだいに一身田が「本山専修寺」として定着した。数多い親鸞聖人の真筆類も移され、親鸞の肖像をはじめ、直弟子などの書写聖教など貴重な収蔵品を多数保持している。
    伽藍は創建以来2度の火災に遭い、現在は3度目の再建で御御堂(本尊は親鸞聖人座像)と如来堂(本尊は阿弥陀如来立像)とが国指定の重要文化財、山門・唐門・御廟が県指定文化財で、堂の背後にある庭園は県指定名勝になっている。宝物館には国宝三帖和讃を始め、親鸞聖人真筆が保存されている。

    旅行時期
    2011年05月
    施設の快適度:
    3.5
    バリアフリー:
    3.5

  • JR津駅から三重交通バス約7分の津観音寺(つかんのんじ)

    投稿日 2012年02月18日

    津駅

    総合評価:4.0

    津観音寺(つかんのんじ)は津市大門にある寺院で正式には「恵日山観音寺」。709年に伊勢阿漕ヶ浦の漁夫の網に聖観音立像がかかり、これを本尊として開山したといわれる真言宗の古刹。浅草観音、大須観音と並んで日本三大観音の一つとされ709年の開山以来、全国から海上安全、五穀豊穣、所願成就の観音として信仰を集めている。JR紀勢本線「津駅」東口から「三重会館方面行」の三重交通バス約7分「京口立町」・「三重会館前」下車徒歩5分で参拝できる。
    津観音寺はとりわけ江戸時代には伊勢参宮のお蔭参りが一生に一度の大旅といわれるようになって参拝者が急増した。その際、お蔭参りの道中観音寺に立ち寄って参拝することが習いとなり「津に参らねば片参り」と言われるようになった。道中何らかの理由で旅を中断しなくてはならない者は、観音寺で国府阿弥陀如来を拝み、伊勢神宮の方角を拝んでから帰路についたと言われている。江戸時代から津観音周辺は繁華街、歓楽街となり現在も三重県を代表する繁華街となっている。津観音寺は1945年7月の太平洋戦争・津大空襲により焼失したが、現在は本堂、五重塔などが復興されている。

    旅行時期
    2011年05月
    施設の快適度:
    3.5
    バリアフリー:
    3.5

  • 近鉄津新町駅から徒歩10分の津城(つじょう)

    投稿日 2012年02月17日

    津新町駅

    総合評価:3.5

    津城(つじょう)は別名・安濃津城(あのつじょう)で津市街の中心部にあり近鉄津新町駅から徒歩10分で行ける。
    津城(つじょう)は江戸時代初期に近代城郭として大改修され津藩の藩庁となり、内堀で囲まれた本丸と、東丸、西丸、二の丸が配された輪郭式の平城であったそうだ。
    現在の城跡は「お城公園、お城西公園」として整備され城址には津市役所や裁判所、津警察署などが並んでいる。
    天守は1662年の火災で焼失し、幕府への遠慮から再建されなかったと考えられている。
    1871年の廃藩置県により廃城となり、建造物は破却され、「お城公園」として整備され、1958年に隅櫓が復元された。 現在城跡には藩校有造館の正門の入徳門が移築現存している。「お城公園、お城西公園」はよく整備され美しい庭園があった。

    旅行時期
    2011年05月
    施設の快適度:
    3.5
    バリアフリー:
    3.5

  • 近鉄伊勢市駅から徒歩5分で参拝できる伊勢神宮豊受大神宮(とようけたいじんぐう)=外宮(げくう)

    投稿日 2012年02月17日

    伊勢市駅 伊勢神宮

    総合評価:3.5

    伊勢神宮の衣食住の守り神である豊受大御神(とようけおおみかみ)を祀る豊受大神宮(とようけたいじんぐう)=外宮(げくう)は天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る皇大神宮(こうたいじんぐう)=内宮(ないくう)とともに正宮のひとつ。近鉄伊勢市駅から神宮参道を通って徒歩5分で参拝できる。
    神宮式年遷宮は、伊勢神宮において行われる式年遷宮(定期的に行われる遷宮)で20年ごとに、内外両宮の正宮の正殿を始めとする別宮以下の諸神社の正殿を造替して神座を遷し、宝殿、外幣殿、鳥居、御垣、御饌殿など計65棟の社殿を造替する他、装束・神宝、宇治橋等も造り替える。
    平成17年から第62回式年遷宮の各行事が進行中で、平成25年(2013年)には正遷宮(神体の渡御)が予定されている。遷宮のために外宮(げくう)でも造替中の社殿があり、勾玉池のそばには「せんぐう館」を建設中で勾玉池を見ることができなかった。自動車で鳥羽から伊勢にむかうと、内宮(ないくう)のほうが近かったので内宮(ないくう)を先に参拝したが、内宮(ないくう)の参拝には順番待ちで時間がかかってしまった。外宮(げくう)参拝は夕方になり、参拝者は少なかった。やはり一般的な外宮、内宮という参拝順序にしておけばもっとスムーズに参拝できただろうと反省した。

    旅行時期
    2011年05月
    施設の快適度:
    3.5
    バリアフリー:
    3.5

  • 近鉄宇治山田駅からバス15分で参拝できる伊勢神宮(いせじんぐう)内宮(ないくう)

    投稿日 2012年02月17日

    宇治山田駅 伊勢神宮

    総合評価:3.5

    伊勢神宮(いせじんぐう)は、日本で最も著名な神社のひとつで「お伊勢さん」と親しまれている。
    伊勢神宮には、太陽を神格化した皇室の御祖神である天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る皇大神宮(こうたいじんぐう)と、衣食住の守り神である豊受大御神(とようけおおみかみ)を祀る豊受大神宮(とようけたいじんぐう)の二つの正宮があり、皇大神宮を内宮(ないくう)、豊受大神宮を外宮(げくう)と呼んでいる。内宮(ないくう)には近鉄宇治山田駅からバス15分で参拝できる。
    皇室の氏神であることから皇室・朝廷の権威と強い結びつきがある。別宮(べつぐう)、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)、所管社(しょかんしゃ)を含めた、合計125もの社宮がありこれらすべてを「神宮」と称している。
    五十鈴川(いすずがわ)は、伊勢市を流れる宮川水系の川で倭姫命(やまとひめのみこと)が御裳(みもすそ)の汚れを濯いだという伝説があり、御裳濯川(みもすそがわ)ともいわれ古くから清流で和歌にも多く歌われた。
    倭姫命(やまとひめのみこと)は、古墳時代以前の垂仁天皇(すいにんてんのう、紀元前69 - 紀元後70年)はの第4皇女で伊勢の地に天照大神を祀った皇女とされ、天皇に代わり、伊勢神宮の天照大神に仕える斎宮(さいくう)の起源であるとも伝えられている。
    五十鈴川(いすずがわ)は、伊勢神宮内宮の西端を流れており、御手洗場(みたらしば)が作られている。

    旅行時期
    2011年05月
    施設の快適度:
    3.5
    バリアフリー:
    3.5

  • JR島本駅前にある桜井駅跡(さくらいえきあと)

    投稿日 2012年02月16日

    島本駅 高槻・島本

    総合評価:3.5

    島本駅(しまもとえき)は、大阪府三島郡島本町桜井の西日本旅客鉄道(JR西日本)東海道本線の駅。桜井駅跡が駅前にあり、阪急京都本線水無瀬駅までは約600メートル。

    JR島本駅前にある桜井駅跡(さくらいえきあと)は旧 摂津国嶋上郡桜井村にあった古代律令制度での宿駅の跡で1336年、足利尊氏(あしかがたかうじ1305−1358年)を討つべく湊川に向かう楠木正成(くすのき まさしげ 生年不詳−1336年)が、嫡男の正行(まさつら 生年不詳−1348年)を河内国に帰らせた、「楠公父子訣別之所」として知られている。
    桜井駅跡には「桜井の別れ」の像がある。正式には「桜井駅の別れ」といわれ、1336年の湊川の戦い直前に、西国街道の桜井の駅で交わされたという、楠木正成・正行父子の今生の別れで「太平記」の名場面のひとつ。天皇への忠誠を伝える美談として、戦前までは国語や修身の教科書に必ず載っており日本中の人たちが学んだ逸話だった。
    足利尊氏(あしかが たかうじ1305−1358年)の十万以上の軍勢に対し、新田義貞(にった よしさだ1301−1338年)を総大将とするわずかな軍勢の朝廷方では勝てないと見ていた正成は尊氏と和睦するか、比叡山に上り都に足利軍を誘い込んだ後兵糧攻めにするべきだと後醍醐天皇(ごだいごてんのう1288−1339年)に進言したが説得することができず死を覚悟して湊川の戦場に赴かざるを得なかったとされる。
    正成は自分の死を予測して11歳の嫡子・正行に対し「生き残って、いつの日か朝敵を滅せ」と諭し、後醍醐天皇から下賜された菊水の紋が入った短刀を授け今生の別れを告げ故郷の河内へ帰したとされている。正行は成長して1348年の四條畷の戦い(しじょうなわてのたたかい)で足利尊氏の腹心・高師直(こう の もろなお生年不明−1351年)と戦ったが楠木軍は足利方の圧倒的な兵力の前に敗れ、正行は弟の正時と刺し違えて自決したとされている。「桜井の別れ」は史実として異論もあるが、皇国思想を国民に徹底教育した明治時代から第2次世界大戦に敗れるまで代表的な尊王教育の教材のひとつだった。
    2008年、島本駅が開業し、桜井駅跡も公園として整備されている。桜井駅跡には陸軍大将乃木希典(のぎ まれすけ1849−1912年)筆「楠公父子訣別之所」の碑、海軍大将・元帥東郷平八郎(とうごう へいはちろう1848−1934年)筆「子わかれの 松のしづくに 袖ぬれて 昔をしのぶ さくらゐのさと」(明治天皇御製)の碑、1876年に駐日イギリス大使ハリー・パークス(1828−1885年)が楠木正成の忠誠心に感じたとして、表に「楠公訣児之処」と刻し、裏に英文で碑の建立事由を記した碑などがある。ハリー・パークスは1865年から1883年まで18年間日本に駐留し香港など英国のアジア進出に能力を発揮した外交官だが「楠公訣児之処」碑建立は日本の皇国思想に賛同し日本人に英国に対する心証を良くしようとする思惑もあったようだ。
    桜井駅跡は明治時代から第2次世界大戦敗戦までは聖地のような重要な場所だったのだろうが、現在は子供たちの遊び場になっていた。

    旅行時期
    2010年01月
    施設の快適度:
    3.5
    バリアフリー:
    3.5

  • JR高槻駅から市バスで行ける摂津峡(せっつきょう)

    投稿日 2012年02月16日

    高槻駅 高槻・島本

    総合評価:3.5

    摂津峡(せっつきょう)は、大阪府高槻市芥川(あくたがわ)上流にある渓谷で府の「大阪みどりの百選」の一つ。JR高槻駅から市バス塚脇行きで15分、終点下車、徒歩10分で行ける。

    摂津峡(せっつきょう)は景勝地として知られ、約4kmにわたって、夫婦岩や八畳岩などの奇岩や、断崖や滝などが続いている。風景を大分県の耶馬渓(やばけい)に例えて、「摂津耶馬渓(せっつやばけい)」の別称でも親しまれている。
    摂津峡の西岸は、摂津峡公園として整備されておりサクラや紅葉の名所として知られている。

    旅行時期
    2010年12月
    施設の快適度:
    3.5
    バリアフリー:
    3.5

  • 松阪駅から徒歩15分の小津安二郎青春館

    投稿日 2012年02月16日

    松阪駅 松阪

    総合評価:3.5

    小津 安二郎(おづ やすじろう、1903−1963年)は『東京物語』『晩春』『麦秋』などの名作を残した日本を代表する映画監督だが9歳から20歳まで父の郷里である松阪で過ごした。小津安二郎青春館は、監督の青春時代の絵画などの品物や写真など関連資料を展示している。邦画ファンには魅力ある展示内容。JR・近鉄松阪駅から徒歩15分。

    旅行時期
    2011年05月
    施設の快適度:
    3.5
    バリアフリー:
    3.5

  • JR二見浦駅より徒歩15分の夫婦岩(めおといわ)

    投稿日 2012年02月16日

    二見浦駅 二見浦

    総合評価:3.5

    夫婦岩(めおといわ)は日の大神(天照大神)と興玉神石を拝むための鳥居の役目で男岩は立石、女岩は根尻岩と呼ばれていたが、現在は夫婦岩と呼ばれている。興玉社の歴史は、夫婦岩に注連縄を張り、興玉神石の遙拝所を設けたのに始まるといわれ天平年間(729年 - 748年)、僧行基が興玉神の本地垂迹として江寺(えでら)を創建たのが始まりとされるので1300年近い歴史だ。夏至の前後約4ヶ月間は、夫婦岩の間から御来光が拝めることで有名で冬至の頃には夫婦岩の間より昇る月を見ることもでき、満月の日には大勢の参拝者が訪れる。

    旅行時期
    2011年05月
    施設の快適度:
    3.5
    バリアフリー:
    3.5

  • JR・近鉄鳥羽駅から徒歩約10分の鳥羽水族館(とばすいぞくかん)

    投稿日 2012年02月15日

    鳥羽駅 鳥羽

    総合評価:3.5

    鳥羽水族館(とばすいぞくかん)は、世界屈指の規模を誇る水族館で自然の環境を再現したゾーンが12あり、約1000種類20,000点の海や川の生き物が飼育・展示されている。自由通路の全長は約1.5km。2009年の入場者数は94万人で日本全国の水族館で第8位。JR・近鉄鳥羽駅から徒歩約10分。

    旅行時期
    2011年05月
    施設の快適度:
    3.5
    バリアフリー:
    3.5

  • 近鉄志摩赤崎駅から徒歩15分の鳥羽市民の森公園

    投稿日 2012年02月15日

    志摩赤崎駅 鳥羽

    総合評価:3.5

    鳥羽市民の森公園は中央に大きな芝生広場、散策路が整備されており、早朝からウォーキングもできる。JR・近鉄鳥羽駅よりかもめバス(鳥羽市コミュニティバス)石鏡または国崎行き乗車、図書館バス停下車、徒歩すぐだが近鉄志摩赤崎駅下車だと徒歩15分(約1.3km)。
    園内には、大型遊具ガリバーなどが設置されているほか小動物園があり、ニホンザル、クジャク、フラミンゴなどの動物を鑑賞できる。春には芝生広場周辺の桜が満開となり多くの花見客で賑わうそうだが5月はつつじがきれいだった。
    周辺には鳥羽市立図書館、大型ショッピングセンターなどがあり、便利で静かな公園。

    旅行時期
    2011年05月
    施設の快適度:
    3.5
    バリアフリー:
    3.5

  • 近鉄中之郷駅から徒歩約7分の鳥羽みなとまち文学館

    投稿日 2012年02月15日

    中之郷駅 鳥羽

    総合評価:3.5

    鳥羽みなとまち文学館は画家で風俗研究家であった岩田準一(いわた じゅんいち、1900−1945年)がその大半を過ごした家で、館内には岩田準一絵画や研究資料、交流のあった江戸川乱歩(えどがわ らんぽ、1894−1965年)・竹久夢二(たけひさ ゆめじ、1884−1934年)などとの書簡などが展示されている。三重県鳥羽市鳥羽2-5-2にあり、近鉄鳥羽駅[南口]から徒歩約9分、中之郷駅[出口2]から徒歩約7分、
    岩田準一は、明治33(1900)年に鳥羽に生まれ、絵を竹久夢二に師事し民俗学分野では志摩地方の「海女」や「はしりかね」と呼ばれる船遊女をテーマにした民俗研究でも成果を残している。
     平成14年に岩田準一邸を改装し、『鳥羽みなとまち文学館 岩田準一と乱歩・夢二館』をオープンし、平成16年に『鳥羽みなとまち文学館 乱歩館・鳥羽文学ギャラリー』を、平成18年には『鳥羽みなとまち文学館 幻影城』を整備し、平成19年には『鳥羽みなとまち文学館小路』を整備している。

    旅行時期
    2011年05月
    施設の快適度:
    3.5
    バリアフリー:
    3.5

  • 京阪電車 御殿山駅から東へ約500m、徒歩7分.で参拝できる御殿山神社(ごてんやまじんじゃ)

    投稿日 2012年02月14日

    御殿山駅 寝屋川・枚方・交野

    総合評価:3.5

    御殿山神社(ごてんやまじんじゃ)は、元は渚の院跡の観音寺境内に設けられていた小倉の粟倉神社(あわくらじんじゃ)の御旅所(おたびしょ=神社の祭礼で神体を乗せた神輿巡幸中、休憩・宿泊する場所)だった。
    江戸文政年間(1818〜29年)、渚村に産土神勧請の気運が高まり御旅所に八幡大神を勧請して西粟倉神社と称した。京阪電車 御殿山駅から東へ約500m、徒歩7分.で参拝できる。
      明治初年の神仏分離令によって、1869年御殿山に社殿を造営し翌年当地に遷宮し、御殿山神社と改称し現在に至っている。 
    御殿山神社に面して御殿山公園と枚方市立御殿山生涯学習美術センターがある。ここは日本画家で日本南画院設立に尽力した矢野 橋村(. やの きょうそん1890−1965年) が1924年に設立し1944年に廃校になった大阪美術学校の跡地だった。枚方市立御殿山生涯学習美術センター建設前1986年の発掘調査で、弥生時代から平安時代にかけての住居・建物跡や中世の大溝が検出され、江戸時代の建物跡など陣屋に関わる遺構も見つかっている。

    旅行時期
    2010年11月
    施設の快適度:
    3.5
    バリアフリー:
    3.5

  • JR奈良駅から徒歩20分で行ける、ならまち(奈良町)

    投稿日 2012年02月14日

    奈良駅 奈良市

    総合評価:4.0

    ならまち(奈良町)は、江戸時代以降の町屋が数多く建ち並ぶ地域でほぼ全域が元興寺(がんごうじ)の旧境内にあたる。近鉄奈良駅から徒歩15分、JR奈良駅から徒歩20分ほどで行ける。

    奈良の都・平城京の外京として多くの社寺が置かれたことに始まり長岡京遷都後も、東大寺や春日大社、興福寺の膝元として都市機能を維持した。中世以降、元興寺旧境内に様々な産業(筆、墨、蚊帳、晒、布団、刀、酒、醤油など)が発展し、江戸期には有力商工業都市として町が形成された。
    第二次世界大戦の空襲を免れ、街路と建築が残り1990年には「奈良町都市景観形成地区」の指定を受けている。
    庚申堂(こうじんどう)は、ならまちの中心にあり、「庚申さん」と呼ばれ庚申信仰の奈良の拠点で青面金剛像を祭祀している。青面金剛の使いの猿を型どったお守りは、魔除けとして町内の家々の軒先に吊るされている。大きいのが大人、小さいのが子どもとされ、家族構成に合わせて吊るされている。町内の住民の災いを代わりに受けることから「身代わり猿」と呼ばれ、背中に願い事を書いて吊るせば願いが叶うとされ、「願い猿」とも呼ばれている。
    ならまちは古い格子の町屋を見ながら歩くのも楽しいが、元興寺極楽坊(世界遺産) 、元興寺塔跡 、庚申堂 、高林寺、御霊神社、時の資料館、ならオリエント館、なら工藝館、奈良市音声館、奈良市ならまち格子の家、奈良市立史料保存館、奈良町資料館、奈良町振興館、奈良町物語館 、藤岡家住宅(重要文化財) など見所がたくさんあり、奈良の観光スポットのひとつになっている。

    旅行時期
    2010年10月
    施設の快適度:
    3.5
    バリアフリー:
    3.5

  • 近鉄大和西大寺駅より奈良交通バスで参拝できる海龍王寺(かいりゅうおうじ)

    投稿日 2012年02月14日

    大和西大寺駅 奈良市

    総合評価:4.0

    海龍王寺(かいりゅうおうじ)は真言律宗の寺院で光明皇后の皇后宮(藤原不比等の邸宅跡)の北東隅に建てられ平城宮跡の東方、法華寺の東北に隣接している。アクセス方法はJR大和路線奈良駅・近鉄奈良駅より奈良交通バス(西大寺駅・航空自衛隊行き)「法華寺」下車すぐ; 近鉄大和西大寺駅より奈良交通バス(JR奈良駅・白土町行き)「法華寺」下車すぐがある。

    伝承では731年、光明皇后の発願で建立され、僧・玄(げんぼう、生年不詳−746年)が初代住持となったとされる。山門の築地塀は室町時代に建立されたものとされるが明治以降は境内の荒廃が進み、無住の時期が続いた。1953年に住職が着任し、堂宇の修理、境内の整備が行われている。平城宮の荒廃とともに、周辺の寺院も荒廃していった歴史が海龍王寺のむきだしの築地塀を見るとよくわかる。

    旅行時期
    2010年10月
    施設の快適度:
    4.0
    バリアフリー:
    3.5

  • 近鉄奈良駅から奈良交通バスが便利な平城宮跡

    投稿日 2012年02月13日

    近鉄奈良駅 奈良市

    総合評価:4.0

    平城宮跡へはいろいろなアクセス方法がある。
    近鉄西大寺駅北口から平城宮跡資料館まで徒歩10分
    近鉄奈良駅から奈良交通バス 西大寺駅行きで遺構展示館へは平城宮跡平城宮跡資料館へは二条町下車すぐ、東院庭園へは、航空自衛隊行き・西大寺駅行きで法華寺下車、西へ徒歩10分
    朱雀門へは、赤膚山行き・学園大和町5丁目行き・西登美が丘5丁目行きで二条大路南2丁目下車すぐ
    JR奈良駅から奈良交通バス西大寺駅行きで遺構展示館へは平城宮跡、資料館へは二条町下車すぐ、東院庭園へは、航空自衛隊行き・西大寺駅行きで法華寺下車、西へ徒歩10分
    朱雀門へは、学園前駅行き9番(中央口)、49番(西口)で二条大路南2丁目下車すぐ

    平城宮は他の日本古代都城の宮殿地区にはない東の張出し部を持ち、張出し部の南半は「東宮」「東院」とよばれていた皇太子の宮殿があったそうだ。
    史上6人目の女帝・46代孝謙天皇(こうけんてんのう718−770年=後に重祚(ちょうそ・一度退位した君主が再び即位すること)した48代称徳天皇・しょうとくてんのう)はこの地に「東院玉殿」を建て、宴会や儀式を催したとされている。東院庭園広場では天平茶会を催し、東院庭園は美しく整備されていた。

    2010年4月24日から11月7日まで平城宮跡で開催している「平城遷都1300年祭」を見学した。平城宮跡 は 2007年10月以来だが3年前は朱雀門だけがポツンと建っており第一次大極殿は建設中だった。今回は完成した第一次大極殿、遣唐使船復原展示、宮内省、遺構展示館、東院庭園など見学できた。完成した第一次大極殿は立派な建物になっていたし東院庭園は美しく、朱雀門では「平城遷都1300年祭」のイベントになっている「衛士交代」を見ることができた。

    旅行時期
    2010年05月
    施設の快適度:
    3.5
    バリアフリー:
    3.5

さすらいおじさんさん

さすらいおじさんさん 写真

113国・地域渡航

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