km777さんへのコメント一覧(2ページ)全64件
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アナログ旅、デジタル旅
KMさん こんばんわ!
1970年から始まってほとんど世界中を旅してきたのですね
70年代と現在の旅の違い、、もうアプローチからして違いますね
今はネットでユースホステルさえ予約出来たり
あらゆる情報を瞬時にゲット出来てしまい、快適さを通り越して
利便性が良すぎて、さ・迷える旅の醍醐味が希薄になっている
ような感じさえ持ってしまいます。
それでも快適な旅の方が良いに決まっていますが・・
2008年03月02日21時06分返信するRE: アナログ旅、デジタル旅
Kioさん
メッセージありがとうございます。
>1970年から始まってほとんど世界中を旅してきたのですね
す、すいません。1970年というのは適当に入れいるので事実ではないです。良質な情報が世にあふれているヨーロッパと、情報公開が憚られる退避勧告が出されているような国については目立たないよう後ろの方にもっていきたかったのです。私の本当の初海外は80年代後半です・・・がっかりさせてしまいましたでしょうか。
ちなみに写真もほとんどデジタルでして、フィルム写真しか残っていないのはペルーとベネズエラだけです。
>70年代と現在の旅の違い、、もうアプローチからして違いますね
今はネットでユースホステルさえ予約出来たり
あらゆる情報を瞬時にゲット出来てしまい、快適さを通り越して
利便性が良すぎて、さ・迷える旅の醍醐味が希薄になっている
ような感じさえ持ってしまいます。
それでも快適な旅の方が良いに決まっていますが・・
確かに70年代と比べたらアクセスできる情報量がまるで違うので、未知の国を手探りで・・・ということは少なくなったと思います。けれど情報が増えたってことは選択肢が広がったというだけで、旅の醍醐味が消え失せてしまったわけではないと思います。情報に頼りきったマニュアル旅行に抵抗がある人はガイドブックにも載っていない小さな町や村でふらっと電車を降りて彷徨ってみればいい。わざわざ海外で日本人に会いたくない人や、そういう気分の時は、「歩き方」に載っていない町に行けばいい。遠く離れた異国で日本が恋しくなったら世界各地にある日本人宿(昔はほとんどなかったでしょ?)に行けばいい。快適な旅が物足りないなら、中部・西部アフリカに行ってみればいい。
あと、一度行ったところを再訪するっていうのは、今も昔も旅の醍醐味だと思います。遺跡など死んでしまった場所なら2度行ってもしょうがないかもしれない。けれど、人が住んでいる町や村は決して同じということがありません。新しい発見や面白い人との出会いが毎回必ずあるというのが私が確信しているところです。
Kioさんが70年代にたどってきた道を再訪してきたら必ずや旅の醍醐味を再確認できると思います。例えばフィリピンに行けば、Kioさんの旅行記ででてきた怪しいフィリピン人Danの子供に偶然会えたり、幽体離脱を追体験できるかも。ぜひ行ってきて30年後の続編を読ませてください。2008年03月02日23時21分 返信する -
はじめまして。
訪れた瞬間に驚いてしまいました。渡航地図がまっ黄色ではありませんか〜。
私自信も一生涯でどのくらい多くの国を周ることができるんだろうって思ってましたが、kmさんの旅行記を見ていると頑張ればkmさんのように周れるんだなと希望をもらいました。
これからもちょくちょく拝見しにきますので宜しくおねがいします。
2008年01月30日03時12分返信するRE: はじめまして。
s@toshiさん
はじめまして。お返事遅れてすみません。忙しくて死んでおりました。
>訪れた瞬間に驚いてしまいました。渡航地図がまっ黄色ではありませんか〜。
同様のコメントは時々いただきますが、この地図を公開するのは本心恥ずかしいです。まっ黄色の渡航地図は、あたかも私がすべての国と地域を見ていて地球の隅々の土地の歴史文化政治経済民族風習などに精通しているかのような誤解を与えかねないからです。
けれど、実際に私が見てきたのはそれぞれの国の本の一部でしかありません。例えば、ロシア語も話せず、とてつもなく広く多様なロシア(北カフカスの国内共和国をはじめ少数民族共和国・自治区がたくさんあります)の内たかが4・5か所しか見ていない私が、ロシアについてどれだけ知っているといえるのでしょうか。
また、一度その国に行ったからと言ってその国を知っているということには決してなりません。人間と同様に、国も生きていて絶え間なく変化しています。生まれた子供の成長していく過程に目が離せないのと同様、新しい国が生れ(エリトリア、スロバキア、パラオ、東チモールさらに、2008年2月にはコソボ、同年12月にはパレスチナ、2010年に南スーダン)、消滅していく(南イエメン、東ドイツ、今後おそらくは北朝鮮)様は目が離せません。住み慣れた日本だって、久しぶりに帰国すると驚くほどの変化を遂げていたりします。
すべてを見たい、すべてを知りたい、と思って始めた小刻みの世界一周ですが、旅すればするほど自分の無知を意識させられうようになりました。まだまだ世界を知らない・そして知りたいという意味ではs@toshiさんをはじめ4Traの皆さんと私は同じところにいると思います。
サイトの方はほとんど更新していませんが、「世界一周1周目」を終えてからもこれまでと同様精力的に旅しているし、またライフワークとして一生続けるつもりです。また遊びに来てください。km
2008年02月03日18時37分 返信する -
旅行記見ました
はじめまして、kmさん。
楽しい旅行記を、これからも見せて頂ければと思い、メッセージ入れました。
楽しませて頂きます。
ところで、日本には帰ってらっしゃるのでしょうか?
2008年01月10日18時45分返信する -
おめでとうございます☆
kmさん こんばんは♪
私が昨年はじめてkmさんの旅行記を拝見した時には、まだ211ケ国を踏破されているだけでしたが(この時点でそんな事本当に出来る人が居るなんて信じられないと思いましたが…)、いつの間にか218ケ国でISO3166-1のカントリーリストに載っている国を完全党派されたとの事、おめでとうございます。
ただただ凄い!!の一言です。
これからは何を目標とされるか今の所存じ上げませんが、今後も旅を楽しんで、旅行記で私達にまだ見ぬ世界を紹介して楽しませて下さいね。
宜しくお願い致します。
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あるめにあ
こんにちは
プログ拝見しました。
11月に一人でアルメニアに行く予定で、いろいろとインターネットで情報収集しているところです。しかし、、少ないですねアルメニアの情報は、、、
kmさんのような書き込みは非常に貴重ですm(_ _)m
kmさんは国境付近でちょっと怖い体験をされたようですが、エレバンに限れば女性一人で歩いていても気をつけていれば問題はないでしょうか?(治安はいいようですが)もし気をつけるべき事があれば教えて頂ければ幸いです。。。(^^) -
衝撃でした。。。
kmさん
はじめまして。
年末、年始どこにでかけようかと考えつつ、「マリはどうかな?」と
皆様の旅行記を拝見していたときに、kmさんの渡航地図が目に飛び込んできました!
そのときの衝撃たるや、「ドーン」と雷で打たれたあと、「ぶるぶるっ」って鳥肌がたつ感覚でした。大げさな表現ではありません。(笑)
しかも2006年3月に達成なさっていらっしゃり、なぜ、いままで気が付かなかったかが分かりません。
自らが全大陸制覇とか書いてしまったことを今になって恥ずかしく思っております。
退避勧告のでているような紛争地域や、アフリカでも更に交通事情の悪い地域、太平洋、カリブの小さな島々をどのように攻略なさったのでしょうか??
年末からマリに出かけようと思っておりますが、
今後、到底到達は出来ないであろう孤高の目標とさせて頂ければと思っております。
今後とも宜敷くお願い申し上げます。 -
現地情報教えてください/
コモロなんて何もないかと思ってたのに、写真みるといい雰囲気ですね☆
年末、年始の休みを利用して、航空券だけ持って
モーリシャス、レユニオン、コモロと行きます。
現地の安宿情報や動き方、オススメ等ありましたらゼヒ教えてください!!
しかも2003年だと比較的最近ですよね。
昨日購入したロンプラは2004年版でした。。
モーリシャスのリゾート情報は見つかるのですが、節約気味で自由旅行を楽しむタイプの情報がなく困ってます♪
RE: 現地情報教えてください/
モーリシャス、レユニオン、コモロ情報ですね。簡潔にまとめますと:
(行き方)主に3通りです。(1)AFパリ経由。この3目的地いずれにも直行便を出してます。が、たぶん日本で買うと高いでしょう。(2)万国からのマダガスカル航空。2004年9月時点で週二便、接続はいいです。(3)シンガポール・KLからのモーリシャス航空。これも週二便くらい。(2)(3)を日本で通しで販売している代理店は多くないですが、探せばあります。円安を生かして日本で買っていくのがお勧めです。
(ガイドブック)ロンプラ2004年版はぎりぎり間に合わず使ってませんが、市場の進めです。地球の歩き方マダガスカル編も少しですがこれら地域の情報を載せてます。もしフランス語が分かるなら現地でよいガイドブックがたくさん手に入ります。
(モーリシャス)
到着時間にも寄りますが、タクシーを使わざるを得ない状況なら空港そばのマルブール(だったかな)という港町に一泊するとよいでしょう。首都ポートルイスは空港から遠いです。バスで一時間以上かかる上直行便は意外と少ない。私はカトルボンヌという町のモナコホテルに泊まりましたが、安くてよいホテルでした。モーリシャスの物価はセイシェルの半分以下という感じでとても安いです。アフリカ連合AUのメンバーですが、インド人中国人アラブ人そして黒人のアフリカ人が共存しているユニークな社会で、私にとってはリゾートめぐりよりも現地の生活を見るのが楽しかったです。
(コモロ)
コモロの物価はとても安いですが、モーリシャスのように快適・便利ではありません。コモロはアラブ・ペルシャの影響を強く受けているイスラム社会で、くねくねした旧市街をぶらぶら歩くのが楽しいです。観光客のいないストーンタウン(ザンジバル)という感じです。グランコモロしか行かない人が多い(というかコモロ自体行く人はとても少ないですが・・)、船で他の島にも行けますので是非行ってみてください。アンジュアンがとてもよかったです。安ホテルは首都モロニにたくさんあります。蚊が多いのでかやがつってあるかをチェックしてから宿を決めるとよいかもしれません。写真アレルギーの人が多いので、きちんと承諾を得てから撮らないと必ずトラブルになると思います。
(レユニオン)
「首都」にユースホステルがあり、いい雰囲気。仏のリゾート地ですが、リゾートホテルに引きこもらない限りは普通の街の生活もよく観察できる規模の島です。物価も高くて長居するところではないなというのが私の印象です。
では旅行楽しんできてください。km2006年10月12日16時11分 返信する早速有用な情報ありがとうございます/
特にコモロ情報は貴重ですね!安宿があるようなので、探しで見ます。
モーリシャスはビーチ行きましたか?
イルオセーフでしたっけ、個人でも行けるものでしょうか?
または、KMさんが行ったビーチやそこのホテルの情報があればお願いします☆
航空券はシンガポール経由モーリシャス航空ですが、
燃油サーチャージが4万円以上します(涙)。2006年10月12日19時22分 返信する -
看板の一番上の文字
看板の一番上の文字は満族文字と思う。
当時の習慣は満、蒙、チベット、回、漢の順ですから。
また、満族文字は蒙古文字ににっている。RE: 看板の一番上の文字
大変興味深いご指摘ありがとうございます。
>看板の一番上の文字は満族文字と思う。
なるほど、満族文字でしたか。
>当時の習慣は満、蒙、チベット、回、漢の順ですから。
面白いですね。どうして満、蒙、チベット、回、漢の順が当時の習慣だったのでしょうか。漢族はかつて蒙古族を支配していた憎い宿敵だからランクを一番下にした?そして満族は蒙古が直接いろいろな恩恵を受けたから蒙古よりも上?もし何かご存知でしたら教えてください。
写真の文字も上から
満、蒙、チベット、回、漢の順
なのでしょうか。
下から二番目は蒙古文字のように見えますが・・・回文字というのは見たことがないのですが、これがそうなのでしょうか。
2006年09月06日14時34分 返信するRE: 看板の一番上の文字
清王朝の時代は”五族”という言葉で中国の主要な民族をあらわす経緯がありました。”五族”は満・蒙・漢・蔵・回等の五族である。
満民族は統治者ですから、一番上になる分けて、蒙古族は2番目の位置に居たけれど、蒙古(内・外)のラマ教(仏教)の起源は蔵(チベット)ですから、宗教上は
チベット文字は蒙古文字の上になるわけと思う。
今の中国の”五族”は満・蒙・漢・蔵・回ではなく、漢・蒙・蔵・壮(広西に住む少数民族)・維(ウイグル族)です。それは中国の紙幣(表示文字は五種類)を見ればすぐわかる。2006年09月06日15時00分 返信するRE: RE: 看板の一番上の文字
お返事ありがとうございます。
なるほど、清王朝時と現在では5族の構成要素が違うんですね。今では漢族にどうかしてまるで存在感のない満族が5族から外れるのは納得ですが、主要なエスニックグループである回族が5族から落ちてしまったのが意外です。
写真の看板の文字に話を戻すと、この看板の文字を特定するには寺院の建立時期をまず特定する必要がありそうです。5族の構成要素同様主要な文字も時代によって変わるわけですから。この看板のかかっていた寺はたまたま通りがかっただけなので、私には分かりませんが、漠然と清王朝より前の私は13世紀ー14世紀のものかと思っていました。
2006年09月06日15時30分 返信するRE: 看板の一番上の文字
看板の写真をも一回を拝見しまして、文字の順番は満、蔵、蒙古と漢の順です。
全部は5種類ではなく、4種類です。
お寺自体は13世紀ー14世紀(元の末期或いは明の初期)できたものかも知れませんが、恐らく清の時代何回修繕されたと思います。看板は建物より若いということになります。
なぜなら13世紀ー14世紀には満族の文字またできていなかったから。2006年09月06日15時54分 返信する -
「おつかれさま」が、なぜか、口から出てしまう地球の田舎 ニジェール
遊びまわったニジェールを思い出しました。労働の合間、木の下で接待されるオチョコのニジェール茶、「アッタイ」。一杯目は苦い苦い、気が遠くなるほど苦くて甘い人生の味。二杯目は甘い甘い心香るほろ苦い恋の味。三杯目は家族と友だちを思う哀愁の味。ニジェールには茶道があります。茶道具(ほとんどが中国製)が、お土産になりました。日本なら11人乗りの箱バン。30人は乗ります。「タクシードブルース」なんて、日本人好みの愛称がついてました。実際、屋根の上に何でも載せます。車の屋根から落ちてくるヤギの糞と、足元で悲鳴を上げてる鶏の大スペクタークル!紛うことない、現地人とのスキンシップ。彼らはわりと皮膚温度が低かった。ルート1のタクシーの思い出。青息吐息の国営バスは首都ニアメから出てます。無い物が書いてある時刻表とレストランのメニューは、読まない方が腹が立ちません。お国自慢の料理は何なのかと聞かれても、考え込んでしまう。今も思い出せない。辛子とピーナッツ粉をまぶした串焼肉ブロシェット。お店によって材料は違います。牛に当ればラッキー、ほとんどがヤギ、羊。正真正銘の炭火焼。赤痢、肝炎に注意すればこんな美味しいつまみはありません。そうそう、キリンビールがありました。コンヂュクチユールっていったけ。もう一つフラッグという銘柄も。ザンデールで出された冷凍瓶ビール。テーブルの上で見る見るうちに解けていった。特産の落花生と輪切りのタマネギと焼肉を前に、砂嵐の中でも白い歯を見せて笑いながら立ち話。暑くて暑くて暑くて暑いニジェール。本当に何も無いけど、言葉も通じないけど思いやりの国。帰国の時、泡、稗しか食ってない友達から土産だと言ってもらった2キロの白米。砂の飛行場が涙で歪んだ。RE: 「おつかれさま」が、なぜか、口から出てしまう地球の田舎 ニジェール
書き込みありがとうございます。旅に出ていたのでお返事遅れてしまいました。
ニジェールにはずいぶん長く滞在されたようですね。お茶の名前、「アッタイ」っていうんですか。私は通りすがりだったので、茶道のような出され方はされていないかも。いつもお変わりは断ってたから気づかなかったのかな。北アフリカアラブ同様、ミントが利いて砂糖がたくさん入った緑茶みたいな感じだったと記憶してます。
タクシーブルース、なつかしい。乾燥地なので道はぬかるんでいない
ですが、それでも詰め込みのミニバンで長時間の移動は本当につらかった。キリン麦酒があったんですね。気づかなかった。
おっしゃるように何もない国でしたが、人はとっても親切でしたね。
もしよければ、旅行記を写真とともにアップしてください。楽しみにしてます。
km2006年09月03日13時35分 返信する