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写真はリクエストをいただいていた南ジョージアのもののみ。南極半島の写真は未掲載。<br /><br />*南極ツアー<br />第7の大陸南極には前々から興味はあったがなかなか訪問できなかった。寒い、高い、遠い、そしてなによりクルーズ船ツアーに参加するだけの長期休暇が取れなかった。南極半島に上陸することができるツアーは11-3月の間、アルゼンチンのウシュアイアなどからたくさん出ているが、南ジョージア島を経由する南極ツアーとなるとかなり限られてきてくる。ツアー参加の1年も前からいろいろな船会社・代理店にコンタクトを取っていたが、9月の申し込み時点で、11月出発の5つの船の中で一番安いクラス(3人部屋を他人と共有)が残っているツアーはひとつだけ(PS)で、ほとんど選択の余地はなかった。一番安いクラスといっても7200ドル。一国・地域にかける予算としては過去最高。けれど、参加できるのは一生に一回かもしれないし、南ジョージアを見ずして死んだら死んでも死に切れない(?)のでやむを得ない出費と覚悟する。PSはウシュアイア発着、19日間で、英領フォークランド諸島、英領南ジョージアを経由して南極半島とその周辺の島を回る。ウシュアイアの代理店では売れ残りチケットをディスカウント料金で売っているが、こと南ジョージア経由のものに関してはラストミニッツに期待してウシュアイアで申し込むのは売り切れの可能性があるので注意が必要だろう。ツアーの参加者は、50歳以上が過半数のようだった。ツアー参加者90数名の国籍は、米英NZ加独が多く、純粋なアジア人は私一人だけ。対照的なのが、クルーメンバー(船のスタッフ)で、その過半数がフィリピン人だった。これは「豊かな白人と、そうではない有色人種」という構造が21世紀になっても変わっていないことを象徴するかのようだった。ただ、日本人のご年配の参加が見られないのは、予算よりも言葉の壁が大きいのかもしれない。理由はともかく、豊かな地球の自然を日本人観光客があまり共有できていないのは残念なこと。機会を見つけてもう少し南ジョージアの魅力を宣伝したい。クルーズ船乗船中は、南極地方の動植物、地殻変動論、南極探検の歴史などレクチャーが豊富で、一人参加でも退屈はしなかった。ただ、英語に不安がある、または社交的でない人だと、食事の時など孤立してしまうので、家族や友人と誘い合わせて参加するのがお勧めだ。船の揺れに関しては、もっと小さな船に慣れている私はがまんできたが、もとフットボール選手だというアメリカ人のルームメイト(身長2m、体重200kgぐらい?)は思い切り吐いていてきつそうだった。防寒服などはウシュアイアの旅行代理店でレンタルできた。長靴など込みで100ドル足らず。<br /><br />*南ジョージアとペンギン<br />南極に行くならどうしても南ジョージア経由にしたかった。南極大陸には生息していないキングペンギンのコロニーが見たかったからだ。キングペンギンは南極の皇帝ペンギンより一回り小さく、成長したもので80cmくらいだ。近くてみると、防水機能の<br />ある決め細やかな羽がとてもきれいだ。キングペンギンの性格はとても好奇心旺盛だ。黄色に特に興味を示すと聞いていたが、実際には着ている服の色に関係なく人間に近寄ってくる。中には近寄ってくるだけではなく服や持ち物をつついてくるペンギンもいた。私がレンタルした服も黄色の混じった青地だったが寝転んでいるとペンギンがつつきに来た。南ジョージアは一年365日のうち300日は雨か雪という観光にはあまり適していない土地で、ゾディアック(小さなゴムボート)による上陸も困難なことが多い。現に私たちのツアーでも予定されていた上陸が2回キャンセルになった。海上から見る星の数のようなペンギンの数と密度はまさに圧巻だ。私たちが上陸できたのは1番大きなコロニー(6万匹)でも二番目に大きなコロニー(2,5万)でもなかったが、大地一面に広がるペンギンの絨毯を目の前に一生分のペンギンを見尽くした感だ。ペンギンは陸上ではぎこちなく歩くけれど、実は泳ぎともぐりはとてもうまい。イルカのようにぴょんぴょんと軽快に水面を切っていく様子を何度か見ることができた。皇帝ペンギンは500mも潜水できるそうだ。(後日ガラパゴスでペンギンと泳ぐ経験をすることができた)<br /><br />*南極条約とフォークランド<br />南極条約は南緯60度以南の地域を平和と科学の地と位置づけ、動植物の保護を徹底し、また各国の領土主張を凍結している。この条約は世界の主要国が批准しており2021年まで有効だ。南緯60度より北は南極条約の適用範囲でないので、領土主張は凍結されない。このことがフォークランド紛争と関係している。1982年にイギリスとアルゼンチンの間で勃発したフォークランド紛争:フォークランド(アルゼンチン名マルビナス)はパナマ運河が開通する1914年までは、ヨーロッパと太平洋を結ぶ交通の要所として非常に重要な意味を持っていた。しかし今は戦略的な意味で重要とはいえない。大英帝国の意地だけで戦争をしていたようにも思われる。実際にフォークランドがずっとイギリス領だったかといえばそんなことはないのだ。フォークランドは、フランスが1764年に最初に拠点を置いてから、英仏西、そしてアルゼンチンなどの間で、侵略や購買が繰り返されてきた。イギリスからすればアルゼンチンの攻撃は侵略であったがアルゼンチンからすればイギリスによる不法占領から領地を解放するための正当な行為だったともいえ、アルゼンチン人はいまでも自国領土と信じて疑わない。<br /><br />*南ジョージアと捕鯨産業<br />20世紀初頭には、6つの捕鯨工場、21のフローティングファクトリー、そして61の捕鯨船を有し、南ジョージアは世界の捕鯨首都とも呼ばれていた。1859年に初めて石油が採掘されて以来、鯨油の重要性は相対的に低下していたが、天然のプラスチックともいえる鯨の髭(Baleen)は依然として巨大な富を生んでいたという。1965年までにはすべての基地が閉鎖され、かつての活気はどこにもない。現在では違法漁業を取り締まる政府職員や生態調査の科学者らのみが住んでいるだけだ。基地跡はアスベストなどの危険物質、建造物の崩落、建造物破片の飛来などの危険があり、基本的に近づけない。しかし、「首都」のGritviken(定住者がいないのに首都というのも変だが)では、危険物の除去と保守が完了しており、かつての捕鯨基地跡を歩き回れるようになっている。昔の地図を片手に、ペンギンやアザラシに占領されたかつての捕鯨<br />町を歩きながら、ノルウェー式教会や映画館跡地を探索するのは楽しかった。50年前までは繁栄していた植民地ないし「国」が無人になっているというのは感慨深いもので、国土や国ですらも普遍ではなく経年変化してゆくという自然の摂理(諸行無常)を改めて実感した。同様に、今から50年後にはなくなってしまう国もあるだろう。現にナウル・ツバル・トケラウなど地球温暖化等の影響で存続の危機にさらされている国もあるし、豪領ノーフォークのように、財政上の理由から自治権の返還が現実化しつつあるところもある。<br /><br />*世界をもっと知りたい。<br />今回の旅をもって全大陸到達、そしてISO3166-1のカントリーリストに載っている国(無人の5地域を除く)をすべて訪問することができました。私はたとえ表面的でもいいからすべての国と地域を見たいと思ってきましたが、一応目標としていたステージに到達することができました。そこで、km通信では今後何度かに分けて過去の旅を振り返り、今後の旅の方向性について書いてみたいと思います。世界を知りたい、そして世界を見てくればいろいろなことがわかると思ってはじめた旅ですが、一回りして気がついたのは世界は未だ私が知らないことばかりだということ。一人一<br />人が違っていてかけがえがないように、それぞれの国や地域には独自の輝きがある。それを堪能するためにも、それぞれの国や地域の民俗、民族、生物、政治、経済、歴史、地理、もっともっと知りたい。今後は語学の習得も含めてもっと奥行きの在る旅をしていきたいと思っています。<br />1 きっかけは福江島<br />私が世界を旅したいと強く思うようになったきっかけは、はじめての一人旅で訪れた長崎県福江島のおばあちゃんとの出会いだったように思います。長崎といえば鎖国時代にも海外に開かれていた国際的豊かな地。上海、香港、台湾、韓国などへ距離は,東京長崎間よりもずっと短い。高校生だった私は、長崎の、日本にあって外国を感じさせるエキゾチックなイメージにひかれて、JRの青春18切符を手にやってきました。実際長崎市中心部のエキゾチックさは期待を裏切らないものでしたが、そこから船に乗って行った五島列島は外国ムードとは無縁な素朴な離島でした。ある日路上でおばあちゃんに会いました。80歳くらいだったと思います。彼女は私の一人旅に興味を示し、私たちはしばらく立ち話をしました。彼女は東京にも大阪にも行ったことがないといいます。香港や韓国が目と鼻の先なのに海外に行ったこともありません。さらに驚いたことに、彼女は長崎市を含む九州本土にも行ったことがないといいます。明治にこの島に生まれ、原爆が長崎市に投下された太平洋戦争、朝鮮戦争、高度成長期、オイルショック、冷戦終結・・・激動の20世紀を、福江島でどのように見つめそして感じていたのでしょうか。おそらくその後も島を出ることなく一生を終えてしまったでしょう(おばあちゃん、生きてたらごめんね)。福江島は本当にすばらしい島だけれど、ずっと島に缶詰なんて・・・・私はこんな人生は耐えられないと思いました。欧米の世界地図で見ると日本は本当に東の端っこのちっぽけな小島です。世界地図を基準にしたら日本列島全体が、日本地図を基準にした福江島のようなもの。けれど世界にはいろんな人が住んでいていろんな文化があり暮らしがあるはず。それを実際に見たいと強く思いました。日本という小さな島を出て外の世界を見てみたい。そうでないと、このおばあちゃんのように外の世界を知らないまま年をとってしまうような気がして、あせりすら感じました。今思えば、福江島のおばあちゃんは、家族と島に生活するだけで満ち足りていて、外に行きたいとも思わない人、つまり幸せを内に見つけられた人であって、海外に行きたいのに行けない不幸な籠の鳥というわけではなかった。人は旅よりも大切なもの(仕事・家庭・子供・彼氏彼女など)を見つけたときそれを優先するし、旅なんか必要ですらなくなる。私は旅よりも大切なものにめぐり合っていないというだけなのかもしれない。それはともかく私は福江島に行って以後、将来は絶対にいろんな国を見てくるぞと心に決めたのでした。<br />

Antarctica

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2006/11 - 2006/12

54位(同エリア199件中)

2

14

km777

km777さん

写真はリクエストをいただいていた南ジョージアのもののみ。南極半島の写真は未掲載。

*南極ツアー
第7の大陸南極には前々から興味はあったがなかなか訪問できなかった。寒い、高い、遠い、そしてなによりクルーズ船ツアーに参加するだけの長期休暇が取れなかった。南極半島に上陸することができるツアーは11-3月の間、アルゼンチンのウシュアイアなどからたくさん出ているが、南ジョージア島を経由する南極ツアーとなるとかなり限られてきてくる。ツアー参加の1年も前からいろいろな船会社・代理店にコンタクトを取っていたが、9月の申し込み時点で、11月出発の5つの船の中で一番安いクラス(3人部屋を他人と共有)が残っているツアーはひとつだけ(PS)で、ほとんど選択の余地はなかった。一番安いクラスといっても7200ドル。一国・地域にかける予算としては過去最高。けれど、参加できるのは一生に一回かもしれないし、南ジョージアを見ずして死んだら死んでも死に切れない(?)のでやむを得ない出費と覚悟する。PSはウシュアイア発着、19日間で、英領フォークランド諸島、英領南ジョージアを経由して南極半島とその周辺の島を回る。ウシュアイアの代理店では売れ残りチケットをディスカウント料金で売っているが、こと南ジョージア経由のものに関してはラストミニッツに期待してウシュアイアで申し込むのは売り切れの可能性があるので注意が必要だろう。ツアーの参加者は、50歳以上が過半数のようだった。ツアー参加者90数名の国籍は、米英NZ加独が多く、純粋なアジア人は私一人だけ。対照的なのが、クルーメンバー(船のスタッフ)で、その過半数がフィリピン人だった。これは「豊かな白人と、そうではない有色人種」という構造が21世紀になっても変わっていないことを象徴するかのようだった。ただ、日本人のご年配の参加が見られないのは、予算よりも言葉の壁が大きいのかもしれない。理由はともかく、豊かな地球の自然を日本人観光客があまり共有できていないのは残念なこと。機会を見つけてもう少し南ジョージアの魅力を宣伝したい。クルーズ船乗船中は、南極地方の動植物、地殻変動論、南極探検の歴史などレクチャーが豊富で、一人参加でも退屈はしなかった。ただ、英語に不安がある、または社交的でない人だと、食事の時など孤立してしまうので、家族や友人と誘い合わせて参加するのがお勧めだ。船の揺れに関しては、もっと小さな船に慣れている私はがまんできたが、もとフットボール選手だというアメリカ人のルームメイト(身長2m、体重200kgぐらい?)は思い切り吐いていてきつそうだった。防寒服などはウシュアイアの旅行代理店でレンタルできた。長靴など込みで100ドル足らず。

*南ジョージアとペンギン
南極に行くならどうしても南ジョージア経由にしたかった。南極大陸には生息していないキングペンギンのコロニーが見たかったからだ。キングペンギンは南極の皇帝ペンギンより一回り小さく、成長したもので80cmくらいだ。近くてみると、防水機能の
ある決め細やかな羽がとてもきれいだ。キングペンギンの性格はとても好奇心旺盛だ。黄色に特に興味を示すと聞いていたが、実際には着ている服の色に関係なく人間に近寄ってくる。中には近寄ってくるだけではなく服や持ち物をつついてくるペンギンもいた。私がレンタルした服も黄色の混じった青地だったが寝転んでいるとペンギンがつつきに来た。南ジョージアは一年365日のうち300日は雨か雪という観光にはあまり適していない土地で、ゾディアック(小さなゴムボート)による上陸も困難なことが多い。現に私たちのツアーでも予定されていた上陸が2回キャンセルになった。海上から見る星の数のようなペンギンの数と密度はまさに圧巻だ。私たちが上陸できたのは1番大きなコロニー(6万匹)でも二番目に大きなコロニー(2,5万)でもなかったが、大地一面に広がるペンギンの絨毯を目の前に一生分のペンギンを見尽くした感だ。ペンギンは陸上ではぎこちなく歩くけれど、実は泳ぎともぐりはとてもうまい。イルカのようにぴょんぴょんと軽快に水面を切っていく様子を何度か見ることができた。皇帝ペンギンは500mも潜水できるそうだ。(後日ガラパゴスでペンギンと泳ぐ経験をすることができた)

*南極条約とフォークランド
南極条約は南緯60度以南の地域を平和と科学の地と位置づけ、動植物の保護を徹底し、また各国の領土主張を凍結している。この条約は世界の主要国が批准しており2021年まで有効だ。南緯60度より北は南極条約の適用範囲でないので、領土主張は凍結されない。このことがフォークランド紛争と関係している。1982年にイギリスとアルゼンチンの間で勃発したフォークランド紛争:フォークランド(アルゼンチン名マルビナス)はパナマ運河が開通する1914年までは、ヨーロッパと太平洋を結ぶ交通の要所として非常に重要な意味を持っていた。しかし今は戦略的な意味で重要とはいえない。大英帝国の意地だけで戦争をしていたようにも思われる。実際にフォークランドがずっとイギリス領だったかといえばそんなことはないのだ。フォークランドは、フランスが1764年に最初に拠点を置いてから、英仏西、そしてアルゼンチンなどの間で、侵略や購買が繰り返されてきた。イギリスからすればアルゼンチンの攻撃は侵略であったがアルゼンチンからすればイギリスによる不法占領から領地を解放するための正当な行為だったともいえ、アルゼンチン人はいまでも自国領土と信じて疑わない。

*南ジョージアと捕鯨産業
20世紀初頭には、6つの捕鯨工場、21のフローティングファクトリー、そして61の捕鯨船を有し、南ジョージアは世界の捕鯨首都とも呼ばれていた。1859年に初めて石油が採掘されて以来、鯨油の重要性は相対的に低下していたが、天然のプラスチックともいえる鯨の髭(Baleen)は依然として巨大な富を生んでいたという。1965年までにはすべての基地が閉鎖され、かつての活気はどこにもない。現在では違法漁業を取り締まる政府職員や生態調査の科学者らのみが住んでいるだけだ。基地跡はアスベストなどの危険物質、建造物の崩落、建造物破片の飛来などの危険があり、基本的に近づけない。しかし、「首都」のGritviken(定住者がいないのに首都というのも変だが)では、危険物の除去と保守が完了しており、かつての捕鯨基地跡を歩き回れるようになっている。昔の地図を片手に、ペンギンやアザラシに占領されたかつての捕鯨
町を歩きながら、ノルウェー式教会や映画館跡地を探索するのは楽しかった。50年前までは繁栄していた植民地ないし「国」が無人になっているというのは感慨深いもので、国土や国ですらも普遍ではなく経年変化してゆくという自然の摂理(諸行無常)を改めて実感した。同様に、今から50年後にはなくなってしまう国もあるだろう。現にナウル・ツバル・トケラウなど地球温暖化等の影響で存続の危機にさらされている国もあるし、豪領ノーフォークのように、財政上の理由から自治権の返還が現実化しつつあるところもある。

*世界をもっと知りたい。
今回の旅をもって全大陸到達、そしてISO3166-1のカントリーリストに載っている国(無人の5地域を除く)をすべて訪問することができました。私はたとえ表面的でもいいからすべての国と地域を見たいと思ってきましたが、一応目標としていたステージに到達することができました。そこで、km通信では今後何度かに分けて過去の旅を振り返り、今後の旅の方向性について書いてみたいと思います。世界を知りたい、そして世界を見てくればいろいろなことがわかると思ってはじめた旅ですが、一回りして気がついたのは世界は未だ私が知らないことばかりだということ。一人一
人が違っていてかけがえがないように、それぞれの国や地域には独自の輝きがある。それを堪能するためにも、それぞれの国や地域の民俗、民族、生物、政治、経済、歴史、地理、もっともっと知りたい。今後は語学の習得も含めてもっと奥行きの在る旅をしていきたいと思っています。
1 きっかけは福江島
私が世界を旅したいと強く思うようになったきっかけは、はじめての一人旅で訪れた長崎県福江島のおばあちゃんとの出会いだったように思います。長崎といえば鎖国時代にも海外に開かれていた国際的豊かな地。上海、香港、台湾、韓国などへ距離は,東京長崎間よりもずっと短い。高校生だった私は、長崎の、日本にあって外国を感じさせるエキゾチックなイメージにひかれて、JRの青春18切符を手にやってきました。実際長崎市中心部のエキゾチックさは期待を裏切らないものでしたが、そこから船に乗って行った五島列島は外国ムードとは無縁な素朴な離島でした。ある日路上でおばあちゃんに会いました。80歳くらいだったと思います。彼女は私の一人旅に興味を示し、私たちはしばらく立ち話をしました。彼女は東京にも大阪にも行ったことがないといいます。香港や韓国が目と鼻の先なのに海外に行ったこともありません。さらに驚いたことに、彼女は長崎市を含む九州本土にも行ったことがないといいます。明治にこの島に生まれ、原爆が長崎市に投下された太平洋戦争、朝鮮戦争、高度成長期、オイルショック、冷戦終結・・・激動の20世紀を、福江島でどのように見つめそして感じていたのでしょうか。おそらくその後も島を出ることなく一生を終えてしまったでしょう(おばあちゃん、生きてたらごめんね)。福江島は本当にすばらしい島だけれど、ずっと島に缶詰なんて・・・・私はこんな人生は耐えられないと思いました。欧米の世界地図で見ると日本は本当に東の端っこのちっぽけな小島です。世界地図を基準にしたら日本列島全体が、日本地図を基準にした福江島のようなもの。けれど世界にはいろんな人が住んでいていろんな文化があり暮らしがあるはず。それを実際に見たいと強く思いました。日本という小さな島を出て外の世界を見てみたい。そうでないと、このおばあちゃんのように外の世界を知らないまま年をとってしまうような気がして、あせりすら感じました。今思えば、福江島のおばあちゃんは、家族と島に生活するだけで満ち足りていて、外に行きたいとも思わない人、つまり幸せを内に見つけられた人であって、海外に行きたいのに行けない不幸な籠の鳥というわけではなかった。人は旅よりも大切なもの(仕事・家庭・子供・彼氏彼女など)を見つけたときそれを優先するし、旅なんか必要ですらなくなる。私は旅よりも大切なものにめぐり合っていないというだけなのかもしれない。それはともかく私は福江島に行って以後、将来は絶対にいろんな国を見てくるぞと心に決めたのでした。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • rayさん 2007/01/07 19:53:55
    おめでとうございます☆
    kmさん こんばんは♪

    私が昨年はじめてkmさんの旅行記を拝見した時には、まだ211ケ国を踏破されているだけでしたが(この時点でそんな事本当に出来る人が居るなんて信じられないと思いましたが…)、いつの間にか218ケ国でISO3166-1のカントリーリストに載っている国を完全党派されたとの事、おめでとうございます。
    ただただ凄い!!の一言です。
    これからは何を目標とされるか今の所存じ上げませんが、今後も旅を楽しんで、旅行記で私達にまだ見ぬ世界を紹介して楽しませて下さいね。
    宜しくお願い致します。

    km777

    km777さん からの返信 2007/01/10 22:11:57
    RE: おめでとうございます☆
    RAYさん
    メッセージありがとうございます。お気に入りにも登録してくださったんですね。私は今年はアジアの大国中国とインドを中心に旅していこうと思っています。旅行記のアップもぼちぼちしたいです。
    Rayさんは年末年始NYだったんですね。今年のアメリカは超暖冬と聞いていましたが、Rayさんのご滞在中も雪ではなく雨だったんですね。今後も寄らせてもらいます。どうぞよろしく。
    km

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