さすらいおじさんさんのクチコミ(129ページ)全3,789件
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景観保存と管理事務所機能を兼用した蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)の水門統合管理所
投稿日 2011年08月23日
総合評価:4.0
七里の渡に面して桑名を象徴する蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)が復元され水門統合管理所となっている。歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」でも、海上の名城と謳われた桑名城の象徴として蟠龍櫓を描いている。「蟠龍」とは、天に昇る前のうずくまった状態の龍のことで水を司る聖獣、航海の守護神として据えられたものと考えられている。
水門統合管理所建設の際、蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)を復元して管理所として使用しようとの発想は観光遺産の景観保存と管理事務所機能を兼用したものですばらしい。
アクセス—-JR・近鉄名古屋線・養老鉄道桑名駅から市内A循環バス「本町」下車徒歩約5分- 旅行時期
- 2011年05月
- アクセス:
- 3.0
- JR・近鉄名古屋線・養老鉄道桑名駅から市内A循環バス「本町」下車徒歩約5分
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2011年08月21日
総合評価:4.5
長良川河口堰のそばにあるアクアプラザながらは長良川の水害から守り、水資源を確保するために建設された長良川河口堰、長良川に関する情報提供施設。展望所からは長良川や河口堰全体が間近に見える。館内では水害の状況などを映像、パネル、模型などで紹介している。
見学ーー無料
アクセスーーー桑名駅より三重交通バスで10分~20分「なばなの里」バス停下車、徒歩約5分
開館時間ーーー午前9時30分~午後4時30分(入館は午後4時まで)
休館日ーーー年末年始(12月29日~1月3日)
バリアフリーーーー障害者用駐車場、障害者用トイレ、車椅子対応エレベーターがある。- 旅行時期
- 2011年05月
- アクセス:
- 3.0
- 桑名駅より三重交通バスで10分〜20分「なばなの里」バス停下車、徒歩約5分
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.5
- 障害者用駐車場、障害者用トイレ、車椅子対応エレベーターがある
-
長良川を見ながら散策できる長良川河口堰(ながらがわかこうぜき)
投稿日 2011年08月21日
総合評価:4.0
長良川(ながらがわ)は、岐阜県の大日ヶ岳(だいにちがたけ1709m)を源として、伊勢湾に注ぐ木曽三川(木曽川、揖斐川、長良川)のひとつ。清流として有名で柿田川(静岡県清水町を流れる富士山の湧水)、四万十川(高知県の西部を流れる渡川水系)とともに日本三大清流のひとつと言われる。中流域が1985年に環境庁の「名水百選」に選ばれ1994年に長良川河口堰が出来るまでは、本州で唯一の本流に堰の無い大きな川だった。
長良川河口堰(ながらがわかこうぜき)は、長良川の河口部に治水と利水を目的に作られた堰(河口堰)で堤頂長661m堰高8.2m。 長良川河口堰の上は一般客が歩くことができ、長良川を見ながら散策できる。
アクセスーーー桑名駅より三重交通バスで10分~20分「なばなの里」バス停下車、徒歩約5分- 旅行時期
- 2011年05月
-
投稿日 2011年08月19日
総合評価:4.0
長島水辺のやすらぎパークは発電用施設周辺地域振興事業の観光施設として、旧久我邸を改修し休憩施設として整備したもの。久我家は江戸時代、長島藩の重職にあったが1871年の廃藩置県によって長島県が置かれたが安濃津県に編入され1872年には三重県と改称された。久我氏は戸長に任命され、長島・大島・松ヶ島・駒江・出口・又木・小島の各村を治め、1889年に市町村制が施行されるまで戸長の職にあった。1946年、農地改革が施行され地主として所有してきた農地が解放された。戸長の屋敷は残り家屋を1879年に改築、明治の生活様式を知る上で貴重な建物であることから空家となっていた家屋敷を2003年長島町が譲り受け、観光客などの休憩施設として改装をし、「長島水辺のやすらぎパーク」として利用することとしたとのこと。大地主の衰亡を物語る歴史だが、やすらぎパークは庭園がきれいな公園だった。
アクセスーーー近鉄長島駅より徒歩約20分、桑名市長島町又木117-3
休業日ーーー毎週月曜日(祝・休日の場合は翌日)
施設入館は無料
障害者用トイレあり、障害者用駐車場あり- 旅行時期
- 2011年05月
- アクセス:
- 3.0
- 近鉄長島駅より徒歩約20分、桑名市長島町又木117-3
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.5
- 障害者用トイレあり、障害者用駐車場あり
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2011年08月17日
総合評価:3.5
七里の渡し(しちりのわたし)は東海道五十三次の宮宿から桑名宿までの海上の渡し。
東海道唯一の海路の拠点で、1601年の東海道制定の際に定められているが七里の渡しの名は宮宿から桑名宿までの移動距離が7里であったことに由来するそうで「桑名の渡し」、「熱田の渡し」、「宮の渡し」、「間遠の渡し」などとも言われた。東海道海路の拠点・宮宿、桑名宿は渡船場として賑わい、旅籠屋数が東海道の最大規模だったそうだ。だが陸路に比べ、旅程が短く体力的にも楽な海路は遭難の危険も多かったそうだ。
アクセスーーーJR・近鉄桑名駅からバス15分、東名阪自動車道・長島ICから10分、長島スポーツランド近く- 旅行時期
- 2011年05月
- アクセス:
- 3.0
- JR・近鉄桑名駅からバス15分、東名阪自動車道・長島ICから10分、長島スポーツランド近く
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2011年08月17日
総合評価:3.5
長島スポーツランドには ゴルフができるガーデンコース、アンツーカーのテニスコート、乗馬教室がある乗馬クラブ、10種類の浴槽と健康器具があるクアハウスなどがあり、1日楽しめる。
休館日---第3火曜日
アクセスーーーJR・近鉄桑名駅からバス15分、東名阪自動車道・長島ICから10分、桑名市長島町福吉879-5- 旅行時期
- 2011年05月
- アクセス:
- 3.0
- JR・近鉄桑名駅からバス15分、東名阪自動車道・長島ICから10分
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 施設の快適度:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- アトラクションの充実度:
- 3.0
-
本願寺門徒が大きな勢力だった長島一向一揆(ながしまいっこういっき)跡
投稿日 2011年08月17日
総合評価:3.5
長島一向一揆(ながしまいっこういっき)は、1570−1574年の石山合戦に伴い、伊勢長島(伊勢国と尾張国の境界付近)を中心とした地域で本願寺門徒らが蜂起した一向一揆。織田信長との間で三度に渡る激しい合戦が起こり最後は織田軍の勝利に終わったが善戦だった。
長島という地名はもともと「七島・ななしま」で、木曽川、揖斐川、長良川の河口付近の輪中地帯を指している。付近には数十の寺院があり、本願寺門徒が大きな勢力を持ち尾張国西南部・美濃国南部・伊勢国北部における一大自治勢力だった。
1501年、自治勢力の統制のために本願寺蓮如(れんにょ1415−1499年)の六男・蓮淳(れんじゅん、1464−1550年)を住職として願証寺が創建され、本願寺門徒は地元の国人領主層を取り込み地域を支配し門徒衆約十万人といわれた。
織田氏や斎藤氏、各国領主たちは長島に立ち入ることもできず稲葉山城を追われた斎藤龍興(さいとう たつおき1548−1573年)は長島へ逃げ込んでいる始末。この時代、蓮如を中心に織田信長と対等に渡り合えるほどの本願寺門徒の自治勢力の巨大さが想像できる。
アクセスーーーJR・近鉄桑名駅からバス15分、東名阪自動車道・長島ICから10分、長島スポーツランド近く- 旅行時期
- 2011年05月
- アクセス:
- 3.0
- JR・近鉄桑名駅からバス15分、東名阪自動車道・長島ICから10分、長島スポーツランド近く
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2011年08月15日
なばなの里 ウィンターイルミネーション 冬華の競演 桑名・長島
総合評価:3.5
なばなの里(なばなのさと)は、桑名市長島町にあるナガシマリゾートの一部。
園内にはレストラン、長島温泉を利用した日帰り温泉施設「里の湯」、隣接する駐車場には東海地区最大級の「花市場」がある。「ウィンターイルミネーション 冬華の競演(とうかのきょうえん)」は冬季に行われるLEDを使用したイルミネーションイベントで光のトンネルはテレビコマーシャルでも良く知られている。 「花市場」の中を歩かせてもらったがとても広く、花の種類も多く見ごたえがあった。
アクセスーー桑名駅より三重交通バスで10分~20分「なばなの里」バス停下車、徒歩約5分- 旅行時期
- 2011年05月
- アクセス:
- 3.0
- 桑名駅より三重交通バスで10分〜20分「なばなの里」バス停下車、徒歩約5分
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 催し物の規模:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
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投稿日 2011年08月15日
総合評価:3.5
ナガシマスパーランドは、桑名市長島町にある遊園地でナガシマリゾートの中心。1966年にオープンした西日本有数の絶叫マシンの宝庫で、「東の富士急、西のナガシマ」とも呼ばれ屋外プール「ジャンボ海水プール」などが人気を呼んでいる。
隣接して温泉施設「湯あみの島」、「ホテル花水木」「ガーデンホテルオリーブ」「ホテルナガシマ」の宿泊施設、商業施設としてアウトレットモール「三井アウトレットパーク ジャズドリーム長島」などがある。
アクセス---JR・近鉄「桑名駅」から直通バスで「長島温泉」下車(約20分)- 旅行時期
- 2011年05月
- アクセス:
- 3.0
- JR・近鉄「桑名駅」から直通バスで「長島温泉」下車(約20分)
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 施設の快適度:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
- アトラクションの充実度:
- 3.5
-
投稿日 2011年08月12日
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投稿日 2011年08月12日
総合評価:3.0
神戸城(かんべじょう)は、鈴鹿市神戸本多町にあった城で江戸時代には神戸藩の藩庁が置かれていた。
神戸氏4代当主の神戸具盛(かんべ とももり、生年不詳 – 1551年)が天文年間(1532−1555年)が築城し、織田信長の3男神戸信孝(かんべ のぶたか、1558−1583年)により、より強固に修築されたとされている。
本丸には野面積みの天守台があり、かつては神戸信孝により5重6階の天守が築かれ、北東に小天守と南西に付櫓がある複合連結式の天守であったことが確認されている。天守は1595年に解体され、桑名城に三重櫓として移築されている。現在城の中心部は神戸公園となり、二の丸跡には、三重県立神戸高等学校が建てられており城跡は公園として整備され、本丸の石垣、堀の一部が残り三重県の史跡に指定されている。
アクセス--- 鉄 道: 近鉄鈴鹿線鈴鹿市駅〜徒歩約10分 車 :東名阪道鈴鹿IC〜県道27号線〜県道8号線- 旅行時期
- 2011年05月
- アクセス:
- 2.5
- 鉄 道: 近鉄鈴鹿線鈴鹿市駅〜徒歩約10分 車 :東名阪道鈴鹿IC〜県道27号線〜県道8号線
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2011年08月10日
総合評価:4.0
鈴鹿サーキットは日本初の本格的サーキットとして、1962年に本田技研工業によって建設され現在は国際レーシングコースを中心に、遊園地「モートピア」、ホテル、リゾート施設としてクアガーデン・オートキャンプ場、スポーツ施設としてボウリング場・テニスコートなどがあり、一大リゾート施設を形成している。
アクセス
近鉄名古屋線白子駅下車 三重交通路線バス約20分 タクシー約15分 徒歩約65分
近鉄鈴鹿線平田町駅下車 タクシー約15分 徒歩約45分
伊勢鉄道鈴鹿サーキット稲生駅下車 徒歩約20分- 旅行時期
- 2011年05月
- アクセス:
- 3.0
- 伊勢鉄道鈴鹿サーキット稲生駅下車 徒歩約20分
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 施設の快適度:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.0
- アトラクションの充実度:
- 3.5
-
投稿日 2011年08月06日
総合評価:3.5
亀山公園は、亀山城跡を中心とした地域約13haの公園。亀山城跡には、県下で唯一現存する城郭建造物として多門櫓があり、図書館、青少年研修センター、野外ステージ、芝生広場、菖蒲園、ますみ公園、北公園等がある。北公園は、もと藩主の別荘地で、眺望もよい。
亀山公園菖蒲園は、亀山城の濠(ほり)跡(あと)の名残りである「下の池」中心に100種類、約2万株の花菖蒲が植えられ、三重県下最大規模の菖蒲園になっている。
アクセスーーーJR 亀山駅から北へ徒歩10分。- 旅行時期
- 2011年05月
- アクセス:
- 3.5
- JR 亀山駅から北へ徒歩10分。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2011年08月06日
総合評価:3.5
亀山城(かめやまじょう)は、旧伊勢国亀山にあった城で別名は粉蝶城(こちょうじょう)。1265年に関実忠によって亀山市若山町に築城され、その後現在地に移され1567年の織田信長の伊勢進攻以降は、たびたび戦場となった。1590年に豊臣秀吉に従った岡本宗憲が入城後、天守、本丸、二の丸、三の丸などのその後の亀山城の母体となる城が形成されたとされ江戸時代初めごろには穴太衆(あのうしゅう)によって石垣が築かれたとされる。
明治維新以降は、1873年の廃城令によって、殆どの構造物が取り壊され現在は天守台・多聞櫓・石垣・堀・土塁など一部が残るのみ。多聞櫓は原位置のまま残る中核的城郭建築として三重県下では唯一の遺存例であり、現存する多聞櫓として全国的にも数少ない存在であるため、本丸南東の天守台と多聞櫓本体を併せて、「旧亀山城多聞櫓」の名称で三重県の史跡に指定されている。2006年には亀山城周辺保存整備事業の一環として、二の丸帯曲輪および周辺部分が江戸時代末期の状態に復元されている。
アクセスーーーJR 亀山駅から北へ徒歩10分。- 旅行時期
- 2011年05月
- アクセス:
- 3.5
- JR 亀山駅から北へ徒歩10分。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2011年08月04日
総合評価:3.5
宿場町・関宿が歴史に登場するのは、7世紀この地に「鈴鹿関」が設けられたのがはじめで地名の由来ともなっている。慶長6年(1601)徳川幕府が宿駅の制度を定めた際、関宿は東海道五十三次で47番目の宿場となり、問屋場や陣屋なども整えられた。古文書によると、天保14年(1843)には家数632軒、本陣2、脇本陣2、旅籠屋42があったとされ(東海道宿村大概帳)、鈴鹿峠を控えた東海道の重要な宿駅、伊勢別街道や大和街道の分岐点として、江戸時代を通じて繁栄した。東追分は伊勢別街道の分岐点で、鳥居は伊勢神宮の式年遷宮の際、古い鳥居を移築するのがならわしになっている。
アクセス-- JR関駅下車徒歩2分 名阪国道・関ICより10分- 旅行時期
- 2011年05月
- アクセス:
- 4.0
- JR関駅下車徒歩5分 名阪国道・関ICより10分
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2011年08月04日
総合評価:3.5
関宿の旅籠玉屋は「鶴屋」「会津屋」と並んで、関宿を代表する大旅籠だった。「関まちなみ資料館」との共通入場券(300円)で見学できる。
玉屋の開業時期は寛政12年(1800)の宿場絵図には代々襲名の理右衛門の名が記されており、既にその当時にはここで旅籠を営んでいたと考えられている。
東海道に面した主屋は、慶応元年(1865)築の木造二階建で、外観は関宿に多い二階を漆喰で塗り籠める形式で、江戸期の建物としては特別軒が高く、屋号に因んでの宝珠を形どった虫籠窓が特徴的と言える。
入口には大福帳を前にした番頭(蝋人形)が座り、二階には布団を敷き食器を並べた、江戸時代その侭の旅籠風景が再現されており、坪庭もあって奥行きが深い。奥には蔵があり、年4回展示替え(広重の浮世絵など)を行っている。主屋の他に、離れ・土蔵・納屋の4棟の建物があり、旅籠当時の建築物が一体的に保存されている。
アクセス-- JR関駅下車徒歩10分 名阪国道・関ICより10分- 旅行時期
- 2011年05月
- アクセス:
- 3.0
- JR関駅下車徒歩10分 名阪国道・関ICより10分
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2011年08月04日
総合評価:3.0
「関の山」という言葉の語源になったという関の山車(やま)の倉のひとつ中町三番町山車の倉にはていねいな説明がある。「関の曳山」は関宿で元禄年間(1688~1703)から伝わる祭で、最盛期には16基もあって華美を競い合ったそうだ。笛太鼓で祭囃子を奏でながら、家々の軒をかすめ、人混みをかき分けて巡行する様から、「この上ない、精一杯である」意味で用いられる「関の山」という言葉の語源になったという。現在4基の山車が四ヶ所の山車倉に保存され、毎年七月下旬の土・日に催される祭で活躍している。
アクセス-- JR関駅下車徒歩10分 名阪国道・関ICより10分- 旅行時期
- 2011年05月
- アクセス:
- 3.0
- JR関駅下車徒歩10分 名阪国道・関ICより10分
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2011年08月04日
総合評価:3.5
関宿高札場は、御茶屋御殿の街道に面した位置にあり、街道に面した間口11間余のほぼ中央に、枡形状の土塀に囲まれてあり、高札場の建設、高札の付け替えなどは亀山藩が行っていた。「東海道宿村大概帳」によると、関宿高札場には8枚の高札が掲げられており、その内容は、生活にかかわる様々な規範、キリシタン禁令や徒党・強訴などの禁止といった幕府の禁令、隣接宿場までの人馬駄賃の規定などで江戸時代の町内掲示板の役割であった。
アクセス-- JR関駅下車徒歩10分 名阪国道・関ICより10分- 旅行時期
- 2011年05月
- アクセス:
- 3.0
- JR関駅下車徒歩10分 名阪国道・関ICより10分
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
二階避面に千鳥破風をのせた派手な意匠が残る鶴屋脇本陣跡(つるやわきほんじんあと)
投稿日 2011年08月04日
総合評価:3.5
鶴屋脇本陣跡(つるやわきほんじんあと)は元鶴屋(波多野家)という宿。脇本陣は、本陣に準じる宿として、主に身分の高い人達の宿泊の用を勤めたが、平素は一般庶民も泊まることができた。鶴屋は西尾吉兵衛を名乗っていたので西尾脇本陣ともいった。二階避面に千鳥破風をのせた派手な意匠がみごたえがある。
アクセス-- JR関駅下車徒歩10分 名阪国道・関ICより10分- 旅行時期
- 2011年05月
- アクセス:
- 3.0
- JR関駅下車徒歩10分 名阪国道・関ICより10分
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2011年08月04日
総合評価:4.0
関まちなみ資料館の建物は、元の持主・別所マサさんから昭和60年に関町が買い取った町屋を、昭和61年度から3年かけて解体修理し、往時の姿に復元した建物。14代将軍家茂(在位1858~66)上洛時作成の「宿内軒別書上帳」には「別所屋勝次郎、間口四間、畳数廿八畳、二階畳数数拾壱畳」と、現在家屋と一致する記録があるそうで、この家の建築年代は文久年間(1861~64)以前とされる。
建物は主屋・角屋・土蔵で構成され、主屋の東側を土間・西側に床を張り、表から奥に向けて三列に部屋をとる関宿の町屋の典型的様式。
1階は、帳場、民具展示コーナー、関町・関宿紹介コーナーから成り、抽出付き箱階段で2階に上がると、川北本陣コーナー、まちなみ保存コーナーになっている。館内には「今も残るまちなみ」「関宿御茶屋御殿」「関宿年表」なども掲示されている。
料金ーーー関まちなみ資料館と旅籠玉屋の共通入場券(300円)
アクセス-- JR関駅下車徒歩10分 名阪国道・関ICより10分- 旅行時期
- 2011年05月
- アクセス:
- 3.0
- JR関駅下車徒歩10分 名阪国道・関ICより10分
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 展示内容:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0























