さすらいおじさんさんのクチコミ(145ページ)全3,789件
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投稿日 2008年10月30日
総合評価:4.0
兵庫県たつの市は姫路藩池田氏、龍野藩を立藩した本多氏らを経て脇坂氏が明治維新まで200年にわたって治めた5万3千石の城下町の町割りや武家屋敷が残っており「播磨の小京都」と呼ばれている。龍野の名の由来は『日本書紀』に登場し、垂仁天皇(すいにんてんのう、BC69−AD70と伝えられている)の命で当麻蹴速(たいまのけはや)と角力をとって勝ち相撲の神となった出雲国の勇者・野見宿禰(のみ の すくね)がこの地で没し、出雲から埋葬に多くの人が来て野に立ち並んだことから「立野」と呼ぶようになり「龍野」に変わっていったそうだ。龍野城は鶏籠山(けいろうざん)山麓の平山城本丸御殿が再建され豪華な内装を無料で見学できる。
関連旅行記――http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10280146/
(写真は龍野城跡)- 旅行時期
- 2008年09月
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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兵庫県・龍野(たつの)の矢野勘治記念館(やのかんじきねんかん)
投稿日 2008年10月29日
総合評価:4.0
旧制一高寮歌「春爛漫」、「嗚呼玉杯に」 などの作詞者として知られる矢野勘治(1880−1961年)は龍野出身者で霞城館(かじょうかん)の敷地内にある矢野勘治記念館の建物は矢野勘治が晩年を過ごした旧宅で、矢野に関する資料を展示している。 霞城館が1978年開館後、矢野勘治記念館は1992年に開館されている。
開館時間:9:30〜17:00 休館日:月曜日・祝日の翌日 料 金:霞城館と共通で大人200円 小・中学生100円
関連旅行記――http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10280368/
(写真は矢野勘治記念館)- 旅行時期
- 2008年09月
- アクセス:
- 2.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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投稿日 2008年10月29日
総合評価:4.0
龍野は童謡「赤とんぼ」の作詞者、三木露風(1889−1964年)はじめ第2次世界大戦後も思想弾圧され獄中死した西田幾太郎門下の哲学者で「人生論ノート」、「哲学ノート」などの著 書で知られる三木 清 (みき きよし1897−1945)や与謝野鉄幹門下の詩人で犬養毅にも師事して人道主義・平和主義を称えた内海青潮(1884−1968年)などの文化人を輩出しており、矢野勘治旧邸横には三木露風・三木清・内海青潮などの文献資料を展示した「竜野文学館 霞城館(かじょうかん)」 が設けられている。1978年に開館された。
開館時間:9:30〜17:00 休館日:月曜日・祝日の翌日 料 金:矢野勘治記念館と共通で大人200円 小・中学生100円
関連旅行記――http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10280368/
(写真は霞城館)- 旅行時期
- 2008年09月
- アクセス:
- 2.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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投稿日 2008年10月28日
総合評価:4.0
うすくち龍野醤油資料館(うすくちたつのしょうゆしりょうかん)は世界初の醤油の博物館として1979年に開館している。本館では江戸時代から昭和初期までの醤油作りに使われた道具類を展示して当時の醤油造りの作業工程を紹介している。別館では安土桃山時代に醤油造りがはじまり江戸時代初期に創案されたうすくち醤油によって栄えた龍野醤油の歴史を紹介している。別館の2階はギャラリーになっており、龍野出身の日本画家・山下摩起(やました・まき1890−1973年)の作品を常設展示している。
博物館の建物は、本館が菊一醤油本社社屋として建てられた後ヒガシマル醤油の先代本社として使用され、別館は先々代ヒガシマル醤油本社として使用された後に龍野醤油協同組合本館として使用されていた。
開館時間―9〜17時(入館は16時30分まで) 休館日― 月曜日(月曜が祝日の時は開館) 入場料― 10円(別館と共通)
関連旅行記――http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10280637/
(写真はうすくち龍野醤油資料館)- 旅行時期
- 2008年09月
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
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兵庫県・龍野(たつの)の龍野歴史文化資料館(2008年9月)
投稿日 2008年10月28日
総合評価:4.0
龍野城跡にある龍野歴史文化資料館では古代から近世までの龍野の文化資料を保存・公開している。特に江戸時代の武士の武具、生活用品などの展示品が多い。
開館時間:9:00~17:00 休館日:月曜日・祝日の翌日 料 金:一般200円
大・高・中・小学生100円
関連旅行記――http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10281321/
(写真は龍野歴史文化資料館の展示)- 旅行時期
- 2008年09月
- アクセス:
- 2.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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投稿日 2008年10月27日
総合評価:4.0
武家屋敷資料館は1837年頃に建てられた鉄砲師、鍛冶職家系の、芝辻平左衛門の屋敷跡。二人扶持、御流格、御盃格といわれる下級武士の住居だったそうだが下級武士といえども立派な屋敷だ。ここでは江戸時代の武士の暮らしぶりを垣間見ることができる。
開館時間:10:00~16:00 休館日:月曜日(祝日の場合は翌日) 料 金:無料
関連旅行記――http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10281321/
(写真は武家屋敷資料館)- 旅行時期
- 2008年09月
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
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投稿日 2008年10月27日
総合評価:3.0
圓光寺は播磨(現在の兵庫県・太子町)出身といわれる剣豪宮本武蔵(みやもとむさし1584頃−1645年)が慶長年間の一時期境内に道場を開き、弟子たちに指南していたといわれている。脇坂藩の菩提寺である如来寺境内には、龍野を代表する詩人・三木露風の歌碑と筆塚がある。
関連旅行記――http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10281321/
(写真は圓光寺)- 旅行時期
- 2008年09月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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聖徳太子ゆかりの兵庫県・太子町の斑鳩寺(いかるがでら)(2008年9月)
投稿日 2008年10月26日
総合評価:4.0
斑鳩寺(いかるがでら、はんきゅうじ)は、兵庫県揖保郡太子町鵤(いかるが)にある天台宗の寺院。
606年に聖徳太子(574−622年)が推古天皇(554−628年)に法華経を講義した褒美に播磨国揖保郡の水田が下賜され、斑鳩荘と命名し伽藍を建立したのが斑鳩寺の始まりと伝えられている。
室町時代後期の1541年、、守護大名の赤松氏と山名氏、尼子氏の争いで焼失したが勢力を取り戻した赤松氏が1665年に復興した際、法隆寺支院から天台宗へ改宗したといわれている。地元では「お太子さん」として広く信仰を集めている。
太子町HP――http://www.town.taishi.hyogo.jp/
関連旅行記――http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10278158/
(写真は太子町の斑鳩寺)- 旅行時期
- 2008年09月
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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投稿日 2008年10月26日
総合評価:3.0
1762年に発刊された地誌・播磨鑑には「宮本武蔵、揖東郡鵤ノ庄宮本村ノ産ナリ、若年ヨリ兵術ヲ好ミ諸国ヲ修行シ、天下ニカクレナク則、武蔵流ト云テ諸士ニ門人多シ。――」と記され「五輪書」に武蔵が自ら「生国播磨の武士・・・」と記載していることから兵庫県・太子町生誕説は最有力説といわれている。宮本武蔵の生誕地と名乗る町は兵庫県・太子町の他に岡山県美作市(旧大原町)がある。江戸時代後期の地誌『東作誌』では武蔵は美作国(現在の岡山県)で生まれたとしており吉川英治(1892−1962年)の小説『宮本武蔵』は美作生誕説を採用している。現在、武蔵生家跡と伝えられた場所には、古井戸が残っている。
JR網干駅からタクシーで5分、徒歩20分。
太子町HP――http://www.town.taishi.hyogo.jp/
関連旅行記――http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10277964/
(写真は「宮本武蔵生誕地の碑」)- 旅行時期
- 2008年09月
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
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投稿日 2008年10月25日
総合評価:4.0
成田山新勝寺別院である成田山大阪別院明王院(成田山不動尊)は京阪電鉄・香里園駅から徒歩10分ほどの高台にある。
本山の成田山新勝寺は平将門の乱(939−940年)の際に朱雀天皇(すざくてんのう923−952年)の命で939年に寛朝大僧正(かんちょうだいそうじょう916−998年)が東国へ下向し祈祷したことが起源といわれる。
成田山大阪別院明王院(成田山不動尊)は、大阪の表鬼門であり京都の裏鬼門となる枚方・香里園に1934年、京阪電鉄の境内地と堂宇の寄進によって誕生した。
成田山不動尊は創建されてまだ75年ほどの若い寺院だが、関西では日本で初めての「自動車専用祈祷殿」で知られ「交通安全祈願」で年間20万台の祈祷車と200万人が参拝に訪れる。正月三が日も関西有数の参拝者数を誇る寺院だ。
関連旅行記:日本の旅 関西を歩く 大阪・成田山不動尊
http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10271916/
(写真は成田山不動尊の本殿)- 旅行時期
- 2008年09月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
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投稿日 2008年10月25日
総合評価:3.0
本願寺中興の祖と呼ばれる蓮如上人(れんにょしょうにん1415−1499年)開祖の光善寺は京阪電鉄の光善寺駅から徒歩10分ほどのところにある。1475年、布教先の越前吉崎から枚方に布教に訪れた61才の蓮如上人が、淀川河畔に立てた草庵が後に光善寺として建立されたそうだ。
光善寺から200mほど南に行くと左側に「親鸞聖人 蓮如上人 御田地」の大きな石碑が目を引く。石碑の奧の玉垣の中には蓮如上人が腰をかけて説法したという小さな丸い「腰掛石(こしかけいし)」がある。
関連旅行記:日本の旅 関西を歩く 大阪・蓮如上人開祖の光善寺と腰掛石
http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10271381/
(写真は蓮如上人の腰掛石)- 旅行時期
- 2008年09月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
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大阪・陸軍香里製造所跡の「在りし軍国少女非戦の誓い」の碑(2008年9月)
投稿日 2008年10月25日
総合評価:3.0
戦前、枚方(ひらかた)は禁野(きんや)火薬庫・枚方(ひらかた)製造所・香里(こうり)製造所という陸軍の火薬製造保管施設がある日本有数の爆弾製造拠点だった。戦後陸軍香里製造所跡はニュータウン香里団地に生まれ変わり、当時の遺産は水道局用地となった妙見山配水地(通称エントツ山)に旧製造所汽缶場の20mの煙突が残っているだけだ。当時香里製造所では13歳から17歳までの女学生数百人が1トン爆弾の火薬を作る労働を強いられていた。2008年8月15日の終戦記念日に火薬工場に学徒動員された当時の女学生有志らが非戦(戦争をしない)を誓って「在りし軍国少女非戦の誓い」の碑を旧陸軍香里製造所汽缶場前・末広公園内に建造した。香里製造所で働いていた女学生有志が戦争体験記「女学生の戦争体験」を自費出版し、本の売り上げや寄付金で石碑を建てたそうだ。後世に自分たちが強いられた苦しみを2度と体験させまいとの思いを個々人の負担で伝えようとする行動はすばらしいと思う。
関連旅行記:日本の旅 関西を歩く 大阪・陸軍香里製造所跡と「つづり方兄妹」
http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10272150/
(写真は「在りし軍国少女非戦の誓い」の碑)- 旅行時期
- 2008年09月
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投稿日 2008年10月24日
総合評価:4.0
モスクワ国際児童つづり方コンクールで一等賞になりながら結果を知る前に亡くなった幼い房雄の悲劇は1958年の映画「つづり方兄妹」で多くの人たちの涙を誘った。大阪府下の小中学校には「つづり方兄妹」の本が図書館に置かれ、この時代は授業の一環として講堂などで「映画鑑賞」の時間があり、多くの子供たちは「つづり方兄妹」の映画を見て泣き悲しんだ。日本中が貧しく苦しい時代だったが、他人を思いやる人情は現代よりも勝っていたように思う。
野上房雄君(ふうちゃん1948−1957)は交野市私部墓地(かたのしきさべぼち)に家族とともに眠っており、「つづり方兄妹」を知る世代の人たちが今もお参りしている。
ふうちゃんの墓は交野市私部墓地(かたのしきさべぼち)の大きな楠の下にある。1000以上の墓があるのでわかりにくいが、大きな楠を目印にすると探しやすい。
関連旅行記:日本の旅 関西を歩く 大阪・陸軍香里製造所跡と「つづり方兄妹」
http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10272150/
(写真は「つづり方兄妹」の墓)- 旅行時期
- 2008年09月
-
投稿日 2008年10月24日
総合評価:4.0
交野ヶ原(現在の交野市、枚方市一帯)には七夕伝説があり、天の川、逢合(あいあい)橋、星田、天田の宮、かささぎ橋、牽牛石、など七夕にちなむ地名もたくさん残っている。
交野市、枚方市一帯では毎年7月7日には七夕祭りが催され2007年には「全国七夕サミット」も開催された。
七夕の日には機物神社(はたものじんじゃ)に祀られている「おりひめ(織女 )」と観音山公園の牽牛石「ひこぼし(牽牛)」が「天の川」にかかる「逢合(あいあい)橋」で年1度の逢瀬を楽しむと言われている。なんともロマンチックな街だ。
関連する旅行記:日本の旅 関西を歩く 大阪・七夕伝説の交野ヶ原
http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10271106/
日本の旅 関西を歩く 大阪・七夕伝説の機物神社http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10162715/
(写真は観音山公園にある牽牛像)- 旅行時期
- 2008年09月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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香港島金鐘の「中国人民解放軍駐香港部隊大厦」(2008年6月)
投稿日 2008年10月23日
総合評価:3.0
香港島金鐘にはグラス型の人民解放軍駐香港部隊が駐留している「中国人民解放軍駐香港部隊大厦」がある。香港返還前はイギリス軍の司令部が置かれていた「プリンス・オブ・ウェールズ・ビル」だった。イギリス統治時代の香港の遺産のひとつとして一見の価値がある。
香港の旅【1】 香港島上環と中環の光景
http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10255888/
(写真は「中国人民解放軍駐香港部隊大厦」ビル)- 旅行時期
- 2008年06月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
投稿日 2008年10月23日
総合評価:4.0
ランタオ島は香港島西方にある香港最大の島。香港国際空港が1998年に開港し2005年には香港ディズニーランドが開園している。地下鉄東涌線で東涌へ行き街を歩いてみたが、巨大なショッピングセンターや高層住宅が建造され都市開発が進んでいた。2006年には仏教文化のテーマパーク、ゴンピン・ビレッジと東涌を結ぶ5.7キロのスカイレイル、ゴンピン360が完成し観光設備も開発が進んでいた。
関連旅行記:香港の旅【4】 ランタオ島・東涌の光景
http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10256690/
(写真はランタオ島東涌の光景)- 旅行時期
- 2008年06月
- 観光の所要時間
- 半日
-
香港国際空港と香港都心部間のエコノミーなアクセス方法(2008年6月)
投稿日 2008年10月22日
総合評価:4.0
香港島から香港国際空港に行くのにツーリストMTRワンデイパス(50HK$・750円―1日地下鉄乗り放題)で1日香港観光したのち、地下鉄東涌まで出て駅前のバスターミナルから空港バスに乗ってみた。空港バスは10分から15分に1本、1時間に4,5本出ており料金は3.5HK$・約50円と安い。鉄道利用、直行バス利用と比べて、1度東涌で乗り換えは必要だが時間的にもコスト的にも空港と香港都心部間のアクセスに一番良い方法ではないかと思った。
関連旅行記:香港の旅【4】 ランタオ島・東涌の光景
http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10256690/
(写真はランタオ島東涌のバスターミナル前の光景)- 旅行時期
- 2008年06月
- 利便性:
- 4.0
-
投稿日 2008年10月22日
総合評価:4.0
英国、インドの軍用地跡に造られた14ヘクタールの広大な九龍公園は地下鉄尖沙咀駅の側にある。池、鳥園、中国式花園、西洋風庭園、児童公園、迷宮(迷路)、彫刻などがあり、市民の憩いの場になっている。この日は水景花園の花が美しかった。九龍公園の一角にはイスラム寺院・九龍清真寺があり敬虔なイスラム教信者のお祈りの様子が見られた。
関連旅行記:香港の旅【2】 尖沙咀・九龍公園周辺の光景
http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10256172/
(写真は九龍公園の光景)- 旅行時期
- 2008年06月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
香港の九龍・尖沙咀「アベニュー・オブ・スターズ」(2008年6月)
投稿日 2008年10月07日
総合評価:4.0
九龍・尖沙咀の南端、海に面する地域には香港太空館、香港藝術館、香港科学館などの文化施設やフェリー埠頭中港埠頭などがあり観光客が多い。
香港島に面した尖沙咀プロムナードから見る光景は香港を代表する美しいものだが、2004年4月に尖沙咀プロムナード中心部に誕生した「アベニュー・オブ・スターズ」を初めて歩いた。
香港の映画史に貢献をした映画人、俳優たちを讃える440mの散歩道にブルース・リー像やジャッキー・チェン、ジェット・リーなど80人以上の映画人、俳優の手形とサインがあり、ロサンゼルスのチャイニーズ・シアター&ウォーク・オブ・フェイムの香港版だそうだ。
関連旅行記:香港の旅【3】 九龍・尖沙咀「アベニュー・オブ・スターズ」周辺の光景
http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10256550/
(写真は「アベニュー・オブ・スターズ」のブルース・リー像)- 旅行時期
- 2008年06月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
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マカオから中国の珠海(ジューハイ)への入国(2008年6月)
投稿日 2008年10月07日
総合評価:3.0
珠海(じゅかい・ジューハイ)は中国広東省南部の人口約120万の地方都市。マカオ特別行政区に隣接する経済特区。マカオ・関門のイミグレーションを通って珠海の街に入り、海岸を歩いてみた。珠海側で入国カードの記入、入国審査、税関、の手続きを行ったが長い列ができて入国までに約20分かかった。マカオは1999年に中国に返還されたとはいえ、出入国の手続きはあまり簡素化されていないのではないかと思った。やはり、マカオと珠海とでは物価の差がかなりあるようで、レストランの値段(例えばチャーハン18元・270円)はマカオより30%くらい割安感があった。またマカオタワーの入場チケットはマカオで80パカタ・1200円だったが珠海地下ショッピング街では50元・750円(約40%安)で販売していた。
関連旅行記:中国の旅 珠海(ジューハイ)の光景
http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10255677/
(写真は珠海の国境前の光景)- 旅行時期
- 2008年06月























