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さすらいおじさんさんのクチコミ(143ページ)全3,789件

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  • 交野ヶ原の歴史遺産・出屋敷円通寺(2008年11月)

    投稿日 2008年12月18日

    寝屋川・枚方・交野

    総合評価:3.0

    東高野街道(ひがしこうやかいどう)は、かつて京都から高野山への参詣道として用いられた街道で現在も街道沿いには古い町並みが残っている。
    東高野街道沿いの出屋敷にある円通寺は楠木松と呼ばれた松の下に和田賢秀(にぎた かたひで –1348年)の胴体を葬ったといわれている。
    和田賢秀は楠木正成(くすのき まさしげー1336年)の甥にあたり、正成の息子でいとこの楠木正行(くすのき まさつらー1348年)とともに四條畷の戦い(1348年)で足利 尊氏(あしかが たかうじ1305−1358年)の腹心・高師直(こうのもろなおー1351年)軍と戦ったが敗れて戦死した。
    出屋敷円通寺は大阪府立山田池公園から徒歩10分弱。

    関連旅行記―http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10293160/
    (写真は出屋敷の街並み)

    旅行時期
    2008年11月
    アクセス:
    2.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 交野ヶ原の歴史遺産・招提(しょうだい)・敬応寺(2008年11月)

    投稿日 2008年12月17日

    寝屋川・枚方・交野

    総合評価:3.0

    招提(しょうだい)村は、室町時代に浄土真宗の道場・敬応寺(けいおうじ)を中心に形成された自治集落・寺内村だった。1543年境内の縄張りをおこない道場の堂を建立し、蓮如(れんにょ1415−1499年)の六男、蓮淳(れんじゅん1464−1550年)を招いた。
    招提(しょうだい)は京阪牧野駅から東に徒歩15分。
    関連旅行記―http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10293160/
    (写真は敬応寺)

    旅行時期
    2008年11月
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 交野ヶ原の歴史遺産・星田妙見宮(2008年11月)

    投稿日 2008年12月17日

    寝屋川・枚方・交野

    総合評価:4.0

    星田妙見宮は生駒山系の巨岩・磐座(いわくら)を祀っている神社。
    弘仁年間(810−824年)弘法大師・空海(774−835年)が獅子窟で修行中、七曜の星が三ヶ所に分かれて、地上に落ちてきたそうだ。弘法大師は「三光清岩正身の妙見」と称し、星の霊場として星を磐座として祀り星田妙見宮の場所を星田村としたといわれている。妙見宮は参道を妙見山の頂上まで登ったところにあり、2個の巨石、磐座(いわくら)・妙見石、織女石を拝むことができる。巨石・磐座(いわくら)は巨大な隕石ということになるのだが、山頂にある巨石を見ると、平地から持ち上げることは考えられない。凡人としては、恐らく巨大な岩ごと平地が隆起したのだろうと想像するが、本当に天から巨大な星が降ってきたのかもしれない。京阪私市(きさいち)から徒歩20分。JR学研都市線、星田駅から徒歩15分。

    関連旅行記―http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10293352/
    (写真は星田妙見宮)

    旅行時期
    2008年11月
    アクセス:
    2.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 交野ヶ原の歴史遺産・徳川家康の「ひそみの薮」(2008年11月)

    投稿日 2008年12月16日

    寝屋川・枚方・交野

    総合評価:3.0

    星田妙見宮の参道近くに徳川家康(1542−1616年)が本能寺の変(1582年)の時、三河に逃げ帰る途中に潜んだと伝わる竹薮がある。
    織田信長(1534−1582年)が京都本能寺で明智光秀(1528−1582年)の謀反で攻められ自害した時、家康は少人数の近臣とともに堺に滞在中だった。光秀軍に狙われる危険から脱出して急いで三河に戻ろうとした家康は、深夜星田に着き薮の中に身を潜めたといわれる。家康は村の長・安井氏に山城方面に出る間道に精通している道案内人を出すように依頼、平井家の2名が道案内を買って出て、家康は山城経由で伊賀から三河に無事脱出できたといわれている。JR学研都市線、星田駅から徒歩10分。

    関連旅行記−http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10293568/
    (写真は徳川家康の「ひそみの薮」)

    旅行時期
    2008年11月
    アクセス:
    2.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 交野ヶ原の歴史遺産・徳川家康の星田の陣跡(2008年11月)

    投稿日 2008年12月16日

    寝屋川・枚方・交野

    総合評価:3.0

    1615年大坂夏の陣の際には徳川方は星田を宿営地にした。徳川家康は因幡矢橋城主市橋長勝(いちはし ながかつ1557−1620年)の進言で星田の村の長・平井三郎右衛門清貞宅を陣所としたが本能寺の変(1582年)の時に家康を助けたことが評価されたと伝えられている。清貞方では本宅から10間(18m)ほど北の5間(9m)四方ほどの一室を整えて家康の来宅に備えていたそうだ。
    出陣の際に平井家には火入れ、小鉢類、湯呑茶碗など、家康使用の品々が与えられている。
    徳川家康への協力により、市橋家には近江西大路陣屋で2万石の所領と河内の星田に1300石余の所領が与えられ、平井家は市橋家領の庄屋になったそうだ。
      市橋家8代当主で近江仁正寺藩第7代藩主・市橋長昭((いちはし ながあき1773−1801年)が寛政年間(1789―1801年)に星田を訪れた際、徳川家康に協力して信頼を得た市橋長勝の功績を称える碑を建てようと立案、相模国小田原藩第7代藩主大久保忠真(おおくぼ ただざね1782−1837年)筆の「神祖営址之碑」 を1805年に建てた。この碑は「徳川家康の星田の陣の碑」として平井家の一角にひっそりと残っている。JR学研都市線、星田駅から徒歩10分。

    関連旅行記−http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10293568/
    (写真は徳川家康の星田の陣跡碑)

    旅行時期
    2008年11月
    アクセス:
    2.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 交野ヶ原の歴史遺産・星田神社(2008年11月)

    投稿日 2008年12月15日

    寝屋川・枚方・交野

    総合評価:3.0

    星田神社(ほしだじんじゃ)の祭神は住吉四神、底筒男命(そこつつのおのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)、息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)とし、磐船神社、石清水八幡宮の分霊のほか恵比寿社、天照大神社、菅原社、庚申塚、祖霊社も祀っている。
    星田神社に隣接し、神仏習合思想に基づいて星田神社を実質的に運営していた仏教寺院である神宮寺であるだ星田寺がある。星田には「星」の名のとおり、天体にまつわる史跡が多い。
    JR学研都市線、星田駅から徒歩10分。

    関連旅行記―http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10293765/
    (写真は星田神社の放生池)

    旅行時期
    2008年11月
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 交野ヶ原の歴史遺産・磐船神社(2008年11月)

    投稿日 2008年12月15日

    磐船神社 寝屋川・枚方・交野

    総合評価:4.0

    磐船神社(いわふねじんじゃ)は、交野市(かたのし)の天の川(あまのかわ・天野川)の渓谷沿いにある。「天の磐船」(あめのいわふね)とよばれる饒速日命(にぎはやひのみこと);が乗って降臨したといわれる高さ約12メートル・長さ約12メートルの舟形の巨岩を磐座(いわくら)・御神体としている。
    京阪私市(きさいち)駅から徒歩3−40分。

    関連旅行記−http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10294174/
    (写真は磐船神社)

    旅行時期
    2008年11月
    アクセス:
    2.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 高野山詣の中継駅、和歌山・橋本駅(2008年11月)

    投稿日 2008年12月07日

    橋本駅 (和歌山県) 高野山周辺

    総合評価:4.0

    和歌山県橋本市の橋本駅(はしもとえき)は、JR西日本と南海電鉄の共同駅で改札口はひとつ。
    橋本市は約7万人の街で高野山中興の僧・応其上人(おうごしょうにん1537−1608年)が高野詣の便を良くするために1587年に紀の川に橋をかけたことから橋本と呼ばれるようになったそうだ。
    駅前広場には高野町生まれの漫画家・楳図かずお(うめず かずお1936年−)の代表作の主人公「まことちゃん」の像があり、駅の正面には橋本が生んだ2人のオリンピック金メダリスト前畑 秀子(まえはた ひでこ1914−1995年・結婚後は兵藤秀子)、古川 勝(ふるかわ まさる1936−1993年)の紹介写真が掲げられている。
    関連旅行記:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10286609/
    (写真は和歌山・橋本駅)

    旅行時期
    2008年11月
    施設の快適度:
    4.0

  • 高野山の奥の院(2008年11月)

    投稿日 2008年12月07日

    高野山奥の院 高野山周辺

    総合評価:4.0

    空海は62歳で永遠の悟りの世界に「入定」し高野山奥の院で生き続けていると信じられている。
    高野山は死後魂が訪れる「他界」と信じられ、弘法大師のそばで永眠することを望む人たちが墓碑を建て石塔群が形成されたとされ、奥の院には結城秀康の石廟・霊屋(たまや)、織田信長、豊臣秀吉、石田光成、筒井順慶、武田信玄、勝頼、前田利長、法然、親鸞など多くの歴史的人物の墓碑や供養塔を参拝できる。奥の院表参道入り口の一の橋まで南海高野山駅からバスで10分。
    関連旅行記:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10287917/
    (写真は奥の院参道沿いにある、織田信長の墓碑)

    旅行時期
    2008年11月
    アクセス:
    2.0
    人混みの少なさ:
    3.0

  • 石童丸の悲話が伝わる高野山刈萱堂(2008年11月)

    投稿日 2008年12月05日

    苅萱堂 高野山周辺

    総合評価:4.0

    奥の院の入り口、一の橋から約300m西に行くと刈萱堂(かりかやどう)がある。ここは哀しい「石童丸物語」で知られる刈萱道心(かりかやどうしん)と石童丸(いしどうまる)ゆかりのお堂。刈萱と石童丸の一代記が絵物語で掲げられており、経緯がよくわかる。

    関連旅行記―http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10288909/
    (写真は高野山刈萱堂の刈萱と石童丸の一代記)

    旅行時期
    2008年11月
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 熊谷直実の高野山熊谷寺(2008年11月)

    投稿日 2008年12月05日

    高野山周辺

    総合評価:4.0

    熊谷 直実(くまがい なおざね1141−1207年)は、「平家物語」・「敦盛最期」の段、平敦盛(たいら の あつもり1169−1184年)との一ノ谷の戦いでの一騎打ちで知られている。15歳で散った平敦盛への憐憫の情は能の『敦盛』、幸若舞の『敦盛』などの作品でも伝えられ、敦盛の美少年ぶりは可憐な「アツモリソウ(敦盛草)」の名前で親しまれている。
    法然の弟子となり出家し法名を法力房蓮生(ほうりきぼうれんせい)とした直実は光明寺 (京都府長岡京市)はじめ多くの寺を建立しているが高野山の熊谷寺もそのひとつ。奥の院の入り口、一の橋から西に徒歩5分。

    関連旅行記―http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10289229/
    (写真は熊谷寺)

    旅行時期
    2008年11月
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 悲恋の横笛伝説、高野山の大円院(2008年11月)

    投稿日 2008年12月05日

    横笛の恋塚 高野山周辺

    総合評価:4.0

    大円院(大圓院)は平家物語で語られている「滝口入道と横笛」で知られる平家の武将・斉藤時頼が出家後阿浄・あ じようと称して第八世代住職を務めた寺。
      「横笛」に一目ぼれした斉藤時頼は父に結婚を反対され京都嵯峨野の 往生院(現在の滝口寺) に出家し高野山で修行。尼僧になった横笛は19才の若さで病死し鶯に姿を変えて 高野山の大円院住職阿浄のもとに飛んでいったが井戸に落ちて死んでしまった。
    鶯が横笛の化身であることに気づいた阿浄は、井戸から鶯をすくい上げ、阿弥陀如来像 を彫り鶯のなきがらを仏像の胎内に収めて大円院 の本尊とした。
    大円院では、梅の木を鶯梅(おうばい)、井戸を 鶯井(うぐいすい) と呼んで大切にしている。金剛峯寺と奥の院の入り口、一の橋の間にある。

    大円院のHP−http://www.rose.sannet.ne.jp/dai-en-in/index.htm
    関連旅行記・悲恋の横笛伝説、大円院周辺―http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10289642/
    関連旅行記・京都の嵯峨野―http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10158426/
    (写真は大円院の鶯梅)

    旅行時期
    2008年11月
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 高野山・金剛峯寺(2008年11月)

    投稿日 2008年12月03日

    金剛峯寺 高野山周辺

    総合評価:4.0

    金剛峯寺(こんごうぶじ)は、高野山真言宗総本山の寺院。開祖・弘法大師空海(こうぼうだいしくうかい774−835年)は嵯峨天皇(さがてんのう786−842年)から816年に高野山の地を賜った。高野山は、蓮の花が開いたような八葉の峰(今来峰・宝珠峰・鉢伏山・弁天岳・姑射山・転軸山・楊柳山・摩尼山)に囲まれた盆地状の平地部分に宗教都市を築いたもので、ヒマラヤ山脈に囲まれた標高1300mの盆地に築かれたネパールの宗教都市・カトマンズを連想させる日本では珍しい地形の仏教聖地といえるだろう。空海は800mの高い峰の中心の盆地を曼荼羅世界とみなして伽藍の建立に努めた。高野山は9世紀から隆盛期、衰亡期、戦乱期など歴史の荒波に翻弄されながらも生き続けている
    関連旅行記―http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10290063/
    (写真は金剛峯寺)

    旅行時期
    2008年11月
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    3.0

  • 高野山・壇上伽藍(2008年11月)

    投稿日 2008年12月03日

    壇上伽藍 高野山周辺

    総合評価:4.0

    高野山は西院谷、南谷、谷上、本中院谷、小田原谷、千手院谷、五の室谷、蓮花谷の8地区に分かれすべての地区に多くの寺院が建立されている。西端には高野山の正門にあたる大門(重文)があり、地区東端には奥の院への入口である一の橋がある。信仰の中心は、総本山金剛峯寺の西、「壇上伽藍」と呼ばれる地区で、ここには金堂、根本大塔、東塔、西塔、御影堂などの堂塔が並んでいる。

    関連旅行記−http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10290526/
    (写真は東塔)

    旅行時期
    2008年11月
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 高野山・徳川家霊台(2008年11月)

    投稿日 2008年12月02日

    徳川家霊台 高野山周辺

    総合評価:4.0

    徳川家霊廟(とくがわけれいびょう)は、日光東照宮はじめ日本の各地にあるが高野山には徳川家康・秀忠親子の霊を祀る国の重要文化財・徳川家霊台(とくがわけれいだい)がある。
    徳川家康・秀忠親子の霊を祭る安国院殿霊廟(家康)と台徳院殿霊廟(秀忠)の2基の霊屋(たまや・重要文化財)は3代将軍家光が1643年に建立したもの。6m四方の一重宝形(ひとえほうぎょう)造とのことで勾欄(こうらん)を配している。家康は寅、秀忠は兎の干支の彫刻があり壁面・天井・厨子すべてに金銀の蒔絵や極彩色の装飾金具など豪華な飾りが施されている。

    関連旅行記―http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10290837/
    (写真は徳川家霊台)

    旅行時期
    2008年11月
    アクセス:
    2.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 高野山・女人堂(2008年11月)

    投稿日 2008年12月02日

    女人堂 高野山周辺

    総合評価:4.0

    高野山には七つの登り口があり、高野七口(こうやななくち)と呼ばれていたが1872年に女人禁制が解かれるまで、女性の立ち入りが厳しく制限されていた。そのため各登り口に女性のための参籠所が設けられ、女人堂と呼ばれていた。徳川家霊台に近い女人堂は唯一現存する建物とのことだ。
    関連旅行記―http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10291035/
    (写真は女人堂)

    旅行時期
    2008年11月
    アクセス:
    2.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 開通した大阪・中之島線(2008年10月)

    投稿日 2008年11月30日

    心斎橋・淀屋橋

    総合評価:4.0

    中之島線(なかのしません)は、大阪市北区の中之島駅から中央区の天満橋駅(この間は 渡辺橋駅、大江橋駅、なにわ橋駅の3駅3キロ)を結ぶ京阪電鉄の全区間地下路線で2008年10月19日に開通した。
    中之島線開通によって大阪の都心である堂島川と土佐堀川に挟まれた中之島を東西に横切る鉄道が無かったので中之島周辺で勤務する人たち、大阪府立国際会議場、リーガロイヤルホテル、国立国際美術館、大阪市立科学館、中之島公園など中之島周辺の施設を利用する人たちは便利になった。
    関連旅行記:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10286029/
    (写真は中之島線開通に伴って駅名変更を知らせるポスター)

    旅行時期
    2008年10月
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    乗り場へのアクセス:
    5.0

  • 羅城門跡(2008年10月)

    投稿日 2008年11月30日

    京都府京都文化博物館 二条・烏丸・河原町

    総合評価:4.0

    京都文化博物館には羅城門の30分の1造営模型がある。
    平安京の羅城門は,朱雀大路(すざくおおじ)の南端に建てられた都の正門。入母屋造(いりもやづくり)の幅35メートル奥行9メートル高さ21メートルの大きな門で朱雀大路の南端に建つ羅城門と,4キロ北に建つ朱雀門は同じ形と大きさであったと考えられている。羅城門は816年と980年の2度暴風雨で倒壊し以後は再建されなかった。芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)の小説「羅生門」、黒澤明(くろさわあきら)のベニス国際映画祭グランプリとアメリカのアカデミー外国映画賞を獲得した映画「羅生門」(1950年)のモデルになった。 1895年、平安遷都千百年紀念祭の事業の一つとして,湯本文彦(ゆもとふみひこ)の提案による平安京実測事業がなされ,羅城門の位置を決め,南区唐橋羅城門町花園児童公園内に「羅城門遺址」の石碑が建てられた。
    関連旅行記:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10285885/
    (写真は京都文化博物館の羅城門の30分の1造営模型)

    旅行時期
    2008年10月
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.0

  • 戊辰戦争の樟葉砲台(台場)跡の碑(2008年11月)

    投稿日 2008年11月17日

    寝屋川・枚方・交野

    総合評価:4.0

    戊辰戦争(ぼしんせんそう1868−1869年)の緒戦「鳥羽・伏見の戦い」で使用された樟葉砲台(台場)跡の碑と発掘作業中の樟葉砲台(台場)跡は京阪橋本駅から樟葉方面に南に徒歩5分、久修恩院の南側にある。1864年に幕府は大阪湾から淀川をさかのぼって侵入することが予測された外国船に対抗するために大砲を淀川の両岸に設置した。「橋本の戦い」では対岸の大山崎を高浜砲台で守備していた津藩が新政府軍側へ寝返ったため、樟葉砲台(台場)から対岸に砲弾を撃って対抗したが砲弾が尽きてしまったので自ら破壊したことが説明されている。
    (写真は樟葉砲台跡の碑)

    関連旅行記:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10283755/

    旅行時期
    2008年11月
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 京都文化博物館(2008年10月)

    投稿日 2008年11月13日

    京都府京都文化博物館 二条・烏丸・河原町

    総合評価:4.0

    京都文化博物館(きょうとぶんかはくぶつかん)は、京都の歴史と文化の紹介を目的とし平安建都1200年記念事業として1988年に開館された。前身は平安博物館という私立博物館だった。現在別館の建物は旧日本銀行京都支店(重要文化財)で京都文化博物館創設時に財団法人古代学協会から京都府に寄贈された。
    別館の建物は煉瓦造りで設計は辰野金吾(たつの きんご1854−1919年)。1906年に日本銀行京都支店として竣工し1968年に重要文化財に指定された。京都市中京区三条通高倉北西角、地下鉄烏丸線烏丸御池駅から徒歩5分。
    関連旅行記:http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10285885/
    (写真は京都文化博物館別館)

    旅行時期
    2008年10月
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.0

さすらいおじさんさん

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