さすらいおじさんさんのクチコミ(142ページ)全3,789件
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投稿日 2008年12月26日
総合評価:4.0
和歌山県立近代美術館と和歌山県立博物館は和歌山城前に1994年、黒川紀章(くろかわ きしょう1934−2007年)のデザインで建てられた。
近代美術館に所蔵されている絵画、彫刻は、川端龍子、浜口陽三ら郷土作家、佐伯祐三、梅原龍三郎、イサム・ノグチ、ヘンリー・ムーアなど1万点近いそうだ。
美術館に隣接する博物館では高野山や熊野三山、熊野古道など和歌山の歴史文化を紹介している。
JR,、南海、和歌山駅からバスで県庁前下車、徒歩2分。
関連旅行記―http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10294491/
(写真は和歌山県立近代美術館前の光景)- 旅行時期
- 2008年11月
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2008年12月26日
総合評価:4.0
和歌山城は、享保の改革(きょうほうのかいかく)を断行した8代将軍徳川吉宗(とくがわ よしむね1684−1751年)、公武合体政策で1862年に和宮(かずのみや1846−1877年)と結婚したが早世した14代将軍徳川家茂(とくがわ いえもち1846−1866年)らを輩出した紀州徳川家の居城。
1995年のNHKの大河ドラマ「八代将軍吉宗」、2008年の「篤姫(あつひめ)」に登場した徳川家茂などで和歌山城一帯が全国に知られるようになっている。
和歌山城は標高50mほどの、海上から見ると猛虎が伏している姿に似ているといわれる虎伏山(とらふすやま)に本丸、二の丸、三の丸が配されていた。海に近い平地の中の丘に築かれた平山城(ひらやまじろ)で「虎伏山竹垣城」とも呼ばれている。JR,、南海、和歌山駅からバスで県庁前下車、徒歩5分。
関連旅行記―http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10294656/
(写真は和歌山城)- 旅行時期
- 2008年11月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
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投稿日 2008年12月26日
総合評価:4.0
和歌山城の西の丸庭園は、江戸時代初期に西の丸御殿とともに造られた日本庭園で、紅葉渓庭園とも呼ばれ、1972年再建の鳶魚閣(えんぎょかく)や二段の滝が設けられている。二の丸と西の丸を結ぶ御橋廊下(おはしろうか)も復元され、廊下から見る紅葉渓庭園の紅葉が美しい。紅葉渓庭園には和歌山市の名誉市民・故松下幸之助(1894−1989年)が1973年に寄贈した 茶室・紅松庵がある。西の丸庭園は、江戸時代初期の遺構を残す大名庭園として、国の名勝に指定されている美しい庭園だ。JR,、南海、和歌山駅からバスで県庁前下車、徒歩5分。
関連旅行記―http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10294805/
(写真は御橋廊下から見る光景)- 旅行時期
- 2008年11月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
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堺市立文化館の与謝野晶子文芸館とアルフォンス・ミュシャ館(2008年11月)
投稿日 2008年12月25日
総合評価:4.0
堺市立文化館の与謝野晶子文芸館は堺市に和菓子商「駿河屋」の娘として生まれた与謝野晶子(よさのあきこ1878−1942年)の自筆原稿「故郷と父母」や故郷を詠んだ自筆資料、母から晶子に宛てた手紙、晶子の肖像写真、堺の古地図や駿河屋の資料等が展示されていた。
アルフォンス・ミュシャ館はアール・ヌーヴォーの代表的画家、アルフォンス・ミュシャ(1860−1939年)の作品を展示している。アルフォンス・ミュシャはチェコ生まれで、パリの舞台女優で生活のために娼婦を職業とした時期もあるサラ・ベルナール(1844−1923年)のポスター制作で有名になり、「明星」や「みだれ髪」に掲載される絵で日本でも人気が出た。アルフォンス・ミュシャは極貧の画家生活を送る中、パリの下町で生きる女性を描いたことは、貴族の出身でありながら身体障害者であったことで差別を受けたロートレック(1864−1901年)が下町の娼婦、踊り子など底辺とみなされた世界の人たちのポスターを好んで描いたことと重なって見えた。JR堺市駅から徒歩5分。
堺市立文化館―http://www.sakai-bunshin.com/mucha.php
関連旅行記―http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10294937/
(写真は堺市立文化館、与謝野晶子文芸館の与謝野晶子像)- 旅行時期
- 2008年11月
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
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投稿日 2008年12月25日
総合評価:4.0
堺市役所21階展望ロビーは地上80mの市役所最上階にあり、360度の展望が楽しめる回廊式ロビー。仁徳陵古墳(大仙古墳)、堺の市街、見晴らしが良い日には六甲山、関西国際空港、生駒・金剛山、大阪城等が見渡せる。展望ロビーには堺市の文化遺産を写真などで紹介するコーナーもあるので堺市周辺を展望するだけでなく、堺市の歴史文化も学べる。
南海高野線「堺東駅」から徒歩5分。21階展望ロビーは無料、年中無休9−21時。
関連旅行記―http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10295162/
(写真は堺市役所)- 旅行時期
- 2008年11月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
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投稿日 2008年12月25日
総合評価:4.0
大仙公園(だいせんこうえん)は、大仙陵古墳(だいせんりょうこふん・仁徳天皇陵)、上石津ミサンザイ古墳〔かみいしづみさんざいこふん、履中天皇陵(りちゅうてんのうりょう)、石津ヶ丘古墳(いしづがおかこふん)、百舌鳥陵山古墳(もずみささぎやまこふん)とも呼ばれる〕などに囲まれ、園内にも孫太夫山古墳(まごだゆうやまこふん)などの小古墳が点在している堺市が管理する公園。JR西日本阪和線・関西空港線「百舌鳥」駅下車徒歩6分、南海バス「堺市博物館前」下車徒歩4分。
81haの広い園内には堺市博物館、 自転車博物館、 堺市立中央図書館、 堺市茶室 「伸庵」、「黄梅庵」、 堺市都市緑化センター 、平和塔、 日本庭園、 風車、 などがあり歴史文化を誇る堺らしい文化施設が充実している公園だ。
関連旅行記―http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10295238/
(写真は大仙公園の光景)- 旅行時期
- 2008年11月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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投稿日 2008年12月24日
総合評価:4.0
大仙公園の中にある堺市博物館(さかいしはくぶつかん)は大仙陵古墳(仁徳天皇陵)に代表される百舌鳥古墳群からの出土品、近世の自由都市「堺」の都市史等資料や鉄砲などの交易品、千利休(せんのりきゅう1522−1591年)や与謝野晶子(よさの あきこ1878−1942年)など堺出身の芸術家の資料などを展示し、古代から近代に至までの堺の歴史を紹介している。JR西日本阪和線・関西空港線「百舌鳥」駅下車徒歩6分・南海バス「堺市博物館前」下車徒歩4分
関連旅行記―http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10295467/
(写真は大仙公園にある堺市博物館)- 旅行時期
- 2008年11月
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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投稿日 2008年12月24日
総合評価:4.0
大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)は墳の長さが約486mの日本最大の前方後円墳で、墓域面積は世界最大といわれている。
5世紀前半から中頃に築造されたものと考えられ、宮内庁は仁徳天皇(にんとくてんのう257−399年)の陵墓とし、小中学校の教科書で習った仁徳天皇陵(にんとくてんのうりょう)の名前のほうがなじみが深いが一般に仁徳天皇の陵墓であるかどうかは定かではないとされている。確かに仁徳天皇の生没年を見ると142歳で亡くなったことになり不自然だし、日本の3−4世紀は神話と実話が混在している時代であるし、仁徳天皇が実在の人物だったのかも疑問だ。
だが大仙陵古墳の壮大さを見ると墓の主が誰にしても、大変な権力者であったことは間違いない。大仙陵古墳は中国の秦の始皇帝(しんのしこうてい、紀元前259−210年)陵やエジプト・ギザのクフ王(在位紀元前2589 - 紀元前2566年)のピラミッドなどとともに、世界でも有数の大規模な陵墓の一つだ。大阪府、堺市、羽曳野市、藤井寺市では大仙陵古墳含む「百舌鳥・古市古墳群(もず・ふるいちこふんぐん)」をユネスコの世界遺産に登録することを文化庁に提案しているが、「陵墓の静安と尊厳」を重視する宮内庁が陵墓への立ち入り・学術調査を認めない現状の管理下ではかなり難しいだろう。宮内庁の方針が変わって天皇陵の公開や学術調査に道を開けば神話と実話が混在する邪馬台国、大和政権時代の日本の歴史がもう少し解明できるのではないだろうか。JR西日本阪和線・関西空港線「百舌鳥」駅下車徒歩6分・南海バス「堺市博物館前」下車徒歩4分
関連旅行記―http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10295882/
(写真は大仙陵古墳)- 旅行時期
- 2008年11月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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投稿日 2008年12月23日
総合評価:3.0
大阪府立上方演芸資料館(おおさかふりつかみがたえんげいしりょうかん、通称:ワッハ上方)は、上方演芸を紹介する施設で1996年に開館。吉本興業なんばグランド花月の向かい、吉本興業所有のYES・NAMBAビルの4階から7階にある。
毎年「上方演芸の殿堂入り」を選考しており、第1回選考の初代桂春団治(かつら はるだんじ1878−1934年)を筆頭に、落語、漫才、漫談、浪曲などの分野で明治期以降活躍した上方芸人より数組ずつを選び、「殿堂入り名人」としている。
4階の展示室では殿堂ギャラリーとして殿堂入り名人の紹介をしている他、上方演芸の歴史を紹介する様々な展示物が置かれており、小演芸場もある。又、演芸ライブラリーとして、亡くなった芸人や解散したコンビなどを始め、過去の上方芸人のテレビ映像やラジオ音声などを自由に視聴できる。 近鉄、南海、地下鉄なんば駅から徒歩10分弱。
大阪府立上方演芸資料館・ワッハ上方HP−http://www.wahha.or.jp/
関連旅行記;大阪・移転検討中のなんば上方演芸資料館(ワッハ上方)周辺(2008年6月)−http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10252750/
http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10295901/
(写真はワッハ上方の展示)- 旅行時期
- 2008年11月
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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投稿日 2008年12月23日
総合評価:3.0
粟倉瓦窯跡 (あわくらがようあと)は菅原道真(すがわら の みちざね845−903年)の編纂によって892年に完成した歴史書「類聚国史(るいじゅうこくし)」に記されている。現在は無い粟倉寺(あわくらでら)の屋根瓦をつくった瓦窯(かわらがま)と考えられ平窯(ひらがま)が2基と窯の上部に雨をためるための溝が発見され、現在は発掘調査後に埋めもどして公園として保存されている。京阪御殿山から徒歩10分
関連旅行記―https://ssl.4travel.jp/tcs/t/album
(写真は粟倉瓦窯跡の公園)- 旅行時期
- 2008年11月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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「鳥羽・伏見の戦い」の舞台になった樟葉砲台(台場)跡(2008年11月)
投稿日 2008年12月22日
総合評価:3.0
京阪電鉄橋本駅の南、500mくらいの線路沿いでは戊辰戦争(ぼしんせんそう1868−1869年)の緒戦「鳥羽・伏見の戦い」で使用された樟葉砲台(台場)跡の発掘作業がすすめられている。
1864年に幕府は大阪湾から淀川をさかのぼって侵入することが予測された外国船に対抗するために大砲を淀川の両岸に設置したのが樟葉砲台(台場)。「橋本の戦い」では対岸の大山崎を高浜砲台で守備していた津藩が新政府軍側へ寝返ったため、樟葉砲台(台場)から対岸に砲弾を撃って対抗したといわれている。砲弾が尽きてしまったので自ら破壊したことが樟葉砲台(台場)跡の碑で説明されている。
関連旅行記―http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10291398/
(写真は樟葉砲台・台場の発掘跡)- 旅行時期
- 2008年11月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
-
投稿日 2008年12月22日
総合評価:4.0
神応寺(しんのうじ)は、八幡市の曹洞宗寺院で860年、行教(ぎょうきょう、生没年未詳)律師によって創建されたと伝えられている。
書院は伏見桃山城の遺講で襖や杉戸には狩野山雪筆による「竹に虎、御所車」などが描かれ、重要文化財の行教律師座像、豊臣秀吉の衣冠束帯像が安置されている。江戸時代の豪商淀屋辰五郎(よどやたつごろう1684−1717年)や日本で初めて飛行機を研究開発した二宮忠八(にのみやちゅうはち1866−1936年)の墓がある。京阪八幡駅から徒歩15分。
関連旅行記―http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10292020/
(写真は神応寺)- 旅行時期
- 2008年11月
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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投稿日 2008年12月22日
総合評価:3.0
八幡市の神応寺の近くには「神応寺不動」と呼ばれる杉山谷不動尊があり、不動堂の上を石清水八幡宮と京阪八幡駅を結ぶ男山ケーブルカーの杉山谷鉄橋が通っている。杉山谷鉄橋は全長111m、高さ50mで橋脚は餘部鉄橋より高く日本一だと言われている。不動堂から大鉄橋を見上げることができる。京阪八幡駅から徒歩15分。
関連旅行記―http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10292020/
(写真は日本一高い鉄橋)- 旅行時期
- 2008年11月
-
投稿日 2008年12月21日
総合評価:3.0
後村上天皇(ごむらかみてんのう1328−1368年)は、南北朝時代の第97代、南朝第2代天皇。
奈良の吉野・吉水神社(よしみずじんじゃ)、大阪の住吉大社の南、大社の歴代宮司の津守氏の住之江殿(正印殿)の中、石清水八幡宮などを行宮(あんぐう・かりみや)とした。
八幡市の後村上天皇行宮には1352年に数ヶ月滞在し、南朝の楠木正成(くすのき まさしげー1336年)の三男・楠木正儀(くすのき まさのり−1389年)とともに北朝の足利尊氏、足利義詮(あしかが よしあきら1330−1367年)らと戦っていた。南朝は京都奪還を目指して戦うが足利義満(あしかが よしみつ1358−1408年)の将軍就任後の1368年に後村上天皇は住之江殿で崩御。南北朝時代は戦いの連続で後村上天皇は住まいを転々とせざるを得なかった。天皇の行宮所といっても神社内の粗末な建物だったのだろうと想像している。
後村上天皇行宮跡の碑は八幡市の観光ガイドにも掲載されておらず、住宅の間にひっそりと建っている。
関連旅行記―http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10292179/
(写真は後村上天皇行宮跡の碑)- 旅行時期
- 2008年11月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
-
投稿日 2008年12月21日
総合評価:3.0
京阪八幡市駅から南へ徒歩5分、神応寺総門の左にある五輪石塔が「航海記念塔」。
重要文化財で高さは6.08m、幅2.44mの日本最大規模で、下から地輪、水輪、火輪、風輪、空輪とのこと。石清水八幡宮の宮寺だった旧極楽寺の境内に建立されたもので廃寺となって、石塔だけが残った。石塔建立の起源や作者は不明だが、言い伝えが残されている。
八幡神を九州の宇佐八幡宮から勧請した大安寺の僧、行教の墓だといわれているが、平安時代の末期に摂津国、尼崎の豪商が入宋貿易帰途の海上で 大シケにあい、石清水八幡宮に祈り無事に帰国できたことを感謝し、1171−1174年の間に建立したものとも伝えられている。以後、船乗りたちが航 海の無事を祈願に訪れるようになったことから「航海記念塔」と呼ばれるようになった。
鎌倉時代末期、1274年の文永の役と1281年の弘安の役の蒙古襲来に際して西大寺の僧、叡尊が石清水八幡宮で祈ったところ、神風が吹いて 元軍が敗れ去り、叡尊は彼等の供養をするため建立したともいう。
関連旅行記―http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10292179/
(写真は石清水八幡宮五輪搭、航海記念塔)- 旅行時期
- 2008年11月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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投稿日 2008年12月20日
総合評価:3.0
正法寺(しょうぼうじ)は、源頼朝(みなもと の よりとも1147−1199年)の御家人で石清水八幡宮の社家、志水氏の祖である高田忠国が開基で1191年創建と伝えられる。1546年には後奈良天皇(ごならてんのう1497−1557年)の祈願所となっている。徳川家康(とくがわ いえやす1543−1616年)の側室お亀の方((おかめのかた1573−1642年)は尾張徳川家の祖・徳川義直(とくがわ よしなお1601−1650年)の生母となり、正法寺は江戸幕府から寺領五百石を得ている。
お亀の方は落飾して相応院と号し、没後正法寺は相応院の菩提寺として尾張徳川家の庇護を受けた。
本堂・唐門・大方丈は重要文化財で、1630年に相応院の寄進により建立されている。小方丈・書院・鐘楼は府指定文化財で、書院西にある庭園は府指定名勝。石清水八幡宮周辺には朝廷、武家など歴史上著名な人たちにゆかりがある史跡が多いが、その中でも正法寺は徳川家の庇護を受けた寺らしく規模の大きな寺だ。
関連旅行記―http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10292315/
(写真は正法寺の境内)- 旅行時期
- 2008年11月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
-
京都、交野ヶ原の歴史遺産・八幡市善法律寺(2008年11月)
投稿日 2008年12月20日
総合評価:4.0
善法律寺(ぜんぽうりつじ)は奈良唐招提寺の末寺で1257年頃、石清水八幡宮社務の善法寺宮清が私宅を寺に改めたと言われている。室町時代には善法寺通清の娘、紀良子(きのよしこ)が2代将軍足利義詮(あしかがよしあきら1330−1367年)の側室となり3代将軍足利義満(あしかがよしみつ1358−1408年)の母となったという華やかな歴史を持っている寺だ。良子は実家に紅葉の樹を寄進し、今も紅葉が美しいことから「紅葉寺」と呼ばれている。2007年11月30日は見事な紅葉だったが2008年11月12日は少し訪問が早かったようだ。
関連旅行記―日本の旅 関西を歩く 京都・八幡の善法律寺周辺の紅葉http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10205089/
関連旅行記―http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10292546/
(写真は善法律寺の紅葉)- 旅行時期
- 2008年11月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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交野ヶ原の歴史遺産・百済寺(くだらじ)跡(2008年11月)
投稿日 2008年12月19日
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投稿日 2008年12月19日
総合評価:3.0
禁野車塚古墳(きんやくるまづかこふん)は4−5世紀に造られたと推定される全長110mの前方後円墳で現在は禁野車塚古墳公園になっている。京阪電鉄交野線宮之阪駅から南に徒歩5分のところにある。
関連旅行記―http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10292695/
(写真は禁野車塚古墳)- 旅行時期
- 2008年11月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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大阪、交野ヶ原の歴史遺産・悲恋の物語、長渕池(ながぶちいけ)跡(2008年11月)
投稿日 2008年12月18日
総合評価:3.0
平安時代、交野ヶ原の郡津(こうず)に交野郡の郡司(ぐんじ)・宮道弥益(みやじいやます、びえき)の娘が失恋して天野川のよどみの「長渕池(ながぶちいけ)」に身を投げてしまったと言う悲恋の伝説が残っている。
その長渕池(ながぶちいけ)は、現在は埋め立てられ、昔の葦(あし)の茂った湿田や沼池の景観は見られないが 松塚会館前の「長渕池・ながぶちいけ」跡には交野郡の郡司(ぐんじ)の娘が交野少将に失恋して飛込んだといわれる伝説と歌を記載した記念碑が建てられている。
松塚会館までは京阪郡津(こうず)駅から徒歩5分。
関連旅行記―http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10292776/
(写真は「長渕池・ながぶちいけ」跡の記念碑)- 旅行時期
- 2008年11月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0























