多聞櫓が現存する亀山城(かめやまじょう)
- 3.5
- 旅行時期:2011/05(約15年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
亀山 クチコミ:4件
亀山城(かめやまじょう)は、旧伊勢国亀山にあった城で別名は粉蝶城(こちょうじょう)。1265年に関実忠によって亀山市若山町に築城され、その後現在地に移され1567年の織田信長の伊勢進攻以降は、たびたび戦場となった。1590年に豊臣秀吉に従った岡本宗憲が入城後、天守、本丸、二の丸、三の丸などのその後の亀山城の母体となる城が形成されたとされ江戸時代初めごろには穴太衆(あのうしゅう)によって石垣が築かれたとされる。
明治維新以降は、1873年の廃城令によって、殆どの構造物が取り壊され現在は天守台・多聞櫓・石垣・堀・土塁など一部が残るのみ。多聞櫓は原位置のまま残る中核的城郭建築として三重県下では唯一の遺存例であり、現存する多聞櫓として全国的にも数少ない存在であるため、本丸南東の天守台と多聞櫓本体を併せて、「旧亀山城多聞櫓」の名称で三重県の史跡に指定されている。2006年には亀山城周辺保存整備事業の一環として、二の丸帯曲輪および周辺部分が江戸時代末期の状態に復元されている。
アクセスーーーJR 亀山駅から北へ徒歩10分。
- 施設の満足度
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3.5
- アクセス:
- 3.5
- JR 亀山駅から北へ徒歩10分。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
クチコミ投稿日:2011/08/06
いいね!:2票
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