七夕伝説を欄干に刻んでいる枚方市天野川の天津橋(あまつばし)
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- 旅行時期:2012/12(約13年前)
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by さすらいおじさんさん(男性)
寝屋川・枚方・交野 クチコミ:187件
枚方市、交野市のあたり一帯は平安時代頃から「交野が原」と呼ばれ日本の七夕伝説発祥地との説がある。
平安時代初期桓武天皇は「交野が原」に北極星を祭り国家の安泰を祈願し狩猟を楽しんだといわれる。
「交野が原」は貴族の遊猟地として栄え『古今集』には在原業平が惟喬親王の狩猟の供をした時に『狩り暮し 棚機津女(たなばたつめ)に 宿借らむ 天の川原に 我は来にけり』と詠んだ歌が載っており、この頃には既に七夕の伝説が定着していたものと考えられている。
天野川を始め「星田」「星ヶ丘」「中宮」(北極星のこと)など七夕や星に関わる地名が多く生まれたのもこの頃だと言われている。
天野川に架かる橋にも「逢合橋(あいあいはし)」「 鵲橋(かささぎはし)」「天津橋(あまつばし)」(天の港の意味)など七夕伝説にちなむ名が付けられている。「 鵲橋(かささぎはし)」は七夕の夜牽牛星(彦星)と織女星(織姫)との年に一度の逢瀬のためにかささぎが羽を広げて橋をかけ2人を逢わせたと言う想像上の橋の名で天野川が淀川に注ぐ合流点近くの橋にかささぎの名を冠したもの。彦星、織姫の年に一度の逢瀬のためにかささぎが羽を広げて橋をかけ2人を逢わせた場面が「 鵲橋(かささぎはし)」「天津橋(あまつばし)」の金属の高欄に彫り描かれている。
- 施設の満足度
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3.5
- アクセス:
- 3.5
- 景観:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
クチコミ投稿日:2013/05/18
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