さすらいおじさんさんのクチコミ(170ページ)全3,789件
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投稿日 2007年06月24日
総合評価:4.0
大阪の銀山寺(2007年6月12日)
銀山寺は近松門左衛門晩年の傑作『心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)』のお千代・半兵衛の比翼塚(墓)があることで知られ、文楽、浄瑠璃などの関係者はじめ参拝者は多い。源聖寺坂途中にある。地下鉄谷町線、千日前線谷町九丁目駅から徒歩10分弱。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159138/
(写真は銀山寺)- 旅行時期
- 2007年06月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2007年06月24日
総合評価:4.0
大阪の四天王寺の中心伽藍(2007年6月12日)
四天王寺(してんのうじ)は、聖徳太子建立七大寺の一つ593年に建立開始されている。「天王寺」は四天王寺の略称。日本仏教の祖とされる聖徳太子建立の「日本仏教の最初の寺」として、1946年に和宗総本山として独立宣言をしている。仁王門、五重塔、金堂、講堂からなる中心伽藍は第二次世界大戦後に再建された鉄筋コンクリート造建築だが、日本の飛鳥時代、高句麗、六朝などの建築様式を加味して創建当時の様式とされており一見の価値がある。
地下鉄谷町線四天王寺前夕陽丘駅4号出口から南へ徒歩5分。中心伽藍300円。開館4-9月8:30−16:30、10−3月8:30−16:00 。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159138/
(写真は四天王寺の中心伽藍)- 旅行時期
- 2007年06月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2007年06月24日
総合評価:4.0
大阪の四天王寺の本坊方丈(2007年6月12日)
四天王寺の本坊方丈(重要文化財) は1617年、徳川秀忠によって再建された美しい日本庭園。平日は観光客が少ないのでゆっくり散策が楽しめる。
地下鉄谷町線四天王寺前夕陽丘駅4号出口から南へ徒歩5分。四天王寺の中心伽藍から徒歩5分。本坊方丈大人300円。開館4-9月8:30−16:30、10−3月8:30−16:00 となっているが、入園は15:30までだった。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159138/
(写真は本坊方丈)- 旅行時期
- 2007年06月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2007年06月24日
総合評価:4.0
大阪の大江神社(2007年6月12日)
「大江神社」は天王寺七宮の1つで、四天王寺の鎮守として、聖徳太子が創建したと伝えられている。境内から見る夕日が美しいことでも知られる。四天王寺の乾(西北)に位置しているところから、江戸時代には「乾社」と呼ばれ、毘沙門天を祀っていたので「毘沙門堂」とも呼ばれていた。1867年に、この地が古くから大江の岸と呼ばれていたことから「大江神社」と改称された。祭社主神は豊受大神、五穀豊穣の神。地下鉄谷町線、四天王寺前夕陽ヶ丘駅前の道を南に100m歩くと愛染堂に行く道の案内板がある。案内板を西に200m歩くと愛染堂の大きな案内板がある。愛染堂の西側に大江神社がある。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159138/
(写真は大江神社)- 旅行時期
- 2007年06月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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投稿日 2007年06月24日
総合評価:4.0
大阪、十三参りで知られる太平寺(2007年6月12日)
曹洞宗禅寺・太平寺。十三参りで知られる。四天王寺の境内にあったひとつの堂宇だったが、1555年頃真言宗の龍翔寺、1663年に曹洞宗禅寺・太平寺と変遷している。
太平寺の虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)は、知恵と福徳の菩薩で、毎年3月13日と4月13日に数え年十三歳になった子供たちが知恵を授かるために「十三参り」を行っている。「十三参り」は成人式(元服)でもあった。 1950−60年代頃には女子だけの行事だったが現在は男女ともお参りしているとのこと。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159138/
(写真は太平寺)- 旅行時期
- 2007年06月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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投稿日 2007年06月24日
総合評価:4.0
大阪の源聖寺坂(2007年6月12日)
源聖寺坂(げんしょうじざか)は夕日が美しい夕陽ヶ丘(ゆうひがおか)の坂のひとつ。織田作之助の夫婦善哉(みょうとぜんざい)にも登場する。源聖寺坂の途中には銀山寺があり近松門左衛門晩年の傑作『心中宵庚申(しんじゅうよいごうしん)』のお千代・半兵衛の比翼塚(墓)がある。地下鉄谷町線、千日前線谷町九丁目駅から徒歩10分弱。生國魂神社(いくたまじんじゃ)前の道を南に200m・5分弱歩くと源聖寺坂の説明板がある。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159118/
(写真は源聖寺坂の説明板)- 旅行時期
- 2007年06月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2007年06月24日
総合評価:4.0
大阪の口縄坂の織田作之助の文学碑(2007年6月12日)
口縄坂(くちなわざか)は夕日が美しい夕陽ヶ丘(ゆうひがおか)の坂のひとつ。織田作之助が好んだ坂で作之助の文学碑がある。地下鉄谷町線、四天王寺前夕陽ヶ丘駅前の道を西に200m・5分弱歩けば織田作之助の文学碑がある。夕暮れには夕日の写真を撮る人達が集まる。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159118/
(写真は織田作之助の文学碑)- 旅行時期
- 2007年06月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2007年06月24日
総合評価:4.0
大阪の清水坂(2007年6月12日)
清水坂(きよみずざか)は夕日が美しい夕陽ヶ丘(ゆうひがおか)の坂のひとつ。清水寺(きよみずでら)に向かうので清水坂(きよみずざか)の名前が付けられたとのこと。四天王寺前夕陽ヶ丘駅前の道を南に200m、右折し星光学院項高校前の道を南に200m歩けば清水坂の案内板と清水寺の石碑がある。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159118/
(写真は清水坂の説明板)- 旅行時期
- 2007年06月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
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投稿日 2007年06月24日
総合評価:4.0
大阪の愛染坂(2007年6月12日)
愛染坂(あいぜんざか)は愛染堂前から南に下る坂道。愛染坂沿いには古代より夕日が美しいと言われる大江神社がある。地下鉄谷町線、四天王寺前夕陽ヶ丘駅前の道を南に100m歩くと愛染堂に行く道の案内板がある。案内板を西に200m歩くと愛染堂の大きな案内板がある。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159118/
(写真は愛染坂の説明板)- 旅行時期
- 2007年06月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
大阪・愛染堂「愛染まつり」は6月30日~7月2日(2007年6月12日)
投稿日 2007年06月23日
総合評価:4.0
大阪・愛染堂「愛染まつり」は6月30日~7月2日(2007年6月12日)
愛染堂は593年、聖徳太子が創建した四天王寺の一つで敬田院、施薬院、療病院、悲田院の四ケ院のうち「施薬院」があったところ。聖徳太子がこの地で勝鬘経を講じたので「勝鬘院(しょうまんいん)」と云う。「愛染かつら」の寺として知られる。「愛染まつり」は大阪で行われる最初の夏祭りで、6月30日~7月2日に愛染明王の開扉がある。かっては「宝恵駕篭(ほえかご)」に乗る芸奴さんで有名だったが、現在は一般募集をした愛染娘が駕篭に乗る。地下鉄谷町線、四天王寺前夕陽ヶ丘駅前の道を南に100m歩くと愛染堂に行く道の案内板がある。案内板を西に200m歩くと愛染堂の大きな案内板がある。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10158738/
(写真は「愛染まつり」のポスター)- 旅行時期
- 2007年06月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2007年06月23日
総合評価:4.0
大阪の清水寺の「玉出の滝」(2007年6月12日)
清水寺(きよみずでら)は、四天王寺の支院。大阪市内唯一の天然の滝である「玉出の滝」(たまでのたき)で知られている。京都の清水寺 を模して建立されたために、新清水寺(しんきよみずでら)とも呼ばれる。創建の時期は不明だが、1640年に延海阿闍梨(えんかいあじゃり)が観世音菩薩の御告げを受けて、京都の清水寺を模した舞台造の本堂を建立したとのこと。確かに「玉出の滝」は京都清水寺の「音羽の滝」に良く似ている。ただし、「玉出の滝」は飲むことはできない。四天王寺前夕陽ヶ丘駅前の道を南に200m、右折し星光学院項高校前の道を南に200m歩けば清水坂の案内板と清水寺の石碑がある。清水寺の石碑の左の小道を進み、墓地から「玉出の滝」まで石段を降りることができる。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10158738/
(写真は清水寺の「玉出の滝」)- 旅行時期
- 2007年06月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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投稿日 2007年06月23日
総合評価:4.0
大阪の生國魂神社の井原西鶴像(2007年6月12日)
生國魂神社(いくたまじんじゃ)は、神武天皇が九州より難波津に上陸した際、現在の大阪城付近に生島大神、足島(たるしま)大神を祀ったのが創祀と伝えられている。『日本書紀』にも難波宮造営の際に『生國魂神社』の記載があり、7世紀から格式の高い神社だった。生国魂神社の境内には井原西鶴像がある。西鶴は1680年5月、「生國魂神社南坊」で一昼夜独吟四千句という超人的な句会を興行した。西鶴の才能と超人的な気力、体力を証明する歴史的なイベントだ。井原西鶴像の横には句会を行った「南坊」跡の石碑がある。地下鉄谷町線、千日前線谷町九丁目駅から徒歩10分弱。生國魂神社本殿に向かって右方向にある。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10158714/
(写真は生國魂神社の井原西鶴像)- 旅行時期
- 2007年06月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2007年06月23日
総合評価:4.0
大阪の生國魂神社内の「鴫野神社」(2007年6月12日)
生國魂神社内の「鴫野神社」は大坂城外鴫野弁天島にあった 「弁天社」だった。淀殿(1569-1615年)の崇敬が厚く 、後に「淀姫神社」として祀られ たが、1877年、生國魂神社内に移転された。地下鉄谷町線、千日前線谷町九丁目駅から徒歩10分弱。生國魂神社本殿前を右に進めば案内板がある。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10158714/
(写真は生國魂神社の「鴫野神社」)- 旅行時期
- 2007年06月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
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投稿日 2007年06月23日
総合評価:4.0
大阪の生國魂神社内の「浄瑠璃神社」(2007年6月12日)
生国魂神社の本殿の脇には11社の境内社があり、一番右側が「浄瑠璃神社」。近松門左衛門や竹本義太夫など人形浄瑠璃や文楽、女義太夫の発展に功績のあった人達を祀っている。「浄瑠璃神社」には音楽、舞踊など上達を願う人達の思いをつづった札がたくさん掛けられている。地下鉄谷町線、千日前線谷町九丁目駅から徒歩10分弱。生國魂神社本殿前を右に進めば案内板がある。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10158714/
(写真は生國魂神社の「浄瑠璃神社」のお札)- 旅行時期
- 2007年06月
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
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投稿日 2007年06月23日
総合評価:4.0
大阪の一心寺(2007年6月12日)
一心寺(いっしんじ)は、天王寺公園に隣接した1185年に法然が仏堂を建てた法然上人二十五霊場第七番札所。1997年の建造された鉄とコンクリートの斬新な山門が目を引く。彫刻家・神戸峰男(かんべみねお1944年−)による阿形像・吽形像や、日本画家・秋野不矩(あきの ふく1908−2001年)は、による天女像など現代彫刻を取り入れた山門は珍しい。JR、地下鉄御堂筋、谷町線天王寺駅から徒歩約10分。四天王寺西大門まで5分弱。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10158714/
(写真は一心寺の斬新な山門)- 旅行時期
- 2007年06月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 2.0
-
投稿日 2007年06月23日
総合評価:4.0
京都嵯峨野の檀林寺(2007年5月23日)
檀林寺は、嵯峨天皇の皇后橘嘉智子(檀林皇后)(786−850年)が815年に建立された寺。
建立後、最盛期には塔頭が12坊もある壮大な寺院だったが、焼失して1964年に再建された。本堂内と霊宝館には皇后ゆかりの遺品や仏教美術品が展示されている。
嵐山の渡月橋から直行で徒歩約40分。市バス嵯峨小学校前から徒歩約15分。祇王寺から50m。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10158426/
(写真は檀林寺)- 旅行時期
- 2007年05月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
-
投稿日 2007年06月22日
総合評価:4.0
京都の嵯峨野(2007年5月23日)
嵯峨野(さがの)は、太秦(うずまさ)の西、桂川の北に広がる地域名で、風光明媚な観光地。平安時代には天皇や貴族たちの遊猟、行楽地だったが同時に平家物語、源氏物語などに描かれた平安時代に悲運だった女性たちにまつわる社寺、野宮神社、祇王寺、滝口寺などを訪ねるのも楽しい。竹林が美しく、竹林のトンネルを散策するのも良い。竹林まで嵐山の渡月橋から徒歩約10分。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10158426/
(写真は嵯峨野の竹林)- 旅行時期
- 2007年05月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2007年06月22日
総合評価:4.0
京都嵯峨野の野宮神社(2007年5月23日)
野宮神社(ののみやじんじゃ)の祭神は天照皇大神(あまてらすおおみかみ)。伊勢神宮に斎宮(いつきのみや)として奉仕する未婚の皇女が潔斎のために篭もった所だった。源氏物語(1001年初出)では六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)と前東宮の娘が斎宮になるために共に訪れ『賢木(さかき)巻』では野宮神社が光源氏との別れの舞台となった。謡曲「野宮」にも謡われた著名な神社だ。嵐山の渡月橋から徒歩約10分。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10158426/
(写真は野宮神社)- 旅行時期
- 2007年05月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
-
投稿日 2007年06月22日
総合評価:4.0
京都嵯峨野の落柿舎(2007年5月23日)
落柿舎(らくししゃ)は、松尾芭蕉門下(蕉門)十哲の一人、向井去来の草庵。
売却済みの柿が収穫前に1晩の嵐で落ちてしまったため落柿舎と呼ばれるようになったとのこと。1691年に松尾芭蕉が滞在して嵯峨日記を著したとされる。去来の墓はこの庵の北裏手にある。俳諧を好む人たちの記念句碑がたくさんあり、 近くには西行井戸もみられる。嵐山の渡月橋から直行で徒歩約20分。市バス嵯峨小学校前から徒歩約10分。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10158426/
(写真は落柿舎)- 旅行時期
- 2007年05月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
-
投稿日 2007年06月22日
総合評価:4.0
京都嵯峨野の二尊院(2007年5月23日)
二尊院(にそんいん)は、天台宗の寺院で正式には、小倉山二尊教院華台寺。
834年、嵯峨天皇の勅により円仁(慈覚大師)が建立したと伝えられる。二尊院は阿弥陀如来と釈迦如来の二尊を安置することから名づけられた寺院で百人一首に詠まれている藤原忠平の「小倉山峯のもみじ葉心あらば今ひと度の御幸またなん」はこの寺の裏山になる。嵐山の渡月橋から直行で徒歩約30分。市バス嵯峨小学校前から徒歩約15分。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10158426/
(写真は二尊院)- 旅行時期
- 2007年05月
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0























