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さすらいおじさんさんのクチコミ(168ページ)全3,789件

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  • 基本情報
  • 京都・八幡の善法律寺(2007年5月21日)

    投稿日 2007年06月28日

    京都

    総合評価:4.0

    京都・八幡の善法律寺(2007年5月21日)
    善法律寺(ぜんぽうりつじ)。以下八幡市紹介の寺伝。奈良唐招提寺の末寺で律宗に属す。鎌倉時代正嘉年中(1257−1259年)に石清水八幡宮社務善法寺宮清が奈良東大寺実相上人に帰依し、私宅を寺に改めたことに始まる。室町時代には、善法寺通清の娘紀良子が足利三代将軍義満を生んだことから将軍家との関係は深い。良子が紅葉の樹を寄進し、今も紅葉が美しいことから紅葉寺とも称される。
    本堂は、内陣を高御倉と呼び神仏混淆の五間四方の堂で八幡宮の旧社殿を移築したと伝えられる。
    通常拝観はできないが、本堂本尊は、もと石清水八幡宮にまつられていた僧形八幡坐像で、明治の神仏分離の際に当寺に移され、平安時代末頃の作といわれている。その両脇には愛染明王・不動明王があり等身大の玉眼彩色の鎌倉時代の像。
    京阪電鉄八幡駅から南東に徒歩約10分。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159979/
    (写真は善法律寺)

    旅行時期
    2007年05月
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    3.0

  • 京都・八幡の正法寺(2007年5月21日)

    投稿日 2007年06月28日

    京都

    総合評価:3.0

    京都・八幡の正法寺(2007年5月21日)
    正法寺(しょうぼうじ)。以下八幡市紹介の寺伝。
    徳迎山正法寺は浄土宗の古刹で、その歴史は12世紀末高田蔵人忠国が源頼朝の幣礼使として八幡に来住したことに始まる。高田氏は後に姓を志水と改め、菩提寺として寺領堂舎をととのえた。天台宗から浄土宗に改め、後奈良天皇の帰依をうけ、天文15年(1546年)勅願寺となる。この頃正法寺敷地内には塔頭も数箇寺でき、寺領が増した時期であった。
    その後、志水氏の娘お亀が徳川家康の側室となり、尾張藩祖徳川義直を生んだことにより寺領五百石を有する寺勢となった。お亀は落飾して相応院と号し、没後当寺はその菩提寺となって尾張徳川家の庇護を受けた。
    本堂・唐門・大方丈は重要文化財で、寛永七年(1630年)相応院寄進により建立され、現在の伽藍がこの頃ほぼできあがった。小方丈・書院・鐘楼は府指定文化財で、書院西にある庭園は府指定名勝である。また境内は府文化財環境保全地区に指定されている。絵画書跡では重要文化財で絹本著色如来像(高麗時代)、天平12年(740年)の大方等大集経がある。京阪電鉄八幡駅から南東に徒歩約10分強。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159979/
    (写真は正法寺)

    旅行時期
    2007年05月
    アクセス:
    2.0
    人混みの少なさ:
    3.0

  • 京都・八幡の八角堂(2007年5月21日)

    投稿日 2007年06月28日

    京都

    総合評価:4.0

    京都・八幡の八角堂(2007年5月21日)
    八角堂(はっかくどう)。 以下八幡市紹介の寺伝。御堂は市内最大の前方後円墳である西軍塚古墳の円頂部に建っている。現在は正法寺の境外堂宇のひとつであり、本尊阿弥陀如来(一光千仏丈六阿弥陀と称す)が安置されているため、阿弥陀堂ともいう。 御堂はもと男山西谷にあったが、明治元年の神仏分離令によって八幡宮境内から仏教関係の堂舎・仏像などが撤去された際、正法寺住職が堂宇・尊像とも迎請し、この地に移したものである。堂舎は順徳天皇の御願によって、八幡宮検校善法寺祐清が建保年間(1213年―1219年)に建立したものであるが、後に大破した。次いで慶長12年(1607年)豊臣秀頼の御願によって尾張国小出大和守吉政が再建したとある。このことは堂上の桐紋を付した露盤に彫刻されていると『男山考古録』は記している。またこのとき、京に住む仏師康温が阿弥陀仏を修造して入仏したことが棟木に記されているという。それ以降ほとんど手を加えなかったため破損転倒し、表六間、奥行二間の仮の板屋根で風雨を凌いでいたという悲惨な記録もある。
    元禄11年(1698年)、社務の善法寺央清は四方に勧進を募り、堂宇を再興した。その時の奉加者の名が堂内の垂木や瓦の裏などに記されている。堂内に安置されている金色の丈六阿弥陀仏(重文)は鎌倉時代初期の作品であり、中品中生の説法印を結び、十三体の化仏を配した大きな光背を後に付している。ために本尊と化仏を対比して、一光千仏といわれている。
    ちなみに像の手の指の間に膜のようものがあるが、これは八幡神の遷座を慕って仏像が海を泳ぎ渡ってきたときの水掻きであるという里俗の伝説の根拠となっている。流転を経て色あせた八角形の異形は、なぜか周囲の雑木と竹林にみごとに調和している。八角堂は市立松花堂庭園の西側、八幡女郎花にある。京阪電鉄八幡駅から南東に徒歩約20分。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159979/
    (写真は八角堂)

    旅行時期
    2007年05月
    アクセス:
    2.0
    人混みの少なさ:
    3.0

  • 京都・八幡の松花堂(2007年5月21日)

    投稿日 2007年06月28日

    京都

    総合評価:4.0

    松花堂(しょうかどう)。以下八幡市紹介の松花堂の寺伝。寛永の三筆のひとり松花堂昭乗が男山山中の坊内に建てた小方丈を松花堂という。
    昭乗は、摂津堺に生まれ、兄が興福寺一乗院門跡尊勢に仕えたのに従い、奈良に移住した。17才で男山滝本坊実乗につき社僧となり、寛永4年(1627年)師の跡を継ぎ滝本坊の住職となる。昭乗は、はじめ御家流の書を、後に空海や定家の書を学び、滝本流といれる独特の書流を立て、近衛信尹・本阿弥光悦とともに寛永の三筆に数えられた。晩年の寛永14年(1637年)昭乗は、弟子の乗淳に滝本坊を譲り、自身は里坊の泉坊の一隅に松花堂という小方丈を建て、そこに移り住み松花堂昭乗と名乗る。
    昭乗は、絵画・和歌・茶の湯などにも精通した当代きっての文化人で、近衛信尋・尾張藩祖徳川義直・狩野山雪・小堀遠州・沢庵宗彭などとも親交があり、これらの人々が集う松花堂は寛永時代の文化サロンのひとつであった。
    明治の排仏毀釈で男山にある坊舎堂塔はすべて取り払われ売却された。現在は、泉坊書院・玄関とともに八幡女郎花の地に移築され、松花堂庭園として公開。松花堂の建物の構造は、茅葺・宝形造、二畳の茶室には南に土間、西には水屋が配され、仏壇・床が設けられ、住居の性格をも合わせ持った茶室であり、京都府指定文化財。泉坊書院・玄関は京都府登録文化財。庭園の一部は、男山山腹の跡地とともに、国史跡指定。
    松花堂庭園内には、美術館、茶室、女郎花塚などもあり、見学できる。京阪電鉄八幡駅から南東に徒歩約20分。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159979/
    (写真は松花堂)

    旅行時期
    2007年05月
    アクセス:
    2.0
    人混みの少なさ:
    3.0

  • 京都の洞ヶ峠(2007年5月21日)

    投稿日 2007年06月28日

    京都

    総合評価:4.0

    京都の洞ヶ峠(2007年5月21日)
    洞ヶ峠(ほらがとうげ)は1582年、本能寺の変の直後に主君織田信長を討った明智光秀の軍と信長の重臣羽柴秀吉の軍が山城国山崎において激突した(山崎の戦い)。この時、明智・羽柴の双方から加勢を依頼された大和の大名筒井順慶は、一度は明智側に従って山崎の南方にある洞ヶ峠まで兵を進めながらも、最終的にはどちらに付くか日和見をしたとの伝説が在る為、日和見する事を洞ヶ峠と表現する事がある。
    しかし、この伝説は史実に反しており、筒井順慶は最終的には洞ヶ峠に着くことなく大和へと撤兵して中立を保ったと言われている。
    また洞ヶ峠は国道1号の大阪府と京都府との境界で昭和末期までこの周囲は雑木林で薄暗かった。そのため幽霊がよく現れる「心霊スポット」としてよく知られ、雑誌やテレビにもしばしば取り上げられた。京阪電鉄くずは駅から京阪宇治交通バス「枚方ハイツ」行き終点下車徒歩約5分。京阪電鉄くずは駅、八幡駅から徒歩約30分。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159979/
    (写真は洞ヶ峠)

    旅行時期
    2007年05月
    アクセス:
    2.0
    人混みの少なさ:
    3.0

  • 京都の円福寺(2007年5月21日)

    投稿日 2007年06月28日

    京都

    総合評価:4.0

    円福寺(えんぷくじ)。以下八幡市紹介の寺伝。天明年間(1781−1788年) 白隠四天王のひとり斯経禅師により開創された臨済宗妙心寺末の修業道場である。山門座禅堂などを備えた伽藍は江戸時代末頃より整備され、現在も多くの雲水が修業し専門道場としての規模を誇る。
    当寺の達磨大師坐像は、鎌倉時代の木像で大和国達磨寺から八幡に移り石清水八幡宮社務田中家に秘蔵されていたもので、文化4年(1807年)妙心寺海門和尚が譲り受け当寺に安置した。三大達磨のひとつといわれ、国の重要文化財に指定されている。
    毎年4月20日と10月20日の万人講には、達磨像が開帳され、赤膳のおときをいただくと開運厄除け中風除けの霊験あらたかと信仰されている。
    京阪電鉄くずは駅から京阪宇治交通バス「枚方ハイツ」行き終点下車徒歩約10分。京阪電鉄くずは駅、八幡駅から徒歩約30分。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159979/
    (写真は円福寺)

    旅行時期
    2007年05月
    アクセス:
    2.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 大阪、枚方の「橋本遊郭跡」(2007年5月21日)

    投稿日 2007年06月28日

    寝屋川・枚方・交野

    総合評価:4.0

    大阪、枚方の「橋本遊郭跡」(2007年5月21日)
    「橋本遊郭」は男山・石清水八幡宮とともに栄えた。源義朝(みなもとのよしとも1123−1160年)の妾の一人は橋本から出たと言われるので、1000年も昔から遊里があったのだろう。井原西鶴(いはらさいかく1642−1693年)の『好色一代男』に描かれ、淀川三十石舟舟歌にも歌われており、江戸時代中期以降は全国的に有名な遊里だったようだ。1872年に京都府から正式に遊郭と認定され、最盛期には、京街道沿いに石原楼、京華楼、いろはなど75の妓楼が並び娼妓は400名以上だったとのこと。最盛期の「橋本遊郭」は宮尾 登美子(みやお とみこ1926年−)原作の1982年の映画『鬼龍院花子の生涯』にも登場している。1958年の公娼制度廃止後、遊郭の灯は消え現在は閑静な街になっているが民家の屋根、玄関、格子の造りには遊郭の華やかな面影が残っている。京阪電鉄橋本駅下車南に徒歩約5分。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159970/
    (写真は橋本遊郭の華やかさを残す民家)


    旅行時期
    2007年05月
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 京都・淀の淀城跡(2007年5月21日)

    投稿日 2007年06月27日

    京都

    総合評価:4.0

    京都・淀の淀城跡(2007年5月21日)
    初代淀城は、管領細川政元(ほそかわ まさもと1466−1507年)が築城、豊臣秀吉(とよとみひでよし1537−1598年)は、1588年に懐妊した茶々姫のため、淀城を改修して産所とした。茶々姫はここで鶴松(夭折)を出産し、「淀殿」(1569頃―1615年)と呼ばれるようになった。
     初代淀城は、現在の淀城址から北へ500m、納所(のうそ)の妙教寺の付近にあったと考えられている。 
    現在の地に築かれた2代目淀城は、徳川秀忠(1579−1632年)が1619年に秀吉の隠居城だった伏見城を廃城にした際に1625年に建造された。京阪電鉄淀駅のプラットフォームから淀城址の堀が見える。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159803/
    (写真は淀城跡の堀)

    旅行時期
    2007年05月
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 京都・淀の京都競馬場(2007年5月21日)

    投稿日 2007年06月27日

    京都

    総合評価:4.0

    京都・淀の京都競馬場(2007年5月21日)

    淀は春の天皇賞と秋の菊花賞などで知られる1925年開設の京都競馬場(きょうとけいばじょう)の街。レースが無い日は競馬場前は閑散としている。入場口前には京都競馬場の武田文吾厩舎の所属であった五冠馬(皐月賞日本ダービー菊花賞天皇賞、有馬記念)
    シンザン(1961−1996年)の銅像と蹄鉄が飾られている。京阪電鉄淀駅から徒歩10分弱。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159803/
    (写真は京都競馬場)

    旅行時期
    2007年05月

  • 京都・淀の与杼神社(2007年5月21日)

    投稿日 2007年06月27日

    京都

    総合評価:4.0

    京都・淀の与杼神社(2007年5月21日)

    淀城跡にある与杼神社 (よどじんじゃ)は豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、高皇産霊神(たかみおすびのかみ)、速秋津姫命(はやあきつひめのみこと)を祀り、古くは、淀姫(よどひめ)社、又は水垂(みずたれ)社とも呼ばれていた。
     社伝によれば、僧千観内供(せんかんないぐ918−984年)が、肥前国(佐賀県)河上村の淀大明神を勧請したことに始まると伝えられている。境内には、本殿、拝殿、神輿庫(みこしぐら)、日大臣(ひだいじん)社、長姫(ながひめ)社、川上社、豊丸社などの境内社殿が建てられている。拝殿は、1607年建造の国の重要文化財。京阪電鉄淀駅下車すぐ。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159803/
    (写真は淀の与杼神社)

    旅行時期
    2007年05月
    アクセス:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 大阪・枚方の交野天神社(2007年5月21日)

    投稿日 2007年06月27日

    寝屋川・枚方・交野

    総合評価:4.0

    大阪・枚方の交野天神社(2007年5月21日)
    交野天神社(かたのあまつかみのやしろ=かたのてんじんじゃ)は787年創建で、桓武天皇(737−806年)が父の光仁天皇(こうにんてんのう709−782年)を天神として祀ったのがはじまりとされている。京阪電鉄くずは駅下車、京阪バス泉循環線左回り行き15分、長沢下車徒歩10分。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159790/
    (写真は交野天神社)

    旅行時期
    2007年05月
    アクセス:
    2.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 大阪・枚方の「樟葉宮跡の杜」(2007年5月21日)

    投稿日 2007年06月27日

    寝屋川・枚方・交野

    総合評価:4.0

    大阪・枚方の「樟葉宮跡の杜」(2007年5月14日)
    交野天神社の付近一帯の原生林は「樟葉宮跡の杜」として枚方八景にも選ばれている。本殿の脇から原生林の中を50m進むと、祭神として万物生成化育を司る闇 神(クラオカミの神)と継体天皇(けいたいてんのう『日本書紀』によると450-531年頃)を祀る貴船神社がある。大阪府は貴船神社を含む交野天神社の境内を「継体天皇樟葉宮跡伝承地」として史跡に指定している。京阪電鉄くずは駅下車、京阪バス泉循環線左回り行き15分、長沢下車徒歩10分。交野天神社本殿の奥にある。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159790/
    (写真は「樟葉宮跡の杜」)

    旅行時期
    2007年05月
    アクセス:
    2.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 京都・八幡の三川合流点の石碑(2007年5月21日)

    投稿日 2007年06月27日

    京都

    総合評価:4.0

    京都・八幡の三川合流点の石碑(2007年5月14日)
    樟葉宮跡の場所は、淀川、木津川、桂川、三川合流点で、3大河川を支配する絶好の場所。ヤマトに入らずに樟葉に最初の宮を置いたのは、豪族間の政権闘争を有利に進めようとしたと考えられる。また交野は「すべてが交わる場所」とされ七夕伝説もある。794年の平安京遷都の際は桓武天皇(737−806年)は中国から伝わった風水に基づく四神相応(しじんそうおう)の考え方を採用したと言われるが七夕伝説の樟葉宮選定に天文学や東洋占星術を採用した可能性もあろう。三川合流点には石碑とモチーフが造られている。京阪電鉄八幡駅から淀川方面に徒歩10分弱)
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159790/
    (写真は三川合流点の石碑とモチーフ)

    旅行時期
    2007年05月
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 大阪・枚方の郵便屋の渡し跡の碑(2007年5月14日)

    投稿日 2007年06月27日

    郵便屋の渡し跡の碑 寝屋川・枚方・交野

    総合評価:3.0

    大阪・枚方の郵便屋の渡し跡の碑(2007年5月14日)
     郵便屋の渡し跡は淀川に橋がかかっていない時代から1930年
    に枚方大橋ができるまで郵便輸送に使われた船着場だった。鍵屋の裏、淀川沿い堤防上の路肩にある。府道 京都守口線沿いで京阪バス枚方公園口バス停よりすぐ、桜町交差点角。京阪枚方公園駅から徒歩10分弱。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159638/
    (写真は郵便屋の渡し跡の碑)

    旅行時期
    2007年05月
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 大阪・枚方の市立枚方宿鍵屋資料館(2007年5月14日)

    投稿日 2007年06月27日

    寝屋川・枚方・交野

    総合評価:4.0

    大阪・枚方の市立枚方宿鍵屋資料館(2007年5月14日)
    鍵屋は枚方宿を代表する船宿で2001年には市立枚方宿鍵屋資料館としてオープンし、1997年に有形文化財に指定された。
    鍵屋主屋(かぎやおもや)は京街道に面する枚方宿を代表する町家で、1800年代初頭に建築されたと推定されている。3間続きの客間と広間があり、客人が酒や団子等を供しながら船を待つのに使ったと考えられている。裏手は淀川に面する船着き場、炊事場、台所の見学もできる。京阪電鉄枚方公園駅から徒歩10分弱。
    ホームページ;http://www.kanko.hirakata.osaka.jp/kagiya.htm
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159638/
    (写真は市立枚方宿鍵屋資料館)

    旅行時期
    2007年05月
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.0

  • 大阪・枚方の「かささぎ橋」(2007年5月14日)

    投稿日 2007年06月26日

    寝屋川・枚方・交野

    総合評価:4.0

    大阪・枚方の「かささぎ橋」(2007年5月14日)
    枚方宿を過ぎて京都方面に進むと「天の川」にかかった「かささぎ橋」を渡る。枚方から隣接する交野市にかけての一帯には、平安の昔「交野ヶ原」(かたのがはら)と呼ばれていた頃から伝わる織姫と牽牛が、年に一度、七夕の夜に逢うという七夕伝説がある。枚方から交野を流れる川は「天の川」と名づけられており、「かささぎ橋」は7月7日の夜、美しい天の川をはさんでかささぎが羽を大きく広げ、織姫と牽牛を渡らせて逢わせたという七夕伝説にちなんで名づけられたもの。平安貴族たちの遊猟の地であった交野ヶ原には、天体に由来する多くの地名が残されている。とてもロマンチックな伝説がある街だ。「かささぎ橋」は京阪電鉄枚方駅北口から府道 京都守口線を京都方面に約10分。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159638/
    (写真は「かささぎ橋」)

    旅行時期
    2007年05月
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    3.0

  • 大阪・枚方の枚方本陣跡(2007年5月14日)

    投稿日 2007年06月26日

    本陣跡 寝屋川・枚方・交野

    総合評価:3.0

    大阪・枚方の枚方本陣跡(2007年5月14日)
    大阪・枚方は京都と大坂の中間に位置する交通の要衝で、陸の京街道とともに街道沿いを流れる淀川を利用した「淀川三十石船」などの水上交通の中継港としても栄えた。
    枚方宿は東西約1500m、京街道の道幅約5mで宿場には 本陣 (大名や旗本、幕府役人、勅使、宮、門跡などが使用した宿)、脇本陣、家老専用本陣、問屋場(といやば、馬や人足の手配場所)、旅籠(はたご、庶民の宿屋)55軒、船宿、茶屋、寺院、民家約400軒などが軒を連ねていた。
    本陣跡は公園になっているが、周辺には京街道(大坂街道)沿いには枚方宿当時の町家が見られる。京阪電鉄枚方市駅から徒歩10分弱。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159638/
    (写真は本陣跡の碑)

    旅行時期
    2007年05月
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 大阪・枚方の木南家(問屋役人)の旧家(2007年5月14日)

    投稿日 2007年06月26日

    木南邸 寝屋川・枚方・交野

    総合評価:4.0

    大阪・枚方の木南家(問屋役人)の旧家
    木南家(問屋役人)は本陣 (大名や旗本、幕府役人、勅使、宮、門跡などが使用した宿)、脇本陣、家老専用本陣などが並ぶ枚方宿の中で問屋場(といやば、馬や人足の手配場所)の役人だった。古い町家が残っている。京阪電鉄枚方市駅から徒歩10分強。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159638/
    (写真は木南家)

    旅行時期
    2007年05月
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 大阪・枚方の牧野車塚古墳(2007年5月2日)

    投稿日 2007年06月26日

    寝屋川・枚方・交野

    総合評価:4.0

    大阪・枚方の牧野車塚古墳(2007年5月2日)
    牧野車塚古墳(まきのくるまづかこふん)は、大阪府枚方市(ひらかたし)にある全長107.5m、前方部幅44mの前方後円墳で埋葬者は不明。
    周囲に幅約10mの空濠があることが解っている。古墳は5世紀前半に作られたものと考えられており、1922年に国指定史跡に指定された。付近には赤塚・権現塚・子供塚等の小古墳があったことが知られており、かつては牧野車塚古墳を中心に古墳群が形成されていたものと考えられている。 京阪バス 京阪枚方市より13番系統に乗車 小倉東町下車直ぐ。京阪電鉄牧野駅から徒歩約20分。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10159620/
    (写真は牧野車塚古墳)

    旅行時期
    2007年05月
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.0

  • 遊園地「枚方パーク」の菊人形は終了(2007年5月2日)

    投稿日 2007年06月26日

    ひらかたパーク 寝屋川・枚方・交野

    総合評価:3.0

    遊園地「枚方パーク」の菊人形は終了(2007年5月2日)
    遊園地「枚方パーク」では「ひらかた菊人形」で知られ、1910年から100年近く開催されていたが、残念ながら2005年を最後に終わってしまったので要注意。現在は子供、若者向けの遊園地。
    httpホームページ://www.hirakatapark.co.jp/ 京阪電鉄枚方公園駅下車徒歩約5分。
    (写真は遊園地「枚方パーク」の花壇)

    旅行時期
    2007年05月
    アクセス:
    4.0
    コストパフォーマンス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    施設の快適度:
    3.0

さすらいおじさんさん

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