kasekunさんのクチコミ全124件
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投稿日 2024年01月16日
総合評価:2.5
色塗り投稿です。
ノルウェーには1度だけ訪問。
たまたま千歳空港の本屋に地球の歩き方東欧編が置いてなく、北欧編を購入して、急遽変更し、北欧旅行となった。フランクフルトinモスクワoutの大韓航空のチケット。北欧を通ってモスクワへ向かうこととした。
北欧で思い付くのは、アンデルセン、ムーミン、白夜、フィヨルド、サンタクロース、ノールカップ、、これらを見に行く行程とした。
ノルウェーの思い出は、、、 、
・デンマークからちょっとした船でスウェーデン入国。そこからスカンレイルパスを使ってノルウェーの首都オスロまで。でもオスロは素通り。一泊しようにも若かりし自分には高すぎた。で、そのまま世界遺産のフィヨルドを見に列車で、、、。行程はすっかり忘れてしまったが、フロム鉄道とフェリーに乗りフィヨルド観光したことは覚えている。このフェリー、アジア人は見渡すと自分だけ。なんだか自分、すごくない?と思ってしまった。若かりし頃ですから、そう思うんでしょうね。でも、絶対社会科地理で生徒たちにフィヨルドは教える項目なので、行ってよかったと思う。氷河がつくりだす入りくんだ地形。リアス式海岸とは違う、、、。
・フィヨルドを見た後は、そのまま列車で世界遺産の町ベルゲンへ。ちょこっと見ただけで、すぐにオスロへと戻る。そしてトロンハイムへ。この日の列車移動はここまで。安いホステルに1泊。
・次の日はトロンハイムから列車でファウスケという町まで。ここから北上するバスが発車する。スカンレイルパスはこのバス乗車の割引が利く。全額無料ならいいんだが、たしか半額になったと記憶しているが、、、。
・バスで入りくんだフィヨルドをくねくねと北上し、トロムソへ向かう。風景は地元北海道道北とそんなに変わらないか。何もない、、、。行き交う車はキャンピングカー、あるいはボートを牽引している車が多い。まだ日本ではそんなに見かけない頃だった。川?と海と大自然。その中で人々は暮らしていた。(これに触発され、日本に戻ってからボートを購入。牽引免許も取得。若かりし自分です)
・トロムソでは日本人?と思った親子で旅行しているという韓国系アメリカ人に出会った。彼らもノールカップを目指しているらしい。一緒にノールカップまで行ったが、彼らはまたトロムソへと戻って行った。(パスでバスは半額になるので、、、)
・夜中、たしか0時を過ぎた頃にノールカップ到着。辺りはまだまだ明るい。これが白夜か。多くの方々がこのノールカップ目指して来ていた。辺りを見回してもアジア人は自分と韓国系米国人だけ。またしても、自分、すごくない?と勘違いしてしまった。(若かりし自分です)
・さてそろそろ自分もトロムソへ戻ろうかとバス乗り場に行くと、なんと、直接サンタクロースの町ロバニエミに向かうバスがあった。料金は120ユーロと高く、スカンレイルパスはこのバスには使えないらしい。迷った末、このバスに乗車。バスの中で寝て、朝にはロバニエミに着くならいいんじゃないかと。乗客は4名程だったけど、真夜中でもここノルウェーではバスが走っている。白夜はやっぱりすごい!
という感じのノルウェー訪問でした。心残りと言えば、北欧では、デンマーク、スウェーデンと王宮を見てきたのに、ノルウェーだけは素通りしてしまったこと。次の機会があれば、王宮と、それからスウェーデンからノルウェーのナルヴィクへ向かう列車に乗りたいですね。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2003年08月
-
投稿日 2024年03月18日
総合評価:5.0
先日、以前の旅行記にあげた、イスラエルからヨルダンへキングフセイン橋(アレンビー橋)越境の為のヨルダンビザについてのYouTube動画を見た。
https://youtu.be/7v9x8c9ZoTI
彼がいう情報では、「このアレンビー橋は正式の国境ではないから、事前にヨルダンビザが必要。でも大丈夫!ネットでヨルダンeビザがあっという間に、しかも無料で取れる、、、」そんな内容だった。
、、事前にヨルダンビザが必要、、、。この情報はきっと
https://conroe215.hatenablog.com/entry/2018/12/17/213807
か、
https://shozzatrip.com/israel_to_jordan/
ここからの情報かと思われる、、、、
どちらの情報でもこのアレンビー橋での越境には事前にヨルダンビザが必要とある、、、。
でも、自分は2023年1月、ヨルダンの事前ビザなしでこのアレンビー橋を越え、ヨルダンに入国した。
きっと情報をあげた3人とも、その情報は本当なのか?ということを試していない。外務省の情報にはそんなことは1つも書いていないのに、、、。
https://www.anzen.mofa.go.jp/info/pcsafetymeasure_054.html
まあ、わざわざ試す人もいないでしょうけど、、わざわざ国境まで行ってヨルダンに入国できなかったら戻って来ないと行けませんからね、、、。
でもこの情報はきっと日本人旅行者に大きな影響を与えた。ヨルダン→イスラエル はビザ取る手間がいらない。が、イスラエル→ヨルダン は事前にヨルダンビザを取らなければならない。面倒くさい!時間もかかる!当然、旅行者はヨルダン→イスラエルの方向で旅行をする、、、。ネットでもヨルダン→イスラエルの旅行記はよく見るけど、イスラエル→ヨルダンはほぼない。
実は自分もアラビア半島縦断計画を考えている時、この情報に惑わされた。当初は遠回りして別のビザ不要の国境を通ろうかとも思ったが、外務省情報にはそんなこと1つも書かれてなかったし、エーイ、やってみよう!通れなかったらまた戻ればいいだけだし、、と試みたわけだ。
ガセ情報だったのか、最近運用が変わったのかはわからない。でも、実際に自分が事前にヨルダンビザを持たずに、このアレンビー橋を越え、ヨルダンに入国したわけなので、日本人はこの国境で無料アライバルビザが取得できることは明らか、、、、。事前にヨルダンeビザを取る必要もない。(まあ、取得して行った方が安心するでしょうけど)
一旦上がった情報は、それがずっと信じられてしまう、、、訂正もしてくれないので、、、いい典型例です、、、。
何度も言いますが、、、
●キングフセイン橋(アレンビー橋)国境でも、日本人は事前にヨルダンビザを取る必要はありません!
、、、このユーチューバーさんも、eビザの確認はなく、あっけなく入国したのですから、、、
※自分、この事で、情報は操作されてるかもしれない、、そう思うようになったわけです。実際、ドミニカ共和国とハイチ共和国との国境は閉鎖されていませんでした。在ハイチ日本大使館は、閉鎖されたという情報は流すけど、再開されたという情報は出さなかった(たぶん、知らなかった?あるいは、日本人をハイチに入国させない為、、?)
本当なのか?と思うことも大切だよなと思う次第です。
親父の独り言でした。
※日本人旅行者をヨルダン→イスラエルに誘導し、得をする者は誰か?こう考えると、もしかしてイスラエル出国の空港を使わせようとする者の仕業かも?、、穿った見方をすればこう考えられなくもない。、、、なんてね、、!
→真相を知りたいものだ。この1番最初の情報元はなんだったのか、、、。地球の歩き方にそんな情報ありましたっけ?
※キューバ入国でのESTA制裁も、、、。情報は錯綜している、2011年以降なのか、2021年以降なのか、、ESTA申請が可能なのか不可なのか?、、、はっきり、過去にキューバ入国者はアメリカビザを取るように!この通達の方がわかりやすいはずなのに、あえて、期間を指定し、さらに2つの情報を流して混乱させる、、、こんな面倒なことになるなら、キューバに行かなければよかった!これは他の旅行者にも広く伝搬する、、、キューバ旅行は絶対やめた方がいい、、、と。ほぼ誰も行かない他のテロ支援指定国家以上に、目の前のキューバの再指定のインパクトは大きい。誰もがそう思ってしまう、、、、A国の経済制裁はこれにて完成!、、、なんてね、、、!
情報の力は思ってる以上にすごい!
こう発信しても影響力はYouTubeの方が大きいので、きっと多くの日本人旅行者は事前にヨルダンeビザを取得してこの国境を越えるんだろうな、、、あるいは検索上位に上がる「事前ビザ必要」情報サイトを見て、ヨルダン→イスラエルにするんだろうな、、、。
まあ、今はあの地域はきな臭いので旅行者も行かないか、、、。
(追記)
→最初の情報は、、、ちょっとだけ手がかりを見つけた!
そこにはこう書かれていた。
「イスラエルからヨルダンへ、陸路で出入りできる国境は3つあります。
国境1:北のShikh Hussein/Jordan Bridge border crossing
→この国境を、本当は私も越えたかったのですが、ガイドブック『Lonely planet』の情報を見てやめました。
ガイドブックの記載には「もっとも行き来の少ない国境」とあったんです。
ってことは、移動手段(ミニバス等)を見つけるのに苦労するのかも・・・と、思いまして。
ネットでここの国境を越えた旅行者の情報を探してみましたが見つからず、ここを越えるのは断念しました。
国境2:エルサレムに最も近いKing Hussein/Allenby Bridge border crossing
エルサレムとヨルダンの首都アンマンを直線で結んでいるこの国境を越えるのが、旅行者には一番便利ですね。
★でも、この国境では『ヨルダンVISAは取れません』と、ガイドブックに書いてありました。
そして、ここで国境を越えた旅行者の情報を見ると『国境を越えるのに5時間かかった』とか
『入国審査がとても厳しくて大変だった』とか、とにかく簡単には通れそうにない雰囲気。
私達、旅行の日程には余裕がありましたので、嫌な思いしたくないしな・・・と、
この国境を通るのも断念。」
「ヨルダンVISAを取らずに、国境2のキング・フセイン橋の国境を越えようとした日本人旅行者が
「ヨルダンVISAがないからヨルダンへは入国できない!!」と言われて酷い目にあった・・・
なんて体験談もネットで読みましたので十分ご注意下さいね。」
そして
「国境2のキング・フセイン橋で国境越えを考えているなら、念の為に(保険だと思って)ヨルダンVISAを
事前に取っておいた方が良いかもしれません。」
→念の為、、、旅行期間が短い日本人旅行者には絶対取らないといけないと思いますね、、、
これか?、、★この情報か?ガイドブックに記載されてる?→このガイドブックというのは、文脈からすると、地球の歩き方ではなく、Lonely planetのことだろうか? 外国人の旅行情報を元にしたのだろうか?外国人と日本人は対応が違うはずなんだけど、、、、。
・審査は厳しい、時間がかかるとの情報から断念、、、。本人が入国拒否されたのではないらしい。
・ひどい目にあったという体験談を読んだらしい。でも、結果的にその旅行者が入国拒否されたのかはわからない、、、
このネットにあげた情報が拡散した模様、、、。
ということから自分なりに考えてみると、、、
→ビザがないから入国拒否される、、、のではなく、その当時はこの国境だけは審査が厳しかったので事前ビザを取るようになった
それがいつの間にか誇張され、この国境では事前ビザを取る必要がある、、、に変わったのではないだろうか?
https://ameblo.jp/makicina-neko/entry-11231747470.html
2010年の情報か、、、でもこの情報のソースを読んでみたいな、、、
※本当に興味深いですよね。卒業論文のテーマにもなりそう、、、。
※今日ニュースを見たらフェイクニュースのことが上がってた。イギリス国王が亡くなったというフェイクニュースが、、、。拡散に荷担しないように、、、とのことだった。衝撃的なことほど普通の人は見るので、その情報があっという間に広まってしまうとのことだった、、、
んー、ホントだよなあ!たぶん、このアレンビー橋国境情報も、日本人の中で20年はきっと信じられている、、、公的な外務省情報にはそんな情報一切ないにもかかわらず、、、
今はユーチューバーさんの通り、全然審査は厳しくないです。あっけなく日本のパスポート見せただけで入国できます!
(さらに追記)
思い出しました!そういえば、エジプトとイスラエルの国境越えの時、、、バスターミナルでたまたま出くわした日本人の方が当初、イスラエルに行くためエジプトから船でヨルダン経由でイスラエルに向かうとのこと。不思議でした。なんでわざわざイスラエルに行くのに、ヨルダン経由なのか?で、尋ねてみたら、エジプトとイスラエル国境は審査が厳しいからとのことでした。体験談を見たとのこと、、、その体験談とはドイツ人旅行者がこの国境で入国拒否されたという、、、
さもアリン!自分はすぐにわかりました。なぜドイツ人は入国拒否にあったか?イスラエルの方々にとってドイツは、、、ヒットラー、、、ユダヤの方をホロコーストで虐殺!不審な点がちょっとでもあれば、入国拒否される可能性は非常に高いはず、、でも日本人は杉原千畝さんがいる、、、。結局、この国境で2人とも入国できました。イスラエルのどこに行くんだ?事前審査は確かに同じ質問を2人にされしつこいなあと感じはしたものの、嫌がらせには感じませんでした。出会った方は知人に会いに行くとかで、少し時間はかかりましたが、、、。入国係官もなんと日本語で、ようこそイスラエルへ、、だって!日本語ペラペラでした。
何が言いたいかといいますと、、情報数は圧倒的に日本人より西洋人の方が多い。そこに惑わされてしまうんです。このエジプトーイスラエルの国境情報も、ほとんど日本人は体験しませんので情報数は少ないんです。すると、必然的に西洋人のガイドブック、ロンリープラネットに頼らざるを得ない。この国境は(ドイツ人には)審査が厳しい、、、となってしまうんです。日本人ならそれほど厳しくもないのに、、、。ロンリープラネットの情報が日本人にも適用されてしまう、そう錯覚してしまったのが、このアレンビー橋国境の誤情報に繋がったのではないかなと思った次第です。(西洋人にはヨルダンビザは有料です。でも、日本人は無料です。なんてったって、このアレンビー橋を作ったのは日本の支援ですから、、、)
※ウィキ 「アレンビー橋」より、、、
「1994年10月のイスラエル・ヨルダン平和条約締結以降、交通量増大による容量不足が深刻化してきた。このため、恒久的な橋が日本のODAによって旧橋の隣に建設された。竣工は2001年3月22日。4車線のPC斜版橋(斜版付箱桁橋)で、長さは120m。ヨルダン側の道路約7.7kmも合わせて整備された[1]。なお、この援助はODAの中でも返済義務の無い「無償資金協力」として行われた。」
(さらに追記)
こんな情報が4トラに上がってた、、、
https://4travel.jp/travelogue/10228820?lid=201702_search_result_os_travelogue
ほー、2007年には本当に行けなかったようですね。
「朝、エルサレムに近いアレンビー橋の国境を越えて、イスラエルを出国。しかし、ヨルダン川を越えた後のチェックポイントでパスポートをチェックされ、「ビザがないのでここから先へは行けない。シェイク・フセイン橋の国境からヨルダンに行くように。」との非情な通達が………!!
最新版の歩き方(2003年だけど…)には、「ヨルダンビザを持っていなくても、アレンビー橋からの国境越えは問題ない」と書かれており、それを信じていたのに…騙された…!!アレンビー橋は、パレスチナ人のための非公式な国境なので、今はきっちりビザが要るようです…。」
でも、やはり歩き方には、問題ないとの記載があったらしい、、、。入国管理官ではなく、途中のパスポートチェックポイントで、、、
んー、ますます謎めいてきた。総合的に考えてみると、、
ここのアレンビー橋国境では、西洋人はアライバルビザが取れない(ロンリープラネットの情報)。 でも、日本人は例外的に取得することができる(地球の歩き方情報)。このあやふやな情報が当時あまり国境係員に周知されていなかったのかもしれない。それがこの悲劇を生んだのかも、、、。- 旅行時期
- 2023年01月
-
投稿日 2024年02月28日
総合評価:2.5
色塗り投稿です。
ウルグアイには1度だけ訪問。ブラジルのポルトーアレグレという町からウルグアイ モンテビデオ行きの国際バスにて入国。そして、忘れちゃったけど、唯一の世界遺産の町を訪れ、どこかの町に。ここからアルゼンチンのブエノスアイレス行きのフェリーが出てたから。
思い出は、、、
●モンテビデオの町は南米にしては綺麗な町だったなという印象を持った。
●町の人々を見てたら何か持ってる。n?なんだあれは?と思ってたら、昔で言う魔法瓶だった。ウルグアイの人には欠かせないマテ茶。魔法瓶に入れたお湯を注ぐために、常に携行してる模様。不思議、、、な光景。
●自分もマテ茶セットを購入してみた。スーパーに入って、まずマテ茶を、、、高い物から安い物、種類は豊富。ついで飲むための専用カップ?を。これと専用のストロー?がセットで売ってたので購入。ストローはなかなか便利。金属製で、お茶っ葉が口に入ってこないよう、先端に小さな穴が数ヶ所あり、これで葉っぱの侵入を防ぐ。
フレンチコーヒーも飲めるかも?という優れ物。(コーヒー豆に直接お湯を注ぎ、それをこのストローで飲めばフレンチコーヒーの完成!)
日本でも売れるかも?
●世界遺産のコロニアルの町は小さい。1時間程で回れる。
、、、こんな感じ。ウルグアイと言えば、以前の大統領が有名。名前は忘れちゃったけど、世界1貧しい大統領。清貧潔癖、、こんな人が国のリーダーだったら絶対いい国になるよね。
以上、色塗り投稿でした。これで色塗りも終わりです。- 旅行時期
- 2013年01月
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投稿日 2024年02月28日
総合評価:3.0
色塗り投稿です。
アルゼンチンには1度だけ訪問。(イグアスの滝を観光してから1度出国。ブラジルへ。ウルグアイからフェリーでアルゼンチン ブエノスアイレス入国。)
思い出は、、、
●とにかく、イグアスの滝はすごかった。世界3大瀑布の1つというだけあって、言葉を失う程の迫力!死ぬ前に絶対見ておくべき所だと思った。あと2つ、ナイアガラの滝、ビクトリアフォールも必ず行きたい。
●ウルグアイからアルゼンチン行きのフェリーは当日でもチケットは購入できる。けっこう豪華な船だった。
●ブエノスアイレスでは日程もなく、そんなに観光していない。1日いて帰国。で、知らずに100ドル程アルゼンチンペソに銀行で両替してしまった。アルゼンチンペソが暴落してるなんて知らずに。銀行では低いレートだが、闇では、、、。失敗!けっこう余って持って帰って来たけど、今ではただの紙くず。失敗!
●飯は、、、肉、肉、肉だらけですね。最初はオー!と思ってたけど、後から初めてもういいかなという感じに、、、。
という具合。一応これで南米大陸はペルーリマからアルゼンチン ブエノスアイレスまでは陸路・海路で縦断。今度はパタゴニアの方へ行きたいですね。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2013年01月
-
投稿日 2024年02月26日
総合評価:2.0
色塗り投稿です。(パラグアイの思い出の続き、、、)
ブラジルには1度だけ訪問(①パラグアイからブラジルへ ②アルゼンチンからブラジルへ)。イグアスの滝、それからウルグアイ訪問のために駆け抜けたという感じのブラジル訪問。
●パラグアイ シウダーデルエステ→バス→ブラジル フォズ・ド・イグアス
●ブラジル フォズ・ド・イグアス→バス→アルゼンチン プエルト・イグアス
●アルゼンチン プエルト・イグアス→ブラジル フォズ・ド・イグアス
(※世界遺産イグアスの滝はアルゼンチン側で観光)
●ブラジル フォズ・ド・イグアス→長距離バス→クリチバ(1泊)
●クリチバ→長距離バス→長距離バス→ポルトアレグレ(1泊)
●ポルトアレグレ→国際バス→ウルグアイ モンテビデオ
思い出は、、、。
・ブラジルVISAは日本で取得。旅行社に頼んで1万円。せっかくなので、VISAは高額だけど、ちょっとだけでもブラジルを訪れてみたかった。この国は日本にとって、大変関係のある地だから、、、。
・初ブラジルは大変困惑した。アフリカのフランス語圏に行ったときのような感じ。英語は通じず、言葉はスペイン語に似ているようで似ていない、なにかフランス語のようにも聞こえるといった感じのブラジルーポルトガル語。(初めてポルトガル語という言語を聞いたので、、、)。はじめは本当に、ウルグアイまで行けるんだろうかと不安になった。
・特に困惑したのが近郊バス。普通ならバスに乗ってお金を払うだけでいいのに、ここはバス乗り場に入る時にお金を払うという感じだった。どうやってバスに乗るんだか、いくら払えばいいんだか、まるっきりちんぷんかんぷんで、困ってしまった。たしか、何とか地元の方に助けてもらってバスに乗り込んだと記憶してる。
・長距離バスの方は普通に乗れた。バスターミナルで、行き先を伝え、お金を払えばok。
・クリチバのターミナルで、バスの発車まで座って待ってたら、挙動不審だったのか現地の方に英語で声をかけられた。日本から来ました!と答えたら、ひどく驚いていた。聞けば、奥さんが日本人のようで、、、。
1人で来たの?ポルトガル語は話せるの?日本のどこに住んでるの?なんでブラジルに来たの?と質問攻め。日本語は話せないようだったけど、彼の英語は聞き取れた。
1番彼が驚いていたことは、ポルトガル語も話せないのに、1人でブラジルに来たことだった。よくよく聞いたら、このクリチバは治安がひどく悪いらしいのだ。よくここに来たね!そんな感じだった。
Facebookを交換し、気をつけて!と彼とは別れたが、後日、彼の奥さんからメールが届いた。本当に日本人だった。(かわいらしい方だった)「主人からあなたのことを聞きました。ホントにビックリしたようです、、、」だって。
たしかに、ポルトガル語もスペイン語さえもままならぬ輩がよく行ったもんです。しかも、サンパウロ、リオデジャネイロならまだ日本人も訪れるでしょうが、たぶんほとんどの日本人が初めて聞くだろうクリチバ、ポルトーアレグレという町です。幸い、無事、ウルグアイまで行けました。
たった2泊3日のブラジル訪問でしたが、ブラジルの怖さはまだわからず仕舞いです。いつかアマゾンには行ってみたいんですが、ブラジルって本当に怖い所なんでしょうか?誰か知ってたら教えてほしいものです。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2013年01月
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投稿日 2024年02月20日
総合評価:2.0
色塗り投稿です。
パラグアイには1度だけ訪問。といっても、イグアスの滝に行くために駆け抜けたという感じの訪問。まだ休みがあるといっても、イグアスの滝を見て、ブラジルを通ってウルグアイを見て、アルゼンチンのブエノスアイレスまで行かなければならなかった(帰国便はブエノスアイレス発)。旅程は短いが、それでも、ボリビアからずっとバスでパラグアイを縦断し、シウダーデルエステまでやって来ることができた。
旅程
●ボリビア サンタクルスー国際バスーパラグアイ アスンシオン
●アスンシオンーバスーシウダーデルエス
※シウダーデルエステ宿泊(バスターミナル近くのホテル)
●シウダーデルエステーバスーブラジル側のイグアスの滝の町フォス・ド・イグアス
※ボリビアのサンタクルスバスターミナルはたしか、ブラジルへ行く列車駅と直結していた。サンタクルスから出るブラジル国境キハロ行きの列車に乗る乗客が別れを惜しむかのように抱き合ってる光景が見えた。この列車にもいつかは乗りたいなあと思いつつ、夕方出発するパラグアイ行きのバスを待っていた。
※国際バスと言っても、豪華なバスではなかった。どちらかというとオンボロバスだった。乗客も、観光客ではなく地元民が荷物を大量に持ち込み移動するというと感じのバス。外国人は自分1人だった。
※パラグアイの人は、ペルー人、ボリビア人とはちょっと違い、インディオの血が濃いのかな?それでも見馴れぬ外国人の自分に、にこやかに接してくれた。(特に国境での手続きで、、、、。)
※パラグアイの通貨グアラニは、コインはなく紙幣のみ。お店に入って買い物をしたら、気を使ってくれたのか、綺麗な紙幣を選んで全種類のお札でお釣りを渡してくれた。(記念に取っておいた)
※ブラジルとの国境はザ・国境といった感じ。ガーナとコートジボワールの国境地帯を思い出した。(ブラジルの入国は警察管理?なのかなあ?ポリスチェックの判子が押された。)
※イグアスの滝はアルゼンチン側のプエルトイグアスで観光。ブラジルに入って、アルゼンチンに入って、、、複雑怪奇、、、。ここでは韓国人が羨ましく思えた。彼らはブラジルVISAが必要ない。若者韓国人たちに出会った。(今はやっとブラジルVISAも不要になりましたが、当時は日本人はブラジルVISAが必要だったので、、、。なんと1万円も!自分は日本の旅行社に依頼し取得して、ブラジルに入国)
というと感じのパラグアイ訪問。今度訪れる機会があれば、日系人の村を訪れてみたい。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2013年01月
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投稿日 2024年02月19日
総合評価:4.0
色塗り投稿です。
ボリビアには1度だけ訪問。2012冬、ペルー→ボリビアの新婚旅行で。
(ペルーからの続き)、、、ペルーとの国境を越え、ボリビアラパスに到着したのは夜だった。ラパスは高地にあるので、赤道に近いとはいえ寒かった。すぐにバスターミナルからタクシーに乗り、今夜のホテルへと向かった。予約はしていない。いつ到着できるかもわからないので。歩き方に載っていた日本人宿「一番ホテル」に向かった。「部屋ありますか?」なかったらまた嫁が爆発する危険性はおおいにあったけど、幸い部屋は空いていた。本当に偶然、、いつもは日本人で埋まってるらしかった。「ラッキーですね。」部屋は寒かったけど、泊まることができて何より。
しかも、この宿、日系人?日本人?のおじいさん経営のホテル。日本語も通じ、そして朝食は和食。久しぶりの和食、お味噌汁に卵焼き、、ウワー!ウメー!さらに宿泊客は日本人ばかり、、、同じ新婚さんや一人旅の方がたくさん。会話も弾む!嫁も弾む会話に楽しそうだった。
さて、ラパスで何する?他の人の話を聞くと、「ウユニ塩湖は行った方がいいよ!」と勧められ、悩む嫁。計画通り行っていれば、自分もウユニ塩湖へ行く予定だったが、3日も予定が狂ってラパスに到着した。嫁の帰国日はもうすぐ。、、、ウユニ塩湖はあきらめるしかなかった。その代わりボリビアの世界遺産の遺跡へ日帰り観光!、、、。ティワナク遺跡へ行こう!ということで、宿のご主人にローカルバスでの行き方を教えてもらい、いざ出発!
、、、ここに行って本当に良かった!なぜなら、嫁が大活躍!この遺跡に訪れていた現地のファミリーと仲良くなってしまったのだ。始めに声をかけたのは嫁。いつもなら、、、のはずが、なんだか今日はテンションも高く、フレンドリー!高地で酸素が薄いのが関係してるのかな?と思ってしまうほど。帰って来てから、君のお陰で現地の方と仲良くなれた!と誉めるとますます機嫌はよくなる。しまいには、「よし、今日の夜は音楽が聞けるパブにくりだそう!」と提案すると、ホテルで親しくなった他のお客さんも誘い、みんなで行くことに!なんと社交的な!
というわけで、ボリビアの夜を楽しむことができました。市内ツアーにも参加し、いろんな名所にも行けたし、、、ペルーではさんざんだった新婚旅行もこうして挽回できました。これも泊まることができた一番ホテルさんのお陰です!ありがたい、ありがたい。(まだ、10年程たつけどまだ営業してるのでしょうか?)
こうして嫁は帰国していきましたが、、、嫁を空港まで送り届け、自分はまだ休みがあるので、そのまま空港から乗り合いタクシーを見つけ出し、いざサンタ・クルスへ、、、。目的は、ここから出るパラグアイ行きの国際バスに乗るためです。このバス、JICAのボリビア隊員は乗車禁止のバスなのです。歩き方にも、安全上勧められない、との記載があるバスなのです。
でも、、、、。バスはちゃんとありました。夜出発、運賃はたしか50ドル程、、、。
こうして自分はボリビアからパラグアイへと向かいました。
※そうそう、もうひとつ覚えていることが、、、。嫁と現地のレストランで飯を食いました。色々頼んでみたわけですが、どれも同じ味。ケチャップ味でした。ボリビアの現地の方はケチャップ味が好きなんでしょうか?
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2013年01月
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投稿日 2024年02月19日
総合評価:3.5
Ragamuffin Hostel
ジャマイカの首都キングストンにはホステルがありました。ドミトリーベッドで1泊3500円程。ここはコーヒハウスと棟続き。宿泊者には朝食、コーヒーの割引が利きます。ジャマイカと言えばブルーマウンテン、美味しいコーヒーが飲めます。さらに、ボブマーリーのミュージアムにも徒歩圏内。デユボンハウスにも徒歩圏内(行列ができるアイスクリームにも、、)、、、キングストン、、歩き方には治安が悪く徒歩はできるだけ避けるように、と書かれていて、身構えていましたが、自分の体験上、全くそんなことはなく
、現地のタクシー運転手に「キングストンは危険なのか?」と尋ねてみても「は?」という顔をされました。
大陸側の中米は危険だと感じましたが、島国の中米はそれほどでもない、、そんな印象をもちました。ジャマイカでも、ハイチでも、ドミニカ共和国でも、、、。(個人的な意見です。)実際、自分はこのホステルから主な観光名所を歩いてまわりました。- 旅行時期
- 2024年01月
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投稿日 2024年01月15日
総合評価:4.0
つい先日、キューバを訪れました。2度目のキューバ訪問です。
で、前回訪問時と違う点が、、、。そんな所の情報をお伝えします。
①は削除、、、事務局からのお達しです。
※往路
●成田ーロサンゼルスーバハマー(ターコスカイコス諸島)ー★キューバ(ハバナ)ーケイマン諸島ージャマイカードミニカ共和国ー(バス)ーハイチー(バス)ードミニカ共和国ー(パナマ)ー蘭領アルバー蘭領ボネールー蘭領キュラソーートリニダードトバゴ
※帰路
●トリニダード・トバゴ(ポートオブスペイン)ー★マイアミ(トランジットで観光)ーダラスーロサンゼルスー成田
ここから推察して下さい。無事帰国できました。自分のパスポートにはキューバ入出国スタンプはなく、書類上キューバには入国しておりません、、、。
②前回はカンクンの空港でキューバのツーリストカードが購入できるとの情報で、キューバ入りした。
で、今回は、、、バハマから英領ターコスカイコス諸島経由でキューバ入国。キューバのツーリストカード、どこで購入しよう?日本で取って行くしかないのかな?と思ってましたが、めんどくさがりの自分、何とかなるのでは?と。
で、何とかなりました。ツーリストカード無しでキューバについても、入国前の入り口の旅行社のブースで、「ツーリストカード購入できますか?」と聞いたら、買えるとのこと。75USドルでした。日本で大使館申請で取ってった方と比べたら値段的には高いが、手間暇かけて取るよりもお得かも?めんどくさがりの自分にはお得でした。
ということで、キューバツーリストカードは入国時に購入することもできます。
※キューバ入国には海外旅行保険加入が義務付けられているようですが、係官からは見せろと言われずに済みました。
あと、めんどくさいデジタル入国申請ですが、入国審査の前にカウンターがあり、係の人がやってくれました。でも、滞在するホテルなんか聞かれ、決めてない、町にあるカサに泊まると答えると、係の人も途中で、もう行っていいって感じに。あんまりうるさくはないようです。
https://www.dviajeros.mitrans.gob.cu/inicio
ここでデジタル申請するようです。
③キューバペソCUPがキューバの唯一の通貨。以前はCUCと言われた外貨兌換券が存在していた。1CUC=24CUPで交換されていた。でも2020年でしたか、CUCは廃止された。中国兌換券が廃止され人民元1つになったのと同じ。
このCUP、なかなかの曲者。銀行レートと実勢レートが2倍近く違うのだ。1つに統一されたんで、、と考え入国時に300ドル程CUPに両替したんだが、入国後初めて食ったハンバーガーが600円!あれ、日本と同じ価格?と驚いてしまったのだ。でも町では実勢レートがドルとの本当の交換比率。実勢レートではハンバーガー300円程だったのだ。かなり自分は損をしてしまいました。失敗しました!入国後、焦らず両替しないでドルでホテルまで。キューバペソがほしいなら、町で声をかけて来る人、あるいは宿の人と両替する方がかなりお得です、、、。
※ハバナ旧市街のカサ(民宿)は以前と同様1泊20ドル(3000円)でとびこみで宿泊。(朝食つけるなら+5ドル)どこもだいたい同じなのではないかと、、、。(旧市街には傘マークを掲げるカサ(民宿)多数あり。旅行者も少ないようだし、宿には困らないです。
以上、キューバ渡航情報でした。- 旅行時期
- 2024年01月
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投稿日 2024年02月17日
総合評価:3.5
色塗り投稿です。
南米ペルーには1度だけ訪問。新婚旅行が南米旅行だったのです。
子供の頃は、新婚旅行と言えばハワイが定番。自分もハワイが唯一の海外旅行なんだろうな、、、と思ってたのに、アワヤアワヤと時代は急激に変化し、世界中どこにでも行ける時代となった。で、新婚旅行はどこに行こう?、、、熟考した結論は、南米大陸。天空の町マチュピチュを見に行かない?嫁に提案。もちろんok!遠い遠い南米。航空代金は1人往復30万円越え。1回限りの新婚旅行、、、ここは思いきって!、、ということで、年末12月25日に旅立つことに、、。
が、当時離島に赴任していた自分。明日の船は悪天候のため出港するかどうかフィフティーフィフティ。仕事を休み、前日出港という選択肢もあったが、仕事を休んで旅行?、、、なんだか心苦しく、明日の出港に賭けてみた。で、、、結局船は欠航し、その後3日間も欠航続き、、。12月28日、やっと千歳を出発。予約していたホテル、交通機関等は全て1からやり直し、、、。当時嫁とは別居生活だったので、嫁はいち早くペルーに。自分が来るのをずっと待っていた、、、
いろんなことが重なり、嫁とはケンカばかり。しょうがないじゃないか!船が欠航したんだから!、、、と自分は思うものの、予約していた旅行は全てパー。現地で行き当たりばったりで、帰りの搭乗地ボリビアラパスまで行くしかなかった。その思いどおりにいかない新婚旅行に、嫁の怒りは日に日に募り、ついに、、、成田離婚以上の新婚旅行離婚かという状況に、、、。思い出多き、ペルーの旅となりました。
旅程
●リマーバスークスコ
●クスコー列車・バスー世界遺産マチュピチュ観光
●マチュピチュー乗り合いバスークスコ
●クスコーバスープーノ
●チチカカ湖観光
●プーノーバスーボリビアラパス
思い出は、、、
・リマに遅れて到着。空港で待ってるはずの嫁の姿はない。あれ?電話で到着時刻を伝え待っててね!と確認したはずのに。電話しても繋がらず。仕方なくタクシーで嫁の滞在ゲストハウスに自力で向かった。ゲストハウスに行くと、あれ?空港で会わなかったの?と不思議がるスタッフ。あなたを迎えに空港に行きましたよ、だって。ここでもすれ違い、、、。あとから聞いたら、きっと空港で荷物を受けとるまでに時間がかかるからと、違う場所で待ってたよう。荷物は手荷物だけの自分、すぐに空港を出て来たので、すれ違ったみたい。、、、すれ違いは続く、、、。
・リマからクスコへのバス。普通は航空機で飛ぶのでしょうが、自分はバスで行きたかった。デラックスバスのある会社で2人分予約していたのだが、予定変更で1人分しか取れず。現地で何とかなるかと考え、そのバスターミナルへ行ってみるが、やっぱり満席のためもう1人分は取れず。んー、どうする?嫁は不安げな表情。他のバス会社はないのか?と聞き出し、ローカルなバス会社に、、、幸い2人分席は取れたものの、ローカルバス。歩き方は安全上お薦めしないこのローカルバスで1夜を過ごす、、。本当に新婚旅行?って感じ、、、。
・クスコには無事到着したものの、嫁は疲れきってる、、、。機嫌を直そうと、美味しい物食べに行こう!と歩き方に載ってたいい感じのレストランを見つけ、ウキウキしながら2人で向かったのだが、、、満席!入れず!仕方なく近くにあったあまり客が入っていないレストランに行ったのだが、、、嫁の怒りはついに爆発!誰もいないじゃない!何頼む?メニューを見せるものの、、、だんまり、、、自分が適当に数品選び注文した。嫁の表情からは期待なんか全然してない様子。が、予想外に料理は美味しかった!うまいじゃないか!嫁の機嫌は少し直ったよう、、、。これで料理も不味かったらきっと大爆発してた。
・マチュピチュ、、、。予定変更で列車は何とか取れた。が、片道だけ。復路は満席のため取れず。現地でバスを見つけ帰って来るしかない。さすがに天空の城だけあって、嫁も大満足のよう、、、。もう機嫌を損ねたくないので、広い遺跡もアップトゥーユー。どこに行くかは君に任せる!、、、上機嫌だったマチュピチュだったが、帰りが、、、。幸い、帰りの乗り合いバスを何とか見つけクスコに戻って来れたのだがもう真っ暗。しかも小雨。泊まってたホテルは満室のため、別のホテルを探すしかなかった。歩き方に載ってた1件目は満室でダメだった。2件目も満室だった。もう、雨の中歩きたくもないし、そこにある安ホテルでいいんじゃない?が、入ってみたらガラス張りの変な立て付けのホテルだった。嫁は、、、。またしても爆発!
・クスコからプーノへは豪華列車を予約し料金も支払い済み。だが、予定変更で、、、。ダメ元で朝早くに駅に行き、掛け合ってみようと試みたのだが、先客がおり、係員はその人にずっと対応。結局、列車は出発してしまった。あーあ、大金が消えてしまった。嫁の帰国日が迫ってるので、バスで行くしかなかった。
・プーノではホテルのチチカカ湖ツアーに参加。こういうツアーに参加すると嫁の機嫌はすこぶるいい!
・プーノからはローカルバスにてボリビアへ。嫁は国境越えは初めてのようで、ちょっと不安そうな顔。でも、無事バスに乗れて一安心といった感じでした。
という感じのペルー新婚旅行。何度言い合いになったことか!1人旅なら自分の好きなように出きるけど、2人となったら気遣いが大変ですね。そして、一概には言えませんが、女性は不安になると爆発する!そんなことを学んだ旅となりました。こんなこと書いたら女性たちに怒られそうですけど、、、、。
ちなみにその後嫁と行ったスリランカ旅行は、現地旅行会社に全てお任せ。プライベートタクシーにて5日間程回りました。1度もケンカなし。安心感がやっぱり大事なんですよね。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2012年12月
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投稿日 2024年01月07日
総合評価:5.0
20241月現在、中南米のカリブ諸国を旅行中。で、せっかくならとハイチの世界遺産を見に行ってきました。
でもハイチ共和国は外務省情報によれば真っ赤。レベル4が全土に。渡航してはならぬとの情報。本当かどうか確かめに行ってきました。というのは、こういう情報はあてにならないと常々思ってまして、、、。、、、首都のポルトープランスはまずいけど、北部の世界遺産のあるカパイシャンならどうなのか?戦争してるわけではないし、在ハイチ大使館の責任逃れのような気がして、、、。
で、サント・ドミンゴからカパイシャンへ。ドミニカ共和国のカリベツアーというバス会社が、カパイシャンへ国際バスを運行してるとのネット情報があり、行って尋ねたら、、、今は運行していない。航空機なら行けるとのこと。確かに、在ハイチ大使館情報には、2023年9月よりドミニカ共和国はハイチとの国境を閉鎖したとの情報があった。
https://www.anzen.mofa.go.jp/od/ryojiMailDetail.html?keyCd=144613
ポイント
●本日、ドミニカ共和国政府が、15日(金)午前6時から、陸、海、空に関するハイチ国境を閉鎖する旨発表しました。
でも、不思議なのは空も閉鎖してるのに航空機は飛んでいる、、、。9月以降の情報は無し。
ということで、国境は開いているのかもということで、調べに行ってきました。(閉鎖されてるなら黙って戻って来ようと、、、)
結果、国境は開いてました。ダイレクトの国際バスは無くなったようですが、行けました。
★ドミニカ共和国からハイチ共和国への行き方
・ドミニカ共和国からカリベツアーのデラックスバスで国境の町ダハボンへ。500ドミニカペソ(約1300円)朝6時発。カード払いok。
・ダハボンのバスターミナルから少し歩けば国境へ到着。
・ドミニカ共和国出国。出国税?20usドル。
・ハイチ共和国入国。入国税?7usドル。
国境を越えて少し歩けば、バスターミナル?(バスが発着してる場所)がある。そこでカパイシャン行きのミニバスに乗車。700ハイチグールド(約700円)
で、カパイシャンに昼頃到着です。
自分は次の日に世界遺産のある町ミロに。マップスミーに表示されるミロ行きタプタプ乗り場で、タプタプ(インドネシアではベモという。同じような乗り物ですね。)に乗車。100ハイチグールド(約100円)
で、ミロ村に到着し、あとは行き方次第ですね。バイクに乗るか(駐車場までの往復20usドル、さらにお城までなら20ドル追加、馬に乗るなら10ドルだそうです。ガイドをつけたり、、、交渉次第のようです。)
※ミロ村は観光の村。ハイチ唯一の世界遺産があるので、町はけっこう綺麗でした。
アップダウンの7キロはちょっときついので自分は駐車場までバイク、そこから城までは歩きました。けっこうきつかったです。
で、世界遺産を見終わり、またタプタプに乗ってカパイシャンに戻りました。(100円)
で、治安状況ですが、ポルトープランスは危険のようですが、カパイシャンは全く危険じゃないですね。地元の方も言ってました。首都はさすがに危険だけど、ここは全然安全だよと。実際、町をブラブラしても、夜公園に行っても、危険な香りは全くありませんでした。ただ電力状態がよく無いので、ホテルにはWi-Fiは無し。ネットにはつながら無い。自家発電機でしのいでいるといった感じでした。町も夜は暗いですね。ごみも異常に多いですね。
簡単に言えば、ハイチ(カパイシャン周辺)は、中南米のバングラデシュ、そんな印象をもちました。黒人の方が多いのでアフリカのガーナにいたような錯覚もあり、ただ町のごみの量でいうならバングラデシュかなという感じです。人々は全然殺気なんか感じられず、、、何でここが行ってはいけない国なのかと思いました。きっと北部の様子が大使館には届かないんでしょうね。ネットにも繋がって無いので、地元の方がいくら正しい情報を発信しようとも、発信のしようがない。せめてハイチ北部はレベル2でもいいんじゃないかなと、、、。ちなみに、世界遺産のあるミロの村で、外国人観光客には会いませんでした。せっかく道も綺麗にしてるのに、、、(突然、カパイシャンからミロへ行く道がよくなるんです。多くの観光客に来てもらおうとしてるんだなあと感じます。)カパイシャンでは1名だけ白人の旅行者を見かけました。きっと以前にも増し、外国人観光客は激減したのでしょうね。何てったって唯一の治安情報源はレベル4なんですから、誰も来ませんよね。
行っては行けないハイチを訪問し、ああ、風評被害ってこういう風な状態におかれてるんだなと感じました。ますます貧困からの脱却は望めない、、、。
数年前訪れたパキスタンを思いだしました。レベル3になったとたん、日本人は行かない。地元の方は嘆いてました。今まではもう日本人がたくさん来てお土産を言い値で買ってくれたのに、今じゃ誰も来なくなったと、、お土産屋のおじさんが嘆いていました。
※帰りもバスでカパイシャンからサント・ドミンゴに戻ってきました。
●ハイチ共和国からドミニカ共和国への行き方
・朝、カパイシャンのバスターミナル(マップスミーに表示されてるバスがたまってる場所)に行き、そこにいる方にドミニカ共和国との国境の町オウアナミンに行きたいことを話すと、どのタプタプに乗ればいいか教えてくれます。
・タプタプに乗車。国境に近づいて来ると、料金を徴収されます。今回はタプタプだったので500ハイチグールド(500円)
・国境でハイチ共和国出国(出国税?10ドル)
・ドミニカ共和国入国(入国税?10ドル)
・国境の町ダハボンのカリベツアーのバスターミナルまで歩いてサント・ドミンゴ(キャピトール)まで。自分は昼2時15分発のバスで。500ドミニカペソ(約1300円)現金のみ。
・反対方向(ハイチからサント・ドミンゴに向かう方は厳重なチェックを何度か受けるので、時間がかかるようです)
・夜8時、サント・ドミンゴのカリベツアーバスターミナルに到着。
※ちなみに、ハイチグールドは銀行で替えると、1ドルは131グールドでした。が、町では1ドル140グールドで替えられました。(町のレストランで50ドル紙幣で払ったら、7000グールドに替えてくれました)
以上、レベル4のハイチを訪れる方への情報でした、、。あくまでも自己責任で、、、。戦争をしてるわけではありませんので、、、北部はいたって安全です。
※カパイシャンの安ホテルは2件回ってどちらも1泊60ドル。設備の割に高いです。自家発電だから仕方ないんでしょうね。カード払い可のホテルもありました。
※ハイチを訪問したら、昔の東南アジア旅行を思い出しました。刺激的な旅ができますね。地下鉄さえも走ってるドミニカ共和国とは全く違いますね。
※アプリのマップスミーは本当に便利。ネットがつながらない国では本当に力を発揮する。カリベツアーのターミナルも、国境からバスターミナルへの道も、そしてミロ村行きのタプタプ乗り場までも表示される。ホテルも表示されるので、そこから何件か訪ね今夜のホテルを探した。このアプリがなかったら、ハイチ旅行はできなかったなあと本当に思う。オフラインの地図アプリの中で最高ですね。
※在ハイチ日本大使館、国境は閉鎖されたという情報は発信するのに、国境は再開されたという情報は発信しない、、、。なぜなのか?やっぱりハイチに日本人が訪れることがないように、情報操作しているように思えてならない、、、。
※ちょっとハイチ大使館のホームページをのぞいたら、
「2024年は、日・カリコム(カリブ共同体)事務レベル協議開始後30年が経過した年であるとともに、日本とジャマイカ及びトリニダード・トバゴ共和国との国交樹立60周年にも当たります。これを記念し、2024年を「日・カリブ交流年」とすることを決定しました。」という記事が。
今年2024年はカリブ交流年だとか、、、。ちょうどよい時期にカリブ諸国を訪問できたようです。
※カリベツアーのホームページ
https://caribetours.com.do/- 旅行時期
- 2024年01月
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投稿日 2024年02月16日
総合評価:4.0
Bed & Bike Curacao
今回のカリブ海諸国アイランドホッピングで泊まったホステルです。
カリブ海諸国のリゾート地巡りで困るのはホテル代がべらぼうに高いこと。でも、ここ蘭領キュラソーにはホステルがありました。ドミトリーベッドで1泊4000円程。自分は借りませんでしたが、ここでレンタカーもすぐに借りられます。
1人旅、リゾート滞在が目的ではなく、世界遺産の町を見るためならばここで十分でした。メインの移動橋からもそんなに離れてるわけでもなく、町にかなり近いです。空港行きのバスターミナルも近くにあるし、何より設備は申し分なし。おすすめです。- 旅行時期
- 2024年01月
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投稿日 2024年02月16日
総合評価:4.0
今回のカリブ海アイランドホッピングで泊まったホテル、、、の口コミです。
蘭領ボネールではブッキングドットコムで予約した Bonaire 2 Stay Playa に1泊。このホテルに選択した理由は、①Booking.comで1番安かったこと、空港に近く歩いて行ける距離だったこと。
で、マップスミーを頼りに行って探してみると、、、、どこかにBonaire 2 Stay Playaの看板があるのかと思って探したんですけど、ないんです、、、。到着したのはもう日も暮れ、真っ暗闇の7時頃。ホテルがわからないと焦ります、、。で、そこの近くにスリナム料理のレストランがあったので、聞いてみることに、、。ちょうどお腹もへって来てまして、、、。で、マスターに聞いてみました。ホテルを探してるんです。Bonaire 2 Stay Playa というホテルを知りませんか?と。するとマスター、、、。ここですよと、、、。ほら、入口の仏陀の像があるでしょ!とのこと。なんだ、ここだったのか!
Bonaire 2 Stay Playa という看板も文字も1つもないけど、大変わかりやすい宿でした。うまい飯も食べられるし、何よりここでレンタルバイクも借りられるし(1日30ドル)、いい宿でした。部屋ではサービスの自分で淹れるレギュラーコーヒーも飲めるし、シャワーは熱いお湯もちゃんと出るし、1人旅のボネール島観光にはバッチしでした。スリナム料理のレストランです。1泊75ドル。
- 旅行時期
- 2024年01月
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投稿日 2024年02月15日
総合評価:3.5
色塗り投稿です。
メキシコには2度訪問。
1度目は2008年冬の中米縦断の旅(メキシコからパナマまで)で。スペイン語圏は初めて。
メキシコを訪れるに辺り、まず思い出したのは大学時代のアパートの先輩の話。チャリダーのその方は自転車旅行をメキシコでしたのだけど、強盗に遭遇してしまったとか、、、。身ぐるみ剥がされたらしく、もう2度とメキシコには行くまいと、、、。中米は怖いなあとその話を聞いて思った。まさかその後、自分が旅行することになるとは思ってもいなかった、、、。
ロサンゼルスから空路メキシコカンクンに飛び、初のスペイン語の世界へ。初めて食べたのはカンクンでのタコス。夜到着し、食い物を求めてカンクンの町を捜索。やっと見つけられたのはタコスの屋台だった。緑色のソース?にちょっぴり驚き。その後、安宿のスタッフに簡単なスペイン語を教わり、何度も数字を言いながら覚えた。ウノ、ドス、トレス、クワトロ、シンコ、セイス、シエテ、オーチョ、ヌエベ、ディエス、、、10以降は覚えられなかった、、、。で、ローカルバスで世界遺産チチェン・イッツァ観光。そして中米ベリーズへ。途中、通り道にあるトゥルム遺跡で途中下車し、カリブ海のビーチを初めて見る。遺跡の下は真っ青なビーチ。多くの観光客がこのビーチで海水浴を楽しんでいた。自分も泳ぎたかったけど、荷物があるから、眺めるだけ、、、。そんなメキシコ旅行だった。
2度目は2016年冬のメキシコ縦断の旅で。せっかくなら、ロサンゼルスから南下し陸路メキシコカンクンまで行ってみようとの、前回の旅行の続き。ついでにカンクンから空路キューバへも行ってみた。
※旅程
・成田ーロサンゼルス
・ロサンゼルスで、リトルトーキョー、ハリウッド、ユニバーサルスタジオ観光
・ロサンゼルスーサンディエゴ(アムトラック)
・サンディエゴで、空母ミッドウェー観光
・サンディエゴーメキシコ国境(列車)
・メキシコティファナへ越境(徒歩)
・ティファナのレストランで、元祖シーザーサラダを食う。
・ティファナーロスモチス(バス)
・ロスモチスーチワワ(チワワ太平洋鉄道)
・チワワーメキシコシティ(バス)
・メキシコシティのローカルバスで、世界遺産テオティワカン観光、ルチャリブレ(プロレス)観光
・メキシコシティーパレンケ(バス)
・世界遺産古代都市パレンケと国立公園観光
・パレンケーウシュマル(バス)
・世界遺産古代都市ウシュマル観光
・ウシュマルーメリダ(バス)
・メリダーカンクン(バス)
・カンクンーキューバのハバナへ(航空機)
この時の思い出は
●アメリカとメキシコとの国境。メキシコへ行く方はすんなり行けたが、反対にアメリカへ向かう方は長蛇の列。やっぱりニカラグアーコスタリカの国境と同じように、人々は豊かな国へと向かう、、、。
●ティファナでのシーザーサラダ。ただの白菜のサラダなのに、目の前でパフォーマンスを繰り広げてくれる。なんだかおもしろかった。
●メキシコでも列車に乗りたく、このチワワ太平洋鉄道に乗車するため、ロスモチスに。朝早い列車に乗り遅れ、急遽タクシーを捕まえ、次の停車駅まで「急いで!」と。タクシーの運ちゃんも事情をわかってくれ飛ばしてくれたけど、、、。警察車両に捕まりスピード違反で罰金。んー、こんな時はどうすればいいんだろう?なんだか運ちゃんがかわいそうになり、罰金分も払ったけど、、、。無事、次の停車駅に間に合い、チワワ太平洋鉄道に乗車。
●チワワ太平洋鉄道は高い料金の割にはたいしたことないかな?車窓の素敵な風景を期待してたけど、nーごく普通の風景だった。
●メキシコシティでは超安ホステル滞在。今までの旅行で3番目に安いホステル。来てみてびっくり!日雇い労働者の宿のようだった。何と1泊300円程。白人旅行者も宿泊していたが、その方も驚いていた!
※ちなみに1位ベトナムのクワンガイ。1泊100円。2位モンゴルのスフバートル。1泊200円。
●宿を安く済ませた分は、本場のルチャリブレ見学に。もう目の前で場外乱闘。昔テレビで見ていたミル・マスカラスを思い出した。
、、、あとは世界遺産、、、。メキシコはホントに見所いっぱい!食べ物も珍しい物ばかり。(ここで初めてウサギ肉を食ってみました)物価も安く旅行に優しい国ですね。危ない目にも全然遭わなかった。見た目が日本人に見られないからなんだろうか?
、、、という感じのメキシコ旅行でした。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2017年01月
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投稿日 2024年02月04日
総合評価:3.0
色塗り投稿です。
トルコには3度程訪問。
1度目は中央アジア横断の旅で。トルクメニスタンの列車の中で現金を盗まれたあと、もうまっすぐにトルコを目指した。途中のアゼルバイジャン、ジョージア(当時はグルジア)は目もくれず、、。残った1000ドルで日本までの航空券を買わなければ行けなかったから、、、、。食費をできるだけ切り詰め、クルジアからトルコへポソフ国境を通ってやっとの思いでトルコ入り。国境では近くの村まで20ドルだ!というぼったくりタクシー運転手と戦い、、何とか5ドルで根負けさせたものの、そこからイスタンブールまでいったいいくら掛かるのか、ハラハラドキドキの連続だった。幸い、村の宿代は拍子抜けするほど安かった。イスタンブールまでのバス代もたしか2000円くらいだったと記憶している。当時は0がたくさんあったトルコリラ。物価安で本当に助かった。無事イスタンブールの旅行社で700ドルの成田行の航空券を購入し帰国。イスタンブールでは、ブルーモスクを遠目で見たこと、ガラタ橋でサバサンドを食ったことは覚えている。
2度目はトルコからエジプトまで行こうとの冬のアラブ縦断旅行で。冬のイスタンブールはもう思いの外寒かった。こんなに寒いとは思ってもいなかった。到着したその日にコンヤ行きの夜行列車のチケットを購入。そして前回の旅行では我慢したブルーモスクやアヤソフィア、お城等を観光。そして日本語を話すトルコ人の囁きにそそのかされ高価な絨緞を購入。ちょうどこの日が元日だったので気前もよかった、、、。コンヤでは途中下車し、教団関係の建物を見学。そして次の列車でアダナへ。さらに列車を乗り換えメルシンへ。ここでは日本とトルコとの友情の証し、エルトゥールル号遭難事件の慰霊碑を見に行った。そしてミニバスで北キプロスへの船が出るタシュジュまで。北キプロスを回ったあと、また船でメルシンへ戻り、バスでアンタキヤへ。そこから国際バスでシリヤへ向かった。
3度目はジョージアのバトゥーミからイラクのクルディスタンへ向かうため国境を越えトルコ入り。ここからトルコ国鉄に乗るため、バス乗り継ぎでカルスまで。カルスで1泊観光し、次の日の朝8時発の列車に乗り込んだ。チェッティンカヤという小さな駅で、ディヤルバクルへ向かう列車に乗り換えるため、駅で数時間列車を待った。夜中に来た列車に乗り込み、翌朝10時頃ディヤルバクル到着。で、バスでイラク北部エルビルへ向かった。
こんな感じで、トルコはまだまだ、、。有名な観光地さえ行っていない。
トルコでの思い出は、、、
●さすが世界3大料理の中に入ってるだけあって、飯は多彩。いろんな物がおいしく食べられる。そして何より物価が安い!3度目のトルコでも(5年前)、列車運賃の安いことにびっくり!きっと物価高の今でもエジプト、日本と匹敵するくらい安いんだろうと思う。
●トルコ人は親日。日本人だとわかると親しみを持って接してくれる。3度目の旅行では飯をおごってもらったり、英語を話す人と遅くまで語り合ったりした。ただし、日本語を流暢に話すトルコ人は要注意。かもろうとしている可能性が高い。
●トルコの冬はとにかく寒い。冬に旅行するときはかなり着こんで行った方がいい。
●トルコの通貨リラは使いきった方がいい。旧紙幣は紙屑になる。以前の旅行で余ったトルコリラは銀行でも換えてもらえなかった。けっこう早いサイクルで紙幣はチェンジする。
こんな感じかな?3度訪問しているとはいえ、まだまだ未体験ゾーン満載のトルコ。退職後の安心して訪問できる国としてとっておきたい国ですね。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2017年08月
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投稿日 2024年02月04日
総合評価:3.0
色塗り投稿です。
チェコには1度だけ訪問。ウイーンからプラハまでの国際列車で。オーストリア、ウイーンは時間の関係でほとんど観光できなかったが、その分、チェコには時間を費やした。
チェコでの思い出は、、、。
・プラハ、、、ガイドブックにある写真の通り、ザ、ヨーロッパっていう感じの町でした。今まで訪れた町の中で第3位くらい。1位ベネチア、2位プラハ、3位チェスケークロムロフ。なんと自分の中では2つもランクインしてるのがチェコ。本当に綺麗な町です。
・ローカル列車に乗ってチェスキー・クルムロフへ。はじめはそんなに期待してなかったけど、行って歩いてみたら、すごくいい感じ。1泊しようとホテルを数件訪ねたがどこも満室。曲がりくねった川と建物の趣がちょうどいい具合に調和した綺麗な町でした。この小さな町がホテル満室になるのもうなずけます。今度訪れる時には、しっかり予約して、1泊したいですね。(あんまりそう思える所はないんですが、そう思ってしまうほどの魅力がありました)
・エチオピア旅行で、ダナキルツアーで一緒になったドクターファミリー。チェコの方でした。チェコには1度訪れたことがあります。とお話したら、どこを訪れたの?と聞かれ、プラハは当たり前だけど、すぐにチェスキー・クルムロフという名前が出てきました。やっぱり記憶に残ってる町だったんです。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2005年08月
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投稿日 2024年02月04日
総合評価:1.0
色塗り投稿です。
オーストリアには2度だけ訪問。(1度チェコに出国し、再度リンツから入国)
ハンガリーのブダペストから列車でウイーンへ。本当はポーランド→チェコ→スロバキア→ハンガリー→オーストリア→リヒテンシュタイン→スイスと行くはずが、ポーランド→チェコの列車を逃し予定変更。ポーランド→スロバキア→ハンガリー→オーストリア→チェコ→オーストリア→リヒテンシュタイン→スイスという変則的な行程となってしまった。なので、オーストリアは観光時間がなくなり、ウイーンの町は本当にほんのちょっぴり見ただけとなってしまった。
ハプスブルグ家のシェーンブルグ宮殿だけは見たかったのに、、、
それでも列車でオーストリアはほぼ横断。インスブルック、ザルツブルク、フェルトキルヒ、、車窓だけ見ながら、絶対また来ようと思ったことだけは覚えてる。、、、でも、あれから20年程たつけど、あれよあれよと行きたい所が山ほどあり、実現していない。そろそろ、、と思うのだが、ここ2年の夏、冬の旅行でとうとう年休がそこをついてきてしまった。今現在で、年休取れる日数は残り18日。コロナでけっこう貯まったのに、、、。休みがあれば、旅行に行くのになあ、、年休をお金で買えればいいのに!、、、そんな話をたっぷりと年休が残ってる同僚と話すと、売るよ!と。1日いくら?、、、。
働きすぎの日本人。ヨーロッパではバケーションは2ヶ月近くあると聞く。(ホント?)年休の売買が可能となったらいいのになあ!
愚痴でした。オーストリア、今度はちゃんと旅したいですね。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2005年08月
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投稿日 2024年02月04日
総合評価:2.5
色塗り投稿です。
ハンガリーには1度だけ訪問。首都のブダペストのみ。スロバキアのブラチスラバから東欧レイルパスを使って列車で入国。あっという間。
そう、ヨーロッパと日本を比べたら、ヨーロッパの方が格段に大きいと思いがち。でも、それはメルカルト図法による錯覚。グリーンランドがオーストラリア大陸より大きく見えるのと同じ原理。緯度が高くなればなるほど大きくなる。ヨーロッパは日本よりも高緯度。なので必然的にメルカルト図法ではヨーロッパは大きく見えるのだ。
面積比較のソフトを使ってヨーロッパに日本を重ね合わせたら、、、長さは同じくらいじゃないか!ということで、スロバキアからハンガリー、日本でいうなら隣の県に行くくらいの距離、、、。日本は実は大きいのだ!!と、いつも生徒に教えている、、、。
、、、余談はこれぐらいにして、、ハンガリーでの思い出は、、、
●ブダペストではもちろんバックパッカー向けの安宿に宿泊。すると、、何々?荷物はロッカーに入れてとカギを渡された。今では当たり前だけど、自分は初めて。段々バックパッカー向けの宿がヨーロッパでも浸透し始めていると感じた。
●日本で以前購入したハンガリーフォリントを持っていった。だが、観光地でその紙幣を使ってみたら、ダメだった。それは古い紙幣、銀行に行って新紙幣に換えてもらえ、とのこと。なんと、滞在時間が短いのに、そんな、、、。どこの銀行に行けばいいのかさえわからない旅行者に、言葉もままならない旅行者に、、、。今はクレカの時代で現金はほとんど使わないけど、当時は現金が主流。そっちで銀行で換えてもらってよ!と思うものの、取り合ってくれず。仕方なく、銀行の場所を教えてもらいあっちこっち探して交換。新紙幣見ると1本偽造防止のスリットが入っただけのマイナーチェンジの紙幣だった。
旧紙幣、日本なら今も普通に使えるけど、ヨーロッパでは使えない、、初めて知った出来事だった。(世界もそれがスタンダード?パキスタンの田舎で、旧ドル紙幣で両替しようとしたら両替不可だった。知り合った日本人に旧ドル紙幣を新紙幣に交換してもらい、何とか両替できた)
●ブダペストは、、、綺麗でした、、、それぐらいしか思い出せない。
以上、色塗り投稿でした。
- 旅行時期
- 2005年08月
-
投稿日 2024年02月01日
総合評価:2.0
色塗り投稿です。
東欧横断の旅で、スロバキアには1度だけ、首都のブラチスラバのみ訪問。
たいした思い出はないが、、、
●ポーランドの南部の都市ブデヨヴェツェからローカル列車にてスロバキアへ入国。プラハ行きの国際列車を逃してしまったので、時刻表を丹念に調べ、このルートでブラチスラバに。あまり見るところもなく、ブラチスラバではお城を見に行っただけ、、、。
●スロバキアは東欧では珍しくユーロをいち早く導入できた国。なので、ブラチスラバの銀行でユーロのTC(トラベラーズチェック)を現金化してみた。1件目に見つけた銀行では扱っていないとのことだったが、現金化できる銀行を教えてもらえた。で、行って試してみると、手数料もわずかで現金化できた。今思えばもっとやっとけばよかった。今もユーロのTCがかなり残っている、、、。(日本で今もTCは換金できるんだろうか?)
●ブラチスラバからハンガリーのブダペストはすぐそこ。たしか早々にブダペストへ列車で向かった、、、。
、、、とこれぐらい。今度機会があれば東側の世界遺産を訪問したいですね。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2005年08月
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投稿日 2024年01月31日
総合評価:3.0
色塗り投稿です。
ポーランドには1度だけ訪問。2005夏の東欧横断の旅で。
日程
・千歳ーソウルーフランクフルト 大韓航空
・フランクフルトー列車ーポツダム(世界遺産観光)ーバスーベルリン
★ベルリンー夜行列車ーワルシャワ
・ワルシャワー列車ービヤイストクー国際バスーリトアニアビルニュス
(世界遺産観光)
・ビルニュスー列車ーカウナス(杉原千畝記念館観光)ー列車ービルニュス
・ビルニュスー夜行バスーラトビアリガ
★リガーエア・バルティックーワルシャワ(世界遺産旧ワルシャワ市街観光)
★ワルシャワー夜行列車ークラコフ(世界遺産観光)
★クラコフー列車・バスーアウシュビッツ(世界遺産観光)
・・・で、ローカル列車でスロバキアへ。
ポーランドでの思い出は、、、。そんなにないが、、、。
●初のポーランド、まずはワルシャワ駅につくなり飯屋を探し回ったら、、、目についたのはベトナム料理の飯屋さん。なんと多いことか。旧共産圏の関係でワルシャワにはベトナム人が多いのかなあ?久しぶりのフォーを頂く。懐かしく昔覚えたベトナム語で店員に尋ねてみた。トイラーグイニャッ。アンアイーラーグイビェット?やっぱりベトナム人だった。
●ワルシャワでは旧市街とショパンミュージアムを訪れた。ポーランドといえばショパンとアウシュビッツくらいしか思い付かなくて。せっかくなのでショパンのCDを購入。
●負の世界遺産アウシュビッツは特に記憶に残ってる。ここで初めてユダヤの人々を目にした。多くのユダヤの人々がこのアウシュビッツを訪れていた。負の世界遺産は広島とここアウシュビッツ。広島では罪のない多くの日本人民間人が虐殺され、ここアウシュビッツでは多くのユダヤの方々が虐殺された。戒めとして残された筈なのに、今だ人間は殺戮を繰り返している。いずれ人類は滅びるのだろうか?そんなことを考えた。
●本当はクラコフからプラハへ行く国際列車に乗る予定だったが、逃してしまった。タイムスケジュールをくまなく調べ、何とかスロバキアへ向かうローカル列車を見つけることができた。
●この旅では東欧レイルパスを購入し列車で回ったが、東欧の鉄道は安かった。東欧を列車で回るなら、きっとパスは購入しない方がいいと感じた。
、、、という感じのポーランド滞在でした。
以上、色塗り投稿でした。- 旅行時期
- 2005年07月