さすらいおじさんさんのクチコミ(158ページ)全3,789件
- サムネイル表示
- リスト表示
- ホテル
- ショッピング
- グルメ・レストラン
- 交通機関
- 観光スポット
- 基本情報
-
投稿日 2007年08月15日
総合評価:4.0
ブラジル、サンパウロ市立劇場(2006年3月27日)
サンパウロ市立劇場では世界各国からのバレエ、オペラ、オーケストラなどの公演を行っており、日本からの公演もある。
サンパウロ市中心部ラーモス・デ・アゼヴェード広場にあるテアトロ・ムニシパル(サンパウロ市立劇場)は、市内でも最も美しい建築物の一つと言われており、ラーモス・デ・アゼヴェード広場にある彫刻や噴水も心を和ませてくれる。移民の街、サンパウロには大劇場が無く、オペラが観たければブエノスアイレスのコロン劇場や船でヨーロッパの大劇場へ行かねばならず、1903年から劇場が建造されたとのこと。ガイド付きの劇場ツアーもある。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10059185/
(写真はサンパウロ市立劇場)- 旅行時期
- 2006年03月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
投稿日 2007年08月15日
総合評価:3.0
ブラジル、サンパウロのカテドラル(2006年3月27日)
サンパウロのカテドラルは1910年頃から建造され1954年に完成したゴシック様式の比較的新しい教会。ドームの直径27m、塔の高さ65m、8000人収容できる立派な建物だ。セントロ地区のランドマークで日本人街からも見える。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10059185/
(写真はカテドラル)- 旅行時期
- 2006年03月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
ブラジル、サンパウロのサン・ベント聖堂(2006年3月27日)
投稿日 2007年08月15日
総合評価:3.0
ブラジル、サンパウロのサン・ベント聖堂(2006年3月27日)
サン・パウロのサン・ベント聖堂は1922年に完成したサン・パウロ地区の開拓者たちの祈りの場で現在も参拝者は多い。地下鉄サン・ベント駅を下車してすぐの所にあり、繁華街の中だが落ち着いた教会だ。サンパウロの秋葉原と呼ばれる電気店街にも近く、街を歩くときの目印になる。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10059185/
(写真はサン・ベント聖堂)- 旅行時期
- 2006年03月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
投稿日 2007年08月14日
総合評価:4.0
ブラジルのサンパウロ(2006年3月27日)
ブラジルのサンパウロ市はブラジル南東部、標高約800mあるサンパウロ州の首府。「サンパウロ」は、ポルトガル語でキリスト教における聖人の1人である聖パウロの意味。
大サンパウロ圏の人口は約1100万人で、ブラジル最大、世界第5位、南半球最大の大都市圏。日系ブラジル人約100万人をはじめ、イタリア系、ユダヤ系、韓国系、中国系等世界各国からの移民で都市が構成されている。
サンパウロ市の中心地にある東洋人街「リベルダージ」地区は、世界最大の日本人街であり、街の入口に鳥居や太鼓橋があり、日本らしさを取り入れた街づくりがされている。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10059185/
(写真は大阪橋の鳥居周辺の光景)- 旅行時期
- 2006年03月
-
アルゼンチン、ブエノス・アイレスのモンセラート地区(2006年3月22日)
投稿日 2007年08月14日
総合評価:4.0
アルゼンチン、ブエノス・アイレスのモンセラート地区(2006年3月22日)
ブエノス・アイレスのモンセラート地区はブエノス・アイレスの中でも政治、歴史の中心地。5月広場を中心に広場の周辺には大統領府、大聖堂、サンフランシスコ教会、ブエノス・アイレス博物館、サン・イグナシオ教会、カビルドなどの国家の建物や文化遺産が集まっている。地下鉄プラサ・デ・マヨ駅下車すぐで見所はプラサ・デ・マヨ駅周辺に集まっているので短時間で観光できる。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10058545/
(写真は大統領府の衛兵)- 旅行時期
- 2006年03月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
アルゼンチン、ブエノス・アイレスのフロリダ通り(2006年3月22日)
投稿日 2007年08月14日
総合評価:4.0
アルゼンチン、ブエノス・アイレスのフロリダ通り(2006年3月22日)
ブエノス・アイレスのフロリダ通りはサン・マルティン広場から5月大通りまでの約1kmの遊歩道。
フロリダ通りはアルゼンチンの流行発祥地と言われ、ブティック、レストラン、カフェなど約600軒が並び、平日の日中でも大変な人出だ。路上演奏するミュージシャンも多く歩くだけで楽しい通りだ。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10058545/
(写真はフロリダ通り)- 旅行時期
- 2006年03月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
アルゼンチン、ブエノス・アイレスのサン・ニコラス地区(2006年3月21日)
投稿日 2007年08月13日
総合評価:4.0
アルゼンチン、ブエノス・アイレスのサン・ニコラス地区(2006年3月21日)
ブエノス・アイレスのサン・ニコラス地区は繁華街やビジネス・オフィスが集まる最もにぎやかな地区。
世界一道幅が広いとされる7月9日大通りを中心に街のシンボル・オベリスコがあり、パリのオペラ座、ミラノのスカラ座と並ぶ世界三大劇場の一つ、1908年に建造されたコロン劇場がある。旅行代理店や航空会社もこの地区に多い。ビジネス、観光の中心となっている地区だ。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10058539/
(写真は7月9日通りのオベリスコ)- 旅行時期
- 2006年03月
-
アルゼンチン、ブエノス・アイレスのレティーロ駅(2006年3月21日)
投稿日 2007年08月13日
総合評価:4.0
アルゼンチン、ブエノス・アイレスのレティーロ駅(2006年3月21日)
ブエノス・アイレスのレティーロ駅は1915年に建造されたネオ・ゴシック建築。アルゼンチンの鉄道はイギリス資本で1857年から建設され、パンパスで生産された畜産物、農産物などを集荷し、ヨーロッパに船で運ぶための拠点だった。英国からの独立後は鉄道はかなり衰退している。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10058539/
(写真はレティーロ駅)- 旅行時期
- 2006年03月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
アルゼンチン、ブエノス・アイレスのレティーロ地区(2006年3月21日)
投稿日 2007年08月13日
総合評価:4.0
アルゼンチン、ブエノス・アイレスのレティーロ地区(2006年3月21日)
ブエノス・アイレスのレティーロ地区はアルゼンチンの交通の要衝だ。ウルグアイなどと結ぶフェリー乗り場、南米諸国と鉄道で結ぶレティーロ駅、南米諸国との国際バスターミナルもある。アルゼンチンが英国の植民地であった頃の面影が残り、英国との歴史を見ることができる地区だ。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10058539/
(写真はレティーロ地区)- 旅行時期
- 2006年03月
-
アルゼンチン、ブエノス・アイレスの英国塔(2006年3月21日)
投稿日 2007年08月12日
総合評価:3.0
アルゼンチン、ブエノス・アイレスの英国塔(2006年3月21日)
ブエノス・アイレスのレティーロ地区、アルゼンチン空軍広場にはイギリスから寄贈された英国塔がある。英国塔は1916年にアルゼンチン独立100周年にイギリスからの移民が建てたもので、ビッグ・ベンと良く似た外観だ。アルゼンチン空軍広場は1982年のフォークランド紛争勃発までは英国広場と呼ばれていた。アルゼンチンと英国との関係の変化を物語る広場だ。地下鉄レティーロ駅から近い。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10058539/
(写真は英国塔)- 旅行時期
- 2006年03月
-
アルゼンチン、ブエノス・アイレスの聖母ピラール聖堂(2006年3月21日)
投稿日 2007年08月12日
総合評価:4.0
アルゼンチン、ブエノス・アイレスの聖母ピラール聖堂(2006年3月21日)
ブエノス・アイレスの聖母ピラール聖堂はレコレータ地区のレコレータ墓地の入り口右側にある。1716年から1732年まで建造され、戦時中は軍人病院としても使われていた。孤児院、修道院だった部分をブエノス・アイレス市民センターとして開放していた。白い鐘楼がわかり易いのでレコレータ墓地の入り口を探すときに目印にもなる。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10058539/
(写真は聖母ピラール聖堂)- 旅行時期
- 2006年03月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
アルゼンチン、ブエノス・アイレスのエビータの墓(2006年3月21日)
投稿日 2007年08月12日
総合評価:4.0
アルゼンチン、ブエノス・アイレスのエビータの墓(2006年3月21日)
ブエノス・アイレスのエビータの墓はレコレータ地区のレコレータ墓地の中にある。非嫡出児として苦難の幼年期を送りながらペロン大統領夫人にまでのぼりつめ、政治面で功績を残した。アルゼンチンの人たちの尊敬を集め、ミュージカルや映画「エビータ」で脚光を浴びたエビータ。美術館のような豪華な彫刻の墓が並ぶ墓地だが、エビータの墓は質素でひっそりと佇んでいるが参拝の人たちは絶えない。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10058539/
(写真はレコレータ墓地)- 旅行時期
- 2006年03月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
アルゼンチン、ブエノス・アイレスのパレルモ地区(2006年3月21日)
投稿日 2007年08月12日
総合評価:4.0
アルゼンチン、ブエノス・アイレスのパレルモ地区(2006年3月21日)
ブエノス・アイレスのパレルモ地区はブエノス・アイレス48地区の中でもっとも広く格調の高い地区。地下鉄プラサ・イタリア駅前のイタリア広場、イタリア広場から200mのところにあるカルロス・タイス植物園、カルロス・タイス植物園から200mのエビータ博物館、エビータ博物館から500mの5月革命記念碑、日本庭園など見所は多い。パレルモ地区を歩いて回ると5−10kmは歩くのでいい運動になる。
http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10058539/
(写真はカルロス・タイス植物園)- 旅行時期
- 2006年03月
- 観光の所要時間
- 半日
-
投稿日 2007年08月12日
総合評価:4.0
アルゼンチンのブエノス・アイレス(2006年3月21日)
ブエノス・アイレスは は人口約280万人のアルゼンチンの首都で「良い空気」の意味とのこと。ラプラタ川に面し、対岸はウルグアイ。「南米のパリ」と呼ばれ、南米の中で最も美しい町の一つでもある。アルゼンチン独立後、移民がイタリア・スペインなどから渡来し、中南米の中でも最も欧州的な街になった。アルゼンチンタンゴはこの街のボカ地区で発祥。
地下鉄 はA線からE線まで5本の路線があり、日本の営団地下鉄丸ノ内線や名古屋市交通局東山線、名城線の車両を転用して使っている。地下鉄は便利で料金も5回分の回数券が3.5ペソ・140円と安かった。街は南米の中では比較的安全。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10058539/
(写真は飛行機から見るブエノスアイレス)- 旅行時期
- 2006年03月
-
アルゼンチン、ウシュアイアのムンド・ヤマナ博物館(2006年3月20日)
投稿日 2007年08月11日
総合評価:3.0
アルゼンチン、ウシュアイアのムンド・ヤマナ博物館(2006年3月20日)
ムンド・ヤマナ博物館(入場料8ペソ・320円)では先住民族のヤムナ族の歴史を見ることができる。
ヤマナ博物館のガイドによるとヤムナ族は入植したヨーロッパ人に同化され、現在は民族として残っていないそうだ。ヤムナ族が存続していた頃の生活用品、映像、写真が展示されている。世界の果て博物館から西に100m弱のところにある。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10058398/
(写真はウシュアイアの光景)- 旅行時期
- 2006年03月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
アルゼンチン、ウシュアイアの元監獄・船舶博物館(2006年3月20日)
投稿日 2007年08月11日
総合評価:4.0
アルゼンチン、ウシュアイアの元監獄・船舶博物館(2006年3月20日)
ウシュアイアの元監獄・船舶博物館は網走刑務所を思い起こす極寒の地の牢獄跡。
流刑地として発達してきたウシュアイアに1920年に監獄がつくられ囚人が送り込まれていた。囚人たちの労働により街の道路が建設され、彼らがウシュアイアの発展に貢献した面も大きい。380の監房には最大800人の囚人を収監していた。監房の一つ一つが展示室になっており、隣接した博物館にはフエゴ島の歴史を船舶の模型やビデオ、書籍や地図などで紹介している。
2007年7月の情報では、開館時間:夏季(10月16日―4月30日)月曜日から日曜日9:00〜20:00
冬季(5月2日―10月15日)月曜日−土曜日10:00〜20:00
料金:大人30ペソ・1200円、12歳以下無料
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10058398/
(写真はウシュアイアの元監獄・船舶博物館)- 旅行時期
- 2006年03月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
アルゼンチン、ウシュアイアの世界の果て博物館(2006年3月20日)
投稿日 2007年08月11日
総合評価:4.0
アルゼンチン、ウシュアイアの世界の果て博物館(2006年3月20日)
ウシュアイアの世界の果て博物館は1903年建造のマヌエル・バルデス大統領の個人邸宅だった。1911年から1978年まではアルゼンチン国立銀行の支店として利用された後政府の所有となり、世界の果て博物館として1979年5月に開館。パタゴニア先住民の生活用品、武器やパタゴニアに生息する鳥類はじめ、動物の剥製が展示されている。パスポートに世界最南端の都市への訪問を証明する、世界の果て博物館特製の記念スタンプを押してもらえるのがうれしい。
2007年7月の情報では、開館時間:夏季(11月−4月)月曜日から日曜日9:00−20:00
冬季(5月−10月)月曜日−土曜日12:00−19:00
料金:大人10ペソ・400円、14歳以下無料
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10058398/
(写真はウシュアイアの世界の果て博物館)- 旅行時期
- 2006年03月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
投稿日 2007年08月11日
総合評価:4.0
アルゼンチンのウシュアイア(2006年3月20日)
ウシュアイアは、アルゼンチン南端、フエゴ島に位置し人口は約6万人の世界最南端の都市とされている。フエゴ島一帯には先住民族であるフエゴ人が住んでいた。1900年代前半までは、日本の網走のようにアルゼンチンの凶悪犯を収容する刑務所の街だった。
近年では、フエゴ島国立公園やホーン岬、南極などの観光の拠点となっている。ブエノスアイレスとは航空便やアルゼンチンハイウェイで結ばれている。
南極ツアーのツーリストがあったのでパンフレットをもらい聞いて見ると、3月20日が南極10日ツアーの最終日で次は11月。最も安い料金は2006年は3000ドル、2005年は2500ドルだったが値上がりしたそうだ。日本で紹介されたツアーは3月2日が最後だったが現地では3月20日まで催行していた。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10058398/
(写真はウシュアイアの光景)- 旅行時期
- 2006年03月
-
投稿日 2007年08月11日
総合評価:4.0
チリのプエルト・ナタレス(2006年3月17日)
プエルト・ナタレスはチリのパタゴニア地方ではプンタ・アレナスに次ぐ大きな街だが人口は2万人。ウルティモ・エスペランサ湾に面した場所は観光スポットで美しく3時間もあれば一回りできそうな小さな街。トーレス・デル・パイネ国立公園への、観光基点になる町でパイネ国立公園までは、バスで約3時間。プエルト・ナタレスには、空港は無いので、陸路か、航路を利用する。1番近い空港がある、プンタ・アレナスまでは、バスで約4時間。夏季には、バスで国境を越え、アルゼンチンの、カラファテに行くことも出来る。 航路では、プエルト・ナタレスの港から、湖水地方のプエルト・モンまでの船が、1週間に1便程度出ている。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10057889/
(写真はプエルト・ナタレスの海辺から見るパタゴニアの山)- 旅行時期
- 2006年03月
-
投稿日 2007年08月10日
総合評価:4.0
アルゼンチンのエル・カラファテ(2006年3月18日)
アルゼンチンのエル・カラファテは、ブエノスアイレスから空路で3時間弱。夏季には、バスで国境を越えパイネ国立公園の拠点、チリのプエルト・ナタレスに行くこともできる。ロス・グラシアレス国立公園の拠点で南パタゴニアの、氷河、山々、湖など美しい光景を周辺に見ることができる。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10058156/
(写真はエル・カラファテ)- 旅行時期
- 2006年03月























