さすらいおじさんさんのクチコミ(8ページ)全621件
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投稿日 2007年08月25日
総合評価:3.0
ブラジル、ベレンの宗教美術館(2006年4月12日)
宗教美術館はカステロ要塞に近く、周囲には17世紀に建立されたサント・アレッシャンドレ教会、18世紀に建立されたエピスコパル教会などが見られる。1階はミサやコンサートのためのホールで2階にキリスト教の彫刻・絵画など約500点の展示室がある。ガイドはポルトガル語のみ。入場料は4レアル・240円だった。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10061623/
(写真はベレンの宗教美術館周辺の光景)- 旅行時期
- 2006年04月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
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ブラジル、ベレンのエミリオ・ゲルジ博物館(2006年4月12日)
投稿日 2007年08月24日
総合評価:4.0
ブラジル、ベレンのエミリオ・ゲルジ博物館(2006年4月12日)
ベレンのエミリオ・ゲルジ博物館はアマゾンの動植物、インディオ、自然環境などの研究を行なっており、アマゾン最古の研究施設として1866年に博物学者フェレイラ・ペーナにより設立された。
園内では2000種以上の植物、鳥類、動物が見られ、アマゾンの珍しい魚類を集めた水族館もある。
園内にはレストランや民芸品を売る店もある。入場料は2レアル・120円だった。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10061623/
(写真はベレンのエミリオ・ゲルジ博物館)- 旅行時期
- 2006年04月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
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投稿日 2007年08月24日
総合評価:4.0
ブラジル、マナウスのアマゾネス劇場(2006年4月8日)
アマゾネス劇場は19世紀のゴムブームで繁栄したとき、1896年に建てられたイタリア・ルネッサンス様式のオペラハウス。ヨーロッパからの移住者たちはヨーロッパの貴族と同じレベルの生活を求め、アマゾン奥地にもパリのオペラ座にひけをとらない劇場建築をした。建築材や内部の装飾品など全てヨーロッパから輸入して建造している。観客席もバルコニー席などパリのオペラ座と同じように造られ約700席が1階から5階まで並んでいる。現在もオペラやオーケストラのコンサートが開かれている。月曜から土曜の9−16時の間英語、ポルトガル語ガイドツアーがある。見学料は5レアル・300円だった。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10061145/
(写真はアマゾネス劇場)- 旅行時期
- 2006年04月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
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投稿日 2007年08月24日
総合評価:4.0
ブラジルのマナウス(2006年4月8日)
マナウスはブラジル北部のアマゾナス州の州都。
アマゾン川の河口より約1700km上流にあり、19世紀に天然ゴムの集積地として発展し、現在もアマゾン奥部の経済、交通、流通の要衝都市。人口は約150万人で、ブラジルのアマゾン地域最大の都市。
市内には開拓時代に建設されたヨーロッパ風の建築が多く残り、アマゾン地域の国立公園に近く、アマゾン観光の中心地になっている。
サンパウロやリオ・デ・ジャネイロなどのブラジル国内の主要都市から国際空港まで航空便が多数運行され、ベレンなどアマゾン川流域都市からは定期船が運航されている。長距離バスターミナルからは、ベネズエラのシウダーボリバル、カラカス方面に向かう長距離バスが運行されており交通の便は良くまさに交通の要衝都市。現在も先住民裸族が住むアマゾンの奥地に、これほどの大都会ができたことは驚きだ。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10061145/
(写真はネグロ川ソリモインス川の合流点)- 旅行時期
- 2006年04月
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投稿日 2007年08月23日
総合評価:4.0
ブラジルのブラジリア(2006年4月7日)
ブラジリアは、ブラジルの首都・計画都市で人口は約200万人。
ブラジル人建築家ルシオ・コスタの設計により建設されたブラジル中部の標高約1100mの高原地帯に建設された計画都市地域は、飛行機が羽根を広げた形。飛行機の機首の部分に国会議事堂や行政庁舎、最高裁判所が並び、翼の部分には高層住宅や各国の大使館がある。
国会議事堂や大聖堂などの主要建造物は、モダニズムの流れを受けた未来的なデザイン。公共建築の主任建築家は、ニューヨーク市の国際連合本部ビルの設計も担当したブラジル人建築家オスカー・ニーマイヤー。
1987年には、世界遺産に登録されたが、歴史的な都市が世界文化遺産に登録されることが通例である中で1960年に新都市オープン以来50年弱という歴史の浅い街が登録されたのは異例。
広大な空き地に自由な発想で新都市を創ったことは日本にはできないことで驚きだが、莫大な建設費はブラジルの国家財政に大きな負担となって残り、1970−1980年代のブラジルの経済低迷とインフレの原因の一つとも言われている。
成果としては新首都を国土の中央に建設した結果、開発の進行によって内陸部の経済振興が進み、ブラジリア国際空港建設、国道整備による国内輸送が迅速化したこと。
だがサンパウロ、リオデジャネイロなどの大都市とは遠距離であるため大企業の本社機能の移転はされず経済の中心にはなれず、政治と経済が分離された非効率な面もある。
ブラジリアは整然とした計画都市だが、広い市内の移動はバス、自家用車による移動を前提にしているので買い物など市民生活には移動時間がかかり不便。国の理想に反して貧しい人たちがスラム街を作っている地域もあり、理想と現実のギャップ、都会から地方への遷都の難しさを見ることができる街でもある。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10061143/
(写真はブラジリアの光景)- 旅行時期
- 2006年04月
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ブラジル、サルバドールのリオ・ブランコ宮殿(2006年4月5日)
投稿日 2007年08月23日
総合評価:4.0
ブラジル、サルバドールのリオ・ブランコ宮殿(2006年4月5日)
サルバドールのリオ・ブランコ宮殿はメルカード・モデロに行くエレベーターがあるトメ・ジ・ソウザ広場にある白いバロック建築。現在は美術館になっており、バイーアの絵画を見ることができる。リオ・ブランコ宮殿のバルコニーからはサルバドールの青い海やメルカード・モデロが眼下に見える。入場料は無料。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10060365/
(写真はサルバドールのリオ・ブランコ宮殿)- 旅行時期
- 2006年04月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
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ブラジル、サルバドールのメルカード・モデロ(2006年4月5日)
投稿日 2007年08月23日
総合評価:4.0
ブラジル、サルバドールのメルカード・モデロ(2006年4月5日)
サルバドールのメルカード・モデロはエレベーターで海辺まで下った下町にある市場で植民地時代は奴隷の収容所だった。現在はバイアーナの民芸品のマーケットで観光客が多い。地下には奴隷の収容所跡が残っており、見学できる。メルカード・モデロの屋外レストランではアフリカの音楽、カポエイラなどアフロ・ブラジリアン伝統文化の実演をしており、サルバドールでは訪問したい場所だ。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10060365/
(写真はサルバドールのメルカード・モデロ前の港)- 旅行時期
- 2006年04月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
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ブラジル、サルバドールのホザーリオ・ドス・プレートス教会(2006年4月5日)
投稿日 2007年08月22日
総合評価:3.0
ブラジル、サルバドールのホザーリオ・ドス・プレートス教会(2006年4月5日)
サルバドールのホザーリオ・ドス・プレートス教会は黒人奴隷たちが宗教団体を結成し、ブラジル初の黒人のための教会でペロウリーニョ広場を下ったところにある。現在も黒人だけの修道会によって運営されており、「黒人のローマ」と呼ばれる古都の一面を見ることができる。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10060365/
(写真はサルバドールのホザーリオ・ドス・プレートス教会)- 旅行時期
- 2006年04月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
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ブラジル、サルバドールのペロウリーニョ広場(2006年4月5日)
投稿日 2007年08月22日
総合評価:4.0
ブラジル、サルバドールのペロウリーニョ広場(2006年4月5日)
サルバドールのペロウリーニョ広場は植民地時代は奴隷市場だった。現在は市民に憩いの場所で、坂の上にあり、石畳とカラフルな家屋に囲まれた広場はサルバドールの中でも美しい場所だ。
ペロウリーニョ広場には市立博物館があり、サルバドールの歴史文化を紹介している。木曜日は無料だった。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10060365/
(写真はサルバドールのペロウリーニョ広場)- 旅行時期
- 2006年04月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
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ブラジル、サルバドールのサン・フランシスコ教会(2006年4月5日)
投稿日 2007年08月22日
総合評価:4.0
ブラジル、サルバドールのサン・フランシスコ教会(2006年4月5日)
サルバドールのサン・フランシスコ教会はジェズス広場の近くにあり、1708年から約20年で建造された。ポルトガル統治時代18世紀のバロック建築。「黄金の教会」と呼ばれ、内部の天井や壁に金箔が張られている。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10060365/
(写真はサルバドールのサン・フランシスコ教会)- 旅行時期
- 2006年04月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
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ブラジル、サルバドールのパジリカ大寺院(2006年4月5日)
投稿日 2007年08月21日
総合評価:4.0
ブラジル、サルバドールのパジリカ大寺院(2006年4月5日)
サルバドールのパジリカ大寺院はジェズス広場に面しており、1657年から約5年で建造された。ポルトガル統治時代のバロック建築の外観はバイーア州で最も美しい教会と言われている。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10060365/
(写真はサルバドールのパジリカ大寺院)- 旅行時期
- 2006年04月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
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投稿日 2007年08月21日
総合評価:4.0
ブラジルのサルバドール(2006年4月5日)
ブラジルのサルバドールはバイーアの州都で、人口約300万人の80%が黒人および黒人とインディヘナの混血で、アフロ・ブラジリアン文化が残る「黒人のローマ」と呼ばれる古都で1985年にユネスコ世界文化遺産に指定されている。 1549年、ポルトガル総督府が置かれ1763年のリオ・デ・ジャネイロ遷都までブラジル最初の首都だった。植民地ブラジルのさとうきび、タバコ、金、ダイヤモンドなどの輸出港として発展し、ブラジルの産業をささえるアフリカからの奴隷が多く取引された。
サルバドールの黒人たちはアフリカの音楽、カポエイラなど伝統文化を大切にし、リオ・デ・ジャネイロと並ぶ盛大なカーニバルが行われている。
サルバドールには坂が多く、教会や建物の黄、赤、青などカラフルな彩が美しい。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10060365/
(写真はサルバドールの光景)- 旅行時期
- 2006年04月
- 観光の所要時間
- 2日以上
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ブラジル、リオ・デ・ジャネイロのコルコバードのキリスト像(2006年4月2日)
投稿日 2007年08月21日
総合評価:4.0
ブラジル、リオ・デ・ジャネイロのコルコバードのキリスト像(2006年4月2日)
リオ・デ・ジャネイロのコルコバードの丘のキリスト像は1931年にブラジル独立100周年を記念して建てられたもので高さ30m、左右28m。ブラジルを象徴する世界的に有名なキリスト像は2007年7月に、新・世界七不思議の一つに選ばれた。他はチチェン・イッツァのピラミッド(メキシコ)、万里の長城(中国) 、マチュ・ピチュ(ペルー)、ペトラ(ヨルダン) 、コロッセオ(イタリア)、タージ・マハル(インド) でいずれも歴史的文化遺産。コルコバードの丘のキリスト像だけは20世紀の新しい建造物であることも特筆されるべきだろう。
http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10060260/
(写真はコルコバードの丘のキリスト像)- 旅行時期
- 2006年04月
- 観光の所要時間
- 半日
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ブラジル、リオ・デ・ジャネイロのコパカバーナ海岸とイパネマ海岸(2006年4月2日)
投稿日 2007年08月20日
総合評価:4.0
ブラジル、リオ・デ・ジャネイロのコパカバーナ海岸とイパネマ海岸(2006年4月2日)
リオ・デ・ジャネイロのコパカバーナは1920年代初頭に開発されたブラジル最古の歴史と格式を誇るビーチリゾートで4km以上にわたって砂浜が続く。
コパカバーナ海岸の南側にあるイパネマ海岸は、『イパネマの娘』によって世界的に有名になった。作曲ジョビン、作詞モラエス、ギター・歌ジルベルトでボサノバという新しいジャンルの音楽が誕生した。ビーチに沿ってモザイク模様の遊歩道が続き、コパカバーナ海岸とイパネマ海岸沿いの街並にはブティックやみやげもの店が並び、ヨーロパ風のショッピングエリアになっている。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10060260/
(写真はコパカバーナ海岸)- 旅行時期
- 2006年04月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
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ブラジル、リオ・デ・ジャネイロのカンデラリア教会(2006年4月2日)
投稿日 2007年08月20日
総合評価:3.0
ブラジル、リオ・デ・ジャネイロのカンデラリア教会(2006年4月2日)
リオ・デ・ジャネイロのカンデラリア教会はリオの最初の教会で1650年から建造され1811年に完成したという歴史を持つ。カンデラリア教会はリオ観光の見所のひとつだが、1993年7月に発生したストリートチルドレン殺害事件で知られている。カンデラリア教会前広場の路上で眠っていた無防備な約70人の子供たちが軍事警察官らに銃撃され、8人が犠牲になった。犠牲になった子供たちはかわいそうだが、ブラジルが抱える貧困と暴力の問題を象徴する事件だ。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10060260/
(写真はカンデラリア教会)- 旅行時期
- 2006年04月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
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ブラジル、リオ・デ・ジャネイロのチラデンチス宮殿(2006年4月2日)
投稿日 2007年08月20日
総合評価:4.0
ブラジル、リオ・デ・ジャネイロのチラデンチス宮殿(2006年4月2日)
リオ・デ・ジャネイロのチラデンチス宮殿は1826年に牢獄に国民議会下院を設けたもので現在も議会場として使用されている。現在の建物は1926年に完成したもの。
チラデンチスは本国ポルトガルからの重税に抵抗し、聖職者、軍人、学生、弁護士、地主らで武装蜂起を計画したうちの一人。計画は密告によって露見し見せしめとして地位の低いチラデンチスだけが1792年、リオデジャネイロで処刑され晒された。チラデンチスはブラジルの英雄とされ、処刑された場所がチラデンチス宮殿になったとのこと。内部の回廊には歴史を紹介する写真パネルが展示されており、無料で見学できる。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10060260/
(写真はチラデンチス宮殿)- 旅行時期
- 2006年04月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
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ブラジル、リオ・デ・ジャネイロのカテドラル・メトロポリターナ(2006年4月2日)
投稿日 2007年08月18日
総合評価:4.0
ブラジル、リオ・デ・ジャネイロのカテドラル・メトロポリターナ(2006年4月2日)
リオ・デ・ジャネイロ、セントロのカテドラル・メトロポリターナは1976年に建造されたユニークなデザインの教会。円錐形の先端を切り取ったとうな形で高さ80m、床の直径約100mで約2万人を収容できる。外観は教会には見えないが内部にはステンドグラスで飾られ、祭壇では賛美歌が流れていた。ギフトショップや宗教美術館もある。地下鉄カリオカ駅、シネランジア駅から徒歩約10分。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10060260/
(写真はカテドラル・メトロポリターナ)- 旅行時期
- 2006年04月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
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ブラジル、リオ・デ・ジャネイロのカーニバル会場(2006年4月2日)
投稿日 2007年08月18日
総合評価:3.0
ブラジル、リオ・デ・ジャネイロのカーニバル会場(2006年4月2日)
リオ・デ・ジャネイロのカーニバルは毎年復活祭を基準に太陰暦で日程が決まり、4日間行なわれる。行進するサンバチームはエスコーラ・ジ・サンバと呼ばれ、パレードはコンテスト形式で世界的に有名なイベント。優勝を争うチームがサンボドローモ会場で行進しながらサンバを踊る。
サンボドローモはカーニバル用の建物、会場で普段は学校。幅約30メートル、長さ1キロ弱の道を挟んで、オープンの観客席が設けられる。カーニバルが終わると観客席は取り除かれる。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10060260/
(写真はカーニバル後のサンボドローモ会場)- 旅行時期
- 2006年04月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
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投稿日 2007年08月18日
総合評価:5.0
ブラジルのリオ・デ・ジャネイロ(2006年4月2日)
リオ・デ・ジャネイロは、ポルトガル語で「1月の川」の意味とのこと。ブラジルの南東部の人口約800万人のブラジル最大の港湾都市。
サンパウロと並ぶブラジルの経済、文化の中心でリオのカーニバルで有名。コパカバーナ、イパネマなどの世界的に有名な海岸があるシドニー、サンフランシスコ(香港、ナポリという説もある)と並ぶ世界3大美港の一つ。
1960年にブラジリアに遷都するまではブラジルの首都で1808年にナポレオンに本国領土を奪われたポルトガル王室が遷都してからブラジルが独立するまでは、ポルトガルの首都だったのは意外な歴史だ。世界でも有数の観光地として、ショーロ・サンバ・ボサ・ノヴァを生んだ音楽の都としても名高い。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10060260/
(写真はコルコバードの丘から見るリオの光景)- 旅行時期
- 2006年04月
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投稿日 2007年08月16日
総合評価:4.0
パラグアイのシウダー・デル・エステ(2006年3月31日)
シウダー・デル・エステは、スペイン語で東の町という意味でパラグアイ東部、ブラジル・アルゼンチンの国境に近い、パラナ川の右岸にあり人口約20万人の街。
パラナ川に架かる友情の橋を渡るとブラジル。
パラグアイからブラジルのフォス・ド・イグアスへは一日の日帰りであれば出国・入国手続きはいらないのでブラジルでの入国、出国スタンプは必要なしでアルゼンチンに入国することができる。
シウダー・デル・エステからアスンシオン方向に約40kmのところにイグアス移住地という日本人の移住地があり日本食を楽しむことができる。
シウダー・ デル・エステのメインストリートには電化製品、旅行カバン、日用品などを売る店が並び、南米の中では製品が多く安価だった。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10059535/
(写真はシウダ−・デル・エステの繁華街の街並み)- 旅行時期
- 2006年03月