さすらいおじさんさんのクチコミ(7ページ)全621件
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投稿日 2007年09月03日
総合評価:4.0
ドミニカ共和国のサント・ドミンゴ(2006年5月4日)
ドミニカ共和国のサントドミンゴは首都で人口約200万人。クリストファー・コロンブスが1492年に上陸し、最初に植民都市を建造した。スペイン風コロニアル様式を残す歴史地区は1990年に「サントドミンゴの植民都市」としてユネスコの世界遺産に登録されている。
コロンブスはこの街への思い入れが強かったのだろう、コロンブスの邸宅、アルカサルにはコロンブス家3代が住み、コロンブスはこの街に骨を埋めることを望んでいる。彼の遺言通り大聖堂に埋葬されていた遺体は1992年からは日本の歴史展示もあるコロンブス記念灯台に埋葬されている。
コロンブスは新大陸発見の功労者でありながら西インド総督の地位を追われ、晩年は寂しい最期だったそうだが、サント・ドミンゴ時代は彼の絶頂期で心のよりどころだったのだろう。
この街には歴史的な文化遺産だけでなくロス・トレス・オホスと名付けられた4つの湖が発見された奥深い鍾乳洞がある。まだ謎に包まれた部分が多いそうだが先史時代から人が住んでいた跡も発見されており、ボ−トで湖を渡り洞窟の奥への小探検もできる。観光的な見所も多い。
旅行記;https://ssl.4travel.jp/tcs/t/album.php?MODE=EDIT&ALBUM_ID=10066877
(写真はコロンブス公園で出会った少女達)- 旅行時期
- 2006年05月
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投稿日 2007年09月02日
総合評価:4.0
プエルトリコ(2006年5月2日)
プエルトリコ は、カリブ海の島で米国の自治的・未編入領域。
カリブ海周辺の島々で生活していたタイノ・インディアンが先住民族で1493年にクリストファー・コロンブスが発見した後、スペインやアメリカなどに統治されてきた。プエルトリコ島は「聖ヨハネ(サン・フアン)島」と呼ばれサンフアン市街を「豊かな港(プエルト・リコ)」と呼ばれていた。1508年頃からスペインからプエルトリコへの本格的な入植がはじまり、エル・モロ要塞の建設もされた。1655−1670年はイギリスの領土。1898年の米西戦争終結のパリ条約によりアメリカ合衆国の保護領となり、1917年にアメリカ国民としての市民権を得て1952年には内政自治権も獲得、1998年にアメリカ合衆国の51番目の州昇格をするか否かの住民投票が行われたが否決。
プエルトリコ住民は、アメリカドルを使い、街並みも米国と変わらないが、島の住人の大多数は英語は話さず、スペイン語のみ使っているので文化的にはスペイン語圏の中南米諸国とのつながりのほうが米国よりも強い。住人はスペイン系の白人からアフリカ系の黒人、タイノ・インディアン系原住民、中国人など多民族。米国本土同様、人種差別は社会的問題であり、貧富の差が激しく、島民の多くは政府提供の低所得者向け団地に住む。だが、観光地化された首都サンファンの中心部は米国の観光地と変わらない街並みで物価も米国本土と変わらない。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10066870/
(写真はサン・クリストバル要塞から見る海)- 旅行時期
- 2006年05月
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投稿日 2007年09月02日
総合評価:4.0
ベネズエラのシウダー・ボリーバル(2006年4月28日)
ベネズエラのシウダー・ボリーバルは人口約30万人のベネズエラ有数の都市。1817年にベネズエラ、エクアドル、コロンビアを独立に導いた英雄、シモン・ボリーバルが臨時の首都を置いたことからシウダー・ボリーバルと名付けられたそうだが、ボリーバルの功績をたたえるボリーバル広場は首都であったにしては小規模で地味だが、広場の周りには19世紀に建てられたアンゴストウーラ国会、カテドラルなどがあり、落ち着いた街並だ。オリノコ川の川辺も静かで楽しむ人たちの姿も多い。ギアナ高地の拠点、カナイマに向かう飛行機の空港もある。
ベネズエラの中では安全で住みやすい街だ。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10063681/
(写真はオリノコ川の夕日)- 旅行時期
- 2006年04月
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「失われた世界」の舞台、ベネズエラのギアナ高地(2006年4月27日)
投稿日 2007年09月02日
総合評価:5.0
「失われた世界」の舞台、ベネズエラのギアナ高地(2006年4月27日)
ベネズエラのギアナ高地は、南アメリカ大陸の北部、オリノコ川、アマゾン川、アマゾン川の支流の1つネグロ川に囲まれた地域に存在する高地帯。コロンビア、ベネズエラ、ガイアナ、スリナム、フランス領ギアナ、ブラジルの6つの国と地域にまたがる、垂直に切り立った100以上の巨大なテーブルマウンテンが点在する地域。テーブルマウンテンの1つ、アウヤンテプイには、979mという世界最大の落差を持つ瀑布、エンジェルフォールがある。ギアナ(ガイアナ)は水の国という意味で、ギアナ高地は年間4000mmを超える降水量があり独自の生態系を築いている。
ギアナ高地にあるロライマ山(2810m)はアーサー・コナン・ドイルの小説「失われた世界」の舞台になり、映画にもなった。ペモン族の伝説によれば、ロライマ山はかつて巨大な木で、その枝には果物が実っていたという。果物が欲しくてペモン族の人たちが木を切り倒した結果、現在は木の切り株だけが残され、その切り株が現在のロライマ山だとのこと。確かにテーブルマウンテンは木の切り株のようでペモン族の伝説も興味深い。
ロライマ山やエンジェルフォールを含むカナイマ国立公園は独自の生態系を含み、1994年に世界自然遺産に登録されている。だが近年は観光客の増加に伴い、汚染されたりギアナ高地になかった動植物が持ち込まれたりと、環境破壊が進んでいることが危惧されている。
ギアナ高地は地球の誕生を解明する鍵を握ると言われている。ギアナ高地を形成している岩石は主に先カンブリア期に生成された花崗岩で形成され、約20億年前に南アメリカ大陸とアフリカ大陸がひとつであったゴンドワナ大陸が地球上に形成された。その後、1億5000万年前のジュラ紀にゴンドワナ大陸は2つに別れて、南アメリカとアフリカ大陸が生まれたとされている。ギアナ高地の地域は大陸移動の回転軸に当たり、ゴンドワナ大陸当時からほとんど移動していないと推定されている。
ギアナ高地には解明されていないことも多く、地球の自然遺産の中でも最も重要な地域のひとつだ。旅行者にとっても原始時代に足を踏み込める、未知の魅力があふれるところだ。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10063677/
(写真はギアナ高地)- 旅行時期
- 2006年04月
- 観光の所要時間
- 2日以上
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ベネズエラ 、 カナイマの先住民、ペモン族(2006年4月27日)
投稿日 2007年09月01日
総合評価:4.0
ベネズエラ 、 カナイマの先住民、ペモン族(2006年4月27日)
ベネズエラのカナイマはギアナ高地、エンジェルフォールズへの拠点。カナイマの人口約1000人のうち90%は先住民、ペモン族の人達でギアナ高地への観光案内を行っている。カナイマへの交通手段が今でも飛行機しかないという、僻地のため外部からの入植が難しく現在も先住民、ペモン族独自の文化を保っている。カナイマは素晴しい自然があり、ゆったりと時間を楽しむ素朴な先住民、ペモンの人達の楽園を見てペモン人と触れ合うことができることもカナイマの魅力だ。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10063672/
http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10063676/
(写真は素朴なペモン族の子供たち)- 旅行時期
- 2006年04月
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投稿日 2007年09月01日
総合評価:3.0
ベネズエラのカラカス(2006年4月25日)
ベネズエラのカラカスは、ベネズエラ・ボリバル共和国の首都で人口は、約300万人。
通常は首都地区リベルタドル市と、ミランダ州のチャカオ市、スクレ市、バルタ市、エルアティジョ市をあわせてカラカス市と称する。
カラカスの都市圏にあるリベルタドル市に、ベネズエラ中央大学を中心にした大学都市地区があり、現代建築と彫刻が調和していることで2000年に世界遺産に登録されている。
1567年に、スペイン人の征服者ディエゴ・デ・ロサダが、サンティアゴ・デ・レオン・デ・カラカス という名で建設。カラカスの名は、カリブ人の一部族、カラカス人からとられたとのこと。
べネズエラはカラカスで1811年に独立宣言を発し、南米独立運動の先頭に立った。南米独立の英雄、シモン・ボリバルは、カラカスで生まれ独立運動に参加した。だが独立後のコロンビア共和国(大コロンビア)の首都はボゴタに置かれたことにカラカス市民は不満で、このことがコロンビアからベネズエラ分離の一因となった。旧市街には南米独立の英雄、シモン・ボリバルの生家など歴史的な遺産が残っている。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10063647/
(写真はカラカスの街並)- 旅行時期
- 2006年04月
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トリニダード・トバゴ共和国のポート・オブ・スペイン(2006年4月24日)
投稿日 2007年08月31日
総合評価:3.0
トリニダード・トバゴ共和国のポート・オブ・スペイン(2006年4月24日)
ポートオブスペインはトリニダード島北部にあるトリニダード・トバゴの首都。人口は約6万人で、都市圏人口は約30万人。ポートオブスペインで開催されているカーニバルは、世界の三大カーニバルのひとつとされ、大掛かりな衣装のマスカレード、大衆歌謡音楽のカリプソ、スティールパンのコンテストのパノラマなどが有名。カーニバルの文化は、植民地統治時代のフランスの影響で衣装には、ドラゴンのモチーフなど、中国系住民の文化の影響もある。ドラム缶から生まれた楽器・スティールパンは「20世紀最大のアコースティック楽器発明」と呼ばれており、1992年の独立記念日には正式に「国民楽器」として認められた。このように世界的に有名なカリブ音楽を生み出した地でもある。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10063642/
(写真はクイーンズパークサバンナ公園)- 旅行時期
- 2006年04月
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投稿日 2007年08月31日
総合評価:3.0
トリニダード・トバゴ共和国(2006年4月24日)
トリニダード・トバゴ共和国は、カリブ海南部のトリニダード島とトバゴ島からなる人口約100万人の国でリンボーダンスで有名。トリニダード島は、南米ベネズエラの海岸から15kmという近さだ。
トリニダード島は、スペイン語の三位一体、トバゴ島は、先住民が吸っていたタバコから、名付けられたそうだ。
1498年、クリストファー・コロンブスの第3次航海によって、トリニダード島とトバゴ島が発見され、先住民のカリブ族とアラワク族はスペインに征服された。
1532年にスペインの植民地となった後、イギリス、オランダ、フランスに統治され、1814年に最終的にイギリス領になった。 1961年にイギリスから独立。
住民はアフリカ系40%、インド系40%、混血15%、その他ヨーロッパ系、中国系等
で公用語は英語。ヒンディー語、フランス語、スペイン語、中国語も使われている。
宗教はカトリック、英国国教会、ヒンドゥー教、イスラム教 という複雑な多民族国家で民族間の争いもあり、政情が安定した国とは言えない。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10063642/
(写真はトリニダード・トバゴ,ポートオブスペインの街並み)- 旅行時期
- 2006年04月
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カリブの小国バルバドスの首都ブリッジタウン(2006年4月21日)
投稿日 2007年08月30日
総合評価:3.0
カリブの小国バルバドスの首都ブリッジタウン(2006年4月21日)
カリブの小国バルバドスの首都ブリッジタウンは人口約6000人、都市圏約10万人で街の名の通り橋が多い。1628年にイギリスにより建設され、街並みはイギリス植民地時代の面影が残っている。トラファルガー・スクウェアや英連邦で3番目に古い国会議事堂、イギリス本国にあるネルソン提督の像、ネルソン記念柱よりも早く建てられたネルソン提督像がある。観光地化された街で、ショッピング街、みやげ物店、トラベラーズ・チェックを扱う銀行もある。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10063412/
(写真はバルバドスのブリッジタウン)- 旅行時期
- 2006年04月
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投稿日 2007年08月30日
総合評価:3.0
カリブの小国バルバドス(2006年4月21日)
バルバドスは、カリブ海、西インド諸島東端の小アンティル諸島にあり、島全体が珊瑚礁で出来ている島国で首都はブリッジタウン。英連邦王国の一国で人口は約30万人。
バルバドスは、ポルトガル語で「鬚・ひげが生えたもの」とのことで、バルバドスの植物の中にひげが生えたように見えるものがあったようだ。
4世紀から16世紀頃までは南米・インディオ族が移住していたがカリブ族の襲撃にも遭っていた。
1500年にスペイン人が渡来し全ての先住民を奴隷としてイスパニョーラ島へ強制連行しバルバドス島は無人島化。
1620年代にイギリスの艦隊が無人のバルバドス島に到達し、1627年頃からイギリス開拓団により植民地化開始しサトウキビ栽培を黒人奴隷を使って行った。1834年奴隷制は廃止後もイギリス人農園主などが政治、経済を独占。1937年には奴隷の子孫の黒人暴動が起こり、イギリス政府に結社の自由、労働組合の結成を認めさせ1938年には、バルバドス労働党を設立。1958年には西インド連邦を結成し、周辺のカリブ海諸島のイギリス植民地と合同で独立を志向したがジャマイカの離脱など結束できず1962年には再び単独でイギリスの自治領に復帰。1966年にイギリス連邦加盟国として独立。
独立後は平和志向で観光開発に力を入れ、安定的な経済成長を実現した。
国家元首はイギリス国王で、バルバドス政府は英国王に代わり、象徴となる大統領を設置しているが
トリニダード・トバゴとは領海問題があり、対立している。
現在は黒人奴隷の子孫がイギリスの街並みのような平和で豊かな観光の街を築いているが南米からの不法労働者などの侵入には厳しく対応している。長い不幸な奴隷時代から勝ち取った平和を守ろうとする意識が強い国だと感じた。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10063412/
(写真はバルバドスの海)- 旅行時期
- 2006年04月
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投稿日 2007年08月29日
総合評価:3.0
ガイアナ協同共和国(2006年4月18日)
ガイアナ協同共和国、通称ガイアナは、南アメリカの北部、ベネズエラ、スリナム、ブラジルと国境を接し、首都はジョージタウン。1498年、コロンブスが寄航し、17−18世紀にオランダが植民地化。 1814年からイギリスの植民地となり、イギリス領ガイアナとなった。1834年、奴隷制度廃止後は砂糖工場の労働力として、約25万人のインド・パキスタン系移民が流入。
1966年にイギリス連邦の一国として独立。黒人系勢力とインド・パキスタン系勢力の間で、人種的対立が続き、政情不安が続いている。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10062362/
(写真はジョージタウン)- 旅行時期
- 2006年04月
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投稿日 2007年08月29日
総合評価:4.0
フランス領ギアナ(2006年4月16日)
フランス領ギアナは南アメリカ北部にあり、ガイアナ、ブラジルと国境を接し、大西洋に面する。県都はカイエンヌ。
この地域には古くから、カリブ族、アラワク族、エメリロン族、ガリビ族、パリクール族、ワヤンピ族、ワヤナ族などのアメリカ州の先住民族が居住していた。1604年にフランス人、ラ・ラヴァルディエールがギアナに港を建設しアマゾンの調査を行った後、フランスから入植者が増え1638年にはカイエンヌの町を設立し、定住が進んだ。18世紀末、革命直後のフランス立法府はギアナを政治犯の流刑地とし、20世紀半ばまで多くの政治犯が送り込まれ「呪われた土地」「緑の地獄」などと呼ばれていた。特に沖合いにある流刑島のデビルズ島は、「悪魔の島」として悪名高く1973年の米国映画「パピヨン」の舞台にもなった。1946年にフランスでの行政上の区分は植民地から海外県に変更されたが現在もギアナの領有を保っている。人口はクレオール人とアフリカ系黒人が66%、ヨーロッパ(特にフランス)からの入植者の子孫は12%、先住民のインディオやインド人が12%、南アメリカの最多民族のブッシュ・ニグロ(逃亡奴隷の黒人の子孫)、中国人やフランス領インドシナ時代のベトナムやラオスなどからの移住者もいる。 宗教はカトリックが54%。公用語はフランス語。英語もかなり通用している。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10062115/
(写真はサンローラン・ ド・マロニーの街並み)- 旅行時期
- 2006年04月
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投稿日 2007年08月28日
総合評価:3.0
スリナム共和国のパラマリボ(2006年4月14日)
パラマリボはスリナム共和国の首都で人口は約20万人。大西洋から約15kmの沿岸にある。近郊ではボーキサイト,サトウキビ, 米, カカオ,コーヒーなどが産出され輸出している。
パラマリボは1630年にイギリス人によって植民地化され、1815年から1975年の独立まではオランダの支配下にあった。市民はインド系、アフリカ系など17世紀以降の奴隷や労働者の子孫が多いが、オランダ人、イギリス人などヨーロッパ系住民も見られる。
パラマリボにはオランダ統治時代の博物館、大聖堂などが残っており、2002年には世界文化遺産に登録されている。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10062007/
(写真はパラマリボ市街歴史地区)- 旅行時期
- 2006年04月
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投稿日 2007年08月28日
総合評価:3.0
スリナム共和国(2006年4月14日)
スリナム共和国は南アメリカの北部にあり、東はフランス領ギアナ、西はガイアナ南はブラジルと国境を接し、北は大西洋に面している。
スリナムはスペイン人に1499年に発見され17世紀にはイギリスとオランダが入植。黒人奴隷を使用してタバコ栽培を行ったが1667年のブレダ条約でオランダの領土となった。奴隷制度廃止後はインドネシアやインドから契約移民を受け入れ新たな労働力とした。
1954年にはオランダから自治権を獲得し1975年に独立している。
1980年には軍部のクーデター後、社会主義化政策で一時キューバと親交を持った。
民族は、インド系37%、クレオール(白人と黒人の混血)31%、インドネシア系15%、アフリカ系10%、先住民、中国系、オランダ系など。アフリカ系の中にはボスネガーと呼ばれる逃走して来た奴隷の子孫(ブッシュ・ニグロ)もおり、1986−1992年には反乱を起こしている。
言語は、公用語がオランダ語でクレオールが使うスリナム語 が共通語。英語や、インドネシア語、ヒンディ語など使われているが英語は広く通用している。
宗教は、ヒンドゥー教28%、イスラム教20%、ローマ・カトリック23%、プロテスタント25%などで言語・宗教ともに複雑な多民族国家でこれまでオランダ、米国などが支援してきたが、クーデターも多く政情は不安定。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10062007/
(写真はパラマリボの街並み)- 旅行時期
- 2006年04月
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投稿日 2007年08月27日
総合評価:3.0
ブラジル、ベレンのベレン美術館(2006年4月12日)
ベレン美術館はドン・ペドロ二世広場にある水色の建物。19世紀後半のゴム景気の時代に建てられたネオクラシック様式の宮殿で1860年に着工し1883年に完成している。現在はベレン市役所の本庁舎とベレン美術館を併用した建物になっている。美術館には絵画、彫刻、陶器などが展示されている。入場料は無料だった。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10061623/
(写真はベレン,ベレン美術館近くの時計台)- 旅行時期
- 2006年04月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
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投稿日 2007年08月27日
総合評価:3.0
ブラジル、ベレンのナザレ大聖堂(2006年4月12日)
ベレンのナザレ大聖堂は1774年に礼拝堂として建設され、ゴム景気の1908年にローマのサン・ピエトロ寺院を模して建造されたルネッサンス様式で内部は大理石で造られている。毎年10月のナザレ大祭の際には100万人以上が集まるとのこと。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10061623/
(写真はベレンのナザレ大聖堂)- 旅行時期
- 2006年04月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
-
投稿日 2007年08月26日
総合評価:3.0
ブラジル、ベレンのパス劇場(2006年4月12日)
ベレンのパス劇場は1868年から6年の歳月をかけて建造された大劇場。マナウスのアマゾネス劇場と同様に19世紀のゴムブームで繁栄したときの産物。1896年に建てられたマナウスのアマゾネス劇場よりも早く建造されている。現在もオペラやオーケストラのコンサートが開かれている。月曜以外の毎日見学ツアーがあり、見学料は4レアル・240円だった。
http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10061623/
(写真はベレンのパス劇場)- 旅行時期
- 2006年04月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
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投稿日 2007年08月26日
総合評価:4.0
ブラジル、ベレンのカステロ要塞(2006年4月12日)
ベレンのカステロ要塞は1616年にポルトガル人、カステロ・ブランコ率いる艦隊がアマゾンを征服し、英国、フランス、オランダなどの外敵からの防御のために築いたものでベレン発祥の場所といわれている。カステロ要塞にはベレン発祥の歴史を展示する小さな博物館がある。ベレンの街が築かれる前の先住民族・インディオの生活用品、住居遺跡などを見ることができる。入場料は2レアル・120円だった。依頼すれば英語ガイドが説明してくれる。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10061623/
(写真はベレンのカステロ要塞)- 旅行時期
- 2006年04月
- 観光の所要時間
- 1-2時間
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投稿日 2007年08月25日
総合評価:4.0
ブラジルのベレン(2006年4月12日)
ベレンはブラジル北部アマゾン河口にある港町でパラー州の州都。人口約130万人(都市圏人口約200万人)で日系人も多く、日系人の本部アマゾニア日伯協会の話では約1万人の日系人が居住しているとのこと。1616年にポルトガル人が外敵防御のためにカステロ要塞を築いて以来、要衝の街として発展したといわれている。マンゴーの木が多く、マンゴー並木の町とも呼ばれている。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10061623/
(写真はベレンのアマゾン河口の光景)- 旅行時期
- 2006年04月
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投稿日 2007年08月25日
総合評価:4.0
ブラジル、ベレンのヴェロペーゾ市場(2006年4月12日)
ベレンのヴェロペーゾ市場はベレンで一番活気ある場所。17世後半から賑わっていたといわれる。ヴェロペーゾとは重さを見るという意味で、当時代金を支払う際には計量場所で重さを量っていたことに由来している。
魚、果物、観葉植物、手作りの工芸品、ハーブティや入浴剤、香料など多種類の薬草、とかげ・蛇などの小動物などが取引されている。
旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10061623/
(写真はベレンのヴェロペーゾ市場)- 旅行時期
- 2006年04月
- 観光の所要時間
- 1-2時間