旅行のクチコミと比較サイト フォートラベル

さすらいおじさんさんのトラベラーページ

さすらいおじさんさんのクチコミ(6ページ)全621件

条件をクリア
エリア
カテゴリ
並び順

  • ホテル
  • ショッピング
  • グルメ・レストラン
  • 交通機関
  • 観光スポット
  • 基本情報
  • 米国のオーランド(2006年6月5日)

    投稿日 2007年09月11日

    オーランド

    総合評価:4.0

    米国のオーランド(2006年6月5日)
    米国のオーランドは世界最大のリゾート・タウンとして知られる。
    1983年にウォルト・ディズニー・ワールドが開園して以来、ユニバーサル・スタジオ・エスケープを始め20以上のアミューズメント・パークが造られた。ホテル、ショッピング・センター、ゴルフコース、植物園、公園などのリゾート施設も充実している。
    ディズニー・ワールド関連のアミューズメント・パークの他ケネディ宇宙センター(NASA)も見所だ。NASAツアー(85米ドル・10200円)では1960年代にケネディ大統領が宣言して実現した月面着陸の歴史、現代のスペースシャトルに至る歴史、ロケット打ち上げ台、ロケットを製造する工場、などをバスツアーで見学でき、月の石に触れることもできる。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10073506/
    (写真はNASAの光景)

    旅行時期
    2006年05月

  • パナマ共和国(2006年6月5日)

    投稿日 2007年09月11日

    パナマ

    総合評価:4.0


    パナマ共和国(2006年6月5日)
    パナマ共和国は、北アメリカ大陸と南アメリカ大陸の境にあり、コスタリカ、コロンビアと国境を接する。
    パナマはスペイン人探検家バスティダスが1501年に上陸後、1502年にクリストファー・コロンブスも上陸、その後スペイン人の交通の要衝・居住都市として繁栄、1530年代にはフランシスコ・ピサロはパナマを拠点にインカを征服した。1821年、パナマは大コロンビアの一部としてスペインから独立、1846年に米国は、パナマにおけるコロンビアの主権を承認することでパナマ地峡の通行権を獲得、1855年にパナマはコロンビアから自治権を獲得した。
    スエズ運河建設に携わったフランス人技師レセップスは、コロンビアから運河建設権を買い取り、1881−1889年の間パナマ運河建設を進めたが、技術的な問題、伝染病の蔓延、資金調達などの問題で建設は中止された。1902年に米国がレセップスが設立した新パナマ運河会社から運河建設等の権利を買い取りを決め1903年、パナマは米国支援のもとにコロンビアからの独立を宣言した。
    1914年、パナマ運河が完成し、米国はパナマ全域に介入、米軍基地の存在もありパナマ経済は好調だったが、第2次大戦後は、インフレ、失業に苦しんでいるが金融業など70%を占める第3次産業で中米ではGDPは上位。観光ではやはりパナマ運河が目玉だろう。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10070461/
    (写真はパナマ運河の光景)

    旅行時期
    2006年06月

  • コスタリカ共和国(2006年5月28日)

    投稿日 2007年09月10日

    コスタリカ

    総合評価:4.0

    コスタリカ共和国(2006年5月28日)
    コスタリカ共和国の首都はサンホセでニカラグア、パナマと国境を接している。
    コスタ・リカはスペイン語で「豊かな・海岸」の意味とのことで、名前通り海岸はリゾート地になっている。
    紀元前1000年頃からインディオが住んでおり、1502年にコロンブスが発見、1570年頃からスペインの植民地となる。
    1821年、スペインから独立しメキシコに編入、中央アメリカ連邦に参加。
    1848年、中央アメリカ連邦解体により独立共和国を宣言した。
    基本方針は米国との協調、反共産主義で中米の米軍基地となっている。コスタリカは米国との関係が密接だが1986年に就任したアリアス大統領は、アメリカの対ニカラグア強攻政策に追随せず、中米紛争の解決、中米平和実現のために尽力し、ノーベル平和賞が与えられた。
    コスタリカは中米の中では豊かな国で首都サンホセには中米他国から不法入国者が侵入しており危険地域もあるが、中米の中では最も安全な国と言われている。観光・保養地も多く、自然が豊かで、近年はエコツアーにが人気を集めている。コスタリカには地球上の生物種の5%%が棲むと言われ、国立公園・自然保護区の総面積は全国土の約30%で「環境保護先進国」と言われている。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10069930/
    (写真はポアス火山の光景)


    旅行時期
    2006年05月

  • ニカラグア共和国(2006年5月27日)

    投稿日 2007年09月10日

    ニカラグア

    総合評価:3.0

    ニカラグア共和国(2006年5月27日)
    ニカラグア共和国はメキシコを除く中央アメリカではもっとも広い国で首都はマナグア。ホンジュラス、コスタリカと国境を接している。
    チプチャ語族、北方トルカデ族、アステカ族などが多様な文化を形成していた。
    1502年にクリストファー・コロンブスに発見された後、スペインの侵略を受けインディオのニキラノ族が抵抗したため、この地域一帯をニカラグアと呼ぶようになったそうだ。
    だが、スペイン人のコルドバに征服され、、スペインによる過酷な支配下におかれ金鉱山、カカオ栽培に奴隷としてインディオが過酷に使われほぼ絶滅。その後アフリカ大陸から奴隷が投入された。
    ニカラグアでは内紛に乗じて1855年頃から米国が影響力を持ってきた。米国資本で1893年には鉄道建設、1933年には米国占領軍撤退させるが米国の影響力は継続。1979年のサンディニスタ革命後米国は民主的な政権を作る名目でCAIなどの組織を使って反政府勢力コントラを支援、1981年米国は経済援助を停止。コントラが武装解除・解体完了を宣言するまで激しい内戦が続いた。現在も政情は安定しておらず、長い内戦で疲弊した国内は犯罪が多く、安全な国ではない。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10069482/
    (写真はニカラグアの光景)

    旅行時期
    2006年05月

  • ホンジュラス共和国(2006年5月27日)

    投稿日 2007年09月10日

    ホンジュラス

    総合評価:3.0

    ホンジュラス共和国(2006年5月27日)
    ホンジュラス共和国はグアテマラ、エルサルバドル、ニカラグアと国境を接する中米の国で首都はテグシガルパ。
    古代にはモンゴロイドが進出居住し、紀元前1000年ころから約2000年マヤ文明が栄えた。
    1502年にコロンブスが4度目の航海で寄航、1521年にスペイン人エルナン・コルテスがアステカ帝国征服の後ホンジュラスの場所も征服した。ホンジュラスはスペイン植民地・グアテマラ総監領に組み込まれ金銀を採掘した。
    1821年に独立し、メキシコと合併後1823年に中米連邦に加盟、1938年に中米連邦が瓦解したため「ホンジュラス共和国」として独立。
    独立後も中米他国と国境紛争が頻発し、内戦も続くが1985年にアメリカと軍事経済関係を築き1993年には軍を廃止した民主主義路線を採択し、現在は国情はやや安定しているが旅行者に安全な国とは言えない。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10069481/
    (写真はホンジュラスの光景)

    旅行時期
    2006年05月

  • エルサルバドル(2006年5月25日)

    投稿日 2007年09月09日

    エルサルバドル

    総合評価:3.0

    エルサルバドル(2006年5月25日)
    エルサルバドルは首都サンサルバドルで太平洋に面し、グアテマラ、ホンジュラスと国境を接している。
    紀元前に、モンゴロイド系先住民が定住、10世紀頃にはモンゴロイド部族の小国が成立していたが、1524年にスペイン人エルナン・コルテスに征服された。
    スペインの支配時代はグアテマラ総監領の管理下で農業、牧畜業が営まれた。1811年から独立闘争が本格化し1821年のグアテマラ独立と同時にエルサルバドルもスペイン統治から開放された。
    1856年に正式独立したが内乱やクーデターが近年まで続いている。現在は国情はほぼ安定しているが長い内戦で国は疲弊しており、治安も良くない。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10069479/
    (写真はサンサルバドルのTICAバスターミナル周辺の光景)

    旅行時期
    2006年05月

  • グアテマラのパナハッチェル(2006年5月22日)

    投稿日 2007年09月09日

    パナハッチェル

    総合評価:4.0

    グアテマラのパナハッチェル(2006年5月22日)

    グアテマラのパナハッチェルはグアテマラシティから西へ140キロ余り、海抜1560mの高原地帯に「世界で最も美しい湖」と言われるアティトラン湖がある。サン・ペドロ火山・3020m、アティトラン火山・3587m、トリマン火山・3158mなど3,000メートル級の山々に囲まれ、湖の周囲にはインディヘナの村々が点在している。サン・ペドロ火山山麓のコーヒ栽培で知られる先住民の村、サン・ペドロ・ラ・ラグーナ、湖畔でいちばん大きい街、人口2万8千人、ツトゥヒル族のサンチャゴ・アティトラン、人口6千人でカクチケル族のサン・アントニオ・パロポなど先住民族の街をボートで巡るツアー(60Q・1020円)は内容のあるものだった。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10068702/
    (写真はアティトラン湖の光景)

    旅行時期
    2006年05月
    観光の所要時間
    1日

  • メキシコ合衆国(2006年5月19日)

    投稿日 2007年09月09日

    メキシコ

    総合評価:4.0

    メキシコ合衆国(2006年5月19日)
    メキシコ合衆国はアメリカ合衆国と、グアテマラ、ベリーズと国境を接し太平洋、メキシコ湾、カリブ海に面する。人口は約1億人で、スペイン語圏で最大の人口。
    国名のメヒコは、独立戦争中の1821年に決定したものでアステカの言語ナワトル語で、「メヒクトリーアステカ族の守護神―の地」という意味。
    紀元前2万年頃には人間が居住しており、紀元前1300年頃、メキシコ湾岸を中心に巨石人頭像で知られるオルメカ文明が興った。
    大ピラミッドで知られるテオティワカンの巨大都市が築かれ、後期マヤ・アステカなど高度先住民文明が繁栄した。
    1519年にスペイン人エルナン・コルテスが上陸し1521年にアステカを滅亡させスペイン人の植民地となった。
    1810年に、メキシコ独立革命が始まり、1846年にはテキサスを巡りアメリカ合衆国と戦争を起こし敗戦によってテキサス、カリフォルニアなどリオ・グランデ川以北の領土を喪失。
    1910年からはメキシコ革命で革命軍は政府軍を敗北させ1917年に革命憲法が発布されたが長年内戦が続いた。
    メキシコ革命以降、石油や銀の産出で潤うが、慢性的なインフレと貧富の差を生じさせ、厳しい財政状況が続き米国への不法入国問題が継続している。
    アステカ、マヤ遺跡など歴史文化遺産、観光の面では見所が豊富で魅力ある国だ。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10068508/
    (写真はパレンケ遺跡の光景)

    旅行時期
    2006年05月

  • メキシコのパレンケ遺跡(2006年5月18日)

    投稿日 2007年09月08日

    古代都市パレンケと国立公園 パレンケ遺跡周辺

    総合評価:4.0

    メキシコのパレンケ遺跡(2006年5月18日)
    メキシコのパレンケはマヤ低地で最も西に位置しており、紀元前1000年頃からマヤ人が住んでいたとされ、パレンケ王朝としては431年からのバラム・クク朝が初代とされる。パレンケ遺跡保存状態が良く、原型が良く解る。
    宮殿、碑文の神殿、北のグループのコンデ神殿、頭蓋骨の神殿、太陽の神殿、葉の十字架の神殿、十字架の神殿などがあり、彫刻や埋葬品などはパレンケ博物館にも展示されている。
    パレンケ遺跡の中でも有名なものはパカル王の墓で有名な「碑銘の神殿」だ。
    パカル王は、615年、12歳で即位し、パレンケ全盛期の68年間パレンケを支配したとされる。
     碑銘の神殿の地下に造られていたパカル王の墓と石棺、そして石棺の中から出てきた翡翠などの埋葬品は一番の見所。埋葬品の中でも古代では最高の宝石とされていたヒスイで出来た仮面は時価数百億と言われている。現在はメキシコシティーの人類学博物館のマヤ室に展示されている。マヤ時代の最盛期を見るうえではパレンケ遺跡は欠かせないだろう。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10068132/
    (写真はパレンケ遺跡の光景)

    旅行時期
    2006年05月
    観光の所要時間
    半日

  • グァテマラのティカル遺跡(2006年5月15日)

    投稿日 2007年09月08日

    ティカル遺跡周辺

    総合評価:5.0

    グァテマラのティカル遺跡(2006年5月15日)
    グァテマラのティカル遺跡はマヤ文明を代表する神殿遺跡で現在発見されているマヤ遺跡の中では最大級で保存状態も良い。
    グァテマラ北部のペテン低地の密林地帯に、約60平方kmという広大なジャングルの中に大小の遺跡が点在している。
    複数の階段状ピラミッドの他、5−10万人といわれるマヤ人が居住していたと考えられている。
    また、マヤ文明では珍しい敵の攻撃を防衛するための土塁や環壕の跡が発見され、戦争への対策もかなり進んでいたことが証明されている。
    珍しい野生の猿や鳥もたくさん見られる密林とマヤ遺跡を合わせ持つティカル国立公園は1979年にユネスコの文化・自然複合世界遺産に登録されている。グアテマラでは是非訪問したいところだ。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10067600/
    (写真はティカル遺跡の光景)

    旅行時期
    2006年05月
    観光の所要時間
    1日

  • グアテマラ共和国(2006年5月15日)

    投稿日 2007年09月08日

    グアテマラ

    総合評価:4.0

    グアテマラ共和国(2006年5月15日)
    グアテマラ共和国は太平洋とカリブ海に面する中米にあり首都はグアテマラシティ。メキシコ、ベリーズ、ホンジュラス、エルサルバドルと国境を接している。
    紀元前15世紀には、すでに農耕民が住んでおり、紀元前500年以降には、マヤ都市が出現する。
    グアテマラ高地のマヤ系諸王国は1524年にスペイン人に征服されるまで存続した。1544年、スペインはグアテマラ総督府をおき、形だけの自治権を与えた。グアテマラ総督府は1821年にスペインから独立を宣言、内戦の後1839年に独立。
    グアテマラは建国以後も革命、クーデター、米国からの内政干渉など波乱の歴史で1960年から1996年まではゲリラとグアテマラ政府の内戦で国は荒れた。内戦によって約30万人が犠牲になったのち国は一応平穏になったが、現在も犯罪は多く、殺人で年間1万人位が犠牲になっている。
    住民は、ヨーロッパ系と先住マヤ系民族の混血が約60%、マヤ系先住民族が約40%で言語は公用語がスペイン語。英語は通じにくい。
    宗教は、60%がローマ・カトリックだがプロテスタントの人口も伸びている。
    貧富の差が大きく、人口の10%が国民所得の約50%を占める一方、国民の約60%は貧困層。
    グアテマラにはティカル遺跡を代表とするすばらしいマヤ遺跡が残っており、パナハッチェルなどマヤ系先住民族が住む街ではマヤ時代からの伝統衣装を見ることができる。治安は悪いが歴史的な文化遺産が豊富で魅力がある国だ。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10067600/
    (写真はアンティグアの光景)


    旅行時期
    2006年05月

  • ベリーズ(2006年5月13日)

    投稿日 2007年09月08日

    ベリーズ

    総合評価:4.0

    ベリーズ(2006年5月13日)
    ベリーズは、旧称イギリス領ホンジュラスで1973年に改称された人口約30万人の小国。
    中央アメリカのユカタン半島の付け根にあり、カリブ海に面しメキシコ、グアテマラと国境を接し、ホンジュラス湾を挟んでホンジュラスがある。
    美しい海とオ−ストラリアのグレ−ト・バリア・リ−フに次いで世界第2の規模の珊瑚礁、ベリ−ズ・バリア・リ−フが観光資源で「カリブ海の宝石」と呼ばれる英連邦王国の一国。
    国家元首はイギリスのエリザベス女王で、代理人として実権のない総督がいる。
    中米の国の中で最も経済の開発が遅れた国で農作物は砂糖、柑橘類、バナナなど。漁業はイセエビが良く水揚げされ林業もあるが貧しい国で治安はあまり良くない。
    住民は白人とラテンアメリカの先住民(インディオ)の混血・メスティーソが50%、アフリカ系黒人のクレオールが25%、マヤ族10%、カリブの島々から来た黒人とカリブ族の混血のガリフナが5%、その他中国系など10%という他民族国家で言語は公用語が英語。
    宗教は英連邦王国の一国であることから、ローマ・カトリックが50%、プロテスタントが30%。ベリーズへの入国のためには中米で唯一ビザ取得が必要というのがネックだが、ベリーズの見所はやはりオ−ストラリアのグレ−ト・バリア・リ−フに次いで世界第2の規模のベリ−ズ・バリア・リ−フ(珊瑚礁)だろう。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10067592/
    (写真はベリ−ズ・バリア・リ−フの光景)



    旅行時期
    2006年05月

  • キューバ共和国のトリニダー(2006年5月11日)

    投稿日 2007年09月05日

    キューバ

    総合評価:4.0

    キューバ共和国のトリニダー(2006年5月11日)

    キューバ島の南にあるトリニダーは、スペインの入植地として17〜18世紀以降、砂糖貿易と奴隷貿易の一大中心地となった街。トリニダーの旧市街と、サトウキビ畑の地、ロス・インヘニオス盆地は世界遺産に登録されている。
    砂糖産業を支えたのは、西アフリカの黒人奴隷でトリニダー近郊の農園跡では奴隷の見張り塔を見ることができる。砂糖貿易で富を得た農園主は、トリニダーの町にバロック様式の豪邸を競って建てている、現在も残っている。トリニダ−はスペイン統治時代の街並みが美しく、サンティシマ広場を中心に周囲に建てられたロマンティコ博物館、サンティシマ教会、トリニダ−を象徴する旧修道院のド−ム屋根などが落ち着いたム−ドを醸し出しておりキューバでは是非訪問したい街だ。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10066904/
    (写真はトリニダ−の光景)

    旅行時期
    2006年05月

  • キューバ革命の英雄チェ・ゲバラゆかりの地(2006年5月9日)

    投稿日 2007年09月05日

    キューバ

    総合評価:4.0

    キューバ革命の英雄チェ・ゲバラゆかりの地(2006年5月9日)

    チェ・ゲバラ(1928−1967年)は、アルゼンチン生まれのマルクス主義革命家で、キューバのゲリラ指導者。
    1928年アルゼンチンのロサリオで誕生したが肺炎を患い2歳から重度の喘息に悩んだ。
    ブエノスアイレス大学の医学生だった1951年にオートバイで南アメリカをまわる放浪旅行を経験し、南米各地の状況を見聞するうちにマルクス主義革命を志すようになった。
    1953年大学卒業後、ボリビア、ペルー、エクアドル、パナマ、コスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、エルサルバドルを旅行し、社会主義政権下のグアテマラを経てメキシコで亡命中のフィデル・カストロと出会った。
    キューバ革命軍に軍医として参加した後、めきめきと頭角し反乱軍のリーダーのひとりとなった。
    1958年にはキューバ第2の都市サンタ・クララを制圧しキューバ革命成功に貢献、、キューバ新政府内で閣僚となり、農業改革機構工業部長、国立銀行総裁などにも就任し農地改革と企業の国有化を進めた。
    アメリカのキューバに対する経済封鎖時の1961年にはゲバラは工業相として労働生産性の向上を訴えるが経済は好転せずキューバ首脳陣の中で孤立。
    1965年、キューバの最も主要な貿易相手国だったソビエト連邦の外交姿勢を「帝国主義的搾取の共犯者」と非難しソ連の反発を受けキューバ政府の一線から退いた。
    キューバを離れたゲバラは、アフリカのコンゴで革命の指導をするが成功せず、1966年ボリビアでゲリラ活動中の1967年10月捕えられ処刑された。
    世界的に学生運動が展開された1960年台後半から、チェ・ゲバラの生涯と思想は全世界の革命を目指す若者たちに熱狂的にもてはやされ、肖像写真はTシャツやポスターに印刷された。
    1997年にゲバラの遺骨がボリビアで発見され、キューバへ送られ現在はサンタ・クララの霊廟に葬られている。
    今日でもチェ・ゲバラは中南米や第三世界の一部の人たちの間で信仰に近いカリスマ的存在になっている。
    キューバではハバナの革命博物館で詳しくチェ・ゲバラを紹介している。サンタ・クララではチェ・ゲバラの遺骨を葬る霊廟や博物館、チェ・ゲバラとカストロが爆破した敵の列車など革命の戦歴を示す展示を見ることができる。
    キューバ政府はチェ・ゲバラを称えることでカストロとの協同革命が成功したことを世界にアピ−ルする目的もあるのだろうが、チェ・ゲバラはレーニンを神のように祀っていた旧ソ連を髣髴するような、数少ない社会主義独裁国・キューバの一面を見せてくれる国だ。

    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10066900/
    (写真はサンタ・クララにあるチェ・ゲバラの遺骨を葬る霊廟)

    旅行時期
    2006年05月

  • キューバを愛したヘミングウェイ(2006年5月8日)

    投稿日 2007年09月04日

    キューバ

    総合評価:4.0

    キューバを愛したヘミングウェイ(2006年5月8日)
    「老人と海」「誰がために鐘は鳴る」「武器よさらば」などの小説で知られる米国人、アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ(1899−1961年)はキューバを愛した代表的な作家の一人だろう。
    1954年にはノーベル文学賞を受賞し絶頂期と思われたが、精神的な病で1961年にライフルで自殺したことは残念だ。
    ヘミングウェイは猫好きで有名で、やはり彼が愛したフロリダのヘミングウェイ博物館には約50匹の猫が今も飼われていた。
    「老人と海」の舞台となったキューバのコヒマルは美しい漁港でいろんな人たちと酒を酌み交したラ・テラサもコヒマルにある。ヘミングウェイが筆を執ったハバナのホテル・アンボス・ムンドスや好きな酒を飲んだフロリディ−タは旧市街のオビスポ通りにあり、キュ−バでは海と酒をこよなく愛したヘミングウエイの日常生活を垣間見ることができることも魅力のひとつだ。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10066898/
    (写真は「老人と海」の舞台となったコヒマルの光景)


    旅行時期
    2006年03月
    観光の所要時間
    1日

  • キューバ共和国のハバナ(2006年5月8日)

    投稿日 2007年09月04日

    ハバナ

    総合評価:4.0

    キューバ共和国のハバナ(2006年5月8日)

    ハバナは、キューバの首都で人口約200万人のカリブ海域最大の都市。
    ハバナ旧市街は全盛期のスペイン・コロニアル様式が残り、1992年に旧市街などが世界遺産に登録されている。文豪アーネスト・ヘミングウェイが愛した街としてもよく知られる。
    食品は輸入に頼ることがなく、国内調達できている点は社会主義政策の成果だろうか。100万人以上の都市で食料自給率100%を達成しているのは、世界でもハバナだけと言われている。
    ハバナは16世紀にスペイン人が築き1607年にはキューバ植民地の首府になり、スペインの新大陸における植民地経営の中心地、貿易の主要な中継地として発展、1902年にキューバの首都になった。
    1920年代にはアメリカ人富豪たちの別荘が建てられ、観光客によって高級クラブやカジノがにぎわうリゾート歓楽都市として発展したが、1959年のキューバ革命以後閉鎖されたり国有化されたりしている。
    キューバが社会主義国になった後は「大ハバナ都市圏」として住宅地帯、新工業地帯、自然公園などの都市整備をはかる都市計画を実施、アメリカ人が残した邸宅は学校や公共建物に流用された。
    旧市街地は、白い建物が多いスペイン風の美しい街並みで、スペイン植民地時代の歴史的遺物が残っている。旧市街地の西方にある広大な新市街地は、第一次世界大戦後のアメリカ、キューバの資本家の高級住宅地として開発され近代的な高層ビルが建築され現在も使われている。街には1959年のキューバ革命前のアメリカのクラシック・カーが現在も走っている。ハバナは数少なくなった社会主義国の市民生活を見ることができ、歴史遺産も豊富で見所も多い。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10066890/
    (写真はハバナの市街の光景)

    旅行時期
    2006年05月

  • キューバ共和国の歴史(2006年5月8日)

    投稿日 2007年09月04日

    キューバ

    総合評価:4.0

    キューバ共和国の歴史(2006年5月8日)
    キューバ共和国はカリブ海の島国でアメリカ州最初の社会主義共和国で「カリブに浮かぶ赤い島」と呼ばれる。首都はハバナ。
    キューバは1492年、クリストファー・コロンブスの第一次航海で「発見」された島でタイノ族と呼ばれる先住民がいたが、1511年スペイン遠征隊によって征服され、植民地化による強制労働でほぼ絶滅した。キューバの植民地化は砂糖産業、たばこ産業などを定着させ、スペインと中南米の中継地点として発展させた。
    スペインに対する独立闘争は1868年ころから顕在化し、1898年にはアメリカが介入しスペイン・アメリカ戦争に発展、キューバは1902年にスペイン支配から解放され独立したが実質はアメリカ支配に変わっただけだった。
    「独立」後、キューバにはアメリカ資本企業が数多く進出し、精糖産業など多くの産業をアメリカ企業が支配したことに対し反乱が続発、1953年に、アメリカ支配に抵抗して弁護士フィデル・カストロが蜂起、1953年の蜂起は失敗に終わって投獄されたがカストロはメキシコ亡命後、アルゼンチン人医師のチェ・ゲバラと出会い、ゲリラ戦訓練を受けた後、1956年にヨット「グランマ」号にのってキューバに上陸。1959年に革命政権を樹立、土地と産業を国有化し、農業の集団化を実施するなど社会主義国家の建設を推進した。キューバの上流階級の人々の多くはアメリカなどへ亡命した。
    アメリカに敵視された革命政権は1960年にソ連と外交関係を結びアメリカ資本の石油精製会社、製糖会社、電話会社、銀行など大企業を国有化した。
    1962年、アメリカのケネディ大統領はキューバとの輸出入を全面禁止し、キューバの経済封鎖を実施するとソ連はキューバにミサイル基地の建設とミサイルの搬入を行い核戦争の危機となった。キューバ危機は何とか脱しその後50年近くキューバの社会主義独裁政策が継続している。貧困に苦しむ人たちを見ると、社会主義独裁政策がキューバ国民を豊かにしたとは思えないが、フィデル・カストロ存命中はアメリカとキューバの国交断絶状態は変わらないと見られている。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10066890/
    (写真はハバナ大学の光景)

    旅行時期
    2006年05月

  • ドミニカ共和国(2006年5月4日)

    投稿日 2007年09月03日

    サント・ドミンゴ

    総合評価:4.0

    ドミニカ共和国(2006年5月4日)
    ドミニカ共和国は、西インド諸島の東部にあり首都はサントドミンゴ。西部にあるハイチと国境を接し、ドミニカ島にあるドミニカ国と区別するため、共和国をつけて呼ばれる。
    先住民アラワク族が居住していたイスパニョーラ島に1492年、クリストファー・コロンブスが到着後1496年にコロンブスの弟バルトロメ・コロンによってサント・ドミンゴが建設され、「新大陸」最初のスペイン植民地となった。先住民は金鉱山で酷使されほぼ絶滅、サトウキビの栽培にはアフリカの黒人奴隷が使われた。1795年に全島はフランス領となり1804年にはハイチとして独立。1814年に東側はスペイン領となり1844年にドミニカ共和国として独立するが西側のハイチとは戦乱を繰り返している。
    1992年にはコロンブスのアメリカ大陸到達500年記念祝賀への反対運動が起き1994年の大統領選挙も「不正」をめぐって紛糾、現在も国内情勢は不安定。
    旅行記;https://ssl.4travel.jp/tcs/t/album.php?MODE=EDIT&ALBUM_ID=10066877
    (写真はロス・トレス・オホスと名付けられた4つの湖が発見された奥深い鍾乳洞)

    旅行時期
    2006年05月

  • ジャマイカのキングストン(2006年5月6日)

    投稿日 2007年09月03日

    キングストン

    総合評価:3.0

    ジャマイカのキングストン(2006年5月6日)

    キングストンは、カリブ海の島国ジャマイカの首都。ジャマイカ島の南東部にあり、キングストンの背後にはブルーマウンテン・コーヒーで有名なブルーマウンテン山脈がある。人口約60万人の都市で新市街には、ビジネス関連のホテルやビルが建っている。キングストンは、最初の首都ポートロイヤルから1693年に遷都された。

    レゲエの故郷で、キングストンの貧しいスラム街・トレンチタウンでレゲエ音楽は生まれたがトレンチタウン周辺は現在も治安が悪い。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10066885/
    (写真はキングストン)

    旅行時期
    2006年05月

  • ジャマイカ(2006年5月6日)

    投稿日 2007年09月03日

    ジャマイカ

    総合評価:3.0

    ジャマイカ(2006年5月6日)
    ジャマイカは、カリブ海の大アンティル諸島にある島国で首都はキングストン。
    キューバの南、ハイチとドミニカ共和国があるイスパニョーラ島の西にあり英連邦王国の一国。
    1494年、クリストファー・コロンブスは、2度目の航海でジャマイカ島を発見し、1509年に、スペイン領となる。スペインはサトウキビ農園で先住民アラワク族がほぼ絶滅するまで酷使した後、西アフリカから黒人奴隷の輸入によって労働力とした。1670年にはイギリス領になり1962年にイギリス連邦内で独立。住民はアフリカ系が90%。その他インド系、白人、中国系など。20世紀の後半に大規模な製糖業が行われ、労働力不足のためインド人や中国人の季節労働者がジャマイカに集まった。日本人は中国人と間違えられやすく、「チノ」と声をかけてくる。ジャマイカでの中国系住民の社会的地位はあまり高くないので東洋人を卑下した態度を取る現地人もいる。
    旅行記;http://4travel.jp/traveler/sasuraiojisan/album/10066885/
    (写真はボブ・マ−リ−博物館のマ−リ−像)

    旅行時期
    2006年05月

さすらいおじさんさん

さすらいおじさんさん 写真

113国・地域渡航

47都道府県訪問

さすらいおじさんさんにとって旅行とは

旅は人生そのもの。自分が生きている証明です。
今年も関西を中心にまだ知らない場所を歩いてみたいと思っています。

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

大好きな理由

行ってみたい場所

現在113の国と地域に訪問しています

拡大ボタンを押すと地図が
動かせます。

チュニジア |

ドイツ |

チェコ |

オーストリア |

スロバキア |

ハンガリー |

モロッコ |

中国 |

スロベニア |

クロアチア |

ボスニア・ヘルツェゴビナ |

ラトビア |

リトアニア |

エストニア |

スリランカ |

フィリピン |

モンゴル |

韓国 |

オーストラリア |

インド |

シンガポール |

マレーシア |

アメリカ |

ペルー |

メキシコ |

ブルガリア |

ルーマニア |

フランス |

リヒテンシュタイン |

スイス |

カナダ |

ニューカレドニア |

ベトナム |

カンボジア |

インドネシア |

タイ |

台湾 |

香港 |

ポーランド |

ウズベキスタン |

ニュージーランド |

ポルトガル |

トルコ |

エジプト |

スペイン |

ロシア |

フィンランド |

スウェーデン |

ノルウェー |

デンマーク |

バチカン |

イタリア |

ギリシャ |

イギリス |

ベルギー |

オランダ |

ハワイ |

イラン |

アラブ首長国連邦 |

ジンバブエ |

ザンビア |

ナミビア |

ボツワナ |

南アフリカ共和国 |

カタール |

レバノン |

シリア |

ヨルダン |

オマーン |

ミャンマー |

ネパール |

ブータン |

ラオス |

マルタ |

コロンビア |

エクアドル |

ボリビア |

チリ |

南極大陸 |

アルゼンチン |

ウルグアイ |

ブラジル |

パラグアイ |

スリナム |

仏領ギアナ |

ガイアナ |

バルバドス |

トリニダード・トバゴ |

ベネズエラ |

プエルトリコ |

ドミニカ共和国 |

ジャマイカ |

キューバ |

ベリーズ |

グアテマラ |

エルサルバドル |

ホンジュラス |

ニカラグア |

コスタリカ |

パナマ |

アイスランド |

アイルランド |

アンドラ |

モナコ |

サンマリノ |

キプロス |

イスラエル |

アルバニア |

北マケドニア共和国 |

セルビア |

ルクセンブルク |

マカオ |

モンテネグロ |

現在47都道府県に訪問しています