旅行のクチコミと比較サイト フォートラベル

ハンクさんのトラベラーページ

ハンクさんのクチコミ(16ページ)全785件

条件をクリア
エリア
カテゴリ
並び順

  • ホテル
  • ショッピング
  • グルメ・レストラン
  • 交通機関
  • 観光スポット
  • 基本情報
  • 芭蕉が滞在し「蚤虱馬の尿する枕もと」を詠んだ当時の家が解体復元工事を経て現存

    投稿日 2021年04月05日

    封人の家(旧有路家住宅) 最上・舟形

    総合評価:4.5

    奥の細道を辿る旅を続けているが、「蚤虱馬の尿する枕もと」の句で名高い「封人の家(ほうじんのいえ)を訪れた。アクセスは車でないとまず無理、尿前の関から車で10分、道路は整備されている。芭蕉と門人曾良は1689年7月にここで2泊したという。
    封人とは国境を守る人のこと。村役場、宿場や伝馬の機能を備えた国境の大庄屋。江戸初期の建設で、昭和46年~48年に解体復元工事が実施されて、創建当時の様式で保存されている。名高い句の通り、厩があり、「尿する」(近年原本の発見により正しくは「ばり」と読む)音が聞こえてくるようだ。

    旅行時期
    2021年04月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    4.0
    見ごたえ:
    5.0

  • 農地の真っただ中忽然と現れる原子力災害伝承館、一度は訪れるべき場所である

    投稿日 2021年04月05日

    東日本大震災津波伝承館 陸前高田・住田

    総合評価:4.0

    東日本大震災から10年が過ぎて、初めて被災地を訪れた。もちろん被害の痕跡は残ってはいないが、大半の農地は手付かずの状態で、復興は遠い先、と思われた。
    そんな中、双葉駅の近くに原子力災害伝承館があるというので出かけた。農地の真っただ中、立派な2つの建物が忽然と現れる。一つは双葉町産業交流センター、もう一つが原子力災害伝承館である。昔、ウクライナのチェルノブイリ発電所の同種の博物館を訪れたことがあるが、最新の映像ははるかに生々しい。津波の映像にはストレスを感じる人のために、必ずあらかじめアナウンスがあった。衝撃的な映像は、やはり津波に縁のない人こそ見て感じるべきであろう。

    旅行時期
    2021年04月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.0
    バリアフリー:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 1689年の春、芭蕉は安積山(浅香山)に立ち寄り「花かつみ」を日のくれるまで訪ね歩く

    投稿日 2021年03月29日

    安積山公園 郡山

    総合評価:3.0

    奥の細道で芭蕉は、須賀川を発って浅香山(安積山)に立ち寄った記載がある。「このあたり沼多し、(中略)、沼を尋ね、人に問い、「かつみかつみ」と尋ねありきて、日は山の端にかかりぬ。」この地を訪れるため、福島から約1時間車で走った。
    旧奥州街道沿いのこの地は、現在少年自然公園となり、桜やツツジの名所となっている。ハナカツミは、古今和歌集(905年編纂)の恋歌に詠われて以来、わが国の古典に数多く詠われてきた。芭蕉はこの日、「あさか沼」の「花かつみ」を日のくれるまで訪ね歩いた、とある。この所縁を知らなければ何の変哲もない公園であるが、今はただ芭蕉句碑が建てられているのみだ。

    旅行時期
    2021年03月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    2.5
    人混みの少なさ:
    4.5
    バリアフリー:
    3.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 旧三井家下鴨別邸の風情ある庭園に面した茶室でスペシャルランチを楽しむ

    投稿日 2021年03月29日

    旧三井家下鴨別邸 下鴨・宝ヶ池・平安神宮

    総合評価:4.5

    久々に京都を訪れ、花見を兼ねて旧三井家下鴨別邸でスペシャルランチを楽しんだ。ここは下鴨神社の南に位置する豪商・旧三井家の別邸。三井家によって建築された邸宅である。
    三井家の休憩所として大正14年(1925)に建築されたのが現在の旧邸で、主屋、玄関棟、茶室が現存している。建築に際しては、木屋町三条上るにあった明治13年(1880)建築の三井家の木屋町別邸が主屋として移築され、昭和24年(1949)には国に譲渡され、昭和26年(1951)以降、京都家庭裁判所の所長宿舎として平成19年まで使用された。
    この日「春のランチプラン」を選択、ここ下鴨別邸で本格的な茶懐石「三友居」の仕出し弁当をいただいた。また通常は非公開の三階望楼にも案内つきで入室。大文字山や比叡山を望めることができた。コストパフォーマンスが高い、とは言えないが、風情ある庭園に面した茶室を楽しんだ。

    旅行時期
    2021年03月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    一人当たり予算
    7,500円未満
    利用形態
    ランチ
    アクセス:
    4.5
    コストパフォーマンス:
    3.0
    サービス:
    4.0
    雰囲気:
    4.5
    料理・味:
    4.0
    バリアフリー:
    3.0
    観光客向け度:
    4.0

  • 忠臣蔵の物語で有名な大石内蔵助を祭神とする、大石桜と呼ばれる枝垂れ桜が見事

    投稿日 2021年03月29日

    大石神社  山科

    総合評価:3.5

    史上最も早く桜が開花した今年、他の桜の開花よりも一足早く満開となるという枝垂れ桜を見るため大石神社を訪れた。京都の中心部からは車で10分ほどの山科にある。
    この神社は昭和10年(1935年)に創建された新しい神社で、忠臣蔵の物語で有名な大石内蔵助を祭神とする。小振りな境内に満開の枝垂れ桜が見事だ。討ち入りの様子を描いた「四十七士図屏風」などの赤穂浪士ゆかりの品が境内にある宝物殿に展示されている。入場は無料。大石桜と名付けられた樹高9.5メートルの御神木の枝垂桜は地面に届くほどに花の枝を垂らしている。

    旅行時期
    2021年03月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 後藤氏の個人収集品、17~19世紀のバルビゾン派の画家、彫刻、ガラス細工などを展示

    投稿日 2021年03月16日

    山寺後藤美術館 山形市

    総合評価:3.0

    山寺芭蕉記念館の向かい側に立地する西洋美術館、入場料は800円(山寺芭蕉記念館とセットで800円、400円お得)。
    なぜここに西洋美術館が?ここは山形県河北町出身の後藤季次郎氏が収集したヨーロッパ絵画のコレクションを中心に、ガラス工芸品・陶版画・彫刻などを展示、あえて観光客が多く訪れるこの地を選んだようだ。展示品は17~19世紀のコロー、ミレーを含むバルビゾン派の画家、またアール・ヌーヴォー様式のガラス細工など、立派な建築で、しばしヨーロッパにいるかのような気分が味わえる。

    旅行時期
    2021年03月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    2.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    展示内容:
    3.0
    バリアフリー:
    4.5

  • 山寺の全景を見上げる場所に位置、芭蕉自筆の書作を多数展示

    投稿日 2021年03月16日

    山寺芭蕉記念館 山形市

    総合評価:3.5

    山寺(立石寺)を訪れた後、車で約5分の「山寺芭蕉記念館」を訪れた。JR山寺駅からは徒歩10分、入場料は400円(向かいの後藤美術館とセットで800円、400円お得)。
    芭蕉記念館は深川、須賀川、大垣など訪れたが、この記念館の特徴は「山寺」という周囲の環境を考慮、目の前に山寺の全景を見上げる場所に位置、芭蕉自筆の書作が多数展示されていることである。また屋外には、元米国駐日大使ライシャワー博士の紀行文碑があり興味深い。

    旅行時期
    2021年03月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.5
    展示内容:
    3.5
    バリアフリー:
    4.0

  • 860年慈覚大師・円仁が開山した天台宗の名刹、芭蕉が訪れたのは829年後の1689年

    投稿日 2021年03月14日

    宝珠山立石寺 山形市

    総合評価:5.0

    「奥の細道」巡りで、やっと「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」で名高い立石寺を訪れた。車であれば、山形市の中心部から15分ほど、JR仙山線の山寺駅からは徒歩10分の距離である。
    立石寺は比叡山延暦寺の別院として、860年慈覚大師・円仁が開山した天台宗の名刹である。1000段あるという階段を登って主要な建物を見るだけでも1時間はゆうにかかる。まず根本中堂から中に入ると、芭蕉・曾良像が立ち、すぐ先に堂塔伽藍が建つ。続いて念仏堂、鐘楼、山門をくぐって急な階段を登る。すべてを書き出すことはできないが、一番上にある奥之院まで、右に左に多くの建築、石仏、岩壁が続き見どころ満載、素晴らしい、の一言だ。

    旅行時期
    2021年03月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    3.5
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    5.0

  • 「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」で名高い立石寺の根本中堂の横に立つ

    投稿日 2021年03月14日

    立石寺 芭蕉と曽良の像 山形市

    総合評価:4.0

    「奥の細道」巡りで、やっと「閑かさや 岩にしみ入る 蝉の声」で名高い立石寺を訪れた。車であれば、山形市の中心部から15分ほど、JR仙山線の山寺駅からは徒歩10分の距離である。立石寺は比叡山延暦寺の別院として、860年慈覚大師・円仁が開山した天台宗の名刹である。
    立石寺の登山口の階段を上って根本中堂を過ぎた所に芭蕉像と曾良像が立つ。2人は1689年の7月にここを訪れた。本文によれば、もともとここを訪れる予定ではなかったが、地元の人々が慈覚大師がお開きになった寺で、格別清閑な所でぜひ、と勧められ、いったん南に下って訪れた様だ。蝉が本当に鳴いていたかどうかこの句だけでは判断できない。

    旅行時期
    2021年03月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 「歌枕」として都人のあこがれの地、芭蕉は「白河の関にかかりて旅心定まりぬ」と記した

    投稿日 2021年03月08日

    白河関跡 白河

    総合評価:4.5

    「奥の細道」を辿る旅の途中、白河の関跡を訪れた。芭蕉は「心許なき日数重なるままに、白河の関にかかりて旅心定まりぬ。」と記している。この地を訪れることが重要であったことがうかがえる。現在はこの地には白河神社が建てられている。
    白河の関は奥州三古関のひとつに数えられ、奈良時代から平安時代頃に国境の関で人や物資の往来を取りしまる機能を果たしていた。その後その機能は失なわれたが、「歌枕」として文学の世界で都人のあこがれの地となり、能因法師や西行法師、平兼盛らがこの地で多くの歌を残した。芭蕉自身はこの地で詠んだ句はないが、同行した曾良が「卯の花を かざしに関の 晴れ着かな」を残している。

    旅行時期
    2021年03月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    2.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 殺生石に隣接する温泉神社、那須与一が屋島の戦いでの戦勝を祈願した

    投稿日 2021年03月08日

    那須温泉神社 那須

    総合評価:3.5

    「奥の細道」を辿る旅の途中、殺生石を訪れ隣接する温泉神社を参拝した。殺生石からは徒歩5分の距離である。殺生石とは直接の関係はないが、9世紀に亜硫酸ガスのにおいが漂うこの地に温泉を発見し、それを感謝するため祠がたてられたのが由来であるという。その後、那須与一が屋島の戦いの戦勝を祈願、見事扇の的を射抜いて名声を轟かせ那須郡の総領となり、1686年に正一位に叙せられた。
    正面の大鳥居からは結構な距離を歩くことになる。境内は広くはないが、荘厳な雰囲気があり、この地方の信仰を集めていたことがうかがえる。

    旅行時期
    2021年03月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    2.5
    見ごたえ:
    4.0

  • 妖怪九尾の狐が討伐されて石になった伝説の地、今も亜硫酸ガスの匂いが立ち込める

    投稿日 2021年03月08日

    殺生石 那須

    総合評価:5.0

    「奥の細道」を辿る旅、雲巌寺に続いて車で殺生石を訪れた。芭蕉は1689年4月にここを訪れ、「殺生石は、いで湯のいづる山陰にあり。石の毒気いまだ滅びず、蜂、蝶のたぐひ真砂の色の見えぬほどかさなり死す。」と記している。確かに付近一帯は亜硫酸ガスのにおいが立ち込め、有毒火山ガス量が多い時は立ち入り禁止になるそうだ。周囲は荒れ果てた草木が全く生えない火山地形で、「賽の河原」には「野仏群」「千体地蔵」「教伝地蔵」がならんで、地獄の雰囲気を盛り上げている。
    平安時代の初め、鳥羽上皇が寵愛したという伝説の女性・玉藻前(実はインド、中国を荒らし回った妖怪九尾の狐)が、正体をを見破られ、逃げた先の那須の地で討伐されて石となったという。その後も石は毒を発して人々や生き物の命を奪い続けたため「殺生石」と呼ばれ、1385年に玄翁和尚によって3つに打ち砕かれ全国に飛散したという。

    旅行時期
    2021年03月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    2.5
    見ごたえ:
    5.0

  • 芭蕉と曾良が日光の次に訪れたとされる雲巌寺、現存する建物は純粋の木造

    投稿日 2021年03月07日

    雲巌寺 大田原・黒羽・那珂川

    総合評価:4.5

    「奥の細道」の中で、芭蕉と曾良が日光の次に訪れたとされる雲巌寺を訪れた。バスが走ってはいるが、非常に不便であるので、福島から車で約3時間走った。この後、殺生石、白河の関跡などを1日で走破した。車の威力である。当時の住職であった仏頂禅師は芭蕉の禅の先生として交流があり、芭蕉はここで「きつつきも 庵はやぶらず 夏木立」と最大の敬意を表している。
    現存する建物は純粋の木造で、装飾は剥げおちており木材の生地がむき出しになっており感動を覚える。腐食も進んでいるようだが、何とか保存して欲しいものだ。雲巌寺は臨済宗妙心寺派の寺院、山号は東山、本尊は釈迦牟尼仏、開山は高峰顕日(仏国国師)、開基は叟元和尚である。平安時代後期の1126-1131年に開山されたが、間もなく荒廃した。高峰顕日は1283年時の執権・北条時宗を大檀那とし復興、高梨勝願法印の寄進のもと、臨済宗寺院として改めて開山した。 

    旅行時期
    2021年03月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    2.5
    人混みの少なさ:
    4.5
    バリアフリー:
    2.5
    見ごたえ:
    4.5

  • 766年勝道上人の開基という日光で最も古い寺、徳川家の庇護を受けて繁栄した

    投稿日 2021年03月08日

    日光山輪王寺 日光

    総合評価:3.5

    「奥の細道」を辿って日光を訪れた。日光駅からはバスで10分ほど、世界遺産巡りバスの終点で降りて二荒山神社、東照宮を参拝した後、輪王寺に立ち寄った。
    766年勝道上人の開基という日光で最も古い寺。徳川家の庇護を受けて繁栄、国宝、重要文化財など多数の文化財を所有し、徳川家光を祀った大猷院霊廟や本堂である三仏堂などを有する。
    なお、「奥の細道」には開山は弘法大師である、とあるがこれは芭蕉の勘違いで、正しくは勝道上人であるというから面白い。なお寺の正面に勝道上人の像が立っている。

    旅行時期
    2021年03月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    2.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 男体山の神と女峰山の神をまつる二荒山信仰の本社

    投稿日 2021年03月08日

    日光二荒山神社 日光

    総合評価:4.0

    「奥の細道」を辿って日光を訪れた。日光駅からはバスで10分ほど、世界遺産巡りバスの終点が二荒山神社であり最も近い。男体山、女峰山を含む広大な神社域を持つ。巨大な杉の木が立ち並ぶ神聖な雰囲気を感じる。
    霊場としての日光の始まりは、勝道上人が修行場を求め、大谷川北岸に766年に紫雲立寺を建てたことに始まる。そして上人が767年二荒山(男体山)の神を祭る祠を建て、この祠は現在の別宮となっている本宮神社である。上人は782年二荒山を登頂し、そこに奥宮を建てて二荒修験の基礎を築いた。その後、神仏習合の霊場となり多くの人々が訪れるようになった。なお、「奥の細道」には開山は弘法大師である、とあるがこれは芭蕉の勘違いで、正しくは勝道上人であるというから面白い。「芭蕉にも筆の誤り」か。

    旅行時期
    2021年03月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    バリアフリー:
    2.5
    見ごたえ:
    4.0

  • 日光東照宮の「あらたうと 青葉若葉の 日の光」芭蕉の賛辞か皮肉か

    投稿日 2021年03月08日

    日光東照宮 日光

    総合評価:4.5

    「奥の細道」巡りで日光東照宮を訪れた。芭蕉は「今この御光一天にかかやきて、恩沢八荒にあふれ、四民安堵の栖穏なり。」と家康の御威光に最大の賛辞を送っている。しかし、建築物については、「なほはばかり多くて筆をさし置ぬ。「あらたうと 青葉若葉(あおばわかば)の 日の光」」とはあまりにも素っ気なさすぎる。最高権力者にたいする皮肉が含まれている、と評論する方もおられ、私も同感である。
    日光東照宮は、徳川家康を神格化「東照大権現」を祀る神社であり、1617年に建設された。陽明門など近年改修されており、絢爛豪華な装飾に驚かされる。しかし、明らかに日本古来の様式ではなく、ブルーノ・タウトが桂離宮を絶賛した後、日光については「すべてが威圧的で少しも親しみがない」と酷評している。芭蕉もこれと同じ印象も持ったのかもしれない。

    旅行時期
    2021年03月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
     
    人混みの少なさ:
    3.0
    バリアフリー:
    2.5
    見ごたえ:
    4.5

  • 信夫山の中腹、東側の岸壁に三十三観音、地蔵尊、不動尊など60余対の摩崖仏が掘られている

    投稿日 2021年02月28日

    岩谷観音 福島市

    総合評価:3.5

    福島滞在中の週末、芭蕉ゆかりの信夫文知摺観音を訪れた後、岩谷観音を訪れた。私はインドのアジャンター、エローラの石窟をおとずれて、摩崖仏には大いに関心がある。日本では宮城県の瑞巌寺で小規模な摩崖仏を見ることができた。
    岩谷観音の摩崖仏の規模はさらに小さい。信夫山の中腹、東側の岸壁に掘られており、三十三観音、地蔵尊、不動尊など60余対が刻まれている。平安時代の末期から鎌倉時代にかけて、この地を支配していた豪族、伊賀良目氏が岩をくりぬいて造ったお堂に、持仏の聖観音を祀った。その後独立した観音堂が建立され現在の観音堂は1614年頃に再建されたものであるという。

    旅行時期
    2021年02月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.5
    バリアフリー:
    2.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 古今集に源融が歌を詠んだ歌枕、後年芭蕉が訪れ「早苗とる 手もとや昔 しのぶずり」を残す

    投稿日 2021年02月28日

    信夫文知摺 福島市

    総合評価:4.5

    福島滞在中の週末、信夫文知摺ゆかりの地文知摺観音を訪れた。行基菩薩御作の聖観世音菩薩像を本尊とする史蹟名勝の地「信夫文知摺」はもちずり絹の発祥地である。
    古今集には源融(みなもとのとおる、光源氏のモデルともいわれる)が「みちのくの しのぶもちずり 誰ゆえに 乱れ染めにし 我ならなくに」と詠んだ。後年奥の細道の旅の途中芭蕉が立ち寄り「早苗とる 手もとや昔 しのぶずり」の句を残している。芭蕉の時代のみならず、多くの文人が訪れる歌枕を訪れることができたのは感無量である。

    旅行時期
    2021年02月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.5
    バリアフリー:
    2.0
    見ごたえ:
    4.5

  • 伊勢参りを終えた後はおかげ横丁、赤福、松坂牛、海産品が美味しい

    投稿日 2021年02月28日

    おかげ横丁 伊勢神宮

    総合評価:4.5

    伊勢参りを終えた後はおかげ横丁に立ち寄らないわけにはいかない。内宮を出ると目の前におはらい町の入り口がつながっており、おかげ横丁はその真ん中にある。緊急事態宣言中ではあったが、遅めの初詣に来られた方々で賑わっていた。江戸から明治期の伊勢路の建築物を移築などで再現された観光スポットである。有名な赤福餅の本店、松坂牛のステーキ屋や伊勢志摩ならではの海産品などが美味しい。

    旅行時期
    2021年02月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    2.5
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 猿田彦神社の対面に建てられている佐瑠女(さるめ)神社、芸能スポーツの守護神

    投稿日 2021年02月28日

    佐瑠女神社 伊勢神宮

    総合評価:3.5

    コロナ禍の中、延期していたお伊勢参りの初詣に出かけ、外宮、内宮、猿田彦神社を訪れ、境内に向かい合うように建てられている佐瑠女(さるめ)神社を参拝した。最寄り駅は近鉄五十鈴川駅で徒歩10分。
    天孫降臨に際し猿田彦大神と最初に対面し、高千穂の峰に至る道を啓かれた。そしてその後は猿田彦大神の本拠の地である五十鈴の川上の地に赴かれる大神と共に来られ、その功により「佐瑠女君」の称号を受けられた。佐瑠女神社は芸能・スポーツ関係、また縁結びの神としての参拝が絶えないという。

    旅行時期
    2021年02月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    3.5
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.5
    見ごたえ:
    3.5

ハンクさん

ハンクさん 写真

61国・地域渡航

47都道府県訪問

写真 | QA掲示板 | 行ってきます | 掲示板 クリップ

ハンクさんにとって旅行とは

異文化に浸り、社会、歴史、地理を学び、国際交流をする場所、
人類の誇る遺産に触れ、自分を再発見する時間

自分を客観的にみた第一印象

国際的でダンディな教養人(でありたい)
好奇心の塊

大好きな場所

音楽、文化のあるヨーロッパの都市、パリ、ウィーン、ベルリン、ミュンヘン、サンクトペテルブルク
壮大なスケールのアメリカなどの自然公園
密林の中に眠る古代都市遺産

大好きな理由

クラシック音楽鑑賞、美術館で絵画鑑賞、建築の鑑賞
大自然の美に浸る
人類の偉大な古代遺産で歴史ロマンに浸る

行ってみたい場所

北半球の主要国は訪問済み
南半球が未踏破、まずはオセアニア、南米大陸、そしてアフリカ大陸

現在61の国と地域に訪問しています

拡大ボタンを押すと地図が
動かせます。

現在47都道府県に訪問しています