ハンクさんのクチコミ(10ページ)全771件
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大型コンベンションセンター、多文化共生センター以外は観光価値は少ない
投稿日 2021年10月03日
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投稿日 2021年10月03日
総合評価:4.0
セントレアから仙台への移動の前に軽いランチに立ち寄った。出発ロビーの上の階、提灯横丁の一番手前にあり、とのこつらーめん麺達の大きな看板が見える。
とんこつの味噌ラーメンという850円のメニューを選んだ。麺は細めで茹で具合はちょうどよい。スープは少しピリ辛でコクがあっておいしい。量が少なめであるが、軽いランチには適量である。空港という特性か、注文から5分もたたないうちに素早く出てきて安心できる。- 旅行時期
- 2021年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 1,000円未満
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- サービス:
- 3.5
- 雰囲気:
- 3.5
- 料理・味:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 観光客向け度:
- 3.0
-
投稿日 2021年10月01日
総合評価:4.0
彼岸花を鑑賞するため半田市の矢勝川に出かけた。名古屋の中心部から車で約1時間、知多半島道路半田中央ICから約10分。名鉄河和線半田口駅からは徒歩10分。車は新美南吉記念館駐車場に停めると無料。
毎年9月になると約200万本の彼岸花が咲き誇ることで知られており、多くの観光客で賑わっていた。9月26日に訪れたがすでに盛りは過ぎており、1-2週間前が盛りだったようだ。真っ赤だけではなく、黄色やクリーム色の彼岸花は初めて見た。また、コスモスの花も満開だった。
半田市岩滑地区出身の新美南吉の代表作「ごんぎつね」にちなみ、地元の有志が同作品に登場する彼岸花を植栽、地元住民のボランティアにより管理されているという。- 旅行時期
- 2021年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2021年10月01日
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投稿日 2021年10月01日
総合評価:4.0
半田市の矢勝川の彼岸花を鑑賞した後、夕食に森牧場に立ち寄った。車でナビを頼りに走ったが、少々分かりにくい小道の奥にある。
名前の通り牧場が併設されており、広い敷地に和風の立派な建物が建っている。部屋も全て個室でコロナ対策も万全。ステーキコースメニューをオーダー、肉は柔らかくて素晴らしい。ご飯のお代わり可能。- 旅行時期
- 2021年09月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人当たり予算
- 10,000円未満
- アクセス:
- 3.5
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- サービス:
- 3.5
- 雰囲気:
- 4.0
- 料理・味:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 観光客向け度:
- 3.5
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投稿日 2021年09月30日
総合評価:3.5
半田市を訪れ、半田赤レンガ建物を訪れた。名古屋から車で約1時間、名古屋日独協会の知人からお誘いを受け、やっと訪れることができた。
1898年にカブトビールの製造工場として誕生。 明治時代に建てられたレンガ建造物としては日本で五本の指に入る規模を誇るという。基本設計はドイツゲルマニア機械製作所、実施設計は日本の誇る建築家の一人妻木頼黄によるレンガ造りのビール工場の遺構は現存数が極めて少ないため貴重な建造物。日本のビール黎明期に地方都市から果敢に大手ビールメーカーに挑んだ起業家精神を今に伝えている。- 旅行時期
- 2021年09月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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山中温泉を発見した僧行基が創設、小さな芭蕉像と「山中や、、」の句碑が立つ
投稿日 2021年09月30日
総合評価:4.0
「奥の細道」巡りを続けている。芭蕉と曾良は山中温泉を訪れ、医王寺に立ち寄っている。私は名古屋から車で東海北陸自動車道白鳥IC経由で約3時間、国道158号線はかなり急なヘアピンカーブを走る。
およそ1300年前、山中温泉を発見した僧行基が、自ら彫りあげた薬師如来像をここに安置したのが始まりと伝えられる真言宗の古刹。朱塗りの多宝塔が印象的で、温泉守護寺として薬師如来を祀る。高台にあり、境内からは温泉街を一望できる。境内には小さな芭蕉像と「山中や 菊はたおらぬ 湯の匂い」の句碑が立っている。- 旅行時期
- 2021年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2021年09月28日
総合評価:3.5
「奥の細道」巡りを続けている。芭蕉と曾良は那谷寺を参拝して山中温泉を訪れ、「山中や 菊はたおらぬ 湯の匂い」を詠んでいる。私は車で道の駅山中温泉に立ち寄った。
道の駅の左手には、大井川鉄道から譲渡された「しらさき号」が目を引く。車内には入れなかったが、階段を登ると中を覗き見ることができた。ゆけむり健康村はお休みだったが、道の駅では地元の土産物を見ることができた。- 旅行時期
- 2021年09月
- バリアフリー:
- 4.0
- トイレの快適度:
- 4.0
- お土産の品数:
- 4.0
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福井県で発掘された化石を中心に恐竜の全身骨格等が展示されている
投稿日 2021年09月29日
総合評価:3.5
恐竜博物館については以前から聞いていたので、永平寺を訪れる途中に立ち寄ることにした。名古屋から車で東海北陸自動車道白鳥IC経由で約3時間、国道158号線はかなり急なヘアピンカーブを走る。
福井県では多くの恐竜の化石が発掘されている。私は化石収集を趣味にしていたが、さすがに恐竜の化石を掘り当てたことはない。ここは福井県が誇る恐竜と古生物・地学専門の博物館。銀色のドーム型展示室には、44体の恐竜の全身骨格等の標本や巨大なジオラマ、迫力満点のダイノシアターなどは子供から大人まで楽しめるよう工夫されている。- 旅行時期
- 2021年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 展示内容:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.0
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投稿日 2021年09月29日
総合評価:2.0
越前大仏のうわさは以前から聞いていたので、永平寺を訪れる途中に立ち寄ることにした。名古屋から車で東海北陸自動車道白鳥IC経由で約3時間、国道158号線はかなり急なヘアピンカーブを走る。
大師山の麓にある清大寺は1987年に落慶、相互タクシーを創業した多田清氏が私財を投げうって建立されたもの。大仏本尊は、中国河南省洛陽市郊外の龍門石窟仏像をモデルに造られ、奈良の大仏を上回る17m。大仏殿も奈良の大仏殿を越える高さ52m、本尊の左右に4体の脇侍仏、三壁面には1,281体の石仏・金仏がおさめられている。一方五重塔は東寺の高さ55mを越える75m、すべての建物が日本一の高さになるよう鉄筋コンクリートで作られている。批判するつもりはないが、二度と来るつもりはない。- 旅行時期
- 2021年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 2.5
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2012年に開館した5層6階の天守閣風建築を持つ近代的な博物館
投稿日 2021年09月29日
総合評価:3.0
名古屋から永平寺に向かう途中、立派な天守閣を見かけ立ち寄ることにした。私は既に100名城をすべて訪れているが、勝山城は含まれていない。入場料は500円。
この勝山城は歴史的な城郭ではなく、多田教育財団が建設した近代的な博物館で2012年に開館した。5層6階の天守閣風建築として、石垣から鯱までが57.8メートルと日本一の高さを持つ。館内には諸大名家に伝わった武具類や染織類のほか、各地の合戦図屏風が展示されている。この他にも、中国清時代の刺繍作品や郷土の書家西脇呉石関連の作品を収集・常設展示している。歴史的城郭としてではなく、近代的博物館であると思えば、画期的な試みだと思う。- 旅行時期
- 2021年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 3.0
- バリアフリー:
- 4.0
-
投稿日 2021年09月29日
総合評価:5.0
「奥の細道」巡りを続けている。芭蕉は「道元禅師の御寺なり。邦機千里を避けて、かかる山陰に跡を残し給うも、尊きゆへ有りとかや。」とたたえている。まさに森厳たる広大な境内に芭蕉も感無量だったようだ。しかし句は収められていない。
私は永平寺は初めて訪れた。曹洞宗の大本山。1244年に道元禅師によって出家参禅の道場として開創された。樹齢680年といわれる老杉に囲まれた敷地には、「七堂伽藍」をはじめとする70余りの殿堂楼閣が点在している。緊急事態宣言の中であり、入場できたのは残念ながら一部のみ、山門の奥にある仏殿、法堂、不老閣など主要な建物は次回のお楽しみとなった。- 旅行時期
- 2021年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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芭蕉と曾良が宿泊した部屋が保存され、また五百羅漢像も一見の価値あり
投稿日 2021年09月28日
総合評価:4.5
「奥の細道」巡りを続けている。芭蕉と曾良は山中温泉に立ち寄り、全昌寺に宿泊した。ここで芭蕉は「庭はきて 出ばや寺に 散る柳」、曾良は「夜もすがら 秋風聞くや 裏の山」を詠んだ。
全昌寺は曹洞宗の寺院、大聖寺城主山口玄蕃の菩提寺。江戸末期の作で、517体のうち1体も欠ける事なく安置されている五百羅漢像はすばらしい。境内には芭蕉と曾良の句碑が立っており、二人が宿泊した部屋が茶室「芭蕉庵」として復元されている。寺の入り口の女性が芭蕉木像、芭蕉庵、また秀吉自筆の朱印状など親切に解説してくれた。- 旅行時期
- 2021年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2021年09月28日
総合評価:4.5
「奥の細道」巡りを続けている。芭蕉と曾良は小松の多太神社に続いて那谷寺を参拝、「石山の 石より白し 秋の風」を詠み、境内には句碑が建てられている。私は那谷寺を訪れるのは2回目であるが、ほとんど記憶に残っていない。あらためて素晴らしい寺院であることを知った。
那谷寺は717年、泰澄法師が岩窟に千手観音を安置したのが始まりと伝えられる真言宗の名刹。この日は多少紅葉が色づき始めていたが、その盛りの時期にはさぞかし見事な景観となるであろう。広い境内は奇岩遊仙境と言われるほど奇岩霊石がそそり立ち、まるで山水画を見るようだ。本堂・三十塔・護摩堂など7棟が国指定重要文化財、2017年に開創1300年を迎えた。- 旅行時期
- 2021年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 4.5
-
投稿日 2021年09月24日
総合評価:4.0
小説「黒部の太陽」を読んで黒部第4ダムを訪れることにした。名古屋から車で約4時間、中央自動車道、長野自動車道を経由し「安曇野IC」より約1時間、扇沢駐車場で車を置いて、関電トンネルバスで16分で到着した。富山県側からは「立山駅」からケーブルカー等の乗り物を乗り継ぎ「黒部湖駅」、約3時間30分かかる。
「黒部第4ダム」は大自然の中、難工事を乗り越えて昭和38年に完成した高さ186m、長さ492m、最大発電量335メガワットの日本最大のアーチ式ドーム越流型ダムで間近にみるダム本体は迫力十分。毎秒10t以上の水を吹き出す観光放水は迫力満点で、期間は6月下旬~10月中旬。関電トンネルの難工事の詳細は小説「黒部の太陽」に描かれている。関西地区の電力不足に貢献したという。- 旅行時期
- 2021年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2021年09月24日
総合評価:3.5
黒部第4ダムを訪れた。トロリーバスでの運行は2018年が最終年。2019年より新たにリチウム電池を積んだ電気バスが走り始めた。国立公園の環境保護を考慮したクリーンな乗り物、2021年9月23日現在、料金は往復2610円、約30分毎に3台が編成を組んで走行している。
「黒部の太陽」で名高い関電トンネルを走る電気バスで、黒部ダムと扇沢を16分で結びアルプス直下を走る。すべてトンネル内で、景色は全く見ることができない。破砕帯から多量の地下水が湧き出し工事が難航した箇所は、破砕帯という掲示で表示されている。- 旅行時期
- 2021年09月
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 乗り場へのアクセス:
- 3.5
- 車窓:
- 2.5
-
投稿日 2021年09月24日
総合評価:4.0
「奥の細道」巡りを続けており、倶利伽羅県定公園を訪れた。ここは芭蕉の句碑、源義仲軍と平維盛軍の古戦場、俱利伽羅峠不動寺など見どころが豊富だ。北陸自動車道の小矢部ICから車で10分の距離にある。
倶利伽羅古戦場の「火牛の像」が見どころ、この戦法により、平家の軍勢は地獄谷へと転げ落ち、義仲は勝利し上洛、「朝日将軍」と呼ばれた。その後の義仲の哀れな最期を知る我々には、芭蕉ならずとも感傷的になってしまう場所だ。倶利迦羅不動寺への道は狭く、わかりにく。ナビを最大にしてゆっくり走ることをお勧めする。- 旅行時期
- 2021年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 景観:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
-
インドの高僧善無畏三蔵法師が開祖、弘法大師も訪れた由緒ある寺
投稿日 2021年09月24日
総合評価:4.0
「奥の細道」巡りを続けている。芭蕉は高岡を発って俱利伽羅峠を越えて金沢に向かう。倶利伽羅峠は源義仲軍と平維盛軍との合戦のあったところ、俱利伽羅峠不動寺はここから車で10分の距離にある。
案内によれば、倶利迦羅不動寺の創建は718年、元正天皇の勅願により中国から渡来したインドの高僧、善無畏三蔵法師が倶利迦羅不動明王像を奉安したのが始まりと伝えられてる。また、それから約100年後の812年に、弘法大師が諸国を巡る途中で不動明王を拝まれ、自ら本尊と同体の不動尊像を彫り、御前立の不動尊として安置されたという。高台にあり周囲の眺めも良く、見どころも多く、ゆっくり散策することをお勧めしたい。- 旅行時期
- 2021年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2021年09月24日
総合評価:4.0
「奥の細道」巡りを続けている。芭蕉は高岡を発って俱利伽羅峠を越えて金沢に向かう。倶利伽羅峠は源義仲軍と平維盛軍との合戦のあったところ、芭蕉はここに立ち寄って「義仲の 寝覚めの山か 月かなし」を詠んだ。物悲しい句だ。
倶利伽羅峠の戦いとは1183年、越中・加賀国の国境で、源義仲軍と平維盛軍との合戦。治承・寿永の乱における戦いの一つ。義仲軍は4,500頭の牛の角に松明をくくりつけ平家の陣へ追い入れる、いわゆる義仲の「火牛の計」が展開された所といわれる(真偽のほどは定かではないそうだ)。この戦法により、平家の軍勢は地獄谷へと転げ落ち、義仲は勝利し上洛、「朝日将軍」と呼ばれた。その後の義仲の哀れな最期を知る我々には、芭蕉ならずとも感傷的になってしまう場所だ。- 旅行時期
- 2021年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2021年09月23日
総合評価:3.5
「奥の細道」巡りを続けているが、「むざんやな 甲の下の きりぎりす」を詠んだ多太神社に先立って安宅の関址に立ち寄った。関址は安宅住吉神社の境内にあり参拝した。
安宅住吉大明神として782年に創建された由緒ある神社、1647年に現在の二堂山に落ち着いた。海陸の北陸道の要所にあり、旅人の崇敬を集めたという。境内の奥には勧進帳で知られる安宅の関があり、奥州平泉へと逃れる途中、弁慶の機転により義経は難を逃れた。このことから難関突破に霊験あらたかであるとか。- 旅行時期
- 2021年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5