源平倶利伽羅古戦場
名所・史跡
3.30
源平倶利伽羅古戦場 クチコミ・アクセス・周辺情報
羽咋・千里浜・津幡 観光 満足度ランキング 8位
クチコミ・評判
1~11件(全11件中)
-
木曽義仲の「火牛の計」が展開された古戦場
- 4.0
- 旅行時期:2021/09(約4年前)
- 1
「奥の細道」巡りを続けている。芭蕉は高岡を発って俱利伽羅峠を越えて金沢に向かう。倶利伽羅峠は源義仲軍と平維盛... 続きを読む軍との合戦のあったところ、芭蕉はここに立ち寄って「義仲の 寝覚めの山か 月かなし」を詠んだ。物悲しい句だ。
倶利伽羅峠の戦いとは1183年、越中・加賀国の国境で、源義仲軍と平維盛軍との合戦。治承・寿永の乱における戦いの一つ。義仲軍は4,500頭の牛の角に松明をくくりつけ平家の陣へ追い入れる、いわゆる義仲の「火牛の計」が展開された所といわれる(真偽のほどは定かではないそうだ)。この戦法により、平家の軍勢は地獄谷へと転げ落ち、義仲は勝利し上洛、「朝日将軍」と呼ばれた。その後の義仲の哀れな最期を知る我々には、芭蕉ならずとも感傷的になってしまう場所だ。 閉じる投稿日:2021/09/24
-
角に松明を付けた牛のモニュメント
- 4.5
- 旅行時期:2020/08(約5年前)
- 2
源平倶利伽羅古戦場は、カーナビでうまく出なかったので、倶利迦羅不動寺で道を尋ねて行きました。
ここは、寿永2年(1183... 続きを読む年)、源氏と平家が興亡の明暗を分けた倶利伽羅源平合戦の舞台となったところ。平維盛率いる木曽義仲追討軍は10万余騎。うち、7万余騎の軍勢が倶利伽羅山中の猿ヶ馬場に本陣を敷いて、源氏軍を待ち構えていましたが、これを火牛の計の奇襲で打ち破り、平家軍は壊滅する。ちなみに、倶利伽羅源平合戦は5月ですが、7月にはもう平家の都落ち。いかに決定的な戦いであったかが分かると思います。
古戦場には、角に松明を付けた牛のモニュメント。ちょっと傷んではいますが、火牛の計の勢いをよく表していると思います。
閉じる投稿日:2021/01/07
-
古戦場の八重桜は見ごろでした。
- 4.0
- 旅行時期:2017/04(約9年前)
- 8
-
-
歴史好きにはオススメの場所
- 4.0
- 旅行時期:2016/12(約9年前)
- 0
-
ここが火牛攻めで有名な倶利伽羅峠
- 4.0
- 旅行時期:2016/12(約9年前)
- 0
-
倶利伽羅古戦場
- 4.0
- 旅行時期:2015/10(約10年前)
- 0
-
主要な史跡は富山県に
- 1.0
- 旅行時期:2015/08(約10年前)
- 0
-
-
石川県側には何もない?
- 1.0
- 旅行時期:2015/08(約10年前)
- 0
-
源平の古合戦場
- 4.0
- 旅行時期:2015/05(約11年前)
- 6
-
平家物語の有名な場面
- 4.0
- 旅行時期:2015/05(約11年前)
- 0
ルート:石動駅→埴生口→「歴史国道いにしえ街道」ルート(徒歩)
木曽義仲軍と平家軍の戦いで有名な倶利伽羅峠。義仲は馬... 続きを読むに火をつけて放ち、逃げる平家軍は谷底に堕ちて…の場所です。
ちょうど富山と石川の県境に位置する砺波山にあり、駅から徒歩の場合にはなかなか一苦労な場所です(笑)
古戦場跡は休憩地点というか一応観光スポットのようになっていて、義仲や倶利伽羅峠の戦に関する数種類の音声ガイドが流れていますが、特に売店や飲食店などはなかったと思います。
車の方が多いかと思いますが、私は石動駅方面からの歴史国道を歩いて周りました。登山というほどではないですが、ハイキングのイメージで行ったほうがいいですね。駅などでパンフレットをぜひもらってください(観光協会HPにもあります)。
山の中を歩き続けると、よくもまぁこんなところで火牛数百匹を使って戦ったものだ、と驚きます。そういう「野戦の天才」がその後、都で歩む道のりに思いを馳せるものまた、歴史散策の面白みだったりもします。 閉じる投稿日:2015/05/18
-
石川県と富山県境にある倶利伽羅古戦場
- 3.5
- 旅行時期:2014/04(約12年前)
- 0
1件目~11件目を表示(全11件中)
投稿写真
基本情報(地図・住所・アクセス)
このスポットに関するQ&A(0件)
源平倶利伽羅古戦場について質問してみよう!
羽咋・千里浜・津幡に行ったことがあるトラベラーのみなさんに、いっせいに質問できます。
-
ハンクさん
-
たびたびさん
-
mikuwankoさん
-
rupannさん
-
wisteriaさん
-
ジェラードさん
- …他