ハンクさんのクチコミ(17ページ)全785件
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- 基本情報
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猿田彦神は天孫降臨の時に道案内を勤め、家業繁栄、交通安全などに信仰が厚い
投稿日 2021年02月28日
総合評価:3.5
コロナ禍の中、延期していたお伊勢参りの初詣に出かけた。しきたり通り外宮から内宮参りを終えて五十鈴川駅に向かう途中、猿田彦神社を参拝した。
猿田彦神社の祭神はもちろん猿田彦大神、日本神話によれば、猿田彦神は天孫降臨の時に道案内を勤め、その後伊勢の五十鈴川の川上に鎮まった。その子孫をおまつりしていて「みちひらきの神」として家業繁栄、交通安全などに信仰が厚いという。
境内は広くはないが、面白いことに本殿の向かい側に佐瑠女(さるめ)神社に建てられている。芸能の神として信仰されているという。- 旅行時期
- 2021年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
-
日本の神々の主神、天照大御神を祭神とし、ご神体は三種の神器の一つ八咫の鏡
投稿日 2021年02月27日
総合評価:5.0
久々に遅い初詣にお伊勢さんを訪れた。お伊勢参りのしきたり通り、まず外宮を参って、それから内宮を参拝した。外宮から内宮へは直通バスが便利で頻発されている。内宮は日本の神々の主神、天照大御神を祭神とし、ご神体は三種の神器の一つ八咫の鏡。内宮の入口である宇治橋を渡り、玉砂利を敷き詰めた長い参道を進むと、そこは神域となる。五十鈴川の清流は今も昔も変わらない。「心のふるさと」と称される日本の原風景である。
- 旅行時期
- 2021年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2021年02月27日
総合評価:5.0
久々に遅い初詣にお伊勢さんを訪れた。最寄り駅は近鉄およびJR伊勢市駅である。お伊勢参りのしきたりとして、まず外宮を参って、それから内宮を参拝しなくてはならない。外宮の祭神は豊受大御神である。内宮の天照大御神のお食事を司る御饌都神であり、衣食住、産業を守護する。高倉山麓の広大な神苑には杉の大木があり、神聖な雰囲気が漂う。2012年4月にまがたま池池畔に、式年遷宮記念せんぐう館が建設された。
- 旅行時期
- 2021年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2021年02月07日
-
飯坂温泉の玄関口で福島交通飯坂線の終点駅、駅前には芭蕉の像がある
投稿日 2021年02月06日
-
さらりとした湯質で、露天風呂はひやりとした外気の中で43℃の湯は最適な湯加減
投稿日 2021年02月06日
総合評価:4.0
福島滞在中の週末、飯坂温泉に出掛け伊勢屋に宿泊した。飛び込みでも気軽に泊まることができた。和室はゆったりとして広さは十分。お目当ての温泉は内湯と露天風呂が繋がっており、43℃の湯は始めは暑く感じるが、一旦湯につかれば最適な湯加減だ。露天風呂はひやりとした外気が気持ちよく、さらりとした湯質で湯上りはしばらくポカポカと暖かい。コロナ禍のなかで客の減少は深刻のようであるが、何とか持ちこたえて欲しいものだ。
- 旅行時期
- 2021年02月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- 客室:
- 4.0
- 接客対応:
- 4.0
- 風呂:
- 4.5
- 食事・ドリンク:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
-
義経の側臣佐藤兄弟の菩提寺医王寺、芭蕉の「笈も太刀も 五月に飾れ 紙のぼり」の句碑がある
投稿日 2021年02月06日
総合評価:4.0
福島滞在中の週末、飯坂温泉に向かう途中、源義経の側臣として忠義をつくした佐藤継信・忠信兄弟の菩提寺として名高い医王寺を訪れた。最寄り駅は飯坂線の医王寺前駅。
寺の解説によれば826年に空海により開山、その後佐藤基治の中興を経て、寛永期に福島真浄院の快翁が重興した。境内には、平安時代末期の武士で奥州藤原氏の姻族・佐藤基治とその子佐藤継信と佐藤忠信の墓とされる板碑が残されている。
奥の細道の途中に武蔵坊弁慶が寄進した笈(おい)を見た松尾芭蕉が、「笈も太刀も 五月に飾れ 紙幟(のぼり)」という句を詠んでおり、寺の一角に句碑がある。- 旅行時期
- 2021年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
春日部市の最勝院、鎌倉時代後期から南北朝時代の武将春日部重行公が祀られている
投稿日 2021年01月16日
-
東八幡神社は鎌倉時代の1330年頃に鶴岡八幡宮を模して造営された
投稿日 2021年01月16日
総合評価:3.0
芭蕉が宿泊したと伝わる東陽寺を訪れた後、すぐ向かい側にある東八幡神社を参拝した。最寄り駅は東武線春日部駅で徒歩10分の距離だ。鎌倉時代の1330年頃に鶴岡八幡宮を模してこの八幡神社を造営したと言われ、時代的には芭蕉も立ち寄ったのかもしれない。
境内には樹齢600年と言われる大ケヤキが御神木となっている。境内は広くはないが、本殿は立派な造りであり社務所が隣接して建っている。本殿の裏には松の樹稲荷大明神、川久保雷電神社、弁天社、豊玉稲荷大明神、大国玉神社・大杉神社・浅間神社などが並んでいる。- 旅行時期
- 2021年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
春日部市の東陽寺、おくのほそ道の旅の途中芭蕉が宿泊したと伝えられる
投稿日 2021年01月16日
総合評価:2.5
「おくのほそ道」ゆかりの地を訪ね歩いており、1689年の3月27日に宿泊したいわれている春日部市の東陽寺を訪れた。最寄り駅は東武線春日部駅で徒歩約10分の所にある。
しかし実際に宿泊したかどうか確たる記録があるわけではなく、芭蕉に随行した弟子曽良が「廿七日夜カスカヘニ泊ル」と記しているところから、東陽寺がその可能性があるというだけだ。しかし、330年も昔の3月、俳聖がこの地を歩んでいたかもしれない、と想像するだけでもワクワクさせられる。
東陽寺の境内はさほど広くなく、本堂はコンクリート造り、階段の横には芭蕉が「奥の細道」の旅で、粕壁宿に宿泊したという記念碑がある。寺は1469年頃春日部八幡神社の東隣に開山したが1624年に焼失、1662年に当地に移った。- 旅行時期
- 2021年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 2.5
-
投稿日 2021年01月13日
総合評価:2.5
福島出張時にエクスペディアで予約して宿泊した。福島駅東口から徒歩5分で立地は悪くない。しかし何故かエクスペディアの予約番号がホテルで確認できず15分ほど無駄な時間を費やした。室内は標準的なビジネスホテル、コストパフォーマンスは高い。レストランが近くにないのが欠点だ。
- 旅行時期
- 2021年01月
- 利用目的
- ビジネス
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 客室:
- 4.0
- 接客対応:
- 3.0
- 風呂:
- 3.0
- 食事・ドリンク:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.5
-
末森城主であった織田信長の弟信行が父・信秀の菩提を弔うために建立した
投稿日 2021年01月04日
総合評価:4.0
本山周辺をジョギング中に桃巌寺に立ち寄った。最寄り駅は名古屋市営地下鉄東山線の本山駅、徒歩5分の距離、住宅街に緑濃い地に建てられている。
桃巌寺は曹洞宗の寺院、開基は戦国時代、末森城主であった織田信行が父・信秀の菩提を弔うために建立した。桃巌寺という名前は信秀の法名「桃巌道見大禅定門」にちなんだもの。1712年頃に現在地に移された。ご本尊は恵心僧都作とされる聖観世音菩薩像。信秀所有と伝えられる十五童子像を守護神として祀る。
階段を少々下ると緑色が鮮やかな本尊10m、台座高さ5mと全長15mの名古屋大仏が目に入る。
青銅製で、本尊は仏師・長田晴山が制作、10頭の象が本尊を支える形となっている。- 旅行時期
- 2021年01月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
1548年織田信長の父信秀が築城、現在は城山神社として参拝者が多く訪れる
投稿日 2021年01月04日
総合評価:4.0
初詣に城山神社を訪れた。現在は城山神社として参拝者が多く訪れるが、この地は1548年織田信長の父信秀が築城した末森城の跡地である。松平氏や今川氏などの侵攻に備えて、実弟織田信光が守る守山城と合わせて東方防御線として築城、信秀はこれまでの居城であった古渡城から末森城に移った。
1552年に信秀は死去、信勝(信長の実弟)が後を継いだ。1556年、信勝は兄信長に叛旗を翻すが破れ、信勝は末森城に籠城し抵抗した。このとき末森城内にいた母・土田御前の介入で、信勝は赦免された。後に、小牧・長久手の戦いに際して、織田信雄が再び末森城を使用したという。- 旅行時期
- 2021年01月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2021年01月04日
総合評価:3.5
灯台下暗し、で地元にある日泰寺についてはほとんど知らなかった。今回城山神社に初詣に参拝したあと、立ち寄った。最寄り駅は名古屋市営地下鉄東山線の覚王山駅で徒歩10分ほどの距離にある。
日泰寺は明治37年、タイ王国から寄贈された仏舎利を安置するために創建された超宗派の寺院。境内は広大で、本堂ほか五重塔や楼門、少し離れた場所には巨大な納骨堂も備える大寺院。仏教徒にとって最も価値のある真の仏舎利を奉安している日本で唯一の超宗派寺院。現在は桜やツツジのお花見や観月の名所として親しまれている。毎月21日は弘法縁日で賑わう。- 旅行時期
- 2021年01月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
投稿日 2021年01月04日
総合評価:4.0
初詣のため、昔から馴染み深い八事山興正寺を久々に訪れた。かつては初詣の後に除夜の鐘をつかせてもらったものだが、コロナ禍のため今回は中止されていた。名古屋には珍しく五重の塔を擁する由緒ある寺院であり、年配の名古屋市民には「ぽっくりさん」として親しまれている。
高野山において弘法大師の五鈷杵を授かった天瑞圓照により1686年に建立された。1688年尾張藩二代目藩主徳川光友の帰依を受け、尾張徳川家の祈願寺として繁栄し「尾張高野」とも称される。その名のごとく境内は広大で、奥の院まで備えた高野山真言宗の別格本山である。- 旅行時期
- 2021年01月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.5
-
名古屋の下町を代表する観音、コロナ禍のためか初詣の人出は少ない
投稿日 2021年01月03日
総合評価:3.5
コロナ禍の中、人混みを避けて初詣のため参拝した。人出は少なかったが、本殿参拝は人数制限がされて行列ができていた。真っ赤な本殿が象徴的で、名古屋の下町を代表する観音様である。
公称は「宝生院」だが、名古屋市民には「大須観音」で通っている。1612年に徳川家康の命令で大須郷から現在地に移転、1815年には五重塔が建立され、空海が彫った愛染明王像が五重塔内に安置された。1892年に失火により本堂、五重塔と仁王門が焼失、その後本堂と仁王門は再建された。1945年の名古屋大空襲で惜しくも焼失。1949年に仮の本堂と仁王門が建てられ、1970年に現在の本殿が鉄筋コンクリートで再建された。- 旅行時期
- 2021年01月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
-
綾瀬川沿いの松並木を遊歩道化した公園で、芭蕉が奥の細道の旅で立ち寄っている
投稿日 2020年12月27日
総合評価:3.5
奥の細道のゆかりの地を散策しており、芭蕉が立ち寄った埼玉県草加市の札場河岸公園を訪れた。綾瀬川沿いの約1.5kmある松並木を遊歩道化した公園で、芭蕉像と門人の曽良像が立てられている。最寄り駅は東武線草加駅で、日光街道を約10分歩いたところにある。
舟運の河岸場の面影を再現しており、五角形の望楼、休憩所、東屋などが立てられている。また草加市の観光インフォメーションセンターが設置され、奥の細道や草加に関わる歴史や文芸を紹介している。- 旅行時期
- 2020年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
-
福島駅西口の直近、室内は福島駅周辺の中では恐らくもっとも広く快適
投稿日 2020年12月22日
総合評価:3.5
福島出張で滞在、エクスペディアで予約し3泊した。福島駅西口(新幹線側)から徒歩5分、立地は最高である。室内は福島駅周辺の中では恐らくもっとも広く、バス、トイレも清潔で広さも十分である。テレビは大画面で、冷蔵庫、湯沸しポットもついている。アメニティも上質で申し分はない。なお感染防止のため、朝食のバイキングは中止されている。
- 旅行時期
- 2020年12月
- 利用目的
- ビジネス
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 7,500円未満
- アクセス:
- 4.5
- コストパフォーマンス:
- 3.5
- 客室:
- 4.0
- 接客対応:
- 4.0
- 風呂:
- 3.0
- 食事・ドリンク:
- 3.0
- バリアフリー:
- 4.0
-
芭蕉が一時期住んだ深川草庵にほど近い芭蕉記念館、芭蕉遺愛の石の蛙が興味深い
投稿日 2020年12月20日
総合評価:4.0
江東区の芭蕉のゆかりの地を散策した。まず芭蕉記念館を訪れ、芭蕉の生涯について知識を得た。都営大江戸線および半蔵門線の森下駅が最寄り駅で徒歩5分。芭蕉は1680年頃江戸日本橋から深川の草案に移り住み、新しい俳諧活動を開始した。
記念館内には展示室、図書室があり、展示室では写真やパネルによる解説があり、また陶製の芭蕉像や「芭蕉遺愛の石の蛙」などが興味深い。図書室には芭蕉研究に関する書や紀行文、芭蕉全集、俳諧史など約7000冊を蔵書している。
芭蕉記念館の外には小振りだが趣ある日本庭園があり、当時の芭蕉庵を模した茅葺き屋根のほこらや芭蕉の句碑がある。- 旅行時期
- 2020年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 展示内容:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.0
-
1624年雄誉霊巌上人の開山、江戸六地蔵の5番目の銅造地蔵菩薩坐像が鎮座
投稿日 2020年12月20日
総合評価:3.5
江東区の芭蕉資料館、清澄庭園、採茶庵跡など芭蕉ゆかりの地を散策した後、霊巌寺に立ち寄った。都営大江戸線および半蔵門線の清澄白川駅が最寄り駅で徒歩5分。
解説によれば、1624年に雄誉霊巌上人の開山により、日本橋付近の芦原を埋め立てた霊巌島に創建された。1657年、江戸の大半を焼失した明暦の大火により霊巌寺も延焼。境内や周辺で1万人近くの避難民が犠牲になったという。1658年に現在地に移転した。
霊巌寺には、11代将軍徳川家斉のもとで老中首座として寛政の改革を行った松平定信の墓をはじめ、今治藩主松平家や膳所藩主本多家など大名の墓が多く存在する。また、境内には1717年に造られた、江戸六地蔵の5番目の銅造地蔵菩薩坐像が鎮座する。- 旅行時期
- 2020年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5





































































































































