ハンクさんのクチコミ(24ページ)全785件
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日本100名城の和歌山城、紀州徳川家の居城、天守は1958年に鉄筋コンクリートで再建
投稿日 2017年06月27日
総合評価:3.0
御三家の一つ紀州藩の拠点和歌山城を初めて訪れた。八代将軍吉宗を輩出した紀州徳川家、和歌山城の天守閣は1619年に建造されたが、尾張藩名古屋城と同じく惜しくも戦災で焼失、現在の天守閣は1958年に鉄筋コンクリートで再建されたもの。外観はそのままであるが、内部は例に漏れずエレベーターと空調付きのビル、味気ないことは予想通り。内装など一工夫してもらいたいものだ。
西の丸庭園は紅葉で名高いが、梅雨時の今は新緑の盛り、季節柄アジサイの花が満開だ。- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 2.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 2.5
-
日本100名城の水戸城、現存するのは薬医門のみ、杉山門、大手門が近年再建され二の丸角櫓は工事中
投稿日 2020年03月08日
総合評価:3.5
コロナウィルス旋風が吹き荒れる中、日本100名城の水戸城跡を訪れた。当初の目的は、梅の盛りの梅祭りであったが、3月に入ってイベントはほぼすべて中止。それでも偕楽園と弘道館、水戸城址を訪れることはできた。アクセスはJR水戸駅から徒歩10分、ただし偕楽園駅は臨時駅で、しかも下り側にしかホームがないので東京から来るときは偕楽園駅で下車し偕楽園を先に訪れた方が良い。
水戸家はもちろん徳川御三家の一つ、鎌倉時代に馬場氏が築き、佐竹氏が拡大、江戸の世になって徳川頼房が改修を行った。しかし天守や石垣は築かれず、深い堀のみが築かれた。天守に代わる御三階櫓は外見は3層5階、1764年に焼失し1766年に再建されたが、惜しくも戦災により焼失、写真は残っている。現在の城跡には幼稚園、小、中、高校が建てられ、あまり城跡の雰囲気ではない。唯一現存する薬医門は高校の入り口に移設されている。平成に入ってから水戸市が復元に取り組んでおり、2015年には杉山門が、大手門が2020年2月4日に復元、更に二の丸角櫓などの整備工事が進んでいる。数年後には城跡らしくなっていることを望みたい。- 旅行時期
- 2020年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
-
日本100名城の川越城、本丸御殿の一部が現存するが江戸以降の城は戦国時代の迫力がない
投稿日 2020年03月08日
総合評価:3.5
日本100名城の川越城を訪れた。江戸時代の城下町の風情を残す町並みは「小江戸」と呼ばれ見どころは多い。町のシンボル「時の鐘」、氷川神社、喜多院と五百羅漢などはすでに訪れていたが、今回の目的地川越城は初めてである。
川越城の歴史は他の戦国時代の城よりも古く、1457年に扇谷上杉氏が太田道灌に命じて築城させた。関ヶ原合戦で勝利して江戸に幕府を開いた家康は、江戸の背後に立地するこの城を重要視し、自らの管理下に置いた。1650年頃、松平信綱は城の大改修と城下町を拡大、整備した。もともと天守はなく、富士見櫓が天守の代わりをしていたらしい。明治に入って堀は埋められ、廃城令などでほとんどの建屋は失われ、1848年に建られた本丸御殿の玄関、広間、家老詰所が現存するのみ。江戸に入ってからの城は戦国時代の迫力が感じられない。- 旅行時期
- 2017年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.0
-
日本100名城の二条城、本丸御殿は修復中だが二の丸御殿、唐門の豪華絢爛な装飾に感嘆させられる
投稿日 2020年03月07日
総合評価:5.0
日本100名城の二条城を訪れた。二条城はこれまでも何度も訪れているが、天守がなく城だとは思っていなかった。江戸の時代になって天守はすでに不要で、本丸と二の丸の二つの御殿で機能的には十分だったのだ。幸い戦災や火災の被害はなく、建設当時の姿をとどめている。忘れてはならないのは、徳川幕府はここで開府し、また大政奉還もここで行われた。
現在本丸御殿は2021年まで修復中とのこと,二の丸御殿は昭和時代に大規模修復を終え公開されている。豪華絢爛な御殿は何度見ても感嘆させられる。最近名古屋城の本丸御殿の再建が完成したが、この両方を見比べると面白い。また唐門は2013年に修復を終えており、東照宮の陽明門を思い出させる。- 旅行時期
- 2018年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 5.0
-
日本100名城の高岡城、正確に言うと城跡、古城公園となっていて、石垣と堀が残るのみ
投稿日 2020年03月07日
総合評価:3.5
日本100名城の高岡城を訪れた。正確に言うと城跡、ここは古城公園となっていて、石垣と堀が残るのみである。アクセスは高岡駅から徒歩で約15分、途中1933年に開眼供養が行われた高岡大仏に立ち寄って、さらに5分ほど歩くと到着する。
城の基礎は1609年前田利長が高山右近に命じて築城を開始、しかし早くも大阪夏の陣の後未完成のまま廃城となった。現存するのは水堀と曲輪のみである。100名城巡りというよりは古城公園を散策する、という目的で来るべきであろう。公園は広く、花や紅葉の時期であれば印象は全く違うものになっただろう。- 旅行時期
- 2017年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
日本100名城の小田原城、戦国の雄北条氏の居城、豊臣秀吉の小田原攻めの舞台となった名城
投稿日 2020年03月07日
総合評価:3.5
日本100名城の小田原城を初めて訪れた。小田原はいつも素通りでいつも白い城壁が気にはなっていた。小田原城といえば北条早雲、もともと大森氏が築いた山城を北条早雲が攻め北条氏の居城とした。不運にも豊臣秀吉の小田原攻めで北条氏は滅ぼされ、徳川氏の家臣大久保忠世が領有、その後稲葉氏が近世城郭に改造した。
江戸時代に2度の大地震が発生、大被害を受け天守も倒壊した。天守は1706年に再建されたが、惜しくも明治時代になって解体された。時を経て天守は1960年に鉄筋コンクリートで再建され、その後常盤木門、銅門、隅櫓などが再建されている。この時代の流れでやむを得ないとしても、内装に一工夫を加えてほしい。天守は博物館として機能しており、この日もアメリカから観光客の団体が訪れ、楽しそうに展示物を眺めていた。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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日本100名城の犬山城、木曽川に面して築かれた「白帝城」は美しい、を超えて神々しいと感ずるほど
投稿日 2020年03月06日
総合評価:5.0
日本100名城の犬山城を訪れた。すでに何度も外国人を案内するなどして訪れているが、改めて撮影しながらこの城を見ると新しい発見に驚かされる。アクセスは名鉄犬山線犬山遊園駅から徒歩15分ほどだ。木曽川に面して築かれた「白帝城」は美しい、を超えて神々しいと感じるほどだ。
戦国時代に織田信長の叔父信康によって尾張と美濃の国境である木曽川河畔に築城された。現存12天守の一つで国宝でもある。華麗な外観であるが、天守の内部はやはり戦国の世の城、黒ずんだ柱や梁、急な階段の持つ迫力を目の当たりにする。天守閣の最上階からは木曽川と城下町を一望でき、防衛目的としても秀逸であろう。戦災を免れ現存していることに感謝するしかない。- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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日本100名城の佐賀城、天守閣などは現存しないが、本丸御殿は忠実に復元され見ごたえがある
投稿日 2020年03月06日
総合評価:3.5
日本100名城の佐賀城を訪れた。アクセスはJR佐賀駅から市営バスで約10分。石垣を目印に歩けば迷うことはない。
1600年頃、鍋島氏がこの地に築城を開始、1602年に本丸・台所、翌年に周囲を堀で囲んで典型的な平城とした。さらに4重5階の天守、本丸、二の丸、三の丸、西の丸が建てられたそうだが、残念ながら火災によりすべて焼失、当時の多くの建物が林立していた姿は想像力を働かせるしかない。
天守閣は再建されておらず、天守台、鯱の門、堀、石垣が現存し、本丸御殿は2004年に天保期の御殿を忠実に再建し、佐賀県本丸歴史観として公開されており往時の建築を知るうえで見ごたえがある。巨大な城ではないので、ぜひ天守の木造での再建を望みたい。- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
日本100名城の岡山城、独特の望楼型で外壁は黒漆塗り、金箔も使われた類まれな名城
投稿日 2020年03月06日
総合評価:4.5
庭園の花を撮影するため岡山市の後楽園に出かけた。ついでに岡山城にも立ち寄って「日本100名城に行こう」という1冊の本を購入したのが運の尽き、その後「道祖神の招きにあひて」日本中の100名城を巡らずにはいられなくなってしまった。岡山城は記念すべき1ヵ所目である。
関ヶ原合戦の直前、宇喜多秀家が築城し1597年に完成。望楼型と呼ばれる独特で他にあまり例を見ない。外壁は黒漆塗りで別名「烏城」、秀吉の影響か金箔まで使われている天守閣だ。残念ながら戦災で焼失し、1966年に鉄筋コンクリート造りで再建され博物館として機能している。それにしても戦争により多くの貴重な名城が焼失したことは今更ながら口惜しいことだ。- 旅行時期
- 2017年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.5
-
日本100名城の平戸城(長崎県)、3層5階の天守閣は1962年に再建された鉄筋コンクリート造り
投稿日 2020年03月05日
総合評価:4.0
日本100名城の平戸城を訪れた。車で九州を一周して最後にたどり着いた。正確には平戸橋にあり、音戸瀬戸にかかる赤い吊り橋(ミニゴールデンゲートブリッジ?)音戸大橋を渡って到着した。アクセスは西浦鉄道たびら平戸口から平戸行きに乗って約10分とあるが、車で訪れた方が都合はよいだろう。
元禄の時代に入った1703年、松浦氏によって築城が開始され、明治の廃藩置県で廃城となった。現在の3層5階の天守閣は1962年に再建、鉄筋コンクリート造りはやむを得ないとしても、内装は工夫がなく少々物足りない。また3つの櫓もほぼ同時に再建されている。天守閣からの眺めは素晴らしく、直下に見奏櫓を、かなたには音戸瀬戸に浮かぶ島々、また赤い音戸大橋も鮮やかに見える。- 旅行時期
- 2018年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
日本100名城の島原城(長崎県)、天守閣は5重5階の巨城で、名古屋城と匹敵する規模
投稿日 2020年03月05日
総合評価:4.0
日本100名城の62ヵ所目に長崎県島原城を訪れた。天守閣は5重5階の巨城で、名古屋城と匹敵する規模であると聞き驚かされた。周りにさえぎるものも少なく遠くからもよく見える。アクセスは島原鉄道の島原駅から徒歩10分以内、私は車で熊本県側からフェリーで有明海を渡って島原港から走った。
1618年キリシタンの弾圧で知られる松倉重政が築城、島原の乱の原因となり所領没収をされた。その後高力氏、松平氏が城主となった。1964年に天守閣、巽の櫓や丑寅の櫓が復元され資料館になった。鉄筋コンクリートの再建はやむをえないと思うが、内装には木造の雰囲気を工夫するなどの配慮が欲しかった。- 旅行時期
- 2018年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.5
-
日本100名城の人吉城(熊本県)、建築物は現存しておらず、二の丸、三の丸の遺構、石垣が残るのみ
投稿日 2020年03月05日
総合評価:3.0
日本100名城の人吉城(熊本県)を訪れた。アクセスはJR人吉駅からバス等はなく、徒歩で約20分、天気が良かったので球磨川を渡って気持ちの良いウォークだった。天守は残っていないので目印になるものはないが、川沿いに作られた石垣などはすぐに目に入る。
解説によれば、球磨川と胸川を外堀に活用できるこの地に基礎が築かれたのは古く1198年、相良氏の居城となり、1589年頃に堅固な石垣と城郭が築かれたようだ。残念ながら1802年などの火災により焼失、建築物は現存しておらず、二の丸、三の丸の遺構、石垣が残るのみである。1993年から多門櫓、角櫓、長塀など復元されており往時をしのぶことはできるが、できれば主要建築物の木造による再建を望みたいところだ。- 旅行時期
- 2018年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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日本100名城の丸亀城(香川県)、現存天守は小振りながら石垣は60mを超える日本一の高さを誇る
投稿日 2020年03月04日
総合評価:4.5
日本100名城の丸亀城を訪れた。もちろん12ヵ所しかない現存天守を持つ名城である。全く知識はなかったが、この城の石垣は高さ60mを超えて日本一だそうだ。扇の勾配と呼ばれ、ゆるい曲線が特徴で、その上に木造の天守がそびえる。アクセスはJR丸亀駅から徒歩約10分。電車からもよく見えるので迷うことはない。
1597年生駒親正が高松城を本城としこの地に支城を築き、1660年に3階3層の天守が建てられ、その後山崎氏、京極氏に引き継がれ32年の歳月を要し現在の姿になった。現存する石垣の大半はこの改修の際に完成したものである。石垣の上に立つと天守は意外なほど小振りで現存天守の中では最も小さい。しかし内部は急勾配の階段、黒ずんだ柱や梁など他の現存天守に劣らない迫力をもつ。- 旅行時期
- 2018年07月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.5
-
日本100名城の高知城、天守、本丸御殿、追手門など15棟が現存している貴重な城郭
投稿日 2020年03月04日
総合評価:5.0
日本100名城の41ヵ所目に高知城を訪れた。12ヵ所しかない現存天守を有し、本丸御殿や追手門など15棟が現存している貴重な城郭で見どころが多い。アクセスはJR高知駅からは徒歩で30分ほど、路面を走るとさでん交通伊野線が便利で、高知城前停留所が最寄り駅。
高知市の中央にある標高44mの大高坂山の山頂にあるが、分類上は平山城となる。城の基礎は山内一豊によって築かれ、1603年頃本丸と二ノ丸の石垣が完成、鏡川と江ノ口川を外堀として利用していたそうだ。現在の天守は3層6階、1727年の大火で焼失したが、1749年に再建されている。幸い1873年の廃城令や、太平洋戦争による戦災を免れた。現存天守の内部は急な階段、黒ずんだ柱や梁、きしむ床など本物の迫力に満ちており、100名城の中でも指折りである。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 5.0
-
日本100名城の松山城、現存天守を有する12ヵ所の一つで、姫路城、松本城に次ぐ規模
投稿日 2020年03月03日
総合評価:5.0
日本100名城の松山城を訪れた。もちろん現存天守を有する12ヵ所の一つで、姫路城、松本城には及ばないが、それに次ぐ規模である。松山市のほぼ中央、標高132mの勝山山頂に建てられているが、分類上は平山城だそうだ。アクセスは松山駅から徒歩30分、または市電の大街道駅で降りてすぐ、ロープウェイに乗って数分で到着する。
築城は関ヶ原合戦後の1602年、完成まで25年かかっている。「現存」といっても現在の天守は1854年に再建されたもので、天守は3重3階建て、小天守、隅櫓と連結された独特の形状で、内部は急な階段や、黒ずんだ柱や梁など本物の城の迫力を持つ。大天守からは城下町を一望でき、その眺望は素晴らしい。また石垣の高さは16mもあるなど、見ごたえに満ちた名城だ。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 5.0
-
日本100名城の大洲城(愛媛県)、天守は現存ではないが、木造で再建されており見ごたえがある
投稿日 2020年03月03日
総合評価:4.0
日本100名城の38ヵ所目に愛媛県の大洲城を訪れた。アクセスはあまり良くなく、公共交通機関では最寄り駅の伊予大洲駅からバスは本数が少なく、タクシーなら10分、私は徒歩で約30分かかった。
この天守は現存ではないが、木造で再建されていることが特徴だ。1595年に藤堂高虎が入城し近代的な城郭にした。残念ながら天守閣は1888年に取り壊された。4棟の櫓は解体をまぬがれ、いずれも国の重要文化財に指定されている。2004年の大洲市市制50周年に再建された。4重4階の比較的小規模な天守閣であり、木造の再建がされたことは素晴らしい。他の城の再建事業の参考になる名城だ。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
日本100名城の宇和島城、小振りながら全国に12しかない現存天守閣を有する
投稿日 2020年03月02日
総合評価:4.5
日本100名城の37ヵ所目に愛媛県宇和島城を訪れた。公共交通機関で四国の9か所を巡ったが、宇和島はやはり遠い。しかし全国に12しかない現存天守閣を有する宇和島城は見逃せない。ちなみに現存天守の4ヵ所は四国にある。アクセスはJR宇和島駅から徒歩で約20分、更に20分ほど階段を登って3重3階の小振りな天守閣に到着する。もともと藤堂高虎が関ヶ原合戦のころに築造したが、徳川の治世になった1666年ころに建て直され、堀も石落しもなくなった。
内部はやはり現存天守の迫力を持つ。急な階段を登って3階からは海と市街が一望できる。石垣の修復が続いていた。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 4.5
-
日本100名城の今治城、城づくりの名人・藤堂高虎が築いた名城を再建
投稿日 2020年03月02日
総合評価:3.5
日本100名城の36ヵ所目に愛媛県今治城を訪れた。アクセスは今治駅からバスで約10分の今治城前下車、5層6階の少し華奢な天守閣は遠くからもよく見える。関ヶ原合戦後の1604年に城づくりの名人・藤堂高虎が築いた城、海水を引き入れた堀に海水魚が泳いでいるという。しかし江戸の世となって、家康は高虎に転封を命じこの名城は解体されたそうだ。
1980年に再建された鉄筋コンクリートの天守閣は、外観は立派であるがやはり物足りない。せめて内装に一工夫あって欲しいものだ。内部は空調のきいた博物館で、武具、甲冑、刀剣など2,500点が展示されている。2004年に築城・開城400年を記念して高虎公の銅像が建立され、2007年には鉄御門が再建されている。- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2018年06月10日
総合評価:3.0
日本100名城の42ヶ所目として高松城を訪れた。ターミナル形式の高松駅を降りてすぐ、フェリー乗り場や香川県民ホール、香川県歴史博物館、西日本放送などと隣接する。高松市立玉藻公園入り口で200円を払って入場する。天守閣は残っておらず、重要文化財の月見櫓、艮櫓、水手御門、渡櫓が現存している。2013年に天守台の修復工事が完了しており、天守閣の再建計画があると言う。四国には丸亀城、松山城、宇和島城、高知城と天守閣が現存しており、原形に忠実な再建計画が望まれる。
- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.0
-
日本100名城の徳島城、蜂須賀正勝の居城、当時の建物はなく、石垣、礎石が残っているだけ
投稿日 2018年07月01日
総合評価:3.0
日本100名城のうち45ヶ所目に訪れた。徳島駅の裏手にあり、東側にある歩道橋を渡って徒歩5分のところにある。豊臣秀吉の四国征伐に戦功をあげた蜂須賀正勝は阿波一国を与えられ、1585年に嗣子家政が大規模な平山城を起工し翌年に完成した。名城といっても当時の建物はなく、石垣、礎石が残っているだけで、徳島城博物館にその模型の展示がある。撮影不可のため掲載することは叶わない。一帯は徳島公園として市民に開放されている。天守跡は急な階段を10分ほど登った小山の上にあり、蒸し暑い日だったためかなり体力を消耗した。
- 旅行時期
- 2018年07月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
























































































































































