SUR SHANGHAIさんへのコメント一覧(105ページ)全1,463件
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はじめまして!憧れの旅です。
こんにちは。タスマニアの母子3人旅のkindyukoです。
初心者の私の旅行記にも訪問してくださってありがとうございました。このサイトを知ってまだ1週間で、記憶が薄れないうちに自分の旅行記完成させるのに精一杯なのですが、こうやって訪問してくださった方の旅行記をちょくちょく訪問させていただいてます。
SUR SAHANGHAIさんの旅行記には圧倒されました!!ブログの域を超えていて、引き込まれていきました。シルクロードは若い頃からの憧れで、死ぬまでには行きたい!!と思いながらも、心の底で無理だろうな・・・と諦めていました。けれど、SUR SHANGHAIさんの旅行記を見て、やっぱりいつかは行きた〜い!!体力つけて中国語も勉強しなくちゃ!!
SUR SHANGHAIさん、女性の方ですよね?その行動力に私も元気が出てきました。ありがとうございます!時々訪問してまた元気をもらいたいと思います。
RE: はじめまして!憧れの旅です。
はい、私は女です、一応。(^○^)
体力・気力・冒険心のあるうちに、と思ってあちこち行ってみています。
シルクロード方面も中国語が出来ればベターですが、英語一本槍で通している外国人旅行者も多いですよ。
中国の奥地ではトイレとか、慣れていない人はギョッとすることも多いですがお勧め、です。機会があったらぜひどうぞ。(^_^)v2006年01月21日13時02分 返信する -
トゥールスレンは
もともとリセ(女子高校)です。教育を否定したポルポトが政治犯の収容所にに使っていたんですね。
長くなりますがアメリカ傀儡のロンノル政権を倒すため、ポルポトが援助を求めたのは中国でした。ベトナムやタイは国境を接しているため見返りを要求される、また援助を口実に侵略されると考えたようです。
毛沢東に伝授された共産主義の理想は農業生産による自給自足。盲目的な従順さで従うのは無教育な民と信じ込まされ実行したわけです。文字が読めるだけで(いらない知識を得ないために)反動主義者とされました。
当時、世界有数の豊かな国カンボジアは日本よりはるかに早く特撮映画を作製し、国内の映画館は大賑わいで豊かさを背景にシアヌーク国王は国の将来は人材と教育を推奨していました。当時の教師は20万人あまり。これが2年間のポルポト後にはわずか1万人まで激減。
政治家、官僚、学者、弁護士、教師、僧侶他、国家・人民の基幹となる人物はほぼ抹殺されました。エリート層の人物を農村に強制疎開させ毛沢東が政治犯(反毛沢東派)を合法的?に殺すため(1日たしか700kcalの食事しか与えない)の方法で衰弱死させたそうです。これはどんな頑強な人でも2年持たないといわれています。
毛沢東の狙いは「1年に3回も米の収穫できる国」カンボジアの支配でした。カンボジア人を奴隷と化し国家が成り立たなくなった頃にカンボジアから連れて来た若い女性500名に中国人と結婚させ子供をもうけさせ毛沢東主義を徹底して教育。カンボジア人と称しカンボジア政府の要職に据え中国の属国化すること。これが真の狙いだったそうです。
トゥールスレンではまた人口の大幅減を狙い(最低限の奴隷生産力のみ確保)、誰かの名前を言わないと殺してもらえない拷問責めで苦し紛れに名前を出された生後間もない子供まで反動勢力活動家として殺されました。キリングフィールドの骸骨は性別、年代別にきちんと並べられているのでその狂気には背筋が凍ります。殺すことを拒否した兵士も反動主義者にされるのですから落ちるところまで転がるしかない訳です。
プノンペン陥落後にポルポトも気が付き毛沢東にだまされた。と悔しがるのと自分のしたことを悔いてはいたようです。
長い文章すいません。ぼちぼち写真の説明も付けていきますのでまたお越しください。2006年01月19日22時04分返信する -
こんばんわ(^-^)
こんばんは☆
シンガポールの旅行記、楽しかったです。
建物の色使いがいいですよね〜(^-^)
蜷川美花さんの写真集みたいでステキな写真がた〜っくさんです(^-^)
写真集で出版できちゃいそう(^-^)
ポストカードになってたら、アタシは絶対買っちゃってますっ♪2006年01月19日20時13分返信するRE: こんばんわ(^-^)
ご訪問と書き込み、ありがとうございます。m(__)m
シンガポールは現代的なビルが並ぶ都市国家というイメージが強いですが、こういう所もあるんですよ。
もしチャンスがあったら行ってみてくださいね。
とてもフォトジェニック!(*^_^*)2006年01月21日12時16分 返信する -
すれ違い
私は1月3日、シンガポールに1泊しました。
チェンマイへの途中でほんの数時間、マーライオンを確認しただけでしたけど。
無機質な感じがするこの街も、チャイナタウンやリトル・インディアなど丁寧に歩くといろんな色や形にあふれているのですね。
チェンマイの犬の件、少なくともお寺あたりで寝転んでいる犬たちは結構餌まわりはよさそうでした。
でも、皮膚病などの病気もありますし、狂犬病もあるので、バンコクなどでは政策的に地域に密着したお寺を中心に狂犬病予防接種、不妊手術を進めているみたいですね。
あるページで見ましたが、「“不妊手術した犬は目印に耳の先を切る”という案は、迷い犬を飼っている国王の“かわいそう”という反対でつぶれたとか。」
いろいろお国ぶりはあるみたいです。 -
あこがれのタージマハル
SUR SHANGHAIさん、こんにちは。
あこがれのタージマハル、いろんなアングルや周辺の写真もご紹介いただいてありがとうございます。
インド旅行はまだ実現しておりません。
ヨーロッパの旅行しやすさに慣れると、個人ではだんだんむずかしそうです。
入門としてツアーで、それから個人で、という経路もありえますが、いまは目が東欧やバルカンに向いておりまして@
ともあれ、靴は災難でしたね。
いやはや、靴預かりの偽者までいるなんてっ!
災難だったと思いますが、エピソードとしては、読みながら、ぷぷぶっと笑えてしまいました、失礼!
いまではSUR SHANGHAIさんも、腹だたしさを忘れて面白おかしく披露できる心境でいるとよいのですが。RE: あこがれのタージマハル
お返事が遅れまして失礼しました。
旧正月前に03年のインド編をアップさせてしまいたくてジタバタ。
あと少しで終わりそうでホッ。
靴の件は、
「これで私もインドの洗礼を受けたんだ。」
という気分でしたよ。(^○^)
まみさんもタージマハルではお気を付けて。2006年01月17日02時20分 返信する -
Hot Hotter Hottest in Dubai
以前(15年程前)Dubaiに赴任していました。真夏に外歩きをするとは、まるで自殺行為でしたね。7月中旬から8月中旬くらいまでは、炎天下では最高気温50℃を越えます。一応、観測所で50℃を超えると会社・工場が休業しなければならないのですが、・・・。在任中一度もそんなニュースは無かったです。(でも日本人・ヨーローッパ系の人たちの大半は、その期間に避暑でヨーロッパに出るので、私のいない期間に休業があったかも知れませんが。)
7月の10日くらいの10時ころに、百葉箱を覗いたら47℃でした。そのころ最高温度計が壊れていたので、詳細不明ですが。
あと、朝晩はGulf(アラビア湾orペルシャ湾)からの湿気が来るために、湿度95%の空気となり、確かにサウナでしたね。
よくそんな時期に観光に出掛けることができましたね。普通はエアコン・ギンギンの車で移動して、あそこのマーケット・あそこのセンターと渡り歩く???くらいでしょうね。電気代が安いので、建物内は始終エアコンは効いていました。
あと、最後の写真はハッタ近くのウオーターフォール???かなと思うのですが、水量も最近は変化しているでしょうから、自信ありませんが。
この3月にDubai経由(一応2日くらい滞在)でTurkey行きます。
Have a nice trip!RE: Hot Hotter Hottest in Dubai
初めてのU.A.E.は用事+夏のショート・トリップで行ってみたんですが、確かに観光向けの時期ではありませんでした。
初めて行った土地は必ず自分の足で歩いてみる、という信条(?)に従って歩いてみたんですが、確かに半自殺行為でした〜。^^;
あれほど大量の汗が短時間のうちに玉となって転がるのは、私の旅の記憶の中でもベスト(ワースト?(^○^))・スリーに入ってます。
この時もハッタ方面に行った記憶があるのですが、このダムはどこだったやら…。結構長いダムの上を歩いた記憶はあるんですが。
引越しやらで分散している写真が出てきたら、補足していこうと思ってます。
3月にはドバイ経由でトルコ行きとか。
いい旅になるよう、お祈りしています。(^_^)v
2006年01月14日10時01分 返信する -
老洋房には歴史がある、金茂大厦は風格がある
SUR SHANGHAIさん、どうも。
私のところへの訪問有難うございます。
老洋房ですか・・・・イイですね。
立ち入ったことを伺います。
立ち入ったことなので、お答えされなくても、宜しいです。
どのあたりなんでしょうか・・・・
最初の写真が関連あるとすると衡山路近辺かな・・・
こういった老洋房は欧米人は好きですよね・・・
SUR SHANGHAIさんのお友達というのは、欧米人ということでしょうか・・・・
こういった老洋房には歴史があるんでしょうね。
解放前には、どんな人が住んでいたんだろう・・・
文革中は、どうだったんだろう・・・・
住まれていた方達も、何代かは、入れ替わってるはずです。
そういうのに思いをめぐらすのも、面白いでしょうね。
金茂大厦は、やはり風格ありますね。
実を言いますと、恥ずかしながら、私はココに入ったことありません。
なんですか、どうしようもなくドデカイ空間の吹き抜けがあるとか・・・
上海のショッピングセンターにも多いですよね、こういった吹き抜け。
私みたいな貧乏臭い人間は、アレを見てしまいますと、
もったいない、無駄だ・・・・空調費が無駄に消費されてる・・・
なぁ〜んて、思えてきまして、落ち着かない感じになってしまいます。
RE: 老洋房には歴史がある、金茂大厦は風格がある
お返事、遅れまして失礼しました。m(__)m
お尋ねの件は「衡山路だなんて、とてもとても…。」です。(^○^)
国際結婚のカップルですが、前々から「古い家が欲しい。」ということで探し当てた家。
買う前には3家族が同居していたらしいです。
リフォーム途中も見に言ったことがありますが、水回りや建て付け等の改善にだいぶお金をつぎ込んだだろうなあ、という印象でした。
金茂大厦にお入りになったことが無いとは意外です。
次の旅行記では≪金茂大厦、徹底ガイド≫を出してみては如何でしょう。(^_^)v
あの吹き抜けは絶句…。
夏になると決まって「電力不足だ〜。」と騒ぐ土地のものとは思えません。(^○^)2006年01月14日09時49分 返信する



