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旅好者さんのトラベラーページ

旅好者さんのクチコミ(42ページ)全6,282件

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  • 基本情報
  • 神様も時代に翻弄されます。

    投稿日 2022年08月19日

    臼杵八坂神社 臼杵・津久見

    総合評価:4.0

    臼杵八坂神社は、旧臼杵藩主稲葉家下屋敷前の通りの突き当たりにありました。創建は972年(天延元年)と伝わっています。その場所は、奥州磐前郡(現在の福島県いわき市)の鶴ヶ峰というところだったそうです。後三年の役(1083年(永保3年)~1087年(寛治元年))の戦乱を避けるため、船により安芸国尾道を経由して、臼杵庄洲崎岩ケ鼻に着き、神ノ木原に鎮座されたのだそうです。1097年(承徳元年)のことだそうですが、当時としては信じがたいほどの大旅行?だったと思います。その後は臼杵の総鎮守と平穏な時を過ごしますが、1578年(天正6年)に大友宗麟がキリスト教に帰依すると、社寺焼討の難を逃れるため、見星寺裏の岩窟、海添の岩窟、津久見の八戸と移り、最後は日向の飫肥に仮住まい(一応は遷座)となったそうです。1593年(文禄2年)に臼杵城主となった太田一吉が現在地に社殿を建て、仮住まいから御遷座頂いたとのことです。人の都合で時代の波に翻弄された神様も多いとは思いますが、臼杵八坂神社の神様はその代表だと思いますね。なお、八坂神社ですから主祭神は健速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)です。

    旅行時期
    2022年05月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    4.0

  • お客用と家人用に分かれていました。

    投稿日 2022年08月19日

    稲葉家下屋敷 旧平井家住宅 臼杵・津久見

    総合評価:5.0

    旧臼杵藩主稲葉家下屋敷の大書院のところに履き物(傘も)が用意されているので、庭の中を通って、旧平井家住宅へ向かいます。抜け道の様な狭いところを通って敷地に入ると、離れ座敷という屋敷の1番奥のところでした。
    この建物は1859年(安政6年)に建てられた臼杵藩の上級武家屋敷です。(離れ座敷部分は明治期の増築)旧平井家は市所有に変わる前の所有者の名前で、臼杵藩時代は禄高200石の稲葉家の屋敷だったものです。藩主と同じ氏ですが、こちらの稲葉氏は美濃・郡上八幡近くで高田と名乗っていた地場の豪族だと思われます。郡上八幡城主だった稲葉氏に降りる時に稲葉性を賜ったのでしょう。城主・稲葉氏の移封に従って、臼杵に移ってきたということです。
    お屋敷の本来の門は、北側の県道33号線側にあった様です。玄関はもちろん式台の様なものはありませんが、土間に面して表玄関、その奥に内玄関が並んで設けられていて、座敷もお客用と家人用と分かれてて、外に面する一面はお客用となっていました。一見広そうではありましたが、住みづらいところも多そうでした。

    旅行時期
    2022年05月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    5.0

  • 何回くらい利用されたのでしょうか。

    投稿日 2022年08月19日

    旧臼杵藩主稲葉家下屋敷 臼杵・津久見

    総合評価:4.0

    旧臼杵藩主稲葉家下屋敷は、正にお城の望める城下町といったところにありました。東京へ移住した旧藩主である稲葉家の臼杵での宿舎として、1902年(明治35年)に建築されたものだそうです。(旧藩主のためといっても、ずいぶんと時代が移っていますね)臼杵藩15代で、最後の藩主だった稲葉久通は1893年(明治26年)に亡くなっていて、息子の稲葉順通に代が変わっています。順通は77歳の長寿だったそうですから、何回かは里帰りをしたのでしょうね。お庭は名園とはいわれていませんが、広さがあり、樹木も大きくなっていますから、手入れがたいへんだろうと思いました。訪れた時も庭師が入っていました。

    旅行時期
    2022年05月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 九州で2番目に古い三重塔です。

    投稿日 2022年08月19日

    龍原寺三重塔 臼杵・津久見

    総合評価:5.0

    県道33号線の平清水辺りを通ると、道路横にある三重塔が目に飛び込んできます。龍原寺の三重塔です。元々は、寄進された聖徳太子像を祀る御堂が1717年(享保2年)に建立されていました。その後、臼杵の名工・高橋団内らによって、1848年(嘉永元年)から10年の歳月を掛けて、1858年(安政5年)に竣工したのが、この三重塔です。総高は21.8mです。九州に3つある三重の塔の1つで、江戸時代のものとしては2つの内の1つで、2番目に年代の古いものです。聖徳太子像を祀っていることから、太子塔とも呼ばれるそうです。龍原寺は1600年(慶長5年)に創建され、山号は紫雲山で、浄土宗のお寺さんです。

    旅行時期
    2022年05月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    5.0

  • 昔は島だった丘の上にありました。

    投稿日 2022年08月19日

    大橋寺 臼杵・津久見

    総合評価:4.0

    大橋(だいきょう)寺は、臼杵川の畔にありましたが、ずっと昔は森島という島の一画だとのことです。山門を潜ると正面に幅のある石段がありました。その上には楼門の様な建屋がありますが、上は観音堂で、下は庫裏への通路になっていました。石段上を左に回ったところに中門がありました。1548年(天文17年)に創建され、現在地には1628年(寛永5年)に移転してきたとのことです。なお、山号は法雲山で、浄土宗西山禅林寺派のお寺さんです。なお、山門から県道33号線を数10m南のところに、参拝者用の駐車場がありました。

    旅行時期
    2022年05月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 境内社に珍しい瑜伽神社がありました。

    投稿日 2022年08月19日

    福良天満宮 臼杵・津久見

    総合評価:4.0

    福良天満宮は三重の塔の先に左折の案内があり、狭い道を辿っていったところに駐車場がありました。これは裏側から入ったことになり、お宮の入口は県道33号線側にありました。こちらには約400年前に遷宮されたそうですが、それを記念して、2016年(平成28年)に本殿や境内社の大規模修復工事がされたそうで、全体に新しいと感じました。拝殿の右近に飛梅ならぬ飛龍梅がありました。大宰府天満宮は飛梅がご神木ですが、この飛龍梅はご神木ではなく、左手にある杉の木がご神木となっていました。境内社の1つに、あまりお参りすることのない瑜伽(ゆうが)神社がありました。主祭神はあの天岩戸を開けた力持ちの天手力男神(あめのたぢからおのかみ)です。こちらは奈良市にある瑜伽神社ではなく、岡山県倉敷市にある由加神社本宮の末社とのことです。本宮からのご寄進もあった様で、正面の玉垣に由加神社本宮と刻まれていました。余談ですが、男はつらいよ第30作「花も嵐も寅次郎」で寅さんが縁日で露店を開いていた場所(拝殿から石段を降りたところ)に、その記念碑が建っていました。

    旅行時期
    2022年05月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 何と、土日祝日のみの開館でした。

    投稿日 2022年08月19日

    吉丸一昌記念館 早春賦の館 臼杵・津久見

    総合評価:3.0

    吉丸一昌記念館は臼杵川左岸側の市浜というところにありました。すぐ横に3台分の駐車場があり、早速、訪れようとしたら、何と、土日祝日のみの開館で、平日はやっていないのですね。夫人の実家だった建物だそうですが、大きな建物ですから、その建屋を見学することにも価値がありそうでした。
    ♪春は名のみの 風の寒さや♪と聞くと、ずいぶんと昔に聞いたことがあるなぁと思います。1913年(大正2年)に発表された吉丸一昌作詞、中田章作曲の唱歌なのですね。この旅では大分市内で滝廉太郎の終焉の地を訪れましたが、明治、大正と古い歌に触れる機会を得ました。当時の吉丸一昌さんは尋常小学唱歌の作詞委員会代表だったそうです。長野県の大町から安曇野の早春の情景を詠ったものなのを初めて知りました。

    旅行時期
    2022年05月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    3.0

  • ミミズクが歓迎をしてくれました。

    投稿日 2022年08月19日

    白馬渓 臼杵・津久見

    総合評価:3.5

    臼杵石仏への途中、臼杵川の左岸側に白馬渓がありました。ここは伊勢神宮の外宮を勧請した大神社があるとのことで、入口には鳥居が建っていました。訪れたのは5月ですが、ここは紅葉の名所だそうですね。江戸時代末期に、小さな8つの橋を架けたり、もみじや南天を植えたりと、人工的に造られたのだそうです。訪れると、歓迎をする様に、上流の方から大きく羽を広げたミミズクが飛んできて、近くの枝に止まりました。餌付けでもされているのでしょうか。

    旅行時期
    2022年05月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    3.0
    景観:
    3.5
    人混みの少なさ:
    5.0

  • どういう事情があったのか、約400年ぶりに再建されました。

    投稿日 2022年08月19日

    満月寺 臼杵・津久見

    総合評価:3.0

    臼杵石仏のある岡の中腹から見下ろすと、石仏公園が拡がっていました。訪れた時は何の花もありませんでしたが、芝桜、蓮の花、コスモスとシーズン毎、きれいなお花畑を見られるとのことです。その先に小さな満月寺がありました。創建は鎌倉時代後期から室町前期と推定されていますが、1562年(永禄5年)ころに焼失し、復興されることはなかったそうです。どんな事情があったのか、現在の本堂は1950年(昭和25年)に再建されたのだそうです。山号は紫雲山で、高野山真言宗のお寺さんとなっています。

    旅行時期
    2022年05月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 臨時休業の様でした。

    投稿日 2022年08月19日

    石仏観光センター 臼杵・津久見

    総合評価:3.0

    郷膳うさ味は、臼杵石仏への道の入口にある石仏観光センターの1階にありました。ちょうど昼食時間帯だったので、空いていたら利用するつもりで寄ってみると、暖簾も出ていなくてやっている雰囲気がありませんでした。コロナの影響でお客さんが少ないので、臨時休業の様でした。

    旅行時期
    2022年05月
    アクセス:
    3.0

  • 観光協会の売店にありました。

    投稿日 2022年08月19日

    丸寿製菓 臼杵・津久見

    総合評価:3.0

    臼杵煎餅は現在、臼杵市内で7社が製造しているそうですが、その中の1社が丸寿製菓とのことです。丸寿製菓は町中に近いところに製造工場があるそうですが、工場直販は行なっていません。臼杵石仏事務所内の観光協会の売店に、ほかの製造会社の臼杵煎餅と並んでいました。(7社が揃っている様には見えませんでした)丸寿製菓の創業は1935年(昭和10年)だそうですから、結構長い歴史を刻んでいました。

    旅行時期
    2022年05月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    3.0

  • サブレもありました。

    投稿日 2022年08月19日

    後藤製菓 臼杵・津久見

    総合評価:3.5

    臼杵煎餅は臼杵の伝統菓子なのですね。参勤交代の携行食として米や麦などを材料に焼き上げたものが臼杵煎餅の始まりだそうです。従って、400年の歴史があると書かれていました。後藤製菓の創業は1919年(大正8年)と書かれていますから、もう100年は経っていることになりますね。今は、生姜に砂糖が塗られていますが、生姜はともかくとして、砂糖は後年のことの様に思いますね。ここでは販売の新しそうな臼杵せんべいサブレを買いました。ゆるキャラ「ほっとさん」の焼印が押されています。美味しかったですが、サブレにしてはちょっと粗めかなと思いました。

    旅行時期
    2022年05月
    利用した際の同行者
    友人
    一人当たり予算
    500円未満
    利用形態
    その他
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    3.0
    サービス:
    3.0
    雰囲気:
    3.5
    料理・味:
    3.5
    観光客向け度:
    4.0

  • 結構色彩が残っていました。

    投稿日 2022年08月19日

    国宝臼杵石仏 臼杵・津久見

    総合評価:5.0

    臼杵といえば臼杵石仏ということで、臼杵観光では欠かせない観光スポットだと思いますが、いちいち国宝と冠を付けてあるのが目障りに感じます。それはさておき、これらは主には平安時代後期に彫られたそうですね。この地は九条家の荘園があったそうですから、そこにこの石仏の原点がありそうです。代表的な石仏とされる古園石仏群の大日如来像は、やはり見応えがありました。また、ホキ石仏第一群の地蔵菩薩半跏像並びに十王像を始めとして、結構色彩が残っているのに感動しました。

    旅行時期
    2022年05月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    5.0

  • 大きなフンドーキン・マークの建屋がありました。

    投稿日 2022年08月19日

    大分醤油協業組合 臼杵・津久見

    総合評価:3.5

    なぜだったのか思い出せませんが、醤油のフンドーキンの名は昔から知っていたと思います。たぶん、全国区のキッコーマンの名前が変なの?と感じて、ほかを調べたら同じ様に変な名だと思った中にフンドーキンもあったのではないかと思います。(なぜか、醤油屋さんは変な名のところが多いですね)臼杵の町歩きをしていて、臼杵八坂神社からちょっと進んだところの臼杵川に、大きなフンドーキン・マークの建屋がありました。中洲にあるフンドーキン醬油の本社工場です。当時は海運に便利な場所だったのでしょう。(今は臼杵川の上流に大きな工場がありました)すぐ近くにある小手川商店が創業家で、1861年(文久元年)の創業だそうです。もっと全国区になっていても良さそうに思いますが・・・。

    旅行時期
    2022年05月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    3.5

  • 臼杵護国神社がありました。

    投稿日 2022年08月19日

    臼杵公園 臼杵・津久見

    総合評価:3.5

    復元された二の丸大門櫓の先に鳥居(三ノ鳥居)がありました。これはその先にある臼杵護国神社のものです。世間の護国神社に比べると、たいへんこぢんまりとしていますが、神門があり、その先に神橋も架かっていました。1878年(明治11年)に招魂社を創建し、西南の役の戦死者43名を祀ったのに始まり、翌年には臼杵藩初代藩主・稲葉良通を始めとする歴代の藩主を祀ったとのことです。以降、日清、日露を始めとする戦没者の霊を祀っています。現在の社号は1978年(昭和53年)からだそうです。なお、境内の右手前に砲弾記念碑がありました。(現在の砲弾はレプリカです)日清戦争の黄海海戦に軍医長として従軍し、重傷を負った方の奉納だということです。左手前にも砲弾記念碑がありました。日清戦争に従軍した歩兵中尉からの戦利品の奉納だそうです。近くには西南の役の藤丸警部のことや、大東亜戦争全般作戦図とか硫黄島玉砕者名簿(臼杵出身者)が掲示されていたり、ほかとはちょっと違った感じのするところでした。

    旅行時期
    2022年05月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    3.5

  • 最初は島だったのですね。

    投稿日 2022年08月19日

    臼杵城跡(臼杵公園) 臼杵・津久見

    総合評価:3.5

    臼杵城跡は臼杵の町中で、比較的海に近いと感じるところにありました。臼杵城の築城は1562年(永禄5年)で、大友宗麟によって臼杵湾に浮かぶ丹生(にう)島に築かれたそうですね。従って、お城の名前は丹生島城だったとか。1562年というと宗麟が毛利元就と対立し始めたころですから、府内が攻められた時の退避場所を想定したのでしょうかね。実際に役立ったのは薩摩・島津氏との戦いだったそうですが・・・。当時のものはほとんど残っていません。江戸時代の二の丸の畳櫓と復元された二の丸大門櫓を下から眺めるのが、もっとも臼杵城跡らしいと感じました。

    旅行時期
    2022年05月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    3.5

  • ほっとけさんが居ました。

    投稿日 2022年08月19日

    臼杵市観光交流プラザ 臼杵・津久見

    総合評価:3.0

    臼杵市観光交流プラザは臼杵城跡を見上げる場所にありました。臼杵といえば石仏ですが、町中も散策したいので、町中のMAPを入手に立ち寄りました。この施設は2014年(平成26年)に開場したそうですが、やっぱり観光客は石仏だけを求めてきて、この施設の活躍するところは少ないのでしょうか。臼杵市のゆるキャラ「ほっとさん」だそうですが、ここにはほっとけさんがいました。

    旅行時期
    2022年05月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    2.5

  • 八幡浜航路を2社が就航していました。

    投稿日 2022年08月19日

    臼杵港 臼杵・津久見

    総合評価:3.0

    臼杵みなと市場の前を通り過ぎて、臨港橋で渡ると臼杵港エリヤになりました。道なりに左に曲がると、右手は臼杵港、左手は下水処理場となり、そのまま進んだ突き当たりが臼杵港フェリーターミナルとなっていました。ここにはオレンジフェリーと宇和島運輸フェリーの2社が就航していました。どちらも四国・愛媛の八幡浜と2時間25分で結んでいました。どちらも6~7便を運航していますが、お客と取り合いになっているのではないですかね。このターミナルには、通常の可動橋のほかに甲板積み込み用と思われるブリッジがありました。今も使うことはあるのでしょうか?

    旅行時期
    2022年05月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 土産品とともに食事処も。

    投稿日 2022年08月19日

    臼杵みなと市場 臼杵・津久見

    総合評価:3.5

    臼杵みなと市場は、臼杵港のフェリーターミナルへ向かう道沿いにありました。土産物を買いに行きましたが、時間があったら食べたいのがありました。表に大きく海鮮焼き(カキ小屋)と書いてあり、バーベキューが楽しめる様になっていました。カキが1、100円、海鮮焼きでは、シンプルなセットが1、650円、あわび、さざえもある1番の豪華版が3、300円でした。単品メニューもありました。

    旅行時期
    2022年05月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    3.0
    コストパフォーマンス:
    3.0
    サービス:
    3.0
    雰囲気:
    3.0
    観光客向け度:
    3.5

  • 古墳の上には臼杵神社が・・・。

    投稿日 2022年08月19日

    臼塚古墳 臼杵・津久見

    総合評価:4.0

    臼塚古墳は三重野台地というところにありました。昔ながらの狭い道を辿ります。小山の様にこんもりと盛り上がった上に臼杵神社が建っていましたが、この盛り上がったところが古墳の後円部でした。臼塚古墳は5世紀前半から中頃に築造された前方後円墳です。全長は87mあり、後円部径、前方部幅ともに約45mという、臼杵地方最大の前方後円墳とのことです。この地域の海人部族の首長の墳墓とみられています。史跡臼塚古墳の石碑の隣に浩宮様御足跡之地と刻まれた石碑がありました。お若い頃はこんなところまで訪問をしているのですね。その先には2基の石人が置かれていました。この石人は、その形から臼杵の名の由来になったいわれています。なお、ここには駐車場がありませんでした。近くの三重野公民館(前庭が丸山古墳)に駐めさせて貰うしかないと思います。

    旅行時期
    2022年05月
    利用した際の同行者
    友人
    アクセス:
    3.0
    人混みの少なさ:
    5.0
    見ごたえ:
    4.0

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