旅好者さんのクチコミ(45ページ)全6,282件
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投稿日 2022年07月30日
総合評価:4.0
これが関サバ御殿、関アジ御殿かと思わせる家が多く見られる、大きな佐賀関漁港から1kmくらい南に進んだところに白木海岸があり、そこにあまべの郷・関あじ関さば館がありました。そういえば、この様に関あじ、関さばを店名にしているお店には始めて出会ったように思います。2階に白木海岸のレストランがありました。関あじ姿造り2、900円、関さば姿造り3、400円でした。車の運転がなければ、これをサカナに一杯といきたいところでしたが、お得感のある関の海鮮丼1、200円を頂きました。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 一人当たり予算
- 1,500円未満
- 利用形態
- その他
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- サービス:
- 3.0
- 雰囲気:
- 3.0
- 料理・味:
- 4.0
- 観光客向け度:
- 4.0
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投稿日 2022年07月30日
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投稿日 2022年07月30日
総合評価:3.0
現在は、開館から27年間の歴史が一旦閉じられて、大規模改修工事中だと思います。そんな予定を何も知らずに訪れましたら、駐車場近くには案内の人が数人もいて、ずいぶんと親切なところだと思ったものです。実際は、一旦の閉館直前ということで、たくさんのお客さんがやってくるだろうと準備をしていたのでした。どの様に変身して再開されるのでしょうか。予定では来年(2023年)夏だそうです。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2022年07月30日
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投稿日 2022年07月30日
総合評価:5.0
早吸日女(はやすひめ)神社は佐賀関の町並みの別府湾側にありました。創建は紀元前667年(皇暦記元前7年)と伝わっています。神武天皇(この時は天皇にはなっていませんが)の東征の折、この地で、海底から取り上げた神剣を、天皇自ら奉じて建国の大請願を立てたのだそうです。現在地には神託により701年(大宝元年)に遷座したそうです。戦国時代末期に戦火で焼失しますが、この地は肥後藩の所領となったので、加藤清正が再建、その後は、肥後藩主細川家の保護を受けました。
総門の先に二ノ鳥居があり、正面にお社が見えたので拝殿かと思いましたが、これは境内社の1つ・伊邪那岐社でした。ご神体である神剣は伊邪那岐神が落としてしまったものだそうですね。説明書きによると屋根はチタン葺きで、塩害を避ける効果を狙ったもので、世界で最初の試みだったそうです。今はほかにもいくつか普及しているとのことです。右手前方に進んだところに拝殿がありました。どちらかというと、神社ではなくお寺さんの様な建物です。その奥に大きな本殿がありました。1673年(宝暦13年)に再建されたものです。本殿の屋根に乗っている千木ですが、通常は一対だと思いますが、こちらでは二対が乗っています。また、通常は男千木か女千木に統一されていますが、ここでは両方が組み合わされていました。男神も女神も同列の主祭神ですよといっている感じです。この千木に関しては、境内社全部に共通していました。鰹木は千木の横に置かれていて、4つありました。偶数は女神を表わしているはずですから、女神が主なのかなとも思いました。また、これも鳥ふすまというのか、千木のところから細いものが伸びてきて、長く突き出ていました。- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2022年07月30日
総合評価:3.0
国道197号線の陸上の終点に佐賀関フェリーターミナルがありました。四国・愛媛の三崎港とを結んでいます。国道九四フェリー社が運航をしていますが、名前に国道が付いている通り、九州側の国道197号線と四国側の国道197号線を接続させています。コロナの影響もあって利用客が減っていて減便をしていましたが、通常であれば、真夜中を除いて、ほぼ1時間毎に16便が就航していました。就航フェリー船は涼かぜ(すずかぜ)、遊なぎ(ゆうなぎ)、速なみ(はやなみ)の3隻で、それぞれの総トン数は千トン前後です。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 乗り場へのアクセス:
- 3.0
- 車窓:
- 3.0
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投稿日 2022年07月30日
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投稿日 2022年07月30日
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投稿日 2022年07月30日
総合評価:3.5
築山(つきやま)古墳は、国道197号線のすぐ横、神崎八幡神社の境内に入ったところにありました。亀塚古墳とほぼ同じころ、古墳時代前期の5世紀初めころに築造されたとみられ、全長98mもある大きな前方後円墳です。海部郷では亀塚古墳に次ぐ大きさで、しかも、被葬者は女性だそうですから、何か関連があるのかなと思わせます。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2022年07月30日
総合評価:4.0
大分市こうざき海水浴場は国道197号線の神崎集落から海岸に出たところにありました。大分市内からでは、東方向にある海水浴場で1番近いところとのことです。ここはバーベキューの出来る海水浴場として人気があるとのことです。屋根付きのBBQ設備もありましたが、予約制だということです。屋根があれば、突然の雨にも対応できますから有り難い施設といえます。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 3.5
- 水の透明度:
- 3.0
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投稿日 2022年07月30日
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投稿日 2022年07月30日
総合評価:4.0
海部古墳資料館は復元された大きな古墳の横にありました。ここには九州一といわれる大きなジオラマがありました。海部の村の生活などを再現したものです。ジオラマは当時を想像する上で、大いに手助けをしてくれますし、その出来具合を見れば、その施設の力の入れ具合が分るからです。ここは力が入っていました。出土品の展示もありました。盗掘に遭っているそうですから、俗に言う金目の物を盗まれたのでしょう。元々はどんなものが副葬品となっていたのか興味が湧きますね。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 4.0
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投稿日 2022年07月30日
総合評価:5.0
亀塚古墳公園は、大分市東部で、比較的海に近いところにありました。海岸線沿いの国道197号線からは1.5kmと案内が出ていました。亀塚古墳は、古墳時代前期(4世紀末から5世紀初頭)に築造された、全長116mもある大きな前方後円墳です。ほぼ築造当時の姿に復元されていました。豊後国は8つの郡からなって、その中の1つに海部(あまべ)があり、古くから拓けた土地だったのですね。海部の人々は海上交通を生業としていたとのことです。この古墳の被葬者はその海部の首長と見られるとのことです。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2022年07月25日
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投稿日 2022年07月18日
総合評価:4.0
キリシタン殉教記念公園は葛木というところにありました。ここは豊後崩れと呼ばれる、1660年から1682年に掛けてのキリシタン大量検挙の中心で、約200名の殉教者を出したところとのことです。取り調べの様子を刻んだ大きな記念碑が置かれていますが、作者は長崎の平和記念像を制作された有名な彫刻家である北村西望さんとのことです。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2022年07月18日
総合評価:3.5
鶴崎の法心寺の並びといったところに、毛利空桑記念館がありました。ここは空桑さんが1857年(安政4年)の61歳の時に、居宅と私塾をここに移して、居宅を天勝堂、私塾を知来館と名付けたところです。空桑さんは14歳で脇蘭室に、17歳からは帆足万里に学んだそうです。際だって優秀だったのでしょうね。また、文武両道が基本方針だったそうですから、真の教育者として現代に再来して欲しいものです。余談ですが、空桑のご先祖を遡ると、あの毛利元就の弟さんに行き当たるのだそうですね。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 展示内容:
- 3.5
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投稿日 2022年07月18日
総合評価:3.0
日出を旅すると、日出の歴史には帆足萬里は絶対に欠かせない人物だったと思い知らされます。お墓を見れば、藩主の絶対的な信頼も思わざると得ません。でも、独力でそこに達したわけではなく、その人物の基礎を育てた人物が居たのですね。その人が脇蘭室だったということです。まったく申し訳ないことに、よく知らない方なのでした。そのお墓があるということでお参りさせて戴きました。後からの結果だと思いますが、何と、市民の共同墓地のところにありました。墓碑には「文教脇先生墓」と刻まれていますが、これは帆足萬里の筆になるそうです。1番の高弟だったことの証明でしょうか。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2022年07月18日
総合評価:5.0
野坂神社は小中島川に近くにありましたが、そもそもはちょっと西側に離れた乙津川の方が近かったと思われます。(川筋の変化があったのでしょう)というのは、古くから乙津川河口近くの三佐と呼ばれる港町にある神社だからです。三佐は竹田・岡藩の支配地で、参勤交代時に利用する港があったとのことです。神社の入口は白壁の回廊で囲まれていて、何か格式の高さを感じさせます。この神社では、拝殿の屋根の見事さは必見です。千鳥破風の下に大きな龍の鬼瓦付きの唐破風が付けられています。(その下には鳳凰?の彫刻も見られます。)また、屋根の1番上の大棟と呼ぶところかと思いますが、見事な龍の飾り瓦が乗っていました。また、屋根には狛犬が4頭飾られていました。余談ですが、春例祭で引き回される山車は、京都祇園祭をヒントとするもので、華麗に彩色された彫刻と、精密に作られた人形は見応えがあるそうですね。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2022年07月18日
総合評価:3.5
当日はかなり離れたところから宿泊に向かいましたが、メインの地方道の1つである国道197号線沿いにあるので、比較的到達しやすかったと思いました。駐車場が平置きだったのも荷物の上げ下ろしには良かったです。特に改善を希望するところもなく、全体的にビジネスホテルとしては合格点だったと思いました。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 友人
- 1人1泊予算
- 5,000円未満
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 客室:
- 3.0
- 接客対応:
- 3.5
- 風呂:
- 3.0
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投稿日 2022年07月18日
総合評価:4.0
おおいた温泉物語 三川の湯は原川沿いにありました。周りは工場なので周りの風景とは違和感がありました。一般でいうところのスーパー銭湯といった感じで、利用者が多かったです。また、部屋数は多くないですが、ビジネスホテルが併設されていました。大分市内の温泉なので、モール泉です。今回はコロナウィルスの心配があるので貸切の出来る家族風呂を利用しましたが、写真を見ると、一般の浴槽のほか、腰掛湯、寝湯、エステバスなどがあり、また、露天風呂やサウナも付属していました。
- 旅行時期
- 2022年05月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 3.0
- 泉質:
- 4.0
- 雰囲気:
- 4.0








































